'다자이 오사무/수선화'에 해당되는 글 2건

  1. 2018.05.18 수선화 - 일본어
  2. 2018.05.18 수선화 - 한국어

수선화(水仙)

다자이 오사무(太宰 治) (1942)

일본어 원문

「忠直卿行状記」という小説を読んだのは、僕が十三か、四のときの事で、それっきり再読の機会を得なかったが、あの一篇の筋書だけは、二十年後 のいまもなお、忘れずに記憶している。奇妙にかなしい物語であった。
  剣術の上手(じょうず)な若い殿様が、家来たちと試合をして片っ端から打ち破って、大いに得意で庭園を散歩していたら、いやな囁(ささや)きが庭の暗闇の奥から聞えた。
 「殿様もこのごろは、なかなかの御上達だ。負けてあげるほうも楽になった。」
 「あははは。」
  家来たちの不用心な私語である。
  それを聞いてから、殿様の行状は一変した。真実を見たくて、狂った。家来たちに真剣勝負を挑(いど)んだ。けれども家来たちは、真剣勝負に於いてさえも、本気 に戦ってくれなかった。あっけなく殿様が勝って、家来たちは死んでゆく。殿様は、狂いまわった。すでに、おそるべき暴君である。ついには家も断絶せられ、その身も監禁せられる。
  たしか、そのような筋書であったと覚えているが、その殿様を僕は忘れる事が出来なかった。ときどき思い出しては、溜息(ためいき)をついたものだ。
  けれども、このごろ、気味の悪い疑念が、ふいと起って、誇張ではなく、夜も眠られぬくらいに不安になった。その殿様は、本当に剣術の素晴らしい名人だったのではあるまいか。家来たちも、わざと負けていたのではなくて、本当に殿様の腕前には、かなわなかったのではあるまいか。庭園の私語も、家来たちの 卑劣 な負け惜しみに過ぎなかったのではあるまいか。あり得る事だ。僕たちだって、佳(よ)い先輩にさんざん自分たちの仕事を罵倒(ばとう)せられ、その先輩の高い情熱と正しい感覚に、ほとほと参ってしまっても、その先輩とわかれた後で、
 「あの先輩もこのごろは、なかなかの元気じゃないか。もういたわってあげる必要もないようだ。」
 「あははは。」
  などという実に、賤(いや)しい私語を交した夜も、ないわけではあるまい。それは、あり得る事なのである。家来というものは、その人柄に於いて、かならず、殿様よりも劣 っているものである。あの庭園の私語も、家来たちのひねこびた自尊心を満足させるための、きたない負け惜しみに過ぎなかったのではあるまいか。とすると、慄然(りつぜん)とするのだ。殿様は、真実を 掴 みながら、真実を追い求めて狂ったのだ。殿様は、事実、剣術の名人だったのだ。家来たちは、決してわざと負けていたのではなかった。事実、かなわなかったのだ。それならば、殿様が勝ち、家来が負けるというのは当然の事で、後でごたごたの起るべき筈(はず)は無いのであるが、やっぱり、大きい惨事が起ってしまった。殿様が、 御自分 の腕前に確乎不動の自信を持っていたならば、なんの異変も起らず、すべてが平和であったのかも知れぬが、古来、天才は自分の真価を知ること甚(はなは)だうといものだそうである。自分の 力 が信じられぬ。そこに天才の煩悶(はんもん)と、深い祈りがあるのであろうが、僕は俗人の凡才だから、その辺のことは正確に説明できない。とにかく、殿様は、自分の腕前に絶対の信頼を置く事は出来なかった。事実、名人の卓抜(たくばつ)の腕前を持っていたのだが、信じる事が出来ずに狂った。そこには、殿様という 隔絶された御身分に依る不幸もあったに違いない。僕たち長屋住居の者であったら、
 「お前は、おれを偉いと思うか。」
 「思いません。」
 「そうか。」
  というだけですむ事も、殿様ともなればそうも行くまい。天才の不幸、殿様の不幸、という具合いに考えて来ると、いよいよ僕の不安が増大して来 るばかりである。似たような惨事が、僕の身辺に於いて起ったのだ。その事件の為に、僕は、あの「忠直卿行状記 」を自(おのずか)ら思い出し、そうして一夜、ふいと恐ろしい疑念にとりつかれたり等して、あれこれ思い合せ、誇張ではなく、夜も眠られぬほど不安になった。あの殿様は、本当に剣術が素晴らしく強かったのではあるまいか。けれども問題は、もはやその殿様の身の上ではない。
  僕の忠直卿は、三十三歳 の女性である。そうして僕の役割は、あの、庭園であさましい負け惜しみを言っていた家来であったかも知れないのだから、いよいよ、やり切れない話である。
  草田惣兵衛氏の夫人、草田静子。このひとが突然、あたしは天才だ、と言って家出したというのだから、驚いた。草田氏 の家と僕の生家とは、別に血のつながりは無いのだが、それでも先々代あたりからお互いに親しく交際している。交際している、などと言うと聞えもいいけれど、実情は、僕の生家の者たちは 草田氏の家に出入りを許されている、とでも言ったほうが当っている。俗にいう御身分 も、財産も、僕の生家などとは、まるで段違いなのである。謂(い)わば、僕の生家のほうで、交際をお願いしているというような具合 いなのである。まさしく、殿様と家来である。当主の惣兵衛氏 は、まだ若い。若いと言っても、もう四十は越している。東京帝国大学の経済科を卒業してから、フランスへ行き、五、六年あそんで、日本へ帰るとすぐに遠い親戚筋 の家(この家は、のち間もなく没落した)その家のひとり娘、静子さんと結婚した。夫婦の仲も、まず円満、と言ってよい状態であった。一女 をもうけ、玻璃子(はりこ)と名づけた。パリイを、もじったものらしい。惣兵衛氏 は、ハイカラな人である。背の高い、堂々たる美男である。いつも、にこにこ笑っている。いい洋画を、たくさん持っている。ドガの競馬の画が、その中でも一ばん自慢のものらしい。けれども、自分の趣味の高さを誇るような素振りは、ちっとも見せない。美術に関する話も、あまりしない。毎日、自分の銀行に通勤している。要するに、一流の紳士である。 六年前に先代がなくなって、すぐに惣兵衛氏が、草田の家を嗣(つ)いだのである。
  夫人は、――ああ、こんな身の上の説明をするよりも、僕は数年前の、或る日のささやかな事件を描写しよう。そのほうが早道である。三年前のお正月、僕は草田 の家に年始に行った。僕は、友人にも時たまそれを指摘されるのだが、よっぽど、ひがみ根性の強い男らしい。ことに、八年前 ある事情で生家から離れ、自分ひとりで、極貧に近いその日暮しをはじめるようになってからは、いっそう、ひがみも強くなった様子である。ひとに侮辱をされはせぬかと、散りかけている枯葉のように絶えずぷるぷる命を賭けて緊張している。やり切れない悪徳である。僕は、 草田の家には、めったに行かない。生家の母や兄は、今でもちょいちょい草田 の家に、お伺(うかが)いしているようであるが、僕だけは行かない。高等学校の頃までは、僕も無邪気に遊びに行っていたのであるが、大学へはいってからは、もういやになった。 草田の家の人たちは、みんないい人ばかりなのであるが、どうも行きたくなくなった。金持はいやだ、という単純な思想を持ちはじめていたのである。それが、どうして、三年前 のお正月に限って、お年始などに行く気になったかというと、それは、そもそも僕自身が、だらしなかったからである。その前年の師走(しわす)、草田夫人 から僕に、突然、招待の手紙が来たのである。
  ――しばらくお逢い致しません。来年のお正月には、ぜひとも遊びにおいで下さい。主人も、たのしみにして待っております。主人も私も、あなたの小説の読者です。
  最後の一句 に、僕は浮かれてしまったのだ。恥ずかしい事である。その頃、僕の小説も、少し売れはじめていたのである。白状するが、僕はその頃、いい気になっていた。危険な時期であったのである。ふやけた気持でいた時、 草田夫人からの招待状が来て、あなたの小説の読者ですなどと言われたのだから、たまらない。ほくそ笑んで、御招待まことにありがたく云々と色気 たっぷりの返事を書いて、そうして翌(あく)る年の正月一日に、のこのこ出かけて行って、見事、眉間(みけん)をざくりと割られる程の大恥辱を受けて帰宅した。
  その日、草田の家では、ずいぶん僕を歓待してくれた。他の年始のお客にも、いちいち僕を「流行作家」として紹介するのだ。僕は、それを揶揄(やゆ)、侮辱の言葉 と思わなかったばかりか、ひょっとしたら僕はもう、流行作家なのかも知れないと考え直してみたりなどしたのだから、話にならない。みじめなものである。僕は酔った。 惣兵衛氏を相手に大いに酔った。もっとも、酔っぱらったのは僕ひとりで、惣兵衛氏は、いくら飲んでも顔色も変らず、そうして気弱そうに、無理に微笑して、僕の文学談 を聞いている。
 「ひとつ、奥さん、」と僕は図に乗って、夫人へ盃をさした。「いかがです。」
 「いただきません。」夫人は冷く答えた。それが、なんとも言えず、骨のずいに徹するくらいの冷厳 な語調であった。底知れぬ軽蔑感が、そのたった一語に、こめられて在った。僕は、まいった。酔いもさめた。けれども苦笑して、
 「あ、失礼。つい酔いすぎて。」と軽く言ってその場をごまかしたが、腸が煮えくりかえった。さらに一つ。僕は、もうそれ以上お酒を飲む気もせず、ごはんを食べる事にした。 蜆汁(しじみじる)がおいしかった。せっせと貝の肉を箸(はし)でほじくり出して食べていたら、
 「あら、」夫人は小さい驚きの声を挙げた。「そんなもの食べて、なんともありません?」無心な質問である。
