좌흥이 아니다(座興に非ず:ざきょうにあらず)

다자이 오사무(太宰 治) (1939)

일본어 원문


 おのれの行く末を思い、ぞっとして、いても立っても居られぬ思いの宵は、その本郷のアパアトから、ステッキずるずるひきずりながら上野公園まで歩いてみる。九月もなかば過ぎた頃のことである。私の白地の浴衣(ゆかた)も、すでに季節はずれの感があって、夕闇の中にわれながら恐しく白く目立つような気がして、いよいよ悲しく、生きているのがいやになる。不忍(しのばず)の池を拭って吹いて来る風は、なまぬるく、どぶ臭く、池の蓮(はす)も、伸び切ったままで腐り、むざんの醜骸をとどめ、ぞろぞろ通る夕涼みの人も間抜け顔して、疲労困憊(こんぱい)の色が深くて、世界の終りを思わせた。

 上野の駅まで来てしまった。無数の黒色の旅客が、この東洋一とやらの大停車場に、うようよ、蠢動(しゅんどう)していた。すべて廃残の身の上である。私には、そう思われて仕方がない。ここは東北農村の魔の門であると言われている。ここをくぐり、都会へ出て、めちゃめちゃに敗れて、再びここをくぐり、虫食われた肉体一つ持って、襤褸(ぼろ)まとってふるさとへ帰る。それにきまっている。私は待合室のベンチに腰をおろして、にやりと笑う。それだから言わないこっちゃ無い。東京へ来ても、だめだと、あれほど忠告したじゃないか。娘も、親爺(おやじ)も、青年も、全く生気を失って、ぼんやりベンチに腰をおろして、鈍く開いた濁った眼で、一たいどこを見ているのか。宙の幻花を追っている。走馬燈のように、色々の顔が、色々の失敗の歴史絵巻が、宙に展開しているのであろう。

 私は立って、待合室から逃げる。改札口のほうへ歩く。七時五分着、急行列車がいまプラットホームにはいったばかりのところで、黒色の蟻(あり)が、押し合い、へし合い、あるいはころころころげ込むように、改札口めがけて殺到する。手にトランク。バスケットも、ちらほら見える。ああ、信玄袋(しんげんぶくろ)というものもこの世にまだ在った。故郷を追われて来たというのか。

 青年たちは、なかなかおしゃれである。そうして例外なく緊張にわくわくしている。可哀想だ。無智だ。親爺と喧嘩(けんか)して飛び出して来たのだろう。ばかめ。

 私は、ひとりの青年に目をつけた。映画で覚えたのか煙草(たばこ)の吸いかたが、なかなか気取っている。外国の役者の真似にちがいない。小型のトランク一つさげて、改札口を出ると、屹(き)っと片方の眉をあげて、あたりを見廻す。いよいよ役者の真似である。洋服も、襟(えり)が広くおそろしく派手な格子縞(こうしじま)であって、ズボンは、あくまでも長く、首から下は、すぐズボンの観がある。白麻のハンチング、赤皮の短靴、口をきゅっと引きしめて颯爽(さっそう)と歩き出した。あまりに典雅で、滑稽であった。からかってみたくなった。私は、当時退屈し切っていたのである。

「おい、おい、滝谷君。」トランクの名札に滝谷と書かれて在ったから、そう呼んだ。「ちょっと。」

 相手の顔も見ないで、私はぐんぐん先に歩いた。運命的に吸われるように、その青年は、私のあとへ従(つ)いて来た。私は、ひとの心理については多少、自信があったのである。ひとがぼっとしているときには、ただ圧倒的に命令するに限るのである。相手は、意のままである。下手に、自然を装い、理窟(りくつ)を言って相手に理解させ安心させようなどと努力すれば、かえっていけない。

 上野の山へのぼった。ゆっくりゆっくり石の段々を、のぼりながら、

「少しは親爺の気持も、いたわってやったほうが、いいと思うぜ。」

「はあ。」青年は、固くなって返辞した。

 西郷さんの銅像の下には、誰もいなかった。私は立ちどまり、袂(たもと)から煙草を取り出した。マッチの火で、ちらと青年の顔をのぞくと、青年は、まるで子供のような、あどけない表情で、ぶうっと不満そうにふくれて立っているのである。ふびんに思った。からかうのも、もうこの辺でよそうと思った。

「君は、いくつ?」

「二十三です。」ふるさとの訛(なまり)がある。

「若いなあ。」思わず嘆息を発した。「もういいんだ。帰ってもいいんだ。」ただ、君をおどかして見たのさ、と言おうとして、むらむら、も少し、も少しからかいたいな、という浮気に似たときめきを覚えて、

「お金あるかい?」

 もそもそして、「あります。」

「二十円、置いて行け。」私は、可笑(おか)しくてならない。

 出したのである。

「帰っても、いいですか?」

 ばか、冗談だよ、からかってみたのさ、東京は、こんなにこわいところだから、早く国へ帰って親爺に安心させなさい、と私は大笑いして言うべきところだったかも知れぬが、もともと座興ではじめた仕事ではなかった。私は、アパアトの部屋代を支払わなければならぬ。

「ありがとう。君を忘れやしないよ。」

 私の自殺は、ひとつきのびた。

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I can speak

다자이 오사무(太宰 治) (1939)

일본어 원문


 くるしさは、忍従の夜。あきらめの朝。この世とは、あきらめの努めか。わびしさの堪えか。わかさ、かくて、日に虫食われゆき、仕合せも、陋巷(ろうこう)の内に、見つけし、となむ。

 わが歌、声を失い、しばらく東京で無為徒食して、そのうちに、何か、歌でなく、謂(い)わば「生活のつぶやき」とでもいったようなものを、ぼそぼそ書きはじめて、自分の文学のすすむべき 路(みち)すこしずつ、そのおのれの作品に依って知らされ、ま、こんなところかな? と多少、自信に似たものを得て、まえから腹案していた長い小説に 取りかかった。

 昨年、九月、甲州の御坂(みさか)峠頂上の天下茶屋という茶店の二階を借りて、そこで少しずつ、その仕事をすすめて、どうやら百枚 ちかくなって、読みかえしてみても、そんなに悪い出来ではない。あたらしく力 を得て、とにかくこれを完成させぬうちは、東京へ帰るまい、と御坂(みさか)の木枯(こがらし)つよい日に、勝手にひとりで約束した。

 ばかな約束をしたものである。九月、十月、十一月、御坂 の寒気堪えがたくなった。あのころは、心細い夜がつづいた。どうしようかと、さんざ迷った。自分で勝手に、自分に約束して、いまさら、それを破れず、東京へ飛んで帰りたくても、何かそれは破戒のような気がして、峠のうえで、 途方に暮れた。甲府へ降りようと思った。甲府なら、東京よりも温いほどで、この冬も大丈夫すごせると思った。

uot;, sans-serif;"> 甲府へ降りた。たすかった。変なせきが出なくなった。甲府のまちはずれの下宿屋、日当りのいい一部屋 かりて、机にむかって坐ってみて、よかったと思った。また、少しずつ仕事をすすめた。

 おひるごろから、ひとりでぼそぼそ仕事をしていると、わかい女の合唱が聞えて来る。私はペンを休 めて、耳傾ける。下宿と小路ひとつ距(へだ)て製糸工場が在るのだ。そこの女工さんたちが、作業しながら、唄うのだ。なかにひとつ、際立 っていい声が在って、そいつがリイドして唄うのだ。鶏群の一鶴(いっかく)、そんな感じだ。いい声だな、と思う。お礼 を言いたいとさえ思った。工場の塀(へい)をよじのぼって、その声の主を、ひとめ見たいとさえ思った。

 ここにひとり、わびしい男がいて、毎日毎日あなたの唄で、どんなに救われているかわからない、あなたは、それをご存じない、あなたは私を、私の仕事を、どんなに、けなげに、はげまして呉(く)れたか、私は、しんからお 礼を言いたい。そんなことを書き散らして、工場の窓から、投文(なげぶみ)しようかとも思った。

 けれども、そんなことして、あの女工さん、おどろき、おそれてふっと声を失ったら、これは困る。無心の唄を、私のお礼 が、かえって濁らせるようなことがあっては、罪悪である。私は、ひとりでやきもきしていた。

 恋、かも知れなかった。二月、寒いしずかな夜である。工場の小路で、酔漢の荒い言葉が、突然起った。私は、耳をすました。

 ――ば、ばかにするなよ。何がおかしいんだ。たまに酒を呑んだからって、おらあ笑われるような覚えは無(ね)え。I can speak English. おれは、夜学へ行ってんだよ。姉さん知ってるかい? 知らねえだろう。おふくろにも内緒で、こっそり夜学へかよっているんだ。偉くならなければ、いけないからな。姉さん、何がおかしいんだ。何を、そんなに笑うんだ。こう、姉さん。おらあな、いまに出征するんだ。そのときは、おどろくなよ。のんだくれの弟だって、人なみの働きはできるさ。嘘だよ、まだ出征とは、きまってねえのだ。だけども、さ、I can speak English. Can you speak English? Yes, I can. いいなあ、英語って奴は。姉さん、はっきり言って呉れ、おらあ、いい子だな、な、いい子だろう? おふくろなんて、なんにも判りゃしないのだ。……

 私は、障子を少しあけて、小路を見おろす。はじめ、白梅かと思った。ちがった。その弟の白いレンコオトだった。

 季節はずれのそのレンコオトを着て、弟は寒そうに、工場の塀にひたと脊中(せなか)をくっつけて立 っていて、その塀の上の、工場の窓から、ひとりの女工さんが、上半身乗り出し、酔った弟を、見つめている。

 月が出ていたけれど、その弟の顔も、女工 さんの顔も、はっきりとは見えなかった。姉の顔は、まるく、ほの白く、笑っているようである。弟の顔は、黒く、まだ幼い感じであった。I can speak というその酔漢の英語が、くるしいくらい私を撃った。はじめに言葉 ありき。よろずのもの、これに拠りて成る。ふっと私は、忘れた歌を思い出したような気がした。たあいない風景ではあったが、けれども、私には忘れがたい。

 あの夜の女工さんは、あのいい声のひとであるか、どうかは、それは、知らない。ちがうだろうね。



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피부와 마음(皮膚と心:ひふとこころ)

다자이 오사무(太宰 治) (1939)

일본어 원문


 ぷつッと、ひとつ小豆粒に似た吹出物が、左の乳房の下に見つかり、よく見ると、その吹出物のまわりにも、ぱらぱら小さい赤い吹出物が霧を噴きかけられたように一面に散点していて、けれども、そのときは、痒(かゆ)くもなんともありませんでした。憎い気がして、お風呂で、お乳の下をタオルできゅっきゅっと皮のすりむけるほど、こすりました。それが、いけなかったようでした。家へ帰って鏡台のまえに坐り、胸をひろげて、鏡に写してみると、気味わるうございました。銭湯から私の家まで、歩いて五分もかかりませぬし、ちょっとその間に、お乳の下から腹にかけて手のひら二つぶんのひろさでもって、真赤に熟れて苺(いちご)みたいになっているので、私は地獄絵を見たような気がして、すっとあたりが暗くなりました。そのときから、私は、いままでの私でなくなりました。自分を、人のような気がしなくなりました。気が遠くなる、というのは、こんな状態を言うのでしょうか。私は永いこと、ぼんやり坐って居りました。暗灰色の入道雲が、もくもく私のぐるりを取り囲んでいて、私は、いままでの世間から遠く離れて、物の音さえ私には幽(かす)かにしか聞えない、うっとうしい、地の底の時々刻々が、そのときから、はじまったのでした。しばらく、鏡の中の裸身を見つめているうちに、ぽつり、ぽつり、雨の降りはじめのように、あちら、こちらに、赤い小粒があらわれて、頸(くび)のまわり、胸から、腹から、背中のほうにまで、まわっている様子なので、合せ鏡して背中を写してみると、白い背中のスロオプに赤い霰(あられ)をちらしたように一ぱい吹き出ていましたので、私は、顔を覆ってしまいました。

「こんなものが、できて。」私は、あの人に見せました。六月のはじめのことで、ございます。あの人は、半袖のワイシャツに、短いパンツはいて、もう今日の仕事も、一とおりすんだ様子で、仕事机のまえにぼんやり坐って煙草を吸っていましたが、立って来て、私にあちこち向かせて、眉をひそめ、つくづく見て、ところどころ指で押してみて、

「痒くないか。」と聞きました。私は、痒くない、と答えました。ちっとも、なんとも無いのです。あの人は、首をかしげて、それから私を縁側の、かっと西日の当る箇所に立たせ、裸身の私をくるくる廻して、なおも念入りに調べていました。あの人は、私のからだのことに就いては、いつでも、細かすぎるほど気をつけてくれます。ずいぶん無口で、けれども、しんは、いつでも私を大事にします。私は、ちゃんと、それを知っていますから、こうして縁側の明るみに出されて、恥ずかしいはだかの姿を、西に向け東に向け、さんざ、いじくり廻されても、かえって神様に祈るような静かな落ちついた気持になり、どんなに安心のことか。私は、立ったまま軽く眼をつぶっていて、こうして死ぬまで、眼を開きたくない気持でございました。

「わからねえなあ。ジンマシンなら、痒い筈だが。まさか、ハシカじゃなかろう。」

 私は、あわれに笑いました。着物を着直しながら、

「糠(ぬか)に、かぶれたのじゃないかしら。私、銭湯へ行くたんびに、胸や頸を、とてもきつく、きゅっきゅっこすったから。」

 それかも知れない。それだろう、ということになり、あの人は薬屋に行き、チュウブにはいった白いべとべとした薬を買って来て、それを、だまって私のからだに、指で、すり込むようにして塗ってくれました。すっと、からだが涼しく、少し気持も軽くなり、

「うつらないものかしら。」

「気にしちゃいけねえ。」

 そうは、おっしゃるけれども、あの人の悲しい気持が、それは、私を悲しがってくれる気持にちがいないのだけれど、その気持が、あの人の指先から、私の腐った胸に、つらく響いて、ああ早くなおりたいと、しんから思いました。

 あの人は、かねがね私の醜い容貌を、とても細心にかばってくれて、私の顔の数々の可笑(おか)しい欠点、――冗談にも、おっしゃるようなことは無く、ほんとうに露ほども、私の顔を笑わず、それこそ日本晴れのように澄んで、余念ない様子をなさって、

「いい顔だと思うよ。おれは、好きだ。」

 そんなことさえ、ぷつんとおっしゃることがあって、私は、どぎまぎして困ってしまうこともあるのです。私どもの結婚いたしましたのは、ついことしの三月でございます。結婚、という言葉さえ、私には、ずいぶんキザで、浮わついて、とても平気で口に言い出し兼ねるほど、私どもの場合は、弱く貧しく、てれくさいものでございました。だいいち、私は、もう二十八でございますもの。こんな、おたふくゆえ、縁遠くて、それに二十四、五までには、私にだって、二つ、三つ、そんな話もあったのですが、まとまりかけては、こわれ、まとまりかけては、こわれて、それは私の家だって、何もお金持というわけでは無し、母ひとり、それに私と妹と、三人ぐらしの、女ばかりの弱い家庭でございますし、とても、いい縁談なぞは、望まれませぬ。それは慾の深い夢でございましょう。二十五になって、私は覚悟をいたしました。一生、結婚できなくとも、母を助け、妹を育て、それだけを生き甲斐(がい)として、妹は、私と七つちがいの、ことし二十一になりますけれど、きりょうも良し、だんだんわがままも無くなり、いい子になりかけて来ましたから、この妹に立派な養子を迎えて、そうして私は、私としての自活の道をたてよう。それまでは、家に在って、家計、交際、すべて私が引き受けて、この家を守ろう。そう覚悟をきめますと、それまで内心、うじゃうじゃ悩んでいたもの、すべてが消散して、苦しさも、わびしさも、遠くへ去って、私は、家の仕事のかたわら、洋裁の稽古にはげみ、少しずつご近所の子供さんの洋服の注文なぞも引き受けてみるようになって、将来の自活のあてもつきかけて来たころ、いまの、あの人の話があったのでございます。お話を持って来て下さったお方が、謂(い)わば亡父の恩人とでもいうような義理あるお方でございましたから、むげに断ることもできず、また、お話を承ってみると、先方は、小学校を出たきりで、親も兄弟もなく、その私の亡父の恩人が、拾い上げて小さい時からめんどう見てやっていたのだそうで、もちろん先方には財産などある筈はなく、三十五歳、少し腕のよい図案工であって、月収は二百円もそれ以上もはいる月があるそうですが、また、なんにもはいらぬ月もあって、平均して、七、八十円。それに向うは、初婚ではなく、好きな女のひとと、六年も一緒に暮して、おととし何かわけがあって別れてしまい、そののちは、自分は小学校を出たきりで学歴も無し、財産もなし、としもとっていることだし、ちゃんとした結婚なぞとても望めないから、いっそ一生めとらず、のんきに暮そうと、やもめぐらしをして居る由にて、それを、亡父の恩人が、なだめ、それでは世間から変人あつかいされて、よくないから、早くお嫁を貰いなさい、少し心あたりもあるから、と言って、私どものほうに、内々お話の様子なされて、そのときは私も母と顔を見合せ、困ってしまいました。一つとして、よいところのない縁談でございますもの。いくら私が、売れのこりの、おたふくだって、あやまち一つ犯したことはなし、もう、そんな人とでも無ければ、結婚できなくなっているのかしらと、さいしょは腹立しく、それから無性に侘(わ)びしくなりました。お断りするより他、ないのでございますが、何せお話を持って来られた方が、亡父の恩人で義理あるお人ですし、母も私も、ことを荒立てないようにお断りしなければ、と弱気に愚図愚図いたして居りますうちに、ふと私は、あの人が可哀想になってしまいました。きっと、やさしい人にちがいない。私だって、女学校を出たきりで、特別になんの学問もありゃしない。たいへんな持参金があるわけでもない。父が死んだし、弱い家庭だ。それに、ごらんのとおりの、おたふくで、いい加減おばあさんですし、こちらこそ、なんのいいところも無い。似合いの夫婦かも知れない。どうせ、私は不仕合せなのだ。断って、亡父の恩人と気まずくなるよりはと、だんだん気持が傾いて、それにお恥ずかしいことには、少しは頬のほてる浮いた気持もございました。おまえ、ほんとにいいのかねえ、とやはり心配顔の母には、それ以上、話もせず、私から直接、その亡父の恩人に、はっきりした返事をしてしまいました。

 結婚して、私は幸福でございました。いいえ。いや、やっぱり、幸福、と言わなければなりませぬ。罰があたります。私は、大切にいたわられました。あの人は、何かと気が弱く、それに、せんの女に捨てられたような工合らしく、そのゆえに、一層おどおどしている様子で、ずいぶん歯がゆいほど、すべてに自信がなく、痩(や)せて小さく、お顔も貧相でございます。お仕事は、熱心にいたします。私が、はっと思ったことは、あの人の図案を、ちらと見て、それが見覚えのある図案だったことでございます。なんという奇縁でしょう。あの人に伺ってみて、そのことをたしかめ、私は、そのときはじめて、あの人に恋をしたみたいに、胸がときめきいたしました。あの銀座の有名な化粧品店の、蔓(つる)バラ模様の商標は、あの人が考案したもので、それだけでは無く、あの化粧品店から売り出されている香水、石鹸(せっけん)、おしろいなどのレッテル意匠、それから新聞の広告も、ほとんど、あの人の図案だったのでございます。十年もまえから、あの店の専属のようになって、異色ある蔓バラ模様のレッテル、ポスタア、新聞広告など、ほとんどおひとりで、お画きになっていたのだそうで、いまでは、あの蔓バラ模様は、外国の人さえ覚えていて、あの店の名前を知らなくても、蔓バラを典雅に絡(から)み合せた特徴ある図案は、どなただって一度は見て、そうして、記憶しているほどでございますものね。私なども、女学校のころから、もう、あの蔓バラ模様を知っていたような気がいたします。私は、奇妙に、あの図案にひかれて、女学校を出てからも、お化粧品は、全部あの化粧品店のものを使って、謂わば、まあ、フアンでございました。けれども私は、いちどだって、あの蔓バラ模様の考案者については、思ってみたことなかった。ずいぶん、うっかり者のようでございますが、けれども、それは私だけでなく、世間のひと皆、新聞の美しい広告を見ても、その図案工を思い尋ねることなど無いでしょう。図案工なんて、ほんとうに縁の下の力持ちみたいなものですのね。私だって、あの人のお嫁さんになって、しばらく経って、それからはじめて気がついたほどでございますもの。それを知ったときには、私は、うれしく、

「あたし、女学校のころからこの模様だいすきだったわ。あなたがお画きになっていたのねえ。うれしいわ。あたし、幸福ね。十年もまえから、あなたと遠くむすばれていたのよ。こちらへ来ることに、きまっていたのね。」と少しはしゃいで見せましたら、あの人は顔を赤くして、

「ふざけちゃいけねえ。職人仕事じゃねえか、よ。」と、しんから恥ずかしそうに、眼をパチパチさせて、それから、フンと力なく笑って、悲しそうな顔をなさいました。

 いつもあの人は、自分を卑下して、私がなんとも思っていないのに、学歴のことや、それから二度目だってことや、貧相のことなど、とても気にして、こだわっていらっしゃる様子で、それならば、私みたいなおたふくは、一体どうしたらいいのでしょう。夫婦そろって自信がなく、はらはらして、お互いの顔が、謂わば羞皺(はじしわ)で一ぱいで、あの人は、たまには、私にうんと甘えてもらいたい様子なのですが、私だって、二十八のおばあちゃんですし、それに、こんなおたふくなので、その上、あの人の自信のない卑下していらっしゃる様子を見ては、こちらにも、それが伝染しちゃって、よけいにぎくしゃくして来て、どうしても無邪気に可愛く甘えることができず、心は慕っているのに、逆にかえって私は、まじめに、冷い返事などしてしまって、すると、あの人は、気むずかしく、私には、そのお気持がわかっているだけに、尚(なお)のこと、どぎまぎして、すっかり他人行儀になってしまいます。あの人にも、また、私の自信のなさが、よくおわかりの様で、ときどき、やぶから棒に、私の顔、また、着物の柄など、とても不器用にほめることがあって、私には、あの人のいたわりがわかっているので、ちっとも嬉しいことはなく、胸が、一ぱいになって、せつなく、泣きたくなります。あの人は、いい人です。せんの女のひとのことなど、ほんとうに、これぼっちも匂わしたことがございません。おかげさまで、私は、いつも、そのことは忘れています。この家だって、私たち結婚してから新しく借りたのですし、あの人は、そのまえは、赤坂のアパアトにひとりぐらししていたのでございますが、きっと、わるい記憶を残したくないというお心もあり、また、私への優しい気兼ねもあったのでございましょう、以前の世帯(しょたい)道具一切合切、売り払い、お仕事の道具だけ持って、この築地(つきじ)の家へ引越して、それから、私にも僅かばかり母からもらったお金がございましたし、二人で少しずつ世帯の道具を買い集めたようなわけで、ふとんも箪笥(たんす)も、私が本郷の実家から持って来たのでございますし、せんの女のひとの影は、ちらとも映らず、あの人が、私以外の女のひとと六年も一緒にいらっしゃったなど、とても今では、信じられなくなりました。ほんとうに、あの人の不要の卑下さえなかったら、そうして私を、もっと乱暴に、怒鳴ったり、もみくちゃにして下さったなら、私も、無邪気に歌をうたって、どんなにでもあの人に甘えることができるように思われるのですが、きっと明るい家になれるのでございますが、二人そろって、醜いという自覚で、ぎくしゃくして、――私はともかく、あの人が、なんで卑下することがございましょう。小学校を出たきりと言っても、教養の点では大学出の学士と、ちっとも変るところございませぬ。レコオドだって、ずいぶん趣味のいいのを集めていらっしゃるし、私がいちども名前を聞いたことさえない外国の新しい小説家の作品を、仕事のあいまあいまに、熱心に読んでいらっしゃるし、それに、あの、世界的な蔓バラの図案。また、ご自身の貧乏を、ときどき自嘲(じちょう)なさいますけれど、このごろは仕事も多く、百円、二百円と、まとまった大金がはいって来て、せんだっても、伊豆の温泉につれていっていただいたほどなのに、それでもあの人は、ふとんや箪笥や、その他の家財道具を、私の母に買ってもらったことを、いまでも気にしていて、そんなに気にされると、私は、かえって恥ずかしく、なんだか悪いことをしたように思われて、みんな安物ばかりなのに、と泣きたいほど侘びしく、同情や憐憫(れんびん)で結婚するのは、間違いで、私は、やっぱりひとりでいたほうがよかったのじゃないかしら、と恐ろしいことを考えた夜もございました。もっと強いものを求めるいまわしい不貞が頭をもたげることさえあって、私は悪者でございます。結婚して、はじめて青春の美しさを、それを灰色に過してしまったくやしさが、舌を噛(か)みたいほど、痛烈に感じられ、いまのうち何かでもって埋め合せしたく、あの人とふたりで、ひっそり夕食をいただきながら、侘びしさ堪えがたくなって、お箸(はし)と茶碗持ったまま、泣きべそかいてしまったこともございます。何もかも私の慾でございましょう。こんなおたふくの癖に青春なんて、とんでもない。いい笑いものになるだけのことでございます。私は、いまのままで、これだけでもう、身にあまる仕合せなのです。そう思わなければいけません。ついつい、わがままも出て、それだから、こんどのように、こんな気味わるい吹出物に見舞われるのです。薬を塗ってもらったせいか、吹出物も、それ以上はひろがらず、明日は、なおるかも知れぬと、神様にこっそり祈って、その夜は、早めに休ませていただきました。

