수선화(水仙)

다자이 오사무(太宰 治) (1942)

일본어 원문

「忠直卿行状記」という小説を読んだのは、僕が十三か、四のときの事で、それっきり再読の機会を得なかったが、あの一篇の筋書だけは、二十年後 のいまもなお、忘れずに記憶している。奇妙にかなしい物語であった。
  剣術の上手(じょうず)な若い殿様が、家来たちと試合をして片っ端から打ち破って、大いに得意で庭園を散歩していたら、いやな囁(ささや)きが庭の暗闇の奥から聞えた。
 「殿様もこのごろは、なかなかの御上達だ。負けてあげるほうも楽になった。」
 「あははは。」
  家来たちの不用心な私語である。
  それを聞いてから、殿様の行状は一変した。真実を見たくて、狂った。家来たちに真剣勝負を挑(いど)んだ。けれども家来たちは、真剣勝負に於いてさえも、本気 に戦ってくれなかった。あっけなく殿様が勝って、家来たちは死んでゆく。殿様は、狂いまわった。すでに、おそるべき暴君である。ついには家も断絶せられ、その身も監禁せられる。
  たしか、そのような筋書であったと覚えているが、その殿様を僕は忘れる事が出来なかった。ときどき思い出しては、溜息(ためいき)をついたものだ。
  けれども、このごろ、気味の悪い疑念が、ふいと起って、誇張ではなく、夜も眠られぬくらいに不安になった。その殿様は、本当に剣術の素晴らしい名人だったのではあるまいか。家来たちも、わざと負けていたのではなくて、本当に殿様の腕前には、かなわなかったのではあるまいか。庭園の私語も、家来たちの 卑劣 な負け惜しみに過ぎなかったのではあるまいか。あり得る事だ。僕たちだって、佳(よ)い先輩にさんざん自分たちの仕事を罵倒(ばとう)せられ、その先輩の高い情熱と正しい感覚に、ほとほと参ってしまっても、その先輩とわかれた後で、
 「あの先輩もこのごろは、なかなかの元気じゃないか。もういたわってあげる必要もないようだ。」
 「あははは。」
  などという実に、賤(いや)しい私語を交した夜も、ないわけではあるまい。それは、あり得る事なのである。家来というものは、その人柄に於いて、かならず、殿様よりも劣 っているものである。あの庭園の私語も、家来たちのひねこびた自尊心を満足させるための、きたない負け惜しみに過ぎなかったのではあるまいか。とすると、慄然(りつぜん)とするのだ。殿様は、真実を 掴 みながら、真実を追い求めて狂ったのだ。殿様は、事実、剣術の名人だったのだ。家来たちは、決してわざと負けていたのではなかった。事実、かなわなかったのだ。それならば、殿様が勝ち、家来が負けるというのは当然の事で、後でごたごたの起るべき筈(はず)は無いのであるが、やっぱり、大きい惨事が起ってしまった。殿様が、 御自分 の腕前に確乎不動の自信を持っていたならば、なんの異変も起らず、すべてが平和であったのかも知れぬが、古来、天才は自分の真価を知ること甚(はなは)だうといものだそうである。自分の 力 が信じられぬ。そこに天才の煩悶(はんもん)と、深い祈りがあるのであろうが、僕は俗人の凡才だから、その辺のことは正確に説明できない。とにかく、殿様は、自分の腕前に絶対の信頼を置く事は出来なかった。事実、名人の卓抜(たくばつ)の腕前を持っていたのだが、信じる事が出来ずに狂った。そこには、殿様という 隔絶された御身分に依る不幸もあったに違いない。僕たち長屋住居の者であったら、
 「お前は、おれを偉いと思うか。」
 「思いません。」
 「そうか。」
  というだけですむ事も、殿様ともなればそうも行くまい。天才の不幸、殿様の不幸、という具合いに考えて来ると、いよいよ僕の不安が増大して来 るばかりである。似たような惨事が、僕の身辺に於いて起ったのだ。その事件の為に、僕は、あの「忠直卿行状記 」を自(おのずか)ら思い出し、そうして一夜、ふいと恐ろしい疑念にとりつかれたり等して、あれこれ思い合せ、誇張ではなく、夜も眠られぬほど不安になった。あの殿様は、本当に剣術が素晴らしく強かったのではあるまいか。けれども問題は、もはやその殿様の身の上ではない。
  僕の忠直卿は、三十三歳 の女性である。そうして僕の役割は、あの、庭園であさましい負け惜しみを言っていた家来であったかも知れないのだから、いよいよ、やり切れない話である。
  草田惣兵衛氏の夫人、草田静子。このひとが突然、あたしは天才だ、と言って家出したというのだから、驚いた。草田氏 の家と僕の生家とは、別に血のつながりは無いのだが、それでも先々代あたりからお互いに親しく交際している。交際している、などと言うと聞えもいいけれど、実情は、僕の生家の者たちは 草田氏の家に出入りを許されている、とでも言ったほうが当っている。俗にいう御身分 も、財産も、僕の生家などとは、まるで段違いなのである。謂(い)わば、僕の生家のほうで、交際をお願いしているというような具合 いなのである。まさしく、殿様と家来である。当主の惣兵衛氏 は、まだ若い。若いと言っても、もう四十は越している。東京帝国大学の経済科を卒業してから、フランスへ行き、五、六年あそんで、日本へ帰るとすぐに遠い親戚筋 の家(この家は、のち間もなく没落した)その家のひとり娘、静子さんと結婚した。夫婦の仲も、まず円満、と言ってよい状態であった。一女 をもうけ、玻璃子(はりこ)と名づけた。パリイを、もじったものらしい。惣兵衛氏 は、ハイカラな人である。背の高い、堂々たる美男である。いつも、にこにこ笑っている。いい洋画を、たくさん持っている。ドガの競馬の画が、その中でも一ばん自慢のものらしい。けれども、自分の趣味の高さを誇るような素振りは、ちっとも見せない。美術に関する話も、あまりしない。毎日、自分の銀行に通勤している。要するに、一流の紳士である。 六年前に先代がなくなって、すぐに惣兵衛氏が、草田の家を嗣(つ)いだのである。
  夫人は、――ああ、こんな身の上の説明をするよりも、僕は数年前の、或る日のささやかな事件を描写しよう。そのほうが早道である。三年前のお正月、僕は草田 の家に年始に行った。僕は、友人にも時たまそれを指摘されるのだが、よっぽど、ひがみ根性の強い男らしい。ことに、八年前 ある事情で生家から離れ、自分ひとりで、極貧に近いその日暮しをはじめるようになってからは、いっそう、ひがみも強くなった様子である。ひとに侮辱をされはせぬかと、散りかけている枯葉のように絶えずぷるぷる命を賭けて緊張している。やり切れない悪徳である。僕は、 草田の家には、めったに行かない。生家の母や兄は、今でもちょいちょい草田 の家に、お伺(うかが)いしているようであるが、僕だけは行かない。高等学校の頃までは、僕も無邪気に遊びに行っていたのであるが、大学へはいってからは、もういやになった。 草田の家の人たちは、みんないい人ばかりなのであるが、どうも行きたくなくなった。金持はいやだ、という単純な思想を持ちはじめていたのである。それが、どうして、三年前 のお正月に限って、お年始などに行く気になったかというと、それは、そもそも僕自身が、だらしなかったからである。その前年の師走(しわす)、草田夫人 から僕に、突然、招待の手紙が来たのである。
  ――しばらくお逢い致しません。来年のお正月には、ぜひとも遊びにおいで下さい。主人も、たのしみにして待っております。主人も私も、あなたの小説の読者です。
  最後の一句 に、僕は浮かれてしまったのだ。恥ずかしい事である。その頃、僕の小説も、少し売れはじめていたのである。白状するが、僕はその頃、いい気になっていた。危険な時期であったのである。ふやけた気持でいた時、 草田夫人からの招待状が来て、あなたの小説の読者ですなどと言われたのだから、たまらない。ほくそ笑んで、御招待まことにありがたく云々と色気 たっぷりの返事を書いて、そうして翌(あく)る年の正月一日に、のこのこ出かけて行って、見事、眉間(みけん)をざくりと割られる程の大恥辱を受けて帰宅した。
  その日、草田の家では、ずいぶん僕を歓待してくれた。他の年始のお客にも、いちいち僕を「流行作家」として紹介するのだ。僕は、それを揶揄(やゆ)、侮辱の言葉 と思わなかったばかりか、ひょっとしたら僕はもう、流行作家なのかも知れないと考え直してみたりなどしたのだから、話にならない。みじめなものである。僕は酔った。 惣兵衛氏を相手に大いに酔った。もっとも、酔っぱらったのは僕ひとりで、惣兵衛氏は、いくら飲んでも顔色も変らず、そうして気弱そうに、無理に微笑して、僕の文学談 を聞いている。
 「ひとつ、奥さん、」と僕は図に乗って、夫人へ盃をさした。「いかがです。」
 「いただきません。」夫人は冷く答えた。それが、なんとも言えず、骨のずいに徹するくらいの冷厳 な語調であった。底知れぬ軽蔑感が、そのたった一語に、こめられて在った。僕は、まいった。酔いもさめた。けれども苦笑して、
 「あ、失礼。つい酔いすぎて。」と軽く言ってその場をごまかしたが、腸が煮えくりかえった。さらに一つ。僕は、もうそれ以上お酒を飲む気もせず、ごはんを食べる事にした。 蜆汁(しじみじる)がおいしかった。せっせと貝の肉を箸(はし)でほじくり出して食べていたら、
 「あら、」夫人は小さい驚きの声を挙げた。「そんなもの食べて、なんともありません?」無心な質問である。
  思わず箸とおわんを取り落しそうだった。この貝は、食べるものではなかったのだ。蜆汁 は、ただその汁だけを飲むものらしい。貝は、ダシだ。貧しい者にとっては、この貝の肉だってなかなかおいしいものだが、上流の人たちは、この肉を、たいへん汚いものとして捨てるのだ。なるほど、蜆の肉は、お臍(へそ)みたいで醜悪だ。僕は、何も返事が出来なかった。無心な驚きの声であっただけに、手痛かった。ことさらに上品ぶって、そんな質問をするのなら、僕にも応答の仕様がある。けれども、その声は、全く本心からの純粋な驚きの声なのだから、僕は、まいった。なりあがり者の「 流行作家」は、箸とおわんを持ったまま、うなだれて、何も言えない。涙が沸(わ)いて出た。あんな手ひどい恥辱を受けた事がなかった。それっきり僕は、草田 の家へは行かない。草田の家だけでなく、その後は、他のお金持の家にも、なるべく行かない事にした。そうして僕は、意地になって、貧乏の薄汚い生活を続けた。
  昨年の九月、僕の陋屋(ろうおく)の玄関に意外の客人が立っていた。草田惣兵衛氏である。
 「静子が来ていませんか。」
 「いいえ。」
 「本当ですか。」
 「どうしたのです。」僕のほうで反問した。
  何かわけがあるらしかった。
 「家は、ちらかっていますから、外へ出ましょう。」きたない家の中を見せたくなかった。
 「そうですね。」と草田氏はおとなしく首肯(うなず)いて、僕のあとについて来た。
  少し歩くと、井の頭公園である。公園の林の中を歩きながら、草田氏は語った。
 「どうもいけません。こんどは、しくじりました。薬が、ききすぎました。」夫人が、家出をしたというのである。その原因が、実に馬鹿げている。数年前に、夫人の実家 が破産した。それから夫人は、妙に冷く取りすました女になった。実家 の破産を、非常な恥辱と考えてしまったらしい。なんでもないじゃないか、といくら慰めてやっても、いよいよ、ひがむばかりだという。それを聞いて僕も、お正月の、あの「いただきません」の異様な 冷厳が理解できた。静子さんが草田の家にお嫁に来たのは、僕の高等学校時代の事で、その頃は僕も、平気で草田 の家にちょいちょい遊びに行っていたし、新夫人の静子さんとも話を交して、一緒 に映画を見に行った事さえあったのだが、その頃の新夫人は、決してあんな、骨を刺すような口調でものを言う人ではなかった。無智なくらいに明るく笑うひとだった。あの元旦に、久し振りで顔を合せて、すぐに僕は、何も 言葉を交さぬ先から、「変ったなあ」と思っていたのだが、それでは矢張(やは)り、実家 の破産という憂愁が、あのひとをあんなにひどく変化させてしまっていたのに違いない。
 「ヒステリイですね。」僕は、ふんと笑って言った。
 「さあ、それが。」草田氏は、僕の軽蔑に気がつかなかったらしく、まじめに考え込んで、「とにかく、僕がわるいんです。おだて過ぎたのです。薬がききすぎました。」草田氏 は夫人を慰める一手段として、夫人に洋画を習わせた。一週間にいちどずつ、近所の中泉花仙とかいう、もう六十歳近い下手(へた)くそな老画伯 のアトリエに通わせた。さあ、それから褒(ほ)めた。草田氏をはじめ、その中泉という老耄(ろうもう)の画伯と、それから中泉のアトリエに通っている若い研究生たち、また 草田 の家に出入りしている有象無象(うぞうむぞう)、寄ってたかって夫人の画を褒めちぎって、あげくの果は夫人の逆上という事になり、「あたしは天才だ」と口走って家出したというのであるが、僕は話を聞きながら何度も噴き出しそうになって困った。なるほど薬がききすぎた。お 金持の家庭にありがちな、ばかばかしい喜劇だ。
 「いつ、飛び出したんです。」僕は、もう草田夫妻を、ばかにし切っていた。
 「きのうです。」
 「なあんだ。それじゃ何も騒ぐ事はないじゃないですか。僕の女房だって、僕があんまりお酒を飲みすぎると、里へ行って一晩泊って来る事がありますよ。」
 「それとこれとは違います。静子は芸術家として自由な生活をしたいんだそうです。お金をたくさん持って出ました。」
 「たくさん?」
 「ちょっと多いんです。」
  草田氏くらいのお金持が、ちょっと多い、というくらいだから、五千円、あるいは一万円くらいかも知れないと僕は思った。
 「それは、いけませんね。」はじめて少し興味を覚えた。貧乏人は、お金の話には無関心でおれない。
 「静子はあなたの小説を、いつも読んでいましたから、きっとあなたのお家へお邪魔にあがっているんじゃないかと、――」
 「冗談じゃない。僕は、――」敵です、と言おうと思ったのだが、いつもにこにこ笑っている草田氏 が、きょうばかりは蒼(あお)くなってしょげ返っているその様子を目前に見て、ちょっと言い出しかねた。
  吉祥寺の駅の前でわかれたが、わかれる時に僕は苦笑しながら尋ねた。
 「いったい、どんな画をかくんです?」
 「変っています。本当に天才みたいなところもあるんです。」意外の答であった。
 「へえ。」僕は二の句が継げなかった。つくづく、馬鹿な夫婦だと思って、呆(あき)れた。
  それから三日目だったか、わが天才女史は絵具箱をひっさげて、僕の陋屋に出現した。菜葉服(なっぱふく)のような粗末な洋服を着ている。気味わるいほど頬 がこけて、眼が異様に大きくなっていた。けれども、謂(い)わば、一流の貴婦人の品位は、犯しがたかった。
 「おあがりなさい。」僕はことさらに乱暴な口をきいた。「どこへ行っていたのですか。草田さんがとても心配していましたよ。」
 「あなたは、芸術家ですか。」玄関のたたきにつっ立ったまま、そっぽを向いてそう呟(つぶや)いた。れいの冷い、高慢な口調である。
 「何を言っているのです。きざな事を言ってはいけません。草田さんも閉口していましたよ。玻璃子ちゃんのいるのをお忘れですか?」
 「アパートを捜しているのですけど、」夫人は、僕の言葉を全然黙殺している。「このへんにありませんか。」
 「奥さん、どうかしていますね。もの笑いの種ですよ。およしになって下さい。」
 「ひとりで仕事をしたいのです。」夫人は、ちっとも悪びれない。「家を一軒借りても、いいんですけど。」
 「薬がききすぎたと、草田さんも後悔していましたよ。二十世紀には、芸術家も天才もないんです。」
 「あなたは俗物ね。」平気な顔をして言った。「草田のほうが、まだ理解があります。」
  僕に対して、こんな失敬なことを言うお客には帰ってもらうことにしている。僕には、信じている一事があるのだ。誰かれに、わかってもらわなくともいいのだ。いやなら来 るな。
 「あなたは、何しに来たのですか。お帰りになったらどうですか。」
 「帰ります。」少し笑って、「画を、お見せしましょうか。」
 「たくさんです。たいていわかっています。」
 「そう。」僕の顔を、それこそ穴のあくほど見つめた。「さようなら。」
  帰ってしまった。
  なんという事だ。あのひとは、たしか僕と同じとしの筈だ。十二、三歳の子供さえあるのだ。人におだてられて発狂した。おだてる人も、おだてる人だ。不愉快 な事件である。僕は、この事件に対して、恐怖をさえ感じた。
  それから約二箇月間、静子夫人の来訪はなかったが、草田惣兵衛氏からは、その間に五、六回、手紙をもらった。困り切っているらしい。静子夫人は、その後、赤坂 のアパートに起居して、はじめは神妙に、中泉画伯のアトリエに通っていたが、やがてその老画伯をも軽蔑して、絵の勉強 は、ほとんどせず、画伯のアトリエの若い研究生たちを自分のアパートに呼び集めて、その研究生たちのお世辞に酔って、毎晩、有頂天の馬鹿騒ぎをしていた。草田氏 は恥をしのんで、単身赤坂のアパートを訪れ、家へ帰るように懇願したが、だめであった。静子夫人には、鼻であしらわれ、取巻 きの研究生たちにさえ、天才の敵として攻撃せられ、その上、持っていたお金をみんな巻き上げられた。三度おとずれたが、三度とも同じ憂目(うきめ)に逢った。もういまでは、 草田氏も覚悟をきめている。それにしても、玻璃子が不憫(ふびん)である。どうしたらよいのか、男子としてこんな苦しい立場はない、と四十歳を越えた一流紳士の草田氏 が、僕に手紙で言って寄こすのである。けれども僕も、いつか草田の家で受けたあの大恥辱を忘れてはいない。僕には、時々自分でもぞっとするほど執念深 いところがある。いちど受けた侮辱を、どうしても忘れる事が出来ない。草田の家の、此(こ)の度(たび)の不幸に同情する気持など少しも起らぬのである。草田氏 は僕に、再三、「どうか、よろしく静子に説いてやって下さい」と手紙でたのんで来ているのだが、僕は、動きたくなかった。お金持 の使い走りは、いやだった。「僕は奥さんに、たいへん軽蔑されている人間ですから、とてもお役には立ちません。」などと言って、いつも断っていたのである。
  十一月のはじめ、庭の山茶花(さざんか)が咲きはじめた頃であった。その朝、僕は、静子夫人から手紙をもらった。
  ――耳が聞えなくなりました。悪いお酒をたくさん飲んで、中耳炎を起したのです。お医者に見せましたけれども、もう手遅れだそうです。薬缶(やかん)のお湯が、シュンシュン沸いている、あの音も聞えません。窓の外で、樹の枝が枯葉を散らしてゆれ動いておりますが、なんにも音が聞えません。もう、死ぬまで聞く事が出来ません。人の声も、地の底から言っているようにしか聞えません。これも、やがて、全く聞えなくなるのでしょう。耳がよく聞えないという事が、どんなに 淋(さび)しい、もどかしいものか、今度という今度は思い知りました。買物などに行って、私の耳の悪い事を知らない人達が、ふつうの人に話すようにものを言うので、私には、何を言っているのか、さっぱりわからなくて、悲しくなってしまいます。自分をなぐさめるために、耳の悪いあの人やこの人の事など思い出してみて、ようやくの事で一日を過します。このごろ、しょっちゅう、死にたい死にたいと思います。そうしては、玻璃子の事が思い浮んで 来て、なんとかしてねばって、生きていなければならぬと思いかえします。こないだうち、泣くと耳にわるいと思って、がまんにがまんしていた涙を、つい二、三日前 、こらえ切れなくなって、いちどに、滝のように流しましたら、気分がいくらか楽になりました。もういまでは、耳の聞えない事に、ほんの少し、あきらめも出て来 ましたが、悪くなりはじめの頃は、半狂乱でしたの。一日のうちに、何回も何回も、火箸(ひばし)でもって火鉢 のふちをたたいてみます。音がよく聞えるかどうか、ためしてみるのです。夜中でも、目が覚めさえすれば、すぐに寝床に腹這いになって、ぽんぽん火鉢 をたたいてみます。あさましい姿です。畳を爪(つめ)でひっかいてみます。なるべく聞きとりにくいような音をえらんでやってみるのです。人がたずねて来 ると、その人に大きな声を出させたり、ちいさい声を出させたり、一時間も二時間も、しつこく続けて注文して、いろいろさまざま聴力をためしてみるので、お客様 たちは閉口して、このごろは、あんまりたずねて来なくなりました。夜おそく、電車通 りにひとりで立っていて、すぐ目の前を走って行く電車の音に耳をすましていることもありました。
  もう今では、電車の音も、紙を引き裂くくらいの小さい音になりました。間も無く、なんにも聞えなくなるのでしょう。からだ全体が、わるいようです。毎夜、お寝巻 を三度も取りかえます。寝汗でぐしょぐしょになるのです。いままでかいた絵は、みんな破って棄てました。一つ残さず棄てました。私の絵は、とても下手だったのです。あなただけが、本当の事をおっしゃいました。他の人は、みんな私を、おだてました。私は、出来る事なら、あなたのように、まずしくとも気楽な、 芸術家の生活をしたかった。お笑い下さい。私の家は破産して、母も間もなく死んで、父は北海道へ逃げて行きました。私は、草田 の家にいるのが、つらくなりました。その頃から、あなたの小説を読みはじめて、こんな生きかたもあるか、と生きる目標が一つ見つかったような気がしていました。私も、あなたと同じ、まずしい子です。あなたにお逢いしたくなりました。 三年前のお正月に、本当に久し振りにお目にかかる事が出来て、うれしゅうございました。私は、あなたの気ままな酔 いかたを見て、ねたましいくらい、うらやましく思いました。これが本当の生きかただ。虚飾も世辞もなく、そうしてひとり誇りを高くして生きている。こんな生きかたが、いいなあと思いました。けれども私には、どうする事も出来ません。そのうちに主人が私に絵をかく事をすすめて、私は主人を信じていますので、(いまでも私は主人を愛しております)中泉さんのアトリエに通う事になりましたが、たちまち皆さんの熱狂的な賞讃の的(まと)になり、はじめは私もただ当惑いたしましたが、主人まで 真顔になって、お前は天才かも知れぬなどと申します。私は主人の美術鑑賞眼をとても尊敬していましたので、とうとう私も逆上し、かねてあこがれの芸術家 の生活をはじめるつもりで家を出ました。ばかな女ですね。中泉さんのアトリエにかよっている研究生たちと一緒に、二、三日箱根 で遊んで、その間に、ちょっと気にいった絵が出来ましたので、まず、あなたに見ていただきたくて、いさんであなたのお家へまいりましたのに、思いがけず、さんざんな目に逢いました。私は恥ずかしゅうございました。あなたに絵を見てもらって、ほめられて、そうして、あなたのお家の近くに 間借りでもして、お互いまずしい芸術家としてお友だちになりたいと思っていました。私は狂っていたのです。あなたに面罵(めんば)せられて、はじめて私は、正気になりました。自分の 馬鹿 を知りました。わかい研究生たちが、どんなに私の絵を褒めても、それは皆あさはかなお世辞で、かげでは舌を出しているのだという事に気がつきました。けれどもその時には、もう、私の生活が 取りかえしのつかぬところまで落ちていました。引き返すことが出来なくなっていました。落 ちるところまで落ちて見ましょう。私は毎晩お酒を飲みました。わかい研究生たちと徹夜で騒ぎました。焼酎(しょうちゅう)も、ジンも飲みました。きざな、ばかな女ですね。
  愚痴(ぐち)は、もう申しますまい。私は、いさぎよく罰を受けます。窓のそとの樹の枝のゆれぐあいで、風がひどいなと思っているうちに、雨が横なぐりに降って来 ました。雨の音も、風の音も、私にはなんにも聞えませぬ。サイレントの映画のようで、おそろしいくらい、淋しい夕暮です。この手紙に御返事 は要りませんのですよ。私のことは、どうか気になさらないで下さい。淋しさのあまり、ちょっと書いてみたのです。あなたは平気でいらして下さい。――
  手紙には、アパートのところ番地も認められていた。僕は出掛けた。
  小綺麗なアパートであったが、静子さんの部屋は、ひどかった。六畳間で、そうして部屋には何もなかった。火鉢と机、それだけだった。畳は赤ちゃけて、しめっぽく、部屋 は日当りも悪くて薄暗く、果物の腐ったようないやな匂いがしていた。静子さんは、窓縁に腰かけて笑っている。さすがに身なりは、きちんとしている。顔にも美しさが残っている。 二箇月前 に見た時よりも、ふとったような感じもするが、けれども、なんだか気味がわるい。眼に、ちからが無い。生きている人の眼ではなかった。瞳(ひとみ)が灰色に濁っている。
 「無茶ですね!」と僕は叫ぶようにして言ったのであるが、静子さんは、首を振って、笑うばかりだ。もう全く聞えないらしい。僕は机の上の用箋に、「草田 ノ家ヘ、カエリナサイ」と書いて静子さんに読ませた。それから二人の間に、筆談がはじまった。静子さんも机の傍に坐って熱心に書いた。
 草田ノ家ヘ、カエリナサイ。
  スミマセン。
 トニカク、カエリナサイ。
  カエレナイ。
 ナゼ?
  カエルシカク、ナイ。
 草田サンガ、マッテル。
  ウソ。
 ホント。
  カエレナイノデス。ワタシ、アヤマチシタ。
 バカダ。コレカラドウスル。
  スミマセン。ハタラクツモリ。
 オ金、イルカ。
  ゴザイマス。
 絵ヲ、ミセテクダサイ。
  ナイ。
 イチマイモ?
  アリマセン。
  僕は急に、静子さんの絵を見たくなったのである。妙な予感がして来た。いい絵だ、すばらしくいい絵だ。きっと、そうだ。
 絵ヲ、カイテユク気ナイカ。
  ハズカシイ。
 アナタハ、キットウマイ。
  ナグサメナイデホシイ。
 ホントニ、天才カモ知レナイ。
  ヨシテ下サイ。モウオカエリ下サイ。
  僕は苦笑して立ちあがった。帰るより他はない。静子夫人は僕を見送りもせず、坐ったままで、ぼんやり窓の外を眺めていた。
  その夜、僕は、中泉画伯のアトリエをおとずれた。
 「静子さんの絵を見たいのですが、あなたのところにありませんか。」
 「ない。」老画伯は、ひとの好さそうな笑顔で、「御自分で、全部破ってしまったそうじゃないですか。天才的だったのですがね。あんなに、わがままじゃいけません。」
 「書き損じのデッサンでもなんでも、とにかく見たいのです。ありませんか。」
 「待てよ。」老画伯は首をかたむけて、「デッサンが三枚ばかり、私のところに残っていたのですが、それを、あのひとが此の間やって来 て、私の目の前で破ってしまいました。誰か、あの人の絵をこっぴどくやっつけたらしく、それからはもう、あ、そうだ、ありました、ありました、まだ一枚のこっています。うちの 娘が、たしか水彩を一枚持っていた筈です。」
 「見せて下さい。」
 「ちょっとお待ち下さい。」
  老画伯は、奥へ行って、やがてにこにこ笑いながら一枚の水彩を持って出て来て、
 「よかった、よかった。娘が秘蔵していたので助かりました。いま残っているのは、おそらく此の水彩いちまいだけでしょう。私は、もう、一万円でも手放しませんよ。」
 「見せて下さい。」
  水仙の絵である。バケツに投げ入れられた二十本程の水仙の絵である。手にとってちらと見てビリビリと引き裂いた。
 「なにをなさる!」老画伯は驚愕(きょうがく)した。
 「つまらない絵じゃありませんか。あなた達は、お金持 の奥さんに、おべっかを言っていただけなんだ。そうして奥さんの一生を台無しにしたのです。あの人をこっぴどくやっつけた男というのは僕です。」
 「そんなに、つまらない絵でもないでしょう。」老画伯は、急に自信を失った様子で、「私には、いまの新しい人たちの画は、よくわかりませんけど。」
  僕はその絵を、さらにこまかに引き裂いて、ストーヴにくべた。僕には、絵がわかるつもりだ。草田氏 にさえ、教える事が出来るくらいに、わかるつもりだ。水仙の絵は、断じて、つまらない絵ではなかった。美事だった。なぜそれを僕が引き裂いたのか。それは読者の推量 にまかせる。静子夫人は、草田氏の手許に引きとられ、そのとしの暮に自殺した。僕の不安は増大する一方である。なんだか天才の絵のようだ。おのずから忠直卿 の物語など思い出され、或(あ)る夜ふと、忠直卿 も事実素晴らしい剣術の達人だったのではあるまいかと、奇妙な疑念にさえとらわれて、このごろは夜も眠られぬくらいに不安である。二十世紀 にも、芸術の天才が生きているのかも知れぬ。

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Posted by 문학관 관리인 위어조자(謂語助者)

수선화(水仙)

다자이 오사무(太宰 治) (1942)

번역 : 위어조자

‘타다나오 경 행상기(忠直卿行狀記)’라는 소설을 읽은 것은 내가 13세인가 14세 정도의 일로, 그 때 이후 다시 읽을 기회가 없었으나, 그 한 편의 줄거리만은 20년이 지난 지금도 여전히 잊지 않고 기억하고 있다. 매우 슬픈 이야기였다.

