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  2. 2018.05.18 수선화 - 한국어
  3. 2018.04.30 식도락가 - 일본어
  4. 2018.04.30 무제 - 일본어
  5. 2018.04.30 기다림 - 일본어
  6. 2018.04.30 향응부인 - 일본어
  7. 2018.04.30 불꽃놀이 - 일본어
  8. 2018.04.30 식도락가 - 한국어
  9. 2018.04.30 무제 - 한국어
  10. 2018.04.30 기다림 - 한국어

수선화(水仙)

다자이 오사무(太宰 治) (1942)

일본어 원문

「忠直卿行状記」という小説を読んだのは、僕が十三か、四のときの事で、それっきり再読の機会を得なかったが、あの一篇の筋書だけは、二十年後 のいまもなお、忘れずに記憶している。奇妙にかなしい物語であった。
  剣術の上手(じょうず)な若い殿様が、家来たちと試合をして片っ端から打ち破って、大いに得意で庭園を散歩していたら、いやな囁(ささや)きが庭の暗闇の奥から聞えた。
 「殿様もこのごろは、なかなかの御上達だ。負けてあげるほうも楽になった。」
 「あははは。」
  家来たちの不用心な私語である。
  それを聞いてから、殿様の行状は一変した。真実を見たくて、狂った。家来たちに真剣勝負を挑(いど)んだ。けれども家来たちは、真剣勝負に於いてさえも、本気 に戦ってくれなかった。あっけなく殿様が勝って、家来たちは死んでゆく。殿様は、狂いまわった。すでに、おそるべき暴君である。ついには家も断絶せられ、その身も監禁せられる。
  たしか、そのような筋書であったと覚えているが、その殿様を僕は忘れる事が出来なかった。ときどき思い出しては、溜息(ためいき)をついたものだ。
  けれども、このごろ、気味の悪い疑念が、ふいと起って、誇張ではなく、夜も眠られぬくらいに不安になった。その殿様は、本当に剣術の素晴らしい名人だったのではあるまいか。家来たちも、わざと負けていたのではなくて、本当に殿様の腕前には、かなわなかったのではあるまいか。庭園の私語も、家来たちの 卑劣 な負け惜しみに過ぎなかったのではあるまいか。あり得る事だ。僕たちだって、佳(よ)い先輩にさんざん自分たちの仕事を罵倒(ばとう)せられ、その先輩の高い情熱と正しい感覚に、ほとほと参ってしまっても、その先輩とわかれた後で、
 「あの先輩もこのごろは、なかなかの元気じゃないか。もういたわってあげる必要もないようだ。」
 「あははは。」
  などという実に、賤(いや)しい私語を交した夜も、ないわけではあるまい。それは、あり得る事なのである。家来というものは、その人柄に於いて、かならず、殿様よりも劣 っているものである。あの庭園の私語も、家来たちのひねこびた自尊心を満足させるための、きたない負け惜しみに過ぎなかったのではあるまいか。とすると、慄然(りつぜん)とするのだ。殿様は、真実を 掴 みながら、真実を追い求めて狂ったのだ。殿様は、事実、剣術の名人だったのだ。家来たちは、決してわざと負けていたのではなかった。事実、かなわなかったのだ。それならば、殿様が勝ち、家来が負けるというのは当然の事で、後でごたごたの起るべき筈(はず)は無いのであるが、やっぱり、大きい惨事が起ってしまった。殿様が、 御自分 の腕前に確乎不動の自信を持っていたならば、なんの異変も起らず、すべてが平和であったのかも知れぬが、古来、天才は自分の真価を知ること甚(はなは)だうといものだそうである。自分の 力 が信じられぬ。そこに天才の煩悶(はんもん)と、深い祈りがあるのであろうが、僕は俗人の凡才だから、その辺のことは正確に説明できない。とにかく、殿様は、自分の腕前に絶対の信頼を置く事は出来なかった。事実、名人の卓抜(たくばつ)の腕前を持っていたのだが、信じる事が出来ずに狂った。そこには、殿様という 隔絶された御身分に依る不幸もあったに違いない。僕たち長屋住居の者であったら、
 「お前は、おれを偉いと思うか。」
 「思いません。」
 「そうか。」
  というだけですむ事も、殿様ともなればそうも行くまい。天才の不幸、殿様の不幸、という具合いに考えて来ると、いよいよ僕の不安が増大して来 るばかりである。似たような惨事が、僕の身辺に於いて起ったのだ。その事件の為に、僕は、あの「忠直卿行状記 」を自(おのずか)ら思い出し、そうして一夜、ふいと恐ろしい疑念にとりつかれたり等して、あれこれ思い合せ、誇張ではなく、夜も眠られぬほど不安になった。あの殿様は、本当に剣術が素晴らしく強かったのではあるまいか。けれども問題は、もはやその殿様の身の上ではない。
  僕の忠直卿は、三十三歳 の女性である。そうして僕の役割は、あの、庭園であさましい負け惜しみを言っていた家来であったかも知れないのだから、いよいよ、やり切れない話である。
  草田惣兵衛氏の夫人、草田静子。このひとが突然、あたしは天才だ、と言って家出したというのだから、驚いた。草田氏 の家と僕の生家とは、別に血のつながりは無いのだが、それでも先々代あたりからお互いに親しく交際している。交際している、などと言うと聞えもいいけれど、実情は、僕の生家の者たちは 草田氏の家に出入りを許されている、とでも言ったほうが当っている。俗にいう御身分 も、財産も、僕の生家などとは、まるで段違いなのである。謂(い)わば、僕の生家のほうで、交際をお願いしているというような具合 いなのである。まさしく、殿様と家来である。当主の惣兵衛氏 は、まだ若い。若いと言っても、もう四十は越している。東京帝国大学の経済科を卒業してから、フランスへ行き、五、六年あそんで、日本へ帰るとすぐに遠い親戚筋 の家(この家は、のち間もなく没落した)その家のひとり娘、静子さんと結婚した。夫婦の仲も、まず円満、と言ってよい状態であった。一女 をもうけ、玻璃子(はりこ)と名づけた。パリイを、もじったものらしい。惣兵衛氏 は、ハイカラな人である。背の高い、堂々たる美男である。いつも、にこにこ笑っている。いい洋画を、たくさん持っている。ドガの競馬の画が、その中でも一ばん自慢のものらしい。けれども、自分の趣味の高さを誇るような素振りは、ちっとも見せない。美術に関する話も、あまりしない。毎日、自分の銀行に通勤している。要するに、一流の紳士である。 六年前に先代がなくなって、すぐに惣兵衛氏が、草田の家を嗣(つ)いだのである。
  夫人は、――ああ、こんな身の上の説明をするよりも、僕は数年前の、或る日のささやかな事件を描写しよう。そのほうが早道である。三年前のお正月、僕は草田 の家に年始に行った。僕は、友人にも時たまそれを指摘されるのだが、よっぽど、ひがみ根性の強い男らしい。ことに、八年前 ある事情で生家から離れ、自分ひとりで、極貧に近いその日暮しをはじめるようになってからは、いっそう、ひがみも強くなった様子である。ひとに侮辱をされはせぬかと、散りかけている枯葉のように絶えずぷるぷる命を賭けて緊張している。やり切れない悪徳である。僕は、 草田の家には、めったに行かない。生家の母や兄は、今でもちょいちょい草田 の家に、お伺(うかが)いしているようであるが、僕だけは行かない。高等学校の頃までは、僕も無邪気に遊びに行っていたのであるが、大学へはいってからは、もういやになった。 草田の家の人たちは、みんないい人ばかりなのであるが、どうも行きたくなくなった。金持はいやだ、という単純な思想を持ちはじめていたのである。それが、どうして、三年前 のお正月に限って、お年始などに行く気になったかというと、それは、そもそも僕自身が、だらしなかったからである。その前年の師走(しわす)、草田夫人 から僕に、突然、招待の手紙が来たのである。
  ――しばらくお逢い致しません。来年のお正月には、ぜひとも遊びにおいで下さい。主人も、たのしみにして待っております。主人も私も、あなたの小説の読者です。
  最後の一句 に、僕は浮かれてしまったのだ。恥ずかしい事である。その頃、僕の小説も、少し売れはじめていたのである。白状するが、僕はその頃、いい気になっていた。危険な時期であったのである。ふやけた気持でいた時、 草田夫人からの招待状が来て、あなたの小説の読者ですなどと言われたのだから、たまらない。ほくそ笑んで、御招待まことにありがたく云々と色気 たっぷりの返事を書いて、そうして翌(あく)る年の正月一日に、のこのこ出かけて行って、見事、眉間(みけん)をざくりと割られる程の大恥辱を受けて帰宅した。
  その日、草田の家では、ずいぶん僕を歓待してくれた。他の年始のお客にも、いちいち僕を「流行作家」として紹介するのだ。僕は、それを揶揄(やゆ)、侮辱の言葉 と思わなかったばかりか、ひょっとしたら僕はもう、流行作家なのかも知れないと考え直してみたりなどしたのだから、話にならない。みじめなものである。僕は酔った。 惣兵衛氏を相手に大いに酔った。もっとも、酔っぱらったのは僕ひとりで、惣兵衛氏は、いくら飲んでも顔色も変らず、そうして気弱そうに、無理に微笑して、僕の文学談 を聞いている。
 「ひとつ、奥さん、」と僕は図に乗って、夫人へ盃をさした。「いかがです。」
 「いただきません。」夫人は冷く答えた。それが、なんとも言えず、骨のずいに徹するくらいの冷厳 な語調であった。底知れぬ軽蔑感が、そのたった一語に、こめられて在った。僕は、まいった。酔いもさめた。けれども苦笑して、