 寝ながら、しみじみ考えて、なんだか不思議になりました。私は、どんな病気でも、おそれませぬが、皮膚病だけは、とても、とても、いけないのです。どのような苦労をしても、どのような貧乏をしても、皮膚病にだけは、なりたくないと思っていたものでございます。脚が片方なくっても、腕が片方なくっても、皮膚病なんかになるよりは、どれくらいましかわからない。女学校で、生理の時間にいろいろの皮膚病の病原菌を教わり、私は全身むず痒く、その虫やバクテリヤの写真の載っている教科書のペエジを、矢庭に引き破ってしまいたく思いました。そうして先生の無神経が、のろわしく、いいえ先生だって、平気で教えているのでは無い。職務ゆえ、懸命にこらえて、当りまえの風を装って教えているのだ、それにちがいないと思えば、なおのこと、先生のその厚顔無恥が、あさましく、私は身悶(みもだ)えいたしました。その生理のお時間がすんでから、私はお友達と議論をしてしまいました。痛さと、くすぐったさと、痒さと、三つのうちで、どれが一ばん苦しいか。そんな論題が出て、私は断然、痒さが最もおそろしいと主張いたしました。だって、そうでしょう? 痛さも、くすぐったさも、おのずから知覚の限度があると思います。ぶたれて、切られて、または、くすぐられても、その苦しさが極限に達したとき、人は、きっと気を失うにちがいない。気を失ったら夢幻境です。昇天でございます。苦しさから、きれいにのがれる事ができるのです。死んだって、かまわないじゃないですか。けれども痒さは、波のうねりのようで、もりあがっては崩れ、もりあがっては崩れ、果しなく鈍く蛇動(だどう)し、蠢動(しゅんどう)するばかりで、苦しさが、ぎりぎり結着の頂点まで突き上げてしまう様なことは決してないので、気を失うこともできず、もちろん痒さで死ぬなんてことも無いでしょうし、永久になまぬるく、悶えていなければならぬのです。これは、なんといっても、痒さにまさる苦しみはございますまい。私がもし昔のお白州(しらす)で拷問かけられても、切られたり、ぶたれたり、また、くすぐられたり、そんなことでは白状しない。そのうち、きっと気を失って、二、三度つづけられたら、私は死んでしまうだろう。白状なんて、するものか、私は志士のいどころを一命かけて、守って見せる。けれども、蚤(のみ)か、しらみ、或いは疥癬(かいせん)の虫など、竹筒に一ぱい持って来て、さあこれを、お前の背中にぶち撒(ま)けてやるぞ、と言われたら、私は身の毛もよだつ思いで、わなわなふるえ、申し上げます、お助け下さい、と烈女も台無し、両手合せて哀願するつもりでございます。考えるさえ、飛び上るほど、いやなことです。私が、その休憩時間、お友達にそう言ってやりましたら、お友達も、みんな素直に共鳴して下さいました。いちど先生に連れられて、クラス全部で、上野の科学博物館へ行ったことがございますけれど、たしか三階の標本室で、私は、きゃっと悲鳴を挙げ、くやしく、わんわん泣いてしまいました。皮膚に寄生する虫の標本が、蟹(かに)くらいの大きさに模型されて、ずらりと棚に並んで、飾られてあって、ばか! と大声で叫んで棍棒(こんぼう)もって滅茶苦茶に粉砕したい気持でございました。それから三日も、私は寝ぐるしく、なんだか痒く、ごはんもおいしくございませんでした。私は、菊の花さえきらいなのです。小さい花弁がうじゃうじゃして、まるで何かみたい。樹木の幹の、でこぼこしているのを見ても、ぞっとして全身むず痒くなります。筋子なぞを、平気でたべる人の気が知れない。牡蠣(かき)の貝殻。かぼちゃの皮。砂利道。虫食った葉。とさか。胡麻(ごま)。絞り染。蛸(たこ)の脚。茶殻。蝦(えび)。蜂(はち)の巣。苺(いちご)。蟻(あり)。蓮の実。蠅(はえ)。うろこ。みんな、きらい。ふり仮名も、きらい。小さい仮名は、虱(しらみ)みたい。グミの実、桑の実、どっちもきらい。お月さまの拡大写真を見て、吐きそうになったことがあります。刺繍(ししゅう)でも、図柄に依っては、とても我慢できなくなるものがあります。そんなに皮膚のやまいを嫌っているので、自然と用心深く、いままで、ほとんど吹出物の経験なぞ無かったのです。そうして結婚して、毎日お風呂へ行って、からだをきゅっきゅっと糠でこすって、きっと、こすり過ぎたのでございましょう。こんなに、吹出物してしまって、くやしく、うらめしく思います。私は、いったいどんな悪いことをしたというのでしょう。神さまだって、あんまりだ。私の一ばん嫌いな、嫌いなものをことさらにくださって、ほかに病気が無いわけじゃなし、まるで金の小さな的をすぽんと射当てたように、まさしく私の最も恐怖している穴へ落ち込ませて、私は、しみじみ不思議に存じました。

 翌る朝、薄明のうちにもう起きて、そっと鏡台に向って、ああと、うめいてしまいました。私は、お化けでございます。これは、私の姿じゃない。からだじゅう、トマトがつぶれたみたいで、頸にも胸にも、おなかにも、ぶつぶつ醜怪を極めて豆粒ほども大きい吹出物が、まるで全身に角が生えたように、きのこが生えたように、すきまなく、一面に噴き出て、ふふふふ笑いたくなりました。そろそろ、両脚のほうにまで、ひろがっているのでございます。鬼。悪魔。私は、人ではございませぬ。このまま死なせて下さい。泣いては、いけない。こんな醜怪なからだになって、めそめそ泣きべそ掻いたって、ちっとも可愛くないばかりか、いよいよ熟柿がぐしゃと潰(つぶ)れたみたいに滑稽で、あさましく、手もつけられぬ悲惨の光景になってしまう。泣いては、いけない。隠してしまおう。あの人は、まだ知らない。見せたくない。もともと醜い私が、こんな腐った肌になってしまって、もうもう私は、取り柄がない。屑(くず)だ。はきだめだ。もう、こうなっては、あの人だって、私を慰める言葉が無いでしょう。慰められるなんて、いやだ。こんなからだを、まだいたわるならば、私は、あの人を軽蔑(けいべつ)してあげる。いやだ。私は、このままおわかれしたい。いたわっちゃ、いけない。私を、見ちゃいけない。私の傍にいてもいけない。ああ、もっと、もっと広い家が欲しい。一生遠くはなれた部屋で暮したい。結婚しなければ、よかった。二十八まで、生きていなければよかったのだ。十九の冬に、肺炎になったとき、あのとき、なおらずに死ねばよかったのだ。あのとき死んでいたら、いまこんな苦しい、みっともない、ぶざまの憂目を見なくてすんだのだ。私は、ぎゅっと堅く眼をつぶったまま、身動きもせず坐って、呼吸だけが荒く、そのうちになんだか心までも鬼になってしまう気配が感じられて、世界が、シンと静まって、たしかにきのうまでの私で無くなりました。私は、もそもそ、けものみたいに立ち上り着物を着ました。着物は、ありがたいものだと、つくづく思いました。どんなおそろしい胴体でも、こうして、ちゃんと隠してしまえるのですものね。元気を出して、物干場へあがってお日様を険しく見つめ、思わず、深い溜息(ためいき)をいたしました。ラジオ体操の号令が聞えてまいります。私は、ひとりで侘びしく体操はじめて、イッチ、ニッ、と小さい声出して、元気をよそってみましたが、ふっとたまらなく自分がいじらしくなって来て、とてもつづけて体操できず泣き出しそうになって、それに、いま急激にからだを動かしたせいか、頸と腋下(わきした)の淋巴腺(りんぱせん)が鈍く痛み出して、そっと触ってみると、いずれも固く腫れていて、それを知ったときには、私、立って居られなく、崩れるようにぺたりと坐ってしまいました。私は醜いから、いままでこんなにつつましく、日蔭を選んで、忍んで忍んで生きて来たのに、どうして私をいじめるのです、と誰にともなく焼き焦げるほどの大きい怒りが、むらむら湧(わ)いて、そのとき、うしろで、

「やあ、こんなところにいたのか。しょげちゃいけねえ。」とあの人の優しく呟(つぶや)く声がして、「どうなんだ。少しは、よくなったか?」

 よくなったと答えるつもりだったのに、私の肩に軽く載せたあの人の右手を、そっとはずして、立ち上り、

「うちへかえる。」そんな言葉が出てしまって、自分で自分がわからなくなって、もう、何をするか、何を言うか、責任持てず、自分も宇宙も、みんな信じられなくなりました。

「ちょっと見せなよ。」あの人の当惑したみたいな、こもった声が、遠くからのように聞えて、

「いや。」と私は身を引き、「こんなところに、グリグリができてえ。」と腋の下に両手を当てそのまま、私は手放しで、ぐしゃと泣いて、たまらずああんと声が出て、みっともない二十八のおたふくが、甘えて泣いても、なんのいじらしさが在ろう、醜悪の限りとわかっていても、涙がどんどん沸いて出て、それによだれも出てしまって、私はちっともいいところが無い。

「よし。泣くな! お医者へ連れていってやる。」あの人の声が、いままで聞いたことのないほど、強くきっぱり響きました。

 その日は、あの人もお仕事を休んで、新聞の広告しらべて、私もせんに一、二度、名だけは聞いたことのある有名な皮膚科専門のお医者に見てもらうことにきめて、私は、よそ行きの着物に着換えながら、

「からだを、みんな見せなければいけないかしら」

「そうよ。」あの人は、とても上品に微笑(ほほえ)んで答えました。「お医者を、男と思っちゃいけねえ。」

 私は顔を赤くしました。ほんのりとうれしく思いました。

 外へ出ると、陽の光がまぶしく、私は自身を一匹の醜い毛虫のように思いました。この病気のなおるまで世の中を真暗闇の深夜にして置きたく思いました。

「電車は、いや。」私は、結婚してはじめてそんな贅沢(ぜいたく)なわがまま言いました。もう吹出物が手の甲にまでひろがって来ていて、いつか私は、こんな恐ろしい手をした女のひとを電車の中で見たことがあって、それからは、電車の吊革(つりかわ)につかまるのさえ不潔で、うつりはせぬかと気味わるく思っていたのですが、いまは私が、そのいつかの女のひとの手と同じ工合になってしまって、「身の不運」という俗な言葉が、このときほど骨身に徹したことはございませぬ。

「わかってるさ。」あの人は、明るい顔してそう答え、私を、自動車に乗せて下さいました。築地から、日本橋、高島屋裏の病院まで、ほんのちょっとでございましたが、その間、私は葬儀車に乗っている気持でございました。眼だけが、まだ生きていて、巷(ちまた)の初夏のよそおいを、ぼんやり眺めて、路行く女のひと、男のひと、誰も私のように吹出物していないのが不思議でなりませんでした。

 病院に着いて、あの人と一緒に待合室へはいってみたら、ここはまた世の中と、まるっきりちがった風景で、ずっとまえ築地の小劇場で見た「どん底」という芝居の舞台面を、ふいと思い出しました。外は深緑で、あんなに、まばゆいほど明るかったのに、ここは、どうしたのか、陽の光が在っても薄暗く、ひやと冷い湿気があって、酸(す)いにおいが、ぷんと鼻をついて、盲人どもが、うなだれて、うようよいる。盲人ではないけれども、どこか、片輪の感じで、老爺老婆の多いのには驚きました。私は、入口にちかい、ベンチの端に腰をおろして、死んだように、うなだれ、眼をつぶりました。ふと、この大勢の患者の中で、私が一ばん重い皮膚病なのかも知れない、ということに気がつき、びっくりして眼をひらき、顔をあげて、患者ひとりひとりを盗み見いたしましたが、やはり、私ほど、あらわに吹出物している人は、ひとりもございませんでした。皮膚科と、もうひとつ、とても平気で言えないような、いやな名前の病気と、そのふたつの専門医だったことを、私は病院の玄関の看板で、はじめて知ったのですが、それでは、あそこに腰かけている若い綺麗な映画俳優みたいな男のひと、どこにも吹出物など無い様子だし、皮膚科ではなく、そのもうひとつのほうの病気なのかも知れない、と思えば、もう皆、この待合室に、うなだれて腰かけている亡者たち皆、そのほうの病気のような気がして来て、

「あなた、少し散歩していらっしゃい。ここは、うっとうしい。」

「まだ、なかなからしいな。」あの人は、手持ぶさたげに、私の傍に立ちつくしていたのでした。

「ええ。私の番になるのは、おひるごろらしいわ。ここは、きたない。あなたが、いらっしゃっちゃ、いけない。」自分でも、おや、と思ったほど、いかめしい声が出て、あの人も、それを素直に受け取ってくれた様子で、ゆっくりと首肯(うなず)き、

「おめえも、一緒に出ないか?」

「いいえ。あたしは、いいの。」私は、微笑んで、「あたしは、ここにいるのが、一ばん楽なの。」

 そうしてあの人を待合室から押し出して、私は、少し落ちつき、またベンチに腰をおろし酸っぱいように眼をつぶりました。はたから見ると、私は、きっとキザに気取って、おろかしい瞑想(めいそう)にふけっているばあちゃん女史に見えるでしょうが、でも、私、こうしているのが一ばん、らくなんですもの。死んだふり。そんな言葉、思い出して、可笑(おか)しゅうございました。けれども、だんだん私は、心配になってまいりました。誰にも、秘密が在る。そんな、いやな言葉を耳元に囁(ささや)かれたような気がして、わくわくしてまいりました。ひょっとしたら、この吹出物も――と考え、一時に総毛立つ思いで、あの人の優しさ、自信の無さも、そんなところから起って来ているのではないのかしら、まさか。私は、そのときはじめて、可笑しなことでございますが、そのときはじめて、あの人にとっては、私が最初で無かったのだ、ということに実感を以て思い当り、いても立っても居られなくなりました。だまされた! 結婚詐欺。唐突にそんなひどい言葉も思い出され、あの人を追いかけて行って、ぶってやりたく思いました。ばかですわね。はじめから、それが承知であの人のところへまいりましたのに、いま急に、あの人が、最初でないこと、たまらぬ程にくやしく、うらめしく、とりかえしつかない感じで、あの人の、まえの女のひとのことも、急に色濃く、胸にせまって来て、ほんとうにはじめて、私はその女のひとを恐ろしく、憎く思い、これまで一度だって、そのひとのこと思ってもみたことない私の呑気(のんき)さ加減が、涙の沸いて出た程に残念でございました。くるしく、これが、あの嫉妬(しっと)というものなのでしょうか。もし、そうだとしたなら、嫉妬というものは、なんという救いのない狂乱、それも肉体だけの狂乱。一点美しいところもない醜怪きわめたものか。世の中には、まだまだ私の知らない、いやな地獄があったのですね。私は、生きてゆくのが、いやになりました。自分が、あさましく、あわてて膝の上の風呂敷包をほどき、小説本を取り出し、でたらめにペエジをひらき、かまわずそこから読みはじめました。ボヴァリイ夫人。エンマの苦しい生涯が、いつも私をなぐさめて下さいます。エンマの、こうして落ちて行く路が、私には一ばん女らしく自然のもののように思われてなりません。水が低きについて流れるように、からだのだるくなるような素直さを感じます。女って、こんなものです。言えない秘密を持って居ります。だって、それは女の「生れつき」ですもの。泥沼を、きっと一つずつ持って居ります。それは、はっきり言えるのです。だって、女には、一日一日が全部ですもの。男とちがう。死後も考えない。思索も、無い。一刻一刻の、美しさの完成だけを願って居ります。生活を、生活の感触を、溺愛(できあい)いたします。女が、お茶碗や、きれいな柄の着物を愛するのは、それだけが、ほんとうの生き甲斐だからでございます。刻々の動きが、それがそのまま生きていることの目的なのです。他に、何が要りましょう。高いリアリズムが、女のこの不埒(ふらち)と浮遊を、しっかり抑えて、かしゃくなくあばいて呉(く)れたなら、私たち自身も、からだがきまって、どのくらい楽か知れないとも思われるのですが、女のこの底知れぬ「悪魔」には、誰も触らず、見ないふりをして、それだから、いろんな悲劇が起るのです。高い、深いリアリズムだけが、私たちをほんとうに救ってくれるのかも知れませぬ。女の心は、いつわらずに言えば、結婚の翌日だって、他の男のひとのことを平気で考えることができるのでございますもの。人の心は、決して油断がなりませぬ。男女七歳にして、という古い教えが、突然おそろしい現実感として、私の胸をついて、はっと思いました。日本の倫理というものは、ほとんど腕力的に写実なのだと、目まいのするほど驚きました。なんでもみんな知られているのだ。むかしから、ちゃんと泥沼が、明確にえぐられて在るのだと、そう思ったら、かえって心が少しすがすがしく、爽(さわ)やかに安心して、こんな醜い吹出物だらけのからだになっても、やっぱり何かと色気の多いおばあちゃん、と余裕を持って自身を憫笑(びんしょう)したい気持も起り、再び本を読みつつけました。いま、ロドルフが、更にそっとエンマに身をすり寄せ、甘い言葉を口早に囁いているところなのですが、私は、読みながら、全然別な奇妙なことを考えて、思わずにやりと笑ってしまいました。エンマが、このとき吹出物していたら、どうだったろう、とへんな空想が湧(わ)いて出て、いや、これは重大なイデエだぞ、と私は真面目になりました。エンマは、きっとロドルフの誘惑を拒絶したにちがいない。そうして、エンマの生涯は、まるっきり違ったものになってしまった。それにちがいない。あくまでも、拒絶したにちがいない。だって、そうするより他に、仕様ないんだもの。こんなからだでは。そうして、これは喜劇ではなく、女の生涯は、そのときの髪のかたち、着物の柄、眠むたさ、または些細(ささい)のからだの調子などで、どしどし決定されてしまうので、あんまり眠むたいばかりに、背中のうるさい子供をひねり殺した子守女さえ在ったし、ことに、こんな吹出物は、どんなに女の運命を逆転させ、ロマンスを歪曲(わいきょく)させるか判りませぬ。いよいよ結婚式というその前夜、こんな吹出物が、思いがけなく、ぷつんと出て、おやおやと思うまもなく胸に四肢に、ひろがってしまったら、どうでしょう。私は、有りそうなことだと思います。吹出物だけは、ほんとうに、ふだんの用心で防ぐことができない、何かしら天意に依るもののように思われます。天の悪意を感じます。五年ぶりに帰朝する御主人をお迎えにいそいそ横浜の埠頭(ふとう)、胸おどらせて待っているうちにみるみる顔のだいじなところに紫色の腫物(はれもの)があらわれ、いじくっているうちに、もはや、そのよろこびの若夫人も、ふためと見られぬお岩さま。そのような悲劇もあり得る。男は、吹出物など平気らしゅうございますが、女は、肌だけで生きて居るのでございますもの。否定する女のひとは、嘘つきだ。フロベエルなど、私はよく存じませぬが、なかなか細密の写実家の様子で、シャルルがエンマの肩にキスしようとすると、(よして! 着物に皺が、――)と言って拒否するところございますが、あんな細かく行きとどいた眼を持ちながら、なぜ、女の肌の病気のくるしみに就いては、書いて下さらなかったのでしょうか。男の人にはとてもわからぬ苦しみなのでしょうか。それとも、フロベエルほどのお人なら、ちゃんと見抜いて、けれどもそれは汚ならしく、とてもロマンスにならぬ故、知らぬふりして敬遠しているのでございましょうか。でも、敬遠なんて、ずるい、ずるい。結婚のまえの夜、または、なつかしくてならぬ人と五年ぶりに逢う直前などに、思わぬ醜怪の吹出物に見舞われたら、私ならば死ぬる。家出して、堕落してやる。自殺する。女は、一瞬間一瞬間の、せめて美しさのよろこびだけで生きているのだもの。明日は、どうなっても、――そっとドアが開いて、あの人が栗鼠(りす)に似た小さい顔を出して、まだか? と眼でたずねたので、私は、蓮っ葉にちょっちょっと手招きして、

「あのね、」下品に調子づいた甲高い声だったので私は肩をすくめ、こんどは出来るだけ声を低くして、「あのね、明日は、どうなったっていい、と思い込んだとき女の、一ばん女らしさが出ていると、そう思わない?」

「なんだって?」あの人が、まごついているので私は笑いました。

「言いかたが下手なの、わからないわね。もういいの。あたし、こんなところに、しばらく坐っているうちに、なんだか、また、人が変っちゃったらしいの。こんな、どん底にいると、いけないらしいの。あたし、弱いから、周囲の空気に、すぐ影響されて、馴れてしまうのね。あたし、下品になっちゃったわ。ぐんぐん心が、くだらなく、堕落して、まるで、もう」と言いかけて、ぎゅっと口を噤(つぐ)んでしまいました。プロステチウト、そう言おうと思っていたのでございます。女が永遠に口に出して言ってはいけない言葉。そうして一度は、必ず、それの思いに悩まされる言葉。まるっきり誇を失ったとき、女は、必ずそれを思う。私は、こんな吹出物して、心まで鬼になってしまっているのだな、と実状が薄ぼんやり判って来て、私が今まで、おたふく、おたふくと言って、すべてに自信が無い態(てい)を装っていたが、けれども、やはり自分の皮膚だけを、それだけは、こっそり、いとおしみ、それが唯一のプライドだったのだということを、いま知らされ、私の自負していた謙譲だの、つつましさだの、忍従だのも、案外あてにならない贋物(にせもの)で、内実は私も知覚、感触の一喜一憂だけで、めくらのように生きていたあわれな女だったのだと気附いて、知覚、感触が、どんなに鋭敏だっても、それは動物的なものなのだ、ちっとも叡智(えいち)と関係ない。全く、愚鈍な白痴でしか無いのだ、とはっきり自身を知りました。