검술이 뛰어난 젊은 주군이 부하들과 시합을 하고는 완승을 거두고 매우 기분이 좋아 정원을 산책하고 있었더니, 어디선가 속삭이는 소리가 정원 어둠 속에서 들려왔다.

“주군께서도 요즘은 꽤 솜씨가 좋아지셨어. 져주는 쪽도 편해졌다니까.”

“으하하하.”

 부하들의 부주의한 사담이었다.

이것을 듣고 주군은 돌변했다. 사실을 알고 싶어 어쩔 줄을 몰라 했다. 부하들에게 진검승부를 요구했다. 그러나 부하들은 진검승부에 있어서도 전심으로 싸워주지 않았다. 어이없게 주군이 이기고 부하들은 죽어간다. 주군은 완전히 돌았다. 이미 끔찍한 폭군이다. 결국은 집안도 망하고 스스로도 감금당하기에 이른다.

분명 그와 같은 줄거리로 생각되나, 그 주군을 나는 잊을 수가 없었다. 가끔 떠올리고는 한숨을 쉬곤 했다.

그러나 최근 기이한 의심이 문득 떠올라, 과장이 아니라 밤에 잠도 못 이룰 정도로 불안해지기 시작했다. 그 주군은 정말 훌륭한 검술의 달인이 아니었을까. 부하들도 일부러 져준 것이 아니라 정말로 주군 실력을 당해내지 못한 것이 아닐까. 정원에서 들려온 사담도 부하들의 비겁한 핑계에 지나지 않은 것이 아닐까. 있을 수 있는 일이다. 우리들도 대단한 선배들로부터 처참하게 자신들의 일에 대해 모욕을 당하고 그 선배의 높은 정열과 올바른 감각에 탄복하고서도, 그 선배와 헤어진 후에는,

“저 선배도 요즘은 꽤 신이 나 보이는군. 이제 치켜세워줄 필요도 없겠어.”

“으하하하.”

이와 같은 실로 치사한 사담을 나누었던 밤이 없지는 않았다. 그것은 있을 수 있는 일이다. 부하라는 이들은 그 인품에 있어서 항상 주군보다 못하다. 그 정원에서의 사담도 부하들의 되지도 않는 자존심을 만족시키기 위한, 지저분한 핑계에 지나지 않았던 것이 아닐까. 그렇다면 소름이 끼친다. 주군은 진실을 이미 가지고 있으면서 진실을 좇기 위해 미친 것이다. 주군은 사실 검술의 달인이었던 것이다. 부하들은 절대 일부러 진 것이 아니었다. 정말로 당해내지 못했던 것이다. 그렇다면 주군이 이기고 부하가 진다는 것은 당연한 일로서, 후에 여러 문제가 생기지 않았을 수도 있었으나, 역시 크나큰 참사가 일어나고 말았다. 주군이 스스로의 실력에 대해 확고부동한 자신감을 가지고 있었다면 아무런 이변도 일어나지 않고 모두가 평화로웠을지도 모르나, 본래 천재는 스스로의 진가를 알지 못한다고 한다. 스스로의 힘을 믿을 수 없다. 이 점에 천재의 번민과 깊은 시름이 있는 것이겠으나, 나는 속물인 범재(凡才)이므로 그러한 것에 대해서는 설명하지 못한다. 아무튼 주군은 자신의 실력에 절대적인 신뢰를 둘 수 없었다. 사실 달인의 탁월한 실력을 가지고 있었으나 믿을 수 없어 미쳐버렸다. 주군이라는 격리된 신분에 의한 불행도 분명 있었으리라. 나와 같은 서민이었더라면,

“너는 나를 훌륭하다고 생각하냐.”

“아닙니다.”

“그렇군.”

이것으로 끝날 일도 주군 정도가 되면 그렇지 못하다. 천재의 불행, 주군의 불행이라는 식으로 생각하면 점점 나 자신의 불안감이 커질 뿐이다. 비슷한 참사가 내 주변에 있어서도 일어난 것이다. 그 사건 때문에 나는 그 ‘타다나오 경 행상기’를 또다시 떠올렸고, 그리고는 밤새도록 문득 두려운 마음에 사로잡히거나 하여 이것저것 생각하다가, 과장이 아니라 밤에 잠을 이룰 수 없을 정도로 불안해지고 말았다. 그 주군은 정말로 훌륭한 검술을 가지고 있어 매우 강하지 않았을까. 그러나 문제는 이미 그 주군에 대한 것이 아니다.

내게 있어서 타다나오 경은 33세의 여성이다. 그리고 내 역할은 그 정원에서 치졸하게 핑계를 대고 있던 부하였는지도 모르므로 점점 더 답답해지는 이야기이다.

쿠사다 소오베에(草田惣兵衛) 씨의 부인 쿠사다 시즈코(草田靜子). 이 사람이 갑자기 “나는 천재다”라고 하며 가출했다고 하니 놀랐다. 쿠사다 씨 댁과 내 본가와는 친척은 아니지만 그래도 대대로 서로 친하게 교제해왔다. 교제라고 하면 듣기 좋을지는 모르나, 실상은 내 본가 사람들은 쿠사다 씨 댁에 출입을 허락받았다고 하는 편이 낫다. 이른바 신분도 재산도 내 본가와는 천지 차이다. 말하자면 내 본가 쪽에서 교제를 부탁드리고 있는 격이다. 그야말로 주군과 부하이다. 당대 소오베에 씨는 아직 젊다. 젊다고는 하나 이미 40은 넘었다. 동경제국대학 경제학과를 졸업하고 프랑스로 건너가 5, 6년 놀다 일본으로 돌아오자 곧바로 먼 친척 집안(이 집은 얼마 지나지 않아 몰락했다) 의 외동딸 시즈코 씨와 결혼했다. 부부 사이도 그럭저럭 원만하다고 할 수 있는 상태였다. 1녀를 두고 ‘하리코(玻璃子)라고 이름을 붙였다. ‘파리’에서 따왔다고 한다. 소오베에 씨는 세련된 사람이다. 키도 크고 당당한 미남이다. 항상 웃고 있었다. 좋은 서양화를 많이 가지고 있다. 드가 작품인 경마 그림은 그 중에서 가장 자랑스러워했다. 그러나 자신의 취미에 대한 고상함은 전혀 드러내지 않는다. 미술에 관한 이야기도 자주 하지 않았다. 매일 자신이 경영하는 은행으로 출근하고 있었다. 요컨대 일류 신사였다. 6년 전에 선대(先代)가 타계하자 곧바로 소에베에 씨가 쿠사다 가문을 이어받은 것이다.

부인은, ― 아아, 이런 구구한 설명을 하는 것보다 몇 년 전에 있었던 어느 작은 사건을 말하자. 그것이 더 빠르다. 3년 전 정월, 나는 쿠사다 댁에 새해인사차 방문했다. 나는 친구들로부터 종종 그 점을 지적 받곤 하지만, 상당히 모가 난 면이 있다. 특히 8년 전 사정이 있어 집을 떠나고 나 홀로 극빈에 가까운 나날을 보내기 시작하고부터는 훨씬 더 솔직하지 못한 성격이 강해진 듯하다. 남들로부터 모욕당하지는 않을까 하고 흩날리는 낙엽처럼 끊임없이 목숨 걸고 바들바들 긴장하고 있다. 허접한 악한이다. 나는 쿠사다 집에 웬만해서는 가지 않는다. 본가 어머니나 형님은 지금도 간혹 쿠사다 댁을 찾아뵙는 것 같지만, 나만은 안 간다. 고등학교 무렵까지는 나도 아무 생각 없이 놀러가곤 했으나 대학에 들어가고 나서는 이제 가기가 싫어졌다. 쿠사다 댁 사람들은 모두 좋은 사람들뿐이지만 왠지 가기가 싫다. 부자는 싫다는 단순한 사상을 갖기 시작한 것이다. 그런데 왜 3년 전 정월에는 새해인사 같은 것을 하러 갔는가 하니, 그것은 나 자신이 못났기 때문이다. 그 전해 12월, 쿠사다 부인으로부터 내게 갑자기 초청장이 날라 온 것이다.

― 오랫동안 뵙지 못했습니다. 내년 정월에는 꼭 놀러와 주시기 바랍니다. 남편도 기다리고 있습니다. 남편도 저도 당신 소설의 독자입니다.

마지막 한 문구에 나는 흥이 나고 말았다. 부끄러운 노릇이다. 그 무렵 내 소설도 조금씩 팔리기 시작했다. 고백하건대 나는 그 무렵 목에 힘이 들어갔었다. 위험한 시기였던 것이다. 들뜬 기분으로 있었을 때 쿠사다 부인으로부터 초청장이 와서는 당신 소설 독자라는 말까지 들었으니 말이다. 회심의 미소를 짓고는 초청해주셔서 감사합니다 운운 하고 힘껏 멋을 낸 답장을 보내고서, 그리고 이듬해 정월 초하루에 어슬렁어슬렁 찾아가서는 보란 듯이 정수리가 쪼개지는 듯한 대치욕(大恥辱)을 받고 귀가했다.

그날 쿠사다 댁에서는 매우 나를 환대해주었다. 인사차 들른 다른 손님에게도 일일이 나를 ‘유행작가’라며 소개하는 것이다. 나는 그것을 야유, 모욕의 말이라고 생각하기는커녕, 어쩌면 나는 이미 유행작가일지도 모른다고 착각할 정도였으니 할 말이 없다. 치졸했다. 나는 취했다. 소오베에 씨를 상대로 만취했다. 물론 취한 것은 나 혼자였으며 소에베에 씨는 아무리 마셔도 얼굴색 하나 변하지 않고, 그리고 힘없이 억지로 미소 지으며 내 문학담을 듣고 있었다.

“자, 사모님.” 하고 나는 신이 나서 부인에게 술잔을 내밀었다. “어떠세요?”

“됐어요.” 부인은 차갑게 대답했다. 그것이 말로 표현할 수 없을 정도로, 뼛속에 사무치듯 냉엄한 말투였다. 한없는 경멸감이 그 단 한마디에 담겨져 있었다. 나는 긴장했다. 술도 깼다. 그러나 쓴 웃음을 지으며,

“아, 실례. 제가 취했나봅니다.”라며 슬쩍 말을 던지고는 그 자리를 얼버무렸으나 창자가 뒤집혔다. 그리고 또 하나. 나는 더 이상 술을 마시고 싶지도 않아 밥을 먹기로 했다. 바지락국이 맛있었다. 열심히 조갯살을 젓가락으로 끄집어내어 먹고 있었더니,

“어머.” 부인이 작게 놀란 소리를 냈다. “그런 걸 드셔도 아무렇지도 않으세요?” 무심한 질문이다.

나도 모르게 젓가락과 밥그릇을 떨어뜨릴 뻔했다. 그 조개는 먹는 게 아니었던 것이다. 바지락국은 그저 그 국물만을 먹어야 한다. 바지락은 국거리이다. 가난한 자에 있어서는 이 바지락 살이라도 꽤 맛이 있으나 상류층 사람들에게는 이 조갯살이 매우 지저분한 것으로서 버리는 것이다. 그러고 보니 바지락 살은 배꼽 같아서 못생겼다. 나는 아무런 대답도 할 수 없었다. 무심하게 놀란 모습이었으니 가슴이 아팠다. 어울리지 않게 고상한 척 하며 그런 질문을 던졌다면 나도 할 말은 있다. 그러나 그 목소리는 순전히 진심으로 순수한 놀라움이었기에 나는 말문이 막혔다. 허접한 ‘유행작가’는 젓가락과 밥그릇을 들고 고개를 숙인 채 말을 잃었다. 눈물이 쏟아져 나왔다. 그토록 심한 치욕을 받은 일은 없었다. 그날 이후 나는 쿠사다 댁에 가지 않는다. 쿠사다 댁만이 아니라 그 후로는 다른 부잣집에도 가급적 안 가기로 했다. 그리고 나는 오기가 생겨 가난하고 지저분한 생활을 계속했다.

작년 9월, 내 초라한 현관에 뜻밖의 손님이 서 있었다. 쿠사다 소오베에 씨였다.

“시즈코가 오지 않았나요?”

“아니요.”

“정말인가요?”

“왜 그러시죠?” 내가 반문했다.

무슨 일이 있었던 것 같다.

“집은 어질러져 있으니 밖으로 나가시죠.” 지저분한 집안을 보여주기 싫었다.

“그러시죠.” 쿠사다 씨는 얌전히 고개를 끄덕이고서 내 뒤를 따라왔다.

잠시 걸으면 이노가시라(井の頭) 공원이 나온다. 공원 숲속을 걸으며 쿠사다 씨는 말했다.

“일이 잘 안 풀립니다. 이번에는 실수였습니다. 약발이 너무 먹혔습니다.” 부인이 가출했다고 한다. 그 원인이 실로 어이없다. 몇 년 전에 처가가 파산했다. 그로부터 부인은 이상하게 차갑고 내성적이 되었다. 친정의 파산을 큰 치욕으로 받아들인 것 같다. 대단한 일도 아니라며 위로해도 점점 더 비뚤어지기 일쑤였다고 한다. 그 말을 듣고 나도 정초에 그 “됐어요”라고 했던 기이하고도 냉엄함이 이해할 수 있었다. 시즈코 씨가 쿠사다 댁으로 시집 온 것은 내가 고등학교에 다니고 있을 시절이었으며, 그 무렵은 나도 아무렇지 않게 자주 쿠사다 댁으로 놀러갔으며, 새색시였던 시즈코 씨와 대화를 나누며 함께 영화를 보러 간 적도 있었으나, 그 무렵의 새색시는 절대 그런, 가시 돋친 말을 할 사람이 아니었다. 무지할 정도로 밝게 웃는 사람이었다. 그날 정초에 모처럼 얼굴을 맞대고는 곧바로 나는 ‘변했다’고 생각했으나 그것은 역시 친정의 파산이라는 슬픔이 그 분을 그토록 심하게 변화시키고 만 것이 분명했다.

“히스테리군요.” 나는 ‘흥’ 하고 웃으며 말했다.

“글쎄요. 그게.” 쿠사다 씨는 내 경멸을 눈치 채지 못했는지 심각하게 “아무튼 제 잘못입니다. 제가 너무 추켜세웠습니다. 약발이 너무 지나쳤습니다.” 쿠사다 씨는 부인을 위로하는 한 방법으로 부인에게 서양화를 배우도록 했다. 일주일에 한 번씩 이웃집 나카이즈미 카센 (中泉花仙)이라고 하는, 이미 예순이 다 된, 제대로 그릴 줄도 모르는 노 화백의 아틀리에에 다니게 했다. 그리고부터 부인을 칭찬했다. 쿠사다 씨를 비롯하여 그 나카이즈미라는 늙은이 화백, 그리고 나카이즈미의 아틀리에에 다니고 있는 젊은 연구생들, 나아가 쿠사다 집에 출입하는 이 사람 저 사람 닥치는 대로 하나같이 부인 그림을 칭찬하였더니 끝내는 부인이 도취하여 “나는 천재다”는 말을 남기고 가출했다고 하는데, 나는 이야기를 들으면서 몇 번이고 웃음이 터져 나올 것만 같아 혼이 났다. 말 그대로 약발이 지나쳤다. 부잣집 가정에서나 있을 수 있는 어리석은 희극이다.

“언제 뛰쳐나갔습니까?” 나는 이미 쿠사다 부부를 얕보고 있었다.

“어제입니다.”

“그렇다면 그리 소란 피울 일도 아니잖습니까. 제 마누라도 제가 너무 술을 마시면 친정으로 내려가 하룻밤 지내고 올 때가 있습니다.”

“그것과 이것은 다릅니다. 시즈코는 예술가로서 자유로운 생활을 하고 싶다고 했습니다. 돈을 많이 가지고 나갔습니다.”

“많이요?”

“조금 많습니다.”

쿠사다 씨 정도 되는 부자가 조금 많다고 하니 5천 엔, 아니면 1만 엔 정도일지 모른다고 나는 생각했다.

“그것 참 큰일이군요.” 조금 흥미가 생겼다. 가난뱅이에게 있어서 돈 이야기에 무관심할 수는 없었다.

“시즈코는 당신 소설을 항상 읽고 있었으니 분명 당신을 찾아뵙지 않았을까 하고…….”

“그런 말씀 마세요. 저한테는…….” 적(敵)입니다, 라고 말하려 했으나 항상 웃고 있던 쿠사다 씨가 오늘만은 파랗게 질려 있는 모습을 눈앞에 두고 말문이 막혔다.

키치죠지(吉祥寺) 역전에서 헤어졌으나, 헤어지기 전에 나는 쓴 웃음을 지으며 물었다.

“대체 어떤 그림을 그리시죠?”

“특이합니다. 정말 천재 같은 구석도 있어요.” 뜻밖의 대답이었다.

“그래요?” 나는 말을 이을 수 없었다. 못 말리는, 어리석기 짝이 없는 부부라는 생각이 들어 어이가 없었다.

그로부터 3일째였을까. 우리 천재여사께서는 물감가방을 들고 내 집 앞에 나타났다. 파란색 작업복처럼 생긴 볼품없는 옷을 입고 있다. 끔찍할 정도로 얼굴이 여위고 눈이 기이하게 커져 있었다. 그러나 이른바 일류 귀부인의 품위는 사라지지 않았다.

“들어오세요.” 나는 일부러 거칠게 말했다. “어디 다녀오시는 거죠? 쿠사다 씨가 매우 걱정하고 계셨습니다.”

“당신은 예술가인가요?” 현관에 선 채로 딴 데를 쳐다보며 중얼거렸다. 그 차갑고 거만한 말투였다.

“무슨 말씀이세요. 멋 떨어진 말씀은 그만 하십시오. 쿠사다 씨도 당혹스러워하고 계셨어요. 하리코 짱이 있다는 것을 잊으셨나요?”

“아파트를 찾고 있는데요.” 부인은 내 말을 완전히 묵살하고 있다. “이 근처에 없을까요?”

“사모님. 어떻게 되신 게 아니세요? 남들이 비웃습니다. 그만 하세요.”

“혼자 일을 하고 싶어요.” 부인은 전혀 반성할 기색이 없다. “집을 한 채 빌려도 괜찮은데.”

“약발이 너무 들었다고 쿠사다 씨도 후회하고 계셨어요. 20세기에는 예술가도 천재도 없어요.”

“당신은 속물이군요.” 태연한 표정으로 말했다. “쿠사다가 훨씬 더 이해력이 있습니다.”

나에 대해서 이렇게 실례를 하는 손님은 집으로 돌려보낸다. 내게는 한 가지 신념이 있다. 아무도 알아주지 않더라도 상관없다. 싫으면 오지 마라.

“당신은 왜 오셨죠? 돌아가시는 게 어떠신가요?”

“가겠습니다.” 조금 웃고는, “그림을 보여드릴까요?”

“됐습니다. 대충 알고 있습니다.”

“그래요?” 내 얼굴을 정말 뚫어지도록 바라보았다. “안녕히.”

돌아갔다.

이 무슨 노릇인가. 저 사람은 분명 나와 동갑이다. 12, 3살 되는 아이도 있다. 칭찬 받고 발광했다. 칭찬하는 사람도 문제다. 불쾌한 사건이다. 나는 이 사건에 대해 공포심마저 느꼈다.

그리고 약 2개월간 시즈코 부인의 내방은 없었으나 쿠사다 소오베에 씨로부터는 그동안 5, 6차례 편지를 받았다. 매우 난처해하는 것 같다. 시즈코 부인은 그 후 아카사카(赤板)에 있는 아파트에서 기거하고 있으며, 처음에는 조용히 나카이즈미 화백의 아틀리에를 다녔으나 점차 그 노 화백까지 경멸하고, 그림 공부는 거의 안한 채 화백 아틀리에에 있는 젊은 연구생들을 자신의 아파트로 불러모아놓고 그 연구생들의 칭찬에 취해 매일 밤 신이 나서 소란을 피웠다. 쿠사다 씨는 수치를 무릅쓰고 홀로 아카사카에 있는 아파트를 찾고 집으로 돌아가도록 간청했으나 소용없었다. 시즈코 부인은 상대도 해주지 않았으며, 둘러싼 연구생들에게조차 천재의 적으로서 공격을 받고는, 나아가 가지고 있던 돈까지 빼앗겼다. 세 번 찾아갔으나 세 번 모두 같은 꼴을 당했다. 이제 지금에 와서는 쿠사다 씨도 각오하고 있었다. 그렇다고는 하나 하리코가 불쌍했다. 어떻게 하면 좋을까. 남자로서 이토록 괴로운 처지는 없다며 마흔을 넘은 일류신사인 쿠사다 씨가 내게 편지로 호소하는 것이다. 하지만 나도 언젠가 쿠사다 댁에서 받은 그 큰 치욕을 잊지 않았다. 나는 때때로 스스로 생각해도 무서울 정도로 강한 집념을 품는 경우가 있다. 한 번 받은 치욕을 어떻게 해도 잊을 수가 없다. 쿠사다 댁에서 일어난 이번 불행에 동정하는 마음이 조금도 생기지 않는 것이다. 쿠사다 씨는 내게 재차 “제발 시즈코 좀 어떻게 설득해주세요.”라는 편지가 오는데도 나는 움직이기 싫었다. 부자들의 심부름꾼이 되기는 싫다. “사모님께서는 저를 매우 경멸하고 계시므로 아무런 도움이 되지 않습니다.”라며 항상 거절하고 있었다.

12월 초, 정원에 애기동백이 피기 시작할 무렵이었다. 그날 아침 나는 시즈코 부인으로부터 편지를 받았다.

― 귀가 안 들리게 되었습니다. 나쁜 술을 많이 마셔서 중이염에 걸린 것입니다. 병원에도 갔었으나 이미 늦었다고 합니다. 주전자가 쉭쉭 거리며 물 끓는, 그 소리도 안 들립니다. 창밖에서 나뭇가지가 낙엽을 뿌리며 흔들리고 있지만, 아무런 소리도 나지 않습니다. 이제 죽을 때까지 들을 수가 없습니다. 사람 목소리도 땅속에서 울리는 것처럼 들릴 뿐입니다. 이것도 이제 전혀 안 들리게 되겠지요. 소리를 들을 수 없다는 일이 얼마나 쓸쓸하고 안타까운 것인지 이번에는 정말 통감했습니다. 시장에 가서 제가 소리를 잘 듣지 못한다는 사실을 모르는 사람들이 평소대로 말하는 것을 저는 무슨 말을 하는지 전혀 이해할 수 없어 슬퍼집니다. 저를 위안하기 위해 귀가 안 좋은 이 사람 저 사람에 대해 떠올리며 간신히 하루하루를 살고 있습니다. 요즘 자주 죽고 싶다는 생각을 합니다. 그리고는 하리코를 생각하고, 어떻게 해서든 끈질기게 살아야겠다고 다시 마음을 가다듬습니다. 얼마 전에는 울면 귀에 좋지 않을 것 같아 참고 참던 눈물을 불과 2, 3일 전 도저히 참을 수 없어 한 번에 폭포수처럼 울어버리자 조금 마음이 편해졌습니다. 이제 지금에 와서는 귀로 들을 수 없다는 것에 대해 아주 조금 단념하게 되었으나, 나빠지기 시작했을 때는 거의 미칠 지경이었습니다. 하루 중에 몇 번이고 부젓가락으로 화로를 두들겨봅니다. 소리가 잘 들리는지 시험해보는 것입니다. 밤중에도 눈만 뜨면 바로 잠자리에 엎드린 채로 ‘탕탕’ 하며 화로를 두드려봅니다. 비참한 모습입니다. 바닥을 손톱으로 긁어봅니다. 가급적 알아듣기 쉬운 소리를 골라 해봅니다. 사람이 찾아오면 그 사람에게 큰 소리나 작은 소리를 내게 하거나, 한 시간이고 두 시간이고 집요하게 계속 주문하기도 하며, 여러 가지 청력을 시험해보기에 손님들은 난처해하여 요즘은 별로 찾아오지 않게 되었습니다. 밤늦게 철도 옆에 홀로 서서, 바로 앞을 달려가는 전철 소리에 귀를 기울인 적도 있습니다.

이제 지금은 전철 소리도 종이를 찢을 때 나는 것처럼 작은 소리가 되고 말았습니다. 이제 곧 아무런 소리도 안 들리게 되겠지요. 몸 전체가 나빠진 것 같습니다. 매일 밤 잠옷을 세 번이나 갈아입습니다. 땀 때문에 축축해집니다. 지금까지 그린 그림은 모두 찢어버렸습니다. 하나도 남김없이 버렸습니다. 제 그림은 너무나도 형편없었습니다. 당신만이 사실을 말씀해주셨습니다. 다른 사람들은 모두 저를 치켜세웠습니다. 저는 가능하다면 당신처럼, 가난하더라도 마음 편안한 예술가 같은 생활을 하고 싶었습니다. 비웃어주세요. 저희 집은 파산하고 어머니도 바로 타계하셨으며 아버지는 홋카이도(北海道)로 도망가셨습니다. 저는 쿠사다 집에 있는 것이 마음 아팠습니다. 그 무렵부터 당신 소설을 읽기 시작하고, 이런 삶도 있구나 하며 생의 목표를 하나 찾은 것 같았습니다. 저도 당신과 마찬가지인 가난한 아이입니다. 당신을 만나고 싶었습니다. 3년 전 정초에 정말 오랜만에 뵐 수 있어서 기뻤습니다. 저는 당신의 자유롭게 취한 모습이 질투가 날 정도로 부러웠습니다. 이것이 참된 삶의 방식이다. 허식도 가식적인 말도 없으며 그리고 홀로 강한 자긍심을 가지고 살아가는, 그런 삶에 대해 동경했습니다. 그러나 제게는 어떻게 할 수 없습니다. 그러던 중 남편이 제게 그림 그릴 것을 권유하여, 저는 남편을 믿고 있기에 (지금도 저는 남편을 사랑하고 있습니다), 나카이즈미 씨가 있는 아틀리에에 다니게 되었습니다만, 그러자마자 많은 분들의 열광적인 찬사가 쏟아지고, 처음에는 그저 당혹스러워했으나 남편까지 진지하게 너는 천재일지도 모른다고 했습니다. 저는 남편이 가지고 있는 미술적 안목을 매우 존경하고 있었으므로, 결국 저도 흥분하여 그동안 동경하던 예술가로서의 생활을 시작하기로 마음먹고 집을 나왔습니다. 어리석은 여자죠. 나카이즈미 씨 아틀리에에 다니고 있는 연구생들과 함께 2, 3일 동안 하코네(箱根)에서 놀고, 그 동안 조금 마음에 드는 그림이 그려졌기에 우선 당신에게 보여드리고 싶어 서둘러 당신을 찾아왔으나 뜻밖에도 참담한 꼴을 당했습니다. 저는 부끄러웠습니다. 당신에게 그림을 보여드리고 칭찬 받고 나서, 그리고 당신이 살고 있는 집 근처에 방이라도 빌려, 서로 간에 가난한 예술가로서 친구가 되고 싶다는 생각을 했습니다. 저는 제정신이 아니었던 것입니다. 당신으로부터 면박을 받고 비로소 정신을 차렸습니다. 스스로의 어리석음을 깨달았습니다. 젊은 연구생들이 아무리 제 그림을 칭찬해도 그것은 겉치레에 불과했으며 안 보이는 곳에서는 놀리고 있다는 것을 알게 되었습니다. 하지만 그 때는 이미 제 생활이 되돌릴 수 없을 지경까지 타락하고 말았습니다. 돌이킬 수 없게 되어버렸습니다. 타락할 때까지 타락해보자. 저는 매일 밤 술을 마셨습니다. 소주나 진도 마셨습니다. 겉멋 들린 바보 같은 여자입니다.

넋두리는 이제 말씀드리지 않겠습니다. 저는 겸허하게 벌을 받겠습니다. 창밖에서 나뭇가지가 많이 흔들린다 했더니 비바람이 몰아쳐왔습니다. 빗소리도 바람소리도 제게는 아무것도 들리지 않습니다. 무성영화 같아서 무서울 정도로 쓸쓸한 저녁입니다. 이 편지에 답장은 필요 없어요. 저에 대한 일은 이제 신경 쓰지 마세요. 너무 쓸쓸한 나머지 잠시 써본 것입니다. 당신께서는 잘 지내주시기 바랍니다. ―

편지에는 아파트 번지수까지 적혀 있었다. 나는 집을 나섰다.

깔끔한 아파트였으나 시즈코 씨가 사는 방은 형편없었다. 여섯 평 남짓한 방이었으며, 그리고 방에는 아무 것도 없었다. 화로와 책상. 그것뿐이었다. 다다미는 벌겋고 축축했으며, 방안에는 햇빛도 들지 않아 어두컴컴했고 과일 썩은 냄새가 났다. 시즈코 씨는 창가에 걸터앉아 웃고 있었다. 역시 옷차림은 단정했다. 얼굴에도 아름다움이 남아 있다. 2개월 전에 보았을 때보다 살이 붙은 것 같긴 했지만 어딘지 모르게 무섭게 느껴진다. 눈에 힘이 없다. 살아 있는 사람의 눈이 아니었다. 눈망울이 회색빛처럼 탁했다.