 「あ、失礼。つい酔いすぎて。」と軽く言ってその場をごまかしたが、腸が煮えくりかえった。さらに一つ。僕は、もうそれ以上お酒を飲む気もせず、ごはんを食べる事にした。 蜆汁(しじみじる)がおいしかった。せっせと貝の肉を箸(はし)でほじくり出して食べていたら、
 「あら、」夫人は小さい驚きの声を挙げた。「そんなもの食べて、なんともありません?」無心な質問である。
  思わず箸とおわんを取り落しそうだった。この貝は、食べるものではなかったのだ。蜆汁 は、ただその汁だけを飲むものらしい。貝は、ダシだ。貧しい者にとっては、この貝の肉だってなかなかおいしいものだが、上流の人たちは、この肉を、たいへん汚いものとして捨てるのだ。なるほど、蜆の肉は、お臍(へそ)みたいで醜悪だ。僕は、何も返事が出来なかった。無心な驚きの声であっただけに、手痛かった。ことさらに上品ぶって、そんな質問をするのなら、僕にも応答の仕様がある。けれども、その声は、全く本心からの純粋な驚きの声なのだから、僕は、まいった。なりあがり者の「 流行作家」は、箸とおわんを持ったまま、うなだれて、何も言えない。涙が沸(わ)いて出た。あんな手ひどい恥辱を受けた事がなかった。それっきり僕は、草田 の家へは行かない。草田の家だけでなく、その後は、他のお金持の家にも、なるべく行かない事にした。そうして僕は、意地になって、貧乏の薄汚い生活を続けた。
  昨年の九月、僕の陋屋(ろうおく)の玄関に意外の客人が立っていた。草田惣兵衛氏である。
 「静子が来ていませんか。」
 「いいえ。」
 「本当ですか。」
 「どうしたのです。」僕のほうで反問した。
  何かわけがあるらしかった。
 「家は、ちらかっていますから、外へ出ましょう。」きたない家の中を見せたくなかった。
 「そうですね。」と草田氏はおとなしく首肯(うなず)いて、僕のあとについて来た。
  少し歩くと、井の頭公園である。公園の林の中を歩きながら、草田氏は語った。
 「どうもいけません。こんどは、しくじりました。薬が、ききすぎました。」夫人が、家出をしたというのである。その原因が、実に馬鹿げている。数年前に、夫人の実家 が破産した。それから夫人は、妙に冷く取りすました女になった。実家 の破産を、非常な恥辱と考えてしまったらしい。なんでもないじゃないか、といくら慰めてやっても、いよいよ、ひがむばかりだという。それを聞いて僕も、お正月の、あの「いただきません」の異様な 冷厳が理解できた。静子さんが草田の家にお嫁に来たのは、僕の高等学校時代の事で、その頃は僕も、平気で草田 の家にちょいちょい遊びに行っていたし、新夫人の静子さんとも話を交して、一緒 に映画を見に行った事さえあったのだが、その頃の新夫人は、決してあんな、骨を刺すような口調でものを言う人ではなかった。無智なくらいに明るく笑うひとだった。あの元旦に、久し振りで顔を合せて、すぐに僕は、何も 言葉を交さぬ先から、「変ったなあ」と思っていたのだが、それでは矢張(やは)り、実家 の破産という憂愁が、あのひとをあんなにひどく変化させてしまっていたのに違いない。
 「ヒステリイですね。」僕は、ふんと笑って言った。
 「さあ、それが。」草田氏は、僕の軽蔑に気がつかなかったらしく、まじめに考え込んで、「とにかく、僕がわるいんです。おだて過ぎたのです。薬がききすぎました。」草田氏 は夫人を慰める一手段として、夫人に洋画を習わせた。一週間にいちどずつ、近所の中泉花仙とかいう、もう六十歳近い下手(へた)くそな老画伯 のアトリエに通わせた。さあ、それから褒(ほ)めた。草田氏をはじめ、その中泉という老耄(ろうもう)の画伯と、それから中泉のアトリエに通っている若い研究生たち、また 草田 の家に出入りしている有象無象(うぞうむぞう)、寄ってたかって夫人の画を褒めちぎって、あげくの果は夫人の逆上という事になり、「あたしは天才だ」と口走って家出したというのであるが、僕は話を聞きながら何度も噴き出しそうになって困った。なるほど薬がききすぎた。お 金持の家庭にありがちな、ばかばかしい喜劇だ。
 「いつ、飛び出したんです。」僕は、もう草田夫妻を、ばかにし切っていた。
 「きのうです。」
 「なあんだ。それじゃ何も騒ぐ事はないじゃないですか。僕の女房だって、僕があんまりお酒を飲みすぎると、里へ行って一晩泊って来る事がありますよ。」
 「それとこれとは違います。静子は芸術家として自由な生活をしたいんだそうです。お金をたくさん持って出ました。」
 「たくさん?」
 「ちょっと多いんです。」
  草田氏くらいのお金持が、ちょっと多い、というくらいだから、五千円、あるいは一万円くらいかも知れないと僕は思った。
 「それは、いけませんね。」はじめて少し興味を覚えた。貧乏人は、お金の話には無関心でおれない。
 「静子はあなたの小説を、いつも読んでいましたから、きっとあなたのお家へお邪魔にあがっているんじゃないかと、――」
 「冗談じゃない。僕は、――」敵です、と言おうと思ったのだが、いつもにこにこ笑っている草田氏 が、きょうばかりは蒼(あお)くなってしょげ返っているその様子を目前に見て、ちょっと言い出しかねた。
  吉祥寺の駅の前でわかれたが、わかれる時に僕は苦笑しながら尋ねた。
 「いったい、どんな画をかくんです?」
 「変っています。本当に天才みたいなところもあるんです。」意外の答であった。
 「へえ。」僕は二の句が継げなかった。つくづく、馬鹿な夫婦だと思って、呆(あき)れた。
  それから三日目だったか、わが天才女史は絵具箱をひっさげて、僕の陋屋に出現した。菜葉服(なっぱふく)のような粗末な洋服を着ている。気味わるいほど頬 がこけて、眼が異様に大きくなっていた。けれども、謂(い)わば、一流の貴婦人の品位は、犯しがたかった。
 「おあがりなさい。」僕はことさらに乱暴な口をきいた。「どこへ行っていたのですか。草田さんがとても心配していましたよ。」
 「あなたは、芸術家ですか。」玄関のたたきにつっ立ったまま、そっぽを向いてそう呟(つぶや)いた。れいの冷い、高慢な口調である。
 「何を言っているのです。きざな事を言ってはいけません。草田さんも閉口していましたよ。玻璃子ちゃんのいるのをお忘れですか?」
 「アパートを捜しているのですけど、」夫人は、僕の言葉を全然黙殺している。「このへんにありませんか。」
 「奥さん、どうかしていますね。もの笑いの種ですよ。およしになって下さい。」
 「ひとりで仕事をしたいのです。」夫人は、ちっとも悪びれない。「家を一軒借りても、いいんですけど。」
 「薬がききすぎたと、草田さんも後悔していましたよ。二十世紀には、芸術家も天才もないんです。」
 「あなたは俗物ね。」平気な顔をして言った。「草田のほうが、まだ理解があります。」
  僕に対して、こんな失敬なことを言うお客には帰ってもらうことにしている。僕には、信じている一事があるのだ。誰かれに、わかってもらわなくともいいのだ。いやなら来 るな。
 「あなたは、何しに来たのですか。お帰りになったらどうですか。」
 「帰ります。」少し笑って、「画を、お見せしましょうか。」
 「たくさんです。たいていわかっています。」
 「そう。」僕の顔を、それこそ穴のあくほど見つめた。「さようなら。」
  帰ってしまった。
  なんという事だ。あのひとは、たしか僕と同じとしの筈だ。十二、三歳の子供さえあるのだ。人におだてられて発狂した。おだてる人も、おだてる人だ。不愉快 な事件である。僕は、この事件に対して、恐怖をさえ感じた。
  それから約二箇月間、静子夫人の来訪はなかったが、草田惣兵衛氏からは、その間に五、六回、手紙をもらった。困り切っているらしい。静子夫人は、その後、赤坂 のアパートに起居して、はじめは神妙に、中泉画伯のアトリエに通っていたが、やがてその老画伯をも軽蔑して、絵の勉強 は、ほとんどせず、画伯のアトリエの若い研究生たちを自分のアパートに呼び集めて、その研究生たちのお世辞に酔って、毎晩、有頂天の馬鹿騒ぎをしていた。草田氏 は恥をしのんで、単身赤坂のアパートを訪れ、家へ帰るように懇願したが、だめであった。静子夫人には、鼻であしらわれ、取巻 きの研究生たちにさえ、天才の敵として攻撃せられ、その上、持っていたお金をみんな巻き上げられた。三度おとずれたが、三度とも同じ憂目(うきめ)に逢った。もういまでは、 草田氏も覚悟をきめている。それにしても、玻璃子が不憫(ふびん)である。どうしたらよいのか、男子としてこんな苦しい立場はない、と四十歳を越えた一流紳士の草田氏 が、僕に手紙で言って寄こすのである。けれども僕も、いつか草田の家で受けたあの大恥辱を忘れてはいない。僕には、時々自分でもぞっとするほど執念深 いところがある。いちど受けた侮辱を、どうしても忘れる事が出来ない。草田の家の、此(こ)の度(たび)の不幸に同情する気持など少しも起らぬのである。草田氏 は僕に、再三、「どうか、よろしく静子に説いてやって下さい」と手紙でたのんで来ているのだが、僕は、動きたくなかった。お金持 の使い走りは、いやだった。「僕は奥さんに、たいへん軽蔑されている人間ですから、とてもお役には立ちません。」などと言って、いつも断っていたのである。
  十一月のはじめ、庭の山茶花(さざんか)が咲きはじめた頃であった。その朝、僕は、静子夫人から手紙をもらった。