 私は、間違っていたのでございます。私は、これでも自身の知覚のデリケエトを、なんだか高尚のことに思って、それを頭のよさと思いちがいして、こっそり自身をいたわっていたところ、なかったか。私は、結局は、おろかな、頭のわるい女ですのね。

「いろんなことを考えたのよ。あたし、ばかだわ。あたし、しんから狂っていたの。」

「むりがねえよ。わかるさ。」あの人は、ほんとうに、わかってるみたいに、賢こそうな笑顔で答えて、「おい、おれたちの番だぜ。」

 看護婦に招かれて、診察室へはいり、帯をほどいてひと思いに肌ぬぎになり、ちらと自分の乳房を見て、私は、石榴(ざくろ)を見ちゃった。眼のまえに坐っているお医者よりも、うしろに立っている看護婦さんに見られるのが、幾そう倍も辛うございました。お医者は、やっぱり人の感じがしないものだと思いました。顔の印象さえ、私には、はっきりいたしませぬ。お医者のほうでも、私を人の扱いせず、あちこちひねくって、

「中毒ですよ。何か、わるいものを食べたのでしょう。」平気な声で、そう言いました。

「なおりましょうか。」

 あの人が、たずねて呉れて、

「なおります。」

 私は、ぼんやり、ちがう部屋にいるような気持で、聞いていたのでございます。

「ひとりで、めそめそ泣いていやがるので、見ちゃ居れねえのです。」

「すぐ、なおりますよ。注射しましょう。」

 お医者は、立ち上りました。

「単純な、ものなのですか?」とあの人。

「そうですとも。」

 注射してもらって、私たちは病院を出ました。

「もう手のほうは、なおっちゃった。」

 私は、なんども陽の光に両手をかざして、眺めました。

「うれしいか?」

 そう言われて私は、恥ずかしく思いました。

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Posted by 문학관 관리인 위어조자(謂語助者)

황금풍경(黄金風景:おうごんふうけい)

다자이 오사무(太宰 治) (1939)

일본어 원문


海の岸辺に緑なす樫(かし)の木、その樫の木に黄金の細き鎖のむすばれて

   ―プウシキン―


 私は子供のときには、余り質(たち)のいい方ではなかった。女中をいじめた。私は、のろくさいことは嫌(きら)いで、それゆえ、のろくさい女中を殊(こと)にもいじめた。お慶は、のろくさい女中である。林檎(りんご)の皮をむかせても、むきながら何を考えているのか、二度も三度も手を休めて、おい、とその度毎にきびしく声を掛けてやらないと、片手に林檎、片手にナイフを持ったまま、いつまでも、ぼんやりしているのだ。足りないのではないか、と思われた。台所で、何もせずに、ただのっそりつっ立っている姿を、私はよく見かけたものであるが、子供心にも、うすみっともなく、妙に疳(かん)にさわって、おい、お慶、日は短いのだぞ、などと大人びた、いま思っても脊筋(せすじ)の寒くなるような非道の言葉を投げつけて、それで足りずに一度はお慶をよびつけ、私の絵本の観兵式の何百人となくうようよしている兵隊、馬に乗っている者もあり、旗持っている者もあり、銃担(にな)っている者もあり、そのひとりひとりの兵隊の形を鋏(はさみ)でもって切り抜かせ、不器用なお慶は、朝から昼飯も食わず日暮頃までかかって、やっと三十人くらい、それも大将の鬚(ひげ)を片方切り落したり、銃持つ兵隊の手を、熊(くま)の手みたいに恐ろしく大きく切り抜いたり、そうしていちいち私に怒鳴られ、夏のころであった、お慶は汗かきなので、切り抜かれた兵隊たちはみんな、お慶の手の汗で、びしょびしょ濡(ぬ)れて、私は遂(つい)に癇癪(かんしゃく)をおこし、お慶を蹴(け)った。たしかに肩を蹴った筈(はず)なのに、お慶は右の頬(ほお)をおさえ、がばと泣き伏し、泣き泣きいった。「親にさえ顔を踏まれたことはない。一生おぼえております」うめくような口調で、とぎれ、とぎれそういったので、私は、流石(さすが)にいやな気がした。そのほかにも、私はほとんどそれが天命でもあるかのように、お慶をいびった。いまでも、多少はそうであるが、私には無智な魯鈍(ろどん)の者は、とても堪忍(かんにん)できぬのだ。

 一昨年、私は家を追われ、一夜のうちに窮迫し、巷(ちまた)をさまよい、諸所に泣きつき、その日その日のいのち繋(つな)ぎ、やや文筆でもって、自活できるあてがつきはじめたと思ったとたん、病を得た。ひとびとの情で一夏、千葉県船橋町、泥(どろ)の海のすぐ近くに小さい家を借り、自炊の保養をすることができ、毎夜毎夜、寝巻をしぼる程の寝汗とたたかい、それでも仕事はしなければならず、毎朝々々のつめたい一合の牛乳だけが、ただそれだけが、奇妙に生きているよろこびとして感じられ、庭の隅(すみ)の夾竹桃(きょうちくとう)の花が咲いたのを、めらめら火が燃えているようにしか感じられなかったほど、私の頭もほとほと痛み疲れていた。

 そのころのこと、戸籍調べの四十に近い、痩(や)せて小柄のお巡(まわ)りが玄関で、帳簿の私の名前と、それから無精髯(ぶしょうひげ)のばし放題の私の顔とを、つくづく見比べ、おや、あなたは……のお坊ちゃんじゃございませんか? そう言うお巡りのことばには、強い故郷の訛(なまり)があったので、「そうです」私はふてぶてしく答えた。「あなたは?」

 お巡りは痩せた顔にくるしいばかりにいっぱいの笑をたたえて、

「やあ。やはりそうでしたか。お忘れかもしれないけれど、かれこれ二十年ちかくまえ、私はKで馬車やをしていました」

 Kとは、私の生れた村の名前である。

「ごらんの通り」私は、にこりともせずに応じた。「私も、いまは落ちぶれました」

「とんでもない」お巡りは、なおも楽しげに笑いながら、「小説をお書きなさるんだったら、それはなかなか出世です」

 私は苦笑した。

「ところで」とお巡りは少し声をひくめ、「お慶がいつもあなたのお噂(うわさ)をしています」

「おけい?」すぐには呑(の)みこめなかった。

「お慶ですよ。お忘れでしょう。お宅の女中をしていた――」

 思い出した。ああ、と思わずうめいて、私は玄関の式台にしゃがんだまま、頭をたれて、その二十年まえ、のろくさかったひとりの女中に対しての私の悪行が、ひとつひとつ、はっきり思い出され、ほとんど座に耐えかねた。

「幸福ですか?」ふと顔をあげてそんな突拍子ない質問を発する私のかおは、たしかに罪人、被告、卑屈な笑いをさえ浮べていたと記憶する。

「ええ、もう、どうやら」くったくなく、そうほがらかに答えて、お巡りはハンケチで額の汗をぬぐって、「かまいませんでしょうか。こんどあれを連れて、いちどゆっくりお礼にあがりましょう」

 私は飛び上るほど、ぎょっとした。いいえ、もう、それには、とはげしく拒否して、私は言い知れぬ屈辱感に身悶(みもだ)えしていた。

 けれども、お巡りは、朗かだった。

「子供がねえ、あなた、ここの駅につとめるようになりましてな、それが長男です。それから男、女、女、その末のが八つでことし小学校にあがりました。もう一安心。お慶も苦労いたしました。なんというか、まあ、お宅のような大家にあがって行儀見習いした者は、やはりどこか、ちがいましてな」すこし顔を赤くして笑い、「おかげさまでした。お慶も、あなたのお噂、しじゅうして居(お)ります。こんどの公休には、きっと一緒にお礼にあがります」急に真面目(まじめ)な顔になって、「それじゃ、きょうは失礼いたします。お大事に」

 それから、三日たって、私が仕事のことよりも、金銭のことで思い悩み、うちにじっとして居れなくて、竹のステッキ持って、海へ出ようと、玄関の戸をがらがらあけたら、外に三人、浴衣(ゆかた)着た父と母と、赤い洋服着た女の子と、絵のように美しく並んで立っていた。お慶の家族である。

 私は自分でも意外なほどの、おそろしく大きな怒声を発した。

「来たのですか。きょう、私これから用事があって出かけなければなりません。お気の毒ですが、またの日においで下さい」

 お慶は、品のいい中年の奥さんになっていた。八つの子は、女中のころのお慶によく似た顔をしていて、うすのろらしい濁った眼でぼんやり私を見上げていた。私はかなしく、お慶がまだひとことも言い出さぬうち、逃げるように、海浜へ飛び出した。竹のステッキで、海浜の雑草を薙(な)ぎ払い薙ぎ払い、いちどもあとを振りかえらず、一歩、一歩、地団駄踏むような荒(すさ)んだ歩きかたで、とにかく海岸伝いに町の方へ、まっすぐに歩いた。私は町で何をしていたろう。ただ意味もなく、活動小屋の絵看板見あげたり、呉服屋の飾窓を見つめたり、ちえっちえっと舌打ちしては、心のどこかの隅で、負けた、負けた、と囁(ささや)く声が聞えて、これはならぬと烈(はげ)しくからだをゆすぶっては、また歩き、三十分ほどそうしていたろうか、私はふたたび私の家へとって返した。

 うみぎしに出て、私は立止った。見よ、前方に平和の図がある。お慶親子三人、のどかに海に石の投げっこしては笑い興じている。声がここまで聞えて来る。

「なかなか」お巡りは、うんと力こめて石をほうって、「頭のよさそうな方じゃないか。あのひとは、いまに偉くなるぞ」

「そうですとも、そうですとも」お慶の誇らしげな高い声である。「あのかたは、お小さいときからひとり変って居られた。目下のものにもそれは親切に、目をかけて下すった」

 私は立ったまま泣いていた。けわしい興奮が、涙で、まるで気持よく溶け去ってしまうのだ。

 負けた。これは、いいことだ。そうなければ、いけないのだ。かれらの勝利は、また私のあすの出発にも、光を与える。




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Posted by 문학관 관리인 위어조자(謂語助者)

축견담(畜犬談 :ちくけんだん)

다자이 오사무(太宰 治) (1939)

일본어 원문


 私は、犬については自信がある。いつの日か、かならず喰(く)いつかれるであろうという自信である。私は、きっと噛(か)まれるにちがいない。自信があるのである。よくぞ、きょうまで喰いつかれもせず無事に過してきたものだと不思議な気さえしているのである。諸君、犬は猛獣である。馬を斃(たお)し、たまさかには獅子(しし)と戦ってさえこれを征服するとかいうではないか。さもありなんと私はひとり淋しく首肯(しゅこう)しているのだ。あの犬の、鋭い牙(きば)を見るがよい。ただものではない。いまは、あのように街路で無心のふうを装い、とるに足らぬもののごとくみずから卑下して、芥箱(ごみばこ)を覗(のぞ)きまわったりなどしてみせているが、もともと馬を斃すほどの猛獣である。いつなんどき、怒り狂い、その本性を暴露するか、わかったものではない。犬はかならず鎖に固くしばりつけておくべきである。少しの油断もあってはならぬ。世の多くの飼い主は、みずから恐ろしき猛獣を養い、これに日々わずかの残飯(ざんぱん)を与えているという理由だけにて、まったくこの猛獣に心をゆるし、エスやエスやなど、気楽に呼んで、さながら家族の一員のごとく身辺に近づかしめ、三歳のわが愛子をして、その猛獣の耳をぐいと引っぱらせて大笑いしている図にいたっては、戦慄(せんりつ)、眼を蓋(おお)わざるを得ないのである。不意に、わんといって喰いついたら、どうする気だろう。気をつけなければならぬ。飼い主でさえ、噛みつかれぬとは保証できがたい猛獣を、(飼い主だから、絶対に喰いつかれぬということは愚かな気のいい迷信にすぎない。あの恐ろしい牙のある以上、かならず噛む。けっして噛まないということは、科学的に証明できるはずはないのである)その猛獣を、放し飼いにして、往来をうろうろ徘徊(はいかい)させておくとは、どんなものであろうか。昨年の晩秋、私の友人が、ついにこれの被害を受けた。いたましい犠牲者である。友人の話によると、友人は何もせず横丁を懐手(ふところで)してぶらぶら歩いていると、犬が道路上にちゃんと坐っていた。友人は、やはり何もせず、その犬の傍を通った。犬はその時、いやな横目を使ったという。何事もなく通りすぎた、とたん、わんといって右の脚(あし)に喰いついたという。災難である。一瞬のことである。友人は、呆然自失(ぼうぜんじしつ)したという。ややあって、くやし涙が沸いて出た。さもありなん、と私は、やはり淋しく首肯している。そうなってしまったら、ほんとうに、どうしようも、ないではないか。友人は、痛む脚をひきずって病院へ行き手当を受けた。それから二十一日間、病院へ通ったのである。三週間である。脚の傷がなおっても、体内に恐水病といういまわしい病気の毒が、あるいは注入されてあるかもしれぬという懸念(けねん)から、その防毒の注射をしてもらわなければならぬのである。飼い主に談判するなど、その友人の弱気をもってしては、とてもできぬことである。じっと堪(こら)えて、おのれの不運に溜息(ためいき)ついているだけなのである。しかも、注射代などけっして安いものではなく、そのような余分の貯(たくわ)えは失礼ながら友人にあるはずもなく、いずれは苦しい算段をしたにちがいないので、とにかくこれは、ひどい災難である。大災難である。また、うっかり注射でも怠(おこた)ろうものなら、恐水病といって、発熱悩乱の苦しみあって、果ては貌(かお)が犬に似てきて、四つ這(ば)いになり、ただわんわんと吠ゆるばかりだという、そんな凄惨(せいさん)な病気になるかもしれないということなのである。注射を受けながらの、友人の憂慮、不安は、どんなだったろう。友人は苦労人で、ちゃんとできた人であるから、醜くとり乱すこともなく、三七、二十一日病院に通い、注射を受けて、いまは元気に立ち働いているが、もしこれが私だったら、その犬、生かしておかないだろう。私は、人の三倍も四倍も復讐心(ふくしゅうしん)の強い男なのであるから、また、そうなると人の五倍も六倍も残忍性を発揮してしまう男なのであるから、たちどころにその犬の頭蓋骨(ずがいこつ)を、めちゃめちゃに粉砕(ふんさい)し、眼玉をくり抜き、ぐしゃぐしゃに噛んで、べっと吐き捨て、それでも足りずに近所近辺の飼い犬ことごとく毒殺してしまうであろう。こちらが何もせぬのに、突然わんといって噛みつくとはなんという無礼、狂暴の仕草(しぐさ)であろう。いかに畜生といえども許しがたい。畜生ふびんのゆえをもって、人はこれを甘やかしているからいけないのだ。容赦(ようしゃ)なく酷刑(こっけい)に処すべきである。昨秋、友人の遭難を聞いて、私の畜犬に対する日ごろの憎悪は、その極点に達した。青い焔(ほのお)が燃え上るほどの、思いつめたる憎悪である。

 ことしの正月、山梨県、甲府(こうふ)のまちはずれに八畳、三畳、一畳という草庵(そうあん)を借り、こっそり隠れるように住みこみ、下手な小説あくせく書きすすめていたのであるが、この甲府のまち、どこへ行っても犬がいる。おびただしいのである。往来に、あるいは佇(たたず)み、あるいはながながと寝そべり、あるいは疾駆(しっく)し、あるいは牙を光らせて吠えたて、ちょっとした空地でもあるとかならずそこは野犬の巣のごとく、組んずほぐれつ格闘の稽古にふけり、夜など無人の街路を風のごとく、野盗のごとくぞろぞろ大群をなして縦横に駈け廻っている。甲府の家ごと、家ごと、少くとも二匹くらいずつ養っているのではないかと思われるほどに、おびただしい数である。山梨県は、もともと甲斐(かい)犬の産地として知られているようであるが、街頭で見かける犬の姿は、けっしてそんな純血種のものではない。赤いムク犬が最も多い。採るところなきあさはかな駄犬ばかりである。もとより私は畜犬に対しては含むところがあり、また友人の遭難以来いっそう嫌悪(けんお)の念を増し、警戒おさおさ怠るものではなかったのであるが、こんなに犬がうようよいて、どこの横丁にでも跳梁(ちょうりょう)し、あるいはとぐろを巻いて悠然と寝ているのでは、とても用心しきれるものでなかった。私はじつに苦心をした。できることなら、すね当(あて)、こて当、かぶとをかぶって街を歩きたく思ったのである。けれども、そのような姿は、いかにも異様であり、風紀上からいっても、けっして許されるものではないのだから、私は別の手段をとらなければならぬ。私は、まじめに、真剣に、対策を考えた。私はまず犬の心理を研究した。人間については、私もいささか心得があり、たまには的確に、あやまたず指定できたことなどもあったのであるが、犬の心理は、なかなかむずかしい。人の言葉が、犬と人との感情交流にどれだけ役立つものか、それが第一の難問である。言葉が役に立たぬとすれば、お互いの素振り、表情を読み取るよりほかにない。しっぽの動きなどは、重大である。けれども、この、しっぽの動きも、注意して見ているとなかなかに複雑で、容易に読みきれるものではない。私は、ほとんど絶望した。そうして、はなはだ拙劣(せつれつ)な、無能きわまる一法を案出した。あわれな窮余の一策である。私は、とにかく、犬に出逢うと、満面に微笑を湛(たた)えて、いささかも害心のないことを示すことにした。夜は、その微笑が見えないかもしれないから、無邪気に童謡を口ずさみ、やさしい人間であることを知らせようと努めた。これらは、多少、効果があったような気がする。犬は私には、いまだ飛びかかってこない。けれどもあくまで油断は禁物である。犬の傍を通る時は、どんなに恐ろしくても、絶対に走ってはならぬ。にこにこ卑しい追従笑(ついしょうわら)いを浮べて、無心そうに首を振り、ゆっくり、ゆっくり、内心、背中に毛虫が十匹這(は)っているような窒息(ちっそく)せんばかりの悪寒(おかん)にやられながらも、ゆっくりゆっくり通るのである。つくづく自身の卑屈がいやになる。泣きたいほどの自己嫌悪を覚えるのであるが、これを行わないと、たちまち噛みつかれるような気がして、私は、あらゆる犬にあわれな挨拶を試みる。髪をあまりに長く伸ばしていると、あるいはウロンの者として吠えられるかもしれないから、あれほどいやだった床屋へも精出してゆくことにした。ステッキなど持って歩くと、犬のほうで威嚇(いかく)の武器と勘(かん)ちがいして、反抗心を起すようなことがあってはならぬから、ステッキは永遠に廃棄(はいき)することにした。犬の心理を計りかねて、ただ行き当りばったり、むやみやたらに御機嫌とっているうちに、ここに意外の現象が現われた。私は、犬に好かれてしまったのである。尾を振って、ぞろぞろ後についてくる。私は、じだんだ踏んだ。じつに皮肉である。かねがね私の、こころよからず思い、また最近にいたっては憎悪の極点にまで達している、その当の畜犬に好かれるくらいならば、いっそ私は駱駝(らくだ)に慕われたいほどである。どんな悪女にでも、好かれて気持の悪いはずはない、というのはそれは浅薄(せんぱく)の想定である。プライドが、虫が、どうしてもそれを許容できない場合がある。堪忍(かんにん)ならぬのである。私は、犬をきらいなのである。早くからその狂暴の猛獣性を看破し、こころよからず思っているのである。たかだか日に一度や二度の残飯の投与にあずからんがために、友を売り、妻を離別し、おのれの身ひとつ、家の軒下に横たえ、忠義顔して、かつての友に吠え、兄弟、父母をも、けろりと忘却し、ただひたすらに飼主の顔色を伺い、阿諛(あゆ)追従(ついしょう)てんとして恥じず、ぶたれても、きゃんといい尻尾(しっぽ)まいて閉口してみせて、家人を笑わせ、その精神の卑劣、醜怪、犬畜生とはよくもいった。日に十里を楽々と走破しうる健脚を有し、獅子をも斃(たお)す白光鋭利の牙(きば)を持ちながら、懶惰(らんだ)無頼(ぶらい)の腐りはてたいやしい根性をはばからず発揮し、一片の矜持(きょうじ)なく、てもなく人間界に屈服し、隷属(れいぞく)し、同族互いに敵視して、顔つきあわせると吠えあい、噛みあい、もって人間の御機嫌をとり結ぼうと努めている。雀を見よ。何ひとつ武器を持たぬ繊弱の小禽(しょうきん)ながら、自由を確保し、人間界とはまったく別個の小社会を営み、同類相親しみ、欣然(きんぜん)日々の貧しい生活を歌い楽しんでいるではないか。思えば、思うほど、犬は不潔だ。犬はいやだ。なんだか自分に似ているところさえあるような気がして、いよいよ、いやだ。たまらないのである。その犬が、私を特に好んで、尾を振って親愛の情を表明してくるに及んでは、狼狽(ろうばい)とも、無念とも、なんとも、いいようがない。あまりに犬の猛獣性を畏敬し、買いかぶり節度もなく媚笑(びしょう)を撒(ま)きちらして歩いたゆえ、犬は、かえって知己を得たものと誤解し、私を組みしやすしとみてとって、このような情ない結果に立ちいたったのであろうが、何事によらず、ものには節度が大切である。私は、いまだに、どうも、節度を知らぬ。

 早春のこと。夕食の少しまえに、私はすぐ近くの四十九聯隊の練兵場へ散歩に出て、二、三の犬が私のあとについてきて、いまにも踵(かかと)をがぶりとやられはせぬかと生きた気もせず、けれども毎度のことであり、観念して無心平生を装い、ぱっと脱兎(だっと)のごとく逃げたい衝動を懸命に抑え、抑え、ぶらりぶらり歩いた。犬は私についてきながら、みちみちお互いに喧嘩などはじめて、私は、わざと振りかえって見もせず、知らぬふりして歩いているのだが、内心、じつに閉口であった。ピストルでもあったなら、躊躇(ちゅうちょ)せずドカンドカンと射殺してしまいたい気持であった。犬は、私にそのような、外面如菩薩(げめんにょぼさつ)、内心如夜叉(ないしんにょやしゃ)的の奸佞(かんねい)の害心があるとも知らず、どこまでもついてくる。練兵場をぐるりと一廻りして、私はやはり犬に慕われながら帰途についた。家へ帰りつくまでには、背後の犬もどこかへ雲散霧消(うんさんむしょう)しているのが、これまでの、しきたりであったのだが、その日に限って、ひどく執拗(しつよう)で馴(な)れ馴れしいのが一匹いた。真黒の、見るかげもない小犬である。ずいぶん小さい。胴の長さ五寸の感じである。けれども、小さいからといって油断はできない。歯は、すでにちゃんと生えそろっているはずである。噛まれたら病院に三、七、二十一日間通わなければならぬ。それにこのような幼少なものには常識がないから、したがって気まぐれである。いっそう用心をしなければならぬ。小犬は後になり、さきになり、私の顔を振り仰ぎ、よたよた走って、とうとう私の家の玄関まで、ついてきた。

「おい。へんなものが、ついてきたよ」

「おや、可愛い」

「可愛いもんか。追っ払ってくれ、手荒くすると喰いつくぜ、お菓子でもやって」

 れいの軟弱外交である。小犬は、たちまち私の内心畏怖の情を見抜き、それにつけこみ、ずうずうしくもそれから、ずるずる私の家に住みこんでしまった。そうしてこの犬は、三月、四月、五月、六、七、八、そろそろ秋風吹きはじめてきた現在にいたるまで、私の家にいるのである。私は、この犬には、幾度泣かされたかわからない。どうにも始末ができないのである。私はしかたなく、この犬を、ポチなどと呼んでいるのであるが、半年もともに住んでいながら、いまだに私は、このポチを、一家のものとは思えない。他人の気がするのである。しっくりゆかない。不和である。お互い心理の読みあいに火花を散らして戦っている。そうしてお互い、どうしても釈然(しゃくぜん)と笑いあうことができないのである。