“어떻게 이럴 수가요!” 나는 소리치듯 말했으나 시즈코 씨는 고개를 저으며 웃고 있을 뿐이었다. 이제 전혀 안 들리는 것 같다. 나는 책상 위에 있던 종이에 “쿠사다 씨 댁으로 돌아가세요.”라고 적고는 시즈코 씨에게 보였다. 그리고는 둘 사이에 필담이 시작했다. 시즈코 씨도 책상 옆으로 와서 앉아 열심히 적었다.


쿠사다 씨 댁으로 돌아가세요.

    죄송합니다.

일단 돌아가세요.

    돌아갈 수 없어요.

왜요?

    돌아갈 자격 없어요.

쿠사다 씨가 기다리고 있어요.

    거짓말.

정말입니다.

    돌아갈 수 없어요. 저, 잘못을 저질렀어요.

바보예요. 이제부터 어쩌시려고요.

    죄송합니다. 일하려고.

돈이 필요합니까.

    있습니다.

그림 보여주세요.

    없어요.

한 장도?

    없습니다.


나는 갑자기 시즈코 씨 그림이 보고 싶어졌다. 이상한 예감이 들었다. 좋은 그림이다, 훌륭한 그림일 것이다. 틀림없다.


그림을 그릴 생각 없나요?

    창피해요.

당신은 분명 잘 그리실 겁니다.

    위로하지 마세요.

정말로 천재일지도 모릅니다.

    그만 두세요. 돌아가 주세요.


저는 씁쓸하게 웃으며 일어섰다. 돌아갈 수밖에 없다. 시즈코 부인은 나를 배웅도 하지 않고 앉은 채로 멍하니 창밖을 바라보고 있었다.

그날 밤 나는 나카이즈미 화백의 아틀리에를 찾았다.

“시즈코 씨 그림을 보고 싶은데, 혹시 여기에 있지 않습니까?”

“없소.” 노 화백은 호감 가는 미소를 지으며 “자기가 모두 찢어버리셨다잖아요. 천재적이었는데 말입니다. 그렇게 제멋대로 굴면 안 되죠.”

“그리다 만 습작이나 그런 거라도, 아무튼 보고 싶어서요. 없을까요?”

“잠깐만.” 노 화백은 고개를 갸웃거리더니, “습작이 세 장 정도 제게 남아있었습니다만, 그것을 그 분이 얼마 전에 와서 제 눈앞에서 찢어버렸습니다. 누군가가 그 분을 심하게 혼냈는지, 그로부터 이제, 아, 그렇지. 있어요. 있습니다. 아직 한 장 남아있어요. 저희 집 딸이 아마 수채화 한 장을 가지고 있었을 겁니다.”

“보여주세요.”

“잠깐만 기다려보세요.”

노 화백은 안으로 들어가더니 이윽고 웃으면서 한 장의 수채화를 들고 와,

“다행입니다. 참 다행이에요. 딸이 가지고 있었으니 말입니다. 지금 남아 있는 것은 아마도 이 수채화 한 장뿐일 겁니다. 저는 이제 1만 엔이라도 팔지 않을 거예요.”

수선화 그림이었다. 양동이에 든 스무 송이 정도 되는 수선화 그림이다. 받아 들고서 슬쩍 보고는 박박 찢어버렸다.

“무슨 짓입니까!” 노 화백은 경악했다.

“볼품없는 그림이잖습니까. 당신들은 부잣집 사모님한테 아부를 떨었을 뿐입니다. 그리고 사모님은 일생을 망치고 말았습니다. 그 분에게 혼을 낸 사람이란 바로 접니다.”

“그렇게 형편없지도 않잖아요.” 노 화백은 갑자기 자신감 없는 투로 “저는 요즘 새로운 사람들의 그림은 잘 모르지만요.”

나는 그 그림을 더욱 작게 찢고는 난로 속으로 집어던졌다. 나는 그림을 볼 줄 안다. 쿠사다 씨에게 가르칠 정도로 알고 있다고 생각한다. 수선화 그림은 절대 형편없는 작품이 아니었다. 훌륭했다. 왜 그것을 내가 찢었는가. 그것은 독자들의 추측에 맡기겠다. 시즈코 부인은 쿠사다 씨가 데려갔으며 그해 말에 자살했다. 내 불안감은 점점 더 커져갔다. 왠지 천재 작품 같다. 자연스레 타다나오 경 이야기가 떠오르고, 어느 날 밤 문득 타다나오 경도 훌륭한 검술의 달인이 아니었을까 하고 기이한 생각에 사로잡혀 요즘은 잠도 못 이룰 만큼 불안하다. 20세기에도 예술의 천재가 살아있을지도 모른다.

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좌흥이 아니다(座興に非ず:ざきょうにあらず)

다자이 오사무(太宰 治) (1939)

일본어 원문


 おのれの行く末を思い、ぞっとして、いても立っても居られぬ思いの宵は、その本郷のアパアトから、ステッキずるずるひきずりながら上野公園まで歩いてみる。九月もなかば過ぎた頃のことである。私の白地の浴衣(ゆかた)も、すでに季節はずれの感があって、夕闇の中にわれながら恐しく白く目立つような気がして、いよいよ悲しく、生きているのがいやになる。不忍(しのばず)の池を拭って吹いて来る風は、なまぬるく、どぶ臭く、池の蓮(はす)も、伸び切ったままで腐り、むざんの醜骸をとどめ、ぞろぞろ通る夕涼みの人も間抜け顔して、疲労困憊(こんぱい)の色が深くて、世界の終りを思わせた。

 上野の駅まで来てしまった。無数の黒色の旅客が、この東洋一とやらの大停車場に、うようよ、蠢動(しゅんどう)していた。すべて廃残の身の上である。私には、そう思われて仕方がない。ここは東北農村の魔の門であると言われている。ここをくぐり、都会へ出て、めちゃめちゃに敗れて、再びここをくぐり、虫食われた肉体一つ持って、襤褸(ぼろ)まとってふるさとへ帰る。それにきまっている。私は待合室のベンチに腰をおろして、にやりと笑う。それだから言わないこっちゃ無い。東京へ来ても、だめだと、あれほど忠告したじゃないか。娘も、親爺(おやじ)も、青年も、全く生気を失って、ぼんやりベンチに腰をおろして、鈍く開いた濁った眼で、一たいどこを見ているのか。宙の幻花を追っている。走馬燈のように、色々の顔が、色々の失敗の歴史絵巻が、宙に展開しているのであろう。

 私は立って、待合室から逃げる。改札口のほうへ歩く。七時五分着、急行列車がいまプラットホームにはいったばかりのところで、黒色の蟻(あり)が、押し合い、へし合い、あるいはころころころげ込むように、改札口めがけて殺到する。手にトランク。バスケットも、ちらほら見える。ああ、信玄袋(しんげんぶくろ)というものもこの世にまだ在った。故郷を追われて来たというのか。

 青年たちは、なかなかおしゃれである。そうして例外なく緊張にわくわくしている。可哀想だ。無智だ。親爺と喧嘩(けんか)して飛び出して来たのだろう。ばかめ。

 私は、ひとりの青年に目をつけた。映画で覚えたのか煙草(たばこ)の吸いかたが、なかなか気取っている。外国の役者の真似にちがいない。小型のトランク一つさげて、改札口を出ると、屹(き)っと片方の眉をあげて、あたりを見廻す。いよいよ役者の真似である。洋服も、襟(えり)が広くおそろしく派手な格子縞(こうしじま)であって、ズボンは、あくまでも長く、首から下は、すぐズボンの観がある。白麻のハンチング、赤皮の短靴、口をきゅっと引きしめて颯爽(さっそう)と歩き出した。あまりに典雅で、滑稽であった。からかってみたくなった。私は、当時退屈し切っていたのである。

「おい、おい、滝谷君。」トランクの名札に滝谷と書かれて在ったから、そう呼んだ。「ちょっと。」

 相手の顔も見ないで、私はぐんぐん先に歩いた。運命的に吸われるように、その青年は、私のあとへ従(つ)いて来た。私は、ひとの心理については多少、自信があったのである。ひとがぼっとしているときには、ただ圧倒的に命令するに限るのである。相手は、意のままである。下手に、自然を装い、理窟(りくつ)を言って相手に理解させ安心させようなどと努力すれば、かえっていけない。

 上野の山へのぼった。ゆっくりゆっくり石の段々を、のぼりながら、

「少しは親爺の気持も、いたわってやったほうが、いいと思うぜ。」

「はあ。」青年は、固くなって返辞した。

 西郷さんの銅像の下には、誰もいなかった。私は立ちどまり、袂(たもと)から煙草を取り出した。マッチの火で、ちらと青年の顔をのぞくと、青年は、まるで子供のような、あどけない表情で、ぶうっと不満そうにふくれて立っているのである。ふびんに思った。からかうのも、もうこの辺でよそうと思った。

「君は、いくつ?」

「二十三です。」ふるさとの訛(なまり)がある。

「若いなあ。」思わず嘆息を発した。「もういいんだ。帰ってもいいんだ。」ただ、君をおどかして見たのさ、と言おうとして、むらむら、も少し、も少しからかいたいな、という浮気に似たときめきを覚えて、

「お金あるかい?」

 もそもそして、「あります。」

「二十円、置いて行け。」私は、可笑(おか)しくてならない。

 出したのである。

「帰っても、いいですか?」

 ばか、冗談だよ、からかってみたのさ、東京は、こんなにこわいところだから、早く国へ帰って親爺に安心させなさい、と私は大笑いして言うべきところだったかも知れぬが、もともと座興ではじめた仕事ではなかった。私は、アパアトの部屋代を支払わなければならぬ。

「ありがとう。君を忘れやしないよ。」

 私の自殺は、ひとつきのびた。

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용모(容貌 :ようぼう)

다자이 오사무(太宰 治) (1941)

일본어 원문


 私の顔は、このごろまた、ひとまわり大きくなったようである。もとから、小さい顔ではなかったが、このごろまた、ひとまわり大きくなった。美男子というものは、顔が小さくきちんとまとまっているものである。顔の非常に大きい美男子というのは、あまり実例が無いように思われる。想像する事も、むずかしい。顔の大きい人は、すべてを素直にあきらめて、「立派」あるいは「荘厳」あるいは「盛観」という事を心掛けるより他に仕様がないようである。浜口雄幸氏は、非常に顔の大きい人であった。やはり美男子ではなかった。けれども、盛観であった。荘厳でさえあった。容貌に就(つ)いては、ひそかに修養した事もあったであろうと思われる。私も、こうなれば、浜口氏になるように修養するより他は無いと思っている。

 顔が大きくなると、よっぽど気をつけなければ、人に傲慢(ごうまん)と誤解される。大きいつらをしやがって、いったい、なんだと思っているんだ等と、不慮の攻撃を受ける事もあるものである。先日、私は新宿の或る店へはいって、ひとりでビイルを飲んでいたら、女の子が呼びもしないのに傍へ寄って来て、

「あんたは、屋根裏の哲人みたいだね。ばかに偉そうにしているが、女には、もてませんね。きざに、芸術家気取りをしたって、だめだよ。夢を捨てる事だね。歌わざる詩人かね。よう! ようだ! あんたは偉いよ。こんなところへ来るにはね、まず歯医者にひとつき通ってから、おいでなさいだ。」と、ひどい事を言った。私の歯は、ぼろぼろに欠けているのである。私は返事に窮して、お勘定をたのんだ。さすがに、それから五、六日、外出したくなかった。静かに家で読書した。

 鼻が赤くならなければいいが、とも思っている。

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여인훈계(女人訓戒:にょにんくんかい)

다자이 오사무(太宰 治) (1940)

일본어 원문


 辰野隆(ゆたか)先生の「仏蘭西(フランス)文学の話」という本の中に次のような興味深い文章がある。

「千八百八十四年と云うのであるから、そんな古い事ではない。オオヴェルニュのクレエルモン・フェラン市にシブレエ博士と呼ぶ眼科の名医が居た。彼は独創的な研究によって人間の眼は獣類の眼と入れ替える事が容易で、且つ獣類の中でも豚の眼と兎(うさぎ)の眼が最も人間の眼に近似している事を実験的に証明した。彼は或る盲目の女に此(こ)の破天荒の手術を試みたのである。接眼の材料は豚の目では語呂が悪いから兎の目と云う事にした。奇蹟(きせき)が実現せられて、其の女は其の日から世界を杖で探る必要が無くなった。エディポス王の見捨てた光りの世を、彼女は兎の目で恢復(かいふく)する事が出来たのである。此の事件は余程世間を騒がせたと見えて、当時の新聞にも出たそうである。然(しか)しながら数日の後に其の接眼の縫目が化膿(かのう)した為めに――恐らく手術の時に消毒が不完全だったのだろうと云う説が多数を占めている――彼女は再び盲目になって了(しま)ったそうである。当時親しく彼女を知っていた者が後に人に語って次のような事を云った。

 ――自分は二つの奇蹟を目撃した。第一は云う迄もなく伝説中の奇蹟と同じ意味に於ける奇蹟が、信仰に依(よ)らずして科学的実験に依って行われたと云う事である。然し之れは左迄(さまで)に驚く可(べ)き現象ではない。第二の奇蹟のほうが自分には更に珍であった。それは彼女に兎の目が宿っていた数日の間、彼女は猟夫を見ると必ず逃げ出したと云う現象である。」

 以上が先生の文章なのであるが、こうして書き写してみると、なんだか、ところどころ先生のたくみな神秘捏造(ミステフィカシオン)も加味されて在るような気がせぬでもない。豚の眼が、最も人間の眼に近似しているなどは、どうも、あまり痛快すぎる。けれども、とにかくこれは真面目な記事の形である。一応、そのままに信頼しなければ、先生に対して失礼である。私は全部を、そのままに信じることにしよう。この不思議な報告の中で、殊に重要な点は、その最後の一行(いちぎょう)に在る。彼女が猟夫を見ると必ず逃げ出した、という事実に就いて私は、いま考えてみたい。彼女の接眼の材料は、兎の目である。おそらくは病院にて飼養して在った家兎にちがいない。家兎は、猟夫を恐怖する筈はない。猟夫を、見たことさえないだろう。山中に住む野兎ならば、あるいは猟夫の油断ならざる所以(ゆえん)のものを知っていて、之を敬遠するのも亦(また)当然と考えられるのであるが、まさか博士は、わざわざ山中深くわけいり、野生の兎を汗だくで捕獲し、以て実験に供したわけでは無いと思う。病院にて飼養されて在った家兎にちがいない。未だかつて猟夫を見たことも無い、その兎の目が、なぜ急に、猟夫を識別し、之を恐怖するようになったか。ここに些少(さしょう)の問題が在る。

 なに、答案は簡単である。猟夫を恐怖したのは、兎の目では無くして、その兎の目を保有していた彼女である。兎の目は何も知らない。けれども、兎の目を保有していた彼女は、猟夫の職業の性質を知っていた。兎の目を宿さぬ以前から、猟夫の残虐(ざんぎゃく)な性質に就いては聞いて知っていたのである。おそらくは、彼女の家の近所に、たくみな猟夫が住んでいてその猟夫は殊にも野兎捕獲の名人で、きょうは十匹、きのうは十五匹、山からとって帰ったという話を、その猟夫自身からか或いは、その猟夫の細君からか聞いていたのでは無かろうかと思われる。すると、解決は、容易である。彼女は、家兎の目を宿して、この光る世界を見ることができ、それ自身の兎の目をこよなく大事にしたい心から、かねて聞き及ぶ猟夫という兎の敵を、憎しみ恐れ、ついには之をあらわに回避するほどになったのである。つまり、兎の目が彼女を兎にしたのでは無くして、彼女が、兎の目を愛するあまり、みずからすすんで、彼女の方から兎になってやったのである。女性には、このような肉体倒錯(とうさく)が非常にしばしば見受けられるようである。動物との肉体交流を平気で肯定しているのである。或る英学塾の女生徒が、Lという発音を正確に発音したいばかりに、タングシチュウを一週二回ずつの割合いで食べているという話も亦、この例である。西洋人がLという発音を、あんなに正確に、しかも容易にこなしているのは、大昔からの肉食のゆえである。牛の肉を食べるので、牛の細胞がいつしか人間に移殖され、牛のそれの如く舌がいくぶん長くなっているのである。それゆえ彼女もLの発音を正確に為す目的を以て、いま一週二回の割合いでタングシチュウを、もりもり食べているというのである。タングシチュウは、ご存じの如く、牛の舌のシチュウである。牛の脚の肉などよりは、直接、舌のほうに効目(ききめ)があろうという心意気らしい。驚くべきことは、このごろ、めきめき彼女の舌は長くなり、Lの発音も西洋人のそれとほとんど変らなくなったという現象である。これは、私も又聞で直接に、その勇敢な女生徒にお目にかかったことは無いのだから、いま諸君に報告するに当って、多少のはにかみを覚えるのであるが、けれども、私は之をあり得ることだと思っているのである。女性の細胞の同化力には、実に驚くべきものがあるからである。狐(きつね)の襟巻(えりまき)をすると、急に嘘つきになるマダムがいた。ふだんは、実に謙遜なつつましい奥さんであるのだが、一旦、狐の襟巻を用い、外出すると、たちまち狡猾(こうかつ)きわまる嘘つきに変化している。狐は、私が動物園で、つくづく観察したところに依っても、決して狡猾な悪性のものでは無かった。むしろ、内気な、つつましい動物である。狐が化けるなどは、狐にとって、とんでも無い冤罪(えんざい)であろうと思う。もし化け得るものならば何もあんな、せま苦しい檻(おり)の中で、みっともなくうろうろして暮している必要はない。とかげにでも化けてするりと檻から脱け出られる筈(はず)だ。それができないところを見ると、狐は化ける動物では無いのだ。買いかぶりも甚(はなはだ)しい。そのマダムもまた、狐は人をだますものだと単純に盲信しているらしく、誰もたのみもせぬのに、襟巻を用いる度毎に、わざわざ嘘つきになって見せてくれる。御苦労なことである。狐がマダムを嘘つきにしているのでは無く、マダムのほうから、そのマダムの空想の狐にすすんで同化して見せているのである。この場合も、さきの盲目の女の話と酷似しているものがあると思う。その兎の目は、ちっとも猟夫を恐怖していないばかりか、どだい猟夫というものを見たことさえないのに、それを保有した女のほうで、わざわざ猟夫を恐怖する。狐が人をだますものでもないのに、その毛皮を保有したマダムが、わざわざ人をだます。その心理状態は、両女ほとんど同一である。前者は、実在の兎以上に、兎と化し、後者も亦、実在の狐以上に、狐に化して、そうして平気である。奇怪というべきである。女性の皮膚感触の過敏が、氾濫(はんらん)して収拾できぬ触覚が、このような二、三の事実からでも、はっきりと例証できるのである。或る映画女優は、色を白くする為に、烏賊(いか)のさしみを、せっせとたべているそうである。あくまで之を摂取(せっしゅ)すれば、烏賊の細胞が彼女の肉体の細胞と同化し、柔軟、透明の白色の肌を確保するに到るであろうという、愚かな迷信である。けれども、不愉快なことには、彼女は、その試みに成功したという風聞がある。もう、ここに到っては、なにがなんだかわからない。女性を、あわれと思うより致しかたがない。

 なんにでもなれるのである。北方の燈台守の細君が、燈台に打ち当って死ぬ鴎(かもめ)の羽毛でもって、小さい白いチョッキを作り、貞淑(ていしゅく)な可愛い細君であったのに、そのチョッキを着物の下に着込んでから、急に落ち着きを失い、その性格に卑しい浮遊性を帯び、夫の同僚といまわしい関係を結び、ついには冬の一夜、燈台の頂上から、鳥の翼の如く両腕をひろげて岩を噛(か)む怒濤めがけて身を躍らせたという外国の物語があるけれども、この細君も、みずからすすんで、かなしい鴎の化身となってしまったのであろう。なんとも、悲惨のことである。日本でも、むかしから、猫が老婆に化けて、お家騒動を起す例が、二、三にとどまらず語り伝えられている。けれども、あれも亦、考えてみると、猫が老婆に化けたのでは無く老婆が狂って猫に化けてしまったのにちがいない。無慙(むざん)の姿である。耳にちょっと触れると、ぴくっとその老婆の耳が、動くそうではないか。油揚を好み、鼠を食すというのもあながち、誇張では無いかも知れない。女性の細胞は、全く容易に、動物のそれに化することが、できるものなのである。話が、だんだん陰鬱になって、いやであるが、私はこのごろ人魚というものの、実在性に就いて深く考えているのである。人魚は、古来かならず女性である。男の人魚というものは、未だその出現のことを聞かない。かならず、女性に限るようである。ここに解決のヒントがある。私は、こうでは無いかと思う。一夜彼女が非常に巨大の無気味の魚を、たしなみを忘れて食い尽し、あとでなんだかその魚の姿が心に残る。女性の心に深く残るということは、すなわちそろそろ、肉体の細胞の変化がはじまっている証拠なのである。たちまち加速度を以て、胸焼きこげるほどに海辺を恋い、足袋(たび)はだしで家を飛び出しざぶざぶ海中へ突入する。脚にぶつぶつ鱗(うろこ)が生じて、からだをくねらせ二掻(か)き、三掻き、かなしや、その身は奇しき人魚。そんな順序では無かろうかと思う。女は天性、その肉体の脂肪に依り、よく浮いて、水泳にたくみの物であるという。

 教訓。「女性は、たしなみを忘れてはならぬ。」



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겨울의 불꽃놀이(冬の花火:ふゆのはなび)

다자이 오사무(太宰 治) (1946)

일본어 원문


 人物。


数枝(かずえ)   二十九歳

睦子(むつこ)   数枝の娘、六歳。

伝兵衛(でんべえ)  数枝の父、五十四歳。

あさ   伝兵衛の後妻、数枝の継母、四十五歳。

金谷清蔵(かなやせいぞう) 村の人、三十四歳。

その他  栄一(伝兵衛とあさの子、未帰還)

     島田哲郎(睦子の実父、未帰還)

     いずれも登場せず。


 所。

津軽地方の或る部落。


 時。

昭和二十一年一月末頃より二月にかけて。



[#改ページ]




     第一幕


舞台は、伝兵衛宅の茶の間。多少内福らしき地主の家の調度。奥に二階へ通ずる階段が見える。上手(かみて)は台所、下手(しもて)は玄関の気持。

幕あくと、伝兵衛と数枝、部屋の片隅(かたすみ)のストーヴにあたっている。


二人、黙っている。柱時計が三時を打つ。気まずい雰囲気。

突然、数枝が低い異様な笑声を発する。

伝兵衛、顔を挙げて数枝を見る。

数枝、何も言わず、笑いをやめて、てれかくしみたいに、ストーヴの傍の木箱から薪(まき)を取り出し、二、三本ストーヴにくべる。


(数枝)(両手の爪を見ながら、ひとりごとのように)負けた、負けたと言うけれども、あたしは、そうじゃないと思うわ。ほろんだのよ。滅亡しちゃったのよ。日本の国の隅(すみ)から隅まで占領されて、あたしたちは、ひとり残らず捕虜(ほりょ)なのに、それをまあ、恥かしいとも思わずに、田舎(いなか)の人たちったら、馬鹿だわねえ、いままでどおりの生活がいつまでも続くとでも思っているのかしら、相変らず、よそのひとの悪口(わるくち)ばかり言いながら、寝て起きて食べて、ひとを見たら泥棒と思って、(また低く異様に笑う)まあいったい何のために生きているのでしょう。まったく、不思議だわ。

(伝兵衛)(煙草を吸い)それはまあ、どうでもいいが、お前にいま、亭主、というのか色男というのか、そんなのがあるというのは、事実だな?

(数枝)(不機嫌になり)いいじゃあないの、そんな事は。(舌打ちをする)なんにも言わなけあよかった。

(伝兵衛) お前が言わなくたって、どこからともなくおれの耳にはいって来る。

(数枝) もったいぶらなくたって、わかっているわよ。お母さんでしょう?

(伝兵衛)(軽く狼狽(ろうばい)の気味)いや。

(数枝)(小声で早口に)そうよ、それにきまっているわ。お母さんはまた、どうして勘附いたのかしら。ばかなお母さん。


間。


(伝兵衛) あさから聞いた。しかし、あさは、決して、何も、……。

(数枝)(それを相手にせず、急に態度をかえて)お母さんは、どこへ行ったの?

(伝兵衛) 鱈(たら)を買いに行かなくちゃならんとか言っていたが。

(数枝) 睦子をおぶって?

(伝兵衛) そうだろう。

(数枝) 重いでしょうにねえ。あの子は、へんに重いのよ。いやにおばあちゃんになついてしまって、いい気になってへばりついてる。

(伝兵衛) お前の小さい時によく似ている。(改まった顔つきになり、強い語調で)あさは、あの子をほしいと言っているのだが。

(数枝)(顔をそむけ)ばかな。

(伝兵衛) いや、まじめに言ってる。まあ、聞け。あさが、ゆうべ、(かすかに苦笑を浮べて)おれにまじめに相談した事だ。栄一の事はもうあきらめている。戦地からのたよりが無くなってから、もう三年経(た)つ。あれの部隊が南方の何とやらいう小さい島を守りに行ったという事だけは、わかっているが、栄一はいま無事かどうか、さっぱりわからぬ。あきらめた、とあさは言っている。ちょうどいい具合いにお前が睦子を連れて東京から帰って来た。しかし、お前にはもう内緒の男があるらしい。またすぐ東京へ行ってしまうつもりだろう。まあ、黙って聞けよ。それはお前の勝手だ。好きなようにしたらいいだろう。しかし、睦子は置いて行ってもらえまいか。

(数枝)(また異様な笑声を発して)本気でおっしゃったの? そんな馬鹿な事を、まあ、お母さんもどうかしてるわ。もうろくしたんじゃない? ばかばかしい。

(伝兵衛) もうろくしたのかも知れない。おれだって、ばかばかしい話だと思った。しかし、あれはまじめにそんな事を考えているようだ。お前がこれから、いまのその、亭主だか色男だかのところへ引上げて行くにしても、睦子がついているんでは、この後、その男との間に面白くない事が起るかも知れない。お前もまだ若いのだから、これから子供はいくらでも出来るだろう。とにかく睦子は、この家に置いて行ってもらいたい、と言うのだが、あれとしては、いろいろ考えた末の名案のつもりなのだろう。お前のためにも、それが一ばんいいと考えているらしい。

(数枝) 余計なお世話だわ。

(伝兵衛) そうだ。余計なお世話にちがいない。しかし、お前のように、ただもう、あさを馬鹿にして、……。

(数枝)(皆まで聞かず)そんな事、そんな事ないわ。ねえ、お父さん。生みの親より育ての親、と言うでしょう? あたしの生みの母は、あたしが今の睦子よりももっと小さい時になくなって、それからずっといまのお母さんに育てられて来たのですもの、あとでひとから、あれはお前の継母(ままはは)で、弟の栄一とは腹ちがいだなんて聞かされてもあたしは平気だったわ。継母だって何だってあたしのお母さんに違いないのだし、腹ちがいでも栄一はやっぱりあたしと仲のよい弟だし、そんな事はちっともなんにも気にならなかった。だけど、あたしが女学校へ行くようになってから、何だか時々ふっと淋(さび)しく思うようになったの。だって、お母さんは、あんまりよすぎるんだもの。一つも欠点が無いんだもの。あたしがどんなわがままを言っても、また、いけない事をしても、お母さんは一度もお叱(しか)りにならず、いつも笑ってあたしを猫可愛がりに可愛がっていらっしゃる。あんな優しいお母さんてないわよ。優しすぎるわ、よすぎるわ。いつかあたしが、足の親指の爪をはがした時、お母さんは顔を真蒼(まっさお)にして、あたしの指に繃帯(ほうたい)して下さりながら、めそめそお泣きになって、あたし、いやらしいと思ったわ。また、いつだったか、あたしはお母さんに、お母さんはでも本当は、あたしよりも栄一のほうが可愛いのでしょう? ってお聞きしたら、まあ、上手に答えるじゃないの、お母さんはね、その時あたしにこう言ったの。時たまはなあ、だって。あんまり正直らしく、そうして、優しいみたいで、にくらしくなっちゃったわ。栄一にばかり、ひどく難儀な用事を言いつけて、あたしには拭(ふ)き掃除(そうじ)さえろくにさせてくれないのだもの。だからあたしも意地になって、うんと我儘(わがまま)をしようと考えたのよ。思いっきりお行儀を悪くして、いけない事ばかりしてやろうという気になっちゃったのよ。だけど、あたしはお母さんをきらいじゃないのよ。大好きなのよ。好きで好きで武者振りつきたいくらいだったわ。お母さんだって、あたしを芯(しん)から可愛かったらしいのね。あんまり可愛くて、あたしにいつも綺麗(きれい)な着物を着せて置いて、水仕事も何もさせたくなかったらしいのね。それはわかるわ。本当はね、(突然あははと異様に笑う)お母さんとあたしとは同性愛みたいだったのよ。だから、いやらしくって、にくらしくって、そうして、なんだか淋しくて、思いきり我儘して悪い事をして、そうしてお母さんと大喧嘩(おおげんか)をしたくて仕様が無かったの。

(伝兵衛)(顔をしかめて)三十ちかくにもなって、まだそんな馬鹿な事ばかり言っている。も少し、まともな話をしないか。

(数枝)(平然と)お父さんは鈍感だから何もわからないのよ。お父さんみたいなひとを、好人物、というんじゃないかしら。まるでもう無神経なのだから。(語調をかえて)でも、お母さんは昔は綺麗だったなあ。あたし、東京で十年ちかく暮して、いろんな女優やら御令嬢やらを見たけれども、うちのお母さんほど綺麗なひとを見た事が無い。あたしは昔、お母さんと二人でお風呂へはいる時、まあどんなに嬉しかったか、どんなに恥かしかったか、いま思っても胸がどきどきするくらい。

(伝兵衛) おれの前でそんなくだらない話は、するな。それで、どうなんだ? 睦子を置いて行く気か?

