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문학 104

황금풍경 - 일본어

황금풍경(黄金風景:おうごんふうけい) 다자이 오사무(太宰 治) (1939) 일본어 원문 海の岸辺に緑なす樫(かし)の木、その樫の木に黄金の細き鎖のむすばれて ―プウシキン― 私は子供のときには、余り質(たち)のいい方ではなかった。女中をいじめた。私は、のろくさいことは嫌(きら)いで、それゆえ、のろくさい女中を殊(こと)にもいじめた。お慶は、のろくさい女中である。林檎(りんご)の皮をむかせても、むきながら何を考えているのか、二度も三度も手を休めて、おい、とその度毎にきびしく声を掛けてやらないと、片手に林檎、片手にナイフを持ったまま、いつまでも、ぼんやりしているのだ。足りないのではないか、と思われた。台所で、何もせずに、ただのっそりつっ立っている姿を、私はよく見かけたものであるが、子供心にも、うすみっともなく、妙に疳(かん)にさわって、おい、お慶、日は短いのだぞ、などと大人びた、い..

가정의 행복 - 일본어

가정의 행복(家庭の幸福:かていのこうふく) 다자이 오사무(太宰 治) (1948) 일본어 원문 「官僚が悪い」という言葉は、所謂(いわゆる)「清く明るくほがらかに」などという言葉と同様に、いかにも間が抜けて陳腐で、馬鹿らしくさえ感ぜられて、私には「官僚」という種属の正体はどんなものなのか、また、それが、どんな具合いに悪いのか、どうも、色あざやかには実感せられなかったのである。問題外、関心無し、そんな気持に近かった。つまり、役人は威張る、それだけの事なのではなかろうかとさえ思っていた。しかし、民衆だって、ずるくて汚くて慾が深くて、裏切って、ろくでも無いのが多いのだから、謂(い)わばアイコとでも申すべきで、むしろ役人のほうは、その大半、幼にして学を好み、長ずるに及んで立志出郷、もっぱら六法全書の糞(くそ)暗記に努め、質素倹約、友人にケチと言われても馬耳東風、祖先を敬するの念厚く、亡父..

누구 - 일본어

누구(誰:だれ) 다자이 오사무(太宰 治) (1941) イエス其(そ)の弟子(でし)たちとピリポ・カイザリヤの村々に出(い)でゆき、途(みち)にて弟子たちに問ひて言ひたまふ「人々は我(われ)を誰と言ふか」答へて言ふ「バプテスマのヨハネ、或人(あるひと)はエリヤ、或人は預言者の一人」また問ひ給(たま)ふ「なんぢらは我を誰と言ふか」ペテロ答へて言ふ「なんぢはキリスト、神の子なり」(マルコ八章二七) たいへん危いところである。イエスは其の苦悩の果に、自己を見失い、不安のあまり無智文盲(むちもんもう)の弟子たちに向い「私は誰です」という異状な質問を発しているのである。無智文盲の弟子たちの答一つに頼ろうとしているのである。けれども、ペテロは信じていた。愚直に信じていた。イエスが神の子である事を信じていた。だから平気で答えた。イエスは、弟子に教えられ、いよいよ深く御自身の宿命を知った。 二十世..

축견담 - 일본어

축견담(畜犬談 :ちくけんだん) 다자이 오사무(太宰 治) (1939) 일본어 원문 私は、犬については自信がある。いつの日か、かならず喰(く)いつかれるであろうという自信である。私は、きっと噛(か)まれるにちがいない。自信があるのである。よくぞ、きょうまで喰いつかれもせず無事に過してきたものだと不思議な気さえしているのである。諸君、犬は猛獣である。馬を斃(たお)し、たまさかには獅子(しし)と戦ってさえこれを征服するとかいうではないか。さもありなんと私はひとり淋しく首肯(しゅこう)しているのだ。あの犬の、鋭い牙(きば)を見るがよい。ただものではない。いまは、あのように街路で無心のふうを装い、とるに足らぬもののごとくみずから卑下して、芥箱(ごみばこ)を覗(のぞ)きまわったりなどしてみせているが、もともと馬を斃すほどの猛獣である。いつなんどき、怒り狂い、その本性を暴露するか、わかったも..

찬스 - 일본어

찬스(チャンス)다자이 오사무(太宰 治) (1946) 人生はチャンスだ。結婚もチャンスだ。恋愛もチャンスだ。と、したり顔して教える苦労人が多いけれども、私は、そうでないと思う。私は別段、れいの唯物論的弁証法に媚(こ)びるわけではないが、少くとも恋愛は、チャンスでないと思う。私はそれを、意志だと思う。 しからば、恋愛とは何か。私は言う。それは非常に恥かしいものである。親子の間の愛情とか何とか、そんなものとはまるで違うものである。いま私の机の傍の辞苑をひらいて見たら、「恋愛」を次の如(ごと)く定義していた。「性的衝動に基づく男女間の愛情。すなわち、愛する異性と一体になろうとする特殊な性的愛。」 しかし、この定義はあいまいである。「愛する異性」とは、どんなものか。「愛する」という感情は、異性間に於いて、「恋愛」以前にまた別個に存在しているものなのであろうか。異性間に於いて恋愛でもなく「愛..