 はじめこの家にやってきたころは、まだ子供で、地べたの蟻(あり)を不審そうに観察したり、蝦蟇(がま)を恐れて悲鳴を挙げたり、その様には私も思わず失笑することがあって、憎いやつであるが、これも神様の御心によってこの家へ迷いこんでくることになったのかもしれぬと、縁の下に寝床を作ってやったし、食い物も乳幼児むきに軟らかく煮て与えてやったし、蚤取粉(のみとりこ)などからだに振りかけてやったものだ。けれども、ひとつき経つと、もういけない。そろそろ駄犬の本領を発揮してきた。いやしい。もともと、この犬は練兵場の隅に捨てられてあったものにちがいない。私のあの散歩の帰途、私にまつわりつくようにしてついてきて、その時は、見るかげもなく痩(や)せこけて、毛も抜けていてお尻の部分は、ほとんど全部禿(は)げていた。私だからこそ、これに菓子を与え、おかゆを作り、荒い言葉一つかけるではなし、腫(は)れものにさわるように鄭重(ていちょう)にもてなしてあげたのだ。ほかの人だったら、足蹴(あしげ)にして追い散らしてしまったにちがいない。私のそんな親切なもてなしも、内実は、犬に対する愛情からではなく、犬に対する先天的な憎悪と恐怖から発した老獪(ろうかい)な駈け引きにすぎないのであるが、けれども私のおかげで、このポチは、毛並もととのい、どうやら一人まえの男の犬に成長することを得たのではないか。私は恩を売る気はもうとうないけれども、少しは私たちにも何か楽しみを与えてくれてもよさそうに思われるのであるが、やはり捨犬はだめなものである。大めし食って、食後の運動のつもりであろうか、下駄をおもちゃにして無残に噛み破り、庭に干してある洗濯物を要(い)らぬ世話して引きずりおろし、泥まみれにする。

「こういう冗談はしないでおくれ。じつに、困るのだ。誰が君に、こんなことをしてくれとたのみましたか?」

と、私は、内に針を含んだ言葉を、精いっぱい優しく、いや味をきかせて言ってやることもあるのだが、犬は、きょろりと眼を動かし、いや味を言い聞かせている当の私にじゃれかかる。なんという甘ったれた精神であろう。私はこの犬の鉄面皮(てつめんぴ)には、ひそかに呆(あき)れ、これを軽蔑さえしたのである。長ずるに及んで、いよいよこの犬の無能が暴露された。だいいち、形がよくない。幼少のころには、も少し形の均斉もとれていて、あるいは優れた血が雑(まじ)っているのかもしれぬと思わせるところあったのであるが、それは真赤ないつわりであった。胴だけが、にょきにょき長く伸びて、手足がいちじるしく短い。亀のようである。見られたものでなかった。そのような醜い形をして、私が外出すればかならず影のごとくちゃんと私につき従い、少年少女までが、やあ、へんてこな犬じゃと指さして笑うこともあり、多少見栄坊(みえぼう)の私は、いくらすまして歩いても、なんにもならなくなるのである。いっそ他人のふりをしようと早足に歩いてみても、ポチは私の傍を離れず、私の顔を振り仰ぎ振り仰ぎ、あとになり、さきになり、からみつくようにしてついてくるのだから、どうしたって二人は他人のようには見えまい。気心の合った主従としか見えまい。おかげで私は外出のたびごとに、ずいぶん暗い憂欝な気持にさせられた。いい修行になったのである。ただ、そうして、ついて歩いていたころは、まだよかった。そのうちにいよいよ隠してあった猛獣の本性を暴露してきた。喧嘩格闘を好むようになったのである。私のお伴をして、まちを歩いて行きあう犬、行きあう犬、すべてに挨拶して通るのである。つまりかたっぱしから喧嘩して通るのである。ポチは足も短く、若年でありながら、喧嘩は相当強いようである。空地の犬の巣に踏みこんで、一時に五匹の犬を相手に戦ったときはさすがに危く見えたが、それでも巧みに身をかわして難を避けた。非常な自信をもって、どんな犬にでも飛びかかってゆく。たまには勢負(いきおいま)けして、吠えながらじりじり退却することもある。声が悲鳴に近くなり、真黒い顔が蒼(あお)黒くなってくる。いちど小牛のようなシェパアドに飛びかかっていって、あのときは、私が蒼くなった。はたして、ひとたまりもなかった。前足でころころポチをおもちゃにして、本気につきあってくれなかったのでポチも命が助かった。犬は、いちどあんなひどいめに逢うと、大へん意気地がなくなるものらしい。ポチは、それからは眼に見えて、喧嘩を避けるようになった。それに私は、喧嘩を好まず、否、好まぬどころではない、往来で野獣の組打ちを放置し許容しているなどは、文明国の恥辱と信じているので、かの耳を聾(ろう)せんばかりのけんけんごうごう、きゃんきゃんの犬の野蛮(やばん)のわめき声には、殺してもなおあき足らない憤怒と憎悪を感じているのである。私はポチを愛してはいない。恐れ、憎んでこそいるが、みじんも愛しては、いない。死んでくれたらいいと思っている。私にのこのこついてきて、何かそれが飼われているものの義務とでも思っているのか、途で逢う犬、逢う犬、かならず凄惨(せいさん)に吠えあって、主人としての私は、そのときどんなに恐怖にわななき震えていることか。自動車呼びとめて、それに乗ってドアをばたんと閉じ、一目散に逃げ去りたい気持なのである。犬同士の組打ちで終るべきものなら、まだしも、もし敵の犬が血迷って、ポチの主人の私に飛びかかってくるようなことがあったら、どうする。ないとは言わせぬ。血に飢えたる猛獣である。何をするか、わかったものでない。私はむごたらしく噛み裂かれ、三、七、二十一日間病院に通わなければならぬ。犬の喧嘩は、地獄である。私は、機会あるごとにポチに言い聞かせた。

「喧嘩しては、いけないよ。喧嘩するなら、僕からはるか離れたところで、してもらいたい。僕は、おまえを好いてはいないんだ」

 少し、ポチにもわかるらしいのである。そう言われると多少しょげる。いよいよ私は犬を、薄気味わるいものに思った。その私の繰り返し繰り返し言った忠告が効を奏したのか、あるいは、かのシェパアドとの一戦にぶざまな惨敗(ざんぱい)を喫(きっ)したせいか、ポチは、卑屈なほど柔弱(にゅうじゃく)な態度をとりはじめた。私といっしょに路を歩いて、他の犬がポチに吠えかけると、ポチは、

「ああ、いやだ、いやだ。野蛮ですねえ」

 と言わんばかり、ひたすら私の気に入られようと上品ぶって、ぶるっと胴震いさせたり、相手の犬を、しかたのないやつだね、とさもさも憐れむように流し目で見て、そうして、私の顔色を伺い、へっへっへっと卑しい追従(ついしょう)笑いするかのごとく、その様子のいやらしいったらなかった。

「一つも、いいところないじゃないか、こいつは。ひとの顔色ばかり伺っていやがる」

「あなたが、あまり、へんにかまうからですよ」家内は、はじめからポチに無関心であった。洗濯物など汚されたときはぶつぶつ言うが、あとはけろりとして、ポチポチと呼んで、めしを食わせたりなどしている。「性格が破産しちゃったんじゃないかしら」と笑っている。

「飼い主に、似てきたというわけかね」私は、いよいよ、にがにがしく思った。

 七月にはいって、異変が起った。私たちは、やっと、東京の三鷹村(みたかむら)に、建築最中の小さい家を見つけることができて、それの完成ししだい、一か月二十四円で貸してもらえるように、家主と契約の証書交して、そろそろ移転の仕度をはじめた。家ができ上ると、家主から速達で通知が来ることになっていたのである。ポチは、もちろん、捨ててゆかれることになっていたのである。

「連れていったって、いいのに」家内は、やはりポチをあまり問題にしていない。どちらでもいいのである。

「だめだ。僕は、可愛いから養っているんじゃないんだよ。犬に復讐されるのが、こわいから、しかたなくそっとしておいてやっているのだ。わからんかね」

「でも、ちょっとポチが見えなくなると、ポチはどこへ行ったろう、どこへ行ったろう、と大騒ぎじゃないの」

「いなくなると、いっそう薄気味が悪いからさ、僕に隠れて、ひそかに同志を糾合(きゅうごう)しているのかもわからない。あいつは、僕に軽蔑されていることを知っているんだ。復讐心が強いそうだからなあ、犬は」

 いまこそ絶好の機会であると思っていた。この犬をこのまま忘れたふりして、ここへ置いて、さっさと汽車に乗って東京へ行ってしまえば、まさか犬も、笹子峠(ささごとうげ)を越えて三鷹村まで追いかけてくることはなかろう。私たちは、ポチを捨てたのではない。まったくうっかりして連れてゆくことを忘れたのである。罪にはならない。またポチに恨まれる筋合もない。復讐されるわけはない。

「だいじょうぶだろうね。置いていっても、飢え死するようなことはないだろうね。死霊の祟(たた)りということもあるからね」

「もともと、捨犬だったんですもの」家内も、少し不安になった様子である。

「そうだね。飢え死することはないだろう。なんとか、うまくやってゆくだろう。あんな犬、東京へ連れていったんじゃ、僕は友人に対して恥ずかしいんだ。胴が長すぎる。みっともないねえ」

 ポチは、やはり置いてゆかれることに、確定した。すると、ここに異変が起った。ポチが、皮膚病にやられちゃった。これが、またひどいのである。さすがに形容をはばかるが、惨状(さんじょう)、眼をそむけしむるものがあったのである。おりからの炎熱とともに、ただならぬ悪臭を放つようになった。こんどは家内が、まいってしまった。

「ご近所にわるいわ。殺してください」女は、こうなると男よりも冷酷で、度胸がいい。

「殺すのか」私は、ぎょっとした。「もう少しの我慢じゃないか」

 私たちは、三鷹の家主からの速達を一心に待っていた。七月末には、できるでしょうという家主の言葉であったのだが、七月もそろそろおしまいになりかけて、きょうか明日かと、引越しの荷物もまとめてしまって待機していたのであったが、なかなか、通知が来ないのである。問いあわせの手紙を出したりなどしている時に、ポチの皮膚病がはじまったのである。見れば、見るほど、酸鼻(さんび)の極である。ポチも、いまはさすがに、おのれの醜い姿を恥じている様子で、とかく暗闇の場所を好むようになり、たまに玄関の日当りのいい敷石の上で、ぐったり寝そべっていることがあっても、私が、それを見つけて、

「わあ、ひでえなあ」と罵倒(ばとう)すると、いそいで立ち上って首を垂れ、閉口したようにこそこそ縁の下にもぐりこんでしまうのである。

 それでも私が外出するときには、どこからともなく足音忍ばせて出てきて、私についてこようとする。こんな化け物みたいなものに、ついてこられて、たまるものか、とその都度、私は、だまってポチを見つめてやる。あざけりの笑いを口角にまざまざと浮べて、なんぼでも、ポチを見つめてやる。これは大へんききめがあった。ポチは、おのれの醜い姿にハッと思い当る様子で、首を垂れ、しおしおどこかへ姿を隠す。

「とっても、我慢ができないの。私まで、むず痒(がゆ)くなって」家内は、ときどき私に相談する。「なるべく見ないように努めているんだけれど、いちど見ちゃったら、もうだめね。夢の中にまで出てくるんだもの」

「まあ、もうすこしの我慢だ」がまんするよりほかはないと思った。たとえ病んでいるとはいっても、相手は一種の猛獣である。下手に触ったら噛みつかれる。「明日にでも、三鷹から、返事が来るだろう、引越してしまったら、それっきりじゃないか」

 三鷹の家主から返事が来た。読んで、がっかりした。雨が降りつづいて壁が乾かず、また人手も不足で完成までには、もう十日くらいかかる見こみ、というのであった。うんざりした。ポチから逃(のが)れるためだけでも、早く、引越してしまいたかったのだ。私は、へんな焦躁感で、仕事も手につかず、雑誌を読んだり、酒を呑んだりした。ポチの皮膚病は一日一日ひどくなっていって、私の皮膚も、なんだか、しきりに痒くなってきた。深夜、戸外でポチが、ばたばたばた痒さに身悶えしている物音に、幾度ぞっとさせられたかわからない。たまらない気がした。いっそひと思いにと、狂暴な発作に駆(か)られることも、しばしばあった。家主からは、さらに二十日待て、と手紙が来て、私のごちゃごちゃの忿懣(ふんまん)が、たちまち手近のポチに結びついて、こいつあるがために、このように諸事円滑(えんかつ)にすすまないのだ、と何もかも悪いことは皆、ポチのせいみたいに考えられ、奇妙にポチを呪咀(じゅそ)し、ある夜、私の寝巻に犬の蚤(のみ)が伝播(でんぱ)されてあることを発見するに及んで、ついにそれまで堪えに堪えてきた怒りが爆発し、私はひそかに重大の決意をした。

 殺そうと思ったのである。相手は恐るべき猛獣である。常の私だったら、こんな乱暴な決意は、逆立ちしたってなしえなかったところのものなのであったが、盆地特有の酷暑(こくしょ)で、少しへんになっていた矢先であったし、また、毎日、何もせず、ただぽかんと家主からの速達を待っていて、死ぬほど退屈な日々を送って、むしゃくしゃいらいら、おまけに不眠も手伝って発狂状態であったのだから、たまらない。その犬の蚤を発見した夜、ただちに家内をして牛肉の大片を買いに走らせ、私は、薬屋に行きある種の薬品を少量、買い求めた。これで用意はできた。家内は少なからず興奮していた。私たち鬼夫婦は、その夜、鳩首(きゅうしゅ)して小声で相談した。

 翌(あく)る朝、四時に私は起きた。目覚時計を掛けておいたのであるが、それの鳴りださぬうちに、眼が覚めてしまった。しらじらと明けていた。肌寒いほどであった。私は竹の皮包をさげて外へ出た。

「おしまいまで見ていないですぐお帰りになるといいわ」家内は玄関の式台に立って見送り、落ち着いていた。

「心得ている。ポチ、来い!」

 ポチは尾を振って縁の下から出てきた。

「来い、来い!」私は、さっさと歩きだした。きょうは、あんな、意地悪くポチの姿を見つめるようなことはしないので、ポチも自身の醜さを忘れて、いそいそ私についてきた。霧が深い。まちはひっそり眠っている。私は、練兵場へいそいだ。途中、おそろしく大きい赤毛の犬が、ポチに向って猛烈に吠えたてた。ポチは、れいによって上品ぶった態度を示し、何を騒いでいるのかね、とでも言いたげな蔑視(べっし)をちらとその赤毛の犬にくれただけで、さっさとその面前を通過した。赤毛は、卑劣(ひれつ)である。無法にもポチの背後から、風のごとく襲いかかり、ポチの寒しげな睾丸(こうがん)をねらった。ポチは、咄嗟(とっさ)にくるりと向きなおったが、ちょっと躊躇(ちゅうちょ)し、私の顔色をそっと伺った。

「やれ!」私は大声で命令した。「赤毛は卑怯だ! 思う存分やれ!」

 ゆるしが出たのでポチは、ぶるんと一つ大きく胴震いして、弾丸のごとく赤犬のふところに飛びこんだ。たちまち、けんけんごうごう、二匹は一つの手毬(てまり)みたいになって、格闘した。赤毛は、ポチの倍ほども大きい図体(ずうたい)をしていたが、だめであった。ほどなく、きゃんきゃん悲鳴を挙げて敗退した。おまけにポチの皮膚病までうつされたかもわからない。ばかなやつだ。

 喧嘩が終って、私は、ほっとした。文字どおり手に汗して眺めていたのである。一時は二匹の犬の格闘に巻きこまれて、私もともに死ぬるような気さえしていた。おれは噛み殺されたっていいんだ。ポチよ、思う存分、喧嘩をしろ! と異様に力んでいたのであった。ポチは、逃げてゆく赤毛を少し追いかけ、立ちどまって、私の顔色をちらと伺い、きゅうにしょげて、首を垂れすごすご私のほうへ引返してきた。

「よし! 強いぞ」ほめてやって私は歩きだし、橋をかたかた渡って、ここはもう練兵場である。

 むかしポチは、この練兵場に捨てられた。だからいま、また、この練兵場へ帰ってきたのだ。おまえのふるさとで死ぬがよい。

 私は立ちどまり、ぼとりと牛肉の大片を私の足もとへ落として、

「ポチ、食え」私はポチを見たくなかった。ぼんやりそこに立ったまま、「ポチ、食え」足もとで、ぺちゃぺちゃ食べている音がする。一分たたぬうちに死ぬはずだ。

 私は猫背(ねこぜ)になって、のろのろ歩いた。霧が深い。ほんのちかくの山が、ぼんやり黒く見えるだけだ。南アルプス連峰も、富士山も、何も見えない。朝露で、下駄がびしょぬれである。私はいっそうひどい猫背になって、のろのろ帰途についた。橋を渡り、中学校のまえまで来て、振り向くとポチが、ちゃんといた。面目なげに、首を垂れ、私の視線をそっとそらした。

 私も、もう大人である。いたずらな感傷はなかった。すぐ事態を察知した。薬品が効かなかったのだ。うなずいて、もうすでに私は、白紙還元である。家へ帰って、

「だめだよ。薬が効かないのだ。ゆるしてやろうよ。あいつには、罪がなかったんだぜ。芸術家は、もともと弱い者の味方だったはずなんだ」私は、途中で考えてきたことをそのまま言ってみた。「弱者の友なんだ。芸術家にとって、これが出発で、また最高の目的なんだ。こんな単純なこと、僕は忘れていた。僕だけじゃない。みんなが、忘れているんだ。僕は、ポチを東京へ連れてゆこうと思うよ。友がもしポチの恰好(かっこう)を笑ったら、ぶん殴(なぐ)ってやる。卵あるかい?」

「ええ」家内は、浮かぬ顔をしていた。

「ポチにやれ、二つあるなら、二つやれ。おまえも我慢しろ。皮膚病なんてのは、すぐなおるよ」

「ええ」家内は、やはり浮かぬ顔をしていた。


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Posted by 문학관 관리인 위어조자(謂語助者)

사랑과 미(美)에 대하여(愛と美について)

다자이 오사무(太宰 治) (1939)

일본어 원문


 兄妹、五人あって、みんなロマンスが好きだった。長男は二十九歳。法学士である。ひとに接するとき、少し尊大ぶる悪癖があるけれども、これは彼自身の弱さを庇(かば)う鬼の面(めん)であって、まことは弱く、とても優しい。弟妹たちと映画を見にいって、これは駄作だ、愚劣だと言いながら、その映画のさむらいの義理人情にまいって、まず、まっさきに泣いてしまうのは、いつも、この長兄である。それにきまっていた。映画館を出てからは、急に尊大に、むっと不気嫌になって、みちみち一言も口をきかない。生れて、いまだ一度も嘘言(うそ)というものをついたことがないと、躊躇(ちゅうちょ)せず公言している。それは、どうかと思われるけれど、しかし、剛直、潔白の一面は、たしかに具有していた。学校の成績は、あまりよくなかった。卒業後は、どこへも勤めず、固く一家を守っている。イプセンを研究している。このごろ人形の家をまた読み返し、重大な発見をして、頗(すこぶ)る興奮した。ノラが、あのとき恋をしていた。お医者のランクに恋をしていたのだ。それを発見した。弟妹たちを呼び集めて、そのところを指摘し、大声叱咤(しった)、説明に努力したが、徒労であった。弟妹たちは、どうだか、と首をかしげて、にやにや笑っているだけで、一向に興奮の色を示さぬ。いったいに、弟妹たちは、この兄を甘く見ている。なめている風(ふう)がある。長女は、二十六歳。いまだ嫁がず、鉄道省に通勤している。フランス語が、かなりよくできた。脊丈(せたけ)が、五尺三寸あった。すごく、痩(や)せている。弟妹たちに、馬、と呼ばれることがある。髪を短く切って、ロイド眼鏡をかけている。心が派手で、誰とでもすぐ友達になり、一生懸命に奉仕して、捨てられる。それが、趣味である。憂愁、寂寥(せきりょう)の感を、ひそかに楽しむのである。けれどもいちど、同じ課に勤務している若い官吏に夢中になり、そうして、やはり捨てられたときには、そのときだけは、流石(さすが)に、しんからげっそりして、間(ま)の悪さもあり、肺が悪くなったと嘘をついて、一週間も寝て、それから頸(くび)に繃帯(ほうたい)を巻いて、やたらに咳(せき)をしながら、お医者に見せに行ったら、レントゲンで精細にしらべられ、稀(まれ)に見る頑強の肺臓であるといって医者にほめられた。文学鑑賞は、本格的であった。実によく読む。洋の東西を問わない。ちから余って自分でも何やら、こっそり書いている。それは本箱の右の引き出しに隠して在る。逝去(せいきょ)二年後に発表のこと、と書き認(したた)められた紙片が、その蓄積された作品の上に、きちんと載せられているのである。二年後が、十年後と書き改められたり、二カ月後と書き直されたり、ときには、百年後、となっていたりするのである。次男は、二十四歳。これは、俗物であった。帝大の医学部に在籍。けれども、あまり学校へは行かなかった。からだが弱いのである。これは、ほんものの病人である。おどろくほど、美しい顔をしていた。吝嗇(りんしょく)である。長兄が、ひとにだまされて、モンテエニュの使ったラケットと称する、へんてつもない古ぼけたラケットを五十円に値切って買って来て、得々(とくとく)としていたときなど、次男は、陰でひとり、余りの痛憤に、大熱を発した。その熱のために、とうとう腎臓(じんぞう)をわるくした。ひとを、どんなひとをも、蔑視(べっし)したがる傾向が在る。ひとが何かいうと、けッという奇怪な、からす天狗(てんぐ)の笑い声に似た不愉快きわまる笑い声を、はばからず発するのである。ゲエテ一点張りである。これとても、ゲエテの素朴な詩精神に敬服しているのではなく、ゲエテの高位高官に傾倒しているらしい、ふしが、無いでもない。あやしいものである。けれども、兄妹みんなで、即興の詩など、競作する場合には、いつでも一ばんである。できている。俗物だけに、謂(い)わば情熱の客観的把握(はあく)が、はっきりしている。自身その気で精進すれば、あるいは一流作家になれるかも知れない。この家の、足のわるい十七の女中に、死ぬほど好かれている。次女は、二十一歳。ナルシッサスである。ある新聞社が、ミス・日本を募っていたとき、あのときには、よほど自己推薦しようかと、三夜身悶(みもだ)えした。大声あげて、わめき散らしたかった。けれども、三夜の身悶えの果、自分の身長が足りないことに気がつき、断念した。兄妹のうちで、ひとり目立って小さかった。四尺七寸である。けれども、決して、みっともないものではなかった。なかなかである。深夜、裸形で鏡に向い、にっと可愛く微笑してみたり、ふっくらした白い両足を、ヘチマコロンで洗って、その指先にそっと自身で接吻して、うっとり眼をつぶってみたり、いちど、鼻の先に、針で突いたような小さい吹出物して、憂鬱のあまり、自殺を計ったことがある。読書の撰定に特色がある。明治初年の、佳人之奇遇、経国美談などを、古本屋から捜して来て、ひとりで、くすくす笑いながら読んでいる。黒岩涙香(るいこう)、森田思軒(しけん)などの、飜訳物をも、好んで読む。どこから手に入れて来るのか、名の知れぬ同人雑誌をたくさん集めて、面白いなあ、うまいなあ、と真顔で呟(つぶや)きながら、端から端まで、たんねんに読破している。ほんとうは、鏡花をひそかに、最も愛読していた。末弟は、十八歳である。ことし一高の、理科甲類に入学したばかりである。高等学校へはいってから、かれの態度が俄然(がぜん)かわった。兄たち、姉たちには、それが可笑(おか)しくてならない。けれども末弟は、大まじめである。家庭内のどんなささやかな紛争にでも、必ず末弟は、ぬっと顔を出し、たのまれもせぬのに思案深げに審判を下して、これには、母をはじめ一家中、閉口している。いきおい末弟は、一家中から敬遠の形である。末弟には、それが不満でならない。長女は、かれのぶっとふくれた不気嫌の顔を見かねて、ひとりでは大人(おとな)になった気でいても、誰も大人と見ぬぞかなしき、という和歌を一首つくって末弟に与え、かれの在野遺賢の無聊(ぶりょう)をなぐさめてやった。顔が熊の子のようで、愛くるしいので、きょうだいたちが、何かとかれにかまいすぎて、それがために、かれは多少おっちょこちょいのところがある。探偵小説を好む。ときどきひとり部屋の中で、変装してみたりなどしている。語学の勉強と称して、和文対訳のドイルのものを買って来て、和文のところばかり読んでいる。きょうだい中で、母のことを心配しているのは自分だけだと、ひそかに悲壮の感に打たれている。