(数枝)(呆(あき)れた顔して)ま、お父さんまでそんな馬鹿げた、……。

(伝兵衛) しかし、男があるんだろう?

(数枝)(顔をしかめ、うつむいて)ほかに聞き方が無いの?

(伝兵衛) どんな聞き方をしたって同じじゃないか。(こみ上げて来る怒りを抑(おさ)えている態(てい)で)お前も、しかし、馬鹿な事をしたものだ。そう思わないか。

(数枝)(顔を挙げ、冷然と父の顔を見守り無言)

(伝兵衛) 小さい時から我儘で仕様がなかったけれども、しかし、こんな馬鹿な奴とは思わなかった。お前のためには、あさも、どれだけ苦労して来たかわからないのだ。お前が弘前(ひろさき)の女学校を卒業して、東京の専門学校に行くと言い出した時にも、おれは何としても反対で、気分が悪くなって寝込んでしまったが、あさはおれの寝ている枕元(まくらもと)に坐ったきりで、一生のたのみだから数枝を数枝の行きたいという学校に行かせてやってくれと頼んで泣き、おれも我(が)を折って承知した。お前は、当り前だというような顔で東京へ行き、それっきり帰って来ない。小説家だか先生だか何だか知らないが、あの島田とくっついて学校を勝手にやめて、その時からもうおれはお前を死んだものとして諦(あきら)めた。しかし、あさは一言(ひとこと)もお前の悪口を言わず、おれに隠して、こっそりあれのへそくりをお前に送り続けていたようだ。あさは、自分の着物を売ってまでもお前にお金を送っていたのだよ。睦子が生れてそれから間もなく、島田が出征して、それでもお前は、洋裁だか何だかやってひとりで暮せると言って、島田の親元のほうへも行かず、いや、行こうと思っても、島田もなかなかの親不孝者らしいから親元とうまく折合いがつかなくて、いまさら女房子供を自分の親元にあずかってもらうなんて事は出来なかったようで、それならば、おれたちのほうに泣き込んで来るのかと思っていたら、そうでもない。おれはもう、お前の顔を二度とふたたび見たくなかったので知らん振りをしていたが、あさは再三お前に、島田の留守中はこっちにいるようにと手紙を出した様子だった。それなのに、お前はひどく威張り返って、洋裁の仕事がいそがしくてとても田舎へなんか行かれぬなどという返事をよこして、どんな暮しをしていたものやら、そろそろ東京では食料が不自由になっているという噂(うわさ)を聞いてあさは、ほとんど毎日のように小包を作ってお前たちに食べ物を送ってやった。お前はそれを当り前みたいに平気で受取って、ろくに礼状も寄こさなかったようだが、しかし、あさはあれを送るのに、どんな苦労をしていたかお前には、わかるまい。一日でも早く着くようにと、必ず鉄道便で送って、そのためにあさは、いつも浪岡の駅まで歩いて行ったのだ。浪岡の駅まではここから一里ちかくもあるのだよ。冬の吹雪(ふぶき)の中も歩いて行った。六時の上(のぼ)り一番の汽車に間に合うようにと、暗いうちに起きて駅へ行く事もあった。あれはもう、朝起きてから夜眠るまで、お前たちの事ばかり考えて暮していたのだ。お前ほど仕合せな奴は無い。東京で罹災(りさい)したと言って、何の前触れも無く、にやにや笑ってこの家へやって来て、よくもまあ恥かしくもなく、のこのこ帰って来られたものだとおれは呆れてお前たちには口もききたくない気持だったが、しかし、お前もいまはおれの娘ではないんだし、島田という出征軍人の奥様なのだから、足蹴(あしげ)にして追い出すわけにもゆかず、まあ、赤の他人の罹災者をおあずかり申すつもりで、お前たちを黙ってこの家に置いてやる事にしたのだ。つけ上っては、いけない。おれには、お前たちの世話をしてやる義務もないし、お前だってこの家で我儘を言う権利などは持っていない筈(はず)だ。

(数枝)(うつむいて、けれども、はっきりと)島田は死んだようです。

(伝兵衛) そうかも知れない。しかし、まだ遺骨が来ない。お葬(とむら)いも、すんでいない。馬鹿な奴だ、お前は。いったい、いまの亭主だか何だか、それはどんな男なんだ。

(数枝) お母さんにお聞きになったらいいでしょう。なんでも知っていらっしゃるらしいから。

(伝兵衛)(無意識にこぶしを握り)まだそんな馬鹿な事を言うのか。あさは何も知ってはいない。ただお前が、こっそり誰かと文通しているらしいという事、たまにはお金も送られて来る様子だし、睦子が時々、東京のオジちゃんがどうのこうのと言うし、それは、あさでなくったって勘附くわけだ。

(数枝) でも、お父さんは知らなかったのでしょう?

(伝兵衛)(苦しそうに)夢にもそんな事を思う道理が無いじゃないか。(溜息(ためいき)をついて)お前はまあ、これからさき、どこまで堕落して行くつもりなのだ。

(数枝)(静かに)この家に置いていただけないなら、睦子を連れて東京へ帰るつもりでいます。春までこちらに置いていただき、そうしてその間に、鈴木がむこうで家を見つけるという事になっていたのですけど。

(伝兵衛) スズキというのか、その男は。

(数枝)(おとなしく)そうです。

(伝兵衛)(いかめしく)その男と一緒になってから何年になる。

(数枝)(無言)

(伝兵衛) 聞かないほうがよいのか? よし、たいていわかった。(興奮を抑えつつ静かに、しかし、音声が変っている)出て行け。いますぐ出て行け。どこへでもかまわない。出て行ってくれ。睦子を置いて、いますぐその男のところに行ってしまえ!

(数枝)(顔を挙げて)お父さん、あなたは、あたしが東京でどんな苦労をして来たか、知っていますか。


玄関のあく音。


(継母のあさの声) お利口だったねえ、お利口だったねえ。寒くっても、ちっとも泣かなかったんだものねえ。

(睦子の声) そうしてそれから、睦子なんか、うんと役に立ったね?

(あさの声) そうとも、そうとも。おばあちゃんの財布を持ってくれて落さなかったんだものねえ。ずいぶん役に立った。とっても役に立った。

(睦子の声) だからこんども、おつかいに連れて行くのね?

(あさの声) 連れて行くとも、連れて行くとも。さあ、あったしましょう。


下手(しもて)の障子をあけて、あさ、睦子登場。睦子はすぐ数枝のほうに走って行き、数枝の膝(ひざ)の上に抱かれる。


(数枝)(あさに向い、笑いながら)重かったでしょう?

(あさ)(買って来た魚のはいっている籠(かご)やら、角巻(かくまき)――津軽地方に於ける外出用の毛布――やらを上手(かみて)の台所のほうに運びながら)ああ、重かったとも何とも、石の地蔵様を背負って歩いてるみたいだったよ。(上手の障子をあけて、台所に降りて障子をしめ、あとは声のみ)このごろはどうして、なかなか悪智慧(わるぢえ)が附いてね、おんりして歩かないかって言えば、急に眠ったふりなんかしてさ、いやな子だよ。

(数枝)(睦子の手に握られてある一束(ひとたば)の線香花火に気附いて)おや、これは何? どうしたの?

(睦子) これは、玩具(おもちゃ)です。

(数枝) 玩具? (笑って)へんな玩具ねえ。おばあちゃんに買っていただいたの?

(睦子)(うなずく)

(あさ)(台所にて何かごとごと仕事をしていながら、やはり障子の蔭から声のみ)いまの子供は可哀(かわい)そうだよ。玩具らしいものを一つも売っていないんだものねえ。日の丸の小さい旗がほしいって睦子が言うんだけれどもね、ひやりとしたよ。そう言われて見ると、あの旗の玩具は、戦争中はどこの小間物屋にでも、必ずあったものなのに、このごろは影を消してしまったようだね。せめて子供にだけでも、あの旗を持たせて遊ばせてやりたいと思うんだけど、やっぱりだめなのかねえ。睦子にそこんところを何と説明してやったらいいか、おばあちゃんも困ってしまった。(ひくく笑う)線香花火だけは、たくさんお店にあってね。どういうわけかしら。どうもこのごろのお店には、季節はずれの妙な品物ばかり並んでいるよ。麦わら帽子だの、蠅(はえ)たたきだの、笑わせるじゃないか、あんなものでも買うひとがあるんだろうねえ。いまどき蠅たたきなんかを買ってどうするのだろう。

(数枝)(笑って)蠅たたきだって、羽子板のかわりくらいにはなるかも知れないわ。こんな線香花火なんかよりは、子供にはいい玩具かもわからない。(睦子の手から線香花火を取っていじりながら)冬の花火なんて、何だか気味(きび)が悪いわねえ。さっき睦子が持っているのをちらと見た時、なぜだか、ぎょっとしたわよ。

(あさ)(やわらかに)だって、他になんにも売ってなかったんだものねえ。いまの子供は、本当に可哀そうだよ。(語調をかえて)あたらしい鱈のようですけど、鱈ちりになさいますか?

(伝兵衛) 酒は、まだあるか。

(あさ)(やはり障子の蔭から)ええ、まだ少しございますでしょう。

(伝兵衛) それじゃ晩は、鱈ちりで一ぱいという事にしようか。

(数枝) あたしも、そうしよう。

(伝兵衛)(抑制を忘れ、ついに大声を発する)馬鹿野郎! どこまでお前は、ふざけやがって、(立ち上りかけ、また腰をおろして)真人間になれ!


睦子、火のついたように泣き出し、数枝の懐(ふところ)にしがみつく。数枝は、冷然たり。


(伝兵衛) お前ひとりのために、お前ひとりのために、この家が、お前ひとりのために、どれだけ、(何か呟(つぶや)きながら、泣き出す)


数枝、睦子を抱いたまま静かに立って、奥の階段のほうへ行く。


(伝兵衛)(猛然と立ち上って)待て!

(あさ)(台所から走り出て、伝兵衛を抑え)まあ、お父さん、何をなさる。

(伝兵衛) 殴らなくちゃいけねえ。正気にかえるまで殴らなくちゃいけねえ。


数枝、振り向きもせず、泣き叫ぶ睦子を抱いて、階段をのぼりはじめる。和服の裾(すそ)から白いストッキングをはいているのが見える。

伝兵衛、あがく。あさ、必死にとどめる。

――幕。


     第二幕


幕あくと、舞台はまっくら。ぱちと電燈がつく。二階の数枝の居間。数枝がいまその部屋の電燈をつけたのである。部屋には寝床が二つ。一つには、睦子が眠っている。数枝は寝巻き姿で立っていて、片手で、たったいま電燈のスイッチをひねったという形。片手を挙げてスイッチをつかんだまま、一点を凝視している。その一点とは、下手(しもて)の雨戸である。雨戸が静かにあく。雪が吹き込む。つづいて二重廻しを着た男が、うしろむきになってはいって来る。


(数枝)(ひくく、けれども鋭く)どなた? どなたです。

(男)(雨戸をしめ、二重廻しを脱ぎ、はじめてこちら向きになって、その場にきちんと坐る。村の人、金谷清蔵である)私です。かんにんして下さい。(まじめに、ちょっと頭をさげる)

(数枝)(おどろき)まあ、清蔵さん。どうなさったのです。(素早く寝巻きの上に、羽織をひっかけ、羽織紐(ひも)を結びながら、部屋の炉のところに行き、坐って)どろぼうかと思ったわ。いったい、どうしたの?

(清蔵) すみません。もういちど、私の気持を、ゆっくり聞いていただきたいと思って、お宅の前をずいぶん永い間うろついて、とうとう決心して、屋根へあがって、この二階のお部屋の雨戸に手をかけましたら、するするとあきましたので、それで、……。

(数枝)(苦笑し)とんだ鼠小僧ね。(火箸(ひばし)で埋火(うずみび)を掻(か)き集めながら)でも、田舎では、こんな事は珍らしくないんでしょう? 田舎の、普通の、恋愛形式になっているのね、きっと。夜這(よば)いとかいう事なんじゃないの?

(清蔵) とんでもない、そんな、私は、決して、そんな、失礼な。

(数枝)(笑って)いいえ、そうでなかったら、かえって失礼みたいなものだわ。屋根へあがって、二階のこの部屋へ、しかもこんな夜更(よふ)けに人を訪問するなんて、正気の沙汰じゃないわよ。

(清蔵)(いよいよ苦しげに)お願いです、からかわないで下さい。私が悪いのです。夜這いなどと言われるのは、実に心外ですが、しかし、致しかたがありません。私には、これより他に、手段が無かったのです。(顔を挙げて)数枝さん! もうこれ以上、私を苦しめるのは、やめて下さい。イエスですか、ノオですか。それを、それだけを、今夜はっきり答えて下さい。

(数枝)(顔をしかめて)あら、あなたは、お酒を飲んでいるのね。

(清蔵) 飲みました。(沈鬱に)もう、この数日間、私は酒ばかり飲んでいます。数枝さん、これも皆あなたが悪いのです。あなたさえ帰って来なかったら、ああ、つまらん、こんな事を言ったって仕様がない。数枝さん、あなたは覚えていますか、忘れたでしょうね、あなたが、女学校を卒業して東京の学校へいらっしゃる時、あの頃はちょうど雪溶(ゆきど)けの季節で路がひどく悪くて、私があなたの行李(こうり)を背負って、あなたのお母さんと三人、浪岡の駅まで歩いて行きました。路傍(みちばた)にはもう蕗(ふき)の薹(とう)などが芽を出していました。あなたは歩きながら、山辺(やまべ)も野辺(のべ)も春の霞(かすみ)、小川は囁(ささや)き、桃の莟(つぼみ)ゆるむ、という唱歌をうたって。

(数枝) ゆるむじゃないわよ。桃の莟うるむ。潤(うる)むだったわ。

(清蔵) そうでしたか。やっぱり、あの頃の事を覚えていらっしゃるのですね。それから、私たちは浪岡の駅に着いて、まだ時間がかなりあったので、私たちは駅の待合室のベンチに腰かけてお弁当をひらきました。その時、あなたのお弁当のおかずは卵焼きと金平牛蒡(きんぴらごぼう)で、私の持って来たお弁当のおかずは、筋子(すじこ)の粕漬(かすづけ)と、玉葱(たまねぎ)の煮たのでした。あなたは、私の粕漬の筋子を食べたいと言って、私に卵焼きと金平牛蒡をよこして、そうして私の筋子と玉葱の煮たのを、あなたが食べてしまいました。私もあなたの卵焼きと金平牛蒡を食べて、なんだかもうこれで、私たち二人の血がかよい合ったような気が致しました。いまここで別れても、決して別れきりになる事はないんだ、必ずまた私のところへ来て、きっと、夫婦、……ええ、そう思いましたのです。私はあの頃二十三、四になっていたでしょうか。この村では、とにかく中等学校を出ているのは、私ひとりで、あなたと一緒になれる資格のあるのは私だけだと、その前からぼんやり考えていた事でしたが、あのお弁当のおかずを取りかえて食べて、そうして、あなたのお母さんが、あなたに、清蔵さんのおかずは特別においしいようだね、と笑いながら言ったら、あなたは、だって清蔵さんはよその人じゃないんだもの、ねえ清蔵さん、と私のほうを見て妙に笑いました。覚えて、おいでですか。

(数枝)(火箸で灰を掻き撫でながら、無造作に)忘れちゃったわ。

(清蔵) そうですか。(溜息をついて)何もかも私が馬鹿だったのです。私はあの時、あなたにそう言われて、あまり嬉しくて、涙が出て、ごはんも喉(のど)にとおらなかった程だったのです。これはきっと数枝さんも、東京の学校を卒業して帰って来たら、私と一緒になるつもりなのに違いない、そうして、あなたのお母さんも、だいたいその気で居られるのだとそう思い込んでしまったのです。

(数枝) そりゃ、お母さんは、そんな気でいらっしゃったのかも知れないわ。あなたの家と私の家とは昔から親しくしているんだし、それにあなたは、お母さんのお気にいりだったし、だからあたしも、あなたを他人のようには思っていなかったんだけど、……でも、……。

(清蔵)(うなずき)そうでしょうとも、そうでしょうとも。私が馬鹿な勘違いをしたのです。けれども、数枝さん、私はそれから待ちましたよ。もうきっと、あなたと一緒になれるものと錯覚してしまって、心の中では、あなたをワイフと呼んで待っていましたのに、あなたは、あれっきりもう帰って来ない。この地方では男は二十三、四になると、たいていお嫁をもらっているのです。私にもいろんな縁談がありましたが、私は全部断りました。けれどもあなたは夏休みにも冬休みにも一こう村へ帰って来ないで、そのうちにあなたが、あなたの学校の先生で小説家でもある島田哲郎と結婚したという事を聞きました。まあ私の間(ま)の悪さはどんなだったか、察して下さい。私はそれから人が変りました。うちの精米場の手伝いもあまりしなくなりました。煙草の味も覚えました。酒を飲んで人に乱暴を働くようにもなりました。夜這いも、しました。

(数枝)(噴(ふ)き出して)嘘(うそ)、嘘。もうその辺からみんな嘘ね。男のひとって、なぜそんな見え透いた嘘をつくんだろう。ご自分の嘘がご自分に気附いていないみたいに、大まじめでそんな嘘を言ってるのね。あたしが東京へ行って、あなたの事を忘れてしまっていたように、あなただってそうなのよ。あたしと浪岡の停車場で別れてそれからずっと十年間もあたしの事ばかり思っているなんて事は、出来るわけは無いじゃありませんか。人間は皆、自分の毎日の生活に触れて来たものだけを考えて、それで一ぱいのものだわよ。自分の暮しに何の関係も無い、遠方にいる人の事なんか、たまあにはね、思い出す事もあるでしょうけど、いつのまにやら忘れてしまうものだわ。あなたがそんなにお酒を飲んだり乱暴を働いたりするようになったのは、ちっともあたしのせいじゃ無いような気がするわ。あなたには昔から、そのような素質があったなんて、そんな失礼な事はあたしは思っていないけれども、でも、それはみんなあなたの生活の環境から自然にそうなって行っただけの事じゃないの? この村で、のらくらして居れば、きっとそうなるにきまっているわ。それだけの事なのよ。あたしのせいだなんて、ひどいわ。あたしがあなたを忘れていたように、あなただって、あたしを忘れていたのよ。そうしてこんどあたしが帰って来たという事を聞いて、急に、気がかりになって、何だかあたしを憎らしくなって来たのに違いないわ。人間って、そんなものだわ。

(清蔵)(急にふてぶてしく)違うよ。その証拠には、私はいまでも独身です。いい加減に私を言いくるめようたって駄目です。私はもう、三十四になります。この地方では、三十四にもなって、独身でいると、まるでもう変り物の扱いを受けます。どこか、かたわなのではないかなどと、ひどい噂(うわさ)まで立てられます。それでも、私はあなたを忘れられなかった。あなたはもう、よそへお嫁に行ったのですし、あなたを忘れなければならぬと思っても、どうしてもそれは出来なかったのです。それには、理由があるのです。数枝さん、私は島田哲郎の小説を読んだのです。あなたの御亭主は、どんな小説を書いているのか、妙な好奇心から東京の本屋に注文して島田哲郎の新刊書を四五種類取り寄せました。取り寄せなければよかった。あれを読んで私はどんなにみじめに苦しんだか、あなたには想像もつかないでしょう。島田さんの、いや、島田の小説に出て来るさまざまの女は、何の事はない、みんなあなたです。あなたそっくりです。あのひとがあなたをどんなに可愛がっているか、また、あなたも、どんなにはり切ってあのひとに尽しているか、まざまざと私にはわかるのです。これでは私があなたを、忘れようたって忘れられないじゃありませんか。あなたが私からいくら遠く離れていたって、あの本を読めば、まるであなたたちが私の隣り部屋にでも寝起きしているように、なまなましく、やりきれない気がして来るのですもの。もう読むまいと思っても、それでも何か気がかりで、新聞などに島田の新刊書の広告などが出ていると、ついまた注文してしまって、そうして読んで、悶(もだ)えるのです。実に私は不仕合せな男です。そう思いませんか。島田の小説の中にこんな俳句がありました。白足袋(しろたび)や主婦の一日始まりぬ。白足袋や主婦の一日始まりぬ。実際、ひとを馬鹿にしている。私はあの句を読んだ時には、あなたの甲斐々々(かいがい)しく、また、なまめかしい姿がありありと眼の前に浮んで来て、いても立っても居られない気持でした。何だかもう、あなたたちにいいなぶりものにされているような気がして、仕様がありませんでした。これでは全く、酒を飲んでひとに乱暴を働きたくなるのも、もっともな事だと、そう思いませんか。いっそもう誰か田舎女(いなかおんな)をめとって、と考えた事もありましたが、白足袋や主婦の一日始まりぬ、そのあなたの美しいまぼろしが、いつも眼さきにちらついていながら、田舎女の、のろくさいおかみさん振りを眺めて暮すのは、あんまりみじめです。私もみじめですし、また、そんな事は何も知らずにどたばた立ち働いているその田舎女にも気の毒です。数枝さん、私はあなたのためにもう一生、妻をめとられない男になりました。島田の出征の事は、私は少しも知りませんでした。島田の小説がこの数年来ちっとも発表されなくなったのも、この大戦で、小説家たちも軍需工場か何かに進出して行かざるを得なくなったからだろうくらいに考えていました。しかし、新作の小説が出なくても、私の手許(てもと)には、以前の島田の本が何冊も残っています。あまりのろわしくて、焼いてしまおうかと思った事もありましたが、何だかそれは、あなたのからだを焼くような気がして、とても私には出来ませんでした。あの島田の本を、憎んでいながら、それでも、その本の中のあなたが慕わしくて、私は自分の手許から離す事が出来なかったのです。この十年間、あなたはいつも私の傍にいたのです。白足袋や主婦の一日始まりぬ。あなたのその綺麗な姿が、朝から晩まで、私の身のまわりにちらちら動いて、はたらいているのです。忘れようたって、とても駄目です。そこへ突然、あなたが帰って来られた。聞けば島田は、もうずっと前に出征して、そうしてどうやら戦死したらしいという事で、私は、……。

(数枝) それからあとは言えないでしょうね。あなたはもう、あたしが帰って来てから、二、三箇月間は朝から晩までこの家にいりびたりで、あたしのお父さんもお母さんもあんな気の弱い人たちばかりだから、あなたに来るなとも言えないで、ずいぶん困っているようだったから、あたしがあなたのお家へ行って、(言いながら、ふと畳の上に落ち散らばっている線香花火に目をとどめ、一本ひろってそれに火をつける。線香花火がパチパチ燃える。その火花を見つめながら)あなたのお母さんと、あなたの妹さんと、それからあなたと三人のいらっしゃる前で、あんなにしょっちゅうおいでになっては、ひとからへんな噂を立てられるにきまっているから、もうおいでにならないようにと申し上げて、それからぱったりあなたもおいでにならなくなって、(花火消える。別な一本を拾って、点火する)ほっとしていたら、こないだ突然あんな、いやらしい手紙を寄こして、本当に、あなたも変ったわね。村でもあなたは、ひどく評判が悪いようじゃないの。

(清蔵) いやらしくても何でも仕方がありません。私はあの手紙は、泣きながら書きました。男一匹、泣きながら書きました。きょうは、あの手紙の返事を聞きに来ました。イエスですか、ノオですか。それだけを聞かして下さい。きざなようですけれども、(ふところから、手拭いに包んだ出刃庖丁(でばぼうちょう)を出し、畳の上に置いて、薄笑いして)今夜は、こういうものを持って来ました。そんな花火なんかやめて、イエスかノオか、言って下さい。

(数枝)(花火が消えると、また別の花火を拾って点火する。以後も同様にして、五、六本ちかく続ける)この花火はね、二、三日前にあたしのお母さんが、睦子に買って下さったものなんですけど、あんな子供でも、ストーヴの傍でパチパチ燃える花火には、ちっとも興味が無いらしいのよ。つまらなそうに見ていたわ。やっぱり花火というものは、夏の夜にみんな浴衣(ゆかた)を着て庭の涼台(すずみだい)に集って、西瓜(すいか)なんかを食べながらパチパチやったら一ばん綺麗に見えるものなのでしょうね。でも、そんな時代は、もう、永遠に、(思わず溜息をつく)永遠に、来ないのかも知れないわ。冬の花火、冬の花火。ばからしくて間(ま)が抜けて、(片手にパチパチいう花火を持ったまま、もう一方の手で涙を拭く)清蔵さん、あなたもあたしも、いいえ、日本の人全部が、こんな、冬の花火みたいなものだわ。

(清蔵)(気抜けした態で)それは、どんな意味です。

(数枝) 意味も何もありやしないわ。見ればわかるじゃないの。日本は、もう、(突然、花火をやめて、袖(そで)で顔を覆う)何もかも、だめなのだわ。(袖から顔を半分出し、嗚咽(おえつ)しながら少し笑い)そうして、あたしも、もうだめなのだわ。どんなにあがいて努めても、だめになるだけなのだわ。

(清蔵)(何か勘違いしたらしく、もぞりと一膝(ひざ)すすめて)そう、そうです。このままでは、だめです。思い切って生活をかえる事です。睦子さんひとりくらいは立派に私が引受けて見せます。私の家はご承知のようにこのへんでたった一軒の精米屋ですから、米のほうは、どんなにしたってやりくりがつくのです。いまは精米屋が一ばんです。地主よりも誰よりも米の自由がきくのです。

(数枝)(全然それを聞いていない様子で、膝の上で袖の端をいじりながら)いつから日本の人が、こんなにあさましくて、嘘つきになったのでしょう。みんなにせものばかりで、知ったかぶってごまかして、わずかの学問だか主義だかみたいなものにこだわってぎくしゃくして、人を救うもないもんだ。人を救うなんて、まあ、そんなだいそれた、(第一幕に於けるが如き低い異様な笑声を発する)図々(ずうずう)しいにもほどがあるわ。日本の人が皆こんなあやつり人形みたいなへんてこな歩きかたをするようになったのは、いつ頃からの事かしら。ずっと前からだわ。たぶん、ずっとずっと前からだわ。

(清蔵)(たじろぎながら)それは、本当に、都会の人はそうでしょう。まったく、そうでしょう。しかし、田舎者の純情は、昔も今も同じです。数枝さん、(へんに笑い、また少し膝をすすめる)昔の事を思い出して下さい。私とあなたは、もうとうの昔から結ばれていたのです。どうしても一緒になるべき間柄だったのです。数枝さん、思い出して下さい。さすがに私もいままで、この事だけは恥かしくて言いかねていたのですが、数枝さん、私たちは小さい時に、あなたの家の藁小屋(わらごや)の藁にもぐって遊んだ事がありました。あの時の事を、よもや忘れてはいないでしょう? あなたは、女学校へはいるようになったら、もう、私とあんな事があったのをすっかり忘れてしまったような顔をしていましたが、あなたは、あの時から、私のところにお嫁に来なければならなくなっていたのです。私も童貞を失い、あなたも処女を。

(数枝)(驚愕(きょうがく)して立ち上り)まあ、あなたは何という事をおっしゃるのです。まるでそれではごろつきです。何の純情なものですか。あなたのような人こそ、悪人というのです。帰って下さい。お帰りにならなければ、人を呼びます。

(清蔵)(すっかり悪党らしく落ちつき)静かにしなさい。(出刃庖丁をちょっと持ち上げて見せて、軽く畳の上に投げ出し)これが見えませんか。今夜は、私も命がけです。いつまでも、そうそうあなたにからかわれていたくありません。イエスですか、ノオですか。

(数枝) よして下さい、いやらしい。女が、そんな、子供の頃のささいな事で一生ひとから攻められなければならないのでしたら、女は、あんまり、みじめです。ああ、あたしはあなたを殺してやりたい。(清蔵のほうを向きながら二、三歩あとずさりして、突然、うしろ手で背後の襖(ふすま)をあける。襖の外は階段の上り口。そこに、あさが立っている。数枝、そこにあさが立っているのを先刻より承知の如く、やはり清蔵のほうを見ながら)お母さん! たのむわ。この男を、帰らせてよ。毛虫みたいな男だわ。あたしはもう、口をきくのもいや。殺してやりたい。

(清蔵)(あさの立っているのを見て驚き)やあ、お母さん、あなたはそこにいたのですか。(急にはにかみ、畳の上の出刃庖丁をそそくさと懐(ふところ)にしまいこみ)失礼しました。帰りましょう。(立ち上り、二重廻しを着る)

(あさ)(おどおど部屋にはいり、清蔵の傍に寄り、清蔵が二重廻しを着るのにちょっと手伝い、おだやかに)清蔵さん、早くお嫁をもらいなさい。数枝には、もう、……。

(数枝)(小声で鋭く)お母さん! (言うなと眼つきで制する)

(清蔵)(はっと気附いた様子で)そうですか。数枝さん、あなたもひどい女だ。(にやりと笑って)凄(すご)い腕だ。おそれいりましたよ。私が毛虫なら、あなたは蛇(へび)だ。淫乱(いんらん)だ。女郎だ。みんなに言ってやる。ようし、みんなに言ってやる。(身をひるがえして、背後の雨戸をあける。どっと雪が吹き込む)

(あさ)(低く、きっぱりと)清蔵さん、お待ちなさい。(清蔵に抱きつくようにして、清蔵のふところをさぐり、出刃庖丁を取り出し、逆手に持って清蔵の胸を刺さんとする)

(清蔵)(間一髪にその手をとらえ)何をなさる。気が狂ったか、糞婆(くそばばあ)め。(庖丁を取り上げ、あさを蹴倒(けたお)し、外にのがれ出る。どさんと屋根から下へ飛び降りる音が聞える)

(数枝)(あさに武者振りついて)お母さん! つらいわよう。(子供のように泣く)

(あさ)(数枝を抱きかかえ)聞いていました。立聞きして悪いと思ったけど、お前の身が案じられて、それで、……(泣く)

(数枝) 知っていたわよう。お母さんは、あの襖の蔭で泣いていらした。あたしには、すぐにわかった。だけどお母さん、あたしの事はもう、ほっといて。あたしはもう、だめなのよ。だめになるだけなのよ。一生、どうしたって、幸福が来ないのよ。お母さん、あたしを東京で待っているひとは、あたしよりも年がずっと下のひとだわ。

(あさ)(おどろく様子)まあ、お前は。(数枝をひしと抱きかかえ)仕合せになれない子だよ。

(数枝)(いよいよ泣き)仕様が無いわ。仕様が無いわ。あたしと睦子が生きて行くためには、そうしなければいけなかったのよ。あたしが、わるいんじゃないわよ。あたしが、わるいんじゃないわよ。


雪が間断なく吹き込む。その辺の畳も、二人の髪、肩なども白くなって行く。

――幕。


     第三幕


舞台は、伝兵衛宅の奥の間。正面は堂々たる床の間だが、屏風(びょうぶ)が立てられているので、なかば以上かくされている。屏風はひどく古い鼠色(ねずみいろ)になった銀屏風。しかし、破れてはいない。上手(かみて)は障子。その障子の外は、廊下の気持。廊下のガラス戸から朝日がさし込み、障子をあかるくしている。下手(しもて)は襖(ふすま)。

幕あくと、部屋の中央にあさの病床。あさは、障子のほうを頭にして仰向に寝ている。かなりの衰弱。眠っている。枕元(まくらもと)には薬瓶(くすりびん)、薬袋、吸呑(すいの)み、その他。病床の手前には桐(きり)の火鉢(ひばち)が二つ。両方の火鉢にそれぞれ鉄瓶がかけられ、湯気が立っている。数枝、障子に向った小机の前に坐って、何か手紙らしいものを書いている。


第二幕より、十日ほど経過。


数枝、万年筆を置いて、机に頬杖(ほおづえ)をつき障子をぼんやり眺め、やがて声を立てずに泣く。

間。

あさ、眠りながら苦しげに呻(うめ)く。呻きが、つづく。


(数枝)(あさのほうを見て、机上の書きかけの手紙を畳んでふところにいれ、それから、立ってあさのほうへ行き、あさをゆり起し)お母さん、お母さん。

(あさ) ああ、(と眼ざめて深い溜息(ためいき)をつく)ああ、お前かい。

(数枝) どこか、お苦しい?