  ――耳が聞えなくなりました。悪いお酒をたくさん飲んで、中耳炎を起したのです。お医者に見せましたけれども、もう手遅れだそうです。薬缶(やかん)のお湯が、シュンシュン沸いている、あの音も聞えません。窓の外で、樹の枝が枯葉を散らしてゆれ動いておりますが、なんにも音が聞えません。もう、死ぬまで聞く事が出来ません。人の声も、地の底から言っているようにしか聞えません。これも、やがて、全く聞えなくなるのでしょう。耳がよく聞えないという事が、どんなに 淋(さび)しい、もどかしいものか、今度という今度は思い知りました。買物などに行って、私の耳の悪い事を知らない人達が、ふつうの人に話すようにものを言うので、私には、何を言っているのか、さっぱりわからなくて、悲しくなってしまいます。自分をなぐさめるために、耳の悪いあの人やこの人の事など思い出してみて、ようやくの事で一日を過します。このごろ、しょっちゅう、死にたい死にたいと思います。そうしては、玻璃子の事が思い浮んで 来て、なんとかしてねばって、生きていなければならぬと思いかえします。こないだうち、泣くと耳にわるいと思って、がまんにがまんしていた涙を、つい二、三日前 、こらえ切れなくなって、いちどに、滝のように流しましたら、気分がいくらか楽になりました。もういまでは、耳の聞えない事に、ほんの少し、あきらめも出て来 ましたが、悪くなりはじめの頃は、半狂乱でしたの。一日のうちに、何回も何回も、火箸(ひばし)でもって火鉢 のふちをたたいてみます。音がよく聞えるかどうか、ためしてみるのです。夜中でも、目が覚めさえすれば、すぐに寝床に腹這いになって、ぽんぽん火鉢 をたたいてみます。あさましい姿です。畳を爪(つめ)でひっかいてみます。なるべく聞きとりにくいような音をえらんでやってみるのです。人がたずねて来 ると、その人に大きな声を出させたり、ちいさい声を出させたり、一時間も二時間も、しつこく続けて注文して、いろいろさまざま聴力をためしてみるので、お客様 たちは閉口して、このごろは、あんまりたずねて来なくなりました。夜おそく、電車通 りにひとりで立っていて、すぐ目の前を走って行く電車の音に耳をすましていることもありました。
  もう今では、電車の音も、紙を引き裂くくらいの小さい音になりました。間も無く、なんにも聞えなくなるのでしょう。からだ全体が、わるいようです。毎夜、お寝巻 を三度も取りかえます。寝汗でぐしょぐしょになるのです。いままでかいた絵は、みんな破って棄てました。一つ残さず棄てました。私の絵は、とても下手だったのです。あなただけが、本当の事をおっしゃいました。他の人は、みんな私を、おだてました。私は、出来る事なら、あなたのように、まずしくとも気楽な、 芸術家の生活をしたかった。お笑い下さい。私の家は破産して、母も間もなく死んで、父は北海道へ逃げて行きました。私は、草田 の家にいるのが、つらくなりました。その頃から、あなたの小説を読みはじめて、こんな生きかたもあるか、と生きる目標が一つ見つかったような気がしていました。私も、あなたと同じ、まずしい子です。あなたにお逢いしたくなりました。 三年前のお正月に、本当に久し振りにお目にかかる事が出来て、うれしゅうございました。私は、あなたの気ままな酔 いかたを見て、ねたましいくらい、うらやましく思いました。これが本当の生きかただ。虚飾も世辞もなく、そうしてひとり誇りを高くして生きている。こんな生きかたが、いいなあと思いました。けれども私には、どうする事も出来ません。そのうちに主人が私に絵をかく事をすすめて、私は主人を信じていますので、(いまでも私は主人を愛しております)中泉さんのアトリエに通う事になりましたが、たちまち皆さんの熱狂的な賞讃の的(まと)になり、はじめは私もただ当惑いたしましたが、主人まで 真顔になって、お前は天才かも知れぬなどと申します。私は主人の美術鑑賞眼をとても尊敬していましたので、とうとう私も逆上し、かねてあこがれの芸術家 の生活をはじめるつもりで家を出ました。ばかな女ですね。中泉さんのアトリエにかよっている研究生たちと一緒に、二、三日箱根 で遊んで、その間に、ちょっと気にいった絵が出来ましたので、まず、あなたに見ていただきたくて、いさんであなたのお家へまいりましたのに、思いがけず、さんざんな目に逢いました。私は恥ずかしゅうございました。あなたに絵を見てもらって、ほめられて、そうして、あなたのお家の近くに 間借りでもして、お互いまずしい芸術家としてお友だちになりたいと思っていました。私は狂っていたのです。あなたに面罵(めんば)せられて、はじめて私は、正気になりました。自分の 馬鹿 を知りました。わかい研究生たちが、どんなに私の絵を褒めても、それは皆あさはかなお世辞で、かげでは舌を出しているのだという事に気がつきました。けれどもその時には、もう、私の生活が 取りかえしのつかぬところまで落ちていました。引き返すことが出来なくなっていました。落 ちるところまで落ちて見ましょう。私は毎晩お酒を飲みました。わかい研究生たちと徹夜で騒ぎました。焼酎(しょうちゅう)も、ジンも飲みました。きざな、ばかな女ですね。
  愚痴(ぐち)は、もう申しますまい。私は、いさぎよく罰を受けます。窓のそとの樹の枝のゆれぐあいで、風がひどいなと思っているうちに、雨が横なぐりに降って来 ました。雨の音も、風の音も、私にはなんにも聞えませぬ。サイレントの映画のようで、おそろしいくらい、淋しい夕暮です。この手紙に御返事 は要りませんのですよ。私のことは、どうか気になさらないで下さい。淋しさのあまり、ちょっと書いてみたのです。あなたは平気でいらして下さい。――
  手紙には、アパートのところ番地も認められていた。僕は出掛けた。
  小綺麗なアパートであったが、静子さんの部屋は、ひどかった。六畳間で、そうして部屋には何もなかった。火鉢と机、それだけだった。畳は赤ちゃけて、しめっぽく、部屋 は日当りも悪くて薄暗く、果物の腐ったようないやな匂いがしていた。静子さんは、窓縁に腰かけて笑っている。さすがに身なりは、きちんとしている。顔にも美しさが残っている。 二箇月前 に見た時よりも、ふとったような感じもするが、けれども、なんだか気味がわるい。眼に、ちからが無い。生きている人の眼ではなかった。瞳(ひとみ)が灰色に濁っている。
 「無茶ですね!」と僕は叫ぶようにして言ったのであるが、静子さんは、首を振って、笑うばかりだ。もう全く聞えないらしい。僕は机の上の用箋に、「草田 ノ家ヘ、カエリナサイ」と書いて静子さんに読ませた。それから二人の間に、筆談がはじまった。静子さんも机の傍に坐って熱心に書いた。
 草田ノ家ヘ、カエリナサイ。
  スミマセン。
 トニカク、カエリナサイ。
  カエレナイ。
 ナゼ?
  カエルシカク、ナイ。
 草田サンガ、マッテル。
  ウソ。
 ホント。
  カエレナイノデス。ワタシ、アヤマチシタ。
 バカダ。コレカラドウスル。
  スミマセン。ハタラクツモリ。
 オ金、イルカ。
  ゴザイマス。
 絵ヲ、ミセテクダサイ。
  ナイ。
 イチマイモ?
  アリマセン。
  僕は急に、静子さんの絵を見たくなったのである。妙な予感がして来た。いい絵だ、すばらしくいい絵だ。きっと、そうだ。
 絵ヲ、カイテユク気ナイカ。
  ハズカシイ。
 アナタハ、キットウマイ。
  ナグサメナイデホシイ。
 ホントニ、天才カモ知レナイ。
  ヨシテ下サイ。モウオカエリ下サイ。
  僕は苦笑して立ちあがった。帰るより他はない。静子夫人は僕を見送りもせず、坐ったままで、ぼんやり窓の外を眺めていた。
  その夜、僕は、中泉画伯のアトリエをおとずれた。
 「静子さんの絵を見たいのですが、あなたのところにありませんか。」
 「ない。」老画伯は、ひとの好さそうな笑顔で、「御自分で、全部破ってしまったそうじゃないですか。天才的だったのですがね。あんなに、わがままじゃいけません。」
 「書き損じのデッサンでもなんでも、とにかく見たいのです。ありませんか。」
 「待てよ。」老画伯は首をかたむけて、「デッサンが三枚ばかり、私のところに残っていたのですが、それを、あのひとが此の間やって来 て、私の目の前で破ってしまいました。誰か、あの人の絵をこっぴどくやっつけたらしく、それからはもう、あ、そうだ、ありました、ありました、まだ一枚のこっています。うちの 娘が、たしか水彩を一枚持っていた筈です。」
 「見せて下さい。」
 「ちょっとお待ち下さい。」
  老画伯は、奥へ行って、やがてにこにこ笑いながら一枚の水彩を持って出て来て、
 「よかった、よかった。娘が秘蔵していたので助かりました。いま残っているのは、おそらく此の水彩いちまいだけでしょう。私は、もう、一万円でも手放しませんよ。」
 「見せて下さい。」
  水仙の絵である。バケツに投げ入れられた二十本程の水仙の絵である。手にとってちらと見てビリビリと引き裂いた。
 「なにをなさる!」老画伯は驚愕(きょうがく)した。
 「つまらない絵じゃありませんか。あなた達は、お金持 の奥さんに、おべっかを言っていただけなんだ。そうして奥さんの一生を台無しにしたのです。あの人をこっぴどくやっつけた男というのは僕です。」
 「そんなに、つまらない絵でもないでしょう。」老画伯は、急に自信を失った様子で、「私には、いまの新しい人たちの画は、よくわかりませんけど。」
  僕はその絵を、さらにこまかに引き裂いて、ストーヴにくべた。僕には、絵がわかるつもりだ。草田氏 にさえ、教える事が出来るくらいに、わかるつもりだ。水仙の絵は、断じて、つまらない絵ではなかった。美事だった。なぜそれを僕が引き裂いたのか。それは読者の推量 にまかせる。静子夫人は、草田氏の手許に引きとられ、そのとしの暮に自殺した。僕の不安は増大する一方である。なんだか天才の絵のようだ。おのずから忠直卿 の物語など思い出され、或(あ)る夜ふと、忠直卿 も事実素晴らしい剣術の達人だったのではあるまいかと、奇妙な疑念にさえとらわれて、このごろは夜も眠られぬくらいに不安である。二十世紀 にも、芸術の天才が生きているのかも知れぬ。