  思わず箸とおわんを取り落しそうだった。この貝は、食べるものではなかったのだ。蜆汁 は、ただその汁だけを飲むものらしい。貝は、ダシだ。貧しい者にとっては、この貝の肉だってなかなかおいしいものだが、上流の人たちは、この肉を、たいへん汚いものとして捨てるのだ。なるほど、蜆の肉は、お臍(へそ)みたいで醜悪だ。僕は、何も返事が出来なかった。無心な驚きの声であっただけに、手痛かった。ことさらに上品ぶって、そんな質問をするのなら、僕にも応答の仕様がある。けれども、その声は、全く本心からの純粋な驚きの声なのだから、僕は、まいった。なりあがり者の「 流行作家」は、箸とおわんを持ったまま、うなだれて、何も言えない。涙が沸(わ)いて出た。あんな手ひどい恥辱を受けた事がなかった。それっきり僕は、草田 の家へは行かない。草田の家だけでなく、その後は、他のお金持の家にも、なるべく行かない事にした。そうして僕は、意地になって、貧乏の薄汚い生活を続けた。
  昨年の九月、僕の陋屋(ろうおく)の玄関に意外の客人が立っていた。草田惣兵衛氏である。
 「静子が来ていませんか。」
 「いいえ。」
 「本当ですか。」
 「どうしたのです。」僕のほうで反問した。
  何かわけがあるらしかった。
 「家は、ちらかっていますから、外へ出ましょう。」きたない家の中を見せたくなかった。
 「そうですね。」と草田氏はおとなしく首肯(うなず)いて、僕のあとについて来た。
  少し歩くと、井の頭公園である。公園の林の中を歩きながら、草田氏は語った。
 「どうもいけません。こんどは、しくじりました。薬が、ききすぎました。」夫人が、家出をしたというのである。その原因が、実に馬鹿げている。数年前に、夫人の実家 が破産した。それから夫人は、妙に冷く取りすました女になった。実家 の破産を、非常な恥辱と考えてしまったらしい。なんでもないじゃないか、といくら慰めてやっても、いよいよ、ひがむばかりだという。それを聞いて僕も、お正月の、あの「いただきません」の異様な 冷厳が理解できた。静子さんが草田の家にお嫁に来たのは、僕の高等学校時代の事で、その頃は僕も、平気で草田 の家にちょいちょい遊びに行っていたし、新夫人の静子さんとも話を交して、一緒 に映画を見に行った事さえあったのだが、その頃の新夫人は、決してあんな、骨を刺すような口調でものを言う人ではなかった。無智なくらいに明るく笑うひとだった。あの元旦に、久し振りで顔を合せて、すぐに僕は、何も 言葉を交さぬ先から、「変ったなあ」と思っていたのだが、それでは矢張(やは)り、実家 の破産という憂愁が、あのひとをあんなにひどく変化させてしまっていたのに違いない。
 「ヒステリイですね。」僕は、ふんと笑って言った。
 「さあ、それが。」草田氏は、僕の軽蔑に気がつかなかったらしく、まじめに考え込んで、「とにかく、僕がわるいんです。おだて過ぎたのです。薬がききすぎました。」草田氏 は夫人を慰める一手段として、夫人に洋画を習わせた。一週間にいちどずつ、近所の中泉花仙とかいう、もう六十歳近い下手(へた)くそな老画伯 のアトリエに通わせた。さあ、それから褒(ほ)めた。草田氏をはじめ、その中泉という老耄(ろうもう)の画伯と、それから中泉のアトリエに通っている若い研究生たち、また 草田 の家に出入りしている有象無象(うぞうむぞう)、寄ってたかって夫人の画を褒めちぎって、あげくの果は夫人の逆上という事になり、「あたしは天才だ」と口走って家出したというのであるが、僕は話を聞きながら何度も噴き出しそうになって困った。なるほど薬がききすぎた。お 金持の家庭にありがちな、ばかばかしい喜劇だ。
 「いつ、飛び出したんです。」僕は、もう草田夫妻を、ばかにし切っていた。
 「きのうです。」
 「なあんだ。それじゃ何も騒ぐ事はないじゃないですか。僕の女房だって、僕があんまりお酒を飲みすぎると、里へ行って一晩泊って来る事がありますよ。」
 「それとこれとは違います。静子は芸術家として自由な生活をしたいんだそうです。お金をたくさん持って出ました。」
 「たくさん?」
 「ちょっと多いんです。」
  草田氏くらいのお金持が、ちょっと多い、というくらいだから、五千円、あるいは一万円くらいかも知れないと僕は思った。
 「それは、いけませんね。」はじめて少し興味を覚えた。貧乏人は、お金の話には無関心でおれない。
 「静子はあなたの小説を、いつも読んでいましたから、きっとあなたのお家へお邪魔にあがっているんじゃないかと、――」
 「冗談じゃない。僕は、――」敵です、と言おうと思ったのだが、いつもにこにこ笑っている草田氏 が、きょうばかりは蒼(あお)くなってしょげ返っているその様子を目前に見て、ちょっと言い出しかねた。
  吉祥寺の駅の前でわかれたが、わかれる時に僕は苦笑しながら尋ねた。
 「いったい、どんな画をかくんです?」
 「変っています。本当に天才みたいなところもあるんです。」意外の答であった。
 「へえ。」僕は二の句が継げなかった。つくづく、馬鹿な夫婦だと思って、呆(あき)れた。
  それから三日目だったか、わが天才女史は絵具箱をひっさげて、僕の陋屋に出現した。菜葉服(なっぱふく)のような粗末な洋服を着ている。気味わるいほど頬 がこけて、眼が異様に大きくなっていた。けれども、謂(い)わば、一流の貴婦人の品位は、犯しがたかった。
 「おあがりなさい。」僕はことさらに乱暴な口をきいた。「どこへ行っていたのですか。草田さんがとても心配していましたよ。」
 「あなたは、芸術家ですか。」玄関のたたきにつっ立ったまま、そっぽを向いてそう呟(つぶや)いた。れいの冷い、高慢な口調である。
 「何を言っているのです。きざな事を言ってはいけません。草田さんも閉口していましたよ。玻璃子ちゃんのいるのをお忘れですか?」
 「アパートを捜しているのですけど、」夫人は、僕の言葉を全然黙殺している。「このへんにありませんか。」
 「奥さん、どうかしていますね。もの笑いの種ですよ。およしになって下さい。」
 「ひとりで仕事をしたいのです。」夫人は、ちっとも悪びれない。「家を一軒借りても、いいんですけど。」
 「薬がききすぎたと、草田さんも後悔していましたよ。二十世紀には、芸術家も天才もないんです。」
 「あなたは俗物ね。」平気な顔をして言った。「草田のほうが、まだ理解があります。」
  僕に対して、こんな失敬なことを言うお客には帰ってもらうことにしている。僕には、信じている一事があるのだ。誰かれに、わかってもらわなくともいいのだ。いやなら来 るな。
 「あなたは、何しに来たのですか。お帰りになったらどうですか。」
 「帰ります。」少し笑って、「画を、お見せしましょうか。」
 「たくさんです。たいていわかっています。」
 「そう。」僕の顔を、それこそ穴のあくほど見つめた。「さようなら。」
  帰ってしまった。
  なんという事だ。あのひとは、たしか僕と同じとしの筈だ。十二、三歳の子供さえあるのだ。人におだてられて発狂した。おだてる人も、おだてる人だ。不愉快 な事件である。僕は、この事件に対して、恐怖をさえ感じた。
  それから約二箇月間、静子夫人の来訪はなかったが、草田惣兵衛氏からは、その間に五、六回、手紙をもらった。困り切っているらしい。静子夫人は、その後、赤坂 のアパートに起居して、はじめは神妙に、中泉画伯のアトリエに通っていたが、やがてその老画伯をも軽蔑して、絵の勉強 は、ほとんどせず、画伯のアトリエの若い研究生たちを自分のアパートに呼び集めて、その研究生たちのお世辞に酔って、毎晩、有頂天の馬鹿騒ぎをしていた。草田氏 は恥をしのんで、単身赤坂のアパートを訪れ、家へ帰るように懇願したが、だめであった。静子夫人には、鼻であしらわれ、取巻 きの研究生たちにさえ、天才の敵として攻撃せられ、その上、持っていたお金をみんな巻き上げられた。三度おとずれたが、三度とも同じ憂目(うきめ)に逢った。もういまでは、 草田氏も覚悟をきめている。それにしても、玻璃子が不憫(ふびん)である。どうしたらよいのか、男子としてこんな苦しい立場はない、と四十歳を越えた一流紳士の草田氏 が、僕に手紙で言って寄こすのである。けれども僕も、いつか草田の家で受けたあの大恥辱を忘れてはいない。僕には、時々自分でもぞっとするほど執念深 いところがある。いちど受けた侮辱を、どうしても忘れる事が出来ない。草田の家の、此(こ)の度(たび)の不幸に同情する気持など少しも起らぬのである。草田氏 は僕に、再三、「どうか、よろしく静子に説いてやって下さい」と手紙でたのんで来ているのだが、僕は、動きたくなかった。お金持 の使い走りは、いやだった。「僕は奥さんに、たいへん軽蔑されている人間ですから、とてもお役には立ちません。」などと言って、いつも断っていたのである。
  十一月のはじめ、庭の山茶花(さざんか)が咲きはじめた頃であった。その朝、僕は、静子夫人から手紙をもらった。