 父は、五年まえに死んでいる。けれども、くらしの不安はない。要するに、いい家庭だ。ときどき皆、一様におそろしく退屈することがあるので、これには閉口である。きょうは、曇天、日曜である。セルの季節で、この陰鬱の梅雨が過ぎると、夏がやって来るのである。みんな客間に集って、母は、林檎(りんご)の果汁をこしらえて、五人の子供に飲ませている。末弟ひとり、特別に大きいコップで飲んでいる。

 退屈したときには、皆で、物語の連作をはじめるのが、この家のならわしである。たまには母も、そのお仲間入りすることがある。

「何か、無いかねえ。」長兄は、尊大に、あたりを見まわす。「きょうは、ちょっと、ふうがわりの主人公を出してみたいのだが。」

「老人がいいな。」次女は、卓の上に頬杖(ほおづえ)ついて、それも人さし指一本で片頬を支えているという、どうにも気障(きざ)な形で、「ゆうべ私は、つくづく考えてみたのだけれど、」なに、たったいま、ふと思いついただけのことなのである。「人間のうちで、一ばんロマンチックな種属は老人である、ということがわかったの。老婆は、だめ。おじいさんで無くちゃ、だめ。おじいさんが、こう、縁側にじっとして坐っていると、もう、それだけで、ロマンチックじゃないの。素晴らしいわ。」

「老人か。」長兄は、ちょっと考える振りをして、「よし、それにしよう。なるべく、甘い愛情ゆたかな、綺麗(きれい)な物語がいいな。こないだのガリヴァ後日物語は、少し陰惨すぎた。僕は、このごろまた、ブランドを読み返しているのだが、どうも肩が凝る。むずかしすぎる。」率直に白状してしまった。

「僕にやらせて下さい。僕に、」ろくろく考えもせず、すぐに大声あげて名乗り出たのは末弟である。がぶがぶ大コップの果汁を飲んで、やおら御意見開陳。「僕は、僕は、こう思いますねえ。」いやに、老成ぶった口調だったので、みんな苦笑した。次兄も、れいのけッという怪しい笑声を発した。末弟は、ぶうっとふくれて、

「僕は、そのおじいさんは、きっと大数学者じゃないか、と思うのです。きっと、そうだ。偉い数学者なんだ。もちろん博士さ。世界的なんだ。いまは、数学が急激に、どんどん変っているときなんだ。過渡期が、はじまっている。世界大戦の終りごろ、一九二〇年ごろから今日まで、約十年の間にそれは、起りつつある。」きのう学校で聞いて来たばかりの講義をそのまま口真似してはじめるのだから、たまったものでない。「数学の歴史も、振りかえって見れば、いろいろ時代と共に変遷して来たことは確かです。まず、最初の段階は、微積分学の発見時代に相当する。それからがギリシャ伝来の数学に対する広い意味の近代的数学であります。こうして新しい領分が開けたわけですから、その開けた直後は高まるというよりも寧(むし)ろ広まる時代、拡張の時代です。それが十八世紀の数学であります。十九世紀に移るあたりに、矢張りかかる階段があります。すなわち、この時も急激に変った時代です。一人の代表者を選ぶならば、例えば Gauss. g、a、u、ssです。急激に、どんどん変化している時代を過渡期というならば、現代などは、まさに大過渡期であります。」てんで、物語にもなんにもなってやしない。それでも末弟は、得意である。調子が出て来た、と内心ほくほくしている。「やたらに煩瑣(はんさ)で、そうして定理ばかり氾濫(はんらん)して、いままでの数学は、完全に行きづまっている。一つの暗記物に堕してしまった。このとき、数学の自由性を叫んで敢然立ったのは、いまのその、おじいさんの博士であります。えらいやつなんだ。もし探偵にでもなったら、どんな奇怪な難事件でも、ちょっと現場を一まわりして、たちまちぽんと、解決してしまうにちがいない。そんな頭のいい、おじいさんなのだ。とにかく、Cantor の言うたように、」また、はじまった。「数学の本質は、その自由性に在る。たしかに、そうだ。自由性とは、Freiheit の訳です。日本語では、自由という言葉は、はじめ政治的の意味に使われたのだそうですから、Freiheit の本来の意味と、しっくり合わないかも知れない。Freiheit とは、とらわれない、拘束されない、素朴のものを指していうのです。frei でない例は、卑近な所に沢山あるが、多すぎてかえって挙げにくい。たとえば、僕のうちの電話番号はご存じの通り4823ですが、この三桁(けた)と四桁(けた)の間に、コンマをいれて、4,823と書いている。巴里(パリ)のように48 | 23とすれば、まだしも少しわかりよいのに、何でもかでも三桁(けた)おきにコンマを附けなければならぬ、というのは、これはすでに一つの囚(とらわ)れであります。老博士はこのようなすべての陋習(ろうしゅう)を打破しようと、努めているのであります。えらいものだ。真なるもののみが愛すべきものである、とポアンカレが言っている。然り。真なるものを、簡潔に、直接とらえ来ったならば、それでよい。それに越したことがない。」もう、物語も何もあったものでない。きょうだいたちも、流石に顔を見合せて、閉口している。末弟は、更にがくがくの論を続ける。「空論をお話して一向とりとめがないけれど、それは恐縮でありますが、丁度このごろ解析概論をやっているので、ちょっと覚えているのですが、一つの例として級数についてお話したい。二重もしくは、二重以上の無限級数の定義には、二種類あるのではないか、と思われる。画を書いてお目にかけると、よくわかるのですが、謂わば、フランス式とドイツ式と二つある。結果は同じ様なことになるのだが、フランス式のほうは、すべての人に納得の行くように、いかにも合理的な立場である。けれども、いまの解析の本すべてが、不思議に、言い合せたように、平気でドイツ式一方である。伝統というものは、何か宗教心をさえ起させるらしい。数学界にも、そろそろこの宗教心がはいりこんで来ている。これは、絶対に排撃しなければならない。老博士は、この伝統の打破に立ったわけであります。」意気いよいよあがった。みんなは、一向に面白くない。末弟ひとり、まさにその老博士の如くふるいたって、さらにがくがくの論をつづける。

「このごろでは、解析学の始めに集合論を述べる習慣があります。これについても、不審があります。たとえば、絶対収斂(しゅうれん)の場合、昔は順序に無関係に和が定るという意味に用いられていました。それに対して条件的という語がある。今では、絶対値の級数が収斂する意味に使うのです。級数が収斂し、絶対値の級数が収斂しないときには項の順序をかえて、任意の limit に tend させることができるということから、絶対値の級数が収斂しなければならぬということになるから、それでいいわけだ。」少し、あやしくなって来た。心細い。ああ、僕の部屋の机の上に、高木先生の、あの本が載せてあるんだがなあ、と思っても、いまさら、それを取りに行って来るわけにもゆくまい。あの本には、なんでも皆、書かれて在るんだけれど、いまは泣きたくなって、舌もつれ、胴ふるえて、悲鳴に似たかん高い声を挙げ、

「要するに。」きょうだいたちは、みな一様にうつむいて、くすと笑った。

「要するに、」こんどは、ほとんど泣き声である。「伝統、ということになりますると、よほどのあやまちも、気がつかずに見逃してしまうが、問題は、微細なところに沢山あるのです。もっと自由な立場で、極く初等的な万人むきの解析概論の出ることを、切に、希望している次第であります。」めちゃめちゃである。これで末弟の物語は、終ったのである。

 座が少し白けたほどである。どうにも、話の、つぎほが無かった。皆、まじめになってしまった。長女は、思いやりの深い子であるから、末弟のこの失敗を救済すべく、噴き出したいのを我慢して、気を押し沈め、しずかに語った。

「ただいまお話ございましたように、その老博士は、たいへん高邁(こうまい)のお志を持って居られます。高邁のお志には、いつも逆境がつきまといます。これは、もう、絶対に正確の定理のようでございます。老博士も、やはり世に容れられず、奇人よ、変人よ、と近所のひとたちに言われて、ときどきは、流石に侘(わ)びしく、今夜もひとり、ステッキ持って新宿へ散歩に出ました。夏のころの、これは、お話でございます。新宿は、たいへんな人出(ひとで)でございます。博士は、よれよれの浴衣に、帯を胸高(むなだか)にしめ、そうして帯の結び目を長くうしろに、垂れさげて、まるで鼠の尻尾(しっぽ)のよう、いかにもお気の毒の風采(ふうさい)でございます。それに博士は、ひどい汗かきなのに、今夜は、ハンカチを忘れて出て来たので、いっそう惨めなことになりました。はじめは掌(てのひら)で、お顔の汗を拭い払って居りましたが、とてもそんなことで間に合うような汗ではございませぬ。それこそ、まるで滝のよう、額から流れ落ちる汗は、一方は鼻筋を伝い、一方はこめかみを伝い、ざあざあ顔中を洗いつくして、そうしてみんな顎(あご)を伝って胸に滑り込み、その気持のわるさったら、ちょうど油壺(あぶらつぼ)一ぱいの椿油(つばきあぶら)を頭からどろどろ浴びせかけられる思いで、老博士も、これには参ってしまいました。とうとう浴衣の袖で、素早く顔の汗を拭い、また少し歩いては、人に見つからぬよう、さっと袖で拭い拭いしているうちに、もう、その両袖ながら、夕立に打たれたように、びしょ濡れになってしまいました。博士は、もともと無頓着(むとんじゃく)なお方でございましたけれども、このおびただしい汗には困惑しちゃいまして、ついに一軒のビヤホールに逃げ込むことに致しました。ビヤホールにはいって、扇風器のなまぬるい風に吹かれていたら、それでも少し、汗が収りました。ビヤホールのラジオは、そのとき、大声で時局講話をやっていました。ふと、その声に耳をすまして考えてみると、どうも、これは聞き覚えのある声でございます。あいつでは無いかな? と思っていたら、果して、その講話のおわりにアナウンサアが、その、あいつの名前を、閣下という尊称を附して報告いたしました。老博士は、耳を洗いすすぎたい気持になりました。その、あいつというのは、博士と高等学校、大学、ともにともに、机を並べて勉強して来た男なのですが、何かにつけて要領よく、いまは文部省の、立派な地位にいて、ときどき博士も、その、あいつと、同窓会などで顔を合せることがございまして、そのたびごとに、あいつは、博士を無用に嘲弄(ちょうろう)するのでございます。気のきかない、げびた、ちっともなっていない陳腐な駄洒落(だじゃれ)を連発して、取り巻きのものもまた、可笑しくもないのに、手を拍(う)たんばかりに、そのあいつの一言一言に笑い興じて、いちどは博士も、席を蹴(け)って憤然と立ちあがりましたが、そのとき、卓上から床にころげ落ちて在った一箇の蜜柑(みかん)をぐしゃと踏みつぶして、おどろきの余り、ひッという貧乏くさい悲鳴を挙げたので、満座抱腹絶倒して、博士のせっかくの正義の怒りも、悲しい結果になりました。けれども、博士は、あきらめません。いつかは、あいつを、ぶんなぐるつもりで居ります。そいつの、いやな、だみ声を、たったいまラジオで聞いて、博士は、不愉快でたまりませぬ。ビイルを、がぶ、がぶ、飲みました。もともと博士は、お酒には、あまり強いほうでは、ございません。たちまち酩酊(めいてい)いたしました。辻占売(つじうらうり)の女の子が、ビヤホールにはいって来ました。博士は、これ、これ、と小さい声で、やさしく呼んで、おまえ、としはいくつだい? 十三か。そうか。すると、もう五年、いや、四年、いや三年たてば、およめに行けますよ。いいかね。十三に三を足せば、いくつだ。え? などと、数学博士も、酔うと、いくらかいやらしくなります。少し、しつこく女の子を、からかいすぎたので、とうとう博士は、女の子の辻占を買わなければならない仕儀にたちいたりました。博士は、もともと迷信を信じません。けれども今夜は、先刻のラジオのせいもあり、気が弱っているところもございましたので、ふいとその辻占で、自分の研究、運命の行く末をためしてみたくなりました。人は、生活に破れかけて来ると、どうしても何かの予言に、すがりつきたくなるものでございます。悲しいことでございます。その辻占は、あぶり出し式になって居ります。博士はマッチの火で、とろとろ辻占の紙を焙(あぶ)り、酔眼をかっと見ひらいて、注視しますと、はじめは、なんだか模様のようで、心もとなく思われましたが、そのうちに、だんだん明確に、古風な字体の、ひら仮名が、ありありと紙に現われました。読んでみます。

 おのぞみどおり

 博士は莞爾(かんじ)と笑いました。いいえ、莞爾どころではございませぬ。博士ほどのお方が、えへへへと、それは下品な笑い声を発して、ぐっと頸を伸ばしてあたりの酔客を見廻しましたが、酔客たちは、格別相手になっては呉(く)れませぬ。それでも博士は、意に介しなさることなく、酔客ひとりひとりに、はは、おのぞみどおり、へへへへ、すみません、ほほほ、なぞと、それは複雑な笑い声を、若々しく笑いわけ、撒(ま)きちらして皆に挨拶いたし、いまは全く自信を恢復(かいふく)なされて、悠々とそのビヤホールをお出ましになりました。

 外はぞろぞろ人の流れ、たいへんでございます。押し合い、へし合い、みんな一様に汗ばんで、それでもすまして、歩いています。歩いていても、何ひとつ、これという目的は無いのでございますが、けれども、みなさん、その日常が侘びしいから、何やら、ひそかな期待を抱懐していらして、そうして、すまして夜の新宿を歩いてみるのでございます。いくら、新宿の街を行きつ戻りつ歩いてみても、いいことは、ございませぬ。それは、もうきまって居ります。けれども幸福は、それをほのかに期待できるだけでも、それは幸福なのでございます。いまのこの世の中では、そう思わなければ、なりませぬ。老博士は、ビヤホールの廻転ドアから、くるりと排出され、よろめき、その都会の侘びしい旅雁(りょがん)の列に身を投じ、たちまち、もまれ押されて、泳ぐような恰好で旅雁と共に流れて行きます。けれども、今夜の老博士は、この新宿の大群衆の中で、おそらくは一ばん自信のある人物なのでございます。幸福をつかむ確率が最も大きいのでございます。博士は、ときどき、思い出しては、にやにや笑い、また、ひとり、ひそかにこっくり首肯して、もっともらしく眉を上げて吃(き)っとなってみたり、あるいは全くの不良青少年のように、ひゅうひゅう下手な口笛をこころみたりなどして歩いているうちに、どしんと、博士にぶつかった学生があります。けれども、それは、あたりまえです。こんな人ごみでは、ぶつかるのがあたりまえでございます。なんということもございません。学生は、そのまま通りすぎて行きます。しばらくして、また、どしんと博士にぶつかった美しい令嬢があります。けれども、これもあたりまえです。こんな混雑では、ぶつかるのは、あたりまえのことでございます。なんということも、ございませぬ。令嬢は、通りすぎて行きます。幸福は、まだまだ、おあずけでございます。変化は、背後から、やって来ました。とんとん、博士の脊中を軽く叩いたひとがございます。こんどは、ほんとう。」

 長女は伏目がちに、そこまで語って、それからあわてて眼鏡をはずし、ハンケチで眼鏡の玉をせっせと拭きはじめた。これは、長女の多少てれくさい思いのときに、きっとはじめる習癖である。

 次男が、つづけた。

「どうも、僕には、描写が、うまくできんので、――いや、できんこともないが、きょうは、少しめんどうくさい。簡潔に、やってしまいましょう。」生意気である。「博士が、うしろを振りむくと、四十ちかい、ふとったマダムが立って居ります。いかにも奇妙な顔の、小さい犬を一匹だいている。

 ふたりは、こんな話をした。

 ――御幸福?

 ――ああ、仕合せだ。おまえがいなくなってから、すべてが、よろしく、すべてが、つまり、おのぞみどおりだ。

 ――ちぇっ、若いのをおもらいになったんでしょう?

 ――わるいかね。

 ――ええ、わるいわ。あたしが犬の道楽さえ、よしたら、いつでも、また、あなたのところへ帰っていいって、そうちゃんと約束があったじゃないの。

 ――よしてやしないじゃないか。なんだ、こんどの犬は、またひどいじゃないか。これは、ひどいね。蛹(さなぎ)でも食って生きているような感じだ。妖怪(ようかい)じみている。ああ、胸がわるい。

 ――そんなにわざわざ蒼(あお)い顔して見せなくたっていいのよ。ねえ、プロや。おまえの悪口言ってるのよ。吠えて、おやり。わん、と言って吠えておやり。

 ――よせ、よせ。おまえは、相変らず厭味(いやみ)な女だ。おまえと話をしていると、私は、いつでも脊筋が寒い。プロ。なにがプロだ。も少し気のきいた名前を、つけんかね。無智だ。たまらん。

 ――いいじゃないの。プロフェッサアのプロよ。あなたを、おしたい申しているのよ。いじらしいじゃないの。

 ――たまらん。

 ――おや、おや。やっぱり、お汗が多いのねえ。あら、お袖なんかで拭いちゃ、みっともないわよ。ハンケチないの? こんどの奥さん、気がきかないのね。夏の外出には、ハンケチ三枚と、扇子、あたしは、いちどだってそれを忘れたことがない。

 ――神聖な家庭に、けちをつけちゃ困るね。不愉快だ。

 ――おそれいります。ほら、ハンケチ、あげるわよ。

 ――ありがとう。借りて置きます。

 ――すっかり、他人におなりなすったのねえ。

 ――別れたら、他人だ。このハンケチ、やっぱり昔のままの、いや、犬のにおいがするね。

 ――まけおしみ言わなくっていいの。思い出すでしょう? どう?

 ――くだらんことを言うな。たしなみの無い女だ。

 ――あら、どっちが? やっぱり、こんどの奥さんにも、あんなに子供みたいに甘えかかっていらっしゃるの? およしなさいよ、いいとしをして、みっともない。きらわれますよ。朝、寝たまま足袋をはかせてもらったりして。

 ――神聖な家庭に、けちをつけちゃ、こまるね。私は、いま、仕合せなんだからね。すべてが、うまくいっている。

 ――そうして、やっぱり、朝はスウプ? 卵を一つ入れるの? 二つ入れるの?

 ――二つだ。三つのときもある。すべて、おまえのときより、豊富だ。どうも、私は、いまになって考えてみるに、おまえほど口やかましい女は、世の中に、そんなに無いような気がする。おまえは、どうして私を、あんなにひどく叱ったのだろう。私は、わが家にいながら、まるで居候(いそうろう)の気持だった。三杯目には、そっと出していた。それは、たしかだ。私は、あのじぶんには、ずいぶん重大な研究に着手していたんだぜ。おまえには、そんなこと、ちっともわかってやしない。ただ、もう、私のチョッキのボタンがどうのこうの煙草の吸殻がどうのこうの、そんなこと、朝から晩まで、がみがみ言って、おかげで私は、研究も何も、めちゃめちゃだ。おまえとわかれて、たちどころに私は、チョッキのボタンを全部、むしり取ってしまって、それから煙草の吸殻を、かたっぱしから、ぽんぽんコーヒー茶碗にほうりこんでやった。あれは、愉快だった。実に、痛快であった。ひとりで、涙の出るほど、大笑いした。私は、考えれば、考えるほど、おまえには、ひどいめにあっていたのだ。あとから、あとから、腹が立つ。いまでも、私は、充分に怒っている。おまえは、いったいに、ひとをいたわることを知らない女だ。

 ――すみません。あたし、若かったのよ。かんにんしてね。もう、もう、あたし、判ったわ。犬なんか、問題じゃなかったのね。

 ――また、泣く。おまえは、いつでも、その手を用いた。だが、もう、だめさ。私は、いま、万事が、おのぞみどおりなのだからね。どこかで、お茶でも飲むか。

 ――だめ。あたし、いま、はっきり、わかったわ。あなたと、あたしは、他人なのね。いいえ、むかしから他人なのよ。心の住んでいる世界が、千里も万里も、はなれていたのよ。一緒にいたって、お互い不幸の思いをするだけよ。もう、きれいにおわかれしたいの。あたし、ね、ちかく神聖な家庭を持つのよ。

 ――うまく行きそうかね。

 ――大丈夫。そのかたは、ね、職工さんよ。職工長。そのかたがいなければ、工場の機械が動かないんですって。大きい、山みたいな感じの、しっかりした方(かた)。

 ――私とは、ちがうね。

 ――ええ、学問は無いの。研究なんか、なさらないわ。けれども、なかなか、腕がいいの。

 ――うまく行くだろう。さようなら。ハンケチ借りて置くよ。

 ――さようなら。あ、帯がほどけそうよ。むすんであげましょう。ほんとうに、いつまでも、いつまでも、世話を焼かせて。……奥さんに、よろしくね。

 ――うん。機会があれば、ね。」

 次男は、ふっと口をつぐんだ。そうして、けッと自嘲した。二十四歳にしては、流石に着想が大人(おとな)びている。

「あたし、もう、結末が、わかっちゃった。」次女は、したり顔して、あとを引きとる。「それは、きっと、こうなのよ。博士が、そのマダムとわかれてから、沛然(はいぜん)と夕立ち。どうりで、むしむし暑かった。散歩の人たちは、蜘蛛(くも)の子を散らすように、ぱあっと飛び散り、どこへどう消え失せたのか、お化けみたい、たったいままで、あんなにたくさん人がいたのに、須臾(しゅゆ)にして、巷(ちまた)は閑散、新宿の舗道には、雨あしだけが白くしぶいて居りました。博士は、花屋さんの軒下に、肩をすくめて小さくなって雨宿りしています。ときどき、先刻のハンケチを取り出して、ちょっと見て、また、あわてて、袂(たもと)にしまいこみます。ふと、花を買おうか、と思います。お宅で待っていらっしゃる奥さんへ、お土産に持って行けば、きっと、奥さんが、よろこんでくれるだろうと思いました。博士が、花を買うなど、これは、全く、生れてはじめてのことでございます。今夜は、ちょっと調子が変なの。ラジオ、辻占、先夫人、犬、ハンケチ、いろいろのことがございました。博士は、花屋へ、たいへんな決意を以(もっ)て突入して、それから、まごつき、まごつき、大汗かいて、それでも、薔薇(ばら)の大輪、三本買いました。ずいぶん高いのには、おどろきました。逃げるようにして花屋から躍り出て、それから、円タク拾って、お宅へ、まっしぐら。郊外の博士のお宅には、電燈が、あかあかと灯って居ります。たのしいわが家(や)。いつも、あたたかく、博士をいたわり、すべてが、うまくいって居ります。玄関へはいるなり、

