투쟁 (闘争)

고사카이 후보쿠 (小酒井 不木) (1925)

일본어 원문


 K君。

 親切な御見舞の手紙うれしく拝見した。僕は全く途方に暮れてしまった。御葬式やら何やら彼(か)やらで、随分忙(せわ)しかったが、やっと二三日手がすいて、がっかりした気持になって居るところへ君の手紙を受取り、涙ぐましいような感激を覚えた。君の言うとおり、毛利先生を失ったわが法医学教室は闇だ。のみならず、毛利先生を失ったT大学は、げっそり寂しくなった。更に、また毛利先生を失った日本の学界は急に心細くなった。さきに狩尾(かりお)博士を失い、今また毛利先生の訃(ふ)にあうというのは、何たる日本の不幸事であろう。毛利先生と狩尾博士とは、日本精神病学界の双璧であったばかりでなく共に世界的に有名な学者であった。その二人が僅か一ヶ月あまりのうちに相次いで病死されたということは、悲しみてもなお余りあることである。

 K君。君は僕の現在の心持ちを充分察してくれるであろう。何だか僕も先生と同じく肺炎に罹(かゝ)って死にそうな気がしてならぬ。かつて中学時代に父を失ったとき、その当座は自分も死にそうに思ったが、その同じ心持ちを今しみ/″\感ずるのだ。教室へ出勤しても何も手がつかぬ。幸いに面倒な鑑定がないからいゝけれど、若(も)しむずかしい急ぎの鑑定でも命ぜられたら、どんな間違いをしないとも限らない。家に帰ってもたゞぼんやりとして居るだけだ。それで居て、何かやらずに居られないような気分に迫られても居るのだ。若し僕に創作の能力があったら、きっと短篇小説の二つや三つは書き上げたにちがいない。けれども残念ながら、それは僕には不可能事だ。たゞ幸いに手紙ぐらいは書けるから、今晩は君に向って、少し長い手紙を御返事かた/″\書こうと思う。

 君の手紙にも書かれてあるとおり、毛利先生は最近たしかに憂鬱だった。君ばかりでなく、他の友人たちも、それを気づいて、すぐに先生の生前に、僕にたずねた者がある。僕には先生の憂鬱の原因、ことに死の直前一ヶ月あまりの極端な憂鬱の原因はよくわかって居た。けれども、先生が生きて居(お)られる限りはその原因を僕は絶対に人に語らぬつもりだった。けれども、今はもうそれを語ってもよいばかりでなく、また語らずには置けぬ気がするのだ。で、それについてこれから出来るだけ委(くわ)しく書こうと思う。

 それから今一つ、話の序(ついで)に、君が嘸(さぞ)聞きたがっているだろうと思う、例の新聞広告、とだしぬけに言ったのではわかるまいが、今から一ヶ月半ほど前に、都下の主な新聞の三行広告欄へあらわれた不思議な広告

PMbtDK

の種明しをもしようと思う。こう言うと、君は定めし不審に思うだろうが、あの広告は、実は僕が出したものだ。君よ、驚いてはいかぬ。詮索好きの君は、あの当時、よく僕の教室へ来て誰が、何のために出して、どういう意味があるだろうかと、色々推定を行(や)ってきかせてくれたものだ。僕は君に感附かれないように、つとめて知らぬ顔を装って居たのだが、あれこそ、先生の憂鬱の原因と関係があって、その当時は絶対の秘密を要したことだから、僕は自分ながら感心するほど、よく自制したよ。が、今はそれを自由に物語ることが出来るのだ。君も、きっと喜ぶだろうが、僕もうれしい気がする。

 K君。

 君はよく記憶して居るだろう。郊外Mに文化住宅を構えて居た若き実業家北沢栄二の自殺の一件を。一旦自殺として埋葬されたのを、警察の活動によって、未亡人政子(まさこ)とその恋人たる文士緑川順が、他殺の嫌疑で拘引され、死骸の再鑑定をすることになったが、鑑定の結果、やはり自殺と決定されて二人は放免され、事件は比較的平凡に片づいてしまった。あの鑑定は主として僕がやったけれど、実はあの事件の底には、もっと/\奥深いものがかくされて居て、それがやがてあの謎の広告と密接な関係を持って居るのだ。というと、察し深い君は、あの事件がやはり他殺だったのかと思うであろう。そうだ。思い切って言えば、やはり一種の他殺だったのだ。が、それはたしかに普通の場合とは異って居るので、それがあの謎の広告となったのだが、とに角、こういう訳で、毛利先生の憂鬱の原因は、間接に北沢事件だとも言い得るのだ。

 尤もそれは先生の死の直前の極度の憂鬱のことをいうのであって、すでにその以前から、毛利先生は憂鬱だったのだ。僕はちょうど五年間先生に師事したが、最初の四年間先生は文字通り快活で、疲労というものを少しも知らぬ学者だった。五十を越した人と思われぬ黒い髪と、広い額と窪んだ眼と、かたく結んだ唇とは、見るからに聡明な性質を表わして居たが、ことに先生が、法医学的の、又は精神病学的の鑑定を行われる態度は、襟(えり)を正しくせずに居(お)られぬほど厳粛なものだった。それもその筈だ。先生の鑑定の結果は、単に一個人の生命に関係するばかりでなく、社会にも重大な影響を与えるから、いわば人智の限りを尽して携(たずさ)わられたのである。而(しか)も、そうした義務的観念から熱心であったばかりでなく、心からの興味をもって従事されたのである。

 ところが過去一ヶ年ほど、どうした訳か先生は、以前ほど仕事に興味を持たれなくなった。どんな小さな鑑定にも、必ず自分の息を吹きかけねば気の済まなかった先生が、近頃はほとんど我々助手に任せきりだった。任せきりだとはいうものゝ、鑑定書には必ず眼をとおされ、助手の手にあまるような問題には決して労力を惜まれなかったが、どう観察しなおしても、以前ほどの熱はなく、教室でぼんやり時を過されることが度々であった。後進を引き立てるために、わざと手をつけることを差控えるようにせられたのかとも思って見たけれど、決してそうばかりではなかった。というのは、先生の顔にだん/\憂鬱の影がさして来たからである。

 僕ははじめ先生の憂鬱の原因を、何か先生に、世間普通の心のなやみが生じたためではないかと考えたよ。甚(はなは)だ失礼ながら、独身の先生のことだから、恋愛問題にでも直面されたのではないかと思って見た。もちろん今はその邪推を後悔して居るが、とに角、一時はそうとでも考えるより他はなかったのだ。ところが、だん/\観察を深めて行くと、それが全部ではないけれど、一種の倦怠とも見るべき状態だとわかったのだ。どうもこの倦怠という言葉は甚だ坐りが悪いけれど、他によい言葉がないから、致し方なく使用するのだが、いわば、精神活動の一種の弛緩(しかん)状態を意味するのだ。

 生理学を専攻する君に、こんなことを言うのは僭越だが、心臓の血圧の曲線を観察すると、かのトラウベ・ヘーリング氏の弛張(しちょう)がある。心臓は生れてから死ぬまで搏動を続けて居なければならぬから、一対ずつ存在して居る器官、例えば腎臓のように、一方の活動して居る間、他方が休むという訳にいかぬ。それで活動に弛張(しちょう)を来(きた)し、それが所謂(いわゆる)トラウベ・ヘーリング氏の弛張と名づけられて居るが、僕は精神的活動にも同様なことがあり得ると思うのだ。平凡な働きしか出来ぬ脳髄には弛張は目立たぬけれど、精神的活動がはげしければはげしいほど、緊張状態の後に来る弛緩状態が目立って来ると考えるのだ。僕は嘗(かつ)てこの見地のもとに、史上の俊才の伝記を研究したことがある。果して多くの俊才には、精神的活動期の中間に著しいギャップのあることがわかった。古来の伝記学者たちはそのギャップを色々に説明して居るが、要するに、それは生理的に、いわば自然に生ずるものであって、俊才自身が意識してそのギャップを作ったのではないのだ。そうしてその時期にめぐり合せた俊才たちは、きまって憂鬱になるのだ。著しかった精神活動の時期を回顧して、だん/\深い憂鬱に陥(お)ちこんで行くのだ。

 時には肉体的の欠陥がこの弛緩状態を起すことがある。肺結核の初期には却って精神的活動を促すが、後にはやはり弛緩状態を起すらしい。慢性腎臓炎などは弛緩が著しい。そこで僕は先生が何か病気に罹(かゝ)られたのではないかとも思ったことがあるけれど、やはりそうではなく、俊才に生理的に起る憂鬱状態と見るのが至当だったのだ。

 今になって見れば、もっと他の、学者としては最も当然な、且(か)つ最も高尚な悩みもあったのだが、それはむしろ原因ではなくて、単にその時期に併在(へいざい)したと見るのが至当であろう。いずれにしても、毛利先生は、先生自身でもどうにもならぬ、況(いわ)んや僕等の何とも仕ようもない憂鬱に陥ってしまわれたのである。

 ところが、その憂鬱からはからずも脱し得られるような事情が起ったのだ。後から見ればそれが一時的のものであって、毛利先生はその後更にはげしい憂鬱に陥られたが、若し、先生の論敵で、先生と共に、日本精神病学界の双璧といわれて居る狩尾博士が脳溢血で頓死(とんし)されなかったら、あのまゝ従前の活動状態に復帰されたかも知れぬ。そうして、ことによったら、先生の死もこれほど早くには起らなかったかも知れぬ。が、今はもう悔んでも及ばない。又、僕の愚痴をならべて君を退屈させても相済まぬ。で、先生を一時的に憂鬱から救った事情を早く物語ろうと思う。言う迄もなく、それが即ち、北沢事件なのである。

 K君。

 北沢事件は、その当時、新聞に委(くわ)しく報ぜられたから、君も大体は知って居るであろう。三十七歳の実業家北沢栄二は郊外に、文化住宅を建て、夫人政子と二人きりで、全然西洋式に暮して居たのだが、今から二月前の十月下旬のある日、夫人の留守中に書斎でピストル自殺を遂げた。その日夫婦は午後一時に昼食をとり、それから間もなく夫人は買物に出たが、色々手間どって五時半頃に帰ると、良人は書斎の机の前に椅子と共に、床の上に血に染まって死んで居たので、驚いて電話で警察へ報じたのである。

 取調べの結果、机の上には遺書と見るべきものが置かれてあって、他殺らしい形跡が毫(すこし)も認められなかったので、翌日埋葬を許可された。普通ならば火葬にさすべきであるのに、特に埋葬にせしめたのは、遺書と見るべきものが、本人の自作の文章ではなくて、本人の自筆ではあるけれど、先年自殺した青年文学者A氏の「或(ある)旧友へ送る手記」の最初の一節をそのまま引き写したものだったからである。つまり警察では、そこに後日の研究の余地を存(そん)せしめて置いたのだ。

 すると果して約一ヶ月の後、警察へ投書があった。それは「北沢栄二の死因に怪しい点がある」とのみ書かれたハガキであるが、それがため警察がひそかに未亡人を監視(かんし)すると、未亡人は、緑川順という年若き小説家の愛人があるとわかり、愛人の家宅を突然捜索すると、ちょうど北沢が自殺に用いたと同じピストルが発見され、なお当然のことであるが、「遺書」の載って居るA氏の全集もあったから、警察は謀殺の疑いありとして、未亡人と緑川とを拘引し、死骸の再鑑定を僕等の教室へ依頼して来たのだ。

 鑑定の依頼に来たのは、警視庁の福間警部だった。僕等にはお馴染の人である。僕は警部から鑑定の要項と一切の事情とをきゝ取って、発掘して運ばれた死体を受取り、福間警部をかえして毛利先生の部屋をたずねたのだった。その日は今にも雨の降りそうな、変に陰鬱な天気だったせいもあるが、先生の顔には常にないほどの暗い表情が満ちて居た。僕が書類を手にしてはいって行くと、先生は読みかけた雑誌をそのまゝにして顔をあげ、

「また鑑定かね?」と、吐き出すように言われた。

「はあ」

「どんな」

 そこで僕は、福間警部からきいた一切を物語ったが、一年前ならば、眼を輝かして聞かれたであろうに、而(しか)も自殺か他殺かという鑑定の結果によっては二人の生命が左右されるほどの重大な事件であるのに先生はたゞフン、フンといってうなずかれるだけで、悪くいえば、まるで他事(よそごと)を考えて居られるのではないかと思われるような、味気ない態度であった。僕が語り終ると、

「それで、鑑定の事項は?」

「三ヶ条です。第一は胃腸の内容から、死の起った時間を決定すること。第二は現場及び遺書の血痕が自然のものか、又は人工的に按排(あんばい)された形跡があるか否や、第三はピストルが、どれほどの距離で発射されたかと言うのです」

「その遺書をそこに持って居るかね?」

 僕は紙袋に入れられた遺書を取り出して、先生に差出した。それは二つに折られた水色のレター・ペーパーで、外側には数個の血痕が附着し、中側にペンで「或旧友へ送る手記」の最初の一節が書かれてあった。くどいようであるけれども、後の説明のために、その全文を書いて置こう。

 誰もまだ自殺者自身の心理をありのままに書いたものはない。それは自殺者の自尊心や或(あるい)は彼自身に対する心理的興味の不足によるものであろう。僕は君に送る最後の手紙の中に、はっきりこの心理を伝えたいと思っている。尤も僕の自殺する動機は特に君に伝えずとも善(よ)い。レニエは彼の短篇の中に或自殺者を描いている。この短篇の主人公は何のために自殺するかを彼自身も知っていない。君は新聞の三面記事などに生活難とか、病苦とか、或は又精神的苦痛とか、いろいろの自殺の動機を発見するであろう。しかし僕の経験によれば、それは動機の全部ではない。のみならず大抵は動機に至る道程を示しているだけである。自殺者は大抵レニエの描いたように何の為に自殺するかを知らないであろう。それは我々の行為するように複雑な動機を含んでいる。が、少くとも僕の場合は唯(たゞ)ぼんやりした不安である。君は或は僕の言葉を信用することは出来ないであろう。しかし十年間の僕の経験は僕に近い人々の僕に近い境遇にいない限り、僕の言葉は風の中の歌のように消えることを教えている。従って僕は君を咎(とが)めない。……

 先生はそれでも、この文句の全部に眼をとおされたのだった。そうして読み終ってから、

「この筆蹟は本人に間ちがいないのかね?」

と、たずねられた。

「それは間違いないそうです」

 言う迄もなく先生は筆蹟鑑定のオーソリチーだ。以前の先生ならば、こうした変った遺書はきっと興味をひくにちがいないのだが、

「そうか」と答えられたゞけであった。そうして、僕に紙片を返しながら、

「それでは、涌井(わくい)君、君にこの事件の鑑定をしてもらうことにしよう」と、言い放って、再び雑誌の方を向いてしまわれた。

 あとでわかったことだが、毛利先生がその雑誌の方へ心を引かれて居られたのも無理はないのだった。其処(そこ)には、先般学会で先生が大討論をなさった狩尾博士の論文が掲載されて居たからである。ここで序(ついで)に、僕は毛利先生と狩尾博士との関係を述べて置こう。この二人が日本精神病学界の双璧だったことはすでに述べたが、毛利先生を堂上(どうじょう)の人にたとえるならば、狩尾博士は野人であった。すでにその学歴からが、毛利教授は大学出であるのに、狩尾博士は済生学舎(さいせいがくしゃ)を出てすぐ英国に渡って苦学した人だった。そうして狩尾博士はS区に広大な脳病院を経営し、しかも、どし/\新研究を発表した。その風采も毛利先生は謹厳であったのに、狩尾博士は禿頭(とくとう)で、どことなく茶目気があった。

 更にその学説に至っては全然相反の立場にあった。毛利先生はドイツ派を受ついで居られたのに、狩尾博士はイギリス、フランス派を受ついで居た。もとより晩年には二人とも、外国にも匹儔(ひっちゅう)を見ないほどのユニックな学者となって居て、毛利先生は、先生の所謂(いわゆる)「脳質学派」を代表し、狩尾博士は博士の所謂「体液学派」を代表して居た。脳質学派とは人間の精神状態を脳質によって説明するのに反し、体液学派は、体液ことに内分泌液によって説明するのである。

 狩尾博士の体液学派は、内分泌派又は体質派ともよばれるのであって、狩尾博士の主張するところによれば、すべての精神異常は体質によって定(き)まるものであって、而(しか)も体質なるものは目下のところ人力で之(これ)を如何(いかん)ともすることが出来ない。例えば殺人者たる体質を有するものは、必ずある時期の間に殺人を行う。故にその時期に入ったことを観察することが出来たならば、僅かの暗示的刺戟によっても殺人を行わせることが出来るというのである。即ち、一見精神健全と思われる人にも、体質の如何によって恐ろしい犯罪を敢(あえ)てせしめ得るのだというのであって、その刺戟を狩尾博士は、これまでの suggestion と混同されないように incendiarism と名づけたのである。

 この説に対して毛利先生は、精神異常は脳質に変化が起ってはじめてあらわれるのであって、脳質に変化の起らない限り、即ち、精神病的徴候のあらわれない限り、暗示によって殺人を行わせるごときは絶対に出来ぬと主張されたのである。先般の学会でもこの点について激論があった。実をいうとその時毛利先生の旗色が幾分か悪かった。すると、狩尾博士は、

「毛利君如何(いかゞ)です?」と、いかにも皮肉な口調で、幾度も先生に迫ったものだ。けれども、人間に直接実験して見せて貰わないうちは、先生も兜(かぶと)をぬぐことが出来ない。で、結局はやはり、そのまゝになって討論はやんだが、その時の狩尾博士の演説が、雑誌に載って居たので、毛利先生は、鑑定の方よりも、それに余計に気をとられて居(お)られたわけである。

 K君。

 このようにして、北沢事件の再鑑定は僕が引受けることゝなった。僕等の教室では、たとい鑑定の事項が局所的のものでも、必ず全身を精密に解剖することになって居るので、その日直ちに注意深く解剖を行った。その結果、北沢栄二という人は胸腺淋巴(きょうせんりんぱ)体質であることを知った。即ち自殺者に殆んど常に見られる体質だ。それから頭部の銃創と骨折の関係をしらべ、胃腸の内容をしらべたが、その結果、ピストルは右の顳(こめかみ)から約五センチメートルほど離れたところから発射され、死の時間は昼食後一時間乃至二時間後であることをたしかめた。それから僕は北沢家に出張して現場(げんじょう)の模様をしらべ、なお、遺書の上の血痕を検(しら)べたが、人工的に按排(あんばい)された形跡は一つも発見することが出来なかった。

 このうち胃腸の内容検査は、色々の面白い事実を教えてくれた。無論それは事件とは関係のないもので、消化生理の上から見て興味あることだが、とてもその委(くわ)しいことは今書いて居れぬから、他日教室へ来て鑑定書を見てくれたまえ。いずれにしても、僕の鑑定の結果では、他殺と見るべき根拠は何一つ発見されなかったのである。

 あくる日、僕は、毛利先生の部屋をたずねて、解剖の結果その他を逐一報告した。さすがにその時は、熱心に聞いて下さったが、僕の報告を終るなり、先生は、

「それじゃ、自殺と考えても差支(さしつかえ)ないね。若しそれが他殺だったら、たしかに奇蹟だ」と、言われた。

 ところがK君。その奇蹟であることが、皮肉にも、それから一時間の後に起ったのだった。といっては少し言い方が変だが、実は、福間警部がたずねて来て、容疑者の緑川順が、北沢を殺したことを自白したから、毛利先生に警視庁へ来て、緑川を訊問して、その精神鑑定をしてほしいと頼みに来たからである。

 これをきいた毛利先生の態度は急に一変した。先生はその瞬間に以前の毛利先生となられたのである。「他殺だったら、たしかに奇蹟だ」と断定されたほど、他殺説の割りこむ余地のない事情のところへ、他殺を自白したのだから、毛利先生は急に興味をもってみずから、取調べて見ようという気になられたにちがいない。

「福間君。緑川の自白したことを、まだ北沢未亡人には告げないだろうね」

「告げません」

「よし、それではこれからすぐ出かけよう」

 僕等三人はやがて警視庁へ自動車をとばせた。自動車の中で毛利先生は、福間警部に向って、緑川の自白の趣(おもむき)をたずねられた。警部の話したところによると、かねて彼は北沢夫人と恋愛関係をもって居たが、北沢夫人から、北沢がピストルを買ったこと、冗談半分に文学者A氏の遺書の一節をうつして持って居ることをきゝ、自分も同じピストルを買って、夫人に内証に北沢を亡きものにしようと決心し、その日、夫人が買物に出かけた後、ひそかにしのびこんで書斎へ行くと、北沢は椅子に腰かけて食後の微睡(びすい)をして居たので、これ幸いと、うしろにしのび寄り、自分のピストルで射殺し、たおれるのを見すまして、手にそのピストルを握らせ、それから机の抽斗から、北沢のピストルと遺書を取り出し、ピストルはポケットに入れ、遺書は机の上に置いて、再びしのび出たというのであった。

「緑川はどこに住(すま)って居るのかね?」と、毛利先生は警部の説明をきゝ終ってたずねられた。

「北沢家から、四五町へだたったところに小さな文化住宅をかまえ、一人で住んで居るのです」

 警視庁へ着くなり、毛利先生と僕とは一室にはいって、緑川の連れられてくるのを待った。

 やがて福間警部につれられてはいって来たのは二十四五の、顔の長い、髪の毛の房々とした青年だった。毛利先生は何思ったか福間警部を別室に退(しりぞ)かせて、緑川に犯行の模様を語らせた。それは、福間警部が自動車の中で告げたことゝ少しも変らなかった。

「それでは、この机の前で、その時の北沢さんの模様をやって見せて下さい」

 と、毛利先生は立ち上って、自分の腰かけて居た椅子を緑川に与え、室の隅にあった薄縁(うすべり)をもって来て床に敷かれた。

 緑川はおそる/\椅子に腰かけた。

「さあ、眼をつぶって微睡して居る様子をして下さい。僕がその時のあなたの役をつとめます。よろしいか。そら、ドンとピストルを打った。そこで北沢さんはどうしましたか」

「何しろ興奮して居たから、こまかい動作はよく覚えて居りません。たしか、こういう風に立ち上ったと思います。それから、たしか身体を、こう捩(ね)じて、下へたおれ、こう言う風に横(よこた)わりました」

 こう言って一々その動作を示した。

「宜(よろ)しい。恐入りますが、もう一度やって見て下さいませんか」

 更に再び実験が行われた。

「横わった時の姿はそれに変りはありませんか」

「それはたしかに記憶して居ります」

「よろしゅう御座います。元の部屋へお帰り下さい」

 こう言って先生は福間警部をよんで緑川を連れ去らせた。

「涌井君。君は昨日北沢家へ調べに行った時、福間警部に北沢がどんな風に死んだかを演(や)って見せたね」

「はあ」

「そうだろうと思った」

 やがて福間警部が戻って来ると、

「福間君。白状というものは、こちらから教えてさすべきものでないよ。むこうの言うことを黙ってきけばいゝのだ」

「緑川が何か言いましたか」

「いま緑川に実演させたら、君が教えたとおりにやったゞけで本当のことをやらなかったよ。あんな飛び上り方なんて、まったく嘘だ。たゞ、横わってからは本式だった。本人も、飛び上ってから、身体を捩じてたおれるまでは、どうも興奮してよく覚えて居りませんと言いながら、横わった姿だけはっきり覚えて居るんだ。緑川の自白は虚偽だよ」

「それでは何故そんな虚偽の自白をしたのでしょう」

「それは、あとでわかるよ。未亡人をつれて来てくれたまえ」

 間もなく黒い洋装の喪服を着た北沢未亡人が連れられて来た。眼の縁が際立って黒かったので、一層チャーミングに見えたが、さすがに、三十過ぎであることは皮膚のきめにうかゞわれた。

 例によって福間警部が退くと、先生は、

「あなたは、御主人が自殺された日、何時に用たしから御帰りになりましたか」

「五時半頃だったと思います」

「そうではないでしょう。四時か四時半頃だったでしょう」

「いゝえ、たしかに五時……」

「本当のことを言って下さい。こちらには何もかもわかって居るのですから」

「……………………」

「あなたは、四時頃に帰って死骸を発見し、びっくりして緑川さんのところへかけつけ、それから緑川さんをよんで来て、二人でとくと相談して、はじめて警察へ御知らせになったでしょう」

「いえ……」

「だから、緑川さんは、あなたが御主人を殺しなさったにちがいないと思いこみ、あなたをかばうために、今日、自分が殺したのだといって白状されましたよ」

 この言葉に彼女はぶるッと身をふるわせて、

「それは本当で御座いますか。それでは何もかも申し上げます。まったく仰せのとおりで御座います。緑川さんが殺したのでもなく、また私が殺したのでもありません。私が四時に帰ったとき、すでに良人は死んで居りました。そうして私は一時に家を出て、それまで緑川さんのところに居たので御座います」

「よろしい。あなたの今言われたことを真実と認めます」

 こう言って、毛利先生は警部をよんで夫人を連れ去らせた。

「涌井君」と、先生はさすがに喜ばしそうに言われた。「真実(まこと)を知ることは、案外に楽なときもあるね。僕は緑川の実演で、彼が死骸を見せられたにちがいないと推定したのだが、果してそうだった。それにしても、恋は恐ろしいものだ。夫人の罪を救おうとして虚偽の自白をなし、敢て自分を犠牲にしたのだ」

 K君。僕は今更ながら先生の烱眼(けいがん)に驚かざるを得なかった。先生の前には、「虚偽」はつねに頭を下げざるを得ない。

「さあ」と先生は腕を組んで言われた。「これで、二人には罪がないとわかり、北沢は自殺ときまったが、さて、何だかまだ事件は片づいて居ないではないかね」

「はあ」と、返事をしたものの、僕にはさっぱり見当がつかなかった。

 福間警部がはいってくると、先生は訊問の結果を告げ、二人を放免すべきことを主張せられて、そうして最後に、

「昨日(きのう)、僕は立入ってはきかなかったが、一たい北沢事件の今度の再調査は、警察へ来た無名の投書がもとになったというではないかね」

「そうです」

「君は、その投書について調べて見たかね」

「いゝえ、投書はありがちのことですから、別に委しいことは検べませんでした」

「その投書はまだ保存してあるだろうね」

「あります、持って来ましょうか」

 警部は去って、間もなく葉書をもって来た。そこには、「北沢栄二の死因に怪しい点がある」と、ペンで書かれてあったが、僕はそれを見た瞬間、はッと思って、先生の顔を見ると、先生の眼はすでにぎら/\輝いて居た。

「涌井君。遺書を出したまえ」先生は遺書と投書の筆蹟を見くらべられたが、「この遺書と投書とは、同じ日に、同じペンとインキで、同じ人によって書かれたものだ※[#感嘆符三つ、184-1]」

 K君。

 その瞬間、僕は、たしかに一種の鬼気というべきものに襲われたよ。福間警部も、あまりの驚きで暫らくは言葉が出ないらしかった。

「福間君。御苦労だが、もう一度北沢夫人を連れて来て下さらぬか」

 警部が去るなり、僕は言った。

「先生、それでは、北沢氏自身が、二人を罪に陥れるために、そのような奸計(かんけい)をめぐらしたのでしょうか」

「それならばもっと他殺らしい証拠を作って然るべきだ」

「他殺らしい証拠を作っては却って観破される虞(おそれ)があるから、投書の方だけを誰か腹心の人に預けて置いて、あとで投函してもらったのではないでしょうか。現に、遺書を自作にしなかったのも、やはり、深くたくんだ上のことではないでしょうか」

「そうかも知れない。けれど、北沢という人が、果してそういうことの出来得る人かしら。とに角、夫人にきいて見なければわからない」

 夫人が連れられて来ると、先生は、遺書を示して、それが果して御主人の筆蹟であるかどうかをたずねられた。

 夫人は肯定した。すると、福間警部も、北沢の他の筆蹟と較べたことを告げ、なお証拠として持って来てあった二三の筆蹟を取り出して来て示した。

 先生は熱心に研究されたが、もはや、疑うべき余地はなかった。遺書も投書も、北沢その人が同時に書いたものである。

「この遺書を御主人が書かれたのは、いつ頃のことですか」

「たしか、死ぬ二十日程前だったと思います」

「どこで書かれましたか」

「それは存じませんが、ある晩私にそれを見せて、もうこれで、遺書(かきおき)が出来たから、いつ死んでもよいと、冗談を申して居りました」

「すると、自殺をなさるような様子はなかったのですか」

「少しもありませんでした。平素比較的快活な方でしたから、まさかと思って居りました」

「ピストルはいつ御買いになりました」

「その同じ頃だと思います。強盗が出没して物騒だからといって買いました」

「御主人は平素(ふだん)巫山戯(ふざけ)たことを好んでなさいましたか」

「何しろわがまゝに育った人で、たまには巫山戯たことも致しましたが、時にはむやみにはしゃぐかと思えば、時にはむっつりとして二三日口を利かぬこともありました」

「御主人には、親しい友人はありませんでしたか」

「なかったと思います。元来お友達を作ることが嫌いで御座いまして、自分の関係して居る会社へもめったに顔出し致しませんでした。たゞM――クラブへだけはよく出かけました」

「M――クラブというと?」

「英国のロンドンに居たことのある人たちが集って組織して居る英国式のクラブで、丸の内に御座います」

 これで毛利先生は訊問を打ちきって、未亡人を去らせ、

「いくらたずねて行っても、わかるものでない」と、呟くように言われた。

「それでは、投書の主をたずね出して見ましょうか」と、福間警部が言った。

「いま、たずね出したところが、自殺説が変るわけのものではないし、又、むこうから名乗って出ない限りはたずね出せるものでもなかろう。とに角、これで事件は片づいたよ」

 K君。

 かくて北沢事件はとに角片づいた。それは新聞で君も御承知のとおりだ。けれども片づかぬのは先生の心だった。再び従前の活動状態に戻られた先生としては、事件の底の底までつきとめねばやまれる筈がない。「むこうから名乗って出ない限りはたずね出せるものでもなかろう」と言われたものゝそれは警察に向っての言葉であって、先生にはすでにその時、たずね出せる自信があったに違いない。それのみならず先生は、その事件の真相を警察に知らせては面白くないとさえ直感されたらしい。

 警視庁を去るとき、

「この遺書と投書を暫らく貸してもらいたい。少し研究して見たいから」

 と言って、先生はその二品を持って教室へ帰られたが、やがて僕を教授室に呼んで、

「涌井君、君はどう考える」と、だしぬけに質問された。

 僕が何と答えてよいか返事に迷って居ると、毛利先生は説明するように、

「単に警察に投書があったというだけなら、無論詮索する必要はないのだ。又、たとい、死んだ本人の自筆の投書であっても、これまたさほど珍らしがらなくてもよいことだ。世の中には随分悪戯気(ふざけ)の多い人もあるから、大に警察を騒がせて、草葉の蔭から笑ってやろうと計画する場合もあるだろう。また、遺書が自作の文章でなくて、他人の引き写しであってもこれも、別に深入りして詮索するに及ばぬことだ。こうした例はこれまでにもなか/\沢山あった。ところがこの二箇の、詮索を要せぬ事情が合併すると、そこに、はじめて詮索に価する事情が起って来るのだ。この場合自殺者が、遺書と投書とを同じ時に書いたということは、少くともある目的、而(しか)も、たった一つの目的のために書かれたことになる。従って、その目的を詮索する必要が起って来るのだ」