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Posted by 문학관 관리인 위어조자(謂語助者)

수선화(水仙)

다자이 오사무(太宰 治) (1942)

번역 : 위어조자

‘타다나오 경 행상기(忠直卿行狀記)’라는 소설을 읽은 것은 내가 13세인가 14세 정도의 일로, 그 때 이후 다시 읽을 기회가 없었으나, 그 한 편의 줄거리만은 20년이 지난 지금도 여전히 잊지 않고 기억하고 있다. 매우 슬픈 이야기였다.

검술이 뛰어난 젊은 주군이 부하들과 시합을 하고는 완승을 거두고 매우 기분이 좋아 정원을 산책하고 있었더니, 어디선가 속삭이는 소리가 정원 어둠 속에서 들려왔다.

“주군께서도 요즘은 꽤 솜씨가 좋아지셨어. 져주는 쪽도 편해졌다니까.”

“으하하하.”

 부하들의 부주의한 사담이었다.

이것을 듣고 주군은 돌변했다. 사실을 알고 싶어 어쩔 줄을 몰라 했다. 부하들에게 진검승부를 요구했다. 그러나 부하들은 진검승부에 있어서도 전심으로 싸워주지 않았다. 어이없게 주군이 이기고 부하들은 죽어간다. 주군은 완전히 돌았다. 이미 끔찍한 폭군이다. 결국은 집안도 망하고 스스로도 감금당하기에 이른다.

분명 그와 같은 줄거리로 생각되나, 그 주군을 나는 잊을 수가 없었다. 가끔 떠올리고는 한숨을 쉬곤 했다.

그러나 최근 기이한 의심이 문득 떠올라, 과장이 아니라 밤에 잠도 못 이룰 정도로 불안해지기 시작했다. 그 주군은 정말 훌륭한 검술의 달인이 아니었을까. 부하들도 일부러 져준 것이 아니라 정말로 주군 실력을 당해내지 못한 것이 아닐까. 정원에서 들려온 사담도 부하들의 비겁한 핑계에 지나지 않은 것이 아닐까. 있을 수 있는 일이다. 우리들도 대단한 선배들로부터 처참하게 자신들의 일에 대해 모욕을 당하고 그 선배의 높은 정열과 올바른 감각에 탄복하고서도, 그 선배와 헤어진 후에는,

“저 선배도 요즘은 꽤 신이 나 보이는군. 이제 치켜세워줄 필요도 없겠어.”

“으하하하.”

이와 같은 실로 치사한 사담을 나누었던 밤이 없지는 않았다. 그것은 있을 수 있는 일이다. 부하라는 이들은 그 인품에 있어서 항상 주군보다 못하다. 그 정원에서의 사담도 부하들의 되지도 않는 자존심을 만족시키기 위한, 지저분한 핑계에 지나지 않았던 것이 아닐까. 그렇다면 소름이 끼친다. 주군은 진실을 이미 가지고 있으면서 진실을 좇기 위해 미친 것이다. 주군은 사실 검술의 달인이었던 것이다. 부하들은 절대 일부러 진 것이 아니었다. 정말로 당해내지 못했던 것이다. 그렇다면 주군이 이기고 부하가 진다는 것은 당연한 일로서, 후에 여러 문제가 생기지 않았을 수도 있었으나, 역시 크나큰 참사가 일어나고 말았다. 주군이 스스로의 실력에 대해 확고부동한 자신감을 가지고 있었다면 아무런 이변도 일어나지 않고 모두가 평화로웠을지도 모르나, 본래 천재는 스스로의 진가를 알지 못한다고 한다. 스스로의 힘을 믿을 수 없다. 이 점에 천재의 번민과 깊은 시름이 있는 것이겠으나, 나는 속물인 범재(凡才)이므로 그러한 것에 대해서는 설명하지 못한다. 아무튼 주군은 자신의 실력에 절대적인 신뢰를 둘 수 없었다. 사실 달인의 탁월한 실력을 가지고 있었으나 믿을 수 없어 미쳐버렸다. 주군이라는 격리된 신분에 의한 불행도 분명 있었으리라. 나와 같은 서민이었더라면,

“너는 나를 훌륭하다고 생각하냐.”

“아닙니다.”

“그렇군.”

이것으로 끝날 일도 주군 정도가 되면 그렇지 못하다. 천재의 불행, 주군의 불행이라는 식으로 생각하면 점점 나 자신의 불안감이 커질 뿐이다. 비슷한 참사가 내 주변에 있어서도 일어난 것이다. 그 사건 때문에 나는 그 ‘타다나오 경 행상기’를 또다시 떠올렸고, 그리고는 밤새도록 문득 두려운 마음에 사로잡히거나 하여 이것저것 생각하다가, 과장이 아니라 밤에 잠을 이룰 수 없을 정도로 불안해지고 말았다. 그 주군은 정말로 훌륭한 검술을 가지고 있어 매우 강하지 않았을까. 그러나 문제는 이미 그 주군에 대한 것이 아니다.

내게 있어서 타다나오 경은 33세의 여성이다. 그리고 내 역할은 그 정원에서 치졸하게 핑계를 대고 있던 부하였는지도 모르므로 점점 더 답답해지는 이야기이다.