 ――ただいま! と大きい声で言って、たいへんなお元気です。家の中は、しんとして居ります。それでも、博士は、委細かまわず、花束持って、どんどん部屋へ上っていって、奥の六畳の書斎へはいり、

 ――ただいま。雨にやられて、困ったよ。どうです。薔薇の花です。すべてが、おのぞみどおり行くそうです。

 机の上に飾られて在る写真に向って、話かけているのです。先刻、きれいにわかれたばかりのマダムの写真でございます。いいえ、でも、いまより十年わかいときの写真でございます。美しく微笑(ほほえ)んでいました。」まず、ざっと、こんなものだ、と言わぬばかりに、ナルシッサスは、再び、人さし指で気障な頬杖やらかして、満座をきょろと眺め渡した。

「うん。だいたい、」長兄は、もったいぶって、「そんなところで、よろしかろう。けれども、――」長兄は、長兄としての威厳を保っていなければならぬ。長兄は、弟妹たちに較べて、あまり空想力は、豊富でなかった。物語は、いたって下手くそである。才能が、貧弱なのである。けれども、長兄は、それ故に、弟妹たちから、あなどられるのも心外でならぬ。必ず、最後に、何か一言、蛇足(だそく)を加える。「けれども、だね、君たちは、一つ重要な点を、語り落している。それは、その博士の、容貌についてである。」たいしたことでもなかった。「物語には容貌が、重大である。容貌を語ることに依って、その主人公に肉体感を与え、また聞き手に、その近親の誰かの顔を思い出させ、物語全体に、インチメートな、ひとごとでない思いを抱かせることができるものです。僕の考えるところに依れば、その老博士は、身長五尺二寸、体重十三貫弱、たいへんな小男である。容貌について言うなれば、額は広く高く、眉は薄く、鼻は小さく、口が大きくひきしまり、眉間(みけん)に皺(しわ)、白い頬ひげは、ふさふさと伸び、銀ぶちの老眼鏡をかけ、まず、丸顔である。」なんのことはない、長兄の尊敬しているイプセン先生の顔である。長兄の想像力は、このように他愛がない。やはり、蛇足の感があった。

 これで物語が、すんだのであるが、すんだ、とたんに、また、かれらは、一層すごく、退屈した。ひとつの、ささやかな興奮のあとに来る、倦怠(けんたい)、荒涼、やりきれない思いである。兄妹五人、一ことでも、ものを言い出せば、すぐに殴り合いでもはじまりそうな、険悪な気まずさに、閉口し切った。

 母は、ひとり離れて坐って、兄妹五人の、それぞれの性格のあらわれている語りかたを、始終にこにこ微笑んで、たのしみ、うっとりしていたのであるが、このとき、そっと立って障子をあけ、はっと顔色かえて、

「おや。家の門のところに、フロック着たへんなおじいさん立っています。」

 兄妹五人、ぎょっとして立ち上った。

 母は、ひとり笑い崩れた。


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좌흥이 아니다(座興に非ず)

다자이 오사무(太宰 治) (1939)

번역 : 홍성필


 나의 미래를 생각하면 소름이 끼쳐 이도 저도 못할 저녁 무렵에는 혼고(本鄕)에 있는 아파트에서 지팡이를 질질 끌며 우에노(上野)공원까지 걸어본다. 9월도 중순이 지났을 무렵의 일이다. 내가 입은 백지의 유카타(浴衣)도 이미 철이 지난 듯하여, 내가 보아도 저녁 어둠 속에서 유난히 눈에 띄는 것 같아 더욱 슬퍼지고, 살기가 싫어진다. 시노바즈(不忍) 연못을 훑어가며 불어오는 바람은 미지근하여 시궁창냄새가 났고, 연못에 있는 연꽃도 뻗은 채로 썩어 처참한 몰골을 드러내고 있었으며, 웅성웅성 떼를 지어 지나가는 사람들도 넋이 나간 듯, 피로한 기색이 역력하여, 이 세상의 종말을 연상케 했다.


 우에노 역까지 오고 말았다. 수많은 검은 빛 여객들이 여기 동양 제일이라는 대정차장에 우글우글 준동하고 있었다. 모두 닳아버린 몸이다. 내게는 그렇게 보일 뿐이다. 이곳은 동북농촌 출신들에게 마(魔)의 문이라고 일컬어진다. 이곳을 지나 도회지로 나와서 처참하게 패하고는 또다시 이곳을 지나 벌레 먹힌 육체 하나에 누더기를 걸치고는 고향으로 돌아간다. 분명 그렇다. 나는 대합실 의자에 앉고서 씨익 웃는다. 그래서 뭐라고 했나. 동경에 와도 안 된다고 그토록 충고하지 않았던가. 딸래미도 아버지도 청년도 모두 생기를 잃고 멍하니 자리에 앉아 탁하고도 둔하게 열린 탁한 눈으로 대체 어디를 보고 있는가. 공중에 뜬 환상의 꽃을 좇고 있다. 주마등과도 같은 여러 얼굴이, 여러 실패의 역사가 공중에서 펼쳐지고 있으리라.


 나는 일어서서 대합실로부터 도망친다. 개찰구 쪽으로 걷는다. 7시 5분 도착 급행열차가 지금 플랫폼으로 막 들어왔을 때 검은색 개미들이 이리 밀고 저리 제치며, 아니면 대굴대굴 굴러들 듯 개찰구를 향해 밀어닥친다. 손에는 트렁크. 바구니도 드문드문 보인다. 아아, 저런 신겐부쿠로(信玄袋)라는 것도 아직 이 세상에 있었다. 고향에서부터 쫓겨왔다는 것인가.


 청년들은 꽤나 세련되어있었다. 그리고 예외 없이 긴장감 때문에 들떠있다. 불쌍하다. 무식하다. 아버지와 싸우고 뛰쳐나온 것이겠지. 바보 같으니라구.


 나는 청년 하나를 유심히 보았다. 영화를 보고 배웠는지 담배 피는 모습이 꽤나 볼만 하다. 분명 외국 배우 흉내를 내는 것일 게다. 작은 트렁크 하나 들고 개찰구를 나오자, 한 쪽 눈썹을 힘껏 치켜 올려 주위를 돌아본다. 배우 흉내가 더해간다. 입은 옷도 무척이나 넓은 줄무늬였으며 바지도 일단 길면 좋은 걸로 알고, 목 아래부터 바로 바지로 이어진 것처럼 보인다. 흰 마(麻)로 된 헌팅모자. 빨간 가죽 단화, 입을 굳게 다물고는 힘차게 걷기 시작했다. 너무 우아하여 웃겼다. 놀려먹고 싶었다. 나는 당시 매우 적적했었다.


 “이봐, 이봐, 타키다니(瀧谷) 군.” 트렁크에 적힌 이름표에 瀧谷(타키다니)라고 적혀있었기에 그렇게 불렀다. “잠깐.”


 상대 얼굴도 보지 않고 나는 계속해서 앞서 걸어갔다. 자신이 있었던 것이다. 사람이 멍하게 있을 때에는 그저 상대방을 압도시키는 명령을 하는 것이 제일이다. 상대는 마음 먹은 대로다. 섣불리 자연스럽게 하려 하거나 이유를 설명하여 상대방을 이해시켜 안심 시키려고 애를 쓰면 오히려 안 된다.


 우에노에 있는 산으로 올라갔다. 천천히, 천천히 돌계단을 오르면서,


 “조금은 아버지의 마음도 달래드리는 게 좋지 않을까 하는데.”


 “예에.” 청년은 긴장하여 대답했다.


 사이고 타카모리(西鄕隆盛)의 동상 밑에는 아무도 없었다. 나는 멈춰 서서 소맷자락에서 담배를 꺼냈다. 성냥불로 슬쩍 청년을 보자, 청년은 마치 어린아이와도 같이 순진무구한 얼굴로, 불만에 가득 찬 표정을 짓고 있었던 것이다. 불쌍하게 여겨졌다. 놀려먹는 것도 이 정도에서 그만 두자고 생각했다.


 “자넨 몇 살인가?”


 “스물 셋입니다.” 고향 사투리가 섞여 있다.


 “젊구만.” 나도 모르게 탄성이 나왔다. “이제 됐어. 이만 돌아가도 돼.” 그저 자네를 놀라게 해주려고 그랬을 뿐이야, 라고 말하려 했으나 점점 조금만 더, 조금만 더 놀려먹고 싶다는, 들뜬 설레는 마음이 생겨나길래,


 “돈은 있니?”


 우물쭈물 하더니 “있습니다.”


 “20엔, 두고 가라.” 나는 너무나도 웃겼습니다.


 꺼낸 것입니다.


 “이제 가도 되겠습니까.”


 바보, 농담이야, 놀렸을 뿐이야, 동경은 이렇게 무서운 곳이니 얼른 고향으로 돌아가 아버님을 안심시켜드려, 라고 나는 크게 웃으며 말해야 했었으나, 본래 좌흥 삼아 시작한 일이 아니었다. 나는 아파트 방값을 내야 한다.


 “고맙다. 너를 잊진 않을 거야.”


 내 자살은 한 달 미루어졌다.

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Posted by 문학관 관리인 위어조자(謂語助者)

I can speak

다자이 오사무(太宰 治) (1939)

번역 : 홍성필


괴로움은 인종(忍從)의 밤. 단념하는 아침. 이 세상이란 단념하는 훈련인가. 쓸쓸함을 참는 것인가. 그리하여 세월은 벌레한테 먹혀가고 행복도 누항(陋巷) 속에서 얻을 수 있으려나.

나의 노래, 말을 잃고 잠시 동경에서 무위도식하여, 그러는 동안 무슨 노래가 아닌, 말하자면 ‘생활 속에서의 혼잣말’이라는 것을 끄적거리기 시작하여, 자신의 문학이 나아갈 길을 조금씩, 자신의 작품에 의해 뭐, 이 정도면 될까? 라며 다소 자신감과도 같은 것을 얻고는 예전부터 복안으로 가지고 있던 장편소설을 쓰기 시작했다.

작년 9월, 코슈(甲州)의 미사카(御坂) 고개 정상에 있는, 텐카자야(天下茶屋)라고 하는 찻집 2층을 빌려, 거기서 조금씩 그 일을 진행하다가, 간신히 200장 가까이 되어 다시 읽어보니 그리 나쁘지 않다. 새롭게 힘을 얻어 아무튼 이것을 완성시킬 때까지는 동경으로 돌아가지 않으리라고 하고, 미사카에서 바람 부는 날, 멋대로 혼자서 약속했다.

그야말로 어리석기 짝이 없는 약속을 했다. 9월, 10월, 11월, 미사카의 추위는 견디기 힘들 정도가 되었다. 그 무렵에는 쓸쓸한 밤이 이어졌다. 어떻게 할까 하며 몇 번이고 망설였다. 자기가 혼자 자기 자신과 약속하고, 이제 와서 그것을 어기지도 못하고, 동경으로 당장 돌아가고 싶어도 그것은 무슨 파계(破戒)라도 하는 것처럼 느껴져, 고개 위에서 어쩔 줄을 몰랐다. 코후(甲府)로 내려가려고 했다. 코후라면 동경보다도 따뜻할 것이며, 이 겨울도 거뜬히 지낼 수 있으리라고 생각했다.

코후로 내려갔다. 살았다. 이상한 기침이 가라앉았다. 코후 시내 변두리에 있는 한 하숙집. 햇빛이 잘 드는 방 하나를 빌려, 책상 앞에 앉아보고, 잘 왔다는 생각이 들었다. 다시 조금씩 일을 진행시켰다.

점심때쯤부터 혼자 조용히 일을 하고 있었더니, 젊은 여자의 합창소리가 들려온다. 나는 펜을 잠시 놓고 귀를 기울인다. 하숙집과 골목 하나를 사이에 두고 제사(製絲)공장이 있다. 그 곳 여공들이 작업하면서 노래를 부르는 것이다. 그 중에 한 사람, 남다르게 빼어난 목소리가 있어, 그 목소리가 이끌어가며 노래를 부른다. 군계일학(群鷄一鶴), 그런 느낌이다. 좋은 목소리다. 고맙다는 말을 하고 싶어질 정도다. 공장 담벼락을 기어 올라가 그 목소리 주인을 한 번 보고 싶다고까지 생각했다.

여기에 하나 쓸쓸한 남자가 있어, 매일매일 당신 노래로 얼마나 힘을 얻는지 모릅니다. 당신은 그것을 알지 못해요. 당신은 저를, 제 일을 얼마나 든든하게 격려해주었는지 저는 진심으로 감사의 말을 전하고 싶습니다. 그런 것을 종이에 적어 공장 창문을 통해 투서까지 하려고 했다.

하지만 그런 일을 해서 그 여공 아가씨가 놀라 두려워하여 문득 목소리가 사라진다면, 그렇게 되면 곤란하다. 사심 없는 노래를 나의 감사가 오히려 탁하게 만들거나 한다면 그것은 죄악이다. 나는 혼자 안절부절 못하고 있었다.

사랑, 일지도 몰랐다. 2월의 춥고 조용한 밤이었다. 공장 골목에서 취한(醉漢)의 거친 말소리가 갑자기 들려왔다.

……무, 무시하지 마. 뭐가 웃기다는 거지. 어쩌다 술 한번 마셨다고 해서 난 무시당할 짓을 한 적은 없어. I can speak English. 난 야학에 다니고 있단 말이야. 누나, 알고 있어? 몰랐겠지. 어머니한테도 비밀로 하고 몰래 야학에 다니고 있다구. 훌륭해져야, 하니까 말이야. 누나, 뭐가 웃긴데? 뭘 그렇게 웃는 거야? 이봐, 누나. 난 말이야 조만간 입대할 거야. 그 때는 놀라지 말라구. 주정뱅이 동생이라도 남들처럼 일할 수 있어. 거짓말이야. 아직 입대할 거라고 결정되진 않았지. 하지만 말이야. I can speak English. Can you speak English? Yes, I can. 영어란 참 좋지 않아? 누나, 솔직히 말해줘. 난 말이야, 착한 놈이지? 그렇지? 괜찮은 놈이지? 어머니는 아무 것도 모른다구…….

나는 미닫이문을 조금 열어 골목길을 내려다본다. 처음에는 흰 매화인줄 알았다. 아니었다. 그 동생이 입고 있는 흰 레인코트였다.

계절과는 어울리지 않는 그 레인코트를 입고, 동생은 추운 듯 공장 담벼락에 등을 바싹 붙이고 서 있고, 그 담장 위쪽 공장 창문에서 한 여공 아가씨가 상반신을 내밀고 취한 동생을 바라보고 있다.

달이 떠 있었으나 그 동생 얼굴도 여공 아가씨 얼굴도 명확하게는 보이지 않았다. 누나는 동그랗고 하얀 얼굴이었으며, 웃고 있는 듯했다. 동생 얼굴은 검고 아직 앳된 모습이 남아 있었다. I can speak라고 그 취한이 내뱉은 영어가 괴로울 정도로 내 가슴에 꽂혔다. "태초에 말씀이 계시니라. 지은 것이 하나도 말씀 없이는 된 것이 없느니라." 문득 나는 잊고 있던 노랫가락을 떠올린 듯한 심정이었다. 하찮은 풍경이었으나, 그러나 내게는 잊을 수 없다.

그날 밤에 본 여공 아가씨는 목소리가 좋던 그 사람이었는지 아닌지, 그것은 모른다. 아니었겠지.



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피부와 마음(皮膚と心)

다자이 오사무(太宰 治) (1939)

번역 : 홍성필


 작은 콩알만한 두드러기가 왼쪽 유방 아래에 있어, 자세히 보자 그 두드러기 주변에도 조금씩 작은 두드러기들이 마치 이슬이라도 뿌려진 것처럼 퍼져있어서, 하지만 그 때까지는 가렵지도 아무렇지도 않았습니다. 보기가 싫어 목욕탕에서 젖 밑을 타월로 세게, 가죽이 벗겨질 정도로 비볐습니다. 그게 잘못된 것 같습니다. 집으로 돌아가와서 화장대 앞에 앉아 가슴을 피고 거울에 비쳐보았더니 징그러웠습니다. 목욕탕에서 제 집까지 걸어서 5분도 안 걸리며, 그 새에 가슴 밑에서 배에 걸쳐 손바닥 두 개 정도의 넓이로 새빨갛게 여문 딸기처럼 생겨있어, 저는 지옥을 보는 듯하여 제 주변이 점점 캄캄해졌습니다. 그때부터 저는 지금까지의 저와는 달라졌습니다. 제가 사람이 아닌 것처럼 느껴졌습니다. 정신이 멍해진다는 건 이런 걸 말하는 걸까요. 저는 오랫동안 멍하니 앉아있었습니다. 짙은 회색빛 먹구름이 점점 제 주변을 둘러싸고는 지금까지의 세상에서부터 멀리 떨어져, 모든 소리까지 제게는 작게 밖에 안 들리는, 답답한, 막막한 시간이 그 때부터 시작된 것입니다. 잠시 거울 속에 비친 제 알몸을 바라보고 있자 드문드문 비가 내리기 시작했을 때처럼 여기저기에 빨간 두드러기가 나타나더니, 목둘레서부터 가슴, 배, 등에까지 번져있는 듯하여, 화장대 거울을 돌려 등을 비춰보자 하얀 등허리의 경사 위에 붉은 우박이 내린 것처럼 퍼져있어, 저는 두 손으로 얼굴을 가리고 말았습니다.


 "이런 게, 생겼거든요." 저는 그 분에게 보였습니다. 6월 초였습니다. 그 분은 반팔 와이셔츠에 반바지 차림으로, 벌써 오늘 일은 어느 정도 끝낸 듯하여, 작업용 책상 앞에 멍하니 앉아 담배를 피우고 있었습니다만, 이리로 걸어와서는 저를 돌려 앉혀놓고는 미간을 좁혀가며 조심스럽게 보면서 여기저기를 눌러보더니,


 "가렵지는 않아?" 라고 물었습니다. 저는 가렵지 않다고 대답했습니다. 전혀 아무렇지도 않았습니다. 그 분은 고개를 기울이며, 그리고는 저를 햇빛이 비치는 툇마루에 세워놓고, 알몸인 저를 빙글빙글 돌리며 계속 조심스럽게 살펴보고 있었습니다. 그 분은 제 몸에 대해서 지나칠 정도로 세심하게 신경을 씁니다. 무척이나 무뚝뚝하지만 진심으로 항상 저를 아껴줍니다. 저는 그 점을 잘 알고 있기에, 이렇게 밝은 대낮에 툇마루에서 알몸을 내놓고 이쪽 저쪽 돌아보라고 해도 오히려 하느님께 기도하는 듯, 조용하고 차분해져서 얼마나 안심했는지 모릅니다. 저는 선 채로 살짝 눈을 감고는, 이대로 죽을 때까지 눈을 뜨기 싫었습니다.


 "모르겠네. 두드러기라면 가렵겠지만, 설마 홍역은 아니겠지?"


 저는 쓴웃음을 지었습니다. 옷을 입으면서,


 "겨 때문에 헐어서 그렇게 된 게 아닐까요? 제가 목욕탕에 갈 때마다 가슴이나 목을 세게 문질러서요."


 그럴지도 모르겠다. 그래서겠지, 라는 결론을 내리고 그 분은 약방에 가서 튜브에 든, 하얗고 끈적끈적한 약을 사와, 그것을 말없이 제 몸에 손가락으로 문지르듯이 발라주었습니다. 박하처럼 몸이 시원해지고, 마음도 조금 가벼워져서,


 "옮지는 않을까요?"


 "신경 쓰지 마."


 그렇게 말씀은 하시지만 그 분의 슬픈 마음이, 그건 분명 저를 슬퍼해 주는 마음이지만, 그 마음이 그 분의 손끝으로부터 제 썩은 가슴으로 마음 아프게 울려 퍼져, 아아, 빨리 낫고 싶다고 진심으로 생각했습니다.


 그 분은 예전부터 제 추한 외모를 매우 세심하게 감싸주어, 제 얼굴의 몇몇 이상한 결점 -- 농담으로 말씀하는 일도 없이, 정말 조금도 제 얼굴을 놀리지도 않고, 그야말로 화창하게 게인 하늘처럼,


 "괜찮은 얼굴이라고 생각해. 나는 좋아."


 그런 말까지 문득 하실 때가 있어, 저는 어쩔 줄을 몰라합니다. 저희들이 결혼한 건 불과 올해 3월이었습니다. 결혼, 이라는 말조차 제게는 매우 과분하고 가슴이 설레어서 도저히 태연하게 입 밖으로 낼 수 없을 만큼, 저희 경우는 나약하고 가난하고 쑥스러운 것이었습니다. 첫째로 저는 벌써 스물 여덟이었거든요. 이렇게 얼굴이 퉁퉁 부었기에 결혼과는 인연이 없고, 더구나 스물 네다섯까지는 제게도 두세 번 정도 그런 말도 오갔으나, 잘 되다가도 안됐다가, 잘 나가다가도 안되어서, 더구나 저희 집도 부자인 것도 아니며, 어머니와 저, 그리고 누이동생으로, 여자 셋만 있는 나약한 가정이라 도저히 좋은 선은 바라지도 못합니다. 그건 지나친 욕심이지요. 스물다섯이 되어 저는 각오를 했습니다. 평생 결혼할 수 없더라도 어머니를 돕고 누이동생을 키워가며, 그것만을 보람으로 여기고, 동생은 저와 일곱 살 차이가 나서 올해 스물 하나입니다만, 기량도 좋고 점점 얌전해지고 해서 좋은 아이로 커가고 있으므로, 이 누이동생에게 훌륭한 양자를 데리고 와, 그리고 저는 자립의 길을 택하자. 그럴 때까지는 집에 있어, 가계, 교제, 모두 제가 도맡아 이 집을 지키자. 그렇게 각오를 하자 그 때까지 내심 이런저런 골치를 썩히고 있던 것들이 모두 사라지고, 괴로움도 쓸쓸함도 먼 곳으로 떠나버려, 저는 집안 일을 해가면서 바느질 연습도 게을리 하지 않았기에 조금씩 이웃 아이들의 옷 주문을 받게 되었으며, 자립의 길이 보일 무렵, 지금의 그 분 이야기가 나왔습니다. 혼담을 가지고 오신 분이 타계한 부친의 은인 같은 분이셨으므로 다짜고짜 거절할 수도 없었고, 또한 말씀을 듣고 보니 상대방은 소학교를 나왔을 뿐, 부모도 형제도 없고, 그 어르신께서 직접 어렸을 때부터 키워오셨다고 하셨으며, 물론 그 쪽에 재산이 있을 리 없고, 서른 다섯, 조금 수완이 좋은 도안사(圖案師)였으며 월수입은 200엔에서 그 이상 벌 때도 있지만, 반면 전혀 벌지 못하는 달도 있어 평균 7,80엔. 더구나 그 쪽은 초혼이 아니라 좋아하는 여성과 6년이나 함께 지내다가, 재작년에 무슨 이유가 있어 헤어지고서 그 다음부터는, 자신은 소학교만 나왔을 뿐, 학력도 없고 재산도 없으며 나이도 먹었기에 제대로 된 결혼은 할 수 없으므로 아예 평생 혼자서 편하게 살겠다고 했는데, 그것을 그 어르신께서 타일러, 그렇게 되면 남들이 이상한 사람 취급하여 좋지 않으니 어서 색시를 얻어라, 짚이는 곳이 있으니, 라고 하여 저희 쪽에 조용히 말씀을 하셔서, 그 때는 정말 저도 어머니도 얼굴 마주보며 난처해 했습니다. 어디 한 구석이라도 좋은 점이 없는 혼담이잖아요. 아무리 제가 팔다 남은 넙적한 얼굴이라고 해도 그렇지, 잘못 하나도 범하지 않았으며, 이제 그런 사람이 아니면 결혼할 수 없나 하고 처음에는 매우 화도 나고 속도 상했습니다. 거절할 수밖에 없는 일이었으나, 무엇보다도 혼담을 가지고 오신 분이 돌아가신 아버님의 은인이시며, 어머니도 저도 조용히 거절해야 한다며 조심스럽게 우물주물 하고 있는 사이에 문득 저는 그 사람이 불쌍하다는 생각이 들고 말았습니다. 분명 착한 사람입니다. 저도 여학교를 나왔을 뿐 딱히 학력이 있는 것도 아니며, 그렇다고 대단한 지참금이 있는 것도 아닙니다. 아버님도 안 계신 나약한 가정이며, 더구나 보시다시피 넙적한 얼굴을 가진 아줌마가 다 되었으니, 이 쪽 또한 좋은 점이라곤 없습니다. 어울리는 부부일지도 모르겠더군요. 어차피 저는 불행합니다. 거절하여 돌아가신 아버님의 은인과의 사이가 불편해지기 보다는……점점 기분이 기울어져, 그리고 창피한 일이지만 조금은 상기된 마음도 있었습니다. 넌 정말 괜찮냐며 역시 걱정스러워하시는 어머니께는 더 이상 말씀 드리지도 않고, 제가 직접 그 돌아가신 아버님의 은인께 알겠다고 말했습니다.