「その目的はやはり、夫人と愛人とを罪に陥れるためではなかったでしょうか」

「それならば、もっと他殺らしい証拠を造って然るべきだ」

「それでは、単なる人騒がせのための悪戯でしょうか」

「悪戯としては考え過ぎてある。現にこの投書は、今少しのことで捨てられてしまうところだった。この投書を見なかったならば、僕もこのように興味を持たない筈だ」

 K君。まったく僕にはわからなくなってしまった。そうして、毛利先生にも、その時はまだ少しもわかっては居なかったのだ。

「この謎はとても短時間には解けぬよ。君はもう帰ってもよい。僕はこれからこの二品を十分研究して見ようと思う」

 K君。

 かくて僕は、可なりに疲労して家に帰ったが、先生から与えられた謎が頭にこびりついて、その夜はなか/\眠れなかった。僕は色々に考えて見た。はては文学者A氏の全集を繙(ひもと)き、その遺書の第一節の文章なり意味なりから、何か解決の手がかりは得られないかと詮索して見たが、結局何も得るところはなかった。

 あくる日、睡眠不足の眼をこすりながら、教室へ行くと、先生はすでに教授室に居られた。その顔を見たとき、先生が徹夜して研究されたことを直感した。

「涌井君、遂に問題は解けたよ」

 僕の顔を見るなり、先生はいきなり声をかけられたが、いつもの問題の解けた時のような、うれしさがあらわれて居なかったから、何か先生にとっては不愉快な解決だなと思った。

「解けましたか」

 そう言ったきり、僕は次の言葉に窮した。「それは愉快です」とは、どうしても言えなかったのだ。すると先生は、机の上にあった小さな紙片をとり上げて、

「之がその解決だよ」と言って渡された。見ると其処(そこ)には、

PMbtDK

と書かれてあった。

「君、甚(はなは)だ御苦労をかけるが、それを都下のおもだった新聞に、あまり目立たないように広告してくれたまえ」

 僕は面喰った。

「これは暗号で御座いますか」

「理由(わけ)は君が帰ってから話す」

 僕はそのまゝ黙って引きさがり、それから各新聞社をまわって広告を依頼し、教室へ帰ったのは午後一時ごろだった。道々僕は、先生の渡された暗号――無論僕ははじめそれを暗号だと思った――を、色々に考えて解こうとしたが、まるで雲をつかむようだった。又、何のために、先生が新聞などへ広告を出されるのか、そうして、これが一たい北沢事件と、どう関係があるのか、ちっともわからなかった。だから、教室へ帰ったときは、早く先生から説明がきゝたくて、僕はいわば好奇心そのものであった。

 教授室に入ると、先生は立ち上って、入口の方へ歩いて行き、扉(ドア)の鍵孔に鍵を差しこんでまわされた。

「あまり大きな声で話してはならぬのだよ」こう言って再び机の前えに腰をおろし、「さて涌井君、君はニーチェを読んだことがあるか」と、だしぬけに質問された。

「はあ。以前に読んだことがありましたけれど……」と、僕がしどもどしながら答えると、先生は遮(さえぎ)って、

「無理もない。今どきニーチェなどを語るのは物笑いの種かも知れぬが、若(も)しそれが天才の仕事であるならば、たとい非人道的であっても、君は許す気にはならぬかね」

「さあ、そうですね……」

「いきなり、こう言っては君も返答に迷うであろうが、近頃はよく民衆の力ということが叫ばれて居るけれど、少くとも科学の領域に於ては、幾万の平凡人も、一人の天才に及ばぬことを君は認めるであろう」

「認めます」

「そうして、科学なるものが、人間の福利を増進するものである以上、科学的天才の仕事が非人道的であっても、君はそれを許す気にならないか」

 誠に大問題である。

「もっとよく考えて見なくてはわかりませんが……」

「その肯定が出来なくては、君に先刻(さっき)の約束どおり、説明を行うことが出来ぬ」

 それでは大変だ。是非、北沢事件の解決をきかねばならぬ。

「許してもよいような気がします」

「よし、そんなら説明に取りかゝろう」と、案外先生は楽に話しかけて下さった。「ゆうべ僕は、この二枚の紙片をにらんで、とうとう徹夜してしまった。だん/\推理を重ねていった後、比較的早く事件の底にかくされた秘密を知ったけれど、その確証をにぎるのに随分苦心した。

「僕は昨日君がかえってから、この二つの品即ち遺書と投書を、机の上にならべて、如何なる順序で研究すべきかを考えた。その結果、最初は先ず、心を白紙状態に還元して、果してこの二つの筆者が北沢その人であるかどうかを研究した。けれども、もはやそれには疑いの余地がなかった。いろ/\北沢の他の筆蹟とくらべて見たが、絶対に他の人であり得ないことがわかった。

「然らば、北沢は何故にかゝる計画を行ったか、何の目的でやったことかを次に研究した。これこそ謎の中心点で、すでに君と話し合っても見たが、遂に昨日は解決が出来なくて別れてしまった大問題だ。昨日も言ったとおり、遺書と投書と別々にしては、色々の目的が考えられるけれど、二つを合せるとたった一つの目的しか考えられなくなるのだ。従ってそのたった一つの目的をさがし出せば凡(すべ)ての事情が氷解するのだが、何がさて、たったこの二つきりの品によって解決しようとするのだから、なか/\困難だった。

「北沢が何人(だれ)に投書を依頼したかはわからぬが、とに角、投書は北沢の計画したとおりに投ぜられたにちがいない。ロマンチックな君は、きっと、北沢の投書の依頼を受けた人が誰であるかを知りたく思うであろう。その人を捜し出して、その人から北沢の真意をきゝ度(た)く思うであろう。無論あの投書が、偶然に無関係な人の手に入ったとは考えられないから、たしかに北沢に依頼された人がある筈だ。そうしてその人は、現にどこかで、警察や僕等の騒ぎを頬笑みながら覗(うかが)って居るにちがいない。それを思うと、君は腹立たしい気になるかも知れぬが、僕は然し、北沢が投書を依頼したという人には毫(すこし)も興味を感じなかったのだ。それよりも北沢の唯一(ゆいつ)の目的が知りたくてならなかった。

「而(しか)もその目的は、決して単なる人騒がせのためではない。何となれば、若し単なる人騒がせが目的だったら、もっと簡単な、そうしてもっと効果的な方法がある筈だ。だから北沢にはもっと厳粛な一つの目的があらねばならなかったのだ。

「ところが、そのような大切な目的を果すためには北沢の計画はすこぶるあやふやなものだった。それは昨日も言ったごとく、若し僕が注意しなければ、投書はあやうく捨てられてしまうところだった。自殺を敢てしてまで果そうとする大切な目的を遂行するにしては、随分乱暴な計画であって、それは到底手ぬかりなどゝ言ってはすまされないことである。

「して見ると、この投書の危険も予(あらかじ)め計画のうちに入れられてあったと考えねばならない。すると北沢は、その投書が当然僕の目に触れることを予定して居たと考えねばならない。いゝかね、涌井君、いまこうして話してしまえば何でもないようであるが、僕がこの推理に達するまでには、可なりの時間を費したのだ。

「遺書に自作の文章を書かなかったのは、警察に埋葬の許可しか与えさせぬ計画だった。これは疑うべき余地はないが、投書を警察へ送れば再鑑定が行われ、当然、僕が、その投書と遺書が同(おなじ)一人(ひとり)によって同一の時に書かれたことを発見するということも、今は疑うべくもない、予定の計画だったのだ。

「即ち北沢は、僕が投書と遺書の同一筆蹟なるところから興味をもって研究に携(たずさ)わり、その結果、その目的が何であるかを発見するに大に苦しむということもやはり、予定して居たのだ。涌井君、君は定めしこの言葉を奇怪に思うであろうが、投書が僕の手に入ることを確信した北沢のことであるからそれくらいのことを予定するのは何でもないのだ。つまり、一切の事情は、北沢の計画どおりに運んだ訳なのだ。換言すれば、北沢はすでにその目的を果したことになるのだ。

「いゝかね。僕が一生懸命になって詮索した北沢の目的は、僕に北沢の目的を詮索させることにあったのだ。

「然らば次に起る問題は、何故に北沢が、それだけの簡単な目的のために自己の生命までも奪ったかと言うことだ。北沢という人は、今回の事件ではじめて僕に交渉をもったゞけで、少くとも生前にはあかの他人であった。その人が、そのようなことをするとは、あり得ないことだ。

「その、あり得ないことがあるについては、そこに、それを正当に説明し得る理由がなくてはならない。そうしてそれを説明し得る唯一の理由は、北沢自身が、少しもそれを知らないということでなくてはならない。つまり北沢自身投書と遺書とを書いた目的を少しも知らなかったというより他にないのだ。

「しかも、投書と遺書とは北沢自身の筆蹟である。して見れば、この二つを北沢は無意識の状態で書いたにちがいない。然るに遺書は生前すでに夫人に示したくらいであるから、北沢自身は書いたことを意識して居た筈である。すると北沢は無意識に書いて置きながら、意識して書いたように思って居たと考えねばならぬのだ。

「涌井君。無意識で書いて、それを意識して書いたように思うのは、催眠状態に於て書かされ、あとでそれを意識して書いたつもりになるよう暗示された時に限るのだ。して見ると、北沢は、ある人のために無意識に書かされ、そうして暗示を与えられたと考えねばならなくなった。

「こうして、僕の推理の中にはじめて第三者がはいって来たよ。つまり、北沢事件に、今迄ちっとも顔を出さなかった人が顔を出すに至ったのだ。そうして、その第三者こそ僕に北沢の投書と遺書とを詮索させようとしたのであって、その人が、今まで北沢が行(や)ったとして話して来た計画をこと/″\く立てたわけである。そうして、北沢自身はそれについて少しも知らなかったのだ。

「涌井君。その第三者とはそも/\誰だろう。先ず他人の遺書の文句をうつした遺書を書かせて、死骸を埋葬させ、然る後、同一筆蹟の投書を警察へ送って再鑑定を行わせ、自殺であることを確証せしめて、たゞ僕のみがその投書を見て事件の謎をつきとめるために努力することを予想して居た人は誰であろうか。何のためにその人は僕に徹夜せしめるような苦心をさせたか。

「涌井君。君はもう、それが誰であるかをおぼろげながら察し得たであろう。けれども、その人であると断定すべき証拠が一たい何処にあるのか、その時僕は考えたのだ。これほどまでの計画を立てる人のことであるから、必ずその証拠となるべきものが、どこかにこしらえてあるにちがいないと想像したのだ。而(しか)も、恐らくは、この投書と遺書の二つの中にその証拠がかくされてあろうと思ったのだ。

「そこで僕はあらためて二つの品を検査しはじめたのだ。たとえば投書の文句が解式(キイ)となって、遺書の方から何かの文句が出て来るのではあるまいかというようなことも考えて見たのだが、そのような形跡はなかった。そこでこんどは遺書の文句即ちA氏の手記の第一節の文句の中に何かの意味が含ませてあるのではないかと、色々研究して見たが、そうでもなかった。ところがやっと暁方(あけがた)に至って、とうとう、遺書の中から、確実な証拠を握るに至ったよ。

「涌井君。君はよく記憶して居るだろう。先般の学会に、僕と狩尾君とが激論したことを。その時、たしかに僕は受太刀だった。すると狩尾君は『毛利君如何です』と皮肉な口調で僕に肉迫して来た。その時、僕は『人間について直接実験を行わない限り、君の説に服することは出来ぬ』と言って討論を終った。そうして僕は、その後人間に関する研究は、畢竟(ひっきょう)人間実験を行うのでなくては徹底的でないと考え、それが不可能事であることを思って、前からの憂鬱が一層はげしくなったのだ。

「ところが、狩尾君は遂にその人間実験を敢てしたのだ。北沢は君の解剖によると胸腺淋巴体質であったから、狩尾君は彼が、そのうちの自殺型に属して居ることを知り、而も狩尾君の所謂(いわゆる)、『特別の時期』にはいって居たのであろう。それを知った狩尾君はその所謂 incendiarism を行って、北沢を自殺せしめ、もって、僕にその説のたゞしいことを示したのだ。

「北沢が自殺する以前には、少しも自殺しやしないかという虞(おそれ)のある徴候はなかった筈だ。若しあるならば、ピストルを買ったり、遺書を書いたりしたので、夫人は警戒せねばならない。して見ると毫(すこし)も精神異常の徴候はあらわれて居らなかったのであって、そのような時機にはたとい暗示を与えても自殺をせぬというのが僕の説なのだ。ところがそれを狩尾君は人間実験で破ったのだ。そうして、それを僕にさとらしめるために、遺書と投書の計画をたてたのだ。

「未亡人の話によると、北沢はM――クラブへよく行ったということであるが、ロンドンを第二の故郷とする狩尾君がそのメムバーであることは推定するに難くない。恐らく狩尾君はそこで自分にとってもあかの他人である北沢を観察し、催眠状態のもとにA氏の手記をディクテートし、なお投書の文句を書かせて、それだけは自分で保存して置いたのであろう。ピストルを買わせたのも狩尾君かも知れぬ。そうして、みごとに自説を証明し、併せてそれを僕に示そうとする目的を達したのだ。勿論、その遺書や投書やピストルが、incendiarism の役をつとめたことはいう迄もなく、北沢事件そのものは、実に天才的科学者の行った人間実験に外ならぬのだ」

 こゝまで語って先生は、ほッと一息つかれた。僕は先生の推理のあざやかさに、いわば陶然として耳を傾けて居たが、最後のところに至って、ひやりとしたものが背筋を走った。

「それでは先生、たとい直接手を下されずとも、北沢は狩尾博士が……」

 先生は、手真似で「静かに!」と警告された。「だから、はじめに君にことわってあるではないか。狩尾君は天才だよ。到底僕の及びもつかぬ段ちがいの天才だよ。こうして思い切った実験は、アカデミックな考え方にとらわれて居る僕等の金輪際為し得ざるところだ。それは世間普通の考え方から言えば、悪い意味にもとれるが、とに角、科学によって自然を征服して行こうとするには、これくらいのことを平気でやってのけねばなるまい。

「いや、このことについては、これ以上深入りしては論ずまい。それを論ずべく、僕はあまりにつかれて居る。だから、最後に、僕が遺書の中から発見したという証拠について語って置こう。

「見たまえ。この遺書の文字はすこぶる綺麗に書かれてあるが、よく見ると、ところ/″\に、棒なり点なりの二重な、即ち一度書いた上をまた一度とめた文字があることに気づくだろう。僕はそこに目をつけて、その文字を拾って見たのだ。即ち、

……書いたものはない。……の……も

……よるものであろう。……の……う

……はっきりこの……………の……り

……特に君に伝えず…………の……君

……描いている。……………の……い

……自殺するかを……………の……か

……が、少くとも……………の……が

……不安である。……………の……で

……信用することは…………の……す

の九字で、これを合わせて読むと、「もうり君いかゞです」となる。この言葉を発するのは、狩尾君より他にないではないか。

「そこで僕は、その狩尾君の呼びかけの言葉に対して、返事を書いたのだ。それが、君を煩わした、新聞広告の文字なのだ。PMbtDKとは、別に暗号でも何でもなく、

Prof. Mohri bows to Dr. Kario.

の最初の一字ずつをとったのだ。無論狩尾君の眼にふれゝば、すぐその意味を知ってくれるだろう。僕としては、これが、今の僕の心の全部だ」

 K君。これで北沢事件は真の解決を得たのだ。

 このことがあってから、毛利先生は、ずっとその快活な状態を続けて居られたが、それから二週間たゝぬうちに、突然狩尾博士の脳溢血による頓死が伝わると、先生は以前にまさる憂鬱に陥ってしまわれた。

 学者がその論敵即ち闘争の対象を失うほど寂しいことはない。多分先生の憂鬱もそのためであったと思うが、それは実に極端な憂鬱であった。そうして遂に肺炎にかゝって、狩尾博士のあとを追ってしまわれた。

 かくて、日本は、得がたき俊才を一度に二人失ったのだ。こうした花々しい闘争がいつになったら再び行われるか、いつになったら精神病学が、再びこのように進められて行くかと思うと心細くてならぬ。今この事件を書き終ってふりかえって見ると、それが幾世紀も昔の出来事のような気さえする。K君、健在なれ!


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Posted by 문학관 관리인 위어조자(謂語助者)

잘못된 감정(誤った鑑定)

고사카이 후보쿠 (小酒井 不木) (1925)

일본어 원문


 晩秋のある夜、例の如く私が法医学者ブライアン氏を、ブロンクスの氏の邸宅に訪ねると、氏は新刊のある探偵小説雑誌を読んでいた。

「探偵小説家というものは随分ひどい出鱈目(でたらめ)を書くものですね」と、氏は私の顔を見るなり、いきなりこういって話しかけた。

「え? 何のことですか?」と私は頗(すこぶ)る面喰(めんくら)って訊ね返した。

「今、ジョージ・イングランドの『血液第二種』という探偵小説を読んだ所です。その中に出て来る医者が、血液による父子の鑑別法を物語っていますが、実に突飛(とっぴ)極まることを言っていますよ、まあよく御聞きなさい。こうです。父と子の血液を一滴ずつ取って、それを振動器の中へ入れて、まぜ合せると、もし真実の父子ならば、血液を満している微小な帯電物の振動が一致するというのです。電子ではあるまいし、何と奇抜な説ではありませぬか?」

 私もそれを聞いて思わず吹き出してしまった。

「それじゃまるで支那の大昔の鑑別法そっくりですね」と私は言った。

「それはどんな鑑別法ですか?」と氏は急に真面目な顔をして訊ねた。

「支那の古い法医学書に『洗冤録(せんえんろく)』というのがあります。その中に、血液による親子の鑑別法が書かれていますが、それによりますと、親と子の真偽を鑑別するには、互に血を出し合って、それを、ある器の中にたらすと、もし親子であったならば、その血がかたまって一つになり、もし親子でなかったならば、よく混らないというのです」

「そうですか、いや却ってその方がむしろ科学的鑑別法に近いじゃありませんか、現今では、血球の凝集現象の有無から判断するのですもの」こう言って氏は更に雑誌を取り上げて上機嫌で語り続けた。

「それから、その医者はまた言います。人間の血液は四種類に分けられていて、親と子は同一種類に属するものだと。四種類に分けられているとまでは正しいですけれど、親と子が同一種類だということは、少し考えたら、言えないことではありませんか。父と母とが同一種類の人ならばともかく、父と母とがもし違った種類の人だったならば、生れた子が親と同一種類だとはいえなくなるのが当然ですからね」

「何しろ、探偵小説家は自分で血液などを実際に取り扱ったことがなく、ただ書物などに書かれてあることを、自分勝手に判断して書くのですから、そうした間違いを生ずるのでしょう」と私は言った。

「それはそうですね。小説家の書くことを一々穿鑿(せんさく)するのは、穿鑿する方が野暮かもしれません。たしか一八七〇年頃だったと思います。フランスで、ある若い女が、豚などに生えているあの針のように硬い針毛(ブリスル)というのを細かく刻んで、それを自分の憎む敵の食事の中へ混ぜて殺した事件があって、一時欧洲で大評判となりました。すると小説家のジェームス・ペインが、この話を材料にして『ハルヴス』という有名な小説を書き、その中の主要人物の一人を、その姪が、馬の毛を細かく刻んで食事の中へまぜて殺すことに仕組みました。その実、馬の毛では所要の目的は達せられないのです。即ち針毛の細片ならば消化管に潰瘍を作って死因となることが出来ますが、馬の毛は却って消化液の作用を受け、潰瘍を作ることが出来ません。つまりペインは豚の毛で人が殺せるならば、馬の毛でも殺せるだろうと自分勝手に想像したものですから、そういう誤謬をしたのです」

「そうですか。いや、よく考えて見ますと、小説家ばかりではなく、専門家である医師ですら、そういう誤りを仕勝(しがち)だろうと思います。只今御話しのジョージ・イングランドの探偵小説でも、医師が勝手なヨタを飛ばすところを、わざと書いたものとすると、かえって作者の皮肉だと受取れぬこともありませぬですね」と私は言った。

「如何にも御尤もです、昔から医者は小説家に皮肉をいわれづめですから。遠くはアリストファネスから、モリエール、ショウなど、随分ひどく、医者の悪口を言っています」とブライアン氏も益々興に乗って来た。

「実際に於ても、医師は随分間違った考を持っています。先年、日本でも、ある開業医が、自絞と他絞の区別だといって、いい加減なことを発表し、それを基礎に、ある事件の鑑定を行い、大学の法医学教授の鑑定を覆えしたようなことがありました」

「ほう、それはどういうことですか?」とブライアン氏はすかさず訊ねた。

「おや、今日はあべこべに私が話しをさせられますね。それは、ある窒息死体鑑定事件でして、周囲の事情からして、死体は絞殺されたものと推定されました。そこで、ある大学の法医学教授が自絞か他絞かの鑑定を命ぜられました所、教授はその区別は明かでないという鑑定を下しました。ところが、事件が長引いて、ある市井(しせい)の開業医が再鑑定を命ぜられましたら、その開業医は、自絞に間違いないと断定したのです。その鑑定の根拠として、その人は次のような事項をあげました。第一に、自絞即ち自分で自分の頸(くび)をしめる場合には、絞める力が弱く、且つ吸息後に決行するから、死体の胸部を強く圧迫すると呼気を出すが、他絞即ち他人に頸をしめられる場合には、絞める力が強く、且つ呼息時に行われるから死体の胸部を圧迫しても呼気を出さない。第二に、自絞の場合には、吸息時に行われるから、肺臓の鬱血が劇烈ではないが、他絞の場合には呼息時に行われるから、肺臓の鬱血が劇烈で、丁度肺水腫のような外観を呈しているというのです。実に、念の入った暴論ではありませぬか?」

「いや全く探偵小説家のヨタ以上ですね」と察しのよいブライアン氏は言った。「一寸考えて見ると、いかにももっともらしいですが、生理学書の一頁でも見た人には、そういう結論は下されませぬね」

「本当にそうです。肺臓内の血液量は吸息時に最多量で、呼息時には少くなるのですから、呼息時に行われると称する他絞の際に、肺臓の鬱血が劇烈である筈はありません。これだけでも既に自家撞着に陥っています」

「吸息時には肺が拡がるから、血液が追い出されるとでも考えたのでしょう」

「そうかもしれません。それはとにかく、自絞が吸息状態で行われ、他絞が呼息状態で行われるという説も、随分独断的ではありませぬか?」と私は言った。

「困ったものですね。世の中には自分の経験が絶対に正しいと信じている人がありますが、その人などもそういう頑固な人の部類に属しているでしょう。つまり、自絞が呼息状態でも起り、他絞が吸息状態でも起り得るということを考える余裕さえないのでしょう。よく何年、何十年の経験とか言って、世間の人から尊(とうと)がられますが、経験だとて間違いがないとは限りませんよ」

「それにしても、そういう人の鑑定で裁判された日には、たださえ誤謬の多い裁判が、誤謬をなからしめようとする目的の科学的鑑定のために、却って毒されることになりますね。恐らくあなたは、そういう例に度々御逢いになったことと思いますが、如何ですか?」と、私は、ブライアン氏に何か話してもらおうと思って、ひそかに氏の顔色をうかがった。

「ないこともありません」と氏はニコリ笑って言った。「中には随分滅茶々々な鑑定をする医師があります。今晩はだいぶあなたに話してもらいましたから、これから私の関係した事件の御話を致しましょう」

          ×       ×       ×

「これは数年前、紐育(ニューヨーク)から程遠からぬ田舎で起った事件です」とブライアン氏は言った。

 その地方の豪農に、ミルトン・ソムマースという老人があった。よほど以前に、夫人に死に別れてから、一人息子のハリーと共に暮していたが、事件の当時ハリーは二十二歳で、丁度、農学校を卒業したばかりであった。母のない家庭であったため、父子は非常に親密であって、家政一切は、ミセス・ホーキンスという老婆が司(つかさど)り、近所には、ソムマース所有の田地に働く小作たちの家族が群がり住っていた。

 ソムマースの家から一哩(マイル)ばかり隔たったところのスコットという農家に、エドナという娘があった。彼女は、鄙(ひな)に似合わぬ美人で、色白のふっくりとした愛らしい顔と、大きな碧(あお)い眼と、やさしい口元とは、見るものを魅せずには置かなかった。ところが、彼女は非常な山だしの御転婆で、夏はいつも跣足(はだし)で歩きまわり、年が年中、髪を結ったことがなく、房々とした金髪は、波を打って肩の上に垂れかかり、頸や腕は、かなりに日に焼けていた。ハリーはいつしか、この娘と恋に落ちたのである。

 彼はしかし、そのことを父に告げる勇気がなかった。父は由緒ある家系を誇る昔し気質(かたぎ)の人間であるばかりでなく、娘の家を常々卑しんでいて、ことにエドナの性質を見抜いて、「鬼女」という綽名(あだな)をつけた程であるから、到底二人の結婚を承諾してくれまいと思ったからである。ところが、二人の恋は段々募(つの)り、結婚してしまったら、父も文句は言うまいと考え、ハリーはひそかにエドナを紐育へ連れて行って結婚した。これを聞いた父は大に怒って、どうしても二人を我が家へ寄せつけなかったので、二人は致し方なく、程遠からぬ所に他人の用地を借り受けて自活することにした。

 一しょに暮して見ると、ハリーは嫁の性質が父のつけた綽名にふさわしいことを知った。彼女は手におえぬじゃじゃ馬で、ほとほと持てあますことがしばしばあった。しかし、彼此(かれこれ)するうちに二人の間に女の子が出来、それからというものは、彼女は非常におとなしくなった。

 するとその頃父のミルトン・ソムマースは、老齢のためか、又は寂しさのためか、にわかに健康が衰え出して来て、遂には二六時中床の上に横わらねばならぬくらいになった。そこで彼もとうとう我を折って、ハリーとその家族を呼びにやって同居させ、ハリーに田地の監督をさせ、エドナに家政を司らせることにした。

 老人の病気は段々悪くなるばかりであって、とうとう家族のものでは看護がしきれぬというので、ニューヨークから看護婦を雇うことにした。看護婦はコーラ・ワードといって頗(すこぶ)る美人であったが、いつの間にかハリーに心を寄せ、ハリーも満更(まんざら)厭でない様子であった。しかしこの様子を見たエドナは、急に本来の険悪な性質を発揮して、はげしい喧嘩こそしなかったが、非常に看護婦をうらんで、早く解雇してくれとハリーに迫った。

 家政婦のホーキンスはエドナが来てから、食事に関する仕事はエドナに奪われ、掃除だとか、洗濯だとか、卑しい仕事ばかりさせられるようになったので、自然エドナを快く思わなくなった。

 ソムマース家に、こうした不快な空気が漂っていたある日の午後、エドナは夕食の支度のために牛乳を搾(しぼ)りに牛小舎へ行き、家に帰ってその牛乳を、竈(かまど)の上にかけてあったフライ鍋の中へ入れた。彼女はそれで、肉へかける汁を作るつもりであったが、何思ったかそれを中止して再びその牛乳を鑵の中へあけ戻し、冷すために皿場へ置いた。

 その夕方、病人は発熱して、頻(しき)りに渇(かつ)を訴えたので、看護婦が牛乳を取りに台所へ行くと、都合よく皿場の上に牛乳の入った鑵があったので、そのまま病室へ持って行って、病人にのませた。ところが、牛乳を鑵からあけてしまうと、彼女は、ふと鑵の底に、緑色をした残渣(ざんさ)のあるに気附いた。彼女はびっくりして、もしや、それがパリス・グリーン Paris Green(植物の害虫を除くための砒素含有の粉末)ではないかと思い、ハリーとエドナの居た室に来て、それを見せ、パリス・グリーンではないかと訊ねた。ハリーは、そうらしいと言ったがエドナは黙っていた。

 看護婦の頼みによって早速、かかりつけの医師が呼ばれたが、医師もその緑色のものを見て、パリス・グリーンであろうと言った。果して、それから間もなく、病人の容体は急に悪くなり、遂に夜明け方に死んだが、医師は砒素中毒による死亡であると診断した。

「こういう事情ですから、警察から、検屍官が派遣されることになりました」と、ブライアン氏は言った。「そして、間もなく、その地方の開業医で、警察医を兼ねていたスチューワートという人が死体解剖を命ぜられました。解剖の結果、死体の胃の内容物に、多量の砒素化合物があるとわかったので、事件は裁判所に廻され、予審判事が出張して、ソムマース家を委(くわ)しく取調べることになりました」

 予審判事の一行は、家人を一々訊問し、家の隅々を捜索した結果、牛小舎の装具置場の高い棚に、パリス・グリーンの入ったボール箱を見つけた。その箱は破りあけられて、内容が少しばかり取り出され、粉末の一部分は地面へこぼれていた。しかもその箱のあけられたのは、つい近頃であるとわかった。その時分はもう収穫時もとくの昔に過ぎ、春以来、パリス・グリーンを使用する必要はなくなっていた。それ故、使用された粉末は、当然牛乳罐の中へ入れられたものに違いないと結論された。

 附近に住む小作共は、もとよりパリス・グリーンが、牛小舎にあることを知っている訳もなく、また牛小舎へ自由に出入りすることを許されてもいなかったから、嫌疑は当然家内のものにかかった。しかし家内のもののうち、何人(なんぴと)が殺人を敢て行う程の強い動機を持っているであろうか? 幸に毒の入れてあったボール箱の上には塵埃が溜っていて、指紋がはっきり附いていたから、直ちに写真に撮影され、それと家内の人々の指紋をとって比較して見ることになった。ところが意外にも、若夫婦の指紋と、看護婦の指紋との都合三種がボール箱についていたのである。しかし、三人が共謀して行ったこととは考えられぬから、三人のうちの誰かに違いないと推定して、三人にはボール箱の指紋のことを告げないで、別々に色々訊問して見たが、少しも要領を得なかった。

 故人は徳の高い人であったから、人々は切に哀悼の意を表し、その忌わしい事情は、附近一帯の噂の種となり、人々は勝手に色々の説を建てた。若夫婦の結婚の際に於ける若夫婦と父親との衝突、看護婦とハリーとエドナの三角関係などからして、色々な解釈が試みられた。あるものはハリーが結婚以来父親を恨んでいたから、その為に父を毒殺したのであろうと想像し、あるものは故人が金持ちであったから、看護婦が後継者の嫁になるために、老人を殺してエドナに嫌疑をかけるよう仕組んだ行為であると想像し、またあるものは、エドナがかねて舅(しゅうと)を恨んでいたがためだと想像した。が、予審裁判の結果、ミルトン・ソムマースは砒素剤によって毒殺され、犯人はエドナであると決定されたのである。

 世評はエドナに取って極めて不利益であった。人々は彼女が虚栄心を満すために、早く老人を亡きものにして財産を良人のものとしようとして行った仕業であると解釈した。且(かつ)、彼女はそのとき妊娠中であったが、獄中で子を生んでは、生れた子に焼印を捺(お)すようなものであるから、それやこれやで彼女は少なからず煩悶した。

「このソムマース若夫人の弁護士から、私に事件鑑定の依頼があったのです」と、ブライアン氏は語り続けた。「弁護士は、夫人の無罪を信じ、老人の死体の医学的検査に、根本的の誤謬があるにちがいないと見たのです。私も一伍一什(いちぶしじゅう)をきいて、出発点はやはり胃の内容物の化学的検査にあると思いました。もしパリス・グリーンが牛乳に混ぜられてから熱せられたならば、表面に緑色の泡が立たねばなりません。ですから、誰の眼にもつき易いので、そんな危険なことをする者はない筈です。そこに何か捜索上の手落ちがあるだろうと思って、鑑定を引き受け、胃の内容物の再鑑定を願い出て、許可されたら、なお念のために、専門の化学者二人のところへ、別々に分析を依頼するよう、手筈をきめました」

 弁護士の要求はきき入れられ、胃の内容物はブライアン氏の手許に届けられた。氏は早速、砒素鏡検出法を始め、その他の方法によって分析に取りかかったが、大量は愚か、砒素の痕跡さえも発見されなかった。