쿠사다 소오베에(草田惣兵衛) 씨의 부인 쿠사다 시즈코(草田靜子). 이 사람이 갑자기 “나는 천재다”라고 하며 가출했다고 하니 놀랐다. 쿠사다 씨 댁과 내 본가와는 친척은 아니지만 그래도 대대로 서로 친하게 교제해왔다. 교제라고 하면 듣기 좋을지는 모르나, 실상은 내 본가 사람들은 쿠사다 씨 댁에 출입을 허락받았다고 하는 편이 낫다. 이른바 신분도 재산도 내 본가와는 천지 차이다. 말하자면 내 본가 쪽에서 교제를 부탁드리고 있는 격이다. 그야말로 주군과 부하이다. 당대 소오베에 씨는 아직 젊다. 젊다고는 하나 이미 40은 넘었다. 동경제국대학 경제학과를 졸업하고 프랑스로 건너가 5, 6년 놀다 일본으로 돌아오자 곧바로 먼 친척 집안(이 집은 얼마 지나지 않아 몰락했다) 의 외동딸 시즈코 씨와 결혼했다. 부부 사이도 그럭저럭 원만하다고 할 수 있는 상태였다. 1녀를 두고 ‘하리코(玻璃子)라고 이름을 붙였다. ‘파리’에서 따왔다고 한다. 소오베에 씨는 세련된 사람이다. 키도 크고 당당한 미남이다. 항상 웃고 있었다. 좋은 서양화를 많이 가지고 있다. 드가 작품인 경마 그림은 그 중에서 가장 자랑스러워했다. 그러나 자신의 취미에 대한 고상함은 전혀 드러내지 않는다. 미술에 관한 이야기도 자주 하지 않았다. 매일 자신이 경영하는 은행으로 출근하고 있었다. 요컨대 일류 신사였다. 6년 전에 선대(先代)가 타계하자 곧바로 소에베에 씨가 쿠사다 가문을 이어받은 것이다.

부인은, ― 아아, 이런 구구한 설명을 하는 것보다 몇 년 전에 있었던 어느 작은 사건을 말하자. 그것이 더 빠르다. 3년 전 정월, 나는 쿠사다 댁에 새해인사차 방문했다. 나는 친구들로부터 종종 그 점을 지적 받곤 하지만, 상당히 모가 난 면이 있다. 특히 8년 전 사정이 있어 집을 떠나고 나 홀로 극빈에 가까운 나날을 보내기 시작하고부터는 훨씬 더 솔직하지 못한 성격이 강해진 듯하다. 남들로부터 모욕당하지는 않을까 하고 흩날리는 낙엽처럼 끊임없이 목숨 걸고 바들바들 긴장하고 있다. 허접한 악한이다. 나는 쿠사다 집에 웬만해서는 가지 않는다. 본가 어머니나 형님은 지금도 간혹 쿠사다 댁을 찾아뵙는 것 같지만, 나만은 안 간다. 고등학교 무렵까지는 나도 아무 생각 없이 놀러가곤 했으나 대학에 들어가고 나서는 이제 가기가 싫어졌다. 쿠사다 댁 사람들은 모두 좋은 사람들뿐이지만 왠지 가기가 싫다. 부자는 싫다는 단순한 사상을 갖기 시작한 것이다. 그런데 왜 3년 전 정월에는 새해인사 같은 것을 하러 갔는가 하니, 그것은 나 자신이 못났기 때문이다. 그 전해 12월, 쿠사다 부인으로부터 내게 갑자기 초청장이 날라 온 것이다.

― 오랫동안 뵙지 못했습니다. 내년 정월에는 꼭 놀러와 주시기 바랍니다. 남편도 기다리고 있습니다. 남편도 저도 당신 소설의 독자입니다.

마지막 한 문구에 나는 흥이 나고 말았다. 부끄러운 노릇이다. 그 무렵 내 소설도 조금씩 팔리기 시작했다. 고백하건대 나는 그 무렵 목에 힘이 들어갔었다. 위험한 시기였던 것이다. 들뜬 기분으로 있었을 때 쿠사다 부인으로부터 초청장이 와서는 당신 소설 독자라는 말까지 들었으니 말이다. 회심의 미소를 짓고는 초청해주셔서 감사합니다 운운 하고 힘껏 멋을 낸 답장을 보내고서, 그리고 이듬해 정월 초하루에 어슬렁어슬렁 찾아가서는 보란 듯이 정수리가 쪼개지는 듯한 대치욕(大恥辱)을 받고 귀가했다.

그날 쿠사다 댁에서는 매우 나를 환대해주었다. 인사차 들른 다른 손님에게도 일일이 나를 ‘유행작가’라며 소개하는 것이다. 나는 그것을 야유, 모욕의 말이라고 생각하기는커녕, 어쩌면 나는 이미 유행작가일지도 모른다고 착각할 정도였으니 할 말이 없다. 치졸했다. 나는 취했다. 소오베에 씨를 상대로 만취했다. 물론 취한 것은 나 혼자였으며 소에베에 씨는 아무리 마셔도 얼굴색 하나 변하지 않고, 그리고 힘없이 억지로 미소 지으며 내 문학담을 듣고 있었다.

“자, 사모님.” 하고 나는 신이 나서 부인에게 술잔을 내밀었다. “어떠세요?”

“됐어요.” 부인은 차갑게 대답했다. 그것이 말로 표현할 수 없을 정도로, 뼛속에 사무치듯 냉엄한 말투였다. 한없는 경멸감이 그 단 한마디에 담겨져 있었다. 나는 긴장했다. 술도 깼다. 그러나 쓴 웃음을 지으며,

“아, 실례. 제가 취했나봅니다.”라며 슬쩍 말을 던지고는 그 자리를 얼버무렸으나 창자가 뒤집혔다. 그리고 또 하나. 나는 더 이상 술을 마시고 싶지도 않아 밥을 먹기로 했다. 바지락국이 맛있었다. 열심히 조갯살을 젓가락으로 끄집어내어 먹고 있었더니,

“어머.” 부인이 작게 놀란 소리를 냈다. “그런 걸 드셔도 아무렇지도 않으세요?” 무심한 질문이다.

나도 모르게 젓가락과 밥그릇을 떨어뜨릴 뻔했다. 그 조개는 먹는 게 아니었던 것이다. 바지락국은 그저 그 국물만을 먹어야 한다. 바지락은 국거리이다. 가난한 자에 있어서는 이 바지락 살이라도 꽤 맛이 있으나 상류층 사람들에게는 이 조갯살이 매우 지저분한 것으로서 버리는 것이다. 그러고 보니 바지락 살은 배꼽 같아서 못생겼다. 나는 아무런 대답도 할 수 없었다. 무심하게 놀란 모습이었으니 가슴이 아팠다. 어울리지 않게 고상한 척 하며 그런 질문을 던졌다면 나도 할 말은 있다. 그러나 그 목소리는 순전히 진심으로 순수한 놀라움이었기에 나는 말문이 막혔다. 허접한 ‘유행작가’는 젓가락과 밥그릇을 들고 고개를 숙인 채 말을 잃었다. 눈물이 쏟아져 나왔다. 그토록 심한 치욕을 받은 일은 없었다. 그날 이후 나는 쿠사다 댁에 가지 않는다. 쿠사다 댁만이 아니라 그 후로는 다른 부잣집에도 가급적 안 가기로 했다. 그리고 나는 오기가 생겨 가난하고 지저분한 생활을 계속했다.

작년 9월, 내 초라한 현관에 뜻밖의 손님이 서 있었다. 쿠사다 소오베에 씨였다.

“시즈코가 오지 않았나요?”

“아니요.”

“정말인가요?”

“왜 그러시죠?” 내가 반문했다.

무슨 일이 있었던 것 같다.

“집은 어질러져 있으니 밖으로 나가시죠.” 지저분한 집안을 보여주기 싫었다.

“그러시죠.” 쿠사다 씨는 얌전히 고개를 끄덕이고서 내 뒤를 따라왔다.

잠시 걸으면 이노가시라(井の頭) 공원이 나온다. 공원 숲속을 걸으며 쿠사다 씨는 말했다.

“일이 잘 안 풀립니다. 이번에는 실수였습니다. 약발이 너무 먹혔습니다.” 부인이 가출했다고 한다. 그 원인이 실로 어이없다. 몇 년 전에 처가가 파산했다. 그로부터 부인은 이상하게 차갑고 내성적이 되었다. 친정의 파산을 큰 치욕으로 받아들인 것 같다. 대단한 일도 아니라며 위로해도 점점 더 비뚤어지기 일쑤였다고 한다. 그 말을 듣고 나도 정초에 그 “됐어요”라고 했던 기이하고도 냉엄함이 이해할 수 있었다. 시즈코 씨가 쿠사다 댁으로 시집 온 것은 내가 고등학교에 다니고 있을 시절이었으며, 그 무렵은 나도 아무렇지 않게 자주 쿠사다 댁으로 놀러갔으며, 새색시였던 시즈코 씨와 대화를 나누며 함께 영화를 보러 간 적도 있었으나, 그 무렵의 새색시는 절대 그런, 가시 돋친 말을 할 사람이 아니었다. 무지할 정도로 밝게 웃는 사람이었다. 그날 정초에 모처럼 얼굴을 맞대고는 곧바로 나는 ‘변했다’고 생각했으나 그것은 역시 친정의 파산이라는 슬픔이 그 분을 그토록 심하게 변화시키고 만 것이 분명했다.

“히스테리군요.” 나는 ‘흥’ 하고 웃으며 말했다.