  ――耳が聞えなくなりました。悪いお酒をたくさん飲んで、中耳炎を起したのです。お医者に見せましたけれども、もう手遅れだそうです。薬缶(やかん)のお湯が、シュンシュン沸いている、あの音も聞えません。窓の外で、樹の枝が枯葉を散らしてゆれ動いておりますが、なんにも音が聞えません。もう、死ぬまで聞く事が出来ません。人の声も、地の底から言っているようにしか聞えません。これも、やがて、全く聞えなくなるのでしょう。耳がよく聞えないという事が、どんなに 淋(さび)しい、もどかしいものか、今度という今度は思い知りました。買物などに行って、私の耳の悪い事を知らない人達が、ふつうの人に話すようにものを言うので、私には、何を言っているのか、さっぱりわからなくて、悲しくなってしまいます。自分をなぐさめるために、耳の悪いあの人やこの人の事など思い出してみて、ようやくの事で一日を過します。このごろ、しょっちゅう、死にたい死にたいと思います。そうしては、玻璃子の事が思い浮んで 来て、なんとかしてねばって、生きていなければならぬと思いかえします。こないだうち、泣くと耳にわるいと思って、がまんにがまんしていた涙を、つい二、三日前 、こらえ切れなくなって、いちどに、滝のように流しましたら、気分がいくらか楽になりました。もういまでは、耳の聞えない事に、ほんの少し、あきらめも出て来 ましたが、悪くなりはじめの頃は、半狂乱でしたの。一日のうちに、何回も何回も、火箸(ひばし)でもって火鉢 のふちをたたいてみます。音がよく聞えるかどうか、ためしてみるのです。夜中でも、目が覚めさえすれば、すぐに寝床に腹這いになって、ぽんぽん火鉢 をたたいてみます。あさましい姿です。畳を爪(つめ)でひっかいてみます。なるべく聞きとりにくいような音をえらんでやってみるのです。人がたずねて来 ると、その人に大きな声を出させたり、ちいさい声を出させたり、一時間も二時間も、しつこく続けて注文して、いろいろさまざま聴力をためしてみるので、お客様 たちは閉口して、このごろは、あんまりたずねて来なくなりました。夜おそく、電車通 りにひとりで立っていて、すぐ目の前を走って行く電車の音に耳をすましていることもありました。
  もう今では、電車の音も、紙を引き裂くくらいの小さい音になりました。間も無く、なんにも聞えなくなるのでしょう。からだ全体が、わるいようです。毎夜、お寝巻 を三度も取りかえます。寝汗でぐしょぐしょになるのです。いままでかいた絵は、みんな破って棄てました。一つ残さず棄てました。私の絵は、とても下手だったのです。あなただけが、本当の事をおっしゃいました。他の人は、みんな私を、おだてました。私は、出来る事なら、あなたのように、まずしくとも気楽な、 芸術家の生活をしたかった。お笑い下さい。私の家は破産して、母も間もなく死んで、父は北海道へ逃げて行きました。私は、草田 の家にいるのが、つらくなりました。その頃から、あなたの小説を読みはじめて、こんな生きかたもあるか、と生きる目標が一つ見つかったような気がしていました。私も、あなたと同じ、まずしい子です。あなたにお逢いしたくなりました。 三年前のお正月に、本当に久し振りにお目にかかる事が出来て、うれしゅうございました。私は、あなたの気ままな酔 いかたを見て、ねたましいくらい、うらやましく思いました。これが本当の生きかただ。虚飾も世辞もなく、そうしてひとり誇りを高くして生きている。こんな生きかたが、いいなあと思いました。けれども私には、どうする事も出来ません。そのうちに主人が私に絵をかく事をすすめて、私は主人を信じていますので、(いまでも私は主人を愛しております)中泉さんのアトリエに通う事になりましたが、たちまち皆さんの熱狂的な賞讃の的(まと)になり、はじめは私もただ当惑いたしましたが、主人まで 真顔になって、お前は天才かも知れぬなどと申します。私は主人の美術鑑賞眼をとても尊敬していましたので、とうとう私も逆上し、かねてあこがれの芸術家 の生活をはじめるつもりで家を出ました。ばかな女ですね。中泉さんのアトリエにかよっている研究生たちと一緒に、二、三日箱根 で遊んで、その間に、ちょっと気にいった絵が出来ましたので、まず、あなたに見ていただきたくて、いさんであなたのお家へまいりましたのに、思いがけず、さんざんな目に逢いました。私は恥ずかしゅうございました。あなたに絵を見てもらって、ほめられて、そうして、あなたのお家の近くに 間借りでもして、お互いまずしい芸術家としてお友だちになりたいと思っていました。私は狂っていたのです。あなたに面罵(めんば)せられて、はじめて私は、正気になりました。自分の 馬鹿 を知りました。わかい研究生たちが、どんなに私の絵を褒めても、それは皆あさはかなお世辞で、かげでは舌を出しているのだという事に気がつきました。けれどもその時には、もう、私の生活が 取りかえしのつかぬところまで落ちていました。引き返すことが出来なくなっていました。落 ちるところまで落ちて見ましょう。私は毎晩お酒を飲みました。わかい研究生たちと徹夜で騒ぎました。焼酎(しょうちゅう)も、ジンも飲みました。きざな、ばかな女ですね。
  愚痴(ぐち)は、もう申しますまい。私は、いさぎよく罰を受けます。窓のそとの樹の枝のゆれぐあいで、風がひどいなと思っているうちに、雨が横なぐりに降って来 ました。雨の音も、風の音も、私にはなんにも聞えませぬ。サイレントの映画のようで、おそろしいくらい、淋しい夕暮です。この手紙に御返事 は要りませんのですよ。私のことは、どうか気になさらないで下さい。淋しさのあまり、ちょっと書いてみたのです。あなたは平気でいらして下さい。――
  手紙には、アパートのところ番地も認められていた。僕は出掛けた。
  小綺麗なアパートであったが、静子さんの部屋は、ひどかった。六畳間で、そうして部屋には何もなかった。火鉢と机、それだけだった。畳は赤ちゃけて、しめっぽく、部屋 は日当りも悪くて薄暗く、果物の腐ったようないやな匂いがしていた。静子さんは、窓縁に腰かけて笑っている。さすがに身なりは、きちんとしている。顔にも美しさが残っている。 二箇月前 に見た時よりも、ふとったような感じもするが、けれども、なんだか気味がわるい。眼に、ちからが無い。生きている人の眼ではなかった。瞳(ひとみ)が灰色に濁っている。
 「無茶ですね!」と僕は叫ぶようにして言ったのであるが、静子さんは、首を振って、笑うばかりだ。もう全く聞えないらしい。僕は机の上の用箋に、「草田 ノ家ヘ、カエリナサイ」と書いて静子さんに読ませた。それから二人の間に、筆談がはじまった。静子さんも机の傍に坐って熱心に書いた。
 草田ノ家ヘ、カエリナサイ。
  スミマセン。
 トニカク、カエリナサイ。
  カエレナイ。
 ナゼ?
  カエルシカク、ナイ。
 草田サンガ、マッテル。
  ウソ。
 ホント。
  カエレナイノデス。ワタシ、アヤマチシタ。
 バカダ。コレカラドウスル。
  スミマセン。ハタラクツモリ。
 オ金、イルカ。
  ゴザイマス。
 絵ヲ、ミセテクダサイ。
  ナイ。
 イチマイモ?
  アリマセン。
  僕は急に、静子さんの絵を見たくなったのである。妙な予感がして来た。いい絵だ、すばらしくいい絵だ。きっと、そうだ。
 絵ヲ、カイテユク気ナイカ。
  ハズカシイ。
 アナタハ、キットウマイ。
  ナグサメナイデホシイ。
 ホントニ、天才カモ知レナイ。
  ヨシテ下サイ。モウオカエリ下サイ。
  僕は苦笑して立ちあがった。帰るより他はない。静子夫人は僕を見送りもせず、坐ったままで、ぼんやり窓の外を眺めていた。
  その夜、僕は、中泉画伯のアトリエをおとずれた。
 「静子さんの絵を見たいのですが、あなたのところにありませんか。」
 「ない。」老画伯は、ひとの好さそうな笑顔で、「御自分で、全部破ってしまったそうじゃないですか。天才的だったのですがね。あんなに、わがままじゃいけません。」
 「書き損じのデッサンでもなんでも、とにかく見たいのです。ありませんか。」
 「待てよ。」老画伯は首をかたむけて、「デッサンが三枚ばかり、私のところに残っていたのですが、それを、あのひとが此の間やって来 て、私の目の前で破ってしまいました。誰か、あの人の絵をこっぴどくやっつけたらしく、それからはもう、あ、そうだ、ありました、ありました、まだ一枚のこっています。うちの 娘が、たしか水彩を一枚持っていた筈です。」
 「見せて下さい。」
 「ちょっとお待ち下さい。」
  老画伯は、奥へ行って、やがてにこにこ笑いながら一枚の水彩を持って出て来て、
 「よかった、よかった。娘が秘蔵していたので助かりました。いま残っているのは、おそらく此の水彩いちまいだけでしょう。私は、もう、一万円でも手放しませんよ。」
 「見せて下さい。」
  水仙の絵である。バケツに投げ入れられた二十本程の水仙の絵である。手にとってちらと見てビリビリと引き裂いた。
 「なにをなさる!」老画伯は驚愕(きょうがく)した。
 「つまらない絵じゃありませんか。あなた達は、お金持 の奥さんに、おべっかを言っていただけなんだ。そうして奥さんの一生を台無しにしたのです。あの人をこっぴどくやっつけた男というのは僕です。」
 「そんなに、つまらない絵でもないでしょう。」老画伯は、急に自信を失った様子で、「私には、いまの新しい人たちの画は、よくわかりませんけど。」
  僕はその絵を、さらにこまかに引き裂いて、ストーヴにくべた。僕には、絵がわかるつもりだ。草田氏 にさえ、教える事が出来るくらいに、わかるつもりだ。水仙の絵は、断じて、つまらない絵ではなかった。美事だった。なぜそれを僕が引き裂いたのか。それは読者の推量 にまかせる。静子夫人は、草田氏の手許に引きとられ、そのとしの暮に自殺した。僕の不安は増大する一方である。なんだか天才の絵のようだ。おのずから忠直卿 の物語など思い出され、或(あ)る夜ふと、忠直卿 も事実素晴らしい剣術の達人だったのではあるまいかと、奇妙な疑念にさえとらわれて、このごろは夜も眠られぬくらいに不安である。二十世紀 にも、芸術の天才が生きているのかも知れぬ。