「いや、実に、その時は驚きましたよ」と氏は言葉を強めて言った。「何しろ警察医は多量の砒素が含まれていたと証言したのですからね。又主治医も主治医です。砒素を嚥(の)んでもいないのに、砒素中毒で死んだと診断したのですから。二人の化学者の分析の結果も同様でして、法廷でその証言が述べられると、傍聴人の感情は急転して、夫人に対する同情に変ってしまいました。陪審官はたった二十分間で決議して、ソムマース夫人の無罪を宣告しましたよ」

 こうして、医師の誤まった鑑定のため、無辜(むこ)の人が危うく殺人罪に問われようとしたのである。

          ×       ×       ×

「それにしてもどうしてその緑色の物質が牛乳罐の中に入っていたのでしょう?」と、私は、ブライアン氏が語り終ってから、暫らくして訊ねた。

「それが即ち第二の問題ですよ。私はただ砒素中毒かどうかを鑑定すればよかったのですからそれ以上、捜索も致しませぬでしたが、これが、あなたの好きなオルチー夫人の探偵小説に出て来る『隅の老人』であったなら、すべからく、解説なかるべからずですね。ははははは」[#「」」は底本では「』」]と氏は愉快げに笑った。

「無論そのパリス・グリーンは牛乳をあけたあとで罐の中へ入れたのでしょうから、そこに最も肝要な問題がある訳ですね?」と私は、氏の解釈をきこうと思って訊ねた。

「そうですそうです。嫌疑は当然その看護婦にかからねばなりません。『隅の老人』ならば、主治医と看護婦とを共犯にするかもしれませんよ。何しろ看護婦の指紋が、パリス・グリーンの箱に発見されたというのですから」

「どうもこの事件には不可解な点が多いようです」と私は言った。「看護婦ばかりでなく、ソムマース夫妻の指紋も、ボール箱についていたというのですからね。この事件の蔭には恐らく複雑した事情が潜んでおりましょう」

「無論そうでしょう。ですが、それは探偵小説家に考えて貰うことにしましょう。ソムマース夫婦は今では楽しい家庭を作って、平和に暮しているそうです。問題の看護婦は、何でもその後ニューヨークの生活が厭になって、田舎へ引き籠ったとかききました。しかし一ばん貧乏籖(くじ)をひいたのは、警察医のスチューワート氏でした。誤まった鑑定をしたために、その後すっかり評判が悪くなって、門前雀羅(じゃくら)を張るようになったそうです。いやだいぶ表て通りも静かになって来ました。これから、あついコーヒーでも一杯のみましょうか……」



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유전(遺伝)

고사카이 후보쿠 (小酒井 不木) (1925)

일본어 원문


「如何(どう)いう動機で私が刑法学者になったかと仰(おっ)しゃるんですか」と、四十を越したばかりのK博士は言った。「そうですねえ、一口にいうと私のこの傷ですよ」

 K博士は、頸部の正面左側にある二寸(すん)ばかりの瘢痕(はんこん)を指した。

「瘰癧(るいれき)でも手術なすった痕(あと)ですか」と私は何気なくたずねた。

「いいえ、御恥かしい話ですが……手っ取り早くいうならば、無理心中をしかけられた痕なんです」

 あまりのことに私は暫(しば)らく、物も言わずに博士の顔を見つめた。

「なあに、びっくりなさる程のことではないですよ。若い時には種々(いろいろ)のことがあるものです。何しろ、好奇心の盛んな時代ですから、時として、その好奇心が禍(わざわい)を齎(もた)らします。私のこの傷も、つまりは私の好奇心の形見なんです。

 私が初花(はつはな)という吉原の花魁(おいらん)と近づきになったのも、やはり好奇心のためでした。ところが段々馴染んで行くと、好奇心をとおり越して、一種異状(よう)な状態に陥りました。それは、恋という言葉では言い表すことが出来ません。まあ、意地とでも言いますかね。彼女は「妖婦(ようふ)」と名づけても見たいような、一見物凄い感じのする美人でしたから、「こんな女を征服したなら」という、妙な心を起してしまったんです。ちょうどその時、彼女は十九歳、私はT大学の文科を出たばかりの二十五歳で、古風にいえば、二人とも厄年だったんです。

 始め彼女は、私なんか鼻の先であしらって居ましたが、運命は不思議なもので、とうとう私に、真剣な恋を感じたらしいです。で、ある晩、彼女は、それまで誰にも打あけなかったという身の上話をしました。それはまことに悲しい物語でしたが、私はそれをきいて、同情の念を起すよりもむしろ好奇心をそそられてしまったんです。それが、二人を危険に導く種となったんですが、あなたのようにお若い方は、やはり私同様の心持になられるだろうと思います。

 身の上話といっても、それは極めて簡単なものでした。なんでも彼女は山中の一軒家に年寄った母親と二人ぎりで暮して来て、十二の時にその母親を失ったそうですが、その母親は臨終(りんじゅう)のときに苦しい息の中から、世にも恐しい秘密を告げたそうです――わしは実はお前の母ではない。お前の母はわしの娘だから、わしはお前の祖母(ばば)だ。お前のお父さんはお前がお母さんの腹に居るときに殺され、お前のお母さんは、お前を生んで百日過ぎに殺されたのだよ――と、こう言ったのだそうです。子供心にも彼女はぎくりとして、両親は誰に殺されたかときくと、祖母はただ唇を二三度動かしただけで、誰とも言わず、そのまま息を引き取ったそうです。

 その時から彼女は、両親を殺した犯人を捜し出して、復讐しようと決心したのだそうですが、自分の生れた所さえ知らず本名さえも知らぬのですから、犯人の知れよう筈はありません。そうなると、自然、世の中のありとあらゆる人が、仇敵(かたき)のように思われ、殊に祖母と別れてから数年間、世の荒浪にもまれて、散々苦労をしたので、遂(つい)には、世を呪う心が抑えきれぬようになったのだそうです。彼女が自ら選んで苦界へ身を沈めたのは、世の中の男子を手玉にとって、思う存分もてあそび復讐心を多少なりとも満足せしめ、以(もっ)て両親の霊を慰めるためだったそうです。いや、全く妙な供養法もあったもんです。

 この身の上話をきいた私は、すぐ様、彼女の両親を殺した犯人を捜し出そうと決心しました。彼女がかわいそうだからというよりも、むしろ探偵的興味を感じた結果なんです。然(しか)し、どんな名探偵でも、こういう事情のもとにある彼女の両親の仇(あだ)を見出すことは困難ですが、私は彼女から伝えきいた祖母の臨終の言葉に、解決の緒(いとぐち)を見出し得(う)るように感じたので、「お前のお父さんはお前がお母さんの腹に居るときに殺され、お前のお母さんは、お前を生んで百日過ぎに殺されたのだよ」と口の中でつぶやきながら、私は寝食を忘れて、といってもよいくらい、ことに百日という言葉を一生懸命に幾日も考えたんです。

 彼女が姓名も出生(しゅっしょう)地も知らぬということは、彼女たちが、事情あって、郷里を離れねばならなかったのだろうと考えることが出来ます。又、祖母が死ぬ迄、両親の殺されたことを彼女に告げなかったのにも深い理由があったにちがいありません。なお又臨終の際に、彼女に問われて、犯人の名を答え得なかったのも、祖母が、答えることを欲しなかったと解釈出来ぬことはありません。これ等のことを考え合せた結果、私は、ある恐しい事情を推定し、早速図書館へ行って、旧刑法を検(しら)べて見ました。

 すると私は、ある条文によって、私の推定のたしかなことを発見しました。即ち、私は、彼女の父を殺した犯人と彼女の母を殺した犯人が何者であるかを知ったのです。が、それは、彼女に告げることの出来ぬほど恐しい事情だったのです。けれど、そうなると、却って、彼女に、あっさり知らせてやりたいという気持がむらむらと起って来ました。やはりこれも若い時の好奇心なのでしょう。で、種々(いろいろ)、彼女に知らせる方法を考えましたが、どうも名案が浮びません。とうとう、兎(と)にも角(かく)にも彼女に逢った上のことにしようという気になってしまったんです。

 犯人の推定や図書館通いに、凡(およ)そ二週間ばかり費し、ある晩ひょっこり彼女をたずねましたら、彼女は顔色をかえて、「身の上ばなしをしたから、それで厭気(いやき)がさして来なかったのでしょう」と私を詰(なじ)りました。で、私は「お前の両親を殺した犯人を捜して居たんだ」というと、彼女は「嘘だ嘘だいい加減の出鱈目(でたらめ)だ。あなたに捨てられたなら、私はもう生きて居ない」といって泣き叫びました。泣いて泣いて、どうにも手がつけられぬので、私はとうとう「その証拠に、犯人が知れたよ」と口を辷(すべ)らしてしまったんです。

 それから彼女が、どんなに、犯人をきかせてくれと、私にせがんだかは御察しが出来ましょう。仕方がないので、私は、私の見つけ出した刑法の条文を、手帳の紙を破って、鉛筆で書いて、これを読めばわかるといって投げ出しました。

 彼女は、むさぼるようにして、それを読んで居ましたが、何思ったか、その紙片を、くしゃくしゃに丸めて、急ににこにこして、私の機嫌をとりました。私は頗(すこぶ)る呆気(あっけ)ない思いをしました。

 床へはいってから、彼女は、「ねえ、あなた、わたしがどんな素性でも、決して見捨てはしないでしょう?」と幾度も幾度も念を押しましたので、私は、彼女が、両親を殺した犯人を察したのだなと思いました。そう思うと、急に愛着の念が増して来ました。妙なものです。私は、それまで嘗(かつ)てつかったことのないやさしい言葉をかけて、心から彼女をいたわってやりました。すると彼女は安心して眠り、私もまたぐっすり寝込んでしまいました。

 幾時間かの後、私は頸にはげしい痛みを感じて、がばと跳ね起きましたが、そのまま再び気が遠くなって、やっと、気がついて見ると、看護婦に附添われて、白いベッドの上に横(よこた)わって居(お)りました。

 あとで、事情をきいて見ると、その夜、彼女は剃刀で私の咽喉(のど)をきり、然る後自分の頸動脈をきって自殺を遂げたそうです。その左の手には私が書いて与えた刑法の条文をかたく握って居たそうですが、最初彼女はそれを読めなかったので、私が寝ついてから、楼主(ろうしゅ)に読んでもらって、はじめて条文の意味を知ったらしいのです。そして、それと同時に、両親を殺した犯人を、ほぼ察したらしく、それがわかると自分の身の上が恐しくなり、到底私に愛されることはむずかしいと思って無理心中をする気になったらしいのです」

 K博士はここで一息ついた。

「もう大抵(たいてい)御わかりになったでしょう。つまり、私はこう推定したんです。彼女の父は、妊娠中の妻即ち彼女の母に殺され彼女の母は彼女を生んでから、絞刑吏に殺されたんだと……彼女のこの悲しい遺伝的運命が私をして、刑法学者たらしめる動機となりました。というのは……」

 K博士は傍(かたわら)の机の抽斗(ひきだし)から皺くちゃになった紙片を取り出した。

「これを御覧なさい。これが、彼女の手に握られて居た、恐しい刑法の条文です」

 私は、手早く受取って、消えかかった鉛筆の文字を読んだ。

「死刑ノ宣告ヲ受タル婦女懐胎ナルトキハ其(その)執行ヲ停(とど)メ分娩後一百日ヲ経(ふ)ルニアラザレバ刑ヲ行ズ」


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어리석은 자의 복수(痴人の復讐)

고사카이 후보쿠 (小酒井 不木) (1925)

일본어 원문


 異常な怪奇と戦慄とを求めるために組織された「殺人倶楽部」の例会で、今夕は主として、「殺人方法」が話題となった。

 会員は男子十三人。名は「殺人倶楽部」でも、殺人を実行するのではなくて、殺人に関する自分の経験(若(も)しあれば)を話したり、センセーショナルな殺人事件に関する意見を交換したりするのが、この倶楽部の主なる目的である。

「絶対に処罰されない殺人の最も理想的な方法は何でしょうか?」と会員Aが言うと、

「それは殺そうと思う人間に自殺させることだと思います」と会員Bは即座に答えた。

「然(しか)し、自殺するような事情を作ることは非常に困難でしょう」とA。

「困難ですけれど、何事に依らず腕次第だと思います」とB。

「そうです、そうです」と、その時、中央のテーブルに置かれた古風な洋燈(ランプ)の灯(あかり)がかすかに揺れたほどの大声で、隅の方から叫んだものがあるので、会員は一斉にその方をながめた。それは年に似合わず頭のつるりと禿げたC眼科医で、彼は勢い自分の言葉を裏書するような話をしなければならなくなった。

 で、C眼科医は小咳を一つして、コーヒーのカップを傾け、ぽつり/\語りはじめた。


 私は今から十五年程前、T医学専門学校の眼科教室に助手を勤めたことがあります。自分で自分のことを言うのも変ですが、生来(うまれつき)、頭脳(あたま)はそんなに悪いとは思いませんけれど、至(いた)って挙動が鈍く手先が不器用ですから、小学校時代には「のろま」中学校時代には「愚図(ぐず)」という月並な綺名(あだな)を貰いました。然(しか)し私は、寧(むし)ろ病的といってよい程復讐心の強い性質でしたから、人が私を「のろま」とか「愚図」とか言いますと、必ずそのものに対して復讐することを忘れなかったのです。復讐と言っても侮辱を受けたその場で拳を振り上げたり、荒い言葉を使ったりするのではなく、その時は黙って、寧(むし)ろにや/\笑って置いて、それから一日か二日、時には一週間、或(あるい)は一ヶ月、いや、どうかすると一年もかゝって適当なチャンスを見つけ、最も小気味よい方法で復讐を遂げるのが常でした。これから御話(おはな)しするのもその一例であります。

 T医学専門学校を卒業すると、私はすぐ眼科教室にはいりました。学校を卒業しても、相も変らぬ「のろま」でしたから性急(せっかち)な主任のS教諭は、私の遣り方を見て、他の助手や看護婦の前をも憚からず Stumpf(スツンプ), Dumm(ドウンム), Faul(ファウル) などと私を罵りました。いずれも「鈍い」とか「馬鹿」とか「どじ」とかを意味する独逸(ドイツ)語の形容詞なんです。私は心に復讐を期し乍(なが)らも、例のごとく唯々黙々(いゝもく/\)として働きましたので、後にはS教諭は私を叱ることに一種の興味を覚えたらしく、日に日に猛烈にこれ等(ら)の言葉を浴せかけました。然(しか)し、教諭Sは責任感の極(きわ)めて強い人で、助手の失敗は自分が責任を持たねばならぬと常に語って居(い)たほどですから、私を罵り乍(なが)らも、一方に於て私を指導することをおろそかにしませんでした。従って私の腕も相当進歩はしましたが、私の動作は依然として緩慢でしたから、教諭の嘲罵(ちょうば)はます/\その度を増して行きました。

 S教諭の私に対するこの態度は、自然他の助手連中や看護婦にも伝染して、彼等も私を「痴人」扱いにしてしまいました。後には入院患者までが私を馬鹿にしました。私はやはり、黙々(もく/\)として、心の中で「今に見ろ」という覚悟で暮しましたが、復讐すべき人間があまりに多くなってしまいには誰を槍玉にあげてよいか迷うようになりました。それ故私は、なるべく早くチャンスを見つけて最も激烈な手段で、凡(すべ)ての敵に対する復讐心を一時に満足せしむるような計画を建てるべく心がけるに至りました。

 そうしたところへ、ある日一人の若い女患者が入院しました。彼女は某劇場の女優で、非常にヒステリックな面長の美人でした。半年程前から右の顔面が痛み、時々、悪心嘔吐(おしんおうど)に悩んだが、最近に至って右眼の視力が劣え、ことに二三日前から、右眼が激烈に痛み出して、同時に急に視力が減退したので外来診察所を訪ねたのでした。そこで「緑内障」の疑(うたがい)ありとして、入院治療を勧められ私がその受持となったのであります。

 諸君は御承知かも知れませんが、緑内障にかゝった眼は、外見上は健康な眼と区別することが出来ません。この病(やまい)は俗に「石そこひ」と申しまして、眼球の内圧の亢進によるのですから、眼球は硬くなりますが、眼底の検査をして、視神経が眼球を貫いて居る乳頭と称する部分が陥凹(かんおう)して居るのを見なければ、客観的に診断を下すことが出来ません。然し診断は比較的容易につきますけれど、内圧の亢進する原因はまだ明かにされて居らないのです。日本でも、西洋でも、むかしこの病は「不治」と見做(みな)され、天刑病の一種として医治の範囲外に置かれました。近頃では、初期の緑内障ならば、手術その他の方法で、ある程度まで治療することが出来ますが、重症ならば勿論失明の外はありません。ことに疼痛が甚だしいために、それを除くには眼球を剔出(てきしゅつ)すること、即ち俗な言葉でいえば眼球(めだま)をくり抜いて取ることが最上の方法とされて居ります。なお又、炎症性の緑内障ですと、片眼(へんがん)に起った緑内障は交換性眼炎と称して、間もなく健眼(けんがん)に移りますから、健眼を助けるための応急手段として、患眼(かんがん)の剔出を行うことになって居ります。従って、緑内障の手術には、眼球剔出法が、最も屡(しばし)ば応用されるものであります。

 さて、私は、外来診察所から廻されて来た件(くだん)の女患者に病室を与え、附添の看護婦を選定した後、視力検査を行い、次に眼底検査を行うために彼女を暗室に連れて行きました。暗室は文字通り、四方の壁を真黒に塗って蜘蛛の巣ほどの光線をも透さぬように作られた室(へや)ですから、馴れた私たちがはいっても息づまるように感じます。況(いわん)やヒステリックな女にとっては堪えられぬほどのいら/\した気持を起させただろうと思います。私は瓦斯(ガス)ランプに火を点じて検眼鏡を取り出し、患者と差向いで、その両眼を検査致(いた)しましたところが、例の通り私の検査が至って手遅(のろ)いので、彼女は三叉(さんさ)神経痛の発作も加わったと見え、猛烈に顔をしかめましたが、私はそれにも拘(かゝわ)らず泰然自若として検眼して居ましたから、遂に我慢がしきれなくなったと見えて、「まあ、随分のろいですこと」と、かん高い声で申しました。

 この一言は甚だしく私の胸にこたえました。そして、彼女の傲慢な態度を見て、これまで感じたことのないほど深い復讐の念に燃えました。前にも申しましたとおり、私の復讐は、いつも一定の時日を経て、チャンスを待って行われるのでしたが、その時ばかりは前例を破って、思わずも、傍(そば)に置かれてあった散瞳薬(さんどうやく)の瓶を取り上げ、患者の両眼に、二三滴ずつ、アトロピンを点じたのであります。通常眼底を検査するには、便宜をはかるために散瞳薬によって瞳孔を散大せしめることになって居りますが、アトロピンは眼球の内圧を高める性質があるので、これを緑内障にかゝった眼に点ずることは絶対に禁じられて居るのであります。然し、その時一つは、眼底が見にくゝていら/\したのと、今一つには患者の言葉がひどく胸にこたえたので、私は敢てその禁を犯しました。アトロピン点眼の後、更に私が彼女の眼に検眼鏡をかざしますと、彼女は又もや「そんなことで眼底がわかりますか」と、毒づきました。私は眼のくらむ程かっと逆上しましたが「今に見ろ」と心の中で呟いて、何も言わずに検眼を終りました、視力検査の結果は、まがいもなく、緑内障の可なり進んだ時期のものでしたが、別に眼球剔出法を施さないでも、他の小手術でなおるだろうと思いましたので、そのことをS教諭に告げて置きました。

 ところが、私の予想は全くはずれたのです。その夜はちょうど私の当直番でしたが、夜半に看護婦があわたゞしく起しに来ましたので、駈けつけて見ると、彼女はベッドの上に、のた打ちまわって、悲鳴をあげ乍(なが)ら苦しんで居(い)ました。私は直ちに病気が重(おも)ったことを察しました。或(あるい)はアトロピンを点眼したのがその原因となったかも知れません。はっと思うと同時に、心の底から痛快の念がむら/\と湧き出ました。取りあえず鎮痛剤としてモルヒネを注射して置きましたが、あくる日、S教諭が診察すると、右眼の視力は全々(ぜん/\)なくなってしまい、左の方もかすかな痛みがあって、視力に変りないけれど、至急に右眼を剔出しなければ両眼の明を失うと患者に宣告したのであります。そうしてその時S教諭は患者の目の前で、これ程の容体になるのを何故昨日告げなかったかと、例の如く、Stumpf(スツンプ), Dumm(ドウン) を繰返して私を責めました。

 S教諭が患眼剔出を宣告したとき、私は彼女が一眼をくり抜かれると思って痛快の念で息づまる程でしたが、S教諭のこの態度は、その痛快の念を打消してしまうほど大きなショックを私に与えました。その時こそは、S教諭に対してはかり知れぬ程の憎悪を感じました。私は顫(ふる)える身体を無理に押えつけて、じっと辛抱しながら、S教諭に対して復讐するのは、この時だと思いました。美貌を誇り、それを売り物として居る女優が一眼をくり抜かれることは彼女にとっては死よりもつらいにちがいない。若(も)し、私の点眼したアトロピンが直接の原因となったとしたならば、私は立派な復讐を遂げたことになる。と、こう考えて見ても私はどうもそれだけでは満足出来なかったのです。彼女に対してもっと/\深刻な復讐を遂げ、その上教諭に対しても思う存分復讐したいと思いました。それにはこの又とないチャンスを利用するに限ると私は考えたのであります。

 患者が眼球剔出ときいて如何(いか)にそれに反対したかは諸君の想像に任せます。然し、S教諭は捨てて置けば両眼を失うということ、巧みに義眼を嵌(は)めれば、普通の眼と殆ど見分けがつかぬことなどを懇々(こん/\)説諭(せつゆ)して、なおその言葉を証拠立てるために、義眼を入れた患者を数人、患者の前に連れて来て示したので、やっと患者は納得するに至りました。

 女子の眼球剔出の手術は、通常全身麻酔で行うことになって居ります。私は即ち、その麻酔を利用して、S教諭に対する復讐を遂げようと決心しました。御承知の通り、全身麻酔にはクロヽフォルムとエーテルの混合液が使用されますが、私はそれをクロヽフォルムだけにしたならば、ヒステリックな患者はことによると手術中に死ぬかも知れぬと思いました。助手の失敗は教諭の失敗でありますから、責任感の強いS教諭は、ことによると引責辞職をするか、或は自殺をも仕兼(しか)ねないだろうと考えたのです。諸君! 諸君は定めし「なるほど、痴人にふさわしい計画だな」と心の中で笑われることでしょう。然し何事もチャンスによってきまるのですから、これによって、意外に満足な結果を得ないとも限らぬと私は思いました。

 さて、患者が承諾をすると、私は時を移さず手術の準備を致しました。眼科の手術は外科の手術とちがって極めて簡単です。いつも教諭と助手と看護婦の三人で行われます。S教諭は腕の達者な人ですから、碌(ろく)に手も洗わないで手術をする癖です。私は先ず患者を手術台に仰向きに横(よこた)わらせ、側面に立って麻酔剤をかけました。無論、クロヽフォルムだけを用いました。マスクの上から大量に滴(た)らしますと、患者は間もなく深い麻酔に陥ったので、看護婦に命じて隣室の教諭を呼ばせ、その間に私は一方の眼をガーゼで蔽い手術を受ける方の眼をさらけ出して教諭を待ちました。

 やがてS教諭は患者の頭部の後ろに立って手術刀を握りました、いつも手術中には、私に向って必ず、例の独逸(ドイツ)語の罵言を浴せかけますが、その日は、私がクロヽフォルムの方に気を取られて居て、余計に愚図々々しましたので、一層はげしく罵りました。罵り乍らも教諭は鮮かに眼球を剔出して、手早く手術を終って去りました。くり抜かれて、ガーゼの上に置かれた眼は健眼と変りなく何となく私を睨んで居るようでしたから、一瞬間ぎょッと致しました。で、私はピンセットにはさみ、いち早く看護婦の差出した、固定液入りの瓶にポンと投じて持ち去らせ、それから繃帯にとりかゝりました。通常一眼を剔出しても、健眼に対する刺戟を避けるために、両眼を繃帯し、二日後にはじめて健眼をさらけ出すことになって居りますので、私は、患者の眼の前から後頭部にかけ房々とした黒髪を包んで、ぐる/\繃帯を致しました。それが済むと、まだ麻酔から覚めぬ患者を病室へ運び去らせて跡片附を致しましたが、私は予期した結果の起らなかったことに、非常な失望を感じました。諸君は私の計画がやっぱり痴人の計画に終ったと思われるでしょうが、その時私はまだ/\一縷の望を持って居たのです。というのは、彼女の残された健眼も、ことによると緑内障に冒されるかも知れぬと期待して居たからであります。

 果して、私の期待したことが起りました。患者は手術後、程なく無事に麻酔から覚めて、元気を恢復し、その日は別に変ったことはなかったですが、翌日から左眼に痛みを覚えると言い出したのであります。剔出した右の眼のあとが痛むのは当然ですが、左の眼の痛むのは緑内障が起りかけたのだろうと考えて、私は心の中で、うれしそうに、チャンスだ、チャンスだと叫びました。

 然し、S教諭に対する復讐は? 諸君、若し、左の眼も緑内障にかゝったならば、もう一度眼球剔出の手術があるべき筈です、私は其処に希望をつなぎました。何事もチャンスですよ、諸君!

 愈(いよい)よ三日目になって繃帯を取ることになりました。私はその日をどんなに待ったことか、繃帯を取り除いて若し残った眼が見えないようだったら、それこそ立派な緑内障の証拠で、患者に対する復讐心が一層満足させられるばかりでなく、教諭に対する復讐のチャンスも得られる訳ですもの。

 その朝、私はS教諭に向って、患者の健眼が痛み出した旨(むね)を告げました。すると、教諭は顔を曇らせて、

「またやられたのかな」と言いましたが、その日は何となく沈んだ顔をして居たので、私を罵りませんでした。

 やがて私は他の助手や看護婦たちと共に、教諭に従って患者の室に行きました。患者は以外に元気で、早く繃帯を取ってくれとせがみました。私は患者をベッドの上に起き直らせ、亢奮のために顫える手をもって、繃帯を外(はず)しにかゝりました。

「繃帯を取ってから、少しの間はまばゆいですよ」とS教諭は患者に注意しました。

 さて、繃帯を取り終ると、申す迄もなく剔出した方の眼にはヨードフォルムガーゼが詰められてありまして、美しい容貌も惨憺たるものでした。患者は、さらけ出された方の眼でジッと前方を見つめ、一つ二つ瞬きをして何思ったかにっこり笑って言いました。「S先生冗談なすっちゃいけません。早く暗室から出して下さい」

 この意外な言葉をきいて、並居る一同は、はっとして顔を見合せました。恐しい予感のために誰一人口をきゝません。私は心の中で、愈よ私のチャンスが来たなと思い、どうした訳かぞっとしました。患者は果して眼が見えなかったのです。

 すると患者は首を傾け、その白い両手を徐々に上げ、軽く水泳ぎをするときのような動作をして頬から眼の方へ持って行きましたが、その時、世にも恐しい悲鳴をあげました。

「あっ……わっ……先生!……先生は……、右と左を間違えて、見える方の眼をくり抜きましたねッ!……」


 C眼科医はこゝで暫く言葉を切った。室内には一種の鬼気が漲(みなぎ)った。


 諸君、実に、いや、実は、患者の患眼はそのまゝになって、健眼がくり抜かれて居たのであります……この恐しい誤謬がもとで、責任感の強いS教諭は、二日の後自殺しましたよ……諸君、S教諭の誤謬は、もはや御察しのことゝ思うが復讐心にもゆる私の極めて簡単なトリックの結果でした。即ち患者に麻酔をかけた後、看護婦が教諭を呼びに行った留守の間に、患眼にガーゼをかぶせて健眼をさらけ出して置いたのに過ぎません。これが私の所謂(いわゆる)チャンスです。どうです諸君、一石にして二鳥、痴人としては先ず上出来な復讐ではありませんか。



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어리석은 자의 독(愚人の毒)

고사카이 후보쿠 (小酒井 不木) (1925)

일본어 원문


       1


 ここは××署の訊問室(じんもんしつ)である。

 生ぬるい風が思い出したように、街路の塵埃(ほこり)を運び込むほかには、開け放たれた窓の効能の少しもあらわれぬ真夏の午後である。いまにも、柱時計が止まりはしないかと思われる暑さをものともせず、三人の洋服を着た紳士が一つの机の片側に並んで、ときどき扇を使いながら、やがて入ってくるはずの人を待っていた。

 向かっていちばん左に陣取った三人のうちいちばん若いのが津村(つむら)検事で、額が広く目が鋭く髭(ひげ)がない。中央の白髪交じりの頭が藤井(ふじい)署長、署長の右に禿(は)げた頭を金縁眼鏡と頬髯(ほおひげ)とで締め括(くく)ってゆったりと腰かけているのが、法医学者として名高いT大学医学部教授片田(かただ)博士である。職務とは言いながら、片肌脱ぎたいくらいな暑さを我慢して滲(にじ)み出る汗をハンカチに吸いとらせている姿を見たならばだれでも冗談でなしに、お役目ご苦労と言いたくなる。

 三人はいま、ある事件の捜査のために、有力な証人として召喚した人の来るのを待っているのである。厳密に言えば、その事件の捜査の首脳者である津村検事は、召喚した証人の訊問に立ち会ってもらうために、藤井署長と片田博士に列席してもらったのである。その証人は検事にとってはよほど重大な人であると見え、彼の顔面の筋肉がすこぶる緊張して見えた。ときどき頬のあたりがぴくりぴくりと波打つのも、おそらく気温上昇のためばかりではないであろう。訊問ということを一つの芸術と心得ている津村検事は、ちょうど芸術家が、その制作に着手するときのような昂奮(こうふん)を感じているらしいのである。これに反して、藤井署長は年齢のせいか、あるいはまた年齢と正比例をなす経験のせいか、いっこう昂奮した様子も見えず、ただその白い官服のみがいやにきらきらとしているだけである。まして、科学者である片田博士のでっぷりした顔には、いつもは愛嬌(あいきょう)が漲(みなぎ)っているに拘(かか)わらず、かような場所では底知れぬといってもよいような、沈着の不気味さが漂っているのであった。

 柱時計が二時を報ずると、背広の夏服を着た青年紳士が一人の刑事に案内されて入ってきた。右の手に黒革の折鞄(おりかばん)、俗にいわゆる往診鞄を携えているのは、言わずと知れたお医者さんである。人間の弱点を取り扱う商売であるだけに、探偵小説の中にまで“さん”の字をつけて呼ばれるのである。が、この人すこぶる現代的で、かような場所に馴(な)れているのか、往診鞄を投げるようにして机の下に置き、いたって軽々しい態度で三人に挨拶(あいさつ)をしたところを見ると、もう“さん”の字をつけることはやめにしたほうがよかろう。

「山本(やまもと)さん、さあ、そちらへおかけください」

 と、検事はいつの間にか昂奮を静めて[#「静めて」は底本では「靜めて」]、にこにこしながら医師に向かって言った。

「この暑いのにご出頭を願ったのは申すまでもなく、奥田(おくだ)さんの事件について、あなたが生前故人を診察なさった関係上、二、三お訊(たず)ねしたいことがあるからです。この事件は意外に複雑しているようですから、死体の解剖をしてくださった片田博士と、なお、捜査本部の藤井署長にも、こうしてお立ち会いを願いました」

 こう言って津村検事は、相手の顔をぎろりと眺めた。この“ぎろり”は津村検事に特有なもので、かつてこの“ぎろり”のために、ある博徒の親分がその犯罪を何もかも白状してしまったといわれているほどの曰(いわ)くつきのものである。彼はのちに、おらアあの目が怖かったんだよ、と乾分(こぶん)に向かって懺悔(ざんげ)したそうである。しかし、この“ぎろり”も、山本医師に対しては少しの効果もなかったと見え、