(あさ) いいえ、(溜息)何だかいやな、おそろしい夢を見て、……(語調をかえて)睦子は?

(数枝) けさ早く、おじいちゃんに連れられて弘前(ひろさき)へまいりました。

(あさ) 弘前へ? 何しに?

(数枝) あら、ご存じ無かったの? きのう来ていただいたお医者さんは、弘前の鳴海(なるみ)内科の院長さんよ。それでね、お父さんがきょう、鳴海先生のとこへお薬をもらいに行ったの。

(あさ) 睦子がいないと、淋(さび)しい。

(数枝) 静かでかえっていいじゃないの。でも、子供ってずいぶん現金なものねえ。おばあちゃんが御病気になったら、もうちっともおばあちゃんの傍には寄りつかず、こんどはやたらにおじいちゃんにばかり甘えて、へばりついているのだもの。

(あさ) そうじゃないよ。それはね、おじいちゃんが一生懸命に睦子のご機嫌(きげん)をとったから、そうなったのさ。おじいちゃんにして見れば、ここは何としても睦子を傍に引寄せていたいところだろうからね。

(数枝) あら、どうして? (火鉢に炭をついだり、鉄瓶に水をさしたり、あさの掛蒲団(かけぶとん)を直してやったり、いろいろしながら気軽い口調で話相手になってやっている)

(あさ) だって、あたしがいなくなった後でも、睦子がおじいちゃんになついて居れば、お前だって、東京へ帰りにくくなるだろうからねえ。

(数枝)(笑って)まあ、へんな事を言うわ。よしましょう、ばからしい。林檎(りんご)でもむきましょうか。お医者さんはね、何でも食べさえすれば、よくなるとおっしゃっていたわよ。

(あさ)(幽(かす)かに首を振り)食べたくない。なんにもいただきたくない。きのう来たお医者さんは、あたしの病気を、なんと言っていたの?

(数枝)(すこし躊躇(ちゅうちょ)して、それから、はっきりと)胆嚢炎(たんのうえん)、かも知れないって。この病気は、お母さんのように何を食べてもすぐ吐くのでからだが衰弱してしまって、それで危険な事があるけれども、でも、いまに食べものがおなかにおさまるようになったら、一週間くらいでよくなると言っていました。

(あさ)(薄笑いして)そうだといいがねえ。あたしは、もうだめなような気がするよ。その他にも何か病気があるんだろう? 手足がまるで動かない。

(数枝) そりゃお医者に見せたら、達者な人でも、いろんな事を言われるんだもの、それをいちいち気にしていたら、きりが無いわ。

(あさ) なんと言ったのだい。

(数枝) いいえ、何でも無いのよ。ただね、軽い脳溢血(のういっけつ)の気味があるようだとか、それから、脈がどうだとか、こうだとか、何だかいろいろ言っていたけど忘れちゃったわ。(おどけた口調で)要するにね、食べたいものを何でも、たくさん召上ったらなおるのよ。数枝という女博士の診断なら、そうだわ。

(あさ)(厳粛に)数枝、あたしはもう、なおりたくない。こうしてお前に看病してもらいながら早く死にたい。あたしには、それが一ばん仕合せなのです。


茶の間の時計が、ゆっくり十時を打つのが聞える。


(数枝)(あさの言う事に全く取り合わず、聞えぬ振りして)あら、もう十時よ。(立上り)葛湯(くずゆ)でもこしらえて来ましょう。本当に、何か召し上らないと。(言いながら上手の障子をあけて)おお、きょうは珍らしくいいお天気。

(あさ) 数枝、ここにいてくれ。何を食べても、すぐ吐きそうになって、かえって苦しむばかりだから。どこへも行かないで、あたしの傍にいてくれ。お前に、すこし言いたい事がある。

(数枝)(障子を静かにしめて、また病床の傍に坐り、あかるく)どうしたの? ね、お母さん。

(あさ) 数枝、お前はもう、東京へは帰らないだろうね。

(数枝)(あっさり)帰るつもりだわ。お父さんはあたしに、出て行けと言ったじゃないの。そうして、あの日からもう、あたしにはろくに口もききやしないんだもの。帰るより他は無いじゃないの。

(あさ) あたしがこんなに寝たきりになってもかい。

(数枝) お母さんの病気なんか、すぐなおるわよ。そりゃ、なおるまでは、やっぱりあたし、お父さんがどんなに出て行けって言ったって、この家に頑張(がんば)ってお母さんの看病をさせていただくつもりだけど。

(あさ) 何年でもかい。

(数枝) 何年でもって、(笑って)お母さん、すぐなおるわよ。

(あさ)(首を振り)だめ、だめ。あたしには、わかっています。数枝、あたしにもしもの事があったら、お前は、お父さんひとりをこの家に残して東京へ行くのですか。

(数枝) もう、いや。そんな話。(顔をそむけて泣く)もしも、そうなったら、もしも、そうなったら、数枝も死んでしまうから。

(あさ)(溜息をついて)あたしはお前を、世界で一ばん仕合せな子にしたかったのだけど、逆になってしまった。

(数枝) いいえ、あたしだけが不仕合せなんじゃないわ。いま日本で、ひとりでも、仕合せな人なんかあるかしら。あたしはね、お母さん、さっきこんな手紙を書いてみたのよ。(ふところから先刻書きかけの手紙を取り出し、小さくはしゃいで)ちょっと読んでみるわね。(小声で読む)拝啓。為替(かわせ)三百円たしかにいただきました。こちらへ来てから、お金の使い道がちっとも無くて、あなたからこれまで送っていただいたお金は、まだそっくりございます。あなたのほうこそ、いくらでもお金が要(い)るでございましょうに、もうこれからは、お金をこちらへ送って寄こしてはいけません。そうして、もしそちらでお金が急に要るような事があったら、電報でお知らせ下さいまし。こちらでは、本当になんにも要らないのですから、いくらでもすぐにお送り申します。それまで、おあずかり致して置きましょう。さて、相変らずお仕事におはげみの御様子、ことしの展覧会は、もうすぐはじまるとか、お正月がすぎたばかりなのに、ずいぶん早いのね。展覧会にお出しになる絵も、それでは、もうそろそろ出来上った頃と思います。新しい現実を描かなければならぬと、こないだのお手紙でおっしゃって居られましたが、何をおかきになったの? 上野駅前の浮浪者の群ですか? あたしならば、広島の焼跡をかくんだがなあ。そうでなければ、東京の私たちの頭上に降って来たあの美しい焔(ほのお)の雨。きっと、いい絵が出来るわよ。私のところでは、母が十日ほど前に、或(あ)るいやな事件のショックのために卒倒して、それからずっと寝込んで、あたしが看病してあげていますけど、久し振りであたしは、何だか張り合いを感じています。あたしはこの母を、あたしの命よりも愛しています。そうして母も、それと同じくらいあたしを愛しているのです。あたしの母は、立派な母です。そうして、それから、美しい母です。あたしがあの、ほとんど日本国中が空襲を受けているまっさいちゅうに、あなたたちのとめるのも振り切って、睦子を連れてまるで乞食(こじき)みたいな半狂乱の恰好(かっこう)で青森行きの汽車に乗り、途中何度も何度も空襲に遭(あ)って、いろいろな駅でおろされて野宿し、しまいには食べるものが無くなって、睦子と二人で抱き合って泣いていたら、或る女学生がおにぎりと、きざみ昆布(こんぶ)と、それから固パンをくれて、睦子はうれしさのあまり逆上したのか、そのおにぎりを女学生に向って怒って投げつけたりなどして、まあ、あさましい、みじめな乞食の親子になりさがり、それでもこの東北のはての生れた家へ帰りたくてならなかったのは、いま考えてみると、たしかにあたしは死ぬる前にいまいちどあたしの美しい母に逢いたい一念からだったのでした。あたしの母は、いい母です。こんどの母の病気も、もとはと言えば、あたしから起ったようなものなのです。あたしは、いまはこの母を少しでも仕合せにしてあげたい。その他の事は、いっさい考えない事にしました。母があたしにいつまでも、母の傍にいなさい、と言ったら、あたしは一生もう母の傍にいるつもりです。あなたのところへも帰らないつもりです。父は、世間に対する気がねやら、また母に対する義理やらで、早くあたしに東京へ帰れ、と言っていますが、しかし、母が病気で寝込んでしまったら、この父も、めっきり気弱く、我(が)が折れて来たようです。あたしは、もう東京へ帰らないかも知れません。もし、あなたのほうで、あたしをこいしく思って下さるなら、絵をかくのをおやめになって、この田舎へ来て、あたしと一緒にお百姓になって下さい。出来ないでしょうね。でも、そんな気になった時には、きっとおいで下さいまし。いまにあたたかくなり、雪が溶けて、田圃(たんぼ)の青草が見えて来るようになったら、あたしは毎日鍬(くわ)をかついで田畑に出て、黙って働くつもりです。あたしは、ただの百姓女になります。あたしだけでなく、睦子をも、百姓女にしてしまうつもりです。あたしは今の日本の、政治家にも思想家にも芸術家にも誰にもたよる気が致しません。いまは誰でも自分たちの一日一日の暮しの事で一ぱいなのでしょう? そんならそうと正直に言えばいいのに、まあ、厚かましく国民を指導するのなんのと言って、明るく生きよだの、希望を持てだの、なんの意味も無いからまわりのお説教ばかり並べて、そうしてそれが文化だってさ。呆(あき)れるじゃないの。文化ってどんな事なの? 文(ぶん)のお化(ば)けと書いてあるわね。どうして日本のひとたちは、こんなに誰もかれも指導者になるのが好きなのでしょう。大戦中もへんな指導者ばかり多くて閉口だったけれど、こんどはまた日本再建とやらの指導者のインフレーションのようですね。おそろしい事だわ。日本はこれからきっと、もっともっと駄目になると思うわ。若い人たちは勉強しなければいけないし、あたしたちは働かなければいけないのは、それは当りまえの事なのに、それを避けるために、いろいろと、もっともらしい理窟(りくつ)がつくのね。そうしてだんだん落ちるところまで落ちて行ってしまうのだわ。ねえ、アナーキーってどんな事なの? あたしは、それは、支那(しな)の桃源境みたいなものを作ってみる事じゃないかと思うの。気の合った友だちばかりで田畑を耕して、桃や梨(なし)や林檎(りんご)の木を植えて、ラジオも聞かず、新聞も読まず、手紙も来ないし、選挙も無いし、演説も無いし、みんなが自分の過去の罪を自覚して気が弱くて、それこそ、おのれを愛するが如く隣人を愛して、そうして疲れたら眠って、そんな部落を作れないものかしら。あたしはいまこそ、そんな部落が作れるような気がするわ。まずまあ、あたしがお百姓になって、自身でためしてみますからね。雪が消えたら、すぐあたしは、田圃に出て、(読むのをやめて、手紙を膝(ひざ)の上に置き、こわばった微笑を浮べて母のほうを見て)ここまで書いたのだけど、もうあたしは、この手紙が最後で鈴木さんとは、おわかれになるかも知れないわ。

(あさ) 鈴木さんというの?

(数枝) ええ、ずいぶんあたしたち、お世話になったわ。この方のおかげで、あたしと睦子は、あの戦争中もどうやら生きて行けたのだわ。でも、お母さん、あたしはもう、みんな忘れる。これからは一生、お母さんの傍にいるわ。考えてみると、お母さんだって、栄一が帰って来ないし、(言ってしまってから、どぎまぎして)でも、栄一は大丈夫よ。いまに、きっと元気で帰って来ると思うけど。

(あさ) お前と睦子が、この家にいてくれたら、栄一は帰って来なくても、かまいません。あの子の事は、もうあきらめているのです。数枝、あたしは栄一よりも、お前と睦子がふびんでならない。(泣く)

(数枝)(ハンケチであさの涙を拭いてやって)あたしは、あたしなんか、どうなったっていいのよ。本当にいつもそう思っているのよ。(うつむいて)悪い事ばかりして来たのだもの。

(あさ) 数枝、(変った声で)女には皆、秘密がある。お前は、それを隠さなかっただけだよ。

(数枝)(不思議そうにあさの顔を覗(のぞ)き込み)お母さん、いやだわ、そんな真面目(まじめ)な顔して。(はにかむような微笑)

(あさ)(それに構わず)あれから何日になりますか。

(数枝) いつから?

(あさ) あの夜から。

(数枝) さあ、もう十日くらい経つかしら。よしましょう、あの晩の話は。

(あさ) 十日? そうかねえ。たった十日。あたしには、半年も前のような気がする。

(数枝) だってお母さんは、あの晩にあれから階段の下で卒倒して、それっきり三日も意識不明でいたんだもの、あの晩の事はもうずっと遠い夢のような気がするのは無理もないわ。夢だわよ。あたしは、あれも忘れる事にしよう。何もかも忘れる事にしよう。あたしはお百姓になって、そうしてあたしたちの桃源境を作るんだ。

(あさ) 清蔵さんは、その後どうしているか、何か聞かなかったかい。

(数枝) 知らないわ、あんなひとの事。もうあたしは忘れてしまうのだから、いいのよ。お酒をよして、このごろ人が変ったみたいに働くようになったとか、きのうあのひとの妹さんが来て言ってたけど、でも、あてになりやしないわ。

(あさ) 早く、お嫁をもらえばいいのにね。

(数枝) 何かいまそんな話もあるんですって。妹さんが言ってたわ。こんどの縁談は、どうした事か、兄さんがとても乗気だって。あたしには、わかるわ。

(あさ) 何が、わかるの?

(数枝) 何がって、清蔵さんの気持が。

(あさ) どうして?

(数枝) どうしてって、だって、お母さんにあの晩あんなに迄(まで)されて、それでも改心しないなら、あのひとは馬鹿か悪魔だわ。

(あさ) その馬鹿か悪魔は、あたしだよ。あたしなのだよ。あたしは、あの晩、あの人を本当に殺そうとしたのだ。

(数枝) もういや、よしましょう、お母さん。あたしのために、みんなあたしのために、お母さん、ごめんなさいね、これからあたしは、(泣き出して)親孝行して、御恩をかえすのだから、もうなんにも言わないで。日本にはもう世界に誇るものがなんにも無くなったけれど、でも、あたしのお母さんは、あたしのお母さんだけは。

(あさ) ちがいます。あたしは、お前よりずっとずっと悪い女です。あたしは、あの晩、あのひとを殺そうとしたのは、お前のためではなかったのです。あたしのためです。数枝、あたしをこのまま死なせておくれ。死ぬのが一ばん仕合せなのです。数枝、あのひとは、六年前、ちょうどあのようにして、このあたしを、……。

(数枝)(顔を挙げ、蒼(あお)ざめる)

(あさ) あたしは、馬鹿で、だまされました。女は、女は、どうしてこんなに、……。(泣く)

(数枝)(苦痛に堪えざるものの如く、荒い呼吸をして、やがて立ち上る。膝から手紙が舞い落ちる。それに眼をとどめて)桃源境、ユートピア、お百姓、(第一幕に於けるが如き低い異様の笑声を発する)ばかばかしい。みんな、ばかばかしい。これが日本の現実なのだわ。(高くあははと笑う)さあ、日本の指導者たち、あたしたちを救って下さい。出来ますか、出来ますか。(と言いながら、手紙を拾い、二つに裂く、四つに裂く、八つに裂く、こまごまに裂き)えい、勝手になさいだ。あたし、東京の好きな男のところへ行くんだ。落ちるところまで、落ちて行くんだ。理想もへちまもあるもんか。


玄関を乱暴にあける音聞える。

「電報です。島田数枝さん。電報です。」という配達人の声。


(数枝) あら、あたしに電報。いやだ、いやだ。ろくな事じゃない。いまの日本の誰にだって、いい知らせなんかありっこないんだ。悪い知らせにきまっている。(うろついて、手にしているたくさんの紙片を、ぱっと火鉢に投げ込む。火焔(かえん)あがる)ああ、これも花火。(狂ったように笑う)冬の花火さ。あたしのあこがれの桃源境も、いじらしいような決心も、みんなばかばかしい冬の花火だ。


玄関にて、「電報ですよ。どなたか、居りませんか。島田数枝さん。至急報ですよ。」という声つづくうちに、

――幕。


Posted by 문학관 관리인 위어조자(謂語助者)

뚝따닥 뚝딱(トカトントン:とかとんとん)

다자이 오사무(太宰 治) (1947)

일본어 원문


 拝啓。

 一つだけ教えて下さい。困っているのです。

 私はことし二十六歳です。生れたところは、青森市の寺町です。たぶんご存じないでしょうが、寺町の清華寺の隣りに、トモヤという小さい花屋がありました。わたしはそのトモヤの次男として生れたのです。青森の中学校を出て、それから横浜の或る軍需工場の事務員になって、三年勤め、それから軍隊で四年間暮し、無条件降伏と同時に、生れた土地へ帰って来ましたが、既に家は焼かれ、父と兄と嫂(あによめ)と三人、その焼跡にあわれな小屋を建てて暮していました。母は、私の中学四年の時に死んだのです。

 さすがに私は、その焼跡の小さい住宅にもぐり込むのは、父にも兄夫婦にも気の毒で、父や兄とも相談の上、このAという青森市から二里ほど離れた海岸の部落の三等郵便局に勤める事になったのです。この郵便局は、死んだ母の実家で、局長さんは母の兄に当っているのです。ここに勤めてから、もうかれこれ一箇年以上になりますが、日ましに自分がくだらないものになって行くような気がして、実に困っているのです。

 私があなたの小説を読みはじめたのは、横浜の軍需工場で事務員をしていた時でした。「文体」という雑誌に載っていたあなたの短い小説を読んでから、それから、あなたの作品を捜して読む癖がついて、いろいろ読んでいるうちに、あなたが私の中学校の先輩であり、またあなたは中学時代に青森の寺町の豊田さんのお宅にいらしたのだと言う事を知り、胸のつぶれる思いをしました。呉服屋の豊田さんなら、私の家と同じ町内でしたから、私はよく知っているのです。先代の太左衛門さんは、ふとっていらっしゃいましたから、太左衛門というお名前もよく似合っていましたが、当代の太左衛門さんは、痩(や)せてそうしてイキでいらっしゃるから、羽左衛門さんとでもお呼びしたいようでした。でも、皆さんがいいお方のようですね。こんどの空襲で豊田さんも全焼し、それに土蔵まで焼け落ちたようで、お気の毒です。私はあなたが、あの豊田さんのお家にいらした事があるのだという事を知り、よっぽど当代の太左衛門さんにお願いして紹介状を書いていただき、あなたをおたずねしようかと思いましたが、小心者ですから、ただそれを空想してみるばかりで、実行の勇気はありませんでした。

 そのうちに私は兵隊になって、千葉県の海岸の防備にまわされ、終戦までただもう毎日々々、穴掘りばかりやらされていましたが、それでもたまに半日でも休暇があると町へ出て、あなたの作品を捜して読みました。そうして、あなたに手紙を差上げたくて、ペンを執ってみた事が何度あったか知れません。けれども、拝啓、と書いて、それから、何と書いていいのやら、別段用事は無いのだし、それに私はあなたにとってはまるで赤の他人なのだし、ペンを持ったままひとりで当惑するばかりなのです。やがて、日本は無条件降伏という事になり、私も故郷にかえり、Aの郵便局に勤めましたが、こないだ青森へ行ったついでに、青森の本屋をのぞき、あなたの作品を捜して、そうしてあなたも罹災(りさい)して生れた土地の金木町に来ているという事を、あなたの作品に依って知り、再び胸のつぶれる思いが致しました。それでも私は、あなたの御生家に突然たずねて行く勇気は無く、いろいろ考えた末、とにかく手紙を、書きしたためる事にしたのです。こんどは私も、拝啓、と書いただけで途方にくれるような事はないのです。なぜなら、これは用事の手紙ですから。しかも火急の用事です。

 教えていただきたい事があるのです。本当に、困っているのです。しかもこれは、私ひとりの問題でなく、他にもこれと似たような思いで悩んでいるひとがあるような気がしますから、私たちのために教えて下さい。横浜の工場にいた時も、また軍隊にいた時も、あなたに手紙を出したい出したいと思い続け、いまやっとあなたに手紙を差上げる、その最初の手紙が、このようなよろこびの少い内容のものになろうとは、まったく、思いも寄らない事でありました。

 昭和二十年八月十五日正午に、私たちは兵舎の前の広場に整列させられて、そうして陛下みずからの御放送だという、ほとんど雑音に消されて何一つ聞きとれなかったラジオを聞かされ、そうして、それから、若い中尉がつかつかと壇上に駈けあがって、

「聞いたか。わかったか。日本はポツダム宣言を受諾し、降参をしたのだ。しかし、それは政治上の事だ。われわれ軍人は、あく迄(まで)も抗戦をつづけ、最後には皆ひとり残らず自決して、以て大君におわびを申し上げる。自分はもとよりそのつもりでいるのだから、皆もその覚悟をして居れ。いいか。よし。解散」

 そう言って、その若い中尉は壇から降りて眼鏡をはずし、歩きながらぽたぽた涙を落しました。厳粛とは、あのような感じを言うのでしょうか。私はつっ立ったまま、あたりがもやもやと暗くなり、どこからともなく、つめたい風が吹いて来て、そうして私のからだが自然に地の底へ沈んで行くように感じました。

 死のうと思いました。死ぬのが本当だ、と思いました。前方の森がいやにひっそりして、漆黒に見えて、そのてっぺんから一むれの小鳥が一つまみの胡麻粒(ごまつぶ)を空中に投げたように、音もなく飛び立ちました。

 ああ、その時です。背後の兵舎のほうから、誰やら金槌(かなづち)で釘(くぎ)を打つ音が、幽(かす)かに、トカトントンと聞えました。それを聞いたとたんに、眼から鱗(うろこ)が落ちるとはあんな時の感じを言うのでしょうか、悲壮も厳粛も一瞬のうちに消え、私は憑(つ)きものから離れたように、きょろりとなり、なんともどうにも白々しい気持で、夏の真昼の砂原を眺め見渡し、私には如何(いか)なる感慨も、何も一つも有りませんでした。

 そうして私は、リュックサックにたくさんのものをつめ込んで、ぼんやり故郷に帰還しました。

 あの、遠くから聞えて来た幽かな、金槌の音が、不思議なくらい綺麗(きれい)に私からミリタリズムの幻影を剥(は)ぎとってくれて、もう再び、あの悲壮らしい厳粛らしい悪夢に酔わされるなんて事は絶対に無くなったようですが、しかしその小さい音は、私の脳髄の金的(きんてき)を射貫いてしまったものか、それ以後げんざいまで続いて、私は実に異様な、いまわしい癲癇(てんかん)持ちみたいな男になりました。

 と言っても決して、兇暴(きょうぼう)な発作などを起すというわけではありません。その反対です。何か物事に感激し、奮い立とうとすると、どこからとも無く、幽かに、トカトントンとあの金槌の音が聞えて来て、とたんに私はきょろりとなり、眼前の風景がまるでもう一変してしまって、映写がふっと中絶してあとにはただ純白のスクリンだけが残り、それをまじまじと眺めているような、何ともはかない、ばからしい気持になるのです。

 さいしょ、私は、この郵便局に来て、さあこれからは、何でも自由に好きな勉強ができるのだ、まず一つ小説でも書いて、そうしてあなたのところへ送って読んでいただこうと思い、郵便局の仕事のひまひまに、軍隊生活の追憶を書いてみたのですが、大いに努力して百枚ちかく書きすすめて、いよいよ今明日のうちに完成だという秋の夕暮、局の仕事もすんで、銭湯へ行き、お湯にあたたまりながら、今夜これから最後の章を書くにあたり、オネーギンの終章のような、あんなふうの華やかな悲しみの結び方にしようか、それともゴーゴリの「喧嘩噺(けんかばなし)」式の絶望の終局にしようか、などひどい興奮でわくわくしながら、銭湯の高い天井からぶらさがっている裸電球の光を見上げた時、トカトントン、と遠くからあの金槌の音が聞えたのです。とたんに、さっと浪がひいて、私はただ薄暗い湯槽(ゆぶね)の隅で、じゃぼじゃぼお湯を掻(か)きまわして動いている一個の裸形の男に過ぎなくなりました。