'다자이 오사무 > 수선화' 카테고리의 다른 글

수선화 - 일본어  (0) 2018.05.18
수선화 - 한국어  (0) 2018.05.18
Posted by 문학관 관리인 위어조자(謂語助者)

수선화(水仙)

다자이 오사무(太宰 治) (1942)

번역 : 위어조자

‘타다나오 경 행상기(忠直卿行狀記)’라는 소설을 읽은 것은 내가 13세인가 14세 정도의 일로, 그 때 이후 다시 읽을 기회가 없었으나, 그 한 편의 줄거리만은 20년이 지난 지금도 여전히 잊지 않고 기억하고 있다. 매우 슬픈 이야기였다.

검술이 뛰어난 젊은 주군이 부하들과 시합을 하고는 완승을 거두고 매우 기분이 좋아 정원을 산책하고 있었더니, 어디선가 속삭이는 소리가 정원 어둠 속에서 들려왔다.

“주군께서도 요즘은 꽤 솜씨가 좋아지셨어. 져주는 쪽도 편해졌다니까.”

“으하하하.”

 부하들의 부주의한 사담이었다.

이것을 듣고 주군은 돌변했다. 사실을 알고 싶어 어쩔 줄을 몰라 했다. 부하들에게 진검승부를 요구했다. 그러나 부하들은 진검승부에 있어서도 전심으로 싸워주지 않았다. 어이없게 주군이 이기고 부하들은 죽어간다. 주군은 완전히 돌았다. 이미 끔찍한 폭군이다. 결국은 집안도 망하고 스스로도 감금당하기에 이른다.

분명 그와 같은 줄거리로 생각되나, 그 주군을 나는 잊을 수가 없었다. 가끔 떠올리고는 한숨을 쉬곤 했다.

그러나 최근 기이한 의심이 문득 떠올라, 과장이 아니라 밤에 잠도 못 이룰 정도로 불안해지기 시작했다. 그 주군은 정말 훌륭한 검술의 달인이 아니었을까. 부하들도 일부러 져준 것이 아니라 정말로 주군 실력을 당해내지 못한 것이 아닐까. 정원에서 들려온 사담도 부하들의 비겁한 핑계에 지나지 않은 것이 아닐까. 있을 수 있는 일이다. 우리들도 대단한 선배들로부터 처참하게 자신들의 일에 대해 모욕을 당하고 그 선배의 높은 정열과 올바른 감각에 탄복하고서도, 그 선배와 헤어진 후에는,

“저 선배도 요즘은 꽤 신이 나 보이는군. 이제 치켜세워줄 필요도 없겠어.”

“으하하하.”