「何でもお答えします」

 という、いたって軽快な返答を得ただけであった。

 その時、給仕が冷たいお茶をコップに運んできたので、検事は対座している山本医師に勧め、自分も一口ぐっと飲んで、さらに言葉を続けた。

「まず順序として、簡単にこの事件の顛末(てんまつ)を申し上げます。

 S区R町十三番地居住の奥田とめという本年五十五歳の未亡人が、去る七月二十三日に突然不思議な病気に罹(かか)りました。午前一時ごろ、急に身震いするような悪寒が始まったかと思うと、高熱を発すると同時に、はげしい嘔吐(おうと)を催しました。まるで食中(しょくあた)りのようでしたので、たぶん暑気にでも当てられたのであろうと思って、その日は医師を招かないのでしたが、夕方になってさいわいに嘔吐もなくなり熱も去って、翌日は何の異常もなく過ぎました。

 ところが、さらにその翌日、すなわち七月二十五日にやはり先日と同じような症状が始まり、あまりに嘔吐がはげしくて一時人事不省のような状態に陥ったので、令嬢のきよ子さんは慌てて女中を走らせ、かかりつけの医師山本氏、すなわちあなたの診察を乞(こ)うたのでした。その結果、おそらく食物の中毒だろうという診断で、頓服薬(とんぷくやく)をお与えになりますとその効があらわれて、夕方になると嘔吐は治まり、熱も去って患者は非常に楽になり、その翌日は何のことなく過ぎたのであります。

 するとまたその翌日、七月二十七日に、やはり前回と同じ時刻に同じような症状が始まり、嘔吐ばかりでなく下痢をも伴い、患者は苦痛のあまり昏睡(こんすい)に陥りました。急報によって駆けつけたあなたは、患者の容体のただならぬのを見て、初めて尋常の中毒とは違ったものであろうとお気づきになりました。で、あなたは令嬢に向かって、周囲の事情をお訊(き)きになりました。

 その時、令嬢の話した事情というのが、あなたの疑惑をいっそう深めたのでした。しかし、その事情を述べる前に、わたしは奥田一家の人々について申し上げなければなりません。主人はもと逓信省の官吏を務めていたのですが、いまから十五年前に相当の財産を残して死去し、男勝りの未亡人は三人の子を育てて、他人に後ろ指一本指されないでいままで暮らしてきました。長男を健吉(けんきち)、二男を保一(やすいち)、その妹がきよ子さんですが、長男の健吉くん一人は未亡人にとって義理の仲なのであります。義理の仲といっても、主人の先妻の子というのではありません。奥田氏夫妻は主人が四十歳を過ぎ、夫人が三十歳を越し、結婚後十年を経ても子がなかったので、遠縁に当たる孤児の健吉くんをその三歳のときに養子として入籍せしめて育てたのであります。ところが皮肉なことに、健吉くんを養子とした翌年、夫人が妊娠して保一くんを産み、さらにその二年後きよ子嬢を産みました。こうしたことは世間にしばしばあることで、かかる際、義理の子はいわば夫婦に子福を与えた福の神として尊敬されるのが世間の習いですが、奥田家においても、健吉くんは実子ができてのちも、同じ腹から出た総領のように夫妻から愛されて成長しました。ことに健吉くんは性質が温良でしたので、主人奥田氏の気に入って氏が逝去の際も、三人の子がみな若かったから財産はいったん夫人に譲ることにしたものの、行く行くは家督を健吉くんに譲るように、くれぐれも遺言していったということです。

 爾来(じらい)十五年間、三人の兄妹は勝ち気な未亡人の手によって、ことし健吉くんが二十七歳、保一くんが二十四歳、きよ子嬢が二十二歳になるまで無事に育て上げられました。ところが、いかに勝ち気の未亡人でも人間の性質というものはいかんともすることができなかったと見え、二男の保一くんは兄とはすこぶる違って、いわば不良性を帯びてきたのであります。健吉くんは大学を卒業してから、デパートメント・ストアで名高いM呉服店の会計課に勤めることになりましたが、保一くんは大学を中途にて退学し、放蕩(ほうとう)に身を持ち崩しました。

 未亡人は保一くんがかわいかったため、金銭上のことはずいぶんやかましい人であったけれど、保一くんのためにかなりの金額を支出してやりました。しかし昨年の春、保一くんが某所の遊女を身請けしようとしたときには、長男の手前もあったであろうが徹底的に怒って、昔のいわゆる勘当をすると言い出しましたけれど、なんと言われても保一くんは初志を貫徹しようとしましたので、健吉くんが仲に入ってその遊女を身請けさせ、一方、未亡人の意志を尊重するためひとまずY区に別居させて売薬店を開かせ、当分出入りを禁じたのであります。ところが、未亡人は勝ち気な人であるだけ一面はなはだ頑固であって、保一くんが請け出した女と手を切らぬ間は決してふたたび会わないと言って、健吉くんやきよ子嬢が何度頼んでもどうしても聞き入れず、ついに今回の悲劇が起こるまで勘当の状態が続いたのでした。

 さて、話はここで健吉くんのことに移らねばなりません。健吉くんは保一くんと違って素行がきわめて正しかったのですが、最近Mデパートメント・ストアに勤めている、ある美しい女店員と恋に陥りました。間もなく二人の恋は白熱しました。とうとう健吉くんは去る七月十五日に、未亡人に向かって恋人を妻に迎えたいと告げたのであります。

 ところがです。未亡人はどうつむじを曲げたものか、非常に憤慨しました。あるいは未亡人に無断で恋人を作ったのが気に入らなかったのか、あるいはデパートの店員を嫁にするということが不服であったのか、あるいはまた、信用していた兄まで弟と同じようなことをするということに腹を立てたのか、もし、その女を家(うち)に引き入れるなら、わたしときよ子とは別居する。そうして、家督はきよ子に養子を迎えて、その男に譲ると宣告したのだそうであります。

 これを聞いて、健吉くんは奈落(ならく)の底へ突き落とされたように驚きかつ悲しみました。きよ子さんの話によると、兄さんはそれ以後、まるで別人のようになったのだそうです。たえず考え込んでいて、母親にも妹にもろくに口も利かなかったそうです。ときにはまるで精神病者のようにぶつぶつ独り言を言うこともあったそうです。

 すると二十三日に、未亡人に奇怪な病気が起こりました。M呉服店では七月が決算期で、会計係は七月二十一日から三十一日まで、一日交替で宿直をして事務を整理する習慣になっております。健吉くんは七月二十一日が宿直の晩で、二十二日に帰宅し、二十三日の朝出かけてその晩宿直し、二十四日に帰宅して、二十五日の朝出勤するという有様でしたが、不思議にも未亡人の病気は健吉くんの休みの日に起こらないで、宿直の日の、ことに健吉くんが出かけて二時間ほど過ぎたころに起こったのであります。

 きよ子嬢はいつも兄さんの留守に母親が苦しむので、少なからず狼狽(ろうばい)したのですが、兄さんは非常に多忙な身体(からだ)であるから宿直の日に呼び戻すわけにいかず、しかも兄さんが休みの日は意地悪くも病気が起こらないで、兄さんに母親の苦しんだ模様を告げても本当にせず、このころから母親とはあまり口を利かなかったので、しみじみ母親に見舞いの言葉さえかけぬくらいでした。

 山本さん、未亡人の三度めの発病の際あなたが令嬢からお聞きになった事情というのが、すなわち、このことだったのです。あなたはこれを聞くなり、意味ありげな笑いを浮かべて、じっと考え込みました」


       2


「さて」

 と、検事はさらに続けた。

「未亡人の三回め、すなわち七月二十七日の発病もあなたの適当な処置によって無事に治まり、その翌日はなんともありませんでした。あなたは二十九日の発病を防ぐために、一包みの散薬を与えて、午前十時ごろ飲むようにと、その朝わざわざ書生を奥田家に遣わしになりました。ところがその散薬の効が薄かったのか、未亡人はやはり十一時ごろになると悪寒を催し、次いで発熱して例のごとくはげしい嘔吐に苦しみました。そこで午後二時ごろ、令嬢はあなたを迎えにやりましたが、その日、あなたは早朝与えた散薬のために決して症状が起こるまいと確信しておられたのか、家人に行き先も告げないでどこかへ行っておられました。そこで令嬢は慌てて他の医師を迎えようとしましたが、その時未亡人の容体が急変して、午後三時半、ついに未亡人は絶命したのであります。未亡人はかなりに太った体質の人でしたから、心臓があまりに強くなかったのか、あるいは中毒の原因が強く働いたのか、前三回の病気には堪え得たのに、四回めにはとうとう堪えることができなかったのです。

 令嬢は二十七日に、あなたが意味ありげな笑いをなさったのを見て、もしや兄が……という疑いが閃(ひらめ)いたものでしたから、その晩詳しい事情を二番めの兄、すなわち保一くんのところへ書き送りました。で、保一くんは二十九日には母に内緒に訪ねてきて、健吉くんが出かけるところを見届けてから奥田家に忍び入って、きよ子嬢の取り計らいで、あの暑さに押入れの中に入って隠れていました。未亡人が発病するなり、飛んで出て看護しましたが、さすがの未亡人も怒るどころか、むしろ感謝している様子がありありと見えたそうです。そうして、保一くんは悲しくも未亡人の死に目に遭ったのでした。

 きよ子嬢と保一くんが死体に取りすがって泣いているとき、あなたはひょっこり奥田家を訪れました。そうして未亡人の死を聞いて非常に驚き、亜砒酸(あひさん)の中毒ですよと大声でお言いになりました。それから死体をちょっと診て、すぐさま家に帰り、死亡診断書をお書きになりました。病名のところに明らかに亜砒酸中毒としてありますので、それが当然警察の活動を促し、ついに未亡人の死体は解剖されることになり、前後の事情から、健吉くんは真っ先に拘引されて取調べを受けることになりました。どうです。わたしがいままで述べてきたことは間違いがございましょうか」

 こう言って津村検事はハンカチで額を一撫(ひとな)でして、ちょっと署長のほうを振り返り、次に山本医師の顔を眺めた。両者とも異議がなかったと見え、ただ肯定的にうなずくだけであった。訊問室はしばらくの間しーんとして、蝉(せみ)の声がキニーネを飲んだときの耳鳴りを思わせるように響いてきた。

「ところで」

 と、検事は二、三回ばたばたと扇を使い、ぱちりとすぼめて言葉を続けた。

「健吉くんを取り調べましたところが、母に亜砒酸を与えた覚えは断じてないと申しました。もとよりそれは当然のことで、健吉くんがすぐ白状してしまったら、事件はすこぶる簡単で、こうしてあなたにまでこの暑さの中を来ていただく必要もないはずです。そこでわたしたちは、まず順序として、健吉くんがはたして未亡人に毒を与えたかどうかを検(しら)ベねばならぬことになりました。

 さて、殺人についてわたしたちの第一に考えることは殺人の動機であります。そうして、健吉くんの場合について考えてみますに、健吉くんには母親を亡きものにしたいという心の発生を充分に認め得る事情がありました。健吉くんが未亡人と生(な)さぬ仲であること、熱烈に恋する女との結婚をきっぱり拒絶されたということは、立派に殺人の動機とすることができます。令嬢の話によると、母に拒絶されたのちはまるで別人のようになり、発狂でもしはすまいかと思われたというほど心に強い打撃を受けたのですから、これまでいたって親孝行であった健吉くんでも精神に多少の異常を来せば、恐ろしい計画を抱いたとしてもあながち奇怪ではありません。

 しかし、健吉くんは猛烈に殺人を否定しております。そこでわたしは、健吉くんの殺人の動機となった間接の原因、すなわち健吉くんの恋人なるM呉服店員に事情を訊ねました。その店員は大島栄子(おおしまえいこ)といっていたって内気な色の白い丸顔の人でした。なんでも以前、S病院の看護婦をしていたそうですが、美貌(びぼう)のために医員たちがうるさく騒ぎ寄るので、職業を変更してデパートに勤務することにしたのだそうです。S病院といえば山本さん、あなたもご開業になる前にそこで医員をなさっておられたそうですね。……余談はさておき、その大島栄子さんから聞いてみますと、健吉くんは母の拒絶したことを告げて非常に悲しみ、大恩ある母の意志に背くことは自分にはできない。生さぬ仲のことであるからなおさら忍ばねばならない、いっそ一緒に死んでくれないかとまで言ったのだそうです。しかし、栄子さんは、いまわたしやあなたが死んではかえってお母さまに不幸になる、わたしはあなたと結婚ができなければ一生涯独身で暮らして、お友達として交際しますから、どうか短気なことは思い止(とど)まって、お母さまに孝行をしてあげてくださいと言ってなだめたそうです。すると健吉くんは、それならば自分も永久に独身で暮らそうと言って、情死のことはふっつりと断念したそうですが、そののちもやはり毎日浮かぬ顔をして、ときどき溜息(ためいき)を洩(も)らしていたということです。

 ところが、犯罪学的に考えてみますならば、自殺を思い止まった者が他殺を企てるということはきわめて自然な心の推移であります。栄子さんの忠告によっていったんは自殺の心を翻しても、心の打撃は容易に去るものではありません。さればこそ、ときどき溜息を洩らしたのであって、その溜息が凝って、ついに殺人という霧を心に降らしたのだと考えてもあえて差し支えはなかろうと思います。

 かくて、健吉くんの殺人の動機を充分に認めることには何人(なんぴと)も異議があるまいと思います。そこで次に起こる問題は、健吉くんがいかなる方法を用いて殺人を遂行しようとしたかということです。するとここに、健吉くんの殺人方法を推定せしめるに足るような事情が突発しました。それはすなわち、未亡人の不思議な発病であります。それは悪寒と発熱と嘔吐と下痢を主要な症候としておりまして、健吉くんが宿直の日に家を出かけると、必ずその二時間ほどあとから始まりました。このことが、三回めの発病の際あなたの注意を惹(ひ)いて、あなたは、もしや亜砒酸の中毒ではないかとお考えになりました。まったくわたしどものような医学に門外漢たる者が考えても、その疑いを抱くのは当然のことであります。嘔吐と下痢とは亜砒酸中毒の際の主要な症候であるそうですから、健吉くんがなんらかの方法によって未亡人の飲食物に亜砒酸を投じたであろうということは、これまた何人も異議のあるまいと思われる推論なのであります。

 さて、未亡人は前三回の発病からはさいわいに回復し、四回めの発病の際ついに絶命したのですから、この事実よりして、前三回に与えられた亜砒酸の量は致死量以下であったことを想像するに難くなく、殺人者の側からいえば、第一回に致死量を与えて突然絶命させては疑いを受ける虞があるから、まず三回だけ苦しませ、しかるのち致死量を与えて殺すというきわめて巧妙な方法を選んだと言わねばなりません。

 ところが、殺人者は非常な誤りをしたのであります。それは何であるかと言いますに、毒として亜砒酸を選んだことです。ここにおいでになる片田博士のお話によると、西洋では亜砒酸のことを“愚人の毒(フールスポイズン)”と呼ぶそうですが、それは、亜砒酸を毒殺に使用すれば、その症状によってきわめて気づかれやすいし、また死体解剖によって容易にその存在を発見されるから、愚人しか用いないという意味だそうであります。今回の事件においても、殺人者は愚かなことをしました。すなわち、亜砒酸を用いたためにあなたの疑いを起こしたのです。してみると、亜砒酸はこの場合においても愚人の毒たる名称を恥ずかしめなかったわけです。

 かくのごとく健吉くんに対する嫌疑は、動機の点から見てもその他の周囲の状況から見ても、だんだん深くなるばかりですが、しかし、単にこれだけの事情によって、健吉くんが母親殺しの犯人であると断定することは大昔ならいざ知らず、現代にあっては残念ながら不可能なのであります。すなわち、健吉くんが未亡人に亜砒酸を与えたという物的証拠が一つもないのであります。それがためわたしたちは、はたと行き詰まってしまいました。第一に健吉くんが亜砒酸を持っていたという証拠がありません。次に健吉くんが亜砒酸を何の中へ混ぜて母親に与えたかということが、いかに詳しく当時の事情を検べても少しもわかりません。たとえばお茶の中へ投じたとか、または夏のことですから飲料水の中に投じたとか、何か怪しむべさ事情があってもよいであろうに、令嬢に訊ねましても女中に訊ねましても、さっぱりわからないのであります。この事情が明らかにされて、しかもそれを裏書きするような物的証拠を得ない間は、健吉くんを犯人とすることはできません。それと同時に、わたしたちはたとい健吉くんに対する状況証拠がいろいろ集まっていても、物的証拠のない限りその物的証拠を捜すよりも、新しく事件を考え直したほうが得策だろうと思うに至りました。一般に現今の警察官にしろ司法官にしろ、物的証拠のない場合、先入見に支配されて物的証拠をどこまでも探し出そうとするために、色々の弊害を生じ、その間に犯人を逸してしまうようなことになりやすいのです。そこでわたしは健吉くんをひとまず事件から切り離してみたならば、どんなことを推定し得るかと思考を巡らしたのであります。

 健吉くんを事件から除いて考えるとき、まず未亡人が自殺するために亜砒酸を服用したのではないかと思われますが、その考えは言うまでもなく成立する余地がありません。未亡人には自殺すべき何らの事情もないし、また自殺するならば、わざわざ一日置きに四回も苦しむということは考えられません。精神異常者ならばともかく、さもない人がそうした死に方をするとは思われないのであります。

 そこで、未亡人の自殺が問題にならぬとすると、次に考うべきことは、未亡人の病気がはたして亜砒酸中毒であったかどうかという問題です。未亡人は前後四回同じ病気に襲われていますけれど、四回ともはたして同じ病因であったかどうかは容易に断ずることができないのであります。わたしのごとき素人にはわかりませんが、症状が酷似しても原因がまったく別な病気は沢山あるらしく思われます。そこでわたしたちは、ここにおいでになる片田博士にお願いして、亜砒酸中毒以外に何か未亡人の身体から別の病原を発見することができはしないかと思い、その方面の綿密な検査をしてもらったのであります。

 すると意外にも、片田博士は死体の血液検査の結果、血球の中にマラリアの原虫を発見なさったのであります」


       3


 検事は最後の言葉を一語一語はっきり言い放って、その言葉が相手にいかに反応するかをじっと見つめた。

 はたして強い反応があった。すなわち山本医師は、

「えっ? マラリア?」

 と、驚きの叫びを発して片田博士のほうを向き、本当ですかと言わんばかりの顔をした。

 博士はこの時、静かに口を開いた。

「そうです、明らかに三日熱の原虫を血球の中に発見しました。したがって、未亡人の死んだときにはマラリアの発作も合併しているわけですし、またそのことによって未亡人が一日置きに、しかも同じ時間に悪寒・発熱・嘔吐を起こしたことをよく了解することができます」

「けれど、嘔吐がマラリアのときに起こることは稀(まれ)ではありませんか」

 と、山本医師は反対した。

「いかにも稀ではあります。しかし、決してないことではありません」

 と、片田博士はにっこり笑って言った。

「ヒステリーの婦人がマラリアに罹ると、はげしい嘔吐を起こしたり人事不省に陥ったりしますから、いろいろの中毒と間違えられるのです」

「そこで」

 と、検事は二人の会話を横取りして言った。

「未亡人がマラリアに罹っていたとすれば、少なくとも四回の発病の際、四回ともマラリアが合併していたと考えてもよかろうと思います。いや、もう一歩進んで考えるならば、初め三回は単なるマラリアの発作で、四回めに亜砒酸中毒が合併したのではないかと思われるのであります。何となれば初め三回は首尾よく回復し、最後に絶命したからであります。で、実は、あなたは第二回からご診察なさったのですが、その際、病気は単なるマラリアの発作であったか、それとも亜砒酸の中毒症状も合併していたかをお訊ねしたいのであります」

 山本医師は非常に顔を紅(あか)くし、頸筋(くびすじ)の汗を唇を歪(ゆが)めて拭(ふ)きながら答えた。

「いや、お恥ずかしい話ですが、わたしが初めて診察したときはなんとも病名がわからず、その次、すなわち未亡人の三回めの発病のときもマラリアとは少しも気づかず、令嬢から事情を聞いて、もしや亜砒酸中毒ではないかと疑ったのです。いままで嘔吐や下痢を伴うマラリアの例には一度も接したことがないのでつい誤診しました。もしマラリアだとわかれば、ただちにキニーネを用いますから、未亡人の第三回の発作は起こらずに済んだはずです。したがって各々の発病の際、マラリアの発作だけであったか、または亜砒酸中毒が合併していたか、はっきりしたことは申し上げかねます」

「しかし、四回めが亜砒酸中毒だったことははっきりおわかりになりましたのですね?」

「それは、わたしが四回とも亜砒酸中毒だと思ったからでして、未亡人が死んだと聞いたとき、死因は亜砒酸中毒に違いないと判断したのです」

「けれど、あなたは四回めのときは診察なさいませんでしたでしょう?」

「急用ができて他行していたために、間に合いませんでした」

「だが、あなたは亜砒酸中毒の起こらぬようにといって、二十九日の朝、書生さんに一包みの薬を持たせてやられたのではありませんか」

「持たせてやりました。しかしそれは、単純な消化剤でして、亜砒酸中毒を防ぐ薬というものではありません。中毒のほうのことは令嬢にわたしの疑念を打ち明けて、それとなく注意しておきましたから、わたしは比較的安心して他行することができました。けれども、やはり気になったものですから、用事の済み次第奥田家を訪ねると、すでに死去されたあとでした」

 検事は山本医師の返答を聞いてしばらく考えていたが、やがて言った。

「よくわかりました。してみるとあなたも、亜砒酸中毒だということは、単なる想像によって判断されたのに過ぎないのですね? べつに患者の吐物を化学的に検査されたのではないのですね? そうですか。それではわたしもひとつ、わたしの想像をお話ししてみましょうか。すなわちわたしはこう想像したのです。初め三回は単なるマラリアの発作で、四回めのみが亜砒酸中毒を合併したのであると。わかりましたか。そうすると、だれかが初め三回の発作を利用し、四回めに亜砒酸を患者に与え毒殺し、罪を健吉くんに帰するように計画をしたのではないかという考えが浮かんできます。したがって、その人は健吉くんに恨みを抱いているか、または健吉くんを亡きものにして利益を得ようとする者でなくてはなりません。そこで当然考えられることは、二男の保一くんのその日の行動であります」

 さっきから検事の言葉を異様の緊張をもって聞いていたらしい山本医師は、この時、ほっと安心したような様子をした。

「すでに申し上げたとおり」

 と、検事は山本医師を流し目に見て言葉を続けた。

「二男の保一くんは久しく奥田家の出入りを禁じられていたのですが、令嬢からの手紙によって、兄の行動と母の病気とがなんとなく関係のあるらしいことを知り、二十九日の朝、兄が出かけたすぐあとへ忍び込んだのでした。その時、保一くんはどういう心をもって訪ねてきたのでしょうか。親子の愛情によって、母を保護するために来たのでしょうか。それとも他に目的があったのでしょうか。この点は非常にデリケートな問題です。母は保一くんが女と手を切らぬ間は決して家へ入れないとがんばっていました。保一くんは売薬店を開いていて、辛うじて生活していけるかいけぬの程度でありまして、ときどき兄の健吉くんに無心を言ったらしいですが、最近はかなりに困っていた様子です。そこへ妹さんから、母の病気と兄の行動について詳しい通知があったのです。俗に、“背に腹は代えられぬ”という言葉がありますが、保一くんが令嬢の手紙を読んだとき、そうした心にならなかったとだれが保証し得ましょう。すなわち母を亡きものにし、兄に毒殺の嫌疑をかけられれば保一くんは当然奥田家の財産を貰(もら)って、大手を振って歩くことができます。保一くんは幼時より不良性を帯びていました。そうして、最近は母を恨むべき境遇に置かれていました。兄とは義理の仲である。いや、たとい肉親の兄であっても、背に腹は代えられぬ。これはひとつこのまたとない機会を利用して、危険ではあるが一芝居打ってみようと考えつかなかったとはだれが保証し得ましょう。不良性を帯びた人は、悪を行う知恵は鋭敏に働くものです。ことに都合のよいことには、自分が売薬店を開いていることです。すなわち、亜砒酸は手もとにある。ただそれを利用すればよいのだ。こう考えて亜砒酸を携え、奥田家へやって来たのだと推定しても、あえて不合理ではないと思います」

 山本医師は検事の言葉に、つくづく感じ入った。想像とはいいながら、いかにも事実を言い当てているように思えたので、思わず賛嘆の微笑を洩らした。しかし検事は、山本医師の微笑をも知らぬ顔して、論述を進めた。

「しからば、保一くんはいかにしてその亜砒酸を母親に飲ませたでしょうか。そこが健吉くんの場合と等しく問題なのです。もちろん、保一くんも母の病気がマラリアであるとは知らず、兄の健吉くんが母親に毒を与えているものと信じていたのですが、いかなる方法で兄が母親に毒を飲ませているかは知らなかったのです。で、自分勝手な方法で機会をうかがって毒を投じようとしたのですが、ここに図らずも保一くんにとって非常に好都合な事情があったのです。それは何かと言うに、その朝あなたから、未亡人に十時ごろ飲ませるようにと言って、一包みの散薬が届いていることを令嬢から聞き出したのです。で、保一くんは令嬢に向かって、ちょっとその薬を見せなさいと言って取り寄せ、ひそかに携えてきた亜砒酸をその中へ混ぜたらしいのです。亜砒酸は白色で無味ですから、決して服用する人にはわかりません。

 さて、わたしは以上の話を単なる想像のように申しましたが、実は、かように想像すべき事情、いやむしろ証拠というべきものがあったのです。それは何かと言うに、あなたがその朝、書生さんに持たせてやられた薬剤の包み紙を片田博士に分析してもらった結果、明らかに亜砒酸の存在が認められたのであります」


       4


 この言葉を聞くなり、山本医師の身体はゴム毯(まり)のように椅子(いす)から跳ね上がった。そうして、何か言おうとしてもただ唇だけが波打つだけで、言葉は喉(のど)の奥につかえで出てこなかった。

「まあまあ」

 と、検事は手をもって制して言った。

「なにもそれほど驚きになることはありません。あなたがお入れになったとはわたしは申しませんでした。あなたが書生さんに持たせてやられた薬の中に亜砒酸があったとて、ただちにあなたがお入れになったということはできません。だからわたしはまず保一くんに嫌疑をかけてみたのです。そうしていま申し上げたようなことが行われたのだと推定したのです。しかし、嫌疑といえば、保一くんばかりでなく、健吉くんにも令嬢にも女中にも、一応かけてみなければなりません。さきにわたしは健吉くんのことをいったん切り離して考えるよう申しましたが、ここに至って、健吉くんをふたたび引き出してくるのは少しも差し支えないと思います。かりに未亡人の前三回の発病がマラリアであると想像して、健吉くんに無関係であるとしても、健吉くんもまたその事情を利用して毒を投じたと考えてもよい理由があるのであります。というと、前三回の発病でさえ健吉くんが疑われているのだから、四回めに毒を投じたならば当然健吉くんが犯人と睨(にら)まれるに決まっているから、まさかそんなことはすまいと思いになるでしょう。しかし健吉くん自身からいえば、前三回の発病には自分は無関係だから、四回めに毒を投じて他人に嫌疑をかけさせるように計画したと考えても差し支えありません。差し支えのないばかりか、そこに立派な理由があるのです。

 それは何であるかと言いますに、実は健吉くんの恋人なる大島栄子さんから聞いたことですが、健吉くんのほかにも栄子さんを恋している人があるのだそうです。だから、栄子さんとの結婚を母親から拒絶されて健吉くんが情死を迫ったのも、栄子さんを、そのいわば恋敵のために取られたくなかったためらしいのです、で栄子さんは、健吉くんと結婚ができなければ一生涯独身で暮らすと固く誓ったのだそうです。けれど、気の小さい健吉くんがなおも不安を感じたことを想像するに難くありません。したがって、健吉くんがその恋敵を除こうと企てたこともまた想像し得るところです。というと、健吉くんが母親に毒を与えてどうして恋敵を除き得るかという疑問が浮かぶはずですが、山本さん、あなたにはよくわかっているでしょう。あらためてお訊ねするのも変ですが、健吉くんの恋敵というのはあなただそうですねえ?