“글쎄요. 그게.” 쿠사다 씨는 내 경멸을 눈치 채지 못했는지 심각하게 “아무튼 제 잘못입니다. 제가 너무 추켜세웠습니다. 약발이 너무 지나쳤습니다.” 쿠사다 씨는 부인을 위로하는 한 방법으로 부인에게 서양화를 배우도록 했다. 일주일에 한 번씩 이웃집 나카이즈미 카센 (中泉花仙)이라고 하는, 이미 예순이 다 된, 제대로 그릴 줄도 모르는 노 화백의 아틀리에에 다니게 했다. 그리고부터 부인을 칭찬했다. 쿠사다 씨를 비롯하여 그 나카이즈미라는 늙은이 화백, 그리고 나카이즈미의 아틀리에에 다니고 있는 젊은 연구생들, 나아가 쿠사다 집에 출입하는 이 사람 저 사람 닥치는 대로 하나같이 부인 그림을 칭찬하였더니 끝내는 부인이 도취하여 “나는 천재다”는 말을 남기고 가출했다고 하는데, 나는 이야기를 들으면서 몇 번이고 웃음이 터져 나올 것만 같아 혼이 났다. 말 그대로 약발이 지나쳤다. 부잣집 가정에서나 있을 수 있는 어리석은 희극이다.

“언제 뛰쳐나갔습니까?” 나는 이미 쿠사다 부부를 얕보고 있었다.

“어제입니다.”

“그렇다면 그리 소란 피울 일도 아니잖습니까. 제 마누라도 제가 너무 술을 마시면 친정으로 내려가 하룻밤 지내고 올 때가 있습니다.”

“그것과 이것은 다릅니다. 시즈코는 예술가로서 자유로운 생활을 하고 싶다고 했습니다. 돈을 많이 가지고 나갔습니다.”

“많이요?”

“조금 많습니다.”

쿠사다 씨 정도 되는 부자가 조금 많다고 하니 5천 엔, 아니면 1만 엔 정도일지 모른다고 나는 생각했다.

“그것 참 큰일이군요.” 조금 흥미가 생겼다. 가난뱅이에게 있어서 돈 이야기에 무관심할 수는 없었다.

“시즈코는 당신 소설을 항상 읽고 있었으니 분명 당신을 찾아뵙지 않았을까 하고…….”

“그런 말씀 마세요. 저한테는…….” 적(敵)입니다, 라고 말하려 했으나 항상 웃고 있던 쿠사다 씨가 오늘만은 파랗게 질려 있는 모습을 눈앞에 두고 말문이 막혔다.

키치죠지(吉祥寺) 역전에서 헤어졌으나, 헤어지기 전에 나는 쓴 웃음을 지으며 물었다.

“대체 어떤 그림을 그리시죠?”

“특이합니다. 정말 천재 같은 구석도 있어요.” 뜻밖의 대답이었다.

“그래요?” 나는 말을 이을 수 없었다. 못 말리는, 어리석기 짝이 없는 부부라는 생각이 들어 어이가 없었다.

그로부터 3일째였을까. 우리 천재여사께서는 물감가방을 들고 내 집 앞에 나타났다. 파란색 작업복처럼 생긴 볼품없는 옷을 입고 있다. 끔찍할 정도로 얼굴이 여위고 눈이 기이하게 커져 있었다. 그러나 이른바 일류 귀부인의 품위는 사라지지 않았다.

“들어오세요.” 나는 일부러 거칠게 말했다. “어디 다녀오시는 거죠? 쿠사다 씨가 매우 걱정하고 계셨습니다.”

“당신은 예술가인가요?” 현관에 선 채로 딴 데를 쳐다보며 중얼거렸다. 그 차갑고 거만한 말투였다.

“무슨 말씀이세요. 멋 떨어진 말씀은 그만 하십시오. 쿠사다 씨도 당혹스러워하고 계셨어요. 하리코 짱이 있다는 것을 잊으셨나요?”

“아파트를 찾고 있는데요.” 부인은 내 말을 완전히 묵살하고 있다. “이 근처에 없을까요?”

“사모님. 어떻게 되신 게 아니세요? 남들이 비웃습니다. 그만 하세요.”

“혼자 일을 하고 싶어요.” 부인은 전혀 반성할 기색이 없다. “집을 한 채 빌려도 괜찮은데.”

“약발이 너무 들었다고 쿠사다 씨도 후회하고 계셨어요. 20세기에는 예술가도 천재도 없어요.”

“당신은 속물이군요.” 태연한 표정으로 말했다. “쿠사다가 훨씬 더 이해력이 있습니다.”

나에 대해서 이렇게 실례를 하는 손님은 집으로 돌려보낸다. 내게는 한 가지 신념이 있다. 아무도 알아주지 않더라도 상관없다. 싫으면 오지 마라.

“당신은 왜 오셨죠? 돌아가시는 게 어떠신가요?”

“가겠습니다.” 조금 웃고는, “그림을 보여드릴까요?”

“됐습니다. 대충 알고 있습니다.”

“그래요?” 내 얼굴을 정말 뚫어지도록 바라보았다. “안녕히.”

돌아갔다.

이 무슨 노릇인가. 저 사람은 분명 나와 동갑이다. 12, 3살 되는 아이도 있다. 칭찬 받고 발광했다. 칭찬하는 사람도 문제다. 불쾌한 사건이다. 나는 이 사건에 대해 공포심마저 느꼈다.

그리고 약 2개월간 시즈코 부인의 내방은 없었으나 쿠사다 소오베에 씨로부터는 그동안 5, 6차례 편지를 받았다. 매우 난처해하는 것 같다. 시즈코 부인은 그 후 아카사카(赤板)에 있는 아파트에서 기거하고 있으며, 처음에는 조용히 나카이즈미 화백의 아틀리에를 다녔으나 점차 그 노 화백까지 경멸하고, 그림 공부는 거의 안한 채 화백 아틀리에에 있는 젊은 연구생들을 자신의 아파트로 불러모아놓고 그 연구생들의 칭찬에 취해 매일 밤 신이 나서 소란을 피웠다. 쿠사다 씨는 수치를 무릅쓰고 홀로 아카사카에 있는 아파트를 찾고 집으로 돌아가도록 간청했으나 소용없었다. 시즈코 부인은 상대도 해주지 않았으며, 둘러싼 연구생들에게조차 천재의 적으로서 공격을 받고는, 나아가 가지고 있던 돈까지 빼앗겼다. 세 번 찾아갔으나 세 번 모두 같은 꼴을 당했다. 이제 지금에 와서는 쿠사다 씨도 각오하고 있었다. 그렇다고는 하나 하리코가 불쌍했다. 어떻게 하면 좋을까. 남자로서 이토록 괴로운 처지는 없다며 마흔을 넘은 일류신사인 쿠사다 씨가 내게 편지로 호소하는 것이다. 하지만 나도 언젠가 쿠사다 댁에서 받은 그 큰 치욕을 잊지 않았다. 나는 때때로 스스로 생각해도 무서울 정도로 강한 집념을 품는 경우가 있다. 한 번 받은 치욕을 어떻게 해도 잊을 수가 없다. 쿠사다 댁에서 일어난 이번 불행에 동정하는 마음이 조금도 생기지 않는 것이다. 쿠사다 씨는 내게 재차 “제발 시즈코 좀 어떻게 설득해주세요.”라는 편지가 오는데도 나는 움직이기 싫었다. 부자들의 심부름꾼이 되기는 싫다. “사모님께서는 저를 매우 경멸하고 계시므로 아무런 도움이 되지 않습니다.”라며 항상 거절하고 있었다.

12월 초, 정원에 애기동백이 피기 시작할 무렵이었다. 그날 아침 나는 시즈코 부인으로부터 편지를 받았다.