 まことにつまらない思いで、湯槽から這(は)い上って、足の裏の垢(あか)など、落して銭湯の他の客たちの配給の話などに耳を傾けていました。プウシキンもゴーゴリも、それはまるで外国製の歯ブラシの名前みたいな、味気ないものに思われました。銭湯を出て、橋を渡り、家へ帰って黙々とめしを食い、それから自分の部屋に引き上げて、机の上の百枚ちかくの原稿をぱらぱらとめくって見て、あまりのばかばかしさに呆(あき)れ、うんざりして、破る気力も無く、それ以後の毎日の鼻紙に致しました。それ以来、私はきょうまで、小説らしいものは一行も書きません。伯父のところに、わずかながら蔵書がありますので、時たま明治大正の傑作小説集など借りて読み、感心したり、感心しなかったり、甚だふまじめな態度で吹雪の夜は早寝という事になり、まったく「精神的」でない生活をして、そのうちに、世界美術全集などを見て、以前あんなに好きだったフランスの印象派の画には、さほど感心せず、このたびは日本の元禄時代の尾形光琳(こうりん)と尾形乾山(けんざん)と二人の仕事に一ばん眼をみはりました。光琳の躑躅(つつじ)などは、セザンヌ、モネー、ゴーギャン、誰の画よりも、すぐれていると思われました。こうしてまた、だんだん私の所謂(いわゆる)精神生活が、息を吹きかえして来たようで、けれどもさすがに自分が光琳、乾山のような名家になろうなどという大それた野心を起す事はなく、まあ片田舎のディレッタント、そうして自分に出来る精一ぱいの仕事は、朝から晩まで郵便局の窓口に坐って、他人の紙幣をかぞえている事、せいぜいそれくらいのところだが、私のような無能無学の人間には、そんな生活だって、あながち堕落の生活ではあるまい。謙譲の王冠というものも、有るかも知れぬ。平凡な日々の業務に精励するという事こそ最も高尚な精神生活かも知れない。などと少しずつ自分の日々の暮しにプライドを持ちはじめて、その頃ちょうど円貨の切り換えがあり、こんな片田舎の三等郵便局でも、いやいや、小さい郵便局ほど人手不足でかえって、てんてこ舞いのいそがしさだったようで、あの頃は私たちは毎日早朝から預金の申告受附けだの、旧円の証紙張りだの、へとへとになっても休む事が出来ず、殊にも私は、伯父の居候の身分ですから御恩返しはこの時とばかりに、両手がまるで鉄の手袋でもはめているように重くて、少しも自分の手の感じがしなくなったほどに働きました。

 そんなに働いて、死んだように眠って、そうして翌(あく)る朝は枕元の目ざまし時計の鳴ると同時にはね起き、すぐ局へ出て大掃除をはじめます。掃除などは、女の局員がする事になっていたのですが、その円貨切り換えの大騒ぎがはじまって以来、私の働き振りに異様なハズミがついて、何でもかでも滅茶苦茶に働きたくなって、きのうよりは今日、きょうよりは明日と物凄(ものすご)い加速度を以て、ほとんど半狂乱みたいな獅子奮迅(ししふんじん)をつづけ、いよいよ切り換えの騒ぎも、きょうでおしまいという日に、私はやはり薄暗いうちから起きて局の掃除を大車輪でやって、全部きちんとすましてから私の受持の窓口のところに腰かけて、ちょうど朝日が私の顔にまっすぐにさして来て、私は寝不足の眼を細くして、それでも何だかひどく得意な満足の気持で、労働は神聖なり、という言葉などを思い出し、ほっと溜息(ためいき)をついた時に、トカトントンとあの音が遠くから幽かに聞えたような気がして、もうそれっきり、何もかも一瞬のうちに馬鹿らしくなり、私は立って自分の部屋に行き、蒲団(ふとん)をかぶって寝てしまいました。ごはんの知らせが来ても、私は、からだ工合が悪いから、きょうは起きない、とぶっきらぼうに言い、その日は局でも一ばんいそがしかったようで、最も優秀な働き手の私に寝込まれて実にみんな困った様子でしたが、私は終日うつらうつら眠っていました。伯父への御恩返しも、こんな私の我儘(わがまま)のために、かえってマイナスになったようでしたが、もはや、私には精魂こめて働く気などは少しもなく、その翌る日には、ひどく朝寝坊をして、そうしてぼんやり私の受持の窓口に坐り、あくびばかりして、たいていの仕事は、隣りの女の局員にまかせきりにしていました。そうしてその翌日も、翌々日も、私は甚だ気力の無いのろのろしていて不機嫌な、つまり普通の、あの窓口局員になりました。

「まだお前は、どこか、からだ工合がわるいのか」

 と伯父の局長に聞かれても薄笑いして、

「どこも悪くない。神経衰弱かも知れん」

 と答えます。

「そうだ、そうだ」と伯父は得意そうに、「俺もそうにらんでいた。お前は頭が悪いくせに、むずかしい本を読むからそうなる。俺やお前のように、頭の悪い男は、むずかしい事を考えないようにするのがいいのだ」と言って笑い、私も苦笑しました。

 この伯父は専門学校を出た筈(はず)の男ですが、さっぱりどこにもインテリらしい面影が無いんです。

 そうしてそれから、(私の文章には、ずいぶん、そうしてそれからが多いでしょう? これもやはり頭の悪い男の文章の特色でしょうかしら。自分でも大いに気になるのですが、でも、つい自然に出てしまうので、泣寝入りです)そうしてそれから、私は、コイをはじめたのです。お笑いになってはいけません。いや、笑われたって、どう仕様も無いんです。金魚鉢のメダカが、鉢の底から二寸くらいの個所にうかんで、じっと静止して、そうしておのずから身ごもっているように、私も、ぼんやり暮しながら、いつとはなしに、どうやら、羞(は)ずかしい恋をはじめていたのでした。

 恋をはじめると、とても音楽が身にしみて来ますね。あれがコイのヤマイの一ばんたしかな兆候だと思います。

 片恋なんです。でも私は、その女のひとを好きで好きで仕方が無いんです。そのひとは、この海岸の部落にたった一軒しかない小さい旅館の、女中さんなのです。まだ、はたち前のようです。伯父の局長は酒飲みですから、何か部落の宴会が、その旅館の奥座敷でひらかれたりするたびごとに、きっと欠かさず出かけますので、伯父とその女中さんとはお互い心易い様子で、女中さんが貯金だの保険だのの用事で郵便局の窓口の向う側にあらわれると、伯父はかならず、可笑(おか)しくもない陳腐な冗談を言ってその女中さんをからかうのです。

「このごろはお前も景気がいいと見えて、なかなか貯金にも精が出るのう。感心かんしん。いい旦那でも、ついたかな?」

「つまらない」

 と言います。そうして、じっさい、つまらなそうな顔をして言います。ヴァン・ダイクの画の、女の顔でなく、貴公子の顔に似た顔をしています。時田花江という名前です。貯金帳にそう書いてあるんです。以前は、宮城県にいたようで、貯金帳の住所欄には、以前のその宮城県の住所も書かれていて、そうして赤線で消されて、その傍にここの新しい住所が書き込まれています。女の局員たちの噂(うわさ)では、なんでも、宮城県のほうで戦災に遭って、無条件降伏直前に、この部落へひょっこりやって来た女で、あの旅館のおかみさんの遠い血筋のものだとか、そうして身持ちがよろしくないようで、まだ子供のくせに、なかなかの凄腕(すごうで)だとかいう事でしたが、疎開して来たひとで、その土地の者たちの評判のいいひとなんて、ひとりもありません。私はそんな、凄腕などという事は少しも信じませんでしたが、しかし、花江さんの貯金も決して乏しいものではありませんでした。郵便局の局員が、こんな事を公表してはいけない事になっているのですけど、とにかく花江さんは、局長にからかわれながらも、一週間にいちどくらいは二百円か三百円の新円を貯金しに来て、総額がぐんぐん殖えているんです。まさか、いい旦那がついたから、とも思いませんが、私は花江さんの通帳に弐百円とか参百円とかのハンコを押すたんびに、なんだか胸がどきどきして顔があからむのです。

 そうして次第に私は苦しくなりました。花江さんは決して凄腕なんかじゃないんだけれども、しかし、この部落の人たちはみんな花江さんをねらって、お金なんかをやって、そうして、花江さんをダメにしてしまうのではなかろうか。きっとそうだ、と思うと、ぎょっとして夜中に床からむっくり起き上った事さえありました。

 けれども花江さんは、やっぱり一週間にいちどくらいの割で、平気でお金を持って来ます。いまはもう、胸がどきどきして顔が赤らむどころか、あんまり苦しくて顔が蒼(あお)くなり額に油汗のにじみ出るような気持で、花江さんの取り澄まして差出す証紙を貼(は)った汚い十円紙幣を一枚二枚と数えながら、矢庭に全部ひき裂いてしまいたい発作に襲われた事が何度あったか知れません。そうして私は、花江さんに一こと言ってやりたかった。あの、れいの鏡花の小説に出て来る有名な、せりふ、「死んでも、ひとのおもちゃになるな!」と、キザもキザ、それに私のような野暮な田舎者には、とても言い出し得ない台詞(せりふ)ですが、でも私は大まじめに、その一言を言ってやりたくて仕方が無かったんです。死んでも、ひとのおもちゃになるな、物質がなんだ、金銭がなんだ、と。

 思えば思われるという事は、やっぱり有るものでしょうか。あれは五月の、なかば過ぎの頃でした。花江さんは、れいの如く、澄まして局の窓口の向う側にあらわれ、どうぞと言ってお金と通帳を私に差出します。私は溜息をついてそれを受取り、悲しい気持で汚い紙幣を一枚二枚とかぞえます。そうして通帳に金額を記入して、黙って花江さんに返してやります。

「五時頃、おひまですか?」

 私は、自分の耳を疑いました。春の風にたぶらかされているのではないかと思いました。それほど低く素早い言葉でした。

「おひまでしたら、橋にいらして」

 そう言って、かすかに笑い、すぐにまた澄まして花江さんは立ち去りました。

 私は時計を見ました。二時すこし過ぎでした。それから五時まで、だらしない話ですが、私は何をしていたか、いまどうしても思い出す事が出来ないのです。きっと、何やら深刻な顔をして、うろうろして、突然となりの女の局員に、きょうはいいお天気だ、なんて曇っている日なのに、大声で言って、相手がおどろくと、ぎょろりと睨(にら)んでやって、立ち上って便所へ行ったり、まるで阿呆みたいになっていたのでしょう。五時、七、八分まえに私は、家を出ました。途中、自分の両手の指の爪がのびているのを発見して、それがなぜだか、実に泣きたいくらい気になったのを、いまでも覚えています。

 橋のたもとに、花江さんが立っていました。スカートが短かすぎるように思われました。長いはだかの脚をちらと見て、私は眼を伏せました。

「海のほうへ行きましょう」

 花江さんは、落ちついてそう言いました。

 花江さんがさきに、それから五、六歩はなれて私が、ゆっくり海のほうへ歩いて行きました。そうして、それくらい離れて歩いているのに、二人の歩調が、いつのまにか、ぴったり合ってしまって、困りました。曇天で、風が少しあって、海岸には砂ほこりが立っていました。

「ここが、いいわ」

 岸にあがっている大きい漁船と漁船のあいだに花江さんは、はいって行って、そうして砂地に腰をおろしました。

「いらっしゃい。坐ると風が当らなくて、あたたかいわ」

 私は花江さんが両脚を前に投げ出して坐っている個所から、二メートルくらい離れたところに腰をおろしました。

「呼び出したりして、ごめんなさいね。でも、あたし、あなたに一こと言わずには居られないのよ。あたしの貯金の事、ね、へんに思っていらっしゃるんでしょう?」

 私も、ここだと思い、しゃがれた声で答えました。

「へんに、思っています。」

「そう思うのが当然ね」と言って花江さんは、うつむき、はだかの脚に砂を掬(すく)って振りかけながら、「あれはね、あたしのお金じゃないのよ。あたしのお金だったら、貯金なんかしやしないわ。いちいち貯金なんて、めんどうくさい」

 成る程と思い、私は黙ってうなずきました。

「そうでしょう? あの通帳はね、おかみさんのものなのよ。でも、それは絶対に秘密よ。あなた、誰にも言っちゃだめよ。おかみさんが、なぜそんな事をするのか、あたしには、ぼんやりわかっているんだけど、でも、それはとても複雑している事なんですから、言いたくないわ。つらいのよ、あたしは。信じて下さる?」

 すこし笑って花江さんの眼が妙に光って来たと思ったら、それは涙でした。

 私は花江さんにキスしてやりたくて、仕様がありませんでした。花江さんとなら、どんな苦労をしてもいいと思いました。

「この辺のひとたちは、みんな駄目ねえ。あたし、あなたに、誤解されてやしないかと思って、あなたに一こと言いたくって、それできょうね、思い切って」

 その時、実際ちかくの小屋から、トカトントンという釘打つ音が聞えたのです。この時の音は、私の幻聴ではなかったのです。海岸の佐々木さんの納屋(なや)で、事実、音高く釘を打ちはじめたのです。トカトントン、トントントカトン、とさかんに打ちます。私は、身ぶるいして立ち上りました。

「わかりました。誰にも言いません。」花江さんのすぐうしろに、かなり多量の犬の糞(ふん)があるのをそのとき見つけて、よっぽどそれを花江さんに注意してやろうかと思いました。

 波は、だるそうにうねって、きたない帆をかけた船が、岸のすぐ近くをよろよろと、とおって行きます。

「それじゃ、失敬」

 空々漠々たるものでした。貯金がどうだって、俺の知った事か。もともと他人なんだ。ひとのおもちゃになったって、どうなったって、ちっともそれは俺に関係した事じゃない。ばかばかしい。腹がへった。

 それからも、花江さんは相変らず、一週間か十日目くらいに、お金を持って来て貯金して、もういまでは何千円かの額になっていますが、私には少しも興味がありません。花江さんの言ったように、それはおかみさんのお金なのか、または、やっぱり花江さんのお金なのか、どっちにしたって、それは全く私には関係の無い事ですもの。

 そうして、いったいこれは、どちらが失恋したという事になるのかと言えば、私には、どうしても、失恋したのは私のほうだというような気がしているのですけれども、しかし、失恋して別段かなしい気も致しませんから、これはよっぽど変った失恋の仕方だと思っています。そうして私は、またもや、ぼんやりした普通の局員になったのです。

 六月にはいってから、私は用事があって青森へ行き、偶然、労働者のデモを見ました。それまでの私は社会運動または政治運動というようなものには、あまり興味が無い、というよりは、絶望に似たものを感じていたのです。誰がやったって、同じ様なものなんだ。また自分が、どのような運動に参加したって、所詮(しょせん)はその指導者たちの、名誉慾か権勢慾の乗りかかった船の、犠牲になるだけの事だ。何の疑うところも無く堂々と所信を述べ、わが言に従えば必ずや汝(なんじ)自身ならびに汝の家庭、汝の村、汝の国、否全世界が救われるであろうと、大見得を切って、救われないのは汝等がわが言に従わないからだとうそぶき、そうして一人のおいらんに、振られて振られて振られとおして、やけになって公娼(こうしょう)廃止を叫び、憤然として美男の同志を殴り、あばれて、うるさがられて、たまたま勲章をもらい、沖天(ちゅうてん)の意気を以てわが家に駈け込み、かあちゃんこれだ、と得意満面、その勲章の小箱をそっとあけて女房に見せると、女房は冷たく、あら、勲五等じゃないの、せめて勲二等くらいでなくちゃねえ、と言い、亭主がっかり、などという何が何やらまるで半気狂(きちが)いのような男が、その政治運動だの社会運動だのに没頭しているものとばかり思い込んでいたのです。それですから、ことしの四月の総選挙も、民主主義とか何とか言って騒ぎ立てても、私には一向にその人たちを信用する気が起らず、自由党、進歩党は相変らずの古くさい人たちばかりのようでまるで問題にならず、また社会党、共産党は、いやに調子づいてはしゃいでいるけれども、これはまた敗戦便乗とでもいうのでしょうか、無条件降伏の屍(しかばね)にわいた蛆虫(うじむし)のような不潔な印象を消す事が出来ず、四月十日の投票日にも私は、伯父の局長から自由党の加藤さんに入れるようにと言われていたのですが、はいはいと言って家を出て海岸を散歩して、それだけで帰宅しました。社会問題や政治問題に就いてどれだけ言い立てても、私たちの日々の暮しの憂鬱は解決されるものではないと思っていたのですが、しかし、私はあの日、青森で偶然、労働者のデモを見て、私の今までの考えは全部間違っていた事に気がつきました。

 生々溌剌(せいせいはつらつ)、とでも言ったらいいのでしょうか。なんとまあ、楽しそうな行進なのでしょう。憂鬱の影も卑屈の皺(しわ)も、私は一つも見出す事が出来ませんでした。伸びて行く活力だけです。若い女のひとたちも、手に旗を持って労働歌を歌い、私は胸が一ぱいになり、涙が出ました。ああ、日本が戦争に負けて、よかったのだと思いました。生れてはじめて、真の自由というものの姿を見た、と思いました。もしこれが、政治運動や社会運動から生れた子だとしたなら、人間はまず政治思想、社会思想をこそ第一に学ぶべきだと思いました。

 なおも行進を見ているうちに、自分の行くべき一条の光りの路がいよいよ間違い無しに触知せられたような大歓喜の気分になり、涙が気持よく頬を流れて、そうして水にもぐって眼をひらいてみた時のように、あたりの風景がぼんやり緑色に烟(けむ)って、そうしてその薄明の漾々(ようよう)と動いている中を、真紅の旗が燃えている有様を、ああその色を、私はめそめそ泣きながら、死んでも忘れまいと思ったら、トカトントンと遠く幽かに聞えて、もうそれっきりになりました。

 いったい、あの音はなんでしょう。虚無(ニヒル)などと簡単に片づけられそうもないんです。あのトカトントンの幻聴は、虚無(ニヒル)をさえ打ちこわしてしまうのです。

 夏になると、この地方の青年たちの間で、にわかにスポーツ熱がさかんになりました。私には多少、年寄りくさい実利主義的な傾向もあるのでしょうか、何の意味も無くまっぱだかになって角力(すもう)をとり、投げられて大怪我をしたり、顔つきをかえて走って誰よりも誰が早いとか、どうせ百メートル二十秒の組でどんぐりの背ならべなのに、ばかばかしい、というような気がして、青年たちのそんなスポーツに参加しようと思った事はいちども無かったのです。けれども、ことしの八月に、この海岸線の各部落を縫って走破する駅伝競走というものがあって、この郡の青年たちが大勢参加し、このAの郵便局も、その競争の中継所という事になり、青森を出発した選手が、ここで次の選手と交代になるのだそうで、午前十時少し過ぎ、そろそろ青森を出発した選手たちがここへ到着する頃だというので、局の者たちは皆、外へ見物に出て、私と局長だけ局に残って簡易保険の整理をしていましたが、やがて、来た、来た、というどよめきが聞え、私は立って窓から見ていましたら、それがすなわちラストヘビーというもののつもりなのでしょう、両手の指の股(また)を蛙(かえる)の手のようにひろげ、空気を掻き分けて進むというような奇妙な腕の振り工合で、そうしてまっぱだかにパンツ一つ、もちろん裸足(はだし)で、大きい胸を高く突き上げ、苦悶(くもん)の表情よろしく首をそらして左右にうごかし、よたよたよたと走って局の前まで来て、ううんと一声唸(うな)って倒れ、

「ようし! 頑張ったぞ!」と附添の者が叫んで、それを抱き上げ、私の見ている窓の下に連れて来て、用意の手桶(ておけ)の水を、ざぶりとその選手にぶっかけ、選手はほとんど半死半生の危険な状態のようにも見え、顔は真蒼(まっさお)でぐたりとなって寝ている、その姿を眺めて私は、実に異様な感激に襲われたのです。

 可憐(かれん)、などと二十六歳の私が言うのも思い上っているようですが、いじらしさ、と言えばいいか、とにかく、力の浪費もここまで来ると、見事なものだと思いました。このひとたちが、一等をとったって二等をとったって、世間はそれにほとんど興味を感じないのに、それでも生命(いのち)懸けで、ラストヘビーなんかやっているのです。別に、この駅伝競争に依って、所謂文化国家を建設しようという理想を持っているわけでもないでしょうし、また、理想も何も無いのに、それでも、おていさいから、そんな理想を口にして走って、以て世間の人たちにほめられようなどとも思っていないでしょう。また、将来大マラソン家になろうという野心も無く、どうせ田舎の駈けっくらで、タイムも何も問題にならん事は、よく知っているでしょうし、家へ帰っても、その家族の者たちに手柄話などする気もなく、かえってお父さんに叱られはせぬかと心配して、けれども、それでも走りたいのです。いのちがけで、やってみたいのです。誰にほめられなくてもいいんです。ただ、走ってみたいのです。無報酬の行為です。幼児の危い木登りには、まだ柿の実を取って食おうという慾がありましたが、このいのちがけのマラソンには、それさえありません。ほとんど虚無の情熱だと思いました。それが、その時の私の空虚な気分にぴったり合ってしまったのです。

 私は局員たちを相手にキャッチボールをはじめました。へとへとになるまで続けると、何か脱皮に似た爽(さわ)やかさが感ぜられ、これだと思ったとたんに、やはりあのトカトントンが聞えるのです。あのトカトントンの音は、虚無の情熱をさえ打ち倒します。

 もう、この頃では、あのトカトントンが、いよいよ頻繁に聞え、新聞をひろげて、新憲法を一条一条熟読しようとすると、トカトントン、局の人事に就いて伯父から相談を掛けられ、名案がふっと胸に浮んでも、トカトントン、あなたの小説を読もうとしても、トカトントン、こないだこの部落に火事があって起きて火事場に駈けつけようとして、トカトントン、伯父のお相手で、晩ごはんの時お酒を飲んで、も少し飲んでみようかと思って、トカトントン、もう気が狂ってしまっているのではなかろうかと思って、これもトカトントン、自殺を考え、トカトントン。

「人生というのは、一口に言ったら、なんですか」

 と私は昨夜、伯父の晩酌の相手をしながら、ふざけた口調で尋ねてみました。

「人生、それはわからん。しかし、世の中は、色と慾さ」

 案外の名答だと思いました。そうして、ふっと私は、闇屋(やみや)になろうかしらと思いました。しかし、闇屋になって一万円もうけた時のことを考えたら、すぐトカトントンが聞えて来ました、

 教えて下さい。この音は、なんでしょう。そうして、この音からのがれるには、どうしたらいいのでしょう。私はいま、実際、この音のために身動きが出来なくなっています。どうか、ご返事を下さい。

 なお最後にもう一言つけ加えさせていただくなら、私はこの手紙を半分も書かぬうちに、もう、トカトントンが、さかんに聞えて来ていたのです。こんな手紙を書く、つまらなさ。それでも、我慢してとにかく、これだけ書きました。そうして、あんまりつまらないから、やけになって、ウソばっかり書いたような気がします。花江さんなんて女もいないし、デモも見たのじゃないんです。その他の事も、たいがいウソのようです。

 しかし、トカトントンだけは、ウソでないようです。読みかえさず、このままお送り致します。敬具。


 この奇異なる手紙を受け取った某作家は、むざんにも無学無思想の男であったが、次の如き返答を与えた。


 拝復。気取った苦悩ですね。僕は、あまり同情してはいないんですよ。十指の指差すところ、十目の見るところの、いかなる弁明も成立しない醜態を、君はまだ避けているようですね。真の思想は、叡智(えいち)よりも勇気を必要とするものです。マタイ十章、二八、「身を殺して霊魂(たましい)をころし得ぬ者どもを懼(おそ)るな、身と霊魂(たましい)とをゲヘナにて滅し得る者をおそれよ」この場合の「懼る」は、「畏敬(いけい)」の意にちかいようです。このイエスの言に、霹靂(へきれき)を感ずる事が出来たら、君の幻聴は止む筈(はず)です。不尽(ふじん)。

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Posted by 문학관 관리인 위어조자(謂語助者)

봄의 낙엽(春の枯葉:はるのかれは)

一幕三章

다자이 오사무(太宰 治) (1948)

일본어 원문


 人物。


野中弥一(のなかやいち) 国民学校教師、三十六歳。

節子(せつこ)   その妻、三十一歳。

しづ   節子の生母、五十四歳。

奥田義雄(おくたよしお) 国民学校教師、野中の宅に同居す、二十八歳。

菊代(きくよ)   義雄の妹、二十三歳。

その他  学童数名。


 所。

津軽半島、海岸の僻村。


 時。

昭和二十一年、四月。



[#改ページ]




     第一場


舞台は、村の国民学校の一教室。放課後、午後四時頃。正面は教壇、その前方に生徒の机、椅子二、三十。下手(しもて)のガラス戸から、斜陽がさし込んでいる。上手(かみて)も、ガラス戸。それから、出入口。その外は廊下。廊下のガラス戸から海が見える。

全校生徒、百五十人くらいの学校の気持。


正面の黒板には、次のような文字が乱雑に、秩序無く書き散らされ、ぐいと消したところなどもあるが、だいたい読める。授業中に教師野中が書いて、そのままになっているという気持。

その文字とは、

「四等国。北海道、本州、四国、九州。四島国。春が来た。滅亡か独立か。光は東北から。東北の保守性。保守と封建。インフレーション。政治と経済。闇。国民相互の信頼。道徳。文化。デモクラシー。議会。選挙権。愛。師弟。ヨイコ。良心。学問。勉強と農耕。海の幸。」

等である。


幕あく。


舞台しばらく空虚。


突然、荒い足音がして、「叱(しか)るんじゃない。聞きたい事があるんだ。泣かなくてもいい。」などという声と共に、上手(かみて)のドアをあけ、国民学校教師、野中弥一が、ひとりの泣きじゃくっている学童を引きずり、登場。


(野中)(蒼(あお)ざめた顔に無理に微笑を浮べ)何も、叱るんじゃないのだ。なんだいお前は、もう高等科二年にもなったくせに、そんなに泣いて、みっともないぞ。さあ、ちゃんと、涙を拭(ふ)け。(野中自身の腰にさげてあるタオルを、学童に手渡す)

(学童)(素直にタオルで涙を拭く)

(野中)(そのタオルを学童から取って、また自分の腰にさげ)よし、さあ歌ってごらん。叱りやしない。決して叱らないから、いまお前たちが、あの、外のグランドで一緒に歌っていた唱歌を、ここで歌ってごらん。低い声でかまわないから、歌ってごらん。叱るんじゃないんだよ。先生は、あの歌を、ところどころ忘れたのでね、お前からいま教えてもらおうと思っているのだ。それだけなんだから、安心して、さあ、ひとつ男らしく、歌って聞かせてくれ。(言いながら、最前列の学童用の椅子に腰をおろす。つまり観客に対しては、うしろ向きになる)


学童は、観客に対して正面を向き、気を附けの姿勢を執り、眼をつぶって、低く歌う。

はる、こうろうの花のえん、

めぐるさかずき、影さして、

ちよの松がえ、わけいでし、

むかしの光、いまいずこ。


(学童)(歌い終ってうつむく)

(野中)(机に頬杖(ほおづえ)をつき)ありがとう。いや、先生はね、お前たちも知っているように、唱歌はあまり得意でないのでね、その歌も、うろ覚えでね、おかげで、やっといまはっきりと思い出した。悲しい歌だね。ちかごろお前たちは、よくその唱歌ばかり歌っているようだが、誰か先生が教えてくれたの?

(学童)(首を振る)

(野中) 誰も教えてくれなくても、自然に覚えたの?

(学童)(だまっている)

(野中) この歌の意味が、よくわかって歌っているの? いや、この歌が、お前たちのいまの気持に一ばんぴったりするから、それだから歌っているの?

(学童)(うなだれたまま、だまっている)

(野中) 決して叱りやしないから、思っている事をそのまま言ってごらん。先生もね、いまいろいろ考えているんだ。さっきもあんな工合に、(と、ちょっと正面の黒板を指差し)さまざま黒板に書いて、新しい日本の姿というものをお前たちに教えたつもりだが、しかし、どうも、教えたあとで何だか、たまらなく不安で、淋(さび)しくなるのだ。僕には何もわかっていないんじゃないか、という気さえして来るのだ。かえって、お前たちに教えてもらわなければならぬことがあるんじゃないかとも考えられてな。それで、どうなんだい? お前たちは、あの歌を、どんな気持で歌っているのか、それをまず正直に、先生に教えてくれないか? やっぱり、淋しくてたまらないから、あんな歌をうたいたくなるのかね? それとも、何か、いたずらの気持で歌っているのかね? どうなんだい?