 いや、こんなことを訊ねてお顔を紅くさせては申し訳ありませんが、これも訊問の順序として致し方ありません。で、健吉くんがその朝、あなたのところから母親に薬の届いたのをさいわいに、その中へ亜砒酸を投じ、あたかもあなたが毒殺なさったように見せかけたと考えても、これまた決して不合理ではないと思います。

 さてこうなると、健吉くんが投じたのか保一くんが投じたのかさっぱりわからなくなってきました。薬包紙に残る指紋はもとより不完全なもので、だれのものともわからず、また、ある一定の人の指紋が現れたとしても、必ずしもその人が亜砒酸を投じたとは断定できません。同様に令嬢か女中か、あるいはまた、疑ってみればあなた自身がお入れになったのかもしれません。で、わたしはすっかり迷ってしまったので、この問題を解決してくださるのはあなたよりほかあるまいと思って来ていただいたわけなのです」

 検事は一息ついて、ぎろりと目を輝かして相手を見つめた。藤井署長も片田博士も、なんとなく緊張した様子であった。山本医師も少なからず緊張して見えたが、気温の高いのに似合わず顔の色が青かった。

「わたしに解決せよとおっしゃっても、解決のできる道理がありません」

 と、医師は細い声で言った。

「そうですか。わたしはまた、この事件の鍵(かぎ)を握っている人は、あなたよりほかにないと思うのです」

「なぜですか」

「なぜと言いますと、さっきも述べましたとおり、あなたが二十九日の朝書生に持たせてよこされた薬の中に亜砒酸があったとすると、その亜砒酸を投じた者は保一くんか健吉くんか、令嬢か女中か、あるいはあなたご自身か、さもなくばあなたの家の書生かでありますが、書生と女中と令嬢は問題外として、残るところは保一くんか健吉くんかあなたの三人であるからです。健吉くんと保一くんの事情は先刻申し上げたとおりですが、あなたについても健吉くんと同様なことが言い得るだろうと思います。すなわち、あなたにとって健吉くんは恋敵です。大島栄子さんの話によると、あなたがS病院においでになるとき、栄子さんに執拗(しつよう)に言い寄られたそうで、栄子さんはそれがうるさいために病院を辞してM呉服店に入ったのだそうです。してみれば、あなたは失恋の人であります。したがって、同じく恋敵同士でも、あなたが健吉くんを憎む程度は健吉くんがあなたを憎む程度よりも比較にならぬほど大きいのであります。で、あなたが令嬢から事情を聞いて、その好機会を利用なさったと考えることはまことに当然ではありませんか。あなたが未亡人の病気のマラリアであることにお気づきになったかどうかは、いまここで問わぬことにして、嘔吐と下痢のあることをさいわいに亜砒酸を利用しようと企てられたことは、もっとも自然な推定ではありませぬか。健吉くんも保一くんも医者ではありません。ですから、健吉くんと保一くんとあなたとの三人並べて、だれが這般(しゃはん)の事情を利用するにもっとも適しているかと問うならば、だれしもあなたであると答えるに違いありません。保一くんは売薬業を営んでいるから多少医学的知識があるとしても、あなたほど容易には考えつかぬと思います。古来毒殺は女子の一手販売であると考えられ、男子で毒殺を行う者は医師か薬剤師であると言われておりますから、この際にも医師たるあなたを考えるのは別に奇怪ではないと思います。保一くんは売薬業をしておりますから、亜砒酸を手に入れやすいとしても、保一くんにしろ健吉くんにしろ、亜砒酸を投ずる際にすこぶる大きな冒険をしなければなりません。ところがあなたはやすやすとして亜砒酸を投ずることができ、しかも命令的に飲ませることさえできる位置にいます。こう考えてくると、三人のうちあなたをもっとも有力な嫌疑者と認めることは大なる誤りではないと思います」

 山本医師の顔は土のように青褪(あおざ)め、額から汗がばらばら流れた。

「だってわたしが亜砒酸を混ぜたという証拠がないじゃありませんか。健吉くんや保一くんと同じ位置にいるだけじゃありませんか」

「ところがそうでないのです。あなたは二十九日に大変な間違いをやっています。問題の薬を書生に持たせてやって、あなた自身が患者に与えられなかったこともあるいは一つの手抜かりかもしれませんが、それよりも、もっと大きな手抜かりはあなたが奥田家を訪ねて、未亡人の死をお聞きになったとき、今朝持たせてよこした薬を患者は飲みましたかとお訊ねにならなかったことなのです。ところが、保一くんはあの朝、健吉くんの出たあとへ忍んできて、令嬢から十時ごろに飲むべき薬が届いていると聞き、もしや兄がその中へ薬を混ぜはしなかったかと疑って、その薬を母親に飲ませなかったのです。で、その薬はそのまま保存され、片田博士に分析してもらったところ〇・二グラムの亜砒酸、すなわち致死量の二倍の毒が存在しているとわかりました」

 これを聞くなり、山本医師は喉の奥から一種の唸(うな)り声を発した。

「だって、だって」

 と、山本医師は叫んだ。

「未亡人は亜砒酸中毒で死んだではありませんか」

「いかにも、あなたの死亡診断書には亜砒酸中毒が死因であると書かれてありました。ところが片田博士が死体を解剖なさった結果、亜砒酸の痕跡(こんせき)をも発見し得なかったので、博士は死因に疑いを抱いて、血液検査の結果マラリアの存在を発見し、四回もはげしい発作を起こしたため五回めに心臓が衰弱していたということがわかったのです。ですから、健吉くんも保一くんも、その他何人(なんぴと)も未亡人の死とは関係ありません」

 この時、山本医師は急に目を白黒させて、机の上にふらふらと俯(うつむ)きに上体を投げかけた。だから、検事の言った次の言葉がはたして聞こえたかどうかは疑問である。

「山本さん、わたしはあなたを奥田未亡人謀殺未遂として起訴します」

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안마사 (안마:按摩)

고사카이 후보쿠 (小酒井 不木) (1925)

일본어 원문


 コホン、コホンと老按摩(あんま)は彼の肩を揉(も)みながら、彼の吸う煙草の煙にむせんで顔をしかめた。少し仰向き加減に、首と右肩との角度を六十度ぐらいにして居るところを見ると、生れつきの盲人(めくら)であるらしい。

 郊外の冬の夜は静(しずか)である。

「旦那はずいぶん煙草ずきですねえ。三十分たたぬうちに十本あまりも召し上ったようですねえ」

 と、彼は狡猾(ずる)そうな笑いを浮べて言った。

「うむ。俺はニコチン中毒にかかったんで、身体中の肉がこわばってどうにもならぬから、按摩が通るたびに呼びこまずには居(お)れんのだ。何とかしてこのニコチン中毒は治らぬものかなあ」と彼は中年のニコチン中毒患者に特有な蒼白い顔をして、でも巻煙草を口から離さずに言った。

「そりゃ旦那、眼をつぶすに限りますよ」

「ええッ? 何?」と彼は、わが耳を疑うかのように、暫(しば)らく巻煙草を口から離して按摩の返答を待った。

「両方の眼をつぶして盲人(めくら)になるんですよ。眼をつぶせば、あの恐しいモルヒネ中毒さえなおるのですもの、ニコチン中毒ぐらいは訳もなくなおると思うのです」

 彼は背筋にひやりとするような感じを起した。

「お前はその経験があるとでもいうのか?」とたずねた彼の声は、心もち顫(ふる)えて居た。

「そうですよ。実は私の眼も、むかしは一人前に見えたんですが、ふとしたことからモルヒネ中毒にかかって、あげくの果に、眼をつぶすことになりましたが、眼が見えなくなると、不思議にもモルヒネ中毒はけろりとなおりましたよ」

「ふむ、妙な話だなあ。どうしてモルヒネなんか嚥(の)む気になったんだい?」と彼は聊(いささ)か好奇心に駆られて、どんよりして居た眼を輝かした。

「さあ、それをきかれると困るんですけれど……」

「いや、話してくれよ」と、彼は吸いさしの煙草を火鉢の灰の中へ突きさした。

 按摩はにやり笑った。

「大ぶ乗気になりましたねえ。ええ、もう、白状してもかまわぬ時ですから、思い切って御話ししましょう。実はねえ旦那、私は若い時に人殺しをしたんです」

 彼はぎくりとした。

「ははは、旦那、少し肩の肉がかたくなりましたねえ。なに、そんなにびっくりなさることではありませんよ。今じゃ私もおとなしい人間です。まあ私のいうことをお聞き下さい」


 按摩は、それから彼が恋の敵(かたき)を殺すに至るまでのいきさつを凡(およ)そ一時間近くも話した。さすがの彼も、もう煙草どころではなく、段々話が進むにつれ、好奇心が恐怖に変って、いわば鷲につかまった雀(すずめ)が、鷲から懺悔話をきいて居るといったような為体(ていたらく)であった。


「……とうとう私はある晩、奴を森の中へおびき出しましたよ。いよいよの時になって、私は奴を一歩(あし)先へあるかせ、うしろから右の頸筋(くびすじ)を、短刀でぐさと突きました。人なみはずれて背の高い奴でしたから、突いた拍子に、頸動脈から、私の右の眼にパッと暖かいものがかかったかと思うと、焼けるように眼が痛み出したんです。恋敵の血という奴は、実に恐しい力があるものですねえ。私は、奴の死骸も、短刀もすてて、右の眼を押えたまま、一目散に町の方へ走って来たんですが、どうにもこうにも痛くて仕様がないので、ある小さな病院へとびこんだのです。

 院長は眼科医ではなかったですが、私が三百円ばかりはいって居る財布を投げ出して、(ほかにまだ五百円ばかり、高飛びするつもりで腹巻の中に持って居ましたが)どうか当分のうち入院させてくれといったら、金に眼が眩(くら)んだのか、素性もきかずに病室をあてがって、それから眼を診察してくれましたが、珍しい眼の出血だといって、暫らく洗ってくれたから、幸いに出血はとまりましたよ。ヒヒ、とまるのが当り前です。ところが、血はとまっても痛みがどうしてもとまりません。で院長は、とりあえずモルヒネを一筒注射してくれましたが、モルヒネの力はえらいもので三十分たたぬうちに、痛みはけろりとなおりました。

 さて、翌日の晩、奴をやっつけた同じ時刻になると、右の眼が又もやずきんずきんと痛み出しました。で、またモルヒネを注射してもらいましたら、痛みはけろりとなおりました。

 すると又、その翌日の同じ時刻に、右の眼が前晩(ぜんばん)よりも一層はげしく、ずきんずきんといたみ出しました。そこで又モルヒネの注射をして貰いましたが、こんどは一筒ではきかず、二筒で始めて痛みを忘れました。

 すると又、その翌日も翌々日も、同じ時刻にだんだんはげしく右の眼が痛み出し、モルヒネ注射の数も段々殖えて行きましたが、とうとう七日目の晩、いや奴の初七日の晩といった方がよいかも知れません。右の眼が痛みと共に急に見えなくなって、つぶれてしまいました。そうしたら、その翌日からは、例の時刻が来ても、右の眼に痛みは起りませんでした。旦那、恋敵の血というやつはよっぽど恐しいものですねえ。

 こう申すと、旦那は、どうして私が御用にならなかったかを不審にお思いになるでしょう。旦那、兇状(きょうじょう)持ちが、身をかくすに一番よい所は病院ですよ。よく、大泥棒などは、小さな罪を白状して、監獄へ入れてもらい、人殺しの罪をまぬがれるという話ですが、私は、人殺しをしたら、病院へ駈けこむに限ると思うのです。然(しか)し、大きな病院ではいけません。小さな病院でなくては。又、金をうんと持って居なくてはいけません。すると、むこうでは金故(ゆえ)に、大切にしてかくまってくれます。警察でもまさか病人が人殺しをすまいと思いますから、調べにも来ませんよ。なに、入院した日附なんざあこちらの言いなり次第にごまかしてくれます。私は勿論(もちろん)変名で入院しました。兎(と)に角(かく)[#「兎(と)に角(かく)」は底本では「免(と)に角(かく)」]、警察へは引張られずにすみ、事件は、それ何とかいいますねえ、そうそう「迷宮入り」ですか、まったく、有耶無耶(うやむや)にすんでしまいましたよ。

 ところがです、法律上の罰は、みごとに免(まぬか)れましたけれど、恋敵の血の罰が、なおもはげしく、私にせめかかってまいりました。

 右の眼がつぶれて、翌日から痛みは去りましたが、さあこんどは、例の時刻が来ると、モルヒネの注射をして貰わねば、身体中がむしゃむしゃして来て、とてもこらえられないようになったんです。それも普通のモルヒネ中毒とはちがって、モルヒネが身体の中へはいって行くときの痛みが恋しくて恋しくてならぬようになったんです。旦那、旦那は、モルヒネが皮膚の中に沁みこんで行くときの、あの涎(よだれ)の垂れるような、気持のよい痛みを御経験になったことがありますか。あれですよ、あの痛みが恋しくなったんです。で、毎日、例の時刻にモルヒネを注射してもらいましたが、一二週間経つと、腕や背中のどこに注射してもらっても、その恋しい痛みを覚えなくなったんです。さあ大変私は身体中のどこが痛いかと、方々捜しまわった結果、でも、唇のまわりや、足の裏を捜しあてて痛みを味って来ましたが、それも二三日注射が続くと、もう、感じがなくなってしまいました。

 とうとう、しまいには自ら注射器をとって、御無礼な話ですが、恥かしい部分の皮下へ注射したんです。さすがにこの部分の皮膚は痛みが強くて、何ともいえぬ愉快を感じましたが、それも然し四五日以上は続きませんでした。

 もう痛いところは何処(どこ)にもなくなってしまいました。旦那、私が、何とかして痛いところを見つけ出そうと焦燥(あせ)った時の心持を御察し下さい。例の時刻が近づいて来ると、私は気ちがいのようにもだえましたが、悶(もだ)えたあげく、たった一つだけ残って居る、一ばん痛いところを見つけたんです旦那、それを何処だと思います?

 眼ですよ。眼ですよ。眼にものがはいった時の痛みは旦那もよく御承知でしょう。つぶれた眼には痛みはないですが、あいて居る眼は、私の欲望を思う存分叶(かな)えてくれるだろうと、私は喜び勇んだものです。

 で、その晩、例の時刻に、モルヒネの注射針を左の眼にずぶりと突刺して、徐々に注射しました。さすがに思う存分の痛みを味うことが出来ましたよ。

 旦那、旦那は、黒い焔(ほのお)というものを想像なさったことがありますか。モルヒネが左の眼に注射されて行くとき、私には何となく黒い焔といった感じがしましたよ。そうして、それきり私の左の眼は見えなくなってつぶれてしまいました。

 ふと、気がついて見ると、旦那、その日をいつだとお思いになります? 奴が死んだ日から、ちょうど四十九日目でしたよ。

 その翌日からは、不思議にも、モルヒネがほしくなくなりました。その代り、私は生れもつかぬ盲人(めくら)になりました。

 ですから旦那、モルヒネ中毒は、眼をつぶせばなおると私は今でも思って居るのです……」

 じっと聞いて居た彼は全身にはげしい寒さを感じた。按摩の話し終ると同時に揉み終ったが、彼はもはや巻煙草をふかす勇気もなく、按摩の顔を見るのが恐しかったので、黙って紙入の中から一円札を取り出して、按摩の手に握らせた。

 老按摩はそれをすなおに受取って懐にしまい、立ちぎわに、又もや狡猾(ずる)そうな笑いを浮べて言った。

「えへへ、旦那、怒っちゃいけませんよ。今の話は、ありゃ、みんな作りごとです。私は生れ乍(なが)らの盲目(めくら)ですが、どういうものか、煙草の煙が大嫌いでしてね、旦那を揉んで居る間、どうかして、やめて頂きたいと思っても旦那はとても一通りの手管(てくだ)ではおやめにならぬと思ったので、つい少しばかり話が大袈裟になりましたよ。へへへへ、ではどうか、御ゆっくりおやすみを……へえ、へえ、俄(にわ)か盲人(めくら)とちがいますから、手を引いて下さらなくても大丈夫です……」


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수술(手術)

고사카이 후보쿠 (小酒井 不木) (1925)

일본어 원문


 ×月×日、私の宅で、「探偵趣味の会」の例会を開きました。随分暑い晩でしたが、でも、集ったのは男の人が五人、女の人が三人、私を加えて都合九人、薄暗い電燈の光の下(もと)で、鯰(なまず)の血のような色をした西瓜をかじり乍(なが)ら、はじめは、犯罪や幽霊に関するとりとめもない話を致しました。

「……それにしても九人というのは面白いですねえ。西洋の伝説にある妖婆(ようば)は、九という数(すう)を非常に好むという話ですから」と、会社員で西洋文学通のN氏は言い出しました。いつの間にか私たちは怪談気分にひたって居たこととて、妖婆という言葉が、いつもより物凄く私の胸に響きました。

 N氏は続けました。「シェクスピアのマクベス劇で、三人の妖婆が魔薬を煮るところは可なり恐しい思いをさせられます。その魔薬の成分の一つとして、子豚(こぶた)を九疋(ひき)食った牝豚の血が、鍋の中へ入れられますが、あの無邪気に見える豚でも、共食いするかと思うと、何となく気味の悪いものですねえ……」

 こういってN氏は、私たち九人が、恰(あたか)も九疋(ひき)の子豚(こぶた)で、今にも牝豚ならぬ妖婆が、私たちを食べにでも来そうな雰囲気を作り出しました。

 この時、弁護士のS氏は言いました。「どうです、いま、共食いの話が出た序(ついで)に、今晩は、人間の共食いを話題としようではありませんか」

「いい題目(だいもく)です。皆さんどうです?」と私が申しました。

「大賛成!」「結構ですわ!」と皆々同意されましたので、私は申しました。

「先ず隗(かい)より始めよということがありますから、最初にSさんに御願い致しましょう」

 S氏は頭を掻いて、「どうも、とんだことを言い出しましたねえ」といい乍(なが)ら、でも、すなおに話し始めました。法律家であるだけに、穂積博士の「隠居論」に載って居る食人の例をよく記憶して居られて、老人隠居の風習の起りは「食人俗」にあることまで、極めて秩序的に説明してくれました。

 それから、私が話す番になったので、私は変態性慾と食人との関係について色々の例を述べて説明しました。恋人を殺してその心臓を切り出し、それを粉砕して、パンの中に焼き込んで食べた男の話などは、いつもならば何ともありませんが、今夜に限って、自分ながら妙な気持になり、外から盗人のようにはいって来るなまぬるい風さえ、血腥(ちなまぐさ)い臭いを持って居るかのように、思われました。

 次に大衆文芸作家K氏の日本文学にあらわれた食人の話があり、それについで、男の方も女の方もそれぞれ、凄い、面白い話をされ、最後にC子さんの番になりました。C子さんは数年前まで看護婦をして居られたのですが、故(ゆえ)あって今はタイピストをして居られます。

「それでは、今度はC子さんに御願い致しましょう」と私が申しますと、C子さんは、何故か先刻(さっき)から二三度太息(ためいき)をついて居られましたが、この時、決心したように言いました。

「思い切って御話することに致しましょう。実は私が看護婦をやめましたのも、ある御方の食人が動機となったので御座います。でも、この御話は、普通の女の方の前では、何だか、申しにくいところがありますから……」

「いえ、かまいません。どうぞ是非話して頂戴(ちょうだい)」と他の二人の女の方が口を揃えて、熱心に申しましたので、C子さんは、「それでは」といってしずかに話しはじめました。

 その時、ふと私が明け放した座敷から、おもてを見ますと、蝎座(さそりざ)の星が常よりも鋭く輝いて、はや、西南の空の地平線に近いところへ移って居ました。



 △△医科大学が、まだ△△医学専門学校と申しました時分のことで御座います、私は、産婦人科教室の看護婦を勤めて居りましたが、患者の受持ではなく、手術場を受け持って、手術の際に、ガーゼを渡したり手術道具を渡したりする役を致して居りました。

 主任教授はT先生と申しまして、その頃は四十前後の、まだ独身で御座いましたが、産婦人科の手術にかけては日本でも有数の御方で、その上弁舌に巧みでいらっしゃいましたから、学校内は勿論世間でも大へん評判が宜(よろ)しゅう御座いました。いくら名医と申しましても、やはり人間である以上誤診ということは免れ得ませんが、T先生は平素、念には念を入れる性質(たち)でしたから、滅多(めった)に誤診はなく、たまたまあっても、患者の生命に少しの影響をも及ぼしませんでした。

 ところがそのT先生が、どうしたことか、まあ、いわば、悪魔にでも憑(つ)かれなさったのでしょう、たった一度だけ、世にも恐ろしい誤診をなさったので御座います。それがため、先生は遂にその身を亡ぼしてしまわれ、私も看護婦という職業を捨てたので御座います。

 それはある夏のことでした。毎年、夏期には、教室で、産婦人科学の講習会が開かれますが、その年も凡(およ)そ二十五六人の聴講生が御座いました。聴講生と言いましても、みな、市内や近在に開業して居られる方ばかりで、どなたも相当な経験を積んで見えますから、T先生も殊更(ことさら)に注意をせられて、手術の時など、私たちの準備を厳重に監督なさいました。

 ある日、T先生は、子宮繊維腫(しきゅうせんいしゅ)の患者に、子宮剔出(てきしゅつ)手術を施して講習生に示されることになりました。その患者は二十五歳の未婚の婦人でしたが三ヶ月ほど前から月のものがとまり、段々衰弱して来たので、先生の診察を受けたところ、子宮の内壁に繊維腫が出来て居るから、子宮を全部剔出しなければならないとの事で、患者も覚悟をきめて、その大手術を受けることになりました。

 御承知でも御座いましょうが、子宮を剔出するには腹部から致しますのと、局部から致しますのと二通りの方法が御座います。T先生は、講習生に示す関係上、後の方法を御選びになりましたので私どもはその準備を致しました。手術室は、中央に手術台が置かれ、その手術台のまわりに凡(およ)そ一間半ほど隔てて、生徒たちの見学する台が、手術を見易(やす)くするために、ちょうど、昔のローマの劇場のように、一段々々後ろへ高くなって備えつけられてあります。で、二十数人の講習生は其処(そこ)へ半円形に陣取って、先生の臨床講義の始まるのを待って居りました。

 最初に先生は、当の患者を連れて来て、一通りその病歴を御話しになり、子宮繊維腫と診断なさった理由を、いつもの通りの、歯切れのよい、流暢(りゅうちょう)な言葉で御述べになりました。凡そ半時間ほど説明をなさって、患者を別室に退かせになりました。即ち、その別室で、患者に麻酔剤を与え、患者が十分麻酔した頃に、手術室に運んで、手術を受けさせるという順序で御座います。

 やがて患者は手術室に運ばれて来ました。患者が手術台に乗りますと、私は大へん忙(せ)わしくなるので御座います。先生も助手の方々も、白いキャップを御かぶりになり、口にも白いマスクをかけて手術に取りかかられるのが例で御座います。先ず、助手の方々によって、手術局部の厳重な消毒が行われますと、愈々(いよいよ)先生は手術に取りかかるために、特別な手術道具で、子宮を出来るだけ手前へ引き出しになりまして、順序として、指で丁寧に患部を触れて御覧になりました。

 もとより、その間も先生は、聴講生に向って、熱心に説明して居られました。私にはよくわかりませんでしたが、子宮繊維腫の出来たときには、子宮は林檎(りんご)のようにかたくなるのが特徴であるということを繰返し説明なさったようでした。

 ところが、暫(しばら)く触診をなさっておいでになりますと、先生の御言葉が段々乱れてまいりまして遂には、ぱたりと口を噤(つぐ)んでしまわれました。そして、ちょうど顕微鏡を御のぞきになるように、眼を近づけて、さらけ出されたものを、触診しながら、見つめて居られました。と、見る見るうちに先生の御顔に疑惑の色がただよい、その額にはオリーヴ油のような汗の玉が、ぎっしり並び始めました。恐らく先生はその時、夏の晩方、石だと思って掴(つか)んだのが、蟇(がま)であったときのような感覚をされたことだろうと思います。と申しますのは、患者の子宮は先生の予期に反して、先生が指で御つまみになると、空気の抜けかけたゴム鞠(まり)のようにくぼみましたからです。講習生の人々は、何事が起きたのかと、ちょうど、軍鶏(しゃも)が自分の卵ほどの蝸牛(かたつむり)を投げ与えられた時のように、首をのばし傾(かし)げて、息を凝らして見つめました。

 御承知の通り、手術室には、塵埃(ほこり)は至って少ないのですが、その時には、一つ一つの塵埃(ほこり)が、石床(いしゆか)の上に落ちる音が聞えるかと思われるほど、静かになりました。やがて先生の手は少しく顫(ふる)えかけました。すると、先生は何事かを決心されたかのように、でも、何事も仰(おっ)しゃらずに、つと、子宮の中へ指を入れて、血のついた白みがかった塊(かたまり)をつかみ出されました。が、それは、ほんの一瞬間のことで、先生はその塊(かたまり)を右の掌(て)の中へしっかり握りこんでしまわれました。講習生の方々は勿論、恐らく助手の方々も、それが何であったかは御承知なく、やはり、子宮の中に出来た病的の腫物だと思って居られたらしいのです。

 けれど、けれど。

 私は、不幸にも、その何物であるかを見てしまったのです。それは或(あるい)は私の錯覚であったかも知れません。いえ、錯覚であらせたいと今でも思って居ります。然(しか)し、兎(と)に角(かく)、その時、私の眼に映じましたのは、小さい乍(なが)らも人間の形を具えた三ヶ月ほどの胎児でありました。私はぞっと致しました。急にあたりがまっ暗(くら)になって、今にもたおれるかと思いましたが、その時、先生が、この世ならぬ声で、主席助手の方に向って言われた御言葉ではっと我にかえりました。

「もう、手術はすんだ。後始末をしてくれたまえ」

 こういわれたかと思うと、先生は血まみれの手に、その疑問の組織をかたく握ったまま、私たちを残して、さっさと出て行ってしまわれました。子宮剔出の手術は? ? ?[#二つ目、三つ目の「?」は太字] 講習生の方々は、催眠術にでもかけられたようにぼんやりした顔をして見えました。

 暫(しば)らくすると、患者の子宮から、はげしい出血がありました。主席助手の方は、極めて落ついた性質でしたから、応急の手当を施されましたが、どうしても血が止まりませんので、私に、T先生を呼んでこいと仰(おっ)しゃいました。私は、先刻からの心の打撃に、ふらふらして居た矢先ですからまるで夢中になって先生の御室にかけつけましたが、T先生は御いでになりません。で、産婦人科教室に属するすべての室を、一つ残らず捜して行き、最後に、建物のつき当りにある図書室に行きますと、T先生は手に血のついたまま、机によりかかって、ある書物を見つめておいでになりましたが、私の跫音(あしおと)をきくなり、その頭をむっくり上げて、私の方を向いてニッと御笑いになりました。

 ああ、その時のT先生の御顔!

 先生の口許にはべったり血がついて居りましたが、そればかりでなく先生の歯齦(はぐき)と歯とは真紅(まっか)に染まって、ちょうど絵にかかれた鬼の口をまのあたりに見るようで御座いました。はっと思うと気が遠くなって、私は図書室の入口にたおれてしまったのです……

 ここでC子さんは、暫らく話を中絶させました。私たちは固唾(かたづ)を呑んで、その続きを待ち構えました。

「私の御話というのはこれだけで御座います。その患者はその夜、衰弱のため死亡致しました。先生はそれから長い間精神科の病室にはいって居られましたが、先年インフルエンザの流行(はや)った時、肺炎にかかって寂しく死んで行かれました。

 で、最後に残る問題は、T先生が患者の腹から胎児を御取り出しになったことも、T先生の口の中が真紅(まっか)であったことも、果して私の錯覚であったかどうかということです。然(しか)したとい先生の御取り出しになったのが、胎児でなかったとしても、T先生が誤診なさったことは事実でありますしなお又、先生が、その疑問の組織のやり場に困って、最も安全な隠し場所として、御自分の胃袋を御選びになったことも、やはりたしかであると思って居るので御座います。

 このことがありましてから、私は看護婦という職業に厭気(いやけ)がさして、現在の職業に移ったので御座います……」

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공포의 선물(恐ろしき贈物)

고사카이 후보쿠 (小酒井 不木) (1925)

일본어 원문

       一


 ニューヨーク市、西第七十街のあるアパートメントに、グレース・ウォーカーという四十前後の女が住んでいた。おもて向(むき)は極めて静かな生活をしていたけれど、警察はかねてから彼女に目をつけていた。というのは彼女は一口にいえば待合のようなものを営んで、多くの良家の子女に恥かしい行為を勧めていたからである。ところが、あるときヴァイオレット・リオナードという十五歳になる女を取持っていたとき、警察に踏み込まれて、少女はある感化院に送られ、彼女も拘引されて相当の処罪を受けた。

 放免されて後、彼女は以前の住家に近いあるアパートメントを借りて、やはり前同様の後ろ暗い仕事を始めていた。ある日のこと、彼女が友だちの訪問を受けて、色々の世間話をして興じ合っていると、丁度そこへ、郵便が来て、一個の小包が届いた。見ると、表面には彼女の宛名がタイプライターで書かれてあったが、差出人の名は何処にも書いてなかった。それは白い紙で包まれた長方形の箱で紅い紐でゆわえてあったから、どう見ても一ポンド入の菓子箱としか思われなかった。

「お菓子でないかしら、それにしてはちと重過ぎるようだが」と彼女は友だちに向って訊ねるように言った。

「きっとお菓子よ。まあ、あけて御覧なさい。名刺が中に入れてあるに違いないから」

 ウォーカーは友だちのいうままに、好奇の念に駈られながら、紅い紐を解き、白い紙を開くと、果して菓子箱が出たので、やがてその蓋を開いた。

 と、その時、ドーンという音がしたかと思うと、ウォーカーはアッという間もなく、血まみれになって即座に絶命した。彼女の頭は殆んど胴体からもぎ離され、箱の中から雨のように飛び出した鉛や鉄の弾丸によって、心臓も肺も滅茶々々に潰されてしまった。

 対座していたウォーカーの友だちは、不思議にも災難を免れた。彼女はただ頭部に軽傷を負っただけで一時は腰を抜かさんばかりに驚いて、ぼんやりしていたが、やがて気を取り直して、警察に急を報ずると、警察からは時を移さず、ブレスナンという探偵が、警察医と二人の部下を従えてやって来た。

 死体の横わっている室は、眼もあてられぬ惨状を呈していた。窓硝子、姿見鏡、壁板、額、その他の器具は、粉微塵に砕かれて、その間に血に塗れた肉片が散乱していた。死体検査が済んで、死体を署へ運ばしめてから、部下のものは、捜査の手順として壊れた家具の組立てに取りかかったが、そればかりに一昼夜を要した程であった。

 一方、探偵ブレスナンは、問題の箱を検査した。その箱も大部分壊れてしまっていたが、その中には小さな電池、銅線、火薬、弾丸をつめた瓦斯(ガス)管があって、箱の蓋を開くなり、電流が通じて火花を発し、火薬に燃え移るという仕掛けであることがわかった。

 これらの物品の多くは、いずれもこれという特徴を持っていなかったが、ただ一つの捜索の手がかりとなるものは箱の包紙であった。というのはその上にウォーカーの宛名が書かれてあったからである。タイプライターで書かれた文字は一寸考えると、筆蹟とはちがって手がかりになりそうにもないが、その実、タイプライターにもそれぞれ個性があって、ある場合には筆蹟よりも確かな鑑別を行うことが出来るのである。殊にこの包紙に書かれた文字は、素人眼にもその特徴が、ありありとわかった。即ちrとaの字の形に、著しい変態が見られたのである。

 一通りの検査を終った探偵は、直ちにアンダーウッド・タイプライター商会の支配人アレンを訪ねて、携えて行った包紙の文字を鑑定してもらった。アレンは拡大鏡を取り出して精密に調べ終った後、探偵に向って言った。

「このrの字の垂直線は実に特殊なものでして恐らく六百万の中に一個しかありますまい。ですからこれと同じ特徴を持ったタイプライターを御捜しになれば、この宛名はそのタイプライターで書かれたものと断言して差支ありません。それからこのタイプライターの製造元ですが、数字の形が普通のとちがいますから、調べて見たらじきわかるだろうと思います。今、この場で申上げることは出来ませんが、明日の昼までに必ずたずねて置きましょう」

 果して、翌日、アレンは、その製造元が、エリオット・フィッシャー会社であることを探偵に告げたので、探偵はその足で同会社を訪ねると、同じような機械は三百五十台作られたきりであって、しかも紐育(ニューヨーク)市内だけの、主として諸官省に売られたことがわかった。そこで彼は一々そのタイプライターを持っている役所を歴訪して、rとaの字の特徴を検(しら)べることにしたがそれは決して容易なことでなかった。諸官省に公に照介して返事を取れば、最も手早く捜査が進む訳ではあるが、そうすれば、同時に犯人に警告を与えることになるから已(や)むを得ず探偵は、秘密裡に根気よく活動することにきめたのである。

 一方に於て警察はまた別の方面から、捜査の歩を進めた。それは即ち犯罪の動機に関係したものである。ウォーカーを殺そうとするのは、ウォーカーに恨みをいだいたものでなくてはならない。ウォーカーは良家の子女を誘悪し堕落せしめたのであるからその女たちの父兄が復讐的にそうした行為に出たのかもしれない。或はまた、女に振られた男が失望のあまり仕出来(しでか)したことであるかもしれない。よって警察はウォーカーの家に出入した男女の取調べにかかったのである。

 タイプライターの捜索も待合に出入した男女の調査も何一つ犯罪の手がかりを齎(もた)らさなかった矢先、紐育裁判所の判事ロザルスキー氏の許(もと)へ、突如として第二の恐ろしい贈物が届いたのである。


       二


 判事ロザルスキーは名判官の評判を取った人であった。常習性犯罪者に対して、彼はいつも思い切って苛酷な判決を与えたから、盗賊たちは彼を非常に怖れ且(かつ)憎んでいた。丁度その頃イタリア人から成る「黒手組」の裁判が行われて、新聞紙を賑(にぎ)わしていた時であって、彼の許へは一日何通となく脅迫状が舞い込んだのであった。それらの脅迫状はいずれも、拙(まず)い文章で書かれてあったが、文章の構造から、差出人はイタリア人であることが、想像された。そして中には、「用心せよ、爆烈弾を見舞うぞ」というような文句の書かれたものさえあった。それにも拘わらず彼は、「黒手組」に対して重刑を申渡した。

 ある晩、彼が裁判所から、リヴァーサイド・ドライヴの自宅に帰ると、留守中に一個の小包が届いていた。それは菓子箱か、葉巻煙草の箱かと思われる位の大さで、白い紙で包まれ紅い紐がかけてあったから、彼は何気なしにそれを開いて見ようと思って、取りあげたが、意外に重かったので、これはと思って下に置くと同時に、先日来の脅迫状のことを聯想したのである。

 直ちに警察に電話をかけて委細を告げると、探偵エガンは時を移さず駈けつけた。このエガンという探偵は今まで爆発物を度々取り扱って来たが、一度も怪我をしたことがなかったので、いかにも自信ありげに、その小包を手に取って、先ずその紐を解き包紙を除くと、中から菓子箱が出て来た。しかし重さが菓子に似合わないので、彼は極めて注意深く、徐々に蓋をあけかけた。