― 귀가 안 들리게 되었습니다. 나쁜 술을 많이 마셔서 중이염에 걸린 것입니다. 병원에도 갔었으나 이미 늦었다고 합니다. 주전자가 쉭쉭 거리며 물 끓는, 그 소리도 안 들립니다. 창밖에서 나뭇가지가 낙엽을 뿌리며 흔들리고 있지만, 아무런 소리도 나지 않습니다. 이제 죽을 때까지 들을 수가 없습니다. 사람 목소리도 땅속에서 울리는 것처럼 들릴 뿐입니다. 이것도 이제 전혀 안 들리게 되겠지요. 소리를 들을 수 없다는 일이 얼마나 쓸쓸하고 안타까운 것인지 이번에는 정말 통감했습니다. 시장에 가서 제가 소리를 잘 듣지 못한다는 사실을 모르는 사람들이 평소대로 말하는 것을 저는 무슨 말을 하는지 전혀 이해할 수 없어 슬퍼집니다. 저를 위안하기 위해 귀가 안 좋은 이 사람 저 사람에 대해 떠올리며 간신히 하루하루를 살고 있습니다. 요즘 자주 죽고 싶다는 생각을 합니다. 그리고는 하리코를 생각하고, 어떻게 해서든 끈질기게 살아야겠다고 다시 마음을 가다듬습니다. 얼마 전에는 울면 귀에 좋지 않을 것 같아 참고 참던 눈물을 불과 2, 3일 전 도저히 참을 수 없어 한 번에 폭포수처럼 울어버리자 조금 마음이 편해졌습니다. 이제 지금에 와서는 귀로 들을 수 없다는 것에 대해 아주 조금 단념하게 되었으나, 나빠지기 시작했을 때는 거의 미칠 지경이었습니다. 하루 중에 몇 번이고 부젓가락으로 화로를 두들겨봅니다. 소리가 잘 들리는지 시험해보는 것입니다. 밤중에도 눈만 뜨면 바로 잠자리에 엎드린 채로 ‘탕탕’ 하며 화로를 두드려봅니다. 비참한 모습입니다. 바닥을 손톱으로 긁어봅니다. 가급적 알아듣기 쉬운 소리를 골라 해봅니다. 사람이 찾아오면 그 사람에게 큰 소리나 작은 소리를 내게 하거나, 한 시간이고 두 시간이고 집요하게 계속 주문하기도 하며, 여러 가지 청력을 시험해보기에 손님들은 난처해하여 요즘은 별로 찾아오지 않게 되었습니다. 밤늦게 철도 옆에 홀로 서서, 바로 앞을 달려가는 전철 소리에 귀를 기울인 적도 있습니다.

이제 지금은 전철 소리도 종이를 찢을 때 나는 것처럼 작은 소리가 되고 말았습니다. 이제 곧 아무런 소리도 안 들리게 되겠지요. 몸 전체가 나빠진 것 같습니다. 매일 밤 잠옷을 세 번이나 갈아입습니다. 땀 때문에 축축해집니다. 지금까지 그린 그림은 모두 찢어버렸습니다. 하나도 남김없이 버렸습니다. 제 그림은 너무나도 형편없었습니다. 당신만이 사실을 말씀해주셨습니다. 다른 사람들은 모두 저를 치켜세웠습니다. 저는 가능하다면 당신처럼, 가난하더라도 마음 편안한 예술가 같은 생활을 하고 싶었습니다. 비웃어주세요. 저희 집은 파산하고 어머니도 바로 타계하셨으며 아버지는 홋카이도(北海道)로 도망가셨습니다. 저는 쿠사다 집에 있는 것이 마음 아팠습니다. 그 무렵부터 당신 소설을 읽기 시작하고, 이런 삶도 있구나 하며 생의 목표를 하나 찾은 것 같았습니다. 저도 당신과 마찬가지인 가난한 아이입니다. 당신을 만나고 싶었습니다. 3년 전 정초에 정말 오랜만에 뵐 수 있어서 기뻤습니다. 저는 당신의 자유롭게 취한 모습이 질투가 날 정도로 부러웠습니다. 이것이 참된 삶의 방식이다. 허식도 가식적인 말도 없으며 그리고 홀로 강한 자긍심을 가지고 살아가는, 그런 삶에 대해 동경했습니다. 그러나 제게는 어떻게 할 수 없습니다. 그러던 중 남편이 제게 그림 그릴 것을 권유하여, 저는 남편을 믿고 있기에 (지금도 저는 남편을 사랑하고 있습니다), 나카이즈미 씨가 있는 아틀리에에 다니게 되었습니다만, 그러자마자 많은 분들의 열광적인 찬사가 쏟아지고, 처음에는 그저 당혹스러워했으나 남편까지 진지하게 너는 천재일지도 모른다고 했습니다. 저는 남편이 가지고 있는 미술적 안목을 매우 존경하고 있었으므로, 결국 저도 흥분하여 그동안 동경하던 예술가로서의 생활을 시작하기로 마음먹고 집을 나왔습니다. 어리석은 여자죠. 나카이즈미 씨 아틀리에에 다니고 있는 연구생들과 함께 2, 3일 동안 하코네(箱根)에서 놀고, 그 동안 조금 마음에 드는 그림이 그려졌기에 우선 당신에게 보여드리고 싶어 서둘러 당신을 찾아왔으나 뜻밖에도 참담한 꼴을 당했습니다. 저는 부끄러웠습니다. 당신에게 그림을 보여드리고 칭찬 받고 나서, 그리고 당신이 살고 있는 집 근처에 방이라도 빌려, 서로 간에 가난한 예술가로서 친구가 되고 싶다는 생각을 했습니다. 저는 제정신이 아니었던 것입니다. 당신으로부터 면박을 받고 비로소 정신을 차렸습니다. 스스로의 어리석음을 깨달았습니다. 젊은 연구생들이 아무리 제 그림을 칭찬해도 그것은 겉치레에 불과했으며 안 보이는 곳에서는 놀리고 있다는 것을 알게 되었습니다. 하지만 그 때는 이미 제 생활이 되돌릴 수 없을 지경까지 타락하고 말았습니다. 돌이킬 수 없게 되어버렸습니다. 타락할 때까지 타락해보자. 저는 매일 밤 술을 마셨습니다. 소주나 진도 마셨습니다. 겉멋 들린 바보 같은 여자입니다.

넋두리는 이제 말씀드리지 않겠습니다. 저는 겸허하게 벌을 받겠습니다. 창밖에서 나뭇가지가 많이 흔들린다 했더니 비바람이 몰아쳐왔습니다. 빗소리도 바람소리도 제게는 아무것도 들리지 않습니다. 무성영화 같아서 무서울 정도로 쓸쓸한 저녁입니다. 이 편지에 답장은 필요 없어요. 저에 대한 일은 이제 신경 쓰지 마세요. 너무 쓸쓸한 나머지 잠시 써본 것입니다. 당신께서는 잘 지내주시기 바랍니다. ―

편지에는 아파트 번지수까지 적혀 있었다. 나는 집을 나섰다.

깔끔한 아파트였으나 시즈코 씨가 사는 방은 형편없었다. 여섯 평 남짓한 방이었으며, 그리고 방에는 아무 것도 없었다. 화로와 책상. 그것뿐이었다. 다다미는 벌겋고 축축했으며, 방안에는 햇빛도 들지 않아 어두컴컴했고 과일 썩은 냄새가 났다. 시즈코 씨는 창가에 걸터앉아 웃고 있었다. 역시 옷차림은 단정했다. 얼굴에도 아름다움이 남아 있다. 2개월 전에 보았을 때보다 살이 붙은 것 같긴 했지만 어딘지 모르게 무섭게 느껴진다. 눈에 힘이 없다. 살아 있는 사람의 눈이 아니었다. 눈망울이 회색빛처럼 탁했다.

“어떻게 이럴 수가요!” 나는 소리치듯 말했으나 시즈코 씨는 고개를 저으며 웃고 있을 뿐이었다. 이제 전혀 안 들리는 것 같다. 나는 책상 위에 있던 종이에 “쿠사다 씨 댁으로 돌아가세요.”라고 적고는 시즈코 씨에게 보였다. 그리고는 둘 사이에 필담이 시작했다. 시즈코 씨도 책상 옆으로 와서 앉아 열심히 적었다.


쿠사다 씨 댁으로 돌아가세요.

    죄송합니다.

일단 돌아가세요.

    돌아갈 수 없어요.

왜요?

    돌아갈 자격 없어요.

쿠사다 씨가 기다리고 있어요.

    거짓말.

정말입니다.

    돌아갈 수 없어요. 저, 잘못을 저질렀어요.

바보예요. 이제부터 어쩌시려고요.

    죄송합니다. 일하려고.

돈이 필요합니까.

    있습니다.

그림 보여주세요.

    없어요.

한 장도?

    없습니다.


나는 갑자기 시즈코 씨 그림이 보고 싶어졌다. 이상한 예감이 들었다. 좋은 그림이다, 훌륭한 그림일 것이다. 틀림없다.


그림을 그릴 생각 없나요?

    창피해요.

당신은 분명 잘 그리실 겁니다.

    위로하지 마세요.

정말로 천재일지도 모릅니다.

    그만 두세요. 돌아가 주세요.


저는 씁쓸하게 웃으며 일어섰다. 돌아갈 수밖에 없다. 시즈코 부인은 나를 배웅도 하지 않고 앉은 채로 멍하니 창밖을 바라보고 있었다.

그날 밤 나는 나카이즈미 화백의 아틀리에를 찾았다.

“시즈코 씨 그림을 보고 싶은데, 혹시 여기에 있지 않습니까?”

“없소.” 노 화백은 호감 가는 미소를 지으며 “자기가 모두 찢어버리셨다잖아요. 천재적이었는데 말입니다. 그렇게 제멋대로 굴면 안 되죠.”

“그리다 만 습작이나 그런 거라도, 아무튼 보고 싶어서요. 없을까요?”