이와 같은 실로 치사한 사담을 나누었던 밤이 없지는 않았다. 그것은 있을 수 있는 일이다. 부하라는 이들은 그 인품에 있어서 항상 주군보다 못하다. 그 정원에서의 사담도 부하들의 되지도 않는 자존심을 만족시키기 위한, 지저분한 핑계에 지나지 않았던 것이 아닐까. 그렇다면 소름이 끼친다. 주군은 진실을 이미 가지고 있으면서 진실을 좇기 위해 미친 것이다. 주군은 사실 검술의 달인이었던 것이다. 부하들은 절대 일부러 진 것이 아니었다. 정말로 당해내지 못했던 것이다. 그렇다면 주군이 이기고 부하가 진다는 것은 당연한 일로서, 후에 여러 문제가 생기지 않았을 수도 있었으나, 역시 크나큰 참사가 일어나고 말았다. 주군이 스스로의 실력에 대해 확고부동한 자신감을 가지고 있었다면 아무런 이변도 일어나지 않고 모두가 평화로웠을지도 모르나, 본래 천재는 스스로의 진가를 알지 못한다고 한다. 스스로의 힘을 믿을 수 없다. 이 점에 천재의 번민과 깊은 시름이 있는 것이겠으나, 나는 속물인 범재(凡才)이므로 그러한 것에 대해서는 설명하지 못한다. 아무튼 주군은 자신의 실력에 절대적인 신뢰를 둘 수 없었다. 사실 달인의 탁월한 실력을 가지고 있었으나 믿을 수 없어 미쳐버렸다. 주군이라는 격리된 신분에 의한 불행도 분명 있었으리라. 나와 같은 서민이었더라면,

“너는 나를 훌륭하다고 생각하냐.”

“아닙니다.”

“그렇군.”

이것으로 끝날 일도 주군 정도가 되면 그렇지 못하다. 천재의 불행, 주군의 불행이라는 식으로 생각하면 점점 나 자신의 불안감이 커질 뿐이다. 비슷한 참사가 내 주변에 있어서도 일어난 것이다. 그 사건 때문에 나는 그 ‘타다나오 경 행상기’를 또다시 떠올렸고, 그리고는 밤새도록 문득 두려운 마음에 사로잡히거나 하여 이것저것 생각하다가, 과장이 아니라 밤에 잠을 이룰 수 없을 정도로 불안해지고 말았다. 그 주군은 정말로 훌륭한 검술을 가지고 있어 매우 강하지 않았을까. 그러나 문제는 이미 그 주군에 대한 것이 아니다.

내게 있어서 타다나오 경은 33세의 여성이다. 그리고 내 역할은 그 정원에서 치졸하게 핑계를 대고 있던 부하였는지도 모르므로 점점 더 답답해지는 이야기이다.

쿠사다 소오베에(草田惣兵衛) 씨의 부인 쿠사다 시즈코(草田靜子). 이 사람이 갑자기 “나는 천재다”라고 하며 가출했다고 하니 놀랐다. 쿠사다 씨 댁과 내 본가와는 친척은 아니지만 그래도 대대로 서로 친하게 교제해왔다. 교제라고 하면 듣기 좋을지는 모르나, 실상은 내 본가 사람들은 쿠사다 씨 댁에 출입을 허락받았다고 하는 편이 낫다. 이른바 신분도 재산도 내 본가와는 천지 차이다. 말하자면 내 본가 쪽에서 교제를 부탁드리고 있는 격이다. 그야말로 주군과 부하이다. 당대 소오베에 씨는 아직 젊다. 젊다고는 하나 이미 40은 넘었다. 동경제국대학 경제학과를 졸업하고 프랑스로 건너가 5, 6년 놀다 일본으로 돌아오자 곧바로 먼 친척 집안(이 집은 얼마 지나지 않아 몰락했다) 의 외동딸 시즈코 씨와 결혼했다. 부부 사이도 그럭저럭 원만하다고 할 수 있는 상태였다. 1녀를 두고 ‘하리코(玻璃子)라고 이름을 붙였다. ‘파리’에서 따왔다고 한다. 소오베에 씨는 세련된 사람이다. 키도 크고 당당한 미남이다. 항상 웃고 있었다. 좋은 서양화를 많이 가지고 있다. 드가 작품인 경마 그림은 그 중에서 가장 자랑스러워했다. 그러나 자신의 취미에 대한 고상함은 전혀 드러내지 않는다. 미술에 관한 이야기도 자주 하지 않았다. 매일 자신이 경영하는 은행으로 출근하고 있었다. 요컨대 일류 신사였다. 6년 전에 선대(先代)가 타계하자 곧바로 소에베에 씨가 쿠사다 가문을 이어받은 것이다.

부인은, ― 아아, 이런 구구한 설명을 하는 것보다 몇 년 전에 있었던 어느 작은 사건을 말하자. 그것이 더 빠르다. 3년 전 정월, 나는 쿠사다 댁에 새해인사차 방문했다. 나는 친구들로부터 종종 그 점을 지적 받곤 하지만, 상당히 모가 난 면이 있다. 특히 8년 전 사정이 있어 집을 떠나고 나 홀로 극빈에 가까운 나날을 보내기 시작하고부터는 훨씬 더 솔직하지 못한 성격이 강해진 듯하다. 남들로부터 모욕당하지는 않을까 하고 흩날리는 낙엽처럼 끊임없이 목숨 걸고 바들바들 긴장하고 있다. 허접한 악한이다. 나는 쿠사다 집에 웬만해서는 가지 않는다. 본가 어머니나 형님은 지금도 간혹 쿠사다 댁을 찾아뵙는 것 같지만, 나만은 안 간다. 고등학교 무렵까지는 나도 아무 생각 없이 놀러가곤 했으나 대학에 들어가고 나서는 이제 가기가 싫어졌다. 쿠사다 댁 사람들은 모두 좋은 사람들뿐이지만 왠지 가기가 싫다. 부자는 싫다는 단순한 사상을 갖기 시작한 것이다. 그런데 왜 3년 전 정월에는 새해인사 같은 것을 하러 갔는가 하니, 그것은 나 자신이 못났기 때문이다. 그 전해 12월, 쿠사다 부인으로부터 내게 갑자기 초청장이 날라 온 것이다.

― 오랫동안 뵙지 못했습니다. 내년 정월에는 꼭 놀러와 주시기 바랍니다. 남편도 기다리고 있습니다. 남편도 저도 당신 소설의 독자입니다.

마지막 한 문구에 나는 흥이 나고 말았다. 부끄러운 노릇이다. 그 무렵 내 소설도 조금씩 팔리기 시작했다. 고백하건대 나는 그 무렵 목에 힘이 들어갔었다. 위험한 시기였던 것이다. 들뜬 기분으로 있었을 때 쿠사다 부인으로부터 초청장이 와서는 당신 소설 독자라는 말까지 들었으니 말이다. 회심의 미소를 짓고는 초청해주셔서 감사합니다 운운 하고 힘껏 멋을 낸 답장을 보내고서, 그리고 이듬해 정월 초하루에 어슬렁어슬렁 찾아가서는 보란 듯이 정수리가 쪼개지는 듯한 대치욕(大恥辱)을 받고 귀가했다.

그날 쿠사다 댁에서는 매우 나를 환대해주었다. 인사차 들른 다른 손님에게도 일일이 나를 ‘유행작가’라며 소개하는 것이다. 나는 그것을 야유, 모욕의 말이라고 생각하기는커녕, 어쩌면 나는 이미 유행작가일지도 모른다고 착각할 정도였으니 할 말이 없다. 치졸했다. 나는 취했다. 소오베에 씨를 상대로 만취했다. 물론 취한 것은 나 혼자였으며 소에베에 씨는 아무리 마셔도 얼굴색 하나 변하지 않고, 그리고 힘없이 억지로 미소 지으며 내 문학담을 듣고 있었다.

“자, 사모님.” 하고 나는 신이 나서 부인에게 술잔을 내밀었다. “어떠세요?”