 彼が僅かに一分か一分五厘あけた時、ドーンという音がして、エガンは壁の方に突き飛ばされ、判事は地面に腹這いになった。が、幸にしてエガンが右手をもぎ取られただけで、二人とも生命(いのち)には別条なかった。散弾は四方に飛んで、硝子やその他の家具を破壊した。このことあって以来、エガンは手に繃帯したまま出勤していたが、精神的に打撃を受けたためか、まるで別人のようになり、程なく勤務中に頓死した。

 判事ロザルスキーに贈られた小包は、ウォーカーに贈られたものと全く同じであった。銅線も、瓦斯管も寸分ちがわないばかりか、紙の上に書かれたタイプライターの文字にも前に書いた特徴が立派にあらわれていたから、犯人は正しく同一人であると推定された。

 しかしながら警察はそれ以上の手がかりを掴むことが出来なかった。ブレスナン探偵はそれ迄に、エリオット・フィッシャー会社製のタイプライター二百個を調べ上げたが、求むる機械に出逢わなかった。まだあとに調ぶべき百五十個が残されてあって、その中に犯人の使用したのがある筈である。けれどその取調べは、一朝一夕の仕事ではなかった。

 一方、ウォーカーの家に出入りした男女の捜索も何等の光明を齎(もた)らさなかった。第二の犯罪によって捜索の範囲をイタリア人たちの方へ拡げねばならなくなったが、果してそれがイタリアの犯罪者の仕業であろうか。もしそうとすれば犯人はウォーカーとどういう関係があるであろうか。ウォーカーの家に出入したものの中に、イタリア人はなかった。ここに至って警察は二進(ち)も三進(ち)もできぬ破目に陥ってしまったのである。或は誰かの単なる悪戯かも知れないが、悪戯としても、ウォーカーや判事が特に選ばれたのはどういう訳であろうか。

 この第二回の犯罪は紐育全市を騒がせた。新聞は一斉に警察の無能を攻撃した。ある新聞はエドガー・アラン・ポオの探偵小説「マリー・ロージェー事件」を引用して、ポオのような推理の力の発達した人間はもう出ないのかと慨歎した。しかし警察では、何といわれても、どうすることも出来なかった。実際の探偵は推理の力ばかりでは行われるものではないのである。

 時日の経過と共に、この爆弾事件も、追々忘れられかけて来た。するとある日、人々の記憶を喚びさまさせようと思ったかのように、この不思議な犯人は、更に三たび、その恐ろしい魔の手を伸したのである。


       三


 ブロンクス区フルトン街に、あるアパートメントの管理人をしているヘララというキューバ人が住んでいた。家族は夫人と、その妹と、夜番のジョン・オファレルという老人との四人暮しであった。ある晩老人オファレルが、家に入ろうとした途端、何かにつまづいて、たおれかけようとしたので、よく見ると足許に、紅い紐で結えた白い紙包があった。彼は不思議に思って拾い上げながら中に入ると、客室には、ヘララ夫婦と、妹とが楽しそうに話し合っていた。

「誰やら、こんな菓子箱を入口に置いて行きましたよ、大方あなたに贈って来たのでしょう」こういって老人はこれを夫人に渡した。

「まあジョンさん」と妹は言った。「うまいことをいうのね、あなた御自分で買って来たのでしょう。しかし姉さんには、歴(れき)とした良人(おっと)があるのよ。なぜ私に下さらないの」

 これを聞いた夫婦は大声を出して笑った。老人は頗(すこぶ)る面喰(めんくら)ったが、

「はっはは、これは困った」と言いながら、自分の居間へ去ろうとした。

「本当は私にくれたのよ、ね、ジョン」と妹は話かけた。

「本当にそうなの! ジョンさん」と夫人も老人に向って訊ねたが、もうその時老人は室(へや)の外に出ていた。

 夫人はそれから妹に向って冗談を言いながら、紅い紐を解くと、果して中から菓子箱があらわれた。

「お菓子は、分けてあげるから、おとなしくしていらっしゃい」

 こういって夫人は蓋を開けた。と、その瞬間、箱は異常な音響を発して、夫人の身体は見る影もなく破壊された。ヘララは直ちに右眼を失ったが、傷いた左眼も数日後潰れてしまった。妹は諸所に火傷や創傷を受けたが、生命には別条なく、老人オファレルはその時その室に居なかったので災難を免れた。

 急報によって駈けつけた警官は、現場を検べ、事情を聞き取った後、犯人は正しく前二回と同一人であることを推定した。しかし今回は郵便で来たのではなく、老人が直接に持って来たのであり、かつ老人自身は都合よく災を免れたのであるから、警官は当然老人は怪しいと睨(にら)んで、その場から警察に拘引したのである。

 オファレルは正直な男であって、生れてから一度も警察の空気に接したことがなかったため、訊問の際頗るどぎまぎした。彼は、爆弾の箱が入口に置かれてあっただけで、誰がいつ持って来たのか少しも知らないといったが、警察の方では彼が手に持って入って来たのであるから、たとい彼自身が犯人でないとしても、少くとも犯人と何かの関係がなくてはならぬと、段々問いつめて行くと、遂にオファレルは「恐れ入りました」と白状した。

「では、どういう訳でヘララ一家を殺そうとしたのか」と警官が訊ねた。

「存じません」

「ではウォーカーとはどういう関係があるか」

「ウォーカーという男は知りません」

「ウォーカーは女だ」

「尚更存じません」

「ロザルスキー判事を知っているか」

「聞いたこともありません」

 何を訊いても老人は知らぬ存ぜぬといった。何処で火薬を求めたか、どうして爆弾を作ったか、使用したタイプライターが何処にあるかということなど何一つ彼は返答することが出来なかった。

「それでは何故白状したか?」

 老人は悲しそうな顔をして暫らく黙っていたが、やがて言った。

「でも白状せよとの仰せでしたから」

 かくて老人の「白状」も、この事件の謎を解く鍵とはならず、事件は又もや迷宮に入った。オファレルが犯人でないことは明かとなったが、しからば以上三回の犯罪を行った本人は誰であるか。かような恐ろしい犯罪者が、今以て、市中を横行闊歩しているかと思うと、警察も焦燥せずにはいられなかった。

 あまつさえ、新聞は再び警察を攻撃したので、警察や探偵たちは躍起となって活動したが、犯罪の動機がよくわからないために、全く暗中模索の有様であった。ヘララ一家のものには、別に他人から恨みを受けるような事情がなかった。問題の日にヘララのアパートメントに出入した人々の穿鑿(せんさく)に取りかかっても、これという怪しい人物は見当らなかった。犯人が手ずから小包を運んだのに違いないから、或は犯人はその附近に住むものであるかもしれぬという考のもとに捜索を行っても結果は陰性(ネガチヴ)であった。

 犯罪事件が迷宮に入ると警察は沢山の匿名の手紙を受取るのが常であって、時には犯人自身が匿名の手紙を出して警察を迷わすようなことがあるが、今回集った手紙の中に、例のタイプライターで書かれたものは一つもなく、また素人たちの探偵的暗示にも、何一つ当を得たものはなかった。

 すると、ヘララ事件があってから丁度一週間目に、警察は更に第四の事件に接したのである。


       四


 ある日、ブロンクス区探偵局の主任プライスがヘララ事件に就て、部下の探偵たちと、鳩首協議していると、捜査に出ていた一人の部下が、あわただしく駈け込んで来た。

「探偵長、また爆弾事件がありました」

「ほう? 何処に?」

「丁度ヘララ事件のあった同じ街です」

「え?」

「ヘララのアパートメントから半丁ばかり南のクロッツという人の家です」

「ふむ」

「昨晩何でもヘンリーという一人息子が大へんな怪我をしてフォーダム病院へ運ばれて行ったということでしたから、隣りの人たちに爆発の音を聞いたかと訊ねましたが、何も聞かないということでしたけれど、念の為に病院へ立寄って調べて見ますと、丁度、手術を終った所だといって、その外科医があってくれました」

「どんな様子だったね?」

「医者の話によりますと、患者は右腕を失って、右の胸に大きな孔(あな)が出来ていたそうで、傷の中から、鉛や鉄の弾丸が出たといいます」

「やっぱり菓子箱を受取ったのだろうね?」

「いえ、家族のものは、ただ過失だといったそうです」

「患者はどんな男かね?」

「父親と一しょに区役所につとめて、製図をやっているそうですが、父親はもう五十年も勤め、息子も十七年から通っているそうです。人嫌いな臆病な性質(たち)で、いつも家の中に引き籠(こも)って、あまり外出もしないおとなしい男だそうです」

「そうか、とにかく、その家を検べて来よう」

 プライス探偵は二人の部下と共にフルトン街へ来た。クロッツ家を訪うと、女中が出て来て、皆さんが留守ですからといって拒絶したが、警察からだときいて、已(や)むなくプライスたちの自由に任せた。

「ヘンリーさんは昨晩どうして怪我(けが)をしたのかね?」と探偵は室内の女中に訊ねた。

「何でも、薬品が爆発したそうで、旦那様と奥さまとで一時間ばかり手当をなさいましたが、どうしても血がとまらぬので、病人運搬車をよびました」

 ヘンリーの居間はやはり惨憺たる光景を呈していた。家具は大方壊れ、壁には大きな孔があいていた。それにも拘わらず、隣の人たちが爆発の音を聞かなかったのは不思議であった。

 器物の破片の中に混って、数種の薬品を入れた罎が無事に横わっていた。見るとそれには、いずれも火薬製造に用うる薬品が入っていて、なおその傍(そば)には銅線の玉や、包装に用うる白い紙や、短かく切られた瓦斯(ガス)管があった。

 最後にプライスは、机の上にあったタイプライターで書かれた書類を取り上げた。一目見るなり彼は部下を顧みて言った。

「悪魔はとうとう自分を滅ぼしたよ」

 プライスは時を移さず病院を訪ね、主治医に事情を話してヘンリーを訊問した。ヘンリーは細長い顔をした、薄い唇を持った男で、女のようなやさしい声を出した。彼は非常に衰弱していたが、探偵の質問に対して、無煙火薬の発明に取りかかっていたのだと説明した。

 彼はウォーカー及びロザルスキーに贈られた爆弾については何も知らぬときっぱり答えた。

「瓦斯管の切ったのは何にするつもりですか」と探偵は訊ねた。

「あれはクロトナ公園で拾って持ち帰ったのです。小さく切ったのは、薬品をつめて、田舎へ行って、無煙火薬の実験をするつもりでした」

 探偵は一先ず訊問を打ちきって、探偵局に帰ると同時に、区役所に人を走らせて、ヘンリーの事務室のタイプライターを調べさせると、果して、それは、ブレスナン探偵が長い間捜し求めていたものであった。

 ここまでわかったとき、警察では数年前のクレチュカ事件とヘンリーとを結び付けた。それはブルックリンのジョン・クレチュカという男が、差出人不明の贈物を貰い、同じように負傷した事件である。爆発力は今回のほど強くはなかったが、クレチュカは重傷を負った。その当時警察ではクレチュカと喧嘩した男を犯人として逮捕したが、証拠不十分でその男は放免された。そこで、今回クレチュカを呼び寄せて訊いて見ると、果してヘンリーとも喧嘩したことのあることを思い出した。クレチュカもやはりヘンリーと同じ製図部に勤めていたが、あの虫も殺さぬような顔をしているヘンリーの仕業とは夢にも思わなかったと語った。

 こうしてヘンリーに対する証拠は段々(だんだん)集って来た。そこで探偵は更に一歩を進めて、ヘンリーとウォーカーとの関係を調べた。その結果、ヘンリーはウォーカーの家にしばしば出入りしたことがわかり、且つ、ヘンリーは臆病どころか、随分大胆な、常軌を逸したことをするので、「きじるしのヘンリー」と綽名されていることさえもわかった。なおよく調べて見ると、彼は、前に書いた十五歳の少女ヴァイオレットと馴染(なじみ)であって、彼女が感化院へ送られたときいて、大(おおい)に怒って、それをウォーカーが二人の中を割く口実だと曲解しウォーカーを罵ったことがわかったのである。

 これによってウォーカーへ爆弾を送った動機が知れた。よってプライスはウォーカーの家のものを連れて来てヘンリーを見せると、果して「きじるしのヘンリー」だと言った。それにも拘わらず、ヘンリーは頑固に知らぬ知らぬを繰返していたので、プライスは又の機会を待たねばならなかった。しかしその機会は間もなくやって来た。

 始め医師はヘンリーに向って恢復の望みのあるように告げたが、段々容態が悪くなったので、もう数時間しか保たないと宣告すると、ヘンリーは始めて覚悟したらしく、探偵プライスを病床に招いた。

「ウォーカーの所へ爆弾を贈ったのは君ですね?」と探偵は訊ねた。

「はあ」

「ウォーカーと女のことで喧嘩したからですか」

「はあ」

「ロザルスキー判事へ贈ったのも君ですか」

「はあ」

「何故贈ったのです?」

「わかりません」

「新聞を読んで判事の態度が癪(しゃく)に障(さわ)ったのですか」

「はあ」

「ヘララ家へ爆弾を持って行ったのも君ですか」

「はあ」

「なぜそんなことをしたのですか」

「知りません」

「ヘララ一家とどういう関係があるのですか」

「何にもないです。ヘララという人を見たこともありません」

「けれど態々(わざわざ)あの人の家を選んだのはどういう訳ですか」

「ただ試して見たのです。どこでもよかったのです。偶然それがヘララさんの家だったのです」

 二時間の後ヘンリーは最後の息を引き取った。

×       ×       ×

 以上が先年ニューヨーク市を騒がせた不思議な爆弾事件の顛末である。こうした事件では、科学もあまり役に立たないのである。ことに動機のはっきりしていない犯罪事件では、探偵は非常な困難を経験しなければならない。もし神がその審判の槌を打ち下さなかったならば、ヘンリーは第四、第五の犯罪を重ねたかもしれない。かくて、「神は殺人のような大罪を見捨てて置かぬ」といった英文豪チョーサーの言は、科学探偵の時代にも立派に通用することがわかる。



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투쟁 (闘争)

고사카이 후보쿠 (小酒井 不木) (1925)

번역 : 홍성필


K군.

친절한 문안 편지 반갑게 받았네. 나는 완전히 넋을 잃고 말았다. 장례식이다 뭐다 하며 매우 분주했으나 간신이 2~3일 정도 한가해졌기에 낙심하고 있을 무렵 자네 편지를 받고는 눈물겨운 가격을 느꼈다. 자네 말대로 모오리 선생님을 잃은 우리 법의학교실은 암흑이다. 뿐만 아니라 모리 선생님을 잃은 T대학은 눈에 띄게 적적해졌다. 그리고 또한 모오리 선생님을 잃은 일본 학계는 갑자기 힘이 빠졌다. 전에 가리오 박사님을 잃고 지금 다시 모오리 선생님께서 떠나시다니, 이 무슨 일본의 불상사인가 말이네. 모오리 선생님과 가리오 박사님께서는 일본정신병학계의 쌍벽이었을 뿐만 아니라, 두 분 모두 세계적으로 유명한 학자이셨다. 그 두 분이 불과 한 달 사이에 연이어 병으로 돌아가시다니 아무리 슬퍼해도 그 마음을 억누를 수가 없다.

K군. 자네는 현재의 내 마음을 충분히 이해해주리라 믿는다. 왠지 나도 선생님처럼 폐렴에 걸려 죽을 것만 같은 심정이다. 과거 중학교 시절에 아버지를 잃었을 때, 그 당시는 자신도 죽을 것만 같았지만, 그 때와 같은 마음을 지금도 통감하고 있다. 연구실로 출근해도 전혀 손에 잡히질 않는다. 다행이 번거로운 감정(鑑定)의뢰가 없기에 망정이지, 만약 까다로운 급한 감정의뢰라도 들어온다면 어떤 실수를 저지를지도 모르네. 집으로 돌아가서 그저 멍하니 있을 뿐이라네. 그러면서도 무엇인가를 하지 않으면 안절부절 하지 못하는 상황이기도 하네. 만약 내게 창작능력이 있었다면 분명 단편소설 두 편이나 세 편은 썼을 것일세. 하지만 안타깝게도 그런 일은 내게 불가능한 일이네. 그러나 다행이 편지 정도는 쓸 수 있으니 오늘 밤은 자네에게 조금 긴 편지를 답장 겸 해서 쓰고자 하네.

자네도 편지에 적은 것처럼 모오리 선생님은 최근 들어 분명 우울하셨네. 자네뿐만 아니라 다른 동기들도 이를 발견하고 곧바로 선생님 생전에 내게 물어본 사람이 있지. 내게는 선생님이 우울해하시는 원인, 특히 죽음 직전인 한 달 정도에 있었던 극단적인 우울증에 대한 원인은 잘 알고 있었네. 하지만 지금은 이제 그 점을 말해도 좋을 뿐만 아니라, 말을 하지 않을 수 없을 것만 같네. 그러기에 그 점에 대해 지금부터 가급적 자세히 쓰려고 하네.

그리고 또 한 가지. 말이 나온 김에 자네가 매우 듣고 싶어 했을 그 신문광고……라고 하면 갑자기 떠오르지 않겠지만 지금부터 한 달 정도 전에 시내 주요일간지 세 줄 광고에 나타난 불가사의한 광고,

 P M b t D K 

이 글에 대해서도 알려주고자 하네. 이렇게 말하면 자네는 아마도 이상하게 생각하겠지만 그 광고는 사실 내가 낸 거라네. 이보게. 놀라지 말게나. 궁금증이 많은 자네는 그 당시 자주 내 연구실에 와서는 누가 무엇 때문에 내고, 어떤 뜻이 있을까 하고 여러 가지 상상을 하며 내게 들려주곤 했었지. 나는 자네가 알지 못하도록 애써 모르는 척 하고 있었으나, 그야말로 선생님의 우울증 원인과 관련이 있어 그 당시는 절대 비밀에 붙일 필요가 있었기에 나는 스스로도 감탄할 정도로 잘 참았다고 생각하네. 하지만 지금을 이를 자유롭게 말할 수 있게 되었네. 자네도 분명 기뻐하겠지만 나도 기쁘네.

K군.

교외 신축 건물을 가지고 있던 젊은 사업가 기타자와 에이지가 자살한 사건을 자네는 기억하고 있겠지? 일단 자살이라고 결론짓고 매장한 것을 경찰에 의해 미망인 마사코 씨와 그 연인이었던 문인 미도리카와 준(綠川 順)이 타살 혐의로 구인되고, 시신을 재감정 하게 되었는데, 감정 결과 역시 자살이라고 판정 나고 둘은 석방되어 사건은 비교적 평범하게 해결되고 말았지. 그 감정은 주로 내가 했지만, 사실 그 사건의 이면에는 더욱 깊은 내막이 숨겨져 있어, 그것이 이윽고 그 수수께끼 광고와 밀접한 관계를 가지고 있는 것이라네. 이렇게 말하면 눈치 빠른 자네는 ‘그 사건은 역시 타살이었구나’ 하고 생각하겠지. 그래. 말하자면 역시 일종의 타살이었네. 그러나 이것은 분명 일반적인 경우와는 다르기에 그것이 그 수수께끼 광고가 되었지만, 아무튼 이런 이유 때문에 모오리 선생님의 우울증 원인은 간접적으로 기타자와 사건이라고도 할 수 있다네.

물론 그것은 선생님의 죽음과 직전에 일어났던 극도의 우울증을 말하는 것이며, 이미 그 이전부터 모오리 선생님께서는 우울증을 앓고 계셨어. 나는 정확히 5년간 선생님 밑에서 배웠으나 첫 4년간, 선생님은 말 그대로 쾌활하시고 조금도 지칠 줄 모르는 학자셨지. 쉰을 넘은 사람 같지 않은 검은 머리, 넓은 이마에 뚜렷한 눈매, 굳게 다문 입술은 보는 이로 하여금 총명한 성격을 나타내고 있었지만, 특히 선생님께서 법의학적 또는 정신병학적인 감정에 임하시는 태도는 주변 사람들까지도 겸허하게 만드는 엄숙한 것이었지. 그도 그럴 것이 선생님 감정 결과는 단순히 한 개인의 생명뿐만 아니라 사회적으로도 중대한 영향력을 가지기에, 말하자면 선생님의 모든 지식을 총동원해서 행해졌다네. 더구나 그와 갈은 의무적인 열성만이 아니라 진심으로 흥미를 가지고 일에 임하셨지.

그런데 지난 1년 정도는 무슨 연유인지는 모르겠으나 선생님은 이전만큼 일에 흥미를 갖지 않게 되었어. 아무리 작은 감정에도 반드시 본인 스스로 하셔야만 직성이 풀리는 선생님이 근래에 들어서는 거의 우리 조교에게 맡기곤 하셨다네. 물론 그렇다고는 해도 감정서는 꼭 보셨으며 조교한테 너무 벅차다고 여겨지는 문제는 절대 소홀히 하지 않으셨지만, 아무리 다시 생각해봐도 이전만큼의 열성은 보이지 않았으며, 연구실에서는 멍하니 시간을 보낼 때가 종종 있곤 했다네. 후진을 양성하기 위해 일부러 뒷전에 계신 것일까 하고도 생각해봤으나 절대 그렇지는 않았네. 그 이유는 점차 우울증 증상이 보여 왔기 때문이지.

나는 처음 선생님 우울증 원인이 선생님께 무슨 세상적인 고민이 생긴 건 아닐까 했다네. 매우 무례하게도 독신인 선생님이셨기에 연애문제라도 생기셨나 했거든. 물론 지금은 그런 부족한 상상을 후회하고는 있지만, 아무튼 한때는 그렇게 생각하는 수밖에 없었다네. 그런데 점차 지켜보았더니 아 그것이 모두는 아니지만 일종의 권태라고 볼 수 있는 상태라는 것을 발견했다네. 아무래도 이 권태라는 말은 다소 적합하지 않지만, 달리 말이 없기에 하는 수 없이 쓰기는 하는데, 말하자면 정신활동에서 보여지는 일종의 이완상태를 뜻하는 것이라네.

생리학을 전공하는 자네한테 이런 말을 하는 건 우습지만, 심장혈압곡선을 관찰하면 트라우베 헬링씨가 발견한 이장(弛張)현상이 있네. 심장은 태어나서 죽을 때까지 계속 박동하고 있어야 하기에 한 쌍씩 존재하는 기관, 예컨대 신장처럼 한쪽이 활동하고 있을 때 다른 한쪽이 쉴 수는 없지. 그래서 활동에 이장현상이 나타나게 되네. 이것을 이른바 트라우베 헬링의 이장현상이라고 불리는데 나는 정신적 활동에도 이와 비슷한 현상이 일어날 수 있으리라 믿네. 평범한 동작밖에 하지 않는 뇌수에서는 이장현상이 눈에 띄지 않지만, 정신적 활동이 극심하면 극심할수록 긴장상태 후에 오는 이완상태가 현격하게 일어난다고 생각하네. 나는 과거 이와 같은 관점에 입각해서 희대의 수재 전기를 연구한 적이 있다네. 과연 많은 수재들한테는 정신적 활동기 중간시점에 현저한 갭이 있다는 것을 알게 되었지. 예부터 역사학자들은 그 갭을 다양하게 설명하고 있는데, 말하자면 이는 생리적으로 이른바 자연스럽게 발생하는 것으로서 수재 자신이 의식적으로 그 갭을 만든 것이 아니야. 그리고 그 시기를 만난 수재들은 하나같이 우울증을 앓게 된다네. 현저했던 정신활동 시기를 회고하고 점점 더 깊은 우울증으로 빠져가는 것이라네.

때로는 육체적 결함이 이 이완상태를 일으키기도 하네. 폐결핵 초기에는 도리어 정신적 활동을 촉진시키지만, 후에는 역시 이완상태가 발생하는 것 같네. 만성신장염 등은 이완상태가 현저하지. 그리하여 나는 선생님이 무슨 질병에 걸렸을지도 모른다고 생각했지만, 역시 그렇지 않고 수재들한테 생리적으로 발생하는 우울상태라고 보는 것이 타당했네.

지금 돌이켜보면 이외에도 학자로서는 매우 당연하고도 고상한 고민도 있었겠으나, 이는 오히려 원인이 아니라 단순히 그 시기에 공존하고 있었다고 보는 것이 타당할 것 같네. 여하튼 모오리 선생님은 우리는 물론이고 본인 스스로도 어찌할 바를 모르는 우울증 속으로 빠져 들어가고 계셨지.

그런데 공교롭게도 그 우울증에서 빠져나올 수 있는 일이 발생했다네. 나중에 생각하면 그것은 일시적인 일이었으며, 모오리 선생님은 그 후 더욱 심한 우울증을 앓게 되셨지만, 만약 선생님의 경쟁상대로서 선생님과 함께 일본정신의학계의 쌍벽이라고 불리던 가리오 박사님이 뇌일혈(腦溢血)로 돌아가시지 않았다면 그대로 종전 활동 상태로 복귀하셨을 수 있었을지도 모른다네. 그리고 경우에 따라서는 선생님 죽음도 이토록 일찍 일어나지 않았을지도 모르지. 그러나 지금에 와서는 이미 후회해도 소용이 없다. 또한 내 어리석음을 늘어놓고 자네를 지루하게 만들 생각도 없네. 그러기에 선생님을 일시적이나마 우울증에서부터 벗어나게끔 한 이야기를 어서 말하고자 한네. 두말할 것 없이 그것은 곧 기타자와 사건이라네.

K군.

기타자와 사건은 당시 신문에서 자세히 보도되었으니 자네도 대략 알고 있겠지. 37세 사업가 기타자와 에이지는 교외에 현대식 주택을 세우고 마사코 부인과 함께 단둘이서 완전히 서구식으로 생활하고 있었는데, 지금부터 2개월 전인 10월 하순 어느 날, 부인이 집을 비운 사이에 서재에서 권총자살을 했지. 그날 부부는 오후 1시에 점심식사를 마치고는 곧바로 부인은 장을 보러 나갔는데, 다소 시간이 걸려 오후 5시 반 경에 돌아오자 남편은 서재 책상 앞에 의자와 함께 바닥 위에서 피에 물든 채로 죽어있었기에 놀라 전화로 경찰에 신고를 한 사건일세.

조사결과 책상 위에는 유서로 보이는 편지가 놓여 있었으며, 타살다운 흔적은 조금도 찾아볼 수 없었기에 다음 날 매장이 허가되었네. 일반적으로는 화장을 했을 텐데도 매장하기로 한 것은 유서로 보이는 편지가 본인의 창작에 의한 것이 아니라, 본인이 직접 쓴 것이긴 하나 작년에 자살한 청년문학자 A씨가 ‘어느 옛 친구에게 보내는 수기’에서 첫구절을 그대로 베낀 것이었기 때문이지. 즉, 경찰은 여기에 훗날 연구 여지를 남겨둔 것일세.

그러자 과연 약 한 달 후 경찰에 투서가 있었다네. 그것은 “기타자와 에이지의 사망원인 중 수상한 점이 있다”고만 적힌 엽서였는데, 이 때문에 경찰에서는 비밀리에 미망인을 감시하자 미망인은 미도리카와 준이라고 하는 젊은 소설가 애인이 있다는 사실이 밝혀져, 애인 자택을 갑자기 수색하자 마침 기타자와가 자살에 사용한 것과 같은 권총이 발견되고, 나아가 당연하지만 ‘유서’에 실려 있는 A씨 전집도 있었기에 경찰은 살인혐의가 있다고 해서 미망인과 미도리카와를 구인하고 시신 재감정을 우리 연구실로 의뢰해왔다는 걸세.

감정을 의뢰해온 곳은 경시청 후쿠마 형사였네. 우리한테는 익숙한 사람이지. 나는 형사로부터 감정요령과 일체 정황을 들은 후 발굴된 시신을 인수하고 후쿠마 형사를 돌려보낸 후 모오리 선생님 방을 찾아갔다네. 그 날은 비가 막 쏟아지려는 듯한, 어딘지 모르게 음울한 날씨였기 때문이기도 했지만, 선생님 표정을 여느 때보다도 어두워보였다네. 내가 서류를 들고 방으로 들어가 보니 선생님은 읽고 계시던 잡지를 그대로 둔 채 고개를 드시고는,

“또 감정의뢰인가?”라고 내뱉듯이 말씀하셨지.

“네에…….”

“어떤?”

그래서 나는 후쿠마 형사한테 들은 모든 내용을 전해드렸으나, 1년 전이라면 눈을 반짝이며 들으셨을텐데 더구나 자살인지 타살인지 하는 감정결과에 따라서는 두 사람의 목숨이 좌우될 정도로 중대한 사건임에도 불구하고 선생님은 그저 ‘흠, 흠’하면서 듣고 있을 뿐, 나쁘게 말하자면 전혀 남의 일처럼 생각하고 계신 게 아닐까 할 정도로 무관심한 모습이었네. 내 보고가 끝나자,

“그래서, 감정사항은?”

“3개 사항입니다. 첫째는 위장 내용물로 사망추정시간을 결정하는 것, 둘째는 현장 및 유서 혈흔이 자연스러운 것인지 아니면 인위적으로 부착된 흔적이 있는지의 여부, 세 번째는 권총이 어느 정도 거리에서 발사되었는지 하는 점입니다.”

“그 유서는 가지고 왔나?

나는 종이봉투에 들어 있던 유서를 꺼내고는 선생님께 보여드렸네. 그것은 두 번 접힌 하늘색 편지지로서, 외부에는 몇몇 혈흔이 부착되고, 안쪽에는 펜으로 “어느 오래된 친구에게 보내는 수기”의 첫 구절이 적혀 있었지. 거추장스러울지는 모르지만 자세한 설명을 위해 그 전문을 적어놓겠네.

“누구도 아직 자살자 자신의 심리를 있는 그대로 적은 것은 없네. 이는 자살자 자신의 자존심 또는 그 자신에 대한 심리적 흥미부족 탓일 것이오. 나는 자네에게 보내는 마지막 편지에 자세하게 이 심리를 전하고자 하네. 물론 내가 자살하는 이유를 특히 자네에게 말하지 않아도 되네. 레니에는 그의 단편 속에서 어떤 자살자를 그렸더군. 이 단편 주인공은 어떤 것을 위해 자살하는지를 그 스스로도 모른다네. 그는 신문의 3면 기사 등에 실리는 생활고나 질병 또는 정신적 고통이나 이런저런 자살 동기를 발견할 것이오. 그러나 내 경험에 의하면 자살자는 대개 레니에가 그린 것처럼 어떠한 이유로 자살하는지를 알지 못하겠지. 그것은 우리 인간들의 행위처럼 복잡한 동기를 내포하고 있다네. 그러나 적어도 내 경우에는 그저 불명확한 불신감에 있을 뿐이지. 자네는 어쩌면 내 말을 믿을 수 없을 것이네. 그러나 10년간의 내 경험은 나와 가깝게 지내지 않는 한 내 말은 바람 속 노래처럼 사라져버린다는 것을 알려주었지. 따라서 나는 자네를 비난할 생각은 없소. ……”

선생님은 그래도 이 문구 전체를 읽으셨지. 그리고 모두 읽으신 후,

“이 필체는 본인 것이 분명한가?”

라고 물으셨네.

“그건 틀림없다고 합니다.”

두말할 것 없이 선생님은 필적감정의 권위자이시게에 예전 같았으면 이처럼 특이한 유서라면 분명 흥미를 느끼셨을 테지만,

“그렇군.”

하고 대답하셨을 뿐이었니. 그리고 내게 종이 하나를 내미시면서,

“그렇다면 와쿠이 군. 자네한테 이 사건 감정을 맡기도록 하겠네.”라고 말씀하시고는 또다시 잡지책을 펼치셨네.