(学童)(だまっている)

(野中) なんとか一言(ひとこと)でいいから、言ってくれよ。まさか、お前たちは、腹の中で先生を笑っているのじゃあるまいな。(ひとりで低く笑い、立ち上り)もういい。帰ってよろしい。しかし、気持を暗くするような歌は、あまり歌わんほうがいいな。他の生徒たちにも、そう言ってやるように。とにかく、いま僕たちは、少しでも気持を明るく持つように努めなければいけないのだから。もう、よし。お帰り。


学童、無言で野中教師にお辞儀をし、上手(かみて)の出入口から退場。野中は、それを見送り、しばらくぼんやりしている。やがて、ゆっくり教壇の方に歩いて、教壇に上り、黒板拭きをとって、黒板の文字を一つ一つ念入りに消す。

消しながら、やがて小声で、はる、こうろうの花のえん、めぐるさかずき、影さして、と歌う。

舞台すこし暗くなる。斜陽が薄れて来たのである。


くすくす忍び笑いして、奥田菊代、上手の出入口より登場。


(菊代) なかなかお上手(じょうず)ね、先生。

(野中)(おどろき、振りかえって菊代を見つけ、苦笑して)なんだ、あなたか。(黒板を拭き終って正面を向き)ひやかしちゃいけません。

(菊代) あら、本当よ。本当に、お上手よ。すばらしいバリトン。

(野中)(いよいよ口をゆがめて苦笑し)よして下さい、ばかばかしい。僕んところは親の代(だい)から音痴(おんち)なんです。(語調をかえて)何か御用? 奥田先生なら、ついさっき帰ったようですよ。

(菊代) いいえ、兄さんに逢いに来たんじゃないんです。(たわむれに、わざと取り澄ました態度で)本日は、野中弥一先生にお目にかかりたくてまいりました。

(野中) なあんだ、うちで毎日、お目にかかってるじゃないか。

(菊代) ええ、でも、同じうちにいても、なかなか二人きりで話す機会は無いものだわ。あら、ごめん。誘惑するんじゃないわよ。

(野中) かまいませんよ。いや、よそう。兄さんに怒られる。あなたの兄さんは、まじめじゃからのう。

(菊代) あなたの奥さんだって、まじめじゃからのう。


二人、笑う。野中教師ゆっくり教壇から降り、下手(しもて)のガラス戸に寄り添って外を眺(なが)める。菊代は学童の机の上に腰をかける。華美な和服の着流し。


(野中)(菊代のほうに背を向け、外の景色を眺めながら)もう、すっかり春だ。津軽の春は、ドカンと一時(いっとき)にやって来るね。

(菊代)(しんみり)ほんとうに。ホップ、ステップ、エンド、ジャンプなんて飛び方でなくて、ほんのワンステップで、からりと春になってしまうのねえ。あんなに深く積っていた雪も、あっと思うまもなく消えてしまって、ほんとうに不思議で、おそろしいくらいだったわ。あたしは、もう十年も津軽から離れていたので、津軽の春はワンステップでやって来るという事を、すっかり忘れていて、あんなに野山一めんに深く積っている雪がみんな消えてしまうのには、五月いっぱいかかるのじゃないかしらと思っていたの。それが、まあ、ねえ、消えはじめたと思ったら、十日と経たないうちに、綺麗(きれい)に消えてしまったじゃないの。四月のはじめに、こんな、春の青草を見る事が出来るなんて、思いも寄らなかったわ。

(野中)(相変らず外の景色を眺めながら)青草? しかし、雪の下から現われたのは青草だけじゃないんだ。ごらん、もう一面の落葉だ。去年の秋に散って落ちた枯葉が、そのまんま、また雪の下から現われて来た。意味ないね、この落葉は。(ひくく笑う)永い冬の間、昼も夜も、雪の下積になって我慢して、いったい何を待っていたのだろう。ぞっとするね。雪が消えて、こんなきたならしい姿を現わしたところで、生きかえるわけはないんだし、これはこのまま腐って行くだけなんだ。(菊代のほうに向き直り、ガラス戸に背をもたせかけ、笑いながら冗談みたいな口調で)めぐり来(きた)れる春も、このくたびれ切った枯葉たちには、無意味だ。なんのために雪の下で永い間、辛抱(しんぼう)していたのだろう。雪が消えたところで、この枯葉たちは、どうにもなりやしないんだ。ナンセンス、というものだ。


菊代、声立てて笑う。


(野中)(わざとまじめな顔になって)いや、笑いごとじゃありませんよ。僕たちだって、こんなナンセンスの春の枯葉かも知れないさ。十年間も、それ以上も、こらえて、辛抱して、どうやら虫のように、わずかに生きて来たような気がしているけれども、しかし、いつのまにやら、枯れて落ちて死んでしまっているのかも知れない。これからは、ただ腐って行くだけで、春が来ても夏が来ても、永遠によみがえる事がないのに、それに気がつかず、人並に春の来るのを待っていたりして、まるでもう意味の無い身の上になってしまっているんじゃないのかな。

(菊代)(あっさり)案外、センチメンタルね、先生は。しっかりなさいよ。先生はまだお若いわ。これからじゃないの。

(野中)(ちょっと本気に怒ったみたいに顔をしかめ)くだらん事を言っちゃいけない。僕はもう三十六です。都会の人たちと違って、田舎者(いなかもの)の三十六と言えば、もう孫が出来ている年頃だ。からかっちゃいけません。

(菊代) でも、先生にはまだお子さんがおひとりも無いじゃないの。だから、どこかお若く見えるわ。奥さんだって、あんなにお綺麗で、あたしより若いくらい。いくつ違うのかしら。

(野中) 誰とですか?

(菊代) あたしと、よ。

(野中)(興味無さそうに)女房は、三十一です。

(菊代) じゃあ、あたしと八つも違うのね。ずいぶん若く見えるわ。家附き娘だけあって、貫禄(かんろく)はあるし、どこから見たって立派な奥さんだわ。先生は果報者ね。あんな奥さんだったら、養子もまんざらでないでしょう?

(野中)(いよいよ、不機嫌そうに)なぜ、あなたは、そんなつまらない事ばかり言うのです。よしましょう、もう、そんな話は。何かきょう僕に用事でもあって来たのですか?

(菊代)(平然と)お金を持って来たのよ。

(野中) お金を?

(菊代) そうよ。(帯の間から、白い角封筒を出し、歩いて野中教師の傍に寄り)先生、黙って、ね、何もおっしゃらずに、黙って、受け取って頂戴(ちょうだい)!

(野中)(無意識の如く払いのけ)なに、なんですか?

(菊代) いいのよ、先生。平気な顔して受け取ってよ。そうして、おすきなように使って頂戴。誰にも言っちゃ、いやよ。

(野中)(腕組みして苦笑する)わかりました。しかし、僕も、落ちたものだな。菊代さん、まあいいから、その封筒はそちらへ引込めて下さい。


菊代、封筒を持てあまして、それを、傍の学童の机の上にそっと置く。


(野中) 御承知のように、僕のところは貧乏です。ひどく貧乏です。どんな人でも、僕の家に間借りして、同じ屋根の下に住んでみたら、田舎教師という者のケチ臭いみじめな日常生活には、あいそが尽きるに違いないんだ。殊(こと)につい最近、東京から疎開(そかい)して来たばかりの若い娘さんの眼には、もうとても我慢の出来ない地獄絵のように見えるかも知れない。しかし、御心配無用なんだ。あなたたちの御同情は、ありがたいけれども、しかし、僕たちの家庭にはまた僕たちの家庭のプライドがあるんだ。かえって僕たちは、あなたたちに同情しているくらいなんだ。そんな、お金なんか、そんな、そんな心配は今後は絶対にしないで下さい。僕たちはあなたたちから毎月もらっている部屋代だって、高すぎると思っているんです。気の毒に思っているんだ。さあ、もう、わかったから、そんなお金なんか、ひっこめて下さい。一緒に家へ帰りましょう。菊代さん! でも、あなたは、(しげしげと菊代の顔を見つめて)いいひとですね。御好意だけは、身にしみて有難く頂戴しました。(軽く笑って)握手しましょう。


野中教師、右手を差し出す。ぴしゃと小さい音が聞えるほど強く菊代はその野中の掌(てのひら)を撃つ。


(菊代)(嘲笑(ちょうしょう)の表情で)ああ、きざだ。思いちがいしないでね。間(ま)が抜けて見えるわよ。あたしは何でも知っている。みんな知っている。そんな事をおっしゃっても、あなたたちは、本当はお金がほしいんです。気取らなくたっていいわよ。あなたも、それからあなたの奥さんも、それからお母さんも、みんなお金がほしいのよ。ほしくてほしくて仕様が無いのよ。そのくせ、あなたたちは貧乏じゃない。貧乏だ、貧乏だとおっしゃっているけれども、貧乏じゃない。ちゃんとしたお家(うち)もあれば土地もあるし、着物だって洋服だってたくさんたくさん持っている。それでも、お金がほしいんだ。慾が深いのよ。ケチなのよ。お金よりも、よいものがこの世の中に無いと思い込んでしまっているんだ。それにくらべて、まあ、あたしたちの生活は、どうでしょう。兄は、前からずっとこの土地にいたのだから、あのひとは、べつだけれども、あたしは父とふたりで東京へ出て、大戦がはじまる前だってちっとも楽じゃ無かったし、いよいよ大戦がはじまって、あたしも父の工場に出て職工さんたちと一緒に働くようになった頃から、もう、あたしたちは生きているのだか死んでいるのだか、何が何やら、無我夢中でその日その日を送り迎えして、そのうちに綺麗に焼かれて、いまはあたしたちのものと言ったら、以前こちらに疎開させてあった行李(こうり)五つだけ、本当にもうそれだけなのよ。父がひとり東京に踏みとどまって頑張(がんば)って、あたしだけ、兄のところへやっかいになりに来たのだけれども、本当にあたしには何も無いのよ。何も無いから仕方なくこんないやらしい派手な着物なんかを行李の底から引っぱり出して着ているのだけど、田舎の人たちの眼から見ると、あたしたちがおそろしくぜいたくなお洒落(しゃれ)の衣裳(いしょう)道楽をしているみたいに見えているんじゃないかしら。ところが、それはあべこべで、地味(じみ)な普段着も何も焼いてしまって、こんな十六、七の頃に着た着物しか残っていないので、仕方なく着ているのだわ。お金だって、そのとおり、同じことよ。あたしたちには、もう何も無いのよ。いいえ、兄はあんな真面目(まじめ)くさった性質だから或(ある)いはお金をいくらかためているかも知れないけど、あたしたちにはもう何も無いのよ。手にはいったお金は、もうその場でみんな使ってしまうし、父もあたしも十年間、東京でそんな暮しをして来たのだわ。でも、あたしは、そのあいだ一度だって、お金をほしいと思った事は無かったわ。無ければ無いで、またどんなにかして切り抜けてやって行けたのだもの。だけど、田舎では、そうはいかないのね。田舎では人間の価値を、現金があるか無いかできめてしまうのね。それだけが標準なのだわ。もう冗談も何も無く、つめたく落ちついてそう信じ切ってしまっているのだから、おそろしいわ。ぞっとする事があるわ。どんなにお上品に取りすましていたって、心の中では、やっぱりそうなのだから、いやになるわ。もしあたしにいま一文(いちもん)もお金が無いという事がわかったら、あなたの奥さんも、お母さんも、それから、あなただって、どんなにいやな顔をするでしょう。いいえ、それにきまっているわ。しんそこから、あたしという女を軽蔑(けいべつ)し、薄きたない気味(きび)の悪いものに思うにきまっていますよ。あたしは、うっかり、自分の貧乏を口にすることも出来やしない。あなたたちは違うのよ。あなたたちは、ご自分のことを貧乏だの何だのと言っても、そりゃもうちゃんとした財産のあることが誰にもわかっているのだから、物価が高くて困るとか、このさきどうしようなんておっしゃっても、それはご愛嬌(あいきょう)にもなるけれど、それをもし、あたしたちが言ったらどうでしょう。冗談にもご愛嬌にもなりやしない。ただもう浅間(あさま)しい、みじめな下等な人種として警戒されるくらいのものなのだわ。ばかばかしい。だからあたしたちは、お金のありったけを気前よくぱっぱっと使って見せなければならなくなるのよ。そうするとあなたたちはまた、東京で暮して来た奴等(やつら)は、むだ使いしてだらしがないと言うし、それかと言って、あなたたちと同様にケチな暮し方をするともう、本物(ほんもの)の貧乏人の、みじめな、まるでもう毛虫か乞食(こじき)みたいなあしらいを頂戴するし、いったい、あなたの奥さんなんて、どこが偉くてあんなに気取っているの? 何か、あたしたちと人種が違うの? ひどく取り澄まして、あたしが冗談を言っても笑わず、いつでもあたしたちより一段と高いところにいるひとみたいに振舞っているけど、あれはいったい何さ。美人だって? 笑わせやがる。東京の三流の下宿屋の薄暗い帳場に、あんなヘチマの粕漬(かすづけ)みたいな振(ふる)わない顔をしたおかみさんがいますよ。あたしには、わかっている。あんなひとこそ、誰よりも一ばんお金をほしがっているんだ。慾張っているんだ。ケチなんだ。亭主よりも親よりも、お金だけを尊敬しているんだ。あたしには、わかる。先生、そのお金は、どうぞ奥さんに渡してやって下さい。先生、あたしの味方になってね! あたしは復讐(ふくしゅう)したいんです。先生、その封筒の中には、あなたの奥さんの一ばん喜ぶものがはいっているんです。全部、新円です。あたしが自分でもうけたお金ですから、誰にも遠慮は要(い)らないんです。


二、三の学童の口笛が聞える。はる、こうろうの花のえん、の曲の合奏である。


(菊代)(その口笛に聞耳を立て)おや、あたしのお友だちが迎えに来た。行かなくちゃいけない。それじゃあ、お願いしてよ。いいでしょう? 奥さんにね、あたしからだって言わないで、先生から何とか上手(じょうず)に嘘(うそ)ついて奥さんにあげてよ。あのお澄ましの奥さんが、どんな顔をするか、ああ愉快だ。


菊代、上手(かみて)の出入口に向って走り去る。野中教師、はっと気を取り直して呼びとめる。


(野中) お待ちなさい、菊代さん。どこへ行くのです。


菊代、戸口のところに立ち上り、野中教師のほうにくるりと向き直る。口笛は、なお聞えている。


(菊代)(ほがらかに)お友だちのところへ。

(野中) それじゃあの歌は、あなたが教えてやったのですね?

(菊代)(むしろ得意そうに)そうよ。あたしたちは音楽会をひらくのよ。音楽会をひらいてもうけるのよ。新円をかせぐのよ。はる、こうろう、も、それから、唐人(とうじん)お吉(きち)も、それから青い目をした異人さんという歌も、みんなあたしが教えたのよ。きょうはこれからみんなでお寺に集ってお稽古(けいこ)。うちへ帰るのがおそくなるでしょうから、兄さんにそう言ってね、日本の文化のためですからってね。


菊代、くすくす笑いながら退場。口笛はなお続く。舞台また少し暗くなる。

野中教師、菊代を二、三歩追いかけ、それから立ちどまり、引返して机の上の角封筒を取り上げ、上衣のポケットに入れて、少し考え、また取り出して封筒の中をしらべる。大型の紙幣、一枚二枚と黙って数える。十枚。あたりを見まわす。また数え直す。

――舞台、静かに廻る。


     第二場


舞台は、国民学校教師、野中弥一宅の奥の六畳間。ここは、奥田義雄、同菊代の兄妹が借りている。

部屋の前方は砂地の庭。草も花もなし。きたなげの所謂(いわゆる)「春の枯葉」のみ、そちこちに散らばっている。


舞台とまる。


弥一の義母しづ、庭の物干竿(ものほしざお)より、たくさんの洗濯物を取り込みのさいちゅう。

菊代の兄、奥田義雄は、六畳間の縁側にしゃがんで七輪(しちりん)をばたばた煽(あお)ぎ煮物をしながら、傍に何やら書籍を置いて読んでいる。

斜陽は既に薄れ、暮靄(ぼあい)の気配。


第一場と同じ日。


(しづ)(洗濯物を取り込み、それを両腕に一ぱいかかえ、上手(かみて)に立ち去りかけて、ふと縁側のほうを見て立ちどまり)あら、奥田先生、お鍋(なべ)が吹きこぼれていますよ。

(奥田)(あわてて鍋の蓋(ふた)を取り、しづの方を見て苦笑し)妹がまたきょうも、どこかへ飛び出して、帰らないものだから、どうも。

(しづ) おや、おや。それでは、お兄さんもたいへんですね。(笑いながら縁側に近寄り)何を煮ていらっしゃるの?

(奥田)(いそいでまた鍋の蓋をして)いや、これは見せられません。何でもかんでもぶち込んで煮て、そうして眼をつぶって呑(の)み込んでしまうつもりなんです。

(しづ)(声を立てて笑って)本当に、男の方の炊事はお気の毒で、見て居られませんわ。あとで、おしんこか何か持って来てあげましょう。

(奥田)(まじめに)いいえ、何も要りません。学生の頃から十何年間、こんな生活ばかりして来たので、かえって妹と一緒にいて妹のへんに気取った料理などを食べるのは、不愉快なくらいなんです。(書籍を持って立ち上り、部屋へはいって、電燈をつける。それから縁側に面した机に向ってあぐらをかき、つまり、観客に正面を向いて坐って、書籍を机の上に置き、無意識の如くパラパラ書籍のペエジをもてあそびながら、ぶっきらぼうに)女のこさえた料理なんて、僕はいちどもおいしいと思ったことが無いんです。

(しづ)(洗濯物を縁側にそっと置いて、自身も浅く縁側に腰をかけ)それはまあ。(鷹揚(おうよう)に笑って、それからしんみり)お母さんが亡くなって、もう何年になりますかしら。

(奥田)(べつに何の感慨も無げに)僕がここの小学校にはいったとしの夏に死んだのですから、もう二十年にもなります。

(しづ) もう、そんなになりますかねえ。わたくしどもも、お母さんのお葬式の時の事は、よく覚えていますよ。(洗濯物を一枚一枚畳みながら)いまの、あの、妹さんがお父さんに手をひかれて、よちよち歩いてお焼香(しょうこう)した時の姿が、まだどうしても忘れられません。あれを見てわたくしどもは、ああ、母親というものは、小さい子供を残しては、死んでも死にきれないと思いました。

(奥田)(冷静に)しかし、母は、自殺したのです。

(しづ)(顔を挙げて)まあ、そんな、あなた、決してそんな。

(奥田) 野中先生から聞きました。おもてむきは、心臓麻痺(まひ)という事になっているけれども、たしかに自殺だ。うちで使っていた色の黒い料理人と通じて、外聞(がいぶん)が悪くなって自殺したのだ。だから、妹の菊代の本当の父は、どっちだかわからない。それで僕のうちでは、旅館をやめて、この土地を引払い青森へ行き、僕が青森の師範学校へはいるようになったら、こんどは、父は僕ひとりを残して妹と二人で東京へ行ってしまった。よっぽど父は、この津軽地方には、いたくなかったらしい、と野中先生に聞かせていただきました。

(しづ) まあ、あのひとは、なんというおそろしい事を言うんでしょう。みんな、もう、根も葉も無い事です。だいいち、あなたのお母さんが亡くなった頃には、あの人はまだ、この村に来てやしません。あのひとが、わたくしどものうちへ養子に来てから、まだ十年も経っていないのですよ。その前は、あの人の生れた黒石のうちにいて、黒石の小学校の先生をしていたのですし、この村のそんな、二十年も昔の事など知っているわけはないじゃありませんか。ばかばかしい。

(奥田)(軽く)いいえ、でも、土地に新しく来た人というものは、へんにその土地の秘密に敏感なものですよ。

(しづ)(さびしく笑って)でたらめですよ。そんな馬鹿らしい事ってあるものですか。(ふと語調を変えて)あの人はその時、お酒を飲んでいませんでしたか? あなたにそれを言った時に。

(奥田)(ぼんやり)ええ、酔っていました。

(しづ) そうでしょう? (意気込んで)それにきまっています。あの人は若い時に、哲学だか文学だかをやった事があるんだそうで、そのためにひどい神経衰弱になって、それがまだすっかりなおっていないんでしょうね、いまでもお酒を飲むと、まるでもう気違いみたいなへんな事を口走って、ご自分が夢で見た事を、そのままげんざい在った事みたいに、それはもう、しつっこく言い張ったりして、いつもわたくしどもは泣かされていますのです。そんなまあ、料理人と、どうのこうのなんて、よくもまあ。

(奥田)(苦笑しながら)でも、その、色の黒い料理人というのは、たしかにうちにいましたね。函館の男だとかいって、ちょっとこう一曲(ひとくせ)ありそうな、……子供心にも覚えています。

(しづ)(やや鋭く)およしなさい、ばからしい。ご人格にかかわりますよ。

(奥田) 僕は平気です。過去の事なんか、どうだっていいんです。

(しづ) よかあ、ありませんよ。だいいち、あの人も、失礼じゃありませんか。げんざい、奥田家(おくたけ)のご総領に向って、そんなおそろしい事を言うなんて、まるで、鬼です。

(奥田) 鬼は、ひどい。(快活に笑う)

(しづ)(急(せ)きこんで)鬼ですとも。鬼以上かも知れない。あなたには、あの人の真のおそろしさが、まだわかっていらっしゃらないのです。お酒を飲むと、もう、まるで気違いですし、意地くねが悪いというのか、陰険というのか、よそのひとには、ひどくあいそがいいようですけど、内の者にはそりゃもう、冷酷というのでしょうか、残忍というのでしょうか、いいえ、ほんとう、本当でございますよ。げんにあなた、こないだだって、……。

(奥田)(さえぎるように)でも、野中先生は、正直ないいお方ですよ。(微笑して)僕なんかが、こんな事を言うのは、それこそ失礼かも知れませんが、これは、お母さんも、また奥さんも、一つ考え直さなければならないところがあるんじゃありませんか。

(しづ) まあ! (洗濯物を押しのけて、奥田のほうにからだをねじ向け)たとえば? たとえば、それは、どんなところでしょうか。

(奥田) たとえば、……さあ、……(口ごもる)

(しづ)(勢い込んで)わたくしは、もう、これだからいやなんです。誰ひとり、わたくしどもの、ひと知れぬ苦労をわかってくれやしないんですものねえ。養子を迎えた家の者たちのこまかい心遣(こころづか)いったら、そりゃもうたいへんなものなんです。殊(こと)にもあんな、まあ一口に言うと、働きの無い、万事に劣った人間を養子に迎えて、この野中の家を継がせ、世間のもの笑いにならないよう、何とかしてわたくしどもの力で、あのひとのボロを隠してあげたいと思って、よそさまへは、あのひとの悪いところは一言(いちごん)も言わず、かえって嘘ついてあの人をほめて聞かせたりして来ましたのに、あの人はまあ何と思っているのやら、剛情、とでもいうんでしょうかねえ、素直なところが一つも無くて、あれで内心は、ご自分の出た黒石の山本の家が自慢で自慢でならないらしく、それはまあ黒石の山本の家は、お城下まちの地主さんで、こんな田舎(いなか)の漁師まちの貧乏な家とは、くらべものにならないくらい大きい立派なお屋敷に違いございませんけれど、なあに地主さんだって、今では内証はみんな火の車だそうじゃありませんか。昔からあの家は、お仲人(なこうど)の振れ込みほどのことも無く、ケチくさいというのか、不人情というのか、わたくしどもの考えとは、まるで違った考えをお持ちのようで、あのひとがこちらへ来てからまる八年間、一枚の着換えも、一銭の小遣いもあのひとに送って来た事が無いんですよ。そんなにむごくされても、あの人は、やっぱり生れた家に未練があるのか、いつだったか、あの黒石の兄さんが、何とか議員に当選した時の、まあ、あの人の喜びようったら、あさましくて、あいそが尽きました。議員なんて、何もそんなに偉いものではないと思いますがねえ。わたくしどもの野中家(のなかけ)は、それはもうこんな田舎の貧乏な家ですけれども、それでも、よそさまから、うしろ指一本さされた事も無く、先祖代々この村のために尽して、殊にも、わたくしの連れ合いは、御承知のように、この津軽地方の模範教員として、勲章までいただいて居りますし、それに、わたくしどもの死んだ長男は、東京帝大の医科にはいって、もう十年もそれ以上も、昔の話でございますけど、あれが卒業間際(まぎわ)に死んだ時には、帝大の先生やら学生さんやら、たくさんの人からおくやみ状をいただき、また、こんな片田舎にまで、わざわざご自身でお墓まいりに来て下さった先生さえあったのです。本当にもう、あれが生きていたら、あれさえ生きていてくれたら。(泣く)いまごろはもうあれも、立派なお医者になって、わたくしどもも、いまのような、こんな苦労をしなくても、……(くどくどと、涙まじりの愚痴(ぐち)になる)

(奥田)(もてあまし気味で)しかし、そんな事をおっしゃったって、……。お母さん。僕の、考え直さなければいけないところというのも、つまり、そんなところなんです。ここの、野中のお宅のご主人は、いまは、あの野中先生なんでしょう? 過ぎ去った事よりも、現在が大事じゃありませんか。僕には、養子というものは本来どんな姿のものであるべきか、その道徳上の本質がよくわからないんですけれども、しかし、あなたたちのように、客間の正面に、あんな大きなお父さんのお写真と、それからお兄さんのお写真を、これ見よがしに掲げたりなんかして置いては、野中先生もあれで気の弱いお方ですから、何だか落ちつかない気持になるんじゃないでしょうか。

(しづ)(顔を挙げて)それは、あの人が劣っているせいです。いたらないせいです。わたくしどもが、あの写真を二つ並べて飾ってあるのは、あの人にも、死んだ父や兄に負けないくらいの人物になってもらいたいという、つまり、あの人をはげます意味で、それで、……。

(奥田) だから、それが、(笑い出して)いや、きりがないですね、こんな事を言い合っていても。(立ち上り、縁側に出て、鍋を七輪からおろし、かわりに鉄瓶(てつびん)をかける。この動作の間に、ひとりごとのように)これからも一生、野中家(け)だ、山本家だ、と互いに意地を張りとおして、そうして、どういう事になるのかな? 僕には、わからん。わからん。

(しづ)(興覚めた様子で)あなたも、いまにお嫁さんをおもらいになったら、おわかりでしょう。(立ち上り、襟元(えりもと)を掻(か)き合せ)おお、寒い。雪が消えても、やっぱり夕方になると、冷えますね。(そそくさと洗濯物をかかえ込んで)お邪魔しました。


風吹き起り、砂ほこりが立つ。春の枯葉も庭の隅で舞う。

しづ、上手(かみて)より退場。


(奥田)(縁側に立って、それを見送り)おしんこか何かとどけてくれると言ったが、あの工合いじゃあてにならん。(ひとりで笑って)さあ、めしにしようか。


奥田、鍋を部屋のなかに持ち運び、障子(しょうじ)をしめる。障子に、奥田の、立って動いて、何やら食事の仕度をしている影法師が写る。ぼんやり、その奥田の影法師のうしろに、女の影法師が浮ぶ。

その女の影法師は、じっと立ったまま動かぬ。外は夕闇(ゆうやみ)。

国民学校教師、野中弥一、酔歩蹣跚(すいほまんさん)の姿で、下手(しもて)より、庭へ登場。右手に一升瓶、すでに半分飲んで、残りの半分を持参という形。左手には、大きい平目(ひらめ)二まい縄でくくってぶらさげている。


(野中) 奥田せんせい。やあ、いるいる。おう、菊代さんもいるな。こいつあ、いい。大いにやろう。酒もあり、さかなもある。


障子の女の影法師、ふっと掻き消すようにいなくなる。

同時に、障子があいて、奥田が笑いながら顔を出す。


(奥田) ああ、お帰り。(縁側に出る)いいご機嫌ですね。きょうは、どこか、ご招待でもあったんですか?

(野中) ご招待? ご招待とは情ない。(縁側にどかりと腰をおろし)いかに我等国民学校教員が常に赤貧(せきひん)洗うが如しと雖(いえど)も、だ、あに必ずしも有力者どもの残肴余滴(ざんこうよてき)にあずからんや、だ。ねえ、菊代さん、そうじゃありませんか。(腕をのばして障子を左右一ぱいにあけ放つ)菊代さん! おや、いないのか。

(奥田) 妹は、まだ帰って来ないんです。また、れいの文化会でしょう。

(野中)(少し落ちつき)そう。それは僕も知っているんだが、……しかし、いま、たしかに、……。

(奥田)(静かに)きょうは、ずいぶんお酔いになっていらっしゃるようですね。まあ、お上りなさいませんか。

(野中)(急にまた元気づいて)ああ、上らせてもらおう。(サンダルのようなものを脱いで縁側に上り、よろめき)きょうは、ひとつ、盛大にやろうじゃないか。このたびの教員大異動に於(お)いて、君も僕も、クビにならず、まず以(もっ)て無事であった。これを祝する意味に於いて、だ、(一升瓶とさかなを両手にぶらさげ部屋にはいり、部屋の上手(かみて)の襖(ふすま)をあけ)おうい、おうい。節子! (と母屋(おもや)に呼びかける)


野中の妻、節子、登場。しかし、襖の外にしゃがんでいる形なので観客からは見えぬ。


(野中)(その襖の外の節子に平目(ひらめ)を手渡しながら)たったいま、浜からあがった平目だ。刺身(さしみ)にしてくれ。奥田先生と今夜は、ここで宴会だ。いいかい、刺身をすぐに、どっさり持って来てくれ。どっさりだよ。待て、待て。一まいは刺身に、一まいは焼く、という事にしたらいい。もの惜しみをしちゃいけねえ。お前たちも、食べろ。いいかい、お母さんにも、イヤというほど食べさせろ。


節子、無言で静かに襖をしめる。


(野中)(にやにや笑いながら一升瓶を持ったまま奥田の机の傍に坐り)どうも、ねえ、漁師まちの先生をしていながら、さかなが食えねえとは、あまりにみじめすぎるよ。

(奥田)(部屋の中央に持ち運んだ鍋(なべ)やら茶碗(ちゃわん)やらを、また部屋の隅(すみ)に片づけながら)さかなは、どうです、いま。新円になってから、すこしは安くなりましたか。

(野中)(苦笑して)安くならねえ。漁師の鼻息ったら、たいしたものさ。平目一まいの値段が、僕たちの一箇月分の給料とほぼ相似たるものだからな。このごろの漁師はもう、子供にお小遣いをねだられると百円札なんかを平気でくれてやっているのだからね。

(奥田) そう、そうらしいですね。(部屋の中央に据(す)えた小さな食卓も部屋の隅に取片づけ)子供たちにあんな大金を持たせるのは、いい事じゃないと思いますがね。子供たちの間で、このごろ、ばくちがはやっているそうじゃありませんか。

(野中) そうらしい。何もかも、滅茶苦茶さ。(語調をかえて)君、その食卓は、そこに置いといたほうがいいよ。金(かね)の話なんか、つまらない。飲もう。茶呑茶碗を二つ貸してくれ。


奥田、またその小さい食卓を部屋の中央に据えて、それから、茶呑茶碗を取りに縁側へ出る。


(野中)(その間に、ふと、傍の机の上にある奥田の読みかけの書籍を取り上げて)フランス革命史、なんだ、こんなものを読んでいるのか。よせ、よせ。歴史は繰り返しやしねえ。(軽く書籍を畳の上にほうり出す)歴史は繰り返すなんて、どだい、あれは、君、弁証法を知らんよ、なんてね、僕もこれは一つ、社会党へでもはいって出世をしようかな。つまらない。飲もう! 飲んで鬱(うつ)を晴らそう。汝(なんじ)、無力なる国民学校教師よ。


二人、小さい食卓をはさんであぐらを掻き、野中は、二つの茶呑茶碗に一升瓶の酒をつぐ。


(野中) 乾盃! (ぐっと飲む)

(奥田)(飲みかけて、よす)なんですか? これは。ガソリンのようなにおいがしますね。(そのまま茶碗を食卓の上に置く)

(野中) サントリイ。

(奥田) え?