비잔 - 일본어

비잔(眉山:びざん) 다자이 오사무(太宰 治) (1948) 일본어 원문 これは、れいの飲食店閉鎖の命令が、未(いま)だ発せられない前のお話である。 新宿辺も、こんどの戦火で、ずいぶん焼けたけれども、それこそ、ごたぶんにもれず最も早く復興したのは、飲み食いをする家であった。帝都座の裏の若松屋という、バラックではないが急ごしらえの二階建の家も、その一つであった。 「若松屋も、眉山(びざん)がいなけりゃいいんだけど。」 「イグザクトリイ。あいつは、うるさい。フウルというものだ。」 そう言いながらも僕たちは、三日に一度はその若松屋に行き、そこの二階の六畳で、ぶっ倒れるまで飲み、そうして遂(つい)に雑魚寝(ざこね)という事になる。僕たちはその家では、特別にわがままが利(き)いた。何もお金を持たずに行って、後払いという自由も出来た。その理由を簡単に言えば、三鷹(みたか)の僕の家のすぐ近くに、..

미남자와 담배 - 일본어

미남자와 담배(美男子と煙草:びだんしとたばこ) 다자이 오사무(太宰 治) (1948) 일본어 원문 私は、独(ひと)りで、きょうまでたたかって来たつもりですが、何だかどうにも負けそうで、心細くてたまらなくなりました。けれども、まさか、いままで軽蔑(けいべつ)しつづけて来た者たちに、どうか仲間にいれて下さい、私が悪うございました、と今さら頼む事も出来ません。私は、やっぱり独りで、下等な酒など飲みながら、私のたたかいを、たたかい続けるよりほか無いんです。 私のたたかい。それは、一言[#「一言」は底本では「一事」]で言えば、古いものとのたたかいでした。ありきたりの気取りに対するたたかいです。見えすいたお体裁(ていさい)に対するたたかいです。ケチくさい事、ケチくさい者へのたたかいです。 私は、エホバにだって誓って言えます。私は、そのたたかいの為に、自分の持ち物全部を失いました。そうして、..

아침 - 일본어

아침(朝:あさ) 다자이 오사무(太宰 治) (1947) 일본어 원문 私は遊ぶ事が何よりも好きなので、家で仕事をしていながらも、友あり遠方より来るのをいつもひそかに心待ちにしている状態で、玄関が、がらっとあくと眉(まゆ)をひそめ、口をゆがめて、けれども実は胸をおどらせ、書きかけの原稿用紙をさっそく取りかたづけて、その客を迎える。 「あ、これは、お仕事中ですね。」 「いや、なに。」 そうしてその客と一緒に遊びに出る。 けれども、それではいつまでも何も仕事が出来ないので、某所に秘密の仕事部屋を設ける事にしたのである。それはどこにあるのか、家の者にも知らせていない。毎朝、九時頃(ごろ)、私は家の者に弁当を作らせ、それを持ってその仕事部屋に出勤する。さすがにその秘密の仕事部屋には訪れて来るひとも無いので、私の仕事もたいてい予定どおりに進行する。しかし、午後の三時頃になると、疲れても来るし、..

사랑과 미(美)에 대하여 - 일본어

사랑과 미(美)에 대하여(愛と美について)다자이 오사무(太宰 治) (1939)일본어 원문 兄妹、五人あって、みんなロマンスが好きだった。長男は二十九歳。法学士である。ひとに接するとき、少し尊大ぶる悪癖があるけれども、これは彼自身の弱さを庇(かば)う鬼の面(めん)であって、まことは弱く、とても優しい。弟妹たちと映画を見にいって、これは駄作だ、愚劣だと言いながら、その映画のさむらいの義理人情にまいって、まず、まっさきに泣いてしまうのは、いつも、この長兄である。それにきまっていた。映画館を出てからは、急に尊大に、むっと不気嫌になって、みちみち一言も口をきかない。生れて、いまだ一度も嘘言(うそ)というものをついたことがないと、躊躇(ちゅうちょ)せず公言している。それは、どうかと思われるけれど、しかし、剛直、潔白の一面は、たしかに具有していた。学校の成績は、あまりよくなかった。卒業後は、..

좌흥이 아니다 - 한국어

좌흥이 아니다(座興に非ず) 다자이 오사무(太宰 治) (1939) 번역 : 홍성필 나의 미래를 생각하면 소름이 끼쳐 이도 저도 못할 저녁 무렵에는 혼고(本鄕)에 있는 아파트에서 지팡이를 질질 끌며 우에노(上野)공원까지 걸어본다. 9월도 중순이 지났을 무렵의 일이다. 내가 입은 백지의 유카타(浴衣)도 이미 철이 지난 듯하여, 내가 보아도 저녁 어둠 속에서 유난히 눈에 띄는 것 같아 더욱 슬퍼지고, 살기가 싫어진다. 시노바즈(不忍) 연못을 훑어가며 불어오는 바람은 미지근하여 시궁창냄새가 났고, 연못에 있는 연꽃도 뻗은 채로 썩어 처참한 몰골을 드러내고 있었으며, 웅성웅성 떼를 지어 지나가는 사람들도 넋이 나간 듯, 피로한 기색이 역력하여, 이 세상의 종말을 연상케 했다. 우에노 역까지 오고 말았다. 수많은 검..

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