나중에 알게 된 사실이지만, 모리 선생님이 그 잡지를 열심히 보신 것도 당연하셨지. 거기에는 얼마 전 학회에서 선생님과 크게 토론을 하신 가리오 박사님 녹문이 게재되어 있었기 때문이었다. 여기서 참고삼아 모오리 선생님과 가리오 박사님과의 관계를 잠시 설명하도록 하겠다. 이 두 분이 일본정신병학회의 쌍벽이었다는 점은 이미 언급했으나, 모오리 선생님을 주류로 본다면 가리오 박사님은 야인이셨네. 이미 그 학력부터 해서 모로이 교수님은 대학출신이신데 반해 가리오 박사님은 제생학사(濟生學舍)를 나오시고는 곧바로 영국으로 건너가 고학을 하신 분이셨다. 그리하여 가리오 박사님은 S구에 있는 거대한 뇌병원을 경영하시고, 더구나 계속해서 새로운 연구를 발표하셨네. 평소 모습도 모오리 선생님은 근엄하신 데 반해 가리오 선생님은 넓은 이마에다가 어딘지 모르게 유머감각도 있으셨다.


나아가 그 학설에 이르러서는 전혀 상반된 입장에 있었지. 모오리 선생님은 독일학풍을 계승하고 계셨지만, 가리오 박사님은 영국과 프랑스 학풍을 따르고 계셨지. 물론 만년에는 두 분 모두 외국에서는 찾아볼 수 없을 정도로 흥미로운 학자가 되어 계셨으며, 모오리 선생님은 이른바 ‘뇌질학파(腦質學派)’를 대표하고, 가리오 박사님은 이른바 ‘체액학파(體液學派)’를 대표하고 계셨다네. 뇌질학파란 인간의 정신 상태를 뇌질(腦質)에 의해 설명하는 데 반해, 체액학파는 체액 특히 내분비액에 의해 설명하는 것을 말하지.

가리오 박사가 이끄시던 체액학파는 내분비파 또는 체질파로도 불리고 있었으며, 가리오 박사님 주장에 따르면 모든 정신이상은 체질에 의해 규정되며, 더구나 체질이라는 것은 현재 사람의 힘으로는 이를 어떻게 할 수도 없다. 예컨대 살인자 체질을 갖는 자는 반드시 어떤 시기 사이에 살인을 저지른다. 따라서 그 시기에 들어갔다는 사실을 관찰한다면 약간의 암시적 자극에 의해서도 살인을 저지를 수 있도록 할 수 있다는 것이다. 즉, 표면적으로는 정신적으로 건전한 것처럼 보이는 사람한테도 체질에 따라서는 끔찍한 범죄를 일으키도록 할 수 있다는 것으로서, 그 자극을 가리오 박사님은 지금까지 suggestion(암시(暗示) - 역자 주)과 혼동하지 않도록 incendiarism(교사(敎唆) - 역자 주)이라고 명명하신 것이었다.

이 설에 대해서도 모오리 선생님은, 정신이상은 뇌질의 변화가 발생하여야만 비로소 나타나는 것으로서 뇌질에 변하가 일어나지 않는 한, 즉 정신병적 징후가 나타나지 않는 한 암시에 의해 살인을 한다는 일은 절대 불가능하다고 주장하신 것이다. 얼마 전 열렸던 학회에서도 이 점에 대해서 격론이 펼쳐졌다. 솔직히 말하자면 그 때 모오리 선생님이 수세에 밀렸었다. 그러자 가리오 선생님은 “모오리 군, 어떠신가?”라며 매우 비아냥거리는 말투로 몇 번이고 선생님을 다그쳤다. 그러나 인간에게 직접 실험해보이지 않고는 선생님도 인정하실 수가 없다. 그래서 결국 그대로 토론은 끝났으나, 그 때 가리오 박사님 연설이 잡지에 실려있었기에 모오리 선생님은 감정보다도 그 쪽에 오히려 신경이 쓰이셨던 것이다.

K군.

이리하여 기타자와 사건에 관한 재감정은 내가 맡게 되었다. 우리 교실에서는 아무리 감정사항이 국소적인 것이라도 반드시 온몸을 정밀하게 부검하도록 되어 있기에 그날 즉시 주의 깊게 부검을 했다. 그 결과 기타자와 에이지라는 사람은 흉선임파(胸線淋巴) 체질이라는 것을 발견했다. 즉, 자살자한테서 대부분 항상 볼 수 있는 체질이다. 그리고 머리에 있던 총창(銃創)도 골절 관계와 위장 내용을 조사했으나, 그 결과 권총은 오른쪽 관자놀이로부터 약 5센티 정도 떨어진 곳에서 발사되고, 사망시간은 중식 후 1시간 내지 2시간 후라는 점을 확인했다. 그리고 나는 기타자와 댁을 방문하여 현장을 살핀 후 유서 위에 묻은 혈흔도 조사했으나 인위적으로 묻힌 흔적은 하나도 발견할 수 없었다.

이 중 위장 내용물 검사는 여러 가지 재미있는 사실을 가르쳐주었다. 물론 그것은 사건과 관련없는 것으로서 소화생리상 흥미로운 점이었으나, 이에 대해 상세하게는 적을 수 없기에 다음에 한 번 연구실로 와서 감정서를 보기 바란다. 여하튼 내 감정결과는 타살로 볼 수 있는 근거를 무엇 하나 발견할 수 없었던 것이다.

다음 날 나는 모오리 선생님 연구실을 찾아뵈어, 부검 결과와 기타 내용을 모두 보고했다. 과연 그 때는 열심히 들어주셨으나 내 보고가 끝나자 선생님은,

“그렇다면 자살이라 생각해도 지장 없겠군. 만약 그것이 타살이었다면 분명 기적이야.”라고 말씀하셨다.

그런데 K군. 바로 그 기적이 그로부터 1시간 후에 일어났다. 그렇다고는 하나 조금 이상하게 들릴이지 모르지만 사실 후쿠마 형사가 찾아와서는 용의자인 미노리카와 준이 기타자와를 살해했다는 것을 자백했기 때문에 모오리 선생님한테 경찰에 와서 미도리카와를 신문하고 정신감정을 부탁한다는 요청이 왔기 때문이었다.

이를 들은 모오리 선생 태도는 순식간에 급변했다. 선생님은 그 순간에 예전의 선생님 모습으로 돌아갔었던 것이다. “타살이라면 분명 기적이네.” 라고 단정하셨을 정도로 타살설이 끼어들 여지가 없다고 하던 찰라에 타살을 자백했으니 모오리 선생님께서는 갑자기 흥미를 가지고 스스로 조사해보려는 것이 분명하다.

“후쿠마 형사. 미도리카와가 자백한 점을 아직 기타자와 미망인한테 말하지는 않았겠지?”

“네. 아직입니다.”

“좋아. 그렇다면 지금 출발합시다.”

우리 셋은 이윽고 경찰서 쪽으로 서둘러 자동차로 출발했다. 자동차 안에서 모오리 선생님은 후쿠마 형사에게 미도리카와의 자백 취지를 물으셨다. 형사 말에 의하면 예전부터 그는 기타자와 부인과 연애관계에 있었으며, 기타자와 부인으로부터 기타자와가 권총을 샀다는 점, 농담 반 진담 반으로 문학자 A씨의 유서 일부를 적어놓았다는 점을 듣고 자신도 똑같은 권총을 구입하여 부인 몰래 기타자와를 없애려고 결심한 후 그날 부인이 장을 보러 간 사이에 몰래 침입하여 서제에 들어가자, 기타자와는 의사에 앉아 식후에 잠시 눈을 붙이고 있었다고 한다. 이를 보고 다행이라며 뒤로 몰래 돌아서는 자신이 가지고 있던 권총으로 사살하고 나서 쓰러지는 것을 확인하고 그 권총을 쥐게 한 후 책상 서랍 안에서 기타자와가 가지고 이던 권총과 유서를 꺼내어 권총은 주머니에 넣고 유서는 책상 위에 올려놓고는 다시 몰래 빠져나왔다는 것이다.

“미도리카와는 어디에 살고 있나?”라고 모오리 선생님은 형사 설명이 끝나자 물으셨다.

“기타자와의 집에서부터 500~600미터 떨어진 곳에 작은 집을 짓고 혼자 살고 있습니다.”

경찰서에 도착하자마자 모오리 선생님과 나는 한 방에 들어가서 미도리카와가 오는 것을 기다렸다.

이윽고 후쿠마 형사 손에 끌려 들어온 것은 24~25세 정도 되는, 얼굴이 길고 머리숱이 많은 청년이었다. 모오리 선생님은 무슨 생각을 하셨는지 후쿠마 형사를 물러가게 하시고는 미도리카와한테 범행상황을 말하게 했다. 이는 후쿠마 형사가 자동차 안에서 말해준 내용과 조금도 다르지 않았다.

“그렇다면 이 책상 앞에서 그 때 기타자와 씨 모습을 재연해보세요.”

라고 말하고는 모오리 선생님은 일어서서 자신이 앉아 있던 의자를 미도리카와한테 내어주고, 구석에 있던 파란 것을 가지고 와서는 바닥에 까셨다.

미도리카와는 어리둥절하며 겁에 질린 듯 의자에 앉았다.

“자, 눈을 감고 졸고 있는 척해보세요. 내가 그 때 당신 역을 맡겠습니다. 아시겠어요? 보세요, ‘탕’하고 총을 쐈습니다. 그 때 기타자와씨는 어떻게 했나요?”

“아무래도 경황이 없어서 자세한 몸짓은 기억나지 않습니다. 아마 이렇게 일어서지 않았나 해요. 그리고 분명 몸을 이렇게 비틀고 나서 아래로 쓰러지고는 이런 식으로 쓰러졌습니다.”

이렇게 말하고 하나하나 그 동작을 보여주었다.

“좋습니다. 죄송합니다만 다시 한 번 해주시겠습니까?”

계속해서 다시 실험을 하셨다.

“누웠을 때의 모습은 그게 틀림없습니까?”

“그 점은 분명히 기억하고 있습니다.”

“알겠습니다. 이제 돌아가 주셔도 좋습니다.”

이렇게 말하고 선생님은 후쿠마 형사를 불러 미도리카와를 데려가게 했다.

“와쿠이 군. 자네는 어제 기타자와가 살던 집으로 조사하기 위해 갔을 때, 후쿠마 형사한테 기타자와가 어떻게 죽어있었는지를 해보였었지?”

“네.”

“그럴 줄 알았네.”

이윽고 후쿠마 형사가 들어오자,

“후쿠마 형사. 자백이라고 하는 것은 이쪽에서 가르쳐주어서 하는 게 아닙니다. 상대방이 말하는 것을 가만히 듣고 있으면 되는 거라네.”

“미도리카와가 뭐라던가요?”

“지금 미토리카와한테 그 때 모습을 보여 달라고 하자 자네가 가르쳐준 대로 했을 뿐, 사실 대로 하지 않았네. 그렇게 뛰어 오르다니, 거짓이야. 누웠을 때부터는 정말이었네. 본인도 뛰어오르고는 몸을 비틀어 쓰러질 때까지는 아무래도 경황이 없어서 잘 기억나지 않는다고 하면서도 누웠을 때 모습만은 정확하게 기억하고 있네. 미도리카와 자백은 거짓이야.”

“그렇다면 왜 그런 거짓 자백을 한 걸까요?”

“그건 나중에 알게 되겠지. 부인을 모셔와 주게.”

얼마 있자 검은 상복을 입은 기타자와 부인이 들어왔다. 눈가가 유난히 검었기 때문에 한층 귀엽게 보였으나 역시 서른 넘은 피부를 하고 있었다.

여느 때와 같이 후쿠마 형사가 물러나자 선생님은,

“부인은 남편께서 자살하신 날, 몇 시에 댁으로 귀가하셨죠?”

“5시 반 경이었다고 생각됩니다.”

“그렇지 않죠. 4시나 4시 반 경이었죠?”

“아뇨. 분명히 5시…….”

“사실 대로 말해주세요. 저희는 모든 것을 알고 있으니까요.”

“…….”

“당신은 4시 경에 돌아와 시신을 발견하고는 깜짝 놀라 미도리카와 씨를 찾아가서는, 그리고 미도리카와 씨를 불러와서 단둘이 의논하고는 비로소 경찰에 신고한 거죠?”

“아뇨…….”

“그래서 미도리카와 씨는 당신이 남편을 분명 살해했다고 생각하고는, 당신을 감싸기 위해 오늘 스스로 죽였다며 자백했습니다.”

이 말을 듣자 그녀는 몸을 떨었다.

“그게 사실인가요? 그렇다면 모두 말씀드리겠습니다. 모두 말씀하신 대로입니다. 미도리카와 씨가 죽인 것도 아니고, 또한 제가 죽인 것도 아닙니다. 제가 4시에 돌아왔을 때 이미 남편은 쓰러져 있었어요. 그리고 저는 1시에 집을 나와 그 때까지 미도리카와 씨 댁에 있었던 거예요.”

“좋습니다. 부인께서 지금 말씀하신 것을 사실이라고 인정합니다.”

이렇게 말하고 모오리 선생님은 형사를 불러 부인을 데려가게 했다.

“와쿠이 군.”하고 선생님은 매우 기쁜 표정으로 말씀하셨다. “진실을 밝히는 일이 생각보다 쉬울 때도 있군 그래. 나는 미도리카와가 보여준 연기르 보고 그가 시신을 분명히 봤다고 생각했는데, 역시 그랬었어. 하지만 사랑은 무섭구먼. 부인을 살리기 위해 허위 자백으로 자신을 희생시키려 했다니 말일세.”

K군. 나는 늦은 감이 있으나 선생님의 눈썰미에 놀라지 않을 수 없었다. 선생님 앞에서 ‘허위’는 항상 고개를 숙일 수밖에 없다.

“자아.” 하고 선생님은 팔짱을 끼며 말씀하셨다. “이제 두 사람한테 죄가 없다는 것을 알았으니 기타자와는 자살로 결정됐지만, 아직 사건이 해결된 건 아니지?”

“네…….”라고 대답은 했지만 나는 도무지 무슨 뜻인지를 알 수 없었다.

후쿠마 형사가 들어오자 선생님은 신문결과를 말하고, 두 사람을 방면할 것을 주장하시고는 끝으로,

“어제 나는 깊이 묻지 않았으나, 대체 기타자와 사건의 이번 조사는 경찰에 왔던 무명 투서 때문이라면서요?”

“맞습니다.”

“자네는 그 투서에 대해 알아보셨나?”

“아뇨. 그 투서는 흔한 것이라서 따로 자세한 것은 조사하지 않았습니다.”

“그 투서는 아직 보존하고 있겠지요?”

“있습니다. 가져올까요?”

형사가 나가고는 바로 엽서를 들고 왔다. 거기에는 “기타자와 에이지 사망원인에 수상한 점이 있다.”고 펜으로 적혀 있었으나, 내가 그것을 본 순간 깜짝 놀라 선생님 얼굴을 돌아보자, 선생님 눈은 이미 번쩍번쩍 빛나고 있었다.

“와쿠이 군. 유서를 꺼내보게.” 선생님은 유서를 투서 필적과 비교하시면서, “이 유서와 투서는 같은 날, 같은 펜과 잉크로써 같은 사람에 의해 적힌 걸세!!!”

K군.

그 순간 나는 분명 일종의 신들린 듯한 느낌이었다. 후쿠마 형사도 너무나도 놀라 잠시 동안은 말이 나오지 않았다.

“후쿠마 군. 수고스럽지만 다시 한 번 기타자와 부인을 불러주겠나.”

형사가 나가자 나는 말했다.

“선생님. 그렇다면 기타자와 씨 자신이 두 사람을 함정에 빠뜨리기 위해 간계를 쓴 것일까요?”

“그렇다면 더욱 타살다운 증거를 만들어 마땅하겠지.”

“타살 다운 증거를 만들면 오히려 들킬 우려가 있기 때문에 투서 쪽만을 어떤 믿을 만한 사람한테 맡겨 두고 나중에 보내달라고 한 것은 아닐까요? 실제로 유서를 자작하지 않은 것도 역시 그런 깊은 뜻에서 비롯된 것일 아닐까 하는데요.”

“그럴 지도 모르지. 하지만 기타자와라는 사람이 과연 그런 일을 할 수 있는 인물이었을까. 아무튼 부인한테 물어봐야 하네.”

부인이 들어오자 선생님은 유서를 가리키며 그것이 과연 남편 필적인지 여부를 물으셨다.

부인은 그렇다고 했다. 그러자 후쿠마 형사도 기타자와의 다른 필적과 비교했다는 점을 말하고는, 증거로 가져온 두 세 필적을 꺼내면서 말했다.

선생님은 열심히 살펴보셨으나 이미 의심의 여지는 없었다. 유서와 투서 모두 기타자와 본인이 동시에 적은 것이다.

“이 유서를 남편께서 쓰신 것은 언제쯤 일인가요?”

“아마 사건이 일어나기 20일 정도 전이었을 거예요.”

“어디서 적으셨죠?”

“그건 모르겠습니다만, 어느 날 밤 제게 이것을 내보이며, 이제 죽어도 유서를 적어뒀으니 언제 죽어도 된다며 농담을 했습니다.”

“그렇다면 자살하실 것 같지는 않았나요?”

“조금도 없었습니다. 평소 비교적 쾌활한 분이셨기에 설마 하고 생각했었죠.”

“권총은 언제쯤 구입하셨습니까?”

“그와 비슷한 무렵이었을 거예요. 강도가 출몰하고 험악한 세상이라면서 샀습니다.”

“남편께서는 평소 장난을 즐기셨나요?”

“아무래도 귀하게 자란 분이라서 가끔 장난을 치기도 하셨지만, 가끔은 매우 밝아지기도 했다가, 어떤 때는 과묵해져서 2~3일 말을 하지 않으실 때도 있었습니다.”

“남편 분과 친한 친구는 계셨나요?”

“없었을 거예요. 본래 친구를 만들기 싫어하셔서, 본인이 연관되어 있는 회사에도 좀처럼 들르지 않았습니다. 다만 M- 클럽에는 자주 가셨습니다.”

“M- 클럽이라는 건?”

“영국 런던에 살았던 적이 있는 사람들이 모여서 만든 영국식 클럽인데, 마루노우치에 있습니다.”

여기서 모오리 선생님은 신문을 끝마치고 부인을 돌려보낸 뒤,

“아무리 물어도 알 수 없겠지.”라고 중얼거리듯 말씀하셨다.

“그럼 투서 주인을 찾아볼까요?”라고 후쿠마 형사가 말했다.

“지금 찾아낸다 한들 자살설이 바뀌는 것도 아니고, 또한 저쪽에서 말하지 않는 이상 찾아낼 수도 없을 걸세. 아무튼 이 사건은 해결됐네.”

K군.

그리하여 기타자와 사건은 ‘아무튼’ 해결됐다. 이는 신문에서 자네도 주지하는 바와 같다. 하지만 해결되지 않은 것은 선생님 마음이었다. 또다시 종전과 같은 활동적인 상태로 돌아가신 선생님으로서는, 사건의 진상 깊은 곳까지 규명하지 않고서는 그만 두실 리 만무하다. “저쪽에서 말하지 않는 이상 찾아낼 수도 없을 걸세.”라고 말씀하시긴 했으나, 이는 경찰한테 하신 말씀으로서, 선생님은 이미 그 때 분명 찾아낼 자신이 있으셨을 것이다. 뿐만 아니라 선생님은 그 사건의 진상을 경찰한테 알리고 싶지 않았다고 직감했을지도 모른다.

경찰서를 떠날 때,

“이 유서와 투서를 잠시 빌려주었으면 하네. 조금 연구해보기 때문에 말이지.”

라고 말씀하시고 선생님은 그 두 증거품을 가지고 연구실로 돌아오셨으나, 이윽고 나를 교수실로 불러서는,

“와쿠이 군. 자네는 어떻게 생각하나?”

내가 어떻게 대답해야 할지 망설이고 있자, 모오리 선생님은 설명하시듯,

“단순히 경찰에 투서가 있었다는 것뿐이라면, 물론 깊이 조사할 필요는 없네. 또한, 아무리 죽은 본인의 자필 투서였다고 해도 이 또한 그리 신기해할 일은 아니야. 세상에는 생각보다 장난기가 많은 사람들이 많을테니 남편도 경찰을 당황시켜 조롱하려는 계획을 가졌을 경우도 있겠지. 또한 유서가 자작 문장이 아니라 다른 사람 것을 베꼈다고 해도 별로 깊이 생각할 필요 없네. 이러한 사례는 지금까지도 상당히 많거든. 그런데 이 두 개의, 깊이 생각할 필요 없는 상황이 겹치면 여기에 비로소 연구할 만한 이유가 생긴다네. 이 경우 자살자가 유서와 투서를 동시에 적었다는 것은 적어도 어떤 목적, 더구나 단 한 가지 목적을 위해 적힌 것이 되네. 따라서 그 목적을 찾아낼 필요가 발생하지.”

“그 목적은 역시 부인과 남자를 함정에 빠뜨리기 위해서 아닐까요?”

“그렇다면 더 타살다운 증거를 만들어야 했을 게야”

“그러면 단순히 소란을 피우게 하기 위한 장난이었을까요?”

“장난은 너무 지나친 발상일세. 실제로 이 투서는 방금 전에 버려질 수도 있었을 테니 말이야. 이 투서를 보지 않았다면 나도 그다지 흥미를 갖지 않았을 테니.”

K군. 참으로 나는 알 수 없게 되었다. 그리고 모오리 선생님도 당시는 아직 조금도 알지 못하고 계셨던 것이다.

“이 수수께끼는 도저히 단시간 내에 풀 수 없을 걸세. 자네는 이제 돌아가도 좋아. 나는 이제부터 이 두 물건을 충분히 연구해보도록 하겠네.”

k군.

그렇게 해서 나는 상당히 지친 채로 집으로 돌아갔지만, 선생님으로부터 들은 수수께끼가 머리에서 떠나지 않아 그날 밤은 좀처럼 잠을 이루지 못했다. 나는 여러 가지 생각해 보았다. 생각하다 못해 문학자 A씨의 전집을 꺼내들고, 그 유서의 첫 구절 문장이나 뜻에서부터 무슨 단서라도 얻을 수 없을까 해서 연구해보았으나, 결국 아무 것도 없을 수 없었다.

다음 날 잠이 부족한 눈을 부비며 연구실에 들어서자 선생님은 이미 출근해 계셨다. 그 얼굴을 뵈었을 때 선생님은 밤새도록 연구하셨다는 것을 직감했다.

“와쿠이 군. 결국 문제가 풀렸네.”

내 얼굴을 보시자마자 선생님은 갑자기 말씀을 하셨으나, 평소 문제를 해결했을 때와 같은 기쁨을 찾아볼 수 없었기에, 선생님한테 있어서 무슨 불쾌한 해결이라고 생각했다.

“정말이세요?”

그렇게 말하고는 다음에 이을 말이 떠오르지 않았다. “정말 다행입니다.”라고는 도저히 말할 수 없었기 때문이다. 그러자 선생님은 책상 위에 있던 작은 종이를 들고서는,

“이게 그 해답이네.”라고 하시면서 내게 주셨다. 받아보았더니 거기에는,

 P M b t D K 

이렇게 적혀 있었다.

“자네. 매우 수고스럽겠지만, 이것을 시내 주요 일간지에 그리 눈에 띄지 않도록 실어주게.”

나는 당황했다.

“이건 암호인가요?”

“이유는 자네가 돌아오면 말해주겠네.”

나는 아무 말도 못한 채 물러나와 각 신문사를 돌며 광고를 부탁하고 연구실로 돌아온 것은 오후 1시 경이었다. 도중에 나는 선생님께서 주신 암호 - 물론 나는 처음에 그것을 암호라고 생각했다. - 를 어떻게든 풀어보려고 했으나 전혀 짐작할 수 없었다. 또한 무엇 때문에 선생님이 신문 같은 곳에 광고를 실으시는지, 그리고 대체 이것이 기타자와 사건과 어떤 관련이 있는지 전혀 알 수 없었다. 그랬기에 연구실로 돌아온 후에는 어서 선생님한테서 설명을 듣고 싶어, 말하자면 나는 호기심 그 자체였다.

교수실에 들어서자 선생님은 일어서서 입구 쪽으로 걸어가서는 출입문을 열쇠로 걸어 잠그셨다.

“그리 큰 소리로 말을 해서는 안 되거든.” 이렇게 말하고서 또다시 책상 앞에 앉으시고, “그래, 와쿠이 군. 자네는 니체를 읽은 적이 있나?”라고 뜬금없이 질문하셨다.

“네에. 예전에 읽은 적이 있긴 합니다만…….” 하고 내가 머뭇거리며 대답하자 선생님은 말을 가로막고서,

“그럴 만도 하지. 요즘 세상에 니체 같은 말을 꺼내면 남들이 웃고 말테지만, 만약 그것이 천재가 하는 일이라면 아무리 비인도적이라 해도 자네는 용납할 수 없겠나?”

“음, 글쎄요.…….”

“갑자기 이런 말을 꺼내면 자네도 대답을 할 수 없겠지만, 요즘은 자주 민중의 힘이라는 말이 대두되는데, 적어도 과학 영역에 있어서는 수많은 평범한 자들도 한 사람의 천재에 미치지 못한다는 것은 자네도 인정하겠지?”

“인정합니다.”

“그리고 과학이라고 하는 게 인간의 복리를 증진시키는 것인 이상, 과학적 천재가 하는 일이 비인도적이라 하더라도 자네는 그것을 용납할 수 없겠나?”

매우 심각한 문제이다.

“더 잘 생각해봐야겠습니다만…….”

“이를 수긍하지 못한다면 자네한테 약속한 설명을 해줄 수 없네.”

“용납해도 될 것 같습니다.”

“좋아. 그렇다면 설명을 시작하도록 하지.”라며 뜻밖에도 쉽게 말씀하셨다. “어제 저녁 나는 이 두 장의 종이를 살피면서 결국 밤을 새고 말았다. 점점 추리를 거듭한 후에는 비교적 빨리 사건 저변에 숨겨진 비밀을 알았으나, 그 확증을 잡을 때까지 매우 고생했다네.

나는 어제 자네가 돌아간 후 두 가지 물건, 즉 유서와 투서를 책상 위에 올려놓고는 과연 어떤 순서로 연구할 것인가를 생각했네. 그 결과 우선 마음을 백지상태로 비운 다음 과연 이 두 가지 필자가 기타자와 그 사람인지를 연구했네. 하지만 이미 그 점에 대해서는 의심의 여지가 없었지. 여러 가지 기타자와가 쓴 다른 필적과도 비교해 봤지만 절대 다른 사람일 수 없다는 사실을 알았네.

그렇다면 기타자와는 어찌하여 이와 같은 계획을 했는가. 무슨 목적으로 했는지를 다음으로 연구했네. 이것이야 말로 수수깨끼의 핵심이며 이미 자네와 의논해보기도 했지만, 결국 어제는 풀지 못한 채로 헤어지게 된 큰 문제이지. 어제도 말한 바와 같이 유서와 투서를 별개로 떼어놓는다면 여러 가지 목적을 상정할 수 있겠으나, 두 가지를 합치면 단 한 가지 목적 밖에는 생각할 수 없게 된단 말일세. 따라서 그것을 위한 단 한 가지 목적을 찾아낸다면 모든 사실이 밝혀지겠는데, 아무래도 고작 이 두 가지 물건에 의해 해결하려고 하니 상당히 어려웠네.

기타자와가 누구한테 투서를 부탁했는지는 모르지만, 아무튼 투서는 기타자와가 계획한 대로 보내졌을 것이 분명하네. 낭만적인 자네는 아마도 기타자와한테 부탁 받은 사람이 누구인지 알고 싶겠지. 그리고 그 사람을 찾아내어 그 사람으로부터 기타자와의 진의를 듣고 싶어 할 테지. 물론 그 투서가 우연히 무관한 사람한테 들어갔다고 생각하지는 않을 테니, 분명 기타자와한테 부탁 받은 사람이 있을 것일세. 그리고 그 사람은 실제로 틀림없이 어딘가에서 경찰이나 우리들이 소란을 피우는 모습을 재미있어하며 지켜보고 있겠지. 이런 점을 생각하면 자네는 매우 분개할지 모르지만 나는 그러나 기타자와가 투서를 부탁한 사람한테는 조금도 흥미를 느끼지 않았네. 그보다도 기타자와의 단 한 가지 목적을 반드시 알고 싶었었네.

뿐만 아니라 그 목적은 절대 단순히 소란을 피우게끔 한 것이 아닐세. 만에 하나 단순한 소란 피우기가 목적이었다면 훨씬 쉽고 훨씬 효과적인 방법이 틀림없이 있을 것일세. 그래서 기타자와는 더 엄숙한 한 목적이 있었어야만 하다는 말이지.

그런데 그와 같은 중요한 목적을 달성하기 위한 기타자와의 계획은 모호하기 짝이 없었네. 그 점은 어제 말한 바와 같이 만약 내가 간과했다면 투서는 하마터면 버려질 뻔하지 않았잖나. 자살까지 해가면서 이루려는 중대한 목적을 수행하는 것치고는 너무나도 조잡한 계획이었으며, 이는 단순한 실수라고 보기에는 지극히 무리가 있다고 해야 할 걸세. 그렇다면 기타자와는 그 투서를 반드시 내가 보리라고 예상해야만 하네. 와쿠이 군, 무슨 말인지 알겠나? 지금 이렇게 말하면 아무렇지도 않지만, 내가 이 결론에 도달하기까지 상당한 시간이 걸렸다네.

유서에 자작 문장을 쓰지 않은 것은 경찰이 매장 허가밖에 내지 않도록 할 계획이었네. 이는 의심의 여지가 없으나, 투서를 경찰에 보내면 재감정이 이루어지고 당연히 내가 그 투서와 유서가 동일인물에 의해 같은 시간에 적혔다는 사실을 발견하는 일도 지금은 의심의 여지가 없이 예정된 계획이었던 것이야.

즉, 기타자와는 내가 투서와 유서의 동일필적이라는 점을 발견하고는 흥미를 가지고 연구에 관여하여 그 결과 그 목적이 무엇인가를 발견하기까지 시간이 걸린다는 점도 역시 예정된 절차였다네. 와쿠이 군, 자네는 아마도 이 말을 이상하게 생각할지 모르겠지만, 투서가 내 손에 들어오는 것을 확신한 기타자와이기에 그 정도의 일을 예정하는 일은 아무 것도 아니었네. 즉, 모든 사정은 기타자와가 계획한 대로 진행되었다는 뜻이네. 바꾸어 말하자면 기타자와는 이미 그 목적을 달성했다는 말이 되지.

알아듣겠나? 내가 혼신의 노력을 다해 연구한 기타자와의 목적은, 나한테 기타자와의 목적을 연구하게끔 하기 위한 것이었다네.

그렇다면 다음에 일어나는 문제는, 기타자와가 무엇 때문에 그와 같은 단순한 목적을 위해 자신의 목숨까지도 빼앗았는가 하는 점이지. 기타자와라는 사람은 이번 사건에서 비로소 나와 연관이 생긴 인물일 뿐, 적어도 생전에는 서로 전혀 모르는 생면부지였지. 그 사람이 그와 같은 짓을 한다는 건 있을 수 없는 일일세.

그 있을 수 없는 점에 대해서는 여기에 이를 정당하게 설명할 수 있는 이유가 있어야만 하네. 그리고 이를 설명할 수 있는 유일한 이유는 기타자와 자신이 조금도 그 사실을 알지 모했다고 해야 하네. 이는 곧, 기타자와 자신은 투서와 유서를 쓴 목적을 전혀 알지 못했다는 것이야.

더구나 투서와 유서는 기타자와 자신의 필적이지. 그렇다면 이 두 가지를 기타자와는 무의식 상태에서 쓴 것이 분명해. 즉, 유서는 생전에 이미 부인한테 내보였을 정도이니 기타자와는 틀림없이 스스로 인식하고 있었겠지. 그러면 기타자와는 무의식적으로 썼으면서 생각했다고 봐야 한다는 말일세.