 결혼하고 저는 행복했습니다. 아뇨. 아니, 역시 행복이라고 말해야만 하겠지요. 벌 받습니다. 그 분께서는 저를 매우 아껴주셨습니다. 그 분은 매사에 소심하고, 또한 전에 만났던 여자분으로부터 버림을 받은 듯, 때문에 한층 조심스러워 했으며 지나칠 정도로 모든 면에 자신감이 없고, 몸집은 작고 말랐으며 얼굴도 빈상입니다. 일은 열심히 하십니다. 제가 깜짝 놀란 건 그 분의 도안을 살짝 보았는데, 그것이 눈에 익는 도안이었던 것입니다. 이 얼마나 신기한 인연일까요. 그 분에게 물어보고 확인한 후, 저는 그 때야 비로소 그 분을 사랑한 것처럼 가슴이 뛰었습니다. 긴자(銀座)의 유명한 화장품 가게에 있는, 덩굴장미모양을 한 상표는 그 분이 고안한 것으로서, 그것 만이 아니라 그 화장품 가게에서 팔고 있는 향수, 비누, 분가루의 상표 디자인, 그리고 신문 광고도 거의가 그 분의 도안이었던 것입니다. 10년도 전부터 그 가게의 전속처럼 되어 있어서 특색 있는 덩굴장미무늬를 한 상표, 포스터, 신문광고 등 대부분을 혼자서 그리고 계셨으며, 지금까지 그 덩굴장미무늬는 외국인조차 기억하고 있었고, 그 가게 이름은 모르더라도 장미가 서로 얽힌 특징 있는 도안은 누구나 한 번은 보았으며, 그리고 기억할 정도잖아요. 저도 여학교 시절부터 벌써 그 덩굴장미무늬를 알고 있었던 것 같습니다. 저는 묘하게도 그 도안에 끌려 여학교를 나온 후에도 화장품은 모두 그 화장품 가게의 것을 써왔으며, 말하자면 팬이었습니다. 하지만 저는 한 번도 그 장미무늬를 생각해 낸 사람에 대해서는 궁금해하지 않았습니다. 너무 바보 같을지는 모르지만, 그러나 저뿐만이 아니라 세상 사람 모두, 신문의 아름다운 광고를 보고 그 도안을 그린 사람을 생각하진 않겠지요. 그런 것을 그리는 분들은 정말 보이지 않는 일꾼 아니겠어요? 저도 그 분의 부인이 되고 얼마가 지나고서야 처음으로 알았잖아요. 그 사실을 알았을 때는, 저는 너무 기쁜 나머지,


 “제가 여학교 시절부터 이 무늬를 정말 좋아했어요. 당신이 그린 거였군요. 정말 기뻐요. 전 행복하네요. 10년이나 이전부터 당신과 멀리서 연결되어 있었던 거예요. 이리로 오게끔 되어 있었던 거예요.” 라고 조금 흥분해 보였더니 그 분은 빨간 얼굴을 하고서는,


 “장난 치지 말라구. 하는 일이 이건데, 뭘.” 이라며 무척이나 부끄러운 듯 눈을 깜빡 거리며, 그리고 흥 하고 힘없이 웃고서 슬픈 표정을 지었습니다.


 항상 그 분은 자신을 비하시키고, 저는 아무렇지도 않은데도 학력이나, 그리고 두 번째라는 점이나, 빈상이라는 점이나, 너무 신경을 쓰는 듯하여, 그렇다면 저처럼 못생긴 사람은 대체 어떻게 하면 좋을까요. 부부가 함께 자신감 없이 불안해하고 서로의 얼굴이 말하자면 잔주름에 가득 차, 그 분은 가끔 제가 마음껏 애교를 부려주었으면 하는 듯 하지만, 저도 스물 여덟이나 먹은 아줌마이고, 더구나 이렇게 얼굴도 못생겼는데, 거기에다 그 분이 자신감 없이 자신을 비하하고 있는 모습을 보고 있노라면 저한테까지 전염이 되어 더욱 어색해지고 어떻게 해도 마음 놓고 애교를 떨 수도 없어, 마음은 그렇지 않은데도 오히려 제가 심각하고 냉정하게 대답하곤 하면, 그러면 그 분은 더욱 조심스러워지고, 제게는 그 마음을 알고 있기에 더욱 당혹스러워져 마치 남남처럼 서로의 관계가 불편해지고 맙니다. 그 분에게도 또한 자신감 없는 저를 잘 알고 계신 듯, 가끔 뜬금없이 제 얼굴이나 옷 무늬 등을 너무 무뚝뚝하게 칭찬할 때가 있는데, 제게는 그 분의 마음을 알고 있기에 전혀 기쁘지도 않고, 가슴이 벅차올라 너무나도 괴로워 울고 싶어 집니다. 그 분은 좋은 사람입니다. 이전의 여성에 대해서는 정말 조금도 풍긴 적이 없습니다. 덕분에 저는 항상 그 일을 잊고 지냅니다. 이 집도 저희가 결혼하고 새로 마련한 집이며, 그 분은, 이전에는 아카사카(赤坂)에 있는 아파트에서 혼자 지내고 계셨는데, 분명 나쁜 기억을 남기고 싶지 않아서, 그리고 또한 저에 대한 배려도 있었겠지요. 이전에 가지고 계셨던 살림살이 모두를 팔아 치우고 작업도구만을 가지고 이 츠키지(築地)로 이사 와서부터, 제게도 적지만 어머니로부터 받은 돈이 있었으며, 둘이서 조금씩 살림살이를 사 모았기에, 이불도 옷장도 제가 고향 친정에서 가지고 온 것들이었으므로, 이전 여성의 흔적은 전혀 없어, 그 분이 저 외의 여성과 6년이나 함께 지냈었다는 일이 지금으로서는 도저히 믿어지지 않게 되었습니다. 정말로 그 분의 불필요한 자기비하만 없었더라면, 그리고 저한테 더 난폭하게 소리 치고 그랬었다면 저도 아무런 생각 없이 노래도 부르고, 얼마든지 애교를 부릴 수 있을 거라는 생각이 들었으나, 분명 밝은 가정이 될 수 있으리라 여겨졌으나, 둘 모두 자신이 못 생겼다는 생각에 매사에 조심스러워 - 저는 그렇다고 해도 그 분은 왜 자신을 비하할 이유가 있을까요. 소학교만 나왔다고 해도 교양 면으로는 대학출신 학사들과 전혀 다를 바가 없습니다. 레코드도 꽤 괜찮은 것들을 가지고 있었으며, 제가 한 번도 들은 적이 없는 새로운 외국 소설가의 작품을 일하면서 틈틈이 읽고 있었으며, 더구나 그 세계적인 덩굴장미 도안. 한편 자신의 궁핍함을 종종 자조하시지만, 요즘은 일거리도 많아 100엔, 200엔 정도 목돈이 들어와, 얼마 전에는 이즈(伊豆) 온천도 데려가 주셨을 정도인데도, 그럼에도 그 분은 이불이나 옷장, 기타 가재도구를 제 어머니로부터 받았다는 점을 지금까지 신경 쓰고 있는 것 같아, 그렇게 신경 쓰면 저는 오히려 창피하고, 괜히 잘못한 것 같아서, 모두 싸구려뿐인데 울고 싶을 정도로 슬퍼져서, 동정심이나 연민으로 결혼한다는 것은 잘못이며, 저는 역시 혼자 사는 편이 낫지 않았나 하는, 끔찍한 생각을 했던 밤도 있었습니다. 더욱 많은 것을 바라는 부정한 마음이 고개를 들 때도 있었기에, 저는 나쁜 사람입니다. 결혼하고 처음으로 청춘의 아름다움을 잿빛으로 지내버렸던 안타까움이 혀를 깨물고 싶어질 정도로 강렬하게 느껴져, 더 늦기 전에 무엇인가로 보상 받고 싶은 심정이 들어, 그 분과 둘이서 조용히 저녁을 먹으며, 자신이 너무도 비참하여 젓가락과 밥공기를 든 채로 울상을 진 적도 있습니다. 모든 것이 제 욕심이겠지요. 이런 못생긴 얼굴 주제에 청춘이라니 천만에요. 남들이 들으면 웃습니다. 저는 지금 이대로, 이것 만으로 분에 넘칠 정도로 행복합니다. 그렇게 생각해야 합니다. 저도 모르게 제 멋대로 생각해서, 그래서 이번처럼 이렇게 징그러운 것이 나는 것입니다. 약을 발라 주어서인지 그 이상은 퍼지지 않고, 내일은 나을지도 모른다며 하느님께 조용히 기도하고, 그날 밤은 일찍 잠에 들었습니다.


 자면서 가만히 생각해 보니 왠지 이상했습니다. 저는 어떤 병이라도 두려워하지는 않습니다만, 피부병만은 정말 정말 싫습니다. 어떤 고생을 해도 얼마나 가난하게 산다고 해도 피부병만은 걸리고 싶지 않았습니다. 다리가 한 쪽 없어져도, 팔이 한 쪽 없어져도 피부병에 걸리는 것보다는 얼마나 나은지 모릅니다. 여학교 시절 생물시간에 여러 피부병의 병원균에 대해서 배웠을 때도, 온몸이 근질거려 그 벌레나 박테리아의 사진이 실려있는 교과서 페이지를 마구 찢어버리고 싶었습니다. 또한 선생님의 우둔함이 저주스러워, 아니요, 선생님도 태연하게 가르치고 계신 건 아닙니다. 직업이니까 열심히 참으며 태연한 척 하시며 가르치고 계신 것이다, 분명 그렇다고 생각하면 더욱 그 선생님의 후안무치함이 가증스러워 저는 몸부림을 쳤습니다. 그 생물시간이 끝나고 저는 친구들과 이야기를 나누었습니다. 아픔과 간지럼과, 가려움 중 무엇이 가장 고통스러운 것일까. 그런 화제가 나와서 저는 단연코 가려움이 가장 두렵다고 주장했습니다. 왜냐하면 그렇잖아요? 통증도 간지럼도 어느 정도 한도가 있다고 생각합니다. 누구에게 맞아서, 잘려서, 설혹 간지럼을 당한다 해도 그 고통이 극에 달하면 사람은 분명 의식을 잃고 말 것입니다. 의식을 잃으면 무아지경입니다. 승천이지요. 고통으로부터 깨끗하게 빠져나갈 수 있는 것입니다.


 죽어도 상관없지 않습니까. 하지만 가려움은 파도의 넘실거림과도 같아서 고조되었다가 무너지고, 또 고조되었다가 무너지곤 하여 끝없이 둔탁하게 움직여 준동할 뿐, 고통이 아슬아슬하게 극도의 정점까지 치고 오르는 일은 절대 없으므로 의식을 잃을 수도 없고, 물론 가려움 때문에 죽는다는 일도 없을 테니 영원히 꾸준하게 참고 있어야만 합니다. 이것은 누가 뭐래도 가려움보다 더한 고통은 없을 것입니다. 제가 만약 옛날 관하에서 고문을 당한다 해도 잘리거나 때리거나, 간지럼을 당한다 해도 그 정도로는 자백하지 않습니다. 그러다가 분명 의식을 잃어 두 세 번 당하면 저는 죽어버리겠지요. 자백 같은 건 절대 안 할 거예요. 제 고집을 이 한 목숨 걸고서 지켜볼 것입니다. 하지만 벼룩이나 이, 또는 옴균 같은 벌레를 대나무통 하나 가득 가지고 와서는 자, 이것을 네 등에 확 뿌린다고 하면 저는 머리카락이 거꾸로 서는 듯한 심정으로 벌벌 떨면서, 말씀 드리겠습니다, 살려주세요, 라고 열녀 흉내도 잠시, 두 손을 모아 애원하고 말 것입니다. 생각하는 것조차 몸서리가 칩니다. 제가 휴식시간에 친구들에게 그런 말을 하자 친구들도 솔직하게 공감해주었습니다. 한 번 선생님을 따라 저희 반 전체가 우에노(上野)에 있는 과학박물관에 간 적이 있는데, 아마도 3층 표본실에서 저는 꺄악 하고 비명을 지르고는 너무나 화가 나서 엉엉 울고 말았습니다. 피부에 기생하는 벌레 표본을 게만한 크기로 모형을 만들어 즐벼시 놓여 있어, 힘껏 소리치고는 곤봉으로 엉망진창으로 박살내고 싶은 심정이었습니다. 그로부터 사흘 동안 저는 잠도 잘 수 없었으며, 왠지 가렵고 밥도 맛이 없었습니다. 저는 국화꽃도 싫어합니다. 작은 꽃잎이 우글우글 대어 마치 무엇 같습니다. 나무 줄기를 볼 때도 울퉁불퉁한 모습이 소름 끼치고 온몸이 근질거립니다. 연어알 같은 것을 아무렇지도 않게 먹는 사람들을 이해할 수 없습니다. 굴 껍질, 호박 껍질, 자갈길, 벌레 먹은 잎사귀, 닭 벼슬, 깨소금, 홀치기 처리한 염색물, 문어다리, 녹차잎 껍질, 새우, 벌집, 딸기, 개미, 연근, 파리, 비늘, 모두 싫습니다. 적혀 있는 이름조차도 싫어요, 작은 글씨는 이 같습니다. 보리수 나무열매, 뽕나무 열매도 둘 다 싫습니다. 달님의 확대사진을 보고 토할 것 같았던 일도 있습니다. 자수도 도안에 따라서는 도저히 참을 수 없는 것도 있습니다. 그토록 피부에 대한 병을 혐오하고 있기에 자연히 조심스러워져서 지금까지 거의 여드름 같은 것은 난 적이 없었습니다. 그리하여 결혼하고 매일 목욕탕에 가서 몸을 박박 겨로 밀고서, 아마도 너무 밀었던 탓이었겠지요. 이렇게 피부에 무언가가 나서, 너무나 속상하고 저주스러웠습니다. 제가 도대체 무슨 나쁜 짓을 했다는 걸까요. 하느님도 너무하십니다. 제가 너무너무 싫어하는 것을 골라 주고서는, 다른 병들이 없는 것도 아닌데 마치 작은 표적의 가운데를 정확하게 쏙 맞추듯, 그야말로 제가 가장 두려워하고 있는 함정에 빠뜨리고서는, 저는 정말 이상하게 생각했습니다.


 다음날 아침 해도 뜨기 전에 일어나 조심스럽게 거울을 앞에 두고서 ‘아아’ 하고 신음소리를 냈습니다. 저는 귀신입니다. 이건 제 모습이 아니에요. 온 몸이 뭉그러진 토마토처럼 머리에도 가슴에도, 배에까지도 두들두들 너무나도 추악하게 콩알만한 두드러기들이, 마치 온몸에 뿔인 난 것처럼, 버섯이 난 것처럼, 빈틈없이 빼곡하게 나 있어, 후후후후 웃고 싶어졌습니다. 서서히 두 발에까지도 퍼져가고 있었습니다. 도깨비, 악마. 저는 사람이 아닙니다. 이대로 죽게 해주세요. 울어서는 안됩니다. 이런 추악한 몰골이 되어 훌쩍훌쩍 울상을 지어봤자 전혀 귀엽지도 않을 뿐더러, 점점 연시가 찌그러진 것처럼, 웃기고 비참하여 손도 못 댈 정도로 끔찍해집니다. 울어서는, 안 돼. 숨겨버리자. 그 분은 아직 모른다. 보여주고 싶지 않다. 본래 못생긴 제가 이런 썩은 피부가 되었으니 이제는 정말 쓸모가 없어졌다. 쓰레기다. 폐품이다. 이제 이렇게 되면 그 분도 저를 위로할 말이 없겠지요. 위로 받는다니, 싫어요. 이런 몸을 아직도 가엾게 여긴다면 저는 그 분을 경멸해 줄 것입니다. 싫어요. 저는 이대로 헤어지고 싶어요. 불쌍하게 보지 마세요. 저를 보면 안돼요. 제 곁에 계셔도 안됩니다. 아아, 더 넓은 집이 갖고 싶어요. 평생 멀리 떨어진 방에서 살고 싶습니다. 결혼하지 말았어야 했는데. 스물 여덟 살까지 살고 말았어야 했는데. 열 아홉 겨울, 폐렴에 걸렸을 때, 그 때 낫지 않고 죽었어야 했었는데. 그 때 죽었더라면 지금 이토록 괴롭고 흉하고 처참한 꼴을 당하지 않았을 텐데. 저는 눈을 굳게 감고 움직이지도 않은 채 앉아서는, 호흡만이 거칠어져 그러는 중에 왠지 마음까지 사악해지는 것 같아, 온 세계가 정적에 휩싸여, 분명 어제까지의 저와는 아니게 되었습니다. 저는 주섬주섬 짐승처럼 일어나 옷을 입었습니다. 옷을 너무도 고마운 것이라고 새삼 느꼈습니다. 아무리 끔찍한 몽둥이라도 이렇게 숨길 수 있잖아요. 힘을 내어 마당으로 나가서는 햇님을 험한 눈빛으로 바라보고 저도 모르게 깊은 한숨을 쉬었습니다. 라디오체조 구령이 들려옵니다. 저는 혼자 쓸쓸하게 체조를 “하나, 둘” 하고 작은 목소리로 힘을 내어보려고 했으나 문득 참을 수 없을 만큼 저 자신이 비참해지는 것 같아 도저히 체조를 계속할 수 없어 울음이 터질 것 같아, 더구나 지금 갑자기 몸을 움직여서인지 턱과 겨드랑이에 있는 임파선이 둔탁하게 아파오는 것 같아 살짝 만져보니 모두 딱딱하게 부어있어, 그 사실을 알았을 때 저는 더 이상 서 있을 수가 없어 땅바닥에 주저앉고 말았습니다.  저는 못생겼기에 지금까지 이렇게 얌전하게 음지를 골라 참고 견디며 살아왔는데, 왜 저를 이토록 괴롭히나요, 하고 누구에게랄 것도 없이 검게 타오르는 큰 분노가 끌어올라, 그 때 뒤 켠에서,


 “아아, 여기 있었군. 힘을 내라구.” 라고 그 분의 부드럽게 말씀하시는 목소리가 들리고는, 


 “어때? 조금 나아졌나?”


 나아졌다고 대답하려 했으나 제 어깨 위에 살며시 놓인 그 분의 오른손을 조심스럽게 제쳐놓고서 일어서자, “집에 갈 거예요.” 라는 말이 나와서, 저도 저 자신을 알 수 없게 되어, 이제 무엇을 하는지 무슨 말을 하는지 책임을 질 수 없어, 저도 우주 전제도 모두 믿을 수 없게 되었습니다. “이리 보여봐” 그 분의 당황하여 잠긴 듯한 목소리가 저 멀리서 나오는 것처럼 들려와,


 “싫어요.” 라고 저는 몸을 피하고 “이런 데에 두드러기가 나서.” 라고 겨드랑이 밑에 두 손을 댄 채로 저는 울상을 짓고는, 참을 수 없이 엉엉 소리를 내서, 스물 여덟의 못난이가 애교스럽게 운다고 해도 어디 예쁜 구석이 있을까요. 추악의 극치라고 알고는 있어도 눈물이 계속 넘쳐 흘러, 더구나 침까지 나와서, 저는 정말 좋은 구석이란 하나도 없습니다.


 “알았어. 울지 마! 병원에 데려가 줄게.” 그 분의 목소리가 지금까지 들어보지 못한, 강하고 단호하게 울렸습니다.


 그날 그 분은 일도 쉰 채 신문 광고를 찾아보시고는, 저도 예전에 한 두 번 이름만은 들어본 적이 있는 유명한 피부전문 병원에 가기로 하고, 저는 외출복으로 갈아입으면서, “몸을 다 보여야만 하나요.”


 “그럼.” 그 분은 매우 품위 있게 미소를 짓고는 대답했습니다. “의사를 남자로 생각하면 안 돼.”


 저는 얼굴이 빨개졌습니다. 조금 기뻤습니다.


 밖으로 나오자 햇빛이 눈이 부셔, 저는 자신이 한 마리의 징그러운 송충이처럼 느껴졌습니다. 이 병이 다 나을 때까지 이 세상을 캄캄하고 어둠에 휩싸인 암흑인 채로 남겨두고 싶었습니다.


 “전철은 싫어요.” 저는 결혼하고 처음으로 그런 사치스런 투정을 부렸습니다. 벌써 두드러기가 손등에까지 퍼져, 언젠가 저는 이런 끔찍한 손을 한 여자를 전철 안에서 본 적이 있어, 그 때부터는 전철에서 손잡이를 잡는 것 조차 불결하고 옮지나 않을까 걱정을 했었는데, 지금은 제가 예전의 그 여자 손처럼 똑같이 되었기에, ‘뜻밖의 재앙’이라는 속된 말이 이 때처럼 뼈에 사무친 적이 없습니다.


 “알고 있어.” 그 분은 밝은 표정으로 그렇게 대답하고는, 저를 자동차에 태워주었습니다. 츠키지에서 니온바시(日本橋), 타카시마야(高島屋) 뒤편에 있는 병원까지 불과 잠시 동안이었는데, 그 동안 저는 영구차에 타고 있는 심정이었습니다. 눈 만이 아직 살아 있어, 바깥세상의 초여름 분위기를 멍하니 바라보고, 거리를 지나는 여자들, 남자들, 누구도 저처럼 두드러기가 안 난 것이 너무도 이상하게 느껴졌습니다.