“됐어요.” 부인은 차갑게 대답했다. 그것이 말로 표현할 수 없을 정도로, 뼛속에 사무치듯 냉엄한 말투였다. 한없는 경멸감이 그 단 한마디에 담겨져 있었다. 나는 긴장했다. 술도 깼다. 그러나 쓴 웃음을 지으며,

“아, 실례. 제가 취했나봅니다.”라며 슬쩍 말을 던지고는 그 자리를 얼버무렸으나 창자가 뒤집혔다. 그리고 또 하나. 나는 더 이상 술을 마시고 싶지도 않아 밥을 먹기로 했다. 바지락국이 맛있었다. 열심히 조갯살을 젓가락으로 끄집어내어 먹고 있었더니,

“어머.” 부인이 작게 놀란 소리를 냈다. “그런 걸 드셔도 아무렇지도 않으세요?” 무심한 질문이다.

나도 모르게 젓가락과 밥그릇을 떨어뜨릴 뻔했다. 그 조개는 먹는 게 아니었던 것이다. 바지락국은 그저 그 국물만을 먹어야 한다. 바지락은 국거리이다. 가난한 자에 있어서는 이 바지락 살이라도 꽤 맛이 있으나 상류층 사람들에게는 이 조갯살이 매우 지저분한 것으로서 버리는 것이다. 그러고 보니 바지락 살은 배꼽 같아서 못생겼다. 나는 아무런 대답도 할 수 없었다. 무심하게 놀란 모습이었으니 가슴이 아팠다. 어울리지 않게 고상한 척 하며 그런 질문을 던졌다면 나도 할 말은 있다. 그러나 그 목소리는 순전히 진심으로 순수한 놀라움이었기에 나는 말문이 막혔다. 허접한 ‘유행작가’는 젓가락과 밥그릇을 들고 고개를 숙인 채 말을 잃었다. 눈물이 쏟아져 나왔다. 그토록 심한 치욕을 받은 일은 없었다. 그날 이후 나는 쿠사다 댁에 가지 않는다. 쿠사다 댁만이 아니라 그 후로는 다른 부잣집에도 가급적 안 가기로 했다. 그리고 나는 오기가 생겨 가난하고 지저분한 생활을 계속했다.

작년 9월, 내 초라한 현관에 뜻밖의 손님이 서 있었다. 쿠사다 소오베에 씨였다.

“시즈코가 오지 않았나요?”

“아니요.”

“정말인가요?”

“왜 그러시죠?” 내가 반문했다.

무슨 일이 있었던 것 같다.

“집은 어질러져 있으니 밖으로 나가시죠.” 지저분한 집안을 보여주기 싫었다.

“그러시죠.” 쿠사다 씨는 얌전히 고개를 끄덕이고서 내 뒤를 따라왔다.

잠시 걸으면 이노가시라(井の頭) 공원이 나온다. 공원 숲속을 걸으며 쿠사다 씨는 말했다.

“일이 잘 안 풀립니다. 이번에는 실수였습니다. 약발이 너무 먹혔습니다.” 부인이 가출했다고 한다. 그 원인이 실로 어이없다. 몇 년 전에 처가가 파산했다. 그로부터 부인은 이상하게 차갑고 내성적이 되었다. 친정의 파산을 큰 치욕으로 받아들인 것 같다. 대단한 일도 아니라며 위로해도 점점 더 비뚤어지기 일쑤였다고 한다. 그 말을 듣고 나도 정초에 그 “됐어요”라고 했던 기이하고도 냉엄함이 이해할 수 있었다. 시즈코 씨가 쿠사다 댁으로 시집 온 것은 내가 고등학교에 다니고 있을 시절이었으며, 그 무렵은 나도 아무렇지 않게 자주 쿠사다 댁으로 놀러갔으며, 새색시였던 시즈코 씨와 대화를 나누며 함께 영화를 보러 간 적도 있었으나, 그 무렵의 새색시는 절대 그런, 가시 돋친 말을 할 사람이 아니었다. 무지할 정도로 밝게 웃는 사람이었다. 그날 정초에 모처럼 얼굴을 맞대고는 곧바로 나는 ‘변했다’고 생각했으나 그것은 역시 친정의 파산이라는 슬픔이 그 분을 그토록 심하게 변화시키고 만 것이 분명했다.

“히스테리군요.” 나는 ‘흥’ 하고 웃으며 말했다.

“글쎄요. 그게.” 쿠사다 씨는 내 경멸을 눈치 채지 못했는지 심각하게 “아무튼 제 잘못입니다. 제가 너무 추켜세웠습니다. 약발이 너무 지나쳤습니다.” 쿠사다 씨는 부인을 위로하는 한 방법으로 부인에게 서양화를 배우도록 했다. 일주일에 한 번씩 이웃집 나카이즈미 카센 (中泉花仙)이라고 하는, 이미 예순이 다 된, 제대로 그릴 줄도 모르는 노 화백의 아틀리에에 다니게 했다. 그리고부터 부인을 칭찬했다. 쿠사다 씨를 비롯하여 그 나카이즈미라는 늙은이 화백, 그리고 나카이즈미의 아틀리에에 다니고 있는 젊은 연구생들, 나아가 쿠사다 집에 출입하는 이 사람 저 사람 닥치는 대로 하나같이 부인 그림을 칭찬하였더니 끝내는 부인이 도취하여 “나는 천재다”는 말을 남기고 가출했다고 하는데, 나는 이야기를 들으면서 몇 번이고 웃음이 터져 나올 것만 같아 혼이 났다. 말 그대로 약발이 지나쳤다. 부잣집 가정에서나 있을 수 있는 어리석은 희극이다.

“언제 뛰쳐나갔습니까?” 나는 이미 쿠사다 부부를 얕보고 있었다.

“어제입니다.”

“그렇다면 그리 소란 피울 일도 아니잖습니까. 제 마누라도 제가 너무 술을 마시면 친정으로 내려가 하룻밤 지내고 올 때가 있습니다.”

“그것과 이것은 다릅니다. 시즈코는 예술가로서 자유로운 생활을 하고 싶다고 했습니다. 돈을 많이 가지고 나갔습니다.”

“많이요?”

“조금 많습니다.”

쿠사다 씨 정도 되는 부자가 조금 많다고 하니 5천 엔, 아니면 1만 엔 정도일지 모른다고 나는 생각했다.

“그것 참 큰일이군요.” 조금 흥미가 생겼다. 가난뱅이에게 있어서 돈 이야기에 무관심할 수는 없었다.

“시즈코는 당신 소설을 항상 읽고 있었으니 분명 당신을 찾아뵙지 않았을까 하고…….”

“그런 말씀 마세요. 저한테는…….” 적(敵)입니다, 라고 말하려 했으나 항상 웃고 있던 쿠사다 씨가 오늘만은 파랗게 질려 있는 모습을 눈앞에 두고 말문이 막혔다.

키치죠지(吉祥寺) 역전에서 헤어졌으나, 헤어지기 전에 나는 쓴 웃음을 지으며 물었다.

“대체 어떤 그림을 그리시죠?”

“특이합니다. 정말 천재 같은 구석도 있어요.” 뜻밖의 대답이었다.

“그래요?” 나는 말을 이을 수 없었다. 못 말리는, 어리석기 짝이 없는 부부라는 생각이 들어 어이가 없었다.

그로부터 3일째였을까. 우리 천재여사께서는 물감가방을 들고 내 집 앞에 나타났다. 파란색 작업복처럼 생긴 볼품없는 옷을 입고 있다. 끔찍할 정도로 얼굴이 여위고 눈이 기이하게 커져 있었다. 그러나 이른바 일류 귀부인의 품위는 사라지지 않았다.

“들어오세요.” 나는 일부러 거칠게 말했다. “어디 다녀오시는 거죠? 쿠사다 씨가 매우 걱정하고 계셨습니다.”

“당신은 예술가인가요?” 현관에 선 채로 딴 데를 쳐다보며 중얼거렸다. 그 차갑고 거만한 말투였다.

“무슨 말씀이세요. 멋 떨어진 말씀은 그만 하십시오. 쿠사다 씨도 당혹스러워하고 계셨어요. 하리코 짱이 있다는 것을 잊으셨나요?”

“아파트를 찾고 있는데요.” 부인은 내 말을 완전히 묵살하고 있다. “이 근처에 없을까요?”

“사모님. 어떻게 되신 게 아니세요? 남들이 비웃습니다. 그만 하세요.”