“와쿠이 군. 무의식적으로 쓰고는 이를 의식적으로 쓴 것처럼 생각하는 것은 최면상태에 있어서 쓰고는 이를 나중에 의식적으로 쓴 것처럼 느끼도록 암시가 걸려있을 때에만 발생하는 일이네. 그렇다면 기타자와는 어떤 사람에 의해 무의식적으로 썼으며, 그리고 암시에 걸렸다고 해야만 할 걸세.

이처럼 내 추리 속에 비로소 제3자가 들어왔지. 즉, 기타자와 사건에 지금까지 전혀 얼굴도 내밀지 않던 인물이 모습을 드러내기에 이르렀네. 그리고 그 제3자야말로 나한테 기타자와가 쓴 투서와 유서를 연구하게끔 만든 것이며, 그 인물이 지금까지 기타자와가 한 것으로 되어 있는 계획을 처음부터 끝까지 세웠던 게야. 그렇기 때문에 기타자와 자신은 그 점에 대해 조금도 알지 못했던 것일세.

와쿠이 군. 그 제3자란 과연 누구인가. 우선 다른 사람의 유서를 베낀 유서를 쓰게끔 하고 시신을 매장시키고는 그 다음 동일필적인 투서를 경찰에 보내서 재감정까지 시켰으며, 자살이라는 결론을 내리게 하고, 오직 나만이 그 투서를 발견하여 사건의 수수께끼를 풀기위해 노력하리라는 점을 예상한 인물이란 과연 누구인가. 무엇을 위해 그 인물을 나를 밤새도록 고생시켰느냐 말일세.

와쿠이 군. 자네는 이미 그게 누구인지를 희미하게나마 알아차렸겠지. 하지만 그 인물이라고 단정할 만한 증거가 대체 어디 있는지, 그 때 나는 생각했네. 이 정도까지 계획을 세울 수 있는 인물이니 분명 그 증거가 될 만한 단서가 어딘가에 틀림없이 있을 것이라고 예상했네. 더구나 아마도 이 투서와 유서 중 한 곳에 그 단서가 분명히 숨겨져 있다고 봤던 것일세.

그래서 나는 다시금 두 증거물을 검사하기 시작했다네. 예를 들어 투서 문구가 열쇠처럼 되어 있어 유서 속에서 몇몇 문구를 만들어낼 수 있는 것이 아닐까 하는 것도 생각해봤지만 그런 흔적은 찾아볼 수 없었네. 그 다음으로 유서 글, 즉 A씨의 수기 중 첫 구절의 문구 속에 어떤 의미가 담겨져 있는 것이 아닐까 하고 여러 가지 연구해봤으나 그것도 없었어. 그런데 마침내 새벽녘에 결국 유서 속에서 확실한 증거를 잡게 되었다네.

“와쿠이 군. 자네는 잘 기억하고 있지? 얼마 전 학회에서 나와 가리오 군이 격론을 벌인 것을 말이네. 그 때 분명 나는 밀리고 있었지. 그러자 가리오 군은 ‘모오리 군, 어떠신가?’라고 하며 비꼬는 말투로 나를 압박해왔네. 그 때 나는 인간한테 직접 실험을 해보지 않는 이상 자네 의견에 승복할 수 없다‘고 말하고는 토론이 끝났지. 그리고 나는 그날 이후 인간에 관한 연구는 분명 인간에 의한 실험 외에는 충분히 입증할 수 없다고 생각했는데, 이는 도저히 불가능할 것 같아 예전부터 있었던 우울증이 더욱 심해졌던 것일세.

그런데 가리오 군은 드디어 그 인간실험을 했다는 말일세. 기타자와는 자네 부검결과에 의하면 흉선임파(胸線淋巴) 체질이었기에, 가리오 군은 그가 조만간 자살시기에 속해 있다는 것을 알고는, 더구나 가리오 군이 말하는 ‘특별한 시기’에 들어가 있었던 것이겠지. 이를 알아차린 가리오 군은 그 이른바 incendiarism을 하여 기타자와 군으로 하여금 자살하도록 만들고는 이로써 내게 자신의 학설이 옳다는 것을 나타낸 것일세.

기타자오가 자살하기 이전에는 조금도 자살 우려에 대한 징후는 전혀 없었을 게야. 만약 있었다면 권총을 사거나 유서를 쓰거나 했을 당시 부인은 경계해야 했겠지. 이렇게 보면 조금도 정신이상 징후는 나타나지 않았으며, 그와 같은 시기에는 아무리 암시를 걸어도 자살하지 않는다는 것이 내 지론이네. 그러나 이를 가리오 군은 인간실험으로써 허물어뜨린 게야. 그리고 이를 나한테 알게끔 하기 위해 유서와 투서 계획을 세운 것이라네.

부인 말에 의하면 기타자와는 M-클럽에 자주 갔다고 하는데, 런던을 제2의 고향으로 여기는 가리오 군이 그 곳 회원이라는 사실을 짐작하는 것은 어렵지 않네. 아마도 가리오 군은 거기서 자신과는 생면부지인 기타자와를 관찰하고 최면상태 하에서 A씨의 수기를 받아쓰도록(dictate) 하고 투서까지 쓰게 다음, 그 투서만 본인이 보관했겠지. 권총을 사게 한 것도 가리오 군일 지도 모르네. 그리고 완벽하게 자신의 학설을 증명하고, 뿐만 아니라 이를 나로 하여금 알게 하고자 하는 목적도 달성했네. 물론, 그 유서나 투서 그리고 권총이 incendiarism 역할을 한 것은 두말할 나위도 없고, 기타자와 사건 그 자체는 실로 천재적인 과학자가 이루어낸 인간실험 다름 아니란 말일세.”

여기까지 말씀하신 선생님은 작은 한 숨을 내쉬셨다. 나는 선생님이 하신 완벽한 추리 때문에 넋을 잃고 귀를 기울이고 있었으나, 마지막에 이르러서 등줄기에 소름이 돋았다.

“그렇다면 선생님, 아무리 직접 손을 쓰지 않았다고는 하나, 기타자와는 가리오 선생님이…….”

선생님은 손짓으로 ‘조용히!’라고 경고했다. “그래서 처음에 자네한테 양해를 구하지 않았던가. 가리오 군은 철재야. 도저히 나와 비교할 수 없을 만큼 차원이 다른 천재란 말일세. 이런 과감한 실험은 학술적인 생각에 빠져 있는 우리들이 절대 꿈도 꿀 수 없는 일이네. 이는 세상적으로 평범한 가치관에 비추어보면 나쁜 의미로 들릴 수도 있겠으나, 아무튼 과학에 의해 자연을 정복하려 한다면, 이 정도의 일은 아무렇지도 않게 해낼 수 있어야 하네.

아니, 이 점에 대해서는 더 이상 깊이 안 들어가겠네. 이를 논하기에는 자네는 너무나 지쳐있어. 그러니 마지막으로 내가 유서 속에서 발견했다고 하는 증거에 대해 말해두도록 하지.

보게나. 이 유서 글자는 매우 깨끗하게 적혀 있지만, 자세히 보면 군데군데 선이나 점이 2중으로, 즉 한 번 적은 글씨 위에 다시 한 번 줄을 쓴 흔적이 있지? 나는 이를 발견하고 그 글씨만 골라 일어봤네. 즉,



……거추장스러울지는 모르지만…… ……에서 모

……흥미부족 탓일 것이오…… ……에서 오

……심리를 전하고자 하네…… ……에서 리

……어떤 자살자를 그렸더군…… ……에서 군

……단편 주인공은 어떤 것을 위해…… ……에서 어

……어떠한 이유로 자살하는지를…… ……에서 떠

……불신감에 있을 뿐이지…… ……에서 신

……나와 가깝게 지내지 않는 한…… ……에서 가


이 여덟 글자였으며, 이를 이어서 읽으면 ‘모오리군 어떠신가’가 되네. 이런 말을 하는 이는 가리오 군 외에 없지 않나.

그래서 나는 이 가리오 군의 물음에 답하기 위해 답장을 썼지. 그게 자네를 번거롭게 한 신문광고 글자라네. PMbtDK란 대단한 암호가 아니라,

Prof. Mohri bows to Dr. Kario

에서 첫 글자를 딴 걸세. 물론 가리오 군이 본다면 바로 알아보겠지. 이게 내 모든 진심이네.”

K군. 이로써 기타자와 사건은 완벽한 해결을 본 것이다.

이 일이 있고 난 후 모오리 선생님께서는 계속 그 쾌활한 상태를 유지하고 계셨으나, 그로부터 2주일도 채 지나지 않아서 갑자기 가리오 박사님은 뇌일혈로 돌아가셨다는 소식이 전해지자 선생님께서는 예전보다 더욱 심한 우울증에 빠지셨다.

학자가 그 논적, 즉 투쟁 대상을 잃는 것만큼 허전한 일은 없다. 아마도 선생님이 앓으시던 우울증도 그 때문이겠으나, 실로 나무나 극단적인 우울증이었다. 그리고 결국 폐렴에 걸려 가리오 선생님 뒤를 잇게 되셨다.

그리하여 일본은 얻기 힘든 인재를 한 번에 둘이나 잃고 말았다. 이처럼 화려한 투쟁이 언제쯤 또다시 일어날지, 언제쯤 되어야 정신병학이 또다시 이처럼 펼쳐질지 생각하면 불안하기 짝이 없다. 지금 이 사건을 쓰고 나서 되돌아보면 몇 백년이나 지난 옛 이야기처럼 들린다. K군. 건강하시게!



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Posted by 문학관 관리인 위어조자(謂語助者)

잘못된 감정(誤った鑑定)

고사카이 후보쿠 (小酒井 不木) (1925)

번역 : 홍성필


늦가을 밤 여느 때와 같이 내가 법의학자 브라이언 씨를 브롱크스에 있는 저택으로 찾아가자 그 분은 새로 나온 어떤 탐정소설 잡지를 읽고 있었다.

“탐정소설가라는 건 지극히 엉터리를 쓰는군요.”라고 브라이언씨는 내 얼굴을 보자마자 갑자기 이렇게 말을 걸어왔다.

“네? 무슨 말씀이죠?”라고 나는 매우 당황하며 되물었다.

“지금 조지 잉글랜드가 쓴 ‘혈액 제2종’이라는 탐정소설을 읽은 참입니다. 그 속에 나오는 의사가 혈액에 의한 부자간의 감별법을 논하고 있는데 실로 황당한 말을 하고 있어요. 한 번 들어보세요. 이렇답니다. 아버지와 아들의 혈액을 한 방울씩 채취하여 그것은 진동기 속에 넣고 섞으면, 만약 정말로 부자지간이라면 혈액을 채우고 있는 미세한 대전물(帶電物)의 진동이 일치한다는 것입니다. 전자도 아니고 이 무슨 어이없는 주장입니까?”

나는 그 말을 듣고 웃음을 터뜨리고 말았다.

“마치 옛날 중국 감별법과 꼭 닮았군요.”라고 나는 말했다.

“그건 어떤 감별법이죠?”라고 브라이언 씨는 진지한 표정으로 물었다.

“중국 옛 법의학서 중에 ‘세면록(洗冤錄)’이라는 책이 있습니다. 거기에 혈액에 의한 친자 감별법이 적혀 있는데, 그 책에 의하면 부모와 자식의 진위를 감별하기 위해서는 서로 피를 내어 그것을 어떤 그릇에 넣으면, 만약 친자라면 그 피가 뭉쳐서 서로 하나가 되고, 만약 친자가 아니라면 잘 안 섞인다는 것입니다.”

“그렇군요. 아니, 오히려 그게 더 과학적 감별법에 가깝지 않나요? 요즘은 혈구 응집현상(凝集現象)의 유무로 판단하니 말입니다.” 이렇게 말하고 브라이언 씨는 계속 잡지를 들고 유쾌하다는 듯 말을 이어갔다.

“그리고 그 의사는 이렇게도 말합니다. 인간의 혈액은 네 종류로 나누어져 있으며, 부모와 자식은 같은 종류에 속한다고 말입니다. 네 종류로 나뉘어져 있다는 점은 맞지만, 부모와 자식이 같은 종류라는 건 조금 생각하면 부정할 수밖에 없지 않겠어요? 아버지와 어머니가 같은 종류의 사람이라면 모르지만, 아버지와 어머니가 만약 다른 종류인 사람이었다면 태어난 부모와 같은 종류라고 할 수 없다는 게 당연할 테니 말이에요.”

“아무래도 추리작가는 스스로 혈액 같은 것을 다루어본 적이 없고 그저 책 같은 곳에 적혀 있는 것을 멋대로 판단해서 쓰니 그와 같은 실수가 생기는 거겠죠.”라고 나는 말했다.

“아무래도 그렇겠죠. 소설가가 쓰는 것을 하나하나 따지는 건 오히려 따지는 사람이 치사한 것일지도 모릅니다. 제 생각에 1870년경이었다고 생각됩니다만, 프랑스에서 어떤 젊은 여자가 돼지 같은 것에 나 있는 그 바늘처럼 딱딱한 털을 조그맣게 잘라서 그것을 자기가 증오하는 사람이 먹는 식사 속에 넣고 죽인 사건이 있어, 한 때 유럽에서 크게 화제가 되었습니다. 그러자 소설가 제임스 베인이 그 이야기를 소재로 ‘하르브스’라는 유명한 소설을 쓰고는, 그 주요등장인물 중 한 사람을 그 조카가 말총을 작게 잘라 식사 속에 넣어 죽이도록 했습니다. 그런데 사실 말총으로는 소정의 목적을 달성할 수 없습니다. 즉, 바늘 같은 털 조각이라면 소화관에 궤양을 만들어 죽음에 이르게 할 수 있으나 말총은 오히려 소화액의 작용을 받아 궤양을 만들 수 는 없습니다. 즉, 베인은 돼지털로 사람을 죽일 수 있다면 말총으로도 죽일 수 있을 것이라고 제멋대로 상상했기에 그런 실수를 범한 것입니다.”

“그렇군요. 아니, 잘 생각해보니 소설가뿐만이 아니라 전문가인 의사들조차 그와 같은 실수를 저지른다고 생각합니다. 방금 말씀하신 조지 잉글랜드가 쓴 추리소설에도 의사가 말도 안 되는 궤변을 늘어놓는 장면을 일부러 썼다고 하면 오히려 작가가 고의로 비꼬았다고도 받아들일 수 있겠군요.”라고 나는 말했다.

“그야말로 지당하신 말씀입니다. 예부터 의사는 소설가들한테 당하고 사니까 말입니다. 멀리는 아리스토파네스에서 모리엘, 쇼오 등 매우 심하게 의사 욕을 하고 있습니다.”라고 브라이언 씨도 상기되었다.

“실제에 있어서도 의사는 매우 틀린 생각을 가지고 있습니다. 작년에 일본에도 어떤 개업의사가 자살과 타살의 구별방법이라면서 되지도 않는 주장을 발표하여, 그것을 바탕으로 어떤 사건을 감정하고는 대학 법의학 교수의 감정을 뒤집으려 했던 적이 있었습니다.”

“허어. 그건 어떤 일이죠?”라고 브라이언 씨가 물었다.

“저런. 오늘은 반대로 제가 말을 많이 하게 되었군요. 그건 어떤 질식한 시신 감정사건이었는데, 정황으로 보아 시신은 교살된 것으로 추정되었습니다. 그리하여 어떤 대학의 법의학 교수로 하여금 자살인지 타살인지 감정을 하도록 했는데, 교수는 그 분간이 분명하지 않다는 감정을 내렸습니다. 그런데 사건이 오래 끌기에 마을의 어떤 개업의사가 재감정을 명 받았는데, 그 개업의는 자살이 틀림없다고 단정한 것입니다. 감정 근거로서 그 사람은 다음과 같은 사항을 들었습니다. 첫째로, 자살 즉 스스로 자신의 목을 조이는 경우에는 그 힘이 약하고 숨을 들이마신 후에 결행하므로 시신 흉부를 강하게 압박하면 공기가 나오지만, 타살 즉 다른 사람이 목을 조일 경우에는 그 힘이 강하고 숨을 내쉬었을 때 조이게 되므로 시신 흉부를 압박해도 공기가 안 나온다. 둘째로 자살의 경우에는 숨을 들이마셨을 때에 이루어지므로 폐장에 있는 울혈(鬱血)이 심하지 않지만, 타살인 경우에는 숨을 내쉬었을 때 조이게 되므로 패장에 있는 울혈이 심하고, 마치 폐수종 같은 외관을 띤다는 것입니다. 그야말로 꼼꼼하기 짝이 없는 낭설 아닌가요?”

“정말 추리작가 이상 가는 대단한 궤변이군요.”라며 감이 빠른 브라이언 씨는 말했다. “조금 생각해보면 그럴듯하지만 생리학서를 한 페이지라도 읽어본 사람이라면 그런 결론이 나올 수 없겠죠.”

“지당하신 말씀입니다. 폐장 내에 있는 혈액량은 숨을 들이마셨을 때에 최고로 많으며, 내쉬었을 때에는 줄어들므로 내쉬었을 때에 행해진다고 하는 타살의 경우에 폐장에 울혈이 극심할 리가 없습니다. 그것만으로도 이미 자가당착(自家撞着)에 빠져있는 거죠.”

“들이마셨을 때에는 폐가 넓어지니 혈액이 밀려난다고 생각했는지도 모르겠군요.”

“그럴지도 모릅니다. 그건 그렇고, 자살이 숨을 들이켰을 때에 이루어지고 타살이 숨을 내쉬었을 때 이루어진다는 설도 매우 독단적이지 않나요?”라고 나는 말했다.

“참 문제입니다. 세상에는 자기가 겪은 경험이 절대적으로 옳다고 믿는 사람이 있지만, 그 사람도 그런 고지식한 부류에 속하겠지요. 즉, 자살이 숨을 들이켰을 때 일어나고 타살이 숨을 내쉬었을 때에도 일어난다는 점을 생각할 여유조차 없는 거겠죠. 흔히들 몇 년, 몇 십 년 경험이라고 말하면서 세상 사람들로부터 존경을 받곤 하지만 경험이라고 해도 항상 맞는다고는 할 수 없겠죠.”

“하지만 그런 사람들의 감정으로 법원에서 판결이 난다면, 그렇잖아도 오판이 많은 판결이 오판을 줄이려는 목적으로 있는 과학적 감정 때문에 역으로 해악을 끼치게 되는군요. 아마도 당신은 그런 경우를 종종 보셨을 텐데. 어떠신가요?”라고 나는 브라이언 씨로부터 말을 들으려고 슬쩍 표정을 살폈다.

“없는 건 아닙니다.” 브라이언 씨는 웃지도 않고 말했다. “그 중에는 매우 엉망인 감정을 하는 의사가 있습니다. 오늘 밤은 당신이 이야기를 많이 해주셨으니 이제부터는 저와 관련된 사건 이야기를 해드리도록 하지요.”


x x x


“그건 몇 년 전, 뉴욕에서 그리 멀지 않은 시골에서 일어난 사건입니다” 브라이언 씨는 말했다.

그 지역 유지 중에 밀튼 소머스라는 노인이 있었다. 오래 전에 부인이 타계하고부터는 외아들 할리와 함께 지냈으나 사건 당시 할리는 스물 두 살이고 마침 농업학교를 졸업했을 무렵이었다. 어머니가 없는 가정이었기에 아버지와 아들은 매우 친밀했으며 살림 모두는 호킨스 부인이라는 노파가 도맡고 있었으며 근처에는 소머스 소유지인 논밭에서 일하는 소작농 가족들이 무리지어 살고 있었다.

소머스 집에서 1마일 정도 떨어진 곳에는 스코트라는 농가에 에도너라고 하는 딸이 있었다. 그녀는 어린 나이에 걸맞지 않는 미인이었으며 백옥 같은 피부에 통통한 사랑스러운 얼굴과 크고 푸른 눈빛, 부드러운 입가는 보는 이로 하여금 매료시키지 않는 자가 없었다. 그런데 그녀는 못 말리는 말괄량이여서 여름에는 항상 맨발로 돌아다니고 1년 내내 머리를 묶은 적이 없으며 푸석푸석한 금발은 파도치듯 어깨 위에 걸쳐져 있었고 다리나 팔은 햇볕에 까맣게 타 있었다. 할리는 어느새 그녀와 사랑에 빠진 것이다.

그는 하지만 그 사실을 아버지에게 말할 용기가 나지 않았다. 아버지는 유서 깊은 가문을 자랑하는 고지식한 사람일 뿐만 아니라 여자 집안을 평소에도 미워하여 특히 에도너의 성격을 눈치 채고는 ‘귀녀(鬼女)’라는 별명을 붙였을 정도이니 도저히 결혼을 허락해주지 않을 것이라고 생각했기 때문이다. 그런데 둘 사이의 사랑은 깊어만 가고, 결혼해버리면 어쩌지 못하리라고 생각하고서 할리는 몰래 뉴욕으로 데리고 가서는 결혼했다. 이 사실을 알고 아버지는 격분하여 둘을 자신의 집근처에 얼씬도 하지 못하도록 만들었기에 하는 수 없이 그리 멀지 않은 곳에 다른 사람 땅을 빌려 자립하게 되었다.

함께 생활을 해보자 할리는 부인 성격이 아버지가 붙인 별명에 걸맞는다는 사실을 알았다. 그녀는 손을 댈 수 없는 말괄량이라서 속수무책인 경우가 종종 있어왔다. 그러나 생활하는 중에 딸이 태어나고 그 후부터 그녀는 매우 얌전해졌다.

그러자 그 무렵 아버지인 밀튼 소머스는 고령 때문인지 아니면 쓸쓸해서인지 갑자기 건강이 악화되어 결국에는 하루 종일 누워서 지내야 할 정도까지 되고 말았다. 결국 그도 하는 수 없이 고집을 꺾고는 할리와 그 가족을 불러 동거하도록 하고 할리에게 농사를 감독하도록 하였으며 에도너에게 살림을 맡기게 되었다.

노인의 병은 점차 악화될 뿐이었으며 결국 가족들도 간호하기가 어려워졌기에 뉴욕에 있는 간호사를 고용하게 되었다. 간호사는 콜러 워드라고 하여 매우 미인이었으나 어느새 할리를 좋아하게 되고 할리 또한 그리 싫지는 않은 기색이었다. 그러나 이 모습을 본 에도너는 갑자기 본래 험악한 성격을 발휘하여 심한 싸움은 하지 않았으나 간호사를 매우 싫어하여 어서 해고해달라고 할리에게 독촉했다.

가정부 호킨스 부인은 에도너가 와서부터 식사에 관한 일은 그녀에게 빼앗기고 청소나 세탁 같은 힘든 일만 하게 되었기에 자연히 에도너를 좋게 생각하지는 않았다.

소머스 가정에 이와 같은 불쾌한 분위기가 계속되던 어느 날 오후, 에도너는 저녁식사를 위해 우유를 짜러 외양간에 갔다가 집으로 돌아와 그 우유를 부뚜막 위에 걸어놓았던 튀김용 냄비 속에 넣었다. 그녀는 그것으로 고기 위에 얹는 소스를 만들 생각이었으나 무슨 생각을 했는지 작업을 중단하고 다시 우유를 캔 속에 붓고서 식히기 위해 찬장 위에 올려놓았다.

그날 저녁 환자는 열이 나서 계속 목이 마르다고 하기에 간호사가 우유를 가지러 부엌으로 가자 우유가 든 캔이 있었기에 그대로 병실로 가지고 가서 환자에게 주었다. 그런데 우유를 다 마시고 난 후 그녀는 캔 밑바닥을 보자 녹색 자국이 있는 것이 보였다. 그녀는 놀라 혹시 이것이 패리스 그린(Paris Green:식물 해충을 제거하기 위한 비소(砒素)가 함유된 분말)이 아닐까 하고 할리와 에도너가 있는 방을 찾아와 그것을 보이면서 패리스 그린이 아닌가 하고 물었다. 할리는 그렇다고 했으나 에도너는 아무 말이 없었다.

간호사의 요청에 의해 곧바로 담당의사가 왔으나 의사도 그 녹색물질을 보고 패리스 그린 같다고 말했다. 역시 얼마 지나지 않아 환자 상태는 갑작스럽게 악화되고 결국 새벽녘에 숨을 거뒀으나 의사는 비소중독에 의한 사망이라고 진단했다.

“사정이 이러하니 경찰로부터 검사관이 파견되었습니다.”라고 브라이언 씨는 말했다. “그리고 얼마 지나지 않아 그 지방의 개업의로 경찰을 겸한 스튜어트라는 사람이 부검을 명 받았습니다. 부검 결과 시신의 위장 내용물에는 다량의 비소화합물이 있다는 사실이 밝혀졌으므로 사건은 법원으로 넘어가고 예심판사가 나서서 직접 소머스 가정을 자세히 조사하게 되었지요.”

예심판사 일행은 가족을 하나하나 신문하고 집안 구석구석을 수색한 결과 외양간 도구창고에 있는 높은 선반 위에 패리스 그린이 들어있는 골판지상자를 찾아냈다. 그 상자는 찢어지고 내용물이 조금 줄었으며 분말 일부는 땅바닥에 쏟아져 있었다. 더구나 상자가 개봉된 것은 얼마 되지 않았다는 사실도 밝혀냈다. 그 때는 이미 수확시기도 훨씬 지났으므로 봄철 이후 패리스 그린을 사용할 필요는 없었다. 그러므로 사용된 분말은 당연히 우유 캔 속에 틀림없이 들어간 것이라고 결론을 내렸다.

부근에 사는 소작농들은 본래 패리스 그린이 외양간에 있다는 사실을 알고 있을 리 만무했으며, 또한 외양간에 자유롭게 출입하는 것을 허락하지 않았으므로 혐의는 당연히 가족에게 돌려졌다. 그러나 가족 중에서 누가 살인을 계획하고 실행시킬 강한 동기를 가지고 있었을까? 다행이 독이 들었던 골판지상자에는 먼지가 많이 쌓여 있어 지문이 선명하게 찍여 있었으므로 곧바로 사진촬영이 이루어지고, 그것과 가족 사람들의 지문을 채취하여 비교해보기로 하였다. 그러나 뜻밖에도 젊은 부부 지문과 간호사 지문과 도합 세 종류가 골판지상자 위에 찍혀 있었던 것이다. 그러나 셋이 공모했다고는 생각되지 않으므로 세 명 중 누군가가 한 것이 분명하다고 추정하고는 셋에게는 골판지 상자에 있는 지문에 대해서 언급하지 않은 채 각각 여러 신문을 해보았으나 전혀 성과가 없었다.

고인은 인덕이 후한 사람이었기에 사람들은 깊은 애도의 듯을 표하고 그 흉측한 사건은 부근 일대 소문으로 퍼졌으며, 사람들은 제멋대로 여러 가지 소문들을 만들어냈다. 젊은 부부가 결혼 당시 있어왔던 아버지와의 충돌, 간호사와 할리, 그리고 에도너의 삼각관계 등 여러 해석이 시도되었다. 어떤 이는 할리가 결혼 이후 아버지를 증오하고 있었으므로 그 때문에 아버지를 독살했을 것이라고 상상하고, 다른 이는 고인이 부자였기에 간호사가 후계자의 부인이 되기 위해 노인을 죽이고 에도너가 의심받도록 한 행위라고 상상하고, 또 다른 이는 에도너가 오래 전부터 시아버지를 미워했기 때문이라고 상상했다. 예심재판 결과 밀튼 소머스는 비소제로 독살되고 범인이 에도너라고 결정되었다.

여론은 에도너에게 있어서 지극히 불리했다. 사람들은 그녀가 허영심을 충족시키기 위해 어서 노인을 죽게 한 다음 재산을 자신 것으로 만들려 했다고 해석했다. 또한 그녀는 그 때 임신 중이었으나 옥중에서 출산하게 되면 태어난 아이에게 낙인을 찍는 것과도 같으므로 여러 이유 때문에 그녀는 적지 않게 고민했다.

“이 소머스 젊은 부인의 변호사로부터 제게 사건감정 의뢰가 있었습니다.” 브라이언 씨는 말을 이었다. “변호사는 부인의 무죄를 믿고 노인 시체의 의학적 검사에 근본적인 오진이 있다고 봤습니다. 저도 자초지정을 모두 듣고 출발점은 역시 위장 내용물의 화학적 검사에 있을 것이라고 생각했습니다. 만약 패리스 그린이 우유에 섞이고 열이 가해졌다면 표면에 녹색 거품이 일어나야 합니다. 그러므로 누구 눈에도 띄기 쉬우므로 그런 위험한 짓을 할 사람은 없을 것입니다. 여기에 어떤 수사상의 실수가 있을 것이라고 생각하여 감정을 맡아 위장 내용물에 대한 재감정을 요청하고는 허가가 나온 후 만약을 위해 전문 화학자 두 명에게도 별도로 분석을 의뢰하도록 했습니다.”

변호사 요청은 받아들여졌으며 위장 내용물은 브라이언 씨에게 배달되었다. 브라이언 씨는 곧바로 비소경(砒素鏡) 검출법을 시작하고 기타 방법에 의해 분석에 들어갔으나 대량은 고사하고 비소 흔적조차도 발견되지 않았다.

“그 때는 정말 놀랐습니다.” 브라이언 씨는 힘을 주어 말했다. “왜냐하면 검의관은 다량의 비소가 포함되어 있다고 증언했으니 말입니다. 또한 주치의도 주치의죠. 비소를 먹지 않았는데도 비소중독이라고 진단했으니 문제입니다. 두 화학자의 분석결과도 마찬가지였으며 법정에서 그 증언이 발표되자 방청객들의 감정은 급반전하여 부인에 대한 동정심으로 변했습니다. 배심원들은 불과 20분간 협의하고는 소머스 부인에게 무죄를 선고했지요.”

이리하여 의사의 잘못된 감정 때문에 무고한 사람이 하마터면 살인범이 될 뻔한 것이다.


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“하지만 왜 그 녹색물질이 우유 캔 안에 들어 있었던 거죠?”라고 나는 브라이언 씨의 말이 끝나고 잠시 후 물었다.

“그게 말하자면 제2의 문제입니다. 저는 그저 비사중독인지 아닌지를 감정하면 되었으니 더 이상 수사도 하지 않았지만, 이게 당신이 가장 좋아하는 오르치 부인의 추리소설에 나오는 ‘구석의 노인’이었다면 분명 해설이 필요했겠지요. 하하하하하.”라고 유쾌하게 웃었다.

“물론 그 패리스 그린은 우유를 먹인 뒤에 캔 속에 넣었을 테니 여기에 가장 중요한 문제가 있게 되겠지요?”라고 나는 브라이언 씨에게 해석을 들으려고 물었다.

“그렇죠. 그렇습니다. 혐의는 당연히 간호사에게 가야 합니다. ‘구석의 노인’이라면 주치의와 간호사를 공범으로 할지도 모릅니다. 무엇보다 간호사 지문이 패리스 그린 상자에서 발견되었다고 하니 말입니다.”

“아무래도 이 사건은 불가사의한 점이 많은 것 같군요.”라고 나는 말했다. “간호사만이 아닌 소머스 부인 지문도 골판지 상자에 있었다고 하니 말이에요. 이 사건의 이면에는 아마도 복잡한 사정이 숨어 있을 것입니다.”

“물론 그렇겠죠. 하지만 그건 추리작가한테 생각하라고 하죠. 소머스 부부는 지금은 즐거운 가정을 꾸리고 평화롭게 지내고 있다고 합니다. 그러나 가장 큰 손해를 본 건 검의관인 스튜어트 씨였죠. 잘못된 감정 때문에 그 후 매우 평판이 나빠져서 지금은 파리가 날리고 있답니다. 이제 바깥 거리도 조용해졌군요. 뜨거운 커피라도 한 잔 하실까요?”


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Posted by 문학관 관리인 위어조자(謂語助者)


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