 병원에 도착하여 그 분과 함께 대합실에 들어가 보자, 이 곳은 또한 바깥세상과는 전혀 다른 광경이어서, 오래 전 츠키지의 소극장에서 본 ‘밑바닥’이라는 연극 무대장면을 문득 떠올렸습니다. 바깥은 깊어가는 초록빛으로 덮여있었는데, 그토록 눈부실 정도로 밝았었는데, 여기는 어쩐 일인지 햇빛이 있어도 침침했고, 쌀쌀한 차가운 습기가 있어 시큼한 냄새가 코를 찌르고, 맹인들이 고개를 숙인 채 우글대고 있습니다. 맹인은 아니지만 어딘지 모르게 몸이 불편한 것처럼 보이고, 노인들이 많은 것에는 놀랐습니다. 저는 입구 쪽에 가까운 의자 끝에 앉고서는 죽은 사람처럼 고개를 숙이고 눈을 감았습니다. 문득 이 많은 환자 중에서 내가 가장 심한 피부병인지도 모른다는 생각이 들어, 깜짝 놀라 눈을 뜨고 얼굴을 들고서는 환자 한 사람 한 사람을 훔쳐보았습니다만, 역시 저만큼 심하게 두드러기가 난 사람은 한 명도 없었습니다. 피부과와 또 하나, 도저히 입에 담을 수 없는 이름의 병과, 그 두 가지의 전문의라는 사실을, 저는 병원 현관에 걸린 간판을 보고 처음 알았는데, 그렇다면 저기에 앉아있는 젊고 영화배우처럼 생긴 남자분은, 어디에도 두드러기 같은 것은 없는 것처럼 보이고, 피부과가 아닌 그 다른 쪽의 병일지도 모른다고 생각하자, 여기 있는 모두가, 이곳 대합실에서 고개를 숙인 채 앉아 있는 망자(亡者)들 모두가 그 쪽 병이라는 생각이 들어,


 “당신, 잠시 산책이라도 하고 오세요. 여긴 너무 답답해요.”


 “아직 좀 기다려야 하나 보구만.” 그 분은 허전한 듯 제 옆에 서 있었던 것입니다.


 “네에. 제 차례는 점심 때쯤이라고 해요. 여긴 지저분해요. 당신이 계시면, 안 됩니다.” 저도 놀랄 만큼 강한 말투가 나와, 그 분도 제 말을 받아들여주신 듯 천천히 고개를 끄덕이고는,


 “너도 같이 안 갈래?”


 “아뇨. 저는 괜찮아요.” 저는 미소를 짓고, “저는 여기 있는 게 가장 편해요.”


 그리하여 그 분을 대합실에서 밀어내고 난 후 저는 조금 침착함을 되찾아 다시 자리에 앉고서 살짝 눈을 감았습니다. 곁에서 보면 저는 분명 멋 떨어지게 명상에 잠긴 할머니처럼 보이겠으나, 하지만 저는 이렇게 하고 있는 것이 가장 편하거든요. 죽은 척. 그런 말이 떠올라 웃겼습니다. 그러나 점점 저는 걱정되기 시작했습니다. 누구에게도 비밀은 있다. 그런 기분 나쁜 말을 들은 듯 가슴이 뛰어왔습니다. 어쩌면 이 두드러기도……라고 생각해 순식간에 머리카락이 곤두서는 듯한 심정으로, 그 분의 다정함, 자신감이 없는 모습도 그런 점에서 비롯되는 것이 아닐까, 설마. 저는 그 때 비로소, 이상한 일이겠으나, 그 때 비로소 그 분에게 있어서는 제가 처음이 아니었다는 사실이 실감나게 와 닿아서, 안절부절 할 수 없었습니다. 속았다! 결혼사기. 뜬금없이 그런 심한 말도 떠올라, 그 분을 좇아 가서 때려주고 싶었습니다. 참 바보 같죠. 처음부터 그것을 알고 그 분께로 갔는데, 지금 갑자기 처음이 아니라는 것이 참을 수 없을 정도로 야속하고 밉고, 돌이킬 수 없는 심정으로 그 분의 이전 여자에 대해서도 갑자기 가슴에 사무치도록 느껴져서, 정말 처음으로 저는 그 여자분이 너무 밉다는 생각이 들어서, 지금까지 단 한 번도 그 여자에 대해 생각지도 못했다는 자신의 한심함에 눈물이 흘러 넘쳤을 정도였습니다. 만약 그렇다면 질투란 이 얼마나 구제 불능한 광란, 그것도 육체뿐인 광란. 한 점 아름다운 구석도 없는 추악함의 극치. 이 세상에는 아직 제가 모르는 끔찍한 지옥이 있었던 거로군요. 저는 살아가는 것이 싫어졌습니다. 제가 가증스러워져 서둘러 무릎 위에 놓인 보자기를 풀고는 소설책을 꺼내어 아무데나 펼치고는 닥치는 대로 거기서부터 읽기 시작했습니다. 보봐리 부인. 엠마의 고통스러운 생애가 항상 저를 위로해줍니다. 엠마의 이처럼 타락해가는 길이 정말 제게는 가장 여성스럽고 자연스러운 것처럼 느껴집니다. 물이 낮은 곳으로 흐르듯 몸이 나른해 질 정도의 솔직함을 느낍니다. 여자란 이런 것입니다. 말할 수 없는 비밀을 가지고 있습니다. 왜냐하면 그건 여자의 ‘선천적인’ 성질인걸요. 시궁창을 분명 하나씩 가지고 있습니다. 그건 확실하게 말할 수 있습니다. 왜냐하면 여자에게는 하루하루가 전부인걸요. 남자와는 다릅니다. 죽은 다음의 일도 생각하지 않아요. 사색도 없습니다. 순간 순간의 아름다움의 완성만을 바라고 있습니다. 생활을, 생활의 촉감을 무척이나 사랑합니다. 여자가 밥공기나 예쁜 무늬의 옷을 사랑하는 것은 그것 만이 진실된 삶의 보람이기 때문입니다. 시시각각의 동작이, 그것 자체가 삶의 목적입니다. 달리 무엇이 더 필요할까요. 높은 리얼리즘이 여자의 이 괴씸함과 들뜬 가슴을 단단히 억눌러, 가차없이 파헤쳐준다면 저희들 스스로도 정신이 들어 얼마나 편할지 모른다고 여겨지지만, 여자의 깊은 곳에 자리잡은 ‘악마’를 누구도 만지지도 않고 못 본 척을 하여, 그러기에 여러 비극이 일어나는 것입니다. 높고도 깊은 리얼리즘만이 저희들을 정말로 구제해줄지도 모릅니다. 여자의 마음이란 솔직히 말해서 결혼한 다음 날이라도 다른 남자에 대해 아무렇지도 않게 생각할 수가 있거든요. 사람 마음은 절대 방심할 수 없습니다. 남녀 칠 세, 라는 옛 가르침이 갑자기 끔찍할 정도로 현실감 있게 제 가슴을 찔러 깜짝 놀랐습니다. 일본의 윤리라는 것은 정말 현실적이며 사실적이라고 현기증이 날 정도로 놀랐습니다. 모든 것을 전부 알고 있는 것입니다. 옛날부터 시궁창이 분명 파여 있다는 것을. 이런 생각을 하니 오히려 마음이 시원하고 상쾌해져 안심이 되고, 이렇게 두드러기투성이인 몸뚱이가 되어도 역시 어딘지 모르게 교태가 있는 할머니라며 여유를 갖고 저 스스로를 비웃고 싶은 심정이 들어, 또다시 책을 읽었습니다. 지금 로돌프가 더욱 살며시 엠마 곁에 다가가 감미로운 말을 재빨리 속삭이고 있는 장면인데, 저는 읽으면서 전혀 다른 일을 생각하여 저도 모르게 빙그레 웃고 말았습니다. 엠마가 이 때 두드러기가 났다면 어땠을까, 하고 이상한 공상이 떠올라, 아니, 이는 중요한 주제인 것 같아 저는 진지해졌습니다. 엠마는 분명 로돌프의 유혹을 거절했을 것입니다. 그리하여 엠파의 생애는 전혀 다르게 진행되었을 거예요. 분명 그렇습니다. 끝까지 거절했을 겁니다. 왜냐하면 그럴 수밖에 없잖아요. 이런 몸으로는, 그리고 이것은 희극이 아니고, 여자의 생애는 그 때의 머리 모양, 옷 무늬, 졸음, 또는 사사로운 몸 상태에 따라서 모두 결정되고 마는 것이기에, 너무 잠이 와서 등에 업은, 시끄럽게 구는 아이를 비틀어 죽여버린 보모도 있었으며, 더구나 이런 두드러기는 얼마나 여자의 운명을 역전시켜 로망스를 왜곡시키는지 모릅니다. 드디어 결혼식이라는 그 전날 밤, 이런 두드러기가 뜻밖에 생기고는, 이상하다고 여길 틈도 없이 가슴과 온몸에 퍼지면 어떻게 될까요. 저는 있을 수 있는 일이라고 생각합니다. 두드러기만은 정말 평소 아무리 조심한다고 해도 막을 수 없는, 무언가 하늘의 뜻에 의한 것일 겁니다. 하늘의 악의를 느끼게 합니다. 5년 만에 돌아오는 남편을 마중하러 요코하마(橫浜)에 있는 부두로 설레는 가슴을 안고 기다리고 있는 동안 순식간에 얼굴의 중요한 곳에 보랏빛 두드러기가 나타나자 만지작거리고 있는 동안에 이미 그 어여쁜 젊은 부인도 둘도 볼 수 없는 도깨비 형상. 그런 비극도 있을 수 있습니다. 남자에게 두드러기 같은 것은 아무렇지도 않지만, 여자는 피부만으로 살고 있거든요. 부정하는 여자는 거짓말쟁이에요. 


 플로베르의 경우, 저는 잘 모르지만 꽤 세밀한 사실주의 작가 같아서 샤를이 엠마의 어깨에 키스하려 하자 ‘하지 마세요. 옷에 주름이……’라고 하여 거절하는 장면이 있는데, 그토록 면밀한 눈을 가지고 있으면서 왜 여자의 피부병에 대한 고통에 관해서는 써주지 않았을까요. 남자들에게는 도저히 알 수 없는 고통일까요. 아니면 플로베르 정도 되는 분이라면 이미 알고 있었으나, 하지만 그것은 너무나도 지저분하여 도저히 로망스가 될 수 없기에 모르는 척하고 멀리한 것일까요. 그러나 멀리 하다니요. 너무해요. 너무해요. 결혼식 전날 밤, 또는 너무나도 그리운 사람과 5년 만에 만나기 직전 등, 뜻밖의 추악한 두드러기가 났다면, 저라면 죽습니다. 가출해서 타락해 버릴 거예요. 자살합니다. 여자는 순간순간의 아름다움에 대한 기쁨만으로 살고 있거든요. 내일은 어떻게 되더라도요. ……조심스럽게 그 분이 다람쥐를 닮은 작은 얼굴을 내밀고서 아직이냐고 눈짓으로 물었기에, 저는 이쪽으로 오라며 살며시 손짓을 하고는,


 “있잖아요.” 볼품없는 큰 소리였으므로 저는 어깨를 움츠리고, 이번에는 가급적 작은 목소리로, “있잖아요. 내일은 어떻게 되도 상관없다고 생각했을 때 여자는 가장 여자다워진다고 생각하지 않아요?”


 “뭐라구?” 그 분이 당황하는 모습을 보고 저는 웃었습니다.


 “말로 잘 못하겠어요. 모르겠어요. 이제 됐어요. 저는 이런 곳에 잠시 앉아 있는 동안에 왠지 다시 사람이 변한 것 같아요. 이런 밑바닥에 있으면 안될 것만 같아요. 저는 너무 약해서 주변 공기에 금방 영향을 받아 익숙해지나봐요. 전 볼품없어졌어요. 점점 마음이 부질없이 타락하고, 마치 벌써.” 라고 말하다가 굳게 입을 다물어 버렸습니다. 프로스티튜트. 그 말을 하려 했습니다. 여자가 영원히 입밖에 내서는 안될 말. 그리고 한 번은 반드시 그것 때문에 고민하게 되는 말. 모든 자존심을 잃었을 때, 여자는 반드시 그것을 떠올립니다. 저는 이런 두드러기가 나서, 마음까지 사악해졌나 하는 사실이 희미하게 느껴져, 제가 지금까지 못생겼다며 매사에 자신감이 없어 보이는 척을 했지만, 그래도 역시 자신의 피부만은, 이것만은 남몰래 사랑스럽게 여겨, 그것이 유일한 자존심이었다는 사실을 지금 알고, 제가 자부하고 있던 겸손이나 얌전함, 인내 같은 것도 의외로 믿을 수 없는 가짜이며, 사실은 저도 지각, 느낌의 일희일우(一喜一憂)만으로 맹인처럼 살아온 딱한 여자였다는 것을 알게 되어, 지각이나 느낌이 아무리 예민해도 그것은 동물적인 것이다, 전혀 현명함과는 상관 없다, 정말 우둔한 백치일 뿐이라고 저 스스로 명확하게 알았습니다.


 저는 잘못 알고 있었던 것입니다. 저는 그래도 스스로 느낌의 예민함이 왠지 고상하게 느껴져, 그것을 머리가 똑똑한 것으로 착각하여, 남몰래 위로하고 있었거든요. 저는 결국 어리석은, 머리가 나쁜 여자였더군요.


 “많은 것을 생각했어요. 전 바보예요. 전 정말 제 정신이 아니었던 것 같아요.”


 “그럴 만도 하지. 이해 해.” 그 분은 정말 이해한 것처럼, 현명해 보이는 웃는 얼굴로 대답하고는 “이봐, 우리 차례야.”


 간호사에게 불려 진찰실로 들어가 띠를 풀고는 한번에 알몸이 되어 슬쩍 자신의 유방을 보았더니, 저는 석류를 보고 말았습니다. 눈앞에 앉아 있는 의사보다도 뒤편에 서 있는 간호사에게 보이는 것이 몇 배나 더 괴로웠습니다. 의사는 역시 사람 같은 느낌이 안 든다고 생각했습니다. 얼굴의 인상조차 제게는 분명하지 않습니다. 의사도 저를 사람처럼 다루지 않고 여기저기를 돌려보더니,


 “중독이에요. 뭔가 나쁜 것을 드셨나 봅니다.” 태연한 목소리로 그렇게 말했습니다.


 “치료될까요?”


 그 분이 물어봐 주셔서,


 “물론입니다.”


 저는 멍하니, 다른 방에 있는 심정으로 듣고 있었습니다.


 “혼자서 질질 짜고 있는데, 도저히 봐 줄 수가 없습니다.”


 “금방 낫습니다. 주사를 놔두도록 하죠.”


 의사는 일어났습니다.


 “간단한 건가요?” 라고 그 분.


 “그럼요.”


 주사를 맞고 우리는 병원을 나왔습니다.


 “벌써 손 쪽은 다 나았어요.”


 저는 몇 번씩이나 햇빛에 두 손을 비추며 바라보았습니다.


 “그렇게 좋아?”


 그런 말을 듣고 저는 부끄러웠습니다.

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황금풍경(黄金風景)

다자이 오사무(太宰 治) (1939)

번역 : 홍성필


 나는 어렸을 때 그리 성격이 좋은 편은 아니었다. 식모를 괴롭혔다. 나는 게으른 일에는 질색이어서, 그렇기 때문에 게으른 식모를 특히 괴롭혔다. 오케이(お慶)는 게으른 식모였다. 사과 껍질을 깎게 해도, 까면서 무슨 생각을 하고 있는지 두 번, 세 번씩 손을 멈추고는 ‘야!’ 하고 그 때마다 따끔하게 주의를 주지 않으면 한 손에는 사과, 다른 한 손에는 칼을 든 채로 언제까지나 멍하니 있는 것이다. 머리가 좀 모자란 것이 아닐까 하는 생각이 들었다. 부엌에서도 아무것도 하지 않은 채 그저 멍하니 서 있는 모습을 나는 자주 보았으나 어린 마음에도 볼품이 없고 이상하게 마음에 거슬려 “야, 오케이, 하루는 짧다구” 라며 어른 흉내를 내며, 지금 생각해도 등줄기가 오싹해질 정도로 버릇없는 말을 던지고는, 그것도 모자라 한 번은 오케이를 불러들여 내 그림책에 실린, 몇 백 명이나 우글대는 사열식 군인들, 말을 타고 있는 자도 있고, 깃발을 들고 있는 자도, 총을 매고 있는 자도 있는데, 그 한 명 한 명의 군인들 모양을 가위로 오려내게 하여, 손재주가 없는 오케이는 아침부터 점심도 굶은 채 저녁 무렵까지 간신히 서른 명 정도, 그것도 대장의 수염 한 쪽을 잘라버리고, 총을 맨 군인 손을 곰처럼 크게 잘라내고, 그리하여 그 때마다 내게 꾸중을 들으며, 여름 무렵이었는데 오케이는 땀을 많이 흘리기에 오려낸 군인들은 모두 오케이의 손에서 묻은 땀 때문에 축축해져, 내가 끝내는 화가 치밀어 올라 오케이를 발로 걷어 찼다. 분명 어깨를 찼을 텐데 오케이는 오른쪽 볼에 손을 대고 갑자기 엎드려 울음을 터뜨리더니 하염없이 울고 있었다. “부모한테도 밟힌 적이 없어요. 평생 안 잊겠습니다.” 울먹이듯 한 마디 한 마디 하기에 나는 정말 섬찟했다. 그 외에도 마치 그것이 운명인 양 오케이를 괴롭혔다. 지금까지도 어느 정도 그렇긴 하지만, 나는 무식하고 우둔한 자를 보면 참을 수가 없다. 


 재작년, 나는 집에서 쫓겨 하루 밤 사이에 궁핍하게 되어 거리를 떠돌면서 여기저기에 고개를 숙이고 사정을 해가며, 하루 하루를 살아갔고, 별볼일 없는 글재주로 자립할 수 있게 되자 병을 얻었다. 사람들의 도움으로 한여름에 치바 현(縣) 후나바시 쵸(町)에 있는, 시궁창빛 바닷가 옆에 작은 집을 빌려 자취생활을 하며 몸조리를 할 수 있게 되어, 매일 밤 잠옷이 축축해질 정도로 흘러내리는 비지땀과 싸우면서, 그래도 일은 해야 했기에 매일 아침 차가운 한 홉의 우유만이, 그저 그것 만이 묘하게 살아있다는 기쁨으로 느껴지고, 마당 구석에 협죽도(夾竹桃) 꽃이 핀 것을 활활 불이 타오르는 것처럼 보일 정도로 내 머리도 여간 질병에 의해 지친 것이 아니었다.


 그 무렵 호구조사를 위해 마흔 정도 된 마르고 작은 몸집의 순경이 현관에서 장부와 내 이름, 그리고 면도도 못한 내 얼굴을 묵묵히 비교하고는, 혹시 당신은……의 도련님 아니십니까? 그렇게 말하는 순경의 말투에는 강한 고향 사투리가 있었기에 “그렇습니다.” 나는 무뚝뚝하게 대답했다. “당신은?”


 순경은 마른 얼굴에 힘껏 웃음을 띄우고는,


 “아이구, 역시 그랬었군요. 잊으셨는지는 모르겠지만 이래저래 20년 정도 전에, 저는 K에서 마차를 끌고 있었습니다.”


 K란 내가 태어나고 자란 마을 이름이다.


 “보시다시피,” 나는 웃지도 않고 대답했다. “저도 지금은 밑바닥 신세입니다.”


 “천만에 말씀입니다.” 순경은 여전히 즐겁게 웃으며, “소설을 쓰신다면 그건 상당한 출세지요.”


 나는 쓴웃음을 지었다.


 “그런데,” 라고 순경은 조금 목소리를 낮추며, “오케이가 항상 도련님에 대한 말을 하고 있습니다.”


 “오케이?” 순간 이해가 되질 않았다.


 “오케이 말입니다. 잊으셨겠죠. 도련님 댁 하녀를 하고 있던…….”


 생각났다. 아아, 라며 나도 모르게 신음소리를 내고는, 나는 현관 앞에 쭈그려 앉은 채 고개를 숙이고서 20년 전, 느려터졌던 한 식모에 대한 내 악행이 하나 둘 뚜렷이 떠올라 안절부절 했다.


 “행복한가요?” 문득 얼굴을 들어 그런 엉뚱한 질문을 한 내 얼굴은, 분명 죄인, 피고, 비굴한 웃음마저 짓고 있었던 것으로 기억된다.


 “그럼요. 그야, 뭐.” 허물없이 그렇게 밝게 대답하고서 순경은 손수건으로 이마에 흐르는 땀을 닦고는, “괜찮을까요? 이번에 그 녀석을 데리고 한 번 천천히 인사를 올리러 찾아 뵙겠습니다.”


 나는 순간 너무나도 놀랐다. 아니, 그럴 것까지야, 라고 강하게 거절하고 나는 말할 수 없는 굴욕감에 시달렸다.


 그러나 순경은 여전히 밝았다.


 “아이가 말이죠, 도련님. 여기 역에서 근무하게 되어서요. 그게 장남입니다. 그리고 아들, 딸, 딸, 그 막내가 여덟 살이 되어 이번에 소학교에 들어갔습니다. 이제 한 시름 놓았지요. 오케이도 고생이 많았습니다. 뭐랄까요. 그 도련님 댁 같은 큰 집에서 예의법도를 배운 사람들은 역시 어딘가 달라서 말이죠.” 조금 얼굴을 붉히며 웃고는, “덕분에 오케이도 당신의 말씀을 항상 하고 있었습니다. 이번 휴일에는 꼭 한 번 같이 찾아 뵙겠습니다.” 갑자기 진지한 표정을 짓자, “그럼 오늘은 실례하겠습니다. 건강하세요.”


 그로부터 사흘이 지나, 나는 일보다도 돈 문제 때문에 고민하다가 집에 가만히 있을 수도 없고 하여 대나무 지팡이를 짚고 바다로 가려고 현관 문을 드르륵 열자, 밖에 세 명, 유카타를 입은 아버지와 어머니, 빨간 옷을 입은 여자 아이가 그림처럼 아름답게 나란히 서 있었다. 오케이의 가족이다.


 나는 스스로도 놀랄 정도로 지나치게 큰 소리를 질렀다.


 “왔어요? 오늘 전 이제부터 볼 일이 있어 나가봐야 합니다. 죄송합니다만 다음 날에 와주세요.”


 오케이는 품위 있는 중년 부인이 되어 있었다. 여덟 살이 된 아이는 식모 당시의 오케이를 많이 닮은 얼굴을 하고 있어, 탁한 눈빛으로 멍하니 나를 올려보고 있었다. 나는 너무나 슬퍼 오케이가 말을 꺼내기도 전에 도망치듯 강가로 뛰쳐나갔다. 대나무 지팡이로 강가의 잡초들을 이리저리 훑으며 한 번도 뒤를 돌아보지도 않은 채 한 발자국 한 발자국 거친 발걸음으로, 무조건 해안을 따라 읍내 쪽으로 똑바로 걸었다. 나는 읍내에서 무엇을 하고 있었을까. 그저 의미도 없이 활동사진의 간판을 구경하고, 포목상 창문을 바라보기도 하고, 쯧쯧 거리며 혀를 차면서도, 마음 어디 한 구석에서는 졌다, 졌다며 속삭이는 목소리가 들려와서, 이래서는 안 된다며 심하게 몸을 떨고는 다시 걸어, 30분 정도 그렇게 있었을까. 나는 다시 내 집 쪽으로 발길을 돌렸다.


 바닷가로 나갔을 때 나는 발걸음을 멈췄다. 보라, 앞에 평화의 그림이 있다. 오케이의 세 가족. 평화롭게 바다에 돌을 서로 던지고는 웃고 있다. 목소리까지 들려온다.


 “상당히,” 순경은 힘껏 돌을 던지고는, “똑똑한 분 같던데. 저 분은 이제 훌륭해지실 거야.”


 “그럼요. 그렇구 말구요.” 오케이도 자랑스러운 듯 경쾌한 목소리로 대답한다. “그 분께서는 여렸을 때부터 특별하셨어요. 아랫사람들한테도 정말 친절하게 대해주셨거든요.” 


 나는 선 채로 울고 있었다. 거친 흥분이 눈물로 마치 기분 좋게 녹아버리는 듯했다.


 졌다. 이건 좋은 일이다. 그렇지 않으면, 안 된다. 그들의 승리는 또한 나의 내일부터 있을 출발에도 빛을 비춰주리라.




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