(野中) サントリイウイスキイ。(と言いながら一升瓶を目の高さまで持ち上げ、電燈の光にすかして見て)無色透明なるサントリイウイスキイ。一升百五十円。

(奥田) 冗談じゃない。

(野中) いや、そこが面白いところさ。僕だって知ってるよ、これは薬用アルコールに水を割っただけのものさ。しかしだね、僕にこれをサントリイウイスキイだと言って百五十円でゆずってくれた人は、だ、いいかね、そのひとは、この村の酒飲みのさる漁師だが、このひと自身も、これをサントリイウイスキイという名前の、まことに高級なる飲み物であると信じ切っているんだから愉快じゃないか。つまり、その漁師は、青森あたりにさかなを売りに行って、そうして帰りに青森の闇屋にだまされて、三升、いや、四升かも知れん、サントリイウイスキイなる高級品を仕入れて来て、そうしてきょう朝っぱらから近所の飲み仲間を集めて酒盛りをひらいていた、そこへ僕が、さかなをゆずってもらいに顔を出したというわけだ。たちまち彼等は僕をつかまえ、あなたならばたしかに知っているに違いないが、これはサントリイといってわれらの口には少しもったいなすぎる酒だ、ぜひとも先生に一ぱい飲んでいただきたい、と言って大きい茶碗になみなみとついで突きつける。見ると、かくのごとく無色透明、しかも、この匂い。僕もさすがに躊躇(ちゅうちょ)したよ。れいの、あの、メチルかも知れないしねえ。しかし、僕は、あの漁師たちの、一点疑うところ無き実に誇らしげな表情を見て、たまらなくなり、死を決した。うむ、死を決した。この愚かで無邪気な、そうして哀(かな)しい漁師たちと一緒に死のうと覚悟した。僕は飲んだよ。そんなに味がわるくない。しかも、気持よく、ぽっと酔う。そこでだ、僕は、彼等から一升をわけてもらって、彼等と共に大いに飲んだ。やはり、サントリイに限る、サントリイを飲むと、他の酒はまずくて飲まれん、なんて僕はお世辞を言ってね、そうして妙に悲しかったよ。(言いながら、自分で注いで自分で飲む)あ、そうだ、煙草もあるんだ。吸い給(たま)え。たくさんあるんだ。(上衣(うわぎ)のポケットから、バラの紙巻煙草を一つかみ取り出し、食卓の上に置く)やっぱり、あの漁師たちから、わけてもらって来たんだ。まったく、あいつらのところには、何でもあるなあ。

(奥田)(ほとんど無表情で煙草を一本とり)いただきます。(ズボンのポケットから、マッチを取り出し煙草に点火する)

(野中) みんなあげる。みんなあげるよ。僕には、まだまだたくさんあるんだ。(さらに酒をひとりで注いで飲んで)

あなたじゃ

ないのよ

あなたじゃ

ない

あなたを

待って

いたのじゃない

という歌を知っているかね。これはね、「ドアをひらけば」というこの頃の流行歌だがね、知らんのか、君は。聞いた事が無いのかね。これは意外だ。怠慢の二字に尽きる。フランス革命史なんかよりは、現代の流行歌のほうが、少くとも我々にとっては重大ではないか。いやしくも君、国民学校の教師でありながら、君、(言いながら、また酒を注いで飲んで)現代の流行歌一つご存じないとは、君。

(奥田) 大丈夫ですか? そんなに飲んで。

(野中) 大丈夫、だいじょうぶ。これは君、サントリイウイスキイという高級品じゃないか。馬鹿にするな。君もそんなに気取ってないで一口(ひとくち)まあ、こころみてごらん。

あなたじゃ

ないのよ

あなたじゃ

ない

あなたを

待って

いたのじゃない

ちょっといいね、これは。失恋の歌だそうだよ。あわれじゃないか。まあ一つ飲め。(一升瓶を持ち上げる)

(奥田)(それを制して)いや、僕のはまだここに一ぱいあります。(苦笑しながら、申しわけみたいにちょっと自分の茶碗に口をつけ、すぐまたそれを卓の上に置き)どうも、これは。

(野中) いのちが惜しいか。(笑う)


上手(かみて)の襖しずかにあく。

野中の妻、節子、大きいお皿二つを捧げてはいって来る。一つのお皿には刺身、一つのお皿には焼(や)き肴(ざかな)。


(野中) やあ、来た、来た。おう、こりゃまた豪華だね。多すぎるぞ、これあ。

(節子)(にこりともせず、食卓の上を片づけて、その二つの皿を置き)これで、全部でございます。

(野中) 全部? (顔を挙げて、節子の顔を見る)お母さんは? 食べないのか?

(節子)(まじめに)あの、わたくしどもは、ごはんはもう、すみました。

(野中)(憤然と)そうか。(矢庭(やにわ)に食卓をひっくりかえす)久しぶりの平目(ひらめ)じゃないか。お母さんにも、お前にも、みんなに食べてもらいたくて買って来たんだ。それを、なんだ。きたないものみたいにして、気味(きび)のわるいものみたいにして、一口も食べてくれないとは、あまり、あんまり、ひどいじゃないか。(泣き声になる)


節子、無言で、その辺に散らばった肴を皿の上に拾い集める。


(野中) やめろ! 拾うのは、やめてくれ。それは皆、捨てちまえ! 拾い集めてもらって、また食べるなんて、あまり惨(みじ)めだ。惨めすぎる。少しは、こっちの気持も察してくれよ。(上衣の内ポケットから、白い角封筒を出し、節子の手もとにほうってやって)まだ、七、八百円は残っている筈(はず)だ。新円だぞ。それで肴を買って来い。たったいま買って来い。ケチケチするな。鯛(たい)でも鮪(まぐろ)でも、漁師の家にあるものを全部を買って来い。ついでに甚兵衛(じんべえ)のところへ寄って、このサントリイウイスキイがまだ残っていたら、もう一升ゆずってもらって来い。これからまた僕は飲み直すんだ。そうして、ぜひとも、お母さんとお前に、肴を食べてもらうんだ。

(節子)(角封筒のほうには目もくれず、黙ってうなだれている。やがて静かに面を挙げて)あの、お伺(うかが)いしたい事がございます。

(野中)(たじろぎ)何だ。何か文句があるのか。

(節子)(緊張した声で)あなたは、いったい、……。


この時、舞台下手(しもて)より庭先へ、学童二名駈(か)け込み、「先生! 奥田先生!」と叫ぶ。

奥田教師、縁側に出る。学童二名、息せき切って何やら奥田教師に囁(ささや)く。


(奥田)(それを聞いて)そうか、よし。すぐ行く。(部屋へはいって、壁にかけてある自身の上衣をとって着ながら野中に)妹が警察に挙げられました。ばくちです。麻雀賭博(マージャンとばく)を学校の子供たちに教えてやっていたのです。たぶん、そんな事じゃないかと思っていました。ちょっと警察に行って来ます。(会釈(えしゃく)して、縁側に出て、はきものを捜す)

(野中)(蹌踉(そうろう)と立ち上り)僕も行く。

(奥田)(靴をはきながら)だめ、だめ。あなたはもう、どだい、歩けやしませんよ。(学童たちに向い)さ、行こう。


奥田教師、学童二名と共に舞台下手(しもて)に走り去る。


(野中)(夢遊病者の如くほとんど無表情で歩き、縁側から足袋(たび)はだしで降りて)僕も行く。


野中教師、ほとんど歩行困難の様子だが、よろめき、よろめき、足袋はだしのまま奥田教師たちのあとを追い下手に向う。

節子、冷然と坐ったままでいたのであるが、ふと、膝元(ひざもと)の白い角封筒に眼をとめ、取りあげて立ち、縁側に出てはきものを捜し、野中のサンダルをつっかけ、無言で皆のあとを追う。

――舞台、廻る。


     第三場


舞台は、月下の海浜。砂浜に漁船が三艘あげられている。そのあたりに、一むらがりの枯れた葦(あし)が立っている。

背景は、青森湾。


舞台とまる。


一陣の風が吹いて、漁船のあたりからおびただしく春の枯葉舞い立つ。


いつのまにやら、前場の姿のままの野中教師、音も無く花道より登場。

すこし離れて、その影の如く、妻節子、うなだれてつき従う。


(野中)(舞台中央まで来て、疲れ果てたる者の如く、かたわらの漁師に倒れるように寄りかかり)ああ、頭が痛い。これあ、ひどい。


節子、無言で野中に寄り添い、あたりを見廻し、それから白い角封筒をそっと野中に差し出す。角封筒は月光を受けて、鋭く光る。


(野中)(力弱くそれを片手で払いのけるようにして)それは、お前から、菊代さんにやってくれ。


節子、そのままの形で、黙って野中の顔を見つめている。


(野中) いやなら、いい。(節子の手から封筒をひったくり、自身の上衣のポケットにねじ込み)僕から、返してやる。(急にまた、ぐたりとなって)しかし、お前は、強いなあ。……負けた、負けた。僕は、負けたよ。お前たちのこんな強さは、いったい、何から来ているのだろうなあ。男女同権どころじゃない。これじゃ、あべこべに男のほうからお助けを乞(こ)わなくちゃいけねえ。いったい、なんだい? お前たちのその強さの本質は、さ。封建、といったってはじまらねえ。保守、といってみたってばかげている。どだいそんな、歴史的なものじゃあ無えような気がする。有史以前から、お前たちには、そんな強さがあったんだ。そうしてまた、これから、この地球に人類の存在するかぎり、いや、動物の存続する限り、お前たちは、永久に強いんだ。

(節子)(落ちついて)あなたは、はずかしくないのですか?

(野中)(呻(うめ)く)ううむ、ちえっ、ちくしょう! (顔を挙げて)全人類を代表してお前に言う。お前は、悪魔だ!

(節子)(冷く)なぜですか!

(野中) わからんのか? 人が死ぬほど恥かしがっているその現場に平気で乗り込んで来て、恥かしくありませんかと聞ける奴(やつ)あ悪魔だ。

(節子) あなたは、はずかしがっていません。

(野中) どうしてわかる? どうして、それがわかるんだ。

(節子)(無言)

(野中) イエス答をなし給わず、か。お前のその、何も物を言わぬという武器は、強いねえ。あんまり、いじめないでくれよ。ああ、頭が痛い。

(節子) これから、どうなさるのですか?

(野中) 死ぬんだ。死にゃあいいんだろう? どうせ僕は、野中家(け)の面(つら)よごしなんだから、死んで申しわけを致しますですよ。(崩れるように、砂の上にあぐらを掻(か)き)ああ、頭が痛い。切腹だ。切腹をして死んでしまうんだ。

(節子) ふざけている時ではございません。菊代さんを、あなたは、どうなさるおつもりです。

(野中) どうもこうも出来やしねえ。ああ、頭が痛い。(頭をかかえ込んで、砂の上に寝ころび)負けたんだよ、僕たちは。僕と菊代さんは、お前たちに叛逆(はんぎゃく)をたくらんだが、お前たちは意外に強くて、僕たちは惨敗を喫したんだ。押せども、引けども、お前たちは、びくともしねえ。

(節子) だって、あなたたちは、間違った事をしているのですもの。

(野中) 聖書にこれあり。赦(ゆる)さるる事の少き者は、その愛する事もまた少し。この意味がわかるか。間違いをした事がないという自信を持っている奴(やつ)に限って薄情だという事さ。罪多き者は、その愛深し。

(節子) 詭弁(きべん)ですわ。それでは、人間は、努めてたくさんの悪い事をしたほうがいいのですか?

(野中) そこだ! 問題は。(笑う)何が、そこだ! だ。僕はいま罪人なんだ。人を教える資格なんか無いのに、どうも、永く教員なんかしていると、教壇意識がつきまとっていけねえ。いったい、この国民学校の教員というものの正体は何だ。だいいち、どだい、学問が無い。外国語を自由に読める先生が、この津軽地方には、ひとりもいない。外国語どころか、源氏物語だって読めやしない。なんにも知らねえ癖(くせ)に、それでも、教壇に立って、自信ありげに何か教えていやがる。学問が無くても、人格が立派とでもいうんならまだしも、毎日の自分の食べものに追われて走り廻っている有様で、人格もクソもあるもんか。学童を愛する点に於いては、学童たちの父母(ちちはは)に及びもつかぬし、子供の遊び相手、として見ても、幼稚園の保姆(ほぼ)にはるかに劣る。校舎の番人としては、小使いのほうが先生よりも、ずっと役に立つし、そもそもこの、先生という言葉には、全然何も意味が無い。むしろ、軽蔑感を含んでいる言葉だ。どうせからかうつもりなら、いっそもう、閣下(かっか)とでも呼んでもらいたい。僕たちの社会的の地位たるや、ほとんどまるで乞食坊主と同じくらいのものなんだ。国民学校の先生になるという事はもう、世の中の廃残者、失敗者、落伍者(らくごしゃ)、変人(へんじん)、無能力者、そんなものでしか無い証拠だという事になっているんだ。僕たちは、乞食だ。先生という綽名(あだな)を附けられて、からかわれている乞食だ。おい、奥田先生だって、やっぱり同じ事なんだぜ。あきらめろ、あきらめろ。

(節子)(鋭く)なんですの? (幽(かす)かに笑い)へんな事をおっしゃいますわね。

(野中) 知ってるよ。お前のあこがれのひとは、誰だか。

(節子) まあ! そんな。よして下さい! 下劣ですわ。

(野中) なんでも無いじゃないか。人間は皆、あこがれのひとを二人や三人持っているものだ。で、どうなんだい? その後の進行状態は。

(節子) わたくしには、あなたのおっしゃる事が、ちっともわかりません。

(野中) よし、それじゃ、わかるように言ってやろう。お前は、きょう僕の帰る前に、奥田先生の部屋に行っていたね。

(節子)(はっきり)ええ、まいりました。奥田先生がおひとりで晩ごはんのお仕度(したく)をしていらっしゃるという事を母から聞いて、何かお手伝いでもしようかと思ってお部屋をのぞいてみました。

(野中) それは、ご親切な事だ。お前にもそれだけの愛情があるとは妙だ。いいことだ。美談だ。しかし、僕が外から声をかけたとたんに、お前はふっと姿をかき消したが、あれは、どういうご親切からなんだい?

(節子) いやだったからです。

(野中) へんだね。

(節子)(泣き声になり)いったい、なんとお答えしたらいいのです。

(野中) まあ、いいや。よそう。つまらん。どうせお前には、かないっこないんだ。ああ、あ。世は滔々(とうとう)として民主革命の行われつつあり、同胞ひとしく祖国再建のため、新しいスタートラインに並んで立って勇んでいるのに、僕ひとりは、なんという事だ。相も変らず酔いどれて、女房に焼きもちを焼いて、破廉恥(はれんち)の口争いをしたりして、まるで地獄だ。しかし、これもまた僕の現実。ああ、眠い。このまま眠って、永遠に眼が覚めなかったら、僕もたすかるのだがなあ。(眠った様子)

(節子)(野中の肩に手をかけて)もし、もし。(肩をゆすぶる)

(野中)(なかば、うわごとの如く)殺せ! うるさい! あっちへ行け!


奥田教師、上手(かみて)より、うろうろ登場。


(奥田) あ、おくさん! (寝ている野中を見ていよいよ驚き)どうしたんです、これあ。

(節子) あなたの後を追ってここまで来て、寝てしまいました。それよりも、菊代さんは? いかがでしたの?

(奥田) いや、それがね、あの子供たちを途中で見失ってしまいましてね。とにかく、僕ひとり警察の前まで行って、それとなく中の様子をうかがって見たんですが、ばかに静かで、べつに変った事も無いようなんです。へたに騒ぎ立てて恥をかいてもつまりませんし、さっきの生徒たちを捜して、もういちどよく聞きただそうと思って、引返して来たところなんです。ことによったら、あいつ、……。

(節子) え?

(奥田) いや、べつに、……。

(節子) 奥田先生! わたくしどもは、菊代さんに何か悪い事でもしたのでしょうか。

(奥田)(あらたまって)なぜですか?

(節子) ばくちで警察に挙げられたなんて、嘘(うそ)です。わたくしには、もうみな、わかりました。(急に泣き出す)あんまりですわ。あんまりですわ。なぜ、わたくしどもはこんなに、菊代さんにからかわれなければならないのです。

(奥田) すみません。実は、僕も、警察の前まで行って、すぐこれあ菊代に一ぱい食わされたなと思ったのですが、しかし、もしそうだとしても、なんのために、子供たちまで使って、こんな、ばからしい狂言を、……。

(節子) それは、わかっています。菊代さんは、野中をけしかけて酒や肴(さかな)を買わせて、そうしてわたくしや母にまでごちそうさせて、それから、そのお金は実は菊代さんがばくちでもうけたお金だという事を知らせて、いい気持でごちそうになっている母やわたくしがみっともなく狼狽(ろうばい)するさまを、かげでごらんになってあざ笑うつもりだったのでしょうけれど、でも、それにしても、策略があくどすぎます。あんまり、意地がわるすぎます。

(奥田) すると? あの金は?

(節子) ご存じじゃなかったのですか? 菊代さんのお金です。

(奥田) そうですか。いや、いかにも、あいつのやりそうないたずらだ。(笑う)

(節子) まだあります。野中にたきつけて、わたくしとあなたと、……。

(奥田)(まじめになり)しかし、おくさん。妹はばかな奴(やつ)ですが、そんな、くだらない事は言わない筈(はず)です。

(節子) でも、野中はさっき、わたくしを疑っているような、いやな事を言いました。

(奥田) それじゃあ、それは野中先生ひとりの空想です。野中先生は少しロマンチストですからね。いつか僕と議論した事がありました。野中先生のおっしゃるには、この世の中にいかにおびただしく裏切りが行われているか、おそらくは想像を絶するものだ、いかに近い肉親でも友人でも、かげでは必ず裏切って悪口や何かを言っているものだ、人間がもし自分の周囲に絶えず行われている自分に対する裏切りの実相を一つ残らず全部知ったならば、その人間は発狂するだろう、という事でした。しかし僕はそれに反対して、人間は現実よりも、その現実にからまる空想のために悩まされているものだ。空想は限りなくひろがるけれども、しかし、現実は案外たやすく処理できる小さい問題に過ぎないのだ。この世の中は、決して美しいところではないけれども、しかし、そんな無限に醜悪なところではない。おそろしいのは、空想の世界だ、とまあ言ったのですが、どうも、野中先生の空想には困ります。

(節子)(変った声で)でも、それが本当だったら?

(奥田)(どぎまぎして)え? 何がですか?

(節子) 野中のその空想が。

(奥田) おくさん! (怒ったように)何をおっしゃるのです。

(節子)(声を挙げて泣き)わたくしは今まで何一つ悪い事をした覚えがありません。それなのに、なぜみなさんがわたくしをこんなにいじめるのでしょう。わたくしは自身の楽しみは一つもせずに、野中の家のために努めて来ました。家の名誉を大事に守るというのは悪い事ですか? 教えて下さい。あすの生活の不安の無いように、辛抱してむだ遣(づか)いをつつしむというのは悪い事ですか? 田舎女は田舎女らしく、音楽会や映画にも行かず家(うち)の中で黙って針仕事をしている事は、わるい事ですか? 小説も読まず酒も飲まず行儀をよくして男のひとと間違いを起さないというのは、悪い事ですか? 野中が先刻、間違いをしない人間は薄情だと言いましたが、そんなら人間は間違いをしたほうが正しいのですか? 先生、わたくしは田舎くさくて頭の悪い女です。何もわかりません。教えて下さい。わたくしが先生を好きだったとしたら、かりにそうだったとしたら、かえってわたくしが正しいのですか? わたくしは口が下手(へた)です。よく言えないんです。わたくしは、言葉を知らないのです。ただ、わたくしは、こらえて来ました。辛抱して来ました。自分で自分のすきな事を言ったりおこなったりするのは悪い事だと思って来ました。先生、教えて下さい。わたくしはもう、何がどうなのか、わからなくなって来たのです。わたくしのどこがいけなくて、みんながわたくしをこんなにいじめるのですか。

(奥田) おくさん。善悪の彼岸という言葉がありますね。善と悪との向う岸です。倫理には、正しい事と正しくない事と、それからもう一つ何かあるんじゃないでしょうかね。おくさんのように、ただもう、物事を正、不正と二つにわけようとしても、わけ切れるものではないんじゃないですか?

(節子) よくわかりませんけれど、それでは、わたくしが何か間違いを起しても?

(奥田)(笑って)それあいけません。どだい、不自然ですよ。それこそ、おくさんの空想の領域です。おくさんは、野中先生をずいぶん大事にしていらっしゃる。それがまた、おくさんの生き甲斐(がい)なのでしょう? ばかばかしい空想はやめましょう。おくさん、今夜は、どうかしていますね。現実の問題にかえりましょう。(語調をあらためて)僕たちは、お宅から引越します。問題は、それだけです。僕は学校の宿直室へ行きますし、妹は、あれは、東京へまた帰ったほうがいいだろうと思います。


遠くから、はる、こうろうの花のえん、の合唱が聞える。学童たちの声にまじって、菊代らしき女の声もまじる。


間。


(節子)(冷静になり、顔を挙げて、はっきり)そうお願い致します。

(奥田)(かえってまごつき)なんですか?

(節子)(それにかまわず、遠くの歌声に耳を傾け)ああやって歌をうたって遊ぶのが、都会ふうで、そうして文化的とかいうもので、日本はこれから、男も女もみんな、菊代さんのようにならなければならないのでしょうか。わたくしのような、旧式な田舎女は、もう、だめなのでしょうか。わたくしには、やっぱりどうしても、わかりませんわ。なぜ、人間は、都会ふうでなければいけないのです。なぜ、田舎くさいのは、だめなんです。

(奥田) 人間がだめになったんですよ。張り合いが無くなったんですよ。大理想も大思潮も、タカが知れてる。そんな時代になったんですよ。僕は、いまでは、エゴイストです。いつのまにやら、そうなって来ました。菊代の事は、菊代自身が処理するでしょう。僕たち二十代の者は、或る点では、あなたたちよりもずっと大人(おとな)かも知れません。自己に就(つ)いての空想は、少しも持っていません。

(節子)(しずかに)それは、どんな意味ですの?

(奥田) 妹は妹、僕は僕、という事です。いや、人は人、僕は僕、と言ってもいいかも知れない。おくさん、あんまり他人の事は気にしないほうがいいですよ。

(節子) でも、菊代さんは、わたくしどもをいじめます。野中をそそのかして、わたくしどもの家庭を、……。

(奥田)(笑って)引越しますよ、すぐに。

(節子)(にくしみを含めて)たすかりますわ。


歌声すこしずつ近くなる。

風吹く。枯葉舞う。


(奥田) 寒くなりましたね。(寝ている野中のほうを顎(あご)でしゃくって)どうしますか? ずいぶん今夜は飲んだからなあ。

(節子) 悪いお酒じゃないんですか? 頭が痛い痛いと言っていましたけど。

(奥田) だいじょうぶでしょう。あれと同じ酒を、漁師たちが朝から飲んでいて、それでなんとも無いようですから。

(節子) でも、あの人たちと野中とでは、からだがまるで違いますもの。

(奥田) 試験台にはなりませんか。(笑う)どれ、僕が背負って行ってやろうかな?

(節子)(それをさえぎって、鋭く)いいえ。わたくしが致します。もう、お手数(てすう)はかけません。

(奥田) 他人は他人、旦那(だんな)は旦那ですか。(いや味なく笑う)そのほうがいいんです。それじゃ僕はちょっと、あの(と歌声のほうを指さし)チンピラの音楽団のほうへ行って、妹をつかまえて、事の真相を問いただしてみましょう。つまらない悪戯(いたずら)をしやがって。(言いながら気軽に上手(かみて)より退場)


風さらに強く吹く。

歌声いよいよ近づく。


(節子)(奥田を見送り、それから、しゃがんで野中の肩をゆすぶる)もし、もし。風邪(かぜ)をひきますよ。さ、一緒に帰りましょうね。(野中の手をとり)まあ、こんなに冷くなって。すみませんでしたわね。わたくしが悪かったのよ。あなた、どうなさったの? (顔を近寄せる)あなた! (狂乱の如く野中の顔、胸、脚など撫(な)でまわし)もし、あなた! (突然立ち上って上手に走り)奥田先生! 奥田せんせい! (また馳(は)せかえり、野中の死体に武者振りついて泣く)すみません、すみません。あなた、もういちど眼をあいて。わたくしは、心をいれかえたのよ。これからはお酒のお相手でも何でもしようと思っていましたのに、あなた! (号泣する)


風。枯葉。歌声。

――幕。



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식도락가(食通 :しょくつう)

다자이 오사무(太宰 治) (1942)

일본어 원문


 食通 というのは、大食いの事をいうのだと聞いている。私は、いまはそうでも無いけれども、かつて、非常な大食いであった。その時期には、私は自分を非常な 食通だとばかり思っていた。友人の檀一雄などに、食通 というのは、大食いの事をいうのだと真面目(まじめ)な顔をして教えて、おでんや等で、豆腐、がんもどき、大根、また豆腐というような順序で際限も無く食べて見せると、檀君は眼を丸くして、君は余程の 食通だねえ、と言って感服したものであった。伊馬鵜平君にも、私はその食通 の定義を教えたのであるが、伊馬君は、みるみる喜色を満面に湛え、ことによると、僕も食通かも知れぬ、と言った。伊馬君とそれから五、 六回、一緒に飲食したが、果して、まぎれもない大食通であった。

 安くておいしいものを、たくさん食べられたら、これに越した事はないじゃないか。当り前の話だ。すなわち食通の奥義である。

 いつか新橋のおでんやで、若い男が、海老(えび)の鬼がら焼きを、箸(はし)で器用に剥(む)いて、おかみに褒(ほ)められ、てれるどころかいよいよ澄まして、またもや一つ、つるりとむいたが、実にみっともなかった。非常に 馬鹿に見えた。手で剥いたって、いいじゃないか。ロシヤでは、ライスカレーでも、手で食べるそうだ。





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바다(海:うみ)

다자이 오사무(太宰 治) (1946)

일본어 원문


 東京の三鷹の家にいた頃は、毎日のように近所に爆弾が落ちて、私は死んだってかまわないが、しかしこの子の頭上に爆弾が落ちたら、この子はとうとう、海というものを一度も見ずに死んでしまうのだと思うと、つらい気がした。私は津軽平野のまんなかに生れたので、海を見ることがおそく、十歳くらいの時に、はじめて海を見たのである。そうして、その時の大興奮は、いまでも、私の最も貴重な思い出の一つになっているのである。この子にも、いちど海を見せてやりたい。

 子供は女の子で五歳である。やがて、三鷹の家は爆弾でこわされたが、家の者は誰も傷を負わなかった。私たちは妻の里の甲府市へ移った。しかし、まもなく甲府市も敵機に襲われ、私たちのいる家は全焼した。しかし、戦いは尚(なお)つづく。いよいよ、私の生れた土地へ妻子を連れて行くより他は無い。そこが最後の死場所である。私たちは甲府から、津軽の生家に向って出発した。三昼夜かかって、やっと秋田県の東能代(ひがしのしろ)までたどりつき、そこから五能線に乗り換えて、少しほっとした。

「海は、海の見えるのは、どちら側です。」

 私はまず車掌に尋ねる。この線は海岸のすぐ近くを通っているのである。私たちは、海の見える側に坐った。

「海が見えるよ。もうすぐ見えるよ。浦島太郎さんの海が見えるよ。」

 私ひとり、何かと騒いでいる。

「ほら! 海だ。ごらん、海だよ、ああ、海だ。ね、大きいだろう、ね、海だよ。」

 とうとうこの子にも、海を見せてやる事が出来たのである。

「川だわねえ、お母さん。」と子供は平気である。

「川?」私は愕然(がくぜん)とした。

「ああ、川。」妻は半分眠りながら答える。

「川じゃないよ。海だよ。てんで、まるで、違うじゃないか! 川だなんて、ひどいじゃないか。」

 実につまらない思いで、私ひとり、黄昏(たそがれ)の海を眺める。



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