“혼자 일을 하고 싶어요.” 부인은 전혀 반성할 기색이 없다. “집을 한 채 빌려도 괜찮은데.”

“약발이 너무 들었다고 쿠사다 씨도 후회하고 계셨어요. 20세기에는 예술가도 천재도 없어요.”

“당신은 속물이군요.” 태연한 표정으로 말했다. “쿠사다가 훨씬 더 이해력이 있습니다.”

나에 대해서 이렇게 실례를 하는 손님은 집으로 돌려보낸다. 내게는 한 가지 신념이 있다. 아무도 알아주지 않더라도 상관없다. 싫으면 오지 마라.

“당신은 왜 오셨죠? 돌아가시는 게 어떠신가요?”

“가겠습니다.” 조금 웃고는, “그림을 보여드릴까요?”

“됐습니다. 대충 알고 있습니다.”

“그래요?” 내 얼굴을 정말 뚫어지도록 바라보았다. “안녕히.”

돌아갔다.

이 무슨 노릇인가. 저 사람은 분명 나와 동갑이다. 12, 3살 되는 아이도 있다. 칭찬 받고 발광했다. 칭찬하는 사람도 문제다. 불쾌한 사건이다. 나는 이 사건에 대해 공포심마저 느꼈다.

그리고 약 2개월간 시즈코 부인의 내방은 없었으나 쿠사다 소오베에 씨로부터는 그동안 5, 6차례 편지를 받았다. 매우 난처해하는 것 같다. 시즈코 부인은 그 후 아카사카(赤板)에 있는 아파트에서 기거하고 있으며, 처음에는 조용히 나카이즈미 화백의 아틀리에를 다녔으나 점차 그 노 화백까지 경멸하고, 그림 공부는 거의 안한 채 화백 아틀리에에 있는 젊은 연구생들을 자신의 아파트로 불러모아놓고 그 연구생들의 칭찬에 취해 매일 밤 신이 나서 소란을 피웠다. 쿠사다 씨는 수치를 무릅쓰고 홀로 아카사카에 있는 아파트를 찾고 집으로 돌아가도록 간청했으나 소용없었다. 시즈코 부인은 상대도 해주지 않았으며, 둘러싼 연구생들에게조차 천재의 적으로서 공격을 받고는, 나아가 가지고 있던 돈까지 빼앗겼다. 세 번 찾아갔으나 세 번 모두 같은 꼴을 당했다. 이제 지금에 와서는 쿠사다 씨도 각오하고 있었다. 그렇다고는 하나 하리코가 불쌍했다. 어떻게 하면 좋을까. 남자로서 이토록 괴로운 처지는 없다며 마흔을 넘은 일류신사인 쿠사다 씨가 내게 편지로 호소하는 것이다. 하지만 나도 언젠가 쿠사다 댁에서 받은 그 큰 치욕을 잊지 않았다. 나는 때때로 스스로 생각해도 무서울 정도로 강한 집념을 품는 경우가 있다. 한 번 받은 치욕을 어떻게 해도 잊을 수가 없다. 쿠사다 댁에서 일어난 이번 불행에 동정하는 마음이 조금도 생기지 않는 것이다. 쿠사다 씨는 내게 재차 “제발 시즈코 좀 어떻게 설득해주세요.”라는 편지가 오는데도 나는 움직이기 싫었다. 부자들의 심부름꾼이 되기는 싫다. “사모님께서는 저를 매우 경멸하고 계시므로 아무런 도움이 되지 않습니다.”라며 항상 거절하고 있었다.

12월 초, 정원에 애기동백이 피기 시작할 무렵이었다. 그날 아침 나는 시즈코 부인으로부터 편지를 받았다.

― 귀가 안 들리게 되었습니다. 나쁜 술을 많이 마셔서 중이염에 걸린 것입니다. 병원에도 갔었으나 이미 늦었다고 합니다. 주전자가 쉭쉭 거리며 물 끓는, 그 소리도 안 들립니다. 창밖에서 나뭇가지가 낙엽을 뿌리며 흔들리고 있지만, 아무런 소리도 나지 않습니다. 이제 죽을 때까지 들을 수가 없습니다. 사람 목소리도 땅속에서 울리는 것처럼 들릴 뿐입니다. 이것도 이제 전혀 안 들리게 되겠지요. 소리를 들을 수 없다는 일이 얼마나 쓸쓸하고 안타까운 것인지 이번에는 정말 통감했습니다. 시장에 가서 제가 소리를 잘 듣지 못한다는 사실을 모르는 사람들이 평소대로 말하는 것을 저는 무슨 말을 하는지 전혀 이해할 수 없어 슬퍼집니다. 저를 위안하기 위해 귀가 안 좋은 이 사람 저 사람에 대해 떠올리며 간신히 하루하루를 살고 있습니다. 요즘 자주 죽고 싶다는 생각을 합니다. 그리고는 하리코를 생각하고, 어떻게 해서든 끈질기게 살아야겠다고 다시 마음을 가다듬습니다. 얼마 전에는 울면 귀에 좋지 않을 것 같아 참고 참던 눈물을 불과 2, 3일 전 도저히 참을 수 없어 한 번에 폭포수처럼 울어버리자 조금 마음이 편해졌습니다. 이제 지금에 와서는 귀로 들을 수 없다는 것에 대해 아주 조금 단념하게 되었으나, 나빠지기 시작했을 때는 거의 미칠 지경이었습니다. 하루 중에 몇 번이고 부젓가락으로 화로를 두들겨봅니다. 소리가 잘 들리는지 시험해보는 것입니다. 밤중에도 눈만 뜨면 바로 잠자리에 엎드린 채로 ‘탕탕’ 하며 화로를 두드려봅니다. 비참한 모습입니다. 바닥을 손톱으로 긁어봅니다. 가급적 알아듣기 쉬운 소리를 골라 해봅니다. 사람이 찾아오면 그 사람에게 큰 소리나 작은 소리를 내게 하거나, 한 시간이고 두 시간이고 집요하게 계속 주문하기도 하며, 여러 가지 청력을 시험해보기에 손님들은 난처해하여 요즘은 별로 찾아오지 않게 되었습니다. 밤늦게 철도 옆에 홀로 서서, 바로 앞을 달려가는 전철 소리에 귀를 기울인 적도 있습니다.

이제 지금은 전철 소리도 종이를 찢을 때 나는 것처럼 작은 소리가 되고 말았습니다. 이제 곧 아무런 소리도 안 들리게 되겠지요. 몸 전체가 나빠진 것 같습니다. 매일 밤 잠옷을 세 번이나 갈아입습니다. 땀 때문에 축축해집니다. 지금까지 그린 그림은 모두 찢어버렸습니다. 하나도 남김없이 버렸습니다. 제 그림은 너무나도 형편없었습니다. 당신만이 사실을 말씀해주셨습니다. 다른 사람들은 모두 저를 치켜세웠습니다. 저는 가능하다면 당신처럼, 가난하더라도 마음 편안한 예술가 같은 생활을 하고 싶었습니다. 비웃어주세요. 저희 집은 파산하고 어머니도 바로 타계하셨으며 아버지는 홋카이도(北海道)로 도망가셨습니다. 저는 쿠사다 집에 있는 것이 마음 아팠습니다. 그 무렵부터 당신 소설을 읽기 시작하고, 이런 삶도 있구나 하며 생의 목표를 하나 찾은 것 같았습니다. 저도 당신과 마찬가지인 가난한 아이입니다. 당신을 만나고 싶었습니다. 3년 전 정초에 정말 오랜만에 뵐 수 있어서 기뻤습니다. 저는 당신의 자유롭게 취한 모습이 질투가 날 정도로 부러웠습니다. 이것이 참된 삶의 방식이다. 허식도 가식적인 말도 없으며 그리고 홀로 강한 자긍심을 가지고 살아가는, 그런 삶에 대해 동경했습니다. 그러나 제게는 어떻게 할 수 없습니다. 그러던 중 남편이 제게 그림 그릴 것을 권유하여, 저는 남편을 믿고 있기에 (지금도 저는 남편을 사랑하고 있습니다), 나카이즈미 씨가 있는 아틀리에에 다니게 되었습니다만, 그러자마자 많은 분들의 열광적인 찬사가 쏟아지고, 처음에는 그저 당혹스러워했으나 남편까지 진지하게 너는 천재일지도 모른다고 했습니다. 저는 남편이 가지고 있는 미술적 안목을 매우 존경하고 있었으므로, 결국 저도 흥분하여 그동안 동경하던 예술가로서의 생활을 시작하기로 마음먹고 집을 나왔습니다. 어리석은 여자죠. 나카이즈미 씨 아틀리에에 다니고 있는 연구생들과 함께 2, 3일 동안 하코네(箱根)에서 놀고, 그 동안 조금 마음에 드는 그림이 그려졌기에 우선 당신에게 보여드리고 싶어 서둘러 당신을 찾아왔으나 뜻밖에도 참담한 꼴을 당했습니다. 저는 부끄러웠습니다. 당신에게 그림을 보여드리고 칭찬 받고 나서, 그리고 당신이 살고 있는 집 근처에 방이라도 빌려, 서로 간에 가난한 예술가로서 친구가 되고 싶다는 생각을 했습니다. 저는 제정신이 아니었던 것입니다. 당신으로부터 면박을 받고 비로소 정신을 차렸습니다. 스스로의 어리석음을 깨달았습니다. 젊은 연구생들이 아무리 제 그림을 칭찬해도 그것은 겉치레에 불과했으며 안 보이는 곳에서는 놀리고 있다는 것을 알게 되었습니다. 하지만 그 때는 이미 제 생활이 되돌릴 수 없을 지경까지 타락하고 말았습니다. 돌이킬 수 없게 되어버렸습니다. 타락할 때까지 타락해보자. 저는 매일 밤 술을 마셨습니다. 소주나 진도 마셨습니다. 겉멋 들린 바보 같은 여자입니다.

넋두리는 이제 말씀드리지 않겠습니다. 저는 겸허하게 벌을 받겠습니다. 창밖에서 나뭇가지가 많이 흔들린다 했더니 비바람이 몰아쳐왔습니다. 빗소리도 바람소리도 제게는 아무것도 들리지 않습니다. 무성영화 같아서 무서울 정도로 쓸쓸한 저녁입니다. 이 편지에 답장은 필요 없어요. 저에 대한 일은 이제 신경 쓰지 마세요. 너무 쓸쓸한 나머지 잠시 써본 것입니다. 당신께서는 잘 지내주시기 바랍니다. ―

편지에는 아파트 번지수까지 적혀 있었다. 나는 집을 나섰다.

깔끔한 아파트였으나 시즈코 씨가 사는 방은 형편없었다. 여섯 평 남짓한 방이었으며, 그리고 방에는 아무 것도 없었다. 화로와 책상. 그것뿐이었다. 다다미는 벌겋고 축축했으며, 방안에는 햇빛도 들지 않아 어두컴컴했고 과일 썩은 냄새가 났다. 시즈코 씨는 창가에 걸터앉아 웃고 있었다. 역시 옷차림은 단정했다. 얼굴에도 아름다움이 남아 있다. 2개월 전에 보았을 때보다 살이 붙은 것 같긴 했지만 어딘지 모르게 무섭게 느껴진다. 눈에 힘이 없다. 살아 있는 사람의 눈이 아니었다. 눈망울이 회색빛처럼 탁했다.

“어떻게 이럴 수가요!” 나는 소리치듯 말했으나 시즈코 씨는 고개를 저으며 웃고 있을 뿐이었다. 이제 전혀 안 들리는 것 같다. 나는 책상 위에 있던 종이에 “쿠사다 씨 댁으로 돌아가세요.”라고 적고는 시즈코 씨에게 보였다. 그리고는 둘 사이에 필담이 시작했다. 시즈코 씨도 책상 옆으로 와서 앉아 열심히 적었다.


쿠사다 씨 댁으로 돌아가세요.

    죄송합니다.

일단 돌아가세요.

    돌아갈 수 없어요.

왜요?

    돌아갈 자격 없어요.

쿠사다 씨가 기다리고 있어요.

    거짓말.

정말입니다.

    돌아갈 수 없어요. 저, 잘못을 저질렀어요.

바보예요. 이제부터 어쩌시려고요.

    죄송합니다. 일하려고.

돈이 필요합니까.

    있습니다.

그림 보여주세요.

    없어요.

한 장도?

    없습니다.


나는 갑자기 시즈코 씨 그림이 보고 싶어졌다. 이상한 예감이 들었다. 좋은 그림이다, 훌륭한 그림일 것이다. 틀림없다.


그림을 그릴 생각 없나요?

    창피해요.

당신은 분명 잘 그리실 겁니다.

    위로하지 마세요.

정말로 천재일지도 모릅니다.

    그만 두세요. 돌아가 주세요.


저는 씁쓸하게 웃으며 일어섰다. 돌아갈 수밖에 없다. 시즈코 부인은 나를 배웅도 하지 않고 앉은 채로 멍하니 창밖을 바라보고 있었다.

그날 밤 나는 나카이즈미 화백의 아틀리에를 찾았다.

“시즈코 씨 그림을 보고 싶은데, 혹시 여기에 있지 않습니까?”

“없소.” 노 화백은 호감 가는 미소를 지으며 “자기가 모두 찢어버리셨다잖아요. 천재적이었는데 말입니다. 그렇게 제멋대로 굴면 안 되죠.”

“그리다 만 습작이나 그런 거라도, 아무튼 보고 싶어서요. 없을까요?”

“잠깐만.” 노 화백은 고개를 갸웃거리더니, “습작이 세 장 정도 제게 남아있었습니다만, 그것을 그 분이 얼마 전에 와서 제 눈앞에서 찢어버렸습니다. 누군가가 그 분을 심하게 혼냈는지, 그로부터 이제, 아, 그렇지. 있어요. 있습니다. 아직 한 장 남아있어요. 저희 집 딸이 아마 수채화 한 장을 가지고 있었을 겁니다.”

“보여주세요.”

“잠깐만 기다려보세요.”

노 화백은 안으로 들어가더니 이윽고 웃으면서 한 장의 수채화를 들고 와,

“다행입니다. 참 다행이에요. 딸이 가지고 있었으니 말입니다. 지금 남아 있는 것은 아마도 이 수채화 한 장뿐일 겁니다. 저는 이제 1만 엔이라도 팔지 않을 거예요.”

수선화 그림이었다. 양동이에 든 스무 송이 정도 되는 수선화 그림이다. 받아 들고서 슬쩍 보고는 박박 찢어버렸다.

“무슨 짓입니까!” 노 화백은 경악했다.

“볼품없는 그림이잖습니까. 당신들은 부잣집 사모님한테 아부를 떨었을 뿐입니다. 그리고 사모님은 일생을 망치고 말았습니다. 그 분에게 혼을 낸 사람이란 바로 접니다.”

“그렇게 형편없지도 않잖아요.” 노 화백은 갑자기 자신감 없는 투로 “저는 요즘 새로운 사람들의 그림은 잘 모르지만요.”

나는 그 그림을 더욱 작게 찢고는 난로 속으로 집어던졌다. 나는 그림을 볼 줄 안다. 쿠사다 씨에게 가르칠 정도로 알고 있다고 생각한다. 수선화 그림은 절대 형편없는 작품이 아니었다. 훌륭했다. 왜 그것을 내가 찢었는가. 그것은 독자들의 추측에 맡기겠다. 시즈코 부인은 쿠사다 씨가 데려갔으며 그해 말에 자살했다. 내 불안감은 점점 더 커져갔다. 왠지 천재 작품 같다. 자연스레 타다나오 경 이야기가 떠오르고, 어느 날 밤 문득 타다나오 경도 훌륭한 검술의 달인이 아니었을까 하고 기이한 생각에 사로잡혀 요즘은 잠도 못 이룰 만큼 불안하다. 20세기에도 예술의 천재가 살아있을지도 모른다.

'다자이 오사무 > 수선화' 카테고리의 다른 글

수선화 - 일본어  (0) 2018.05.18
수선화 - 한국어  (0) 2018.05.18
Posted by 문학관 관리인 위어조자(謂語助者)


티스토리 툴바