“잠깐만.” 노 화백은 고개를 갸웃거리더니, “습작이 세 장 정도 제게 남아있었습니다만, 그것을 그 분이 얼마 전에 와서 제 눈앞에서 찢어버렸습니다. 누군가가 그 분을 심하게 혼냈는지, 그로부터 이제, 아, 그렇지. 있어요. 있습니다. 아직 한 장 남아있어요. 저희 집 딸이 아마 수채화 한 장을 가지고 있었을 겁니다.”

“보여주세요.”

“잠깐만 기다려보세요.”

노 화백은 안으로 들어가더니 이윽고 웃으면서 한 장의 수채화를 들고 와,

“다행입니다. 참 다행이에요. 딸이 가지고 있었으니 말입니다. 지금 남아 있는 것은 아마도 이 수채화 한 장뿐일 겁니다. 저는 이제 1만 엔이라도 팔지 않을 거예요.”

수선화 그림이었다. 양동이에 든 스무 송이 정도 되는 수선화 그림이다. 받아 들고서 슬쩍 보고는 박박 찢어버렸다.

“무슨 짓입니까!” 노 화백은 경악했다.

“볼품없는 그림이잖습니까. 당신들은 부잣집 사모님한테 아부를 떨었을 뿐입니다. 그리고 사모님은 일생을 망치고 말았습니다. 그 분에게 혼을 낸 사람이란 바로 접니다.”

“그렇게 형편없지도 않잖아요.” 노 화백은 갑자기 자신감 없는 투로 “저는 요즘 새로운 사람들의 그림은 잘 모르지만요.”

나는 그 그림을 더욱 작게 찢고는 난로 속으로 집어던졌다. 나는 그림을 볼 줄 안다. 쿠사다 씨에게 가르칠 정도로 알고 있다고 생각한다. 수선화 그림은 절대 형편없는 작품이 아니었다. 훌륭했다. 왜 그것을 내가 찢었는가. 그것은 독자들의 추측에 맡기겠다. 시즈코 부인은 쿠사다 씨가 데려갔으며 그해 말에 자살했다. 내 불안감은 점점 더 커져갔다. 왠지 천재 작품 같다. 자연스레 타다나오 경 이야기가 떠오르고, 어느 날 밤 문득 타다나오 경도 훌륭한 검술의 달인이 아니었을까 하고 기이한 생각에 사로잡혀 요즘은 잠도 못 이룰 만큼 불안하다. 20세기에도 예술의 천재가 살아있을지도 모른다.

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식도락가(食通 :しょくつう)

다자이 오사무(太宰 治) (1942)

일본어 원문


 食通 というのは、大食いの事をいうのだと聞いている。私は、いまはそうでも無いけれども、かつて、非常な大食いであった。その時期には、私は自分を非常な 食通だとばかり思っていた。友人の檀一雄などに、食通 というのは、大食いの事をいうのだと真面目(まじめ)な顔をして教えて、おでんや等で、豆腐、がんもどき、大根、また豆腐というような順序で際限も無く食べて見せると、檀君は眼を丸くして、君は余程の 食通だねえ、と言って感服したものであった。伊馬鵜平君にも、私はその食通 の定義を教えたのであるが、伊馬君は、みるみる喜色を満面に湛え、ことによると、僕も食通かも知れぬ、と言った。伊馬君とそれから五、 六回、一緒に飲食したが、果して、まぎれもない大食通であった。

 安くておいしいものを、たくさん食べられたら、これに越した事はないじゃないか。当り前の話だ。すなわち食通の奥義である。

 いつか新橋のおでんやで、若い男が、海老(えび)の鬼がら焼きを、箸(はし)で器用に剥(む)いて、おかみに褒(ほ)められ、てれるどころかいよいよ澄まして、またもや一つ、つるりとむいたが、実にみっともなかった。非常に 馬鹿に見えた。手で剥いたって、いいじゃないか。ロシヤでは、ライスカレーでも、手で食べるそうだ。





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무제(無題 :むだい)

다자이 오사무(太宰 治) (1942)

일본어 원문


―――大井廣介といふのは、實にわがままな人である。これを書きながら、腹が立つて仕樣が無い。十九字二十四行、つまり、きつちり四百五十六字の文章を一つ書いてみろといふのである。思ひ上つた思ひつきだ。僕は大井廣介とは、遊んだ事もあまり無いし、今日まで二人の間には、何の恩怨も無かつた筈だが、どういふわけか、このやうな難題を吹きかける。實に、困るのだ。大井君、僕は野暮な男なんだよ。見損つてゐるらしい。きつちり四百五十六字の文章なんて、そんな氣のきいた事が出來る男ぢやないんだ。「とても書けない」と言つて、お斷りしたら、「それは困る。こつちの面目丸つぶしです」と言つて來た。「丸つぶれ」でなく、「丸つぶし」と言つてゐるのも妙である。これでは僕が、大井廣介の面目を踏みつぶした事になる。ものの考へかたが、既に常人とちがつてゐる。實に、不可解な人である。僕は、いつたい、なんの因果で、四百五十六字といふ文章を書かなければいけないのか。原稿用紙を三十枚も破つた。稿料六十圓を請求する。バカ。いま拂へなかつたら貸して置く。―――

(원문-역문 모두 456글자 – 역자 주)


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기다림(待つ:まつ)

다자이 오사무(太宰 治) (1942)

일본어 원문


 省線のその小さい駅に、私は毎日、人をお迎えにまいります。誰とも、わからぬ人を迎えに。

 市場で買い物をして、その帰りには、かならず駅に立ち寄って駅の冷いベンチに腰をおろし、買い物籠を膝に乗せ、ぼんやり改札口を見ているのです。上り下りの電車がホームに到着するごとに、たくさんの人が電車の戸口から吐き出され、どやどや改札口にやって来て、一様に怒っているような顔をして、パスを出したり、切符を手渡したり、それから、そそくさと脇目も振らず歩いて、私の坐っているベンチの前を通り駅前の広場に出て、そうして思い思いの方向に散って行く。私は、ぼんやり坐っています。誰か、ひとり、笑って私に声を掛ける。おお、こわい。ああ、困る。胸が、どきどきする。考えただけでも、背中に冷水をかけられたように、ぞっとして、息(いき)がつまる。けれども私は、やっぱり誰かを待っているのです。いったい私は、毎日ここに坐って、誰を待っているのでしょう。どんな人を? いいえ、私の待っているものは、人間でないかも知れない。私は、人間をきらいです。いいえ、こわいのです。人と顔を合せて、お変りありませんか、寒くなりました、などと言いたくもない挨拶を、いい加減に言っていると、なんだか、自分ほどの嘘つきが世界中にいないような苦しい気持になって、死にたくなります。そうしてまた、相手の人も、むやみに私を警戒して、当らずさわらずのお世辞やら、もったいぶった嘘の感想などを述べて、私はそれを聞いて、相手の人のけちな用心深さが悲しく、いよいよ世の中がいやでいやでたまらなくなります。世の中の人というものは、お互い、こわばった挨拶をして、用心して、そうしてお互いに疲れて、一生を送るものなのでしょうか。私は、人に逢うのが、いやなのです。だから私は、よほどの事でもない限り、私のほうからお友達の所へ遊びに行く事などは致しませんでした。家にいて、母と二人きりで黙って縫物をしていると、一ばん楽(らく)な気持でした。けれども、いよいよ大戦争がはじまって、周囲がひどく緊張してまいりましてからは、私だけが家で毎日ぼんやりしているのが大変わるい事のような気がして来て、何だか不安で、ちっとも落ちつかなくなりました。身を粉にして働いて、直接に、お役に立ちたい気持なのです。私は、私の今までの生活に、自信を失ってしまったのです。

 家に黙って坐って居られない思いで、けれども、外に出てみたところで、私には行くところが、どこにもありません。買い物をして、その帰りには、駅に立ち寄って、ぼんやり駅の冷いベンチに腰かけているのです。どなたか、ひょいと現われたら! という期待と、ああ、現われたら困る、どうしようという恐怖と、でも現われた時には仕方が無い、その人に私のいのちを差し上げよう、私の運がその時きまってしまうのだというような、あきらめに似た覚悟と、その他さまざまのけしからぬ空想などが、異様にからみ合って、胸が一ぱいになり窒息するほどくるしくなります。生きているのか、死んでいるのか、わからぬような、白昼の夢を見ているような、なんだか頼りない気持になって、駅前の、人の往来の有様も、望遠鏡を逆に覗いたみたいに、小さく遠く思われて、世界がシンとなってしまうのです。ああ、私はいったい、何を待っているのでしょう。ひょっとしたら、私は大変みだらな女なのかも知れない。大戦争がはじまって、何だか不安で、身を粉にして働いて、お役に立ちたいというのは嘘で、本当は、そんな立派そうな口実を設けて、自身の軽はずみな空想を実現しようと、何かしら、よい機会をねらっているのかも知れない。ここに、こうして坐って、ぼんやりした顔をしているけれども、胸の中では、不埒(ふらち)な計画がちろちろ燃えているような気もする。

 いったい、私は、誰を待っているのだろう。はっきりした形のものは何もない。ただ、もやもやしている。けれども、私は待っている。大戦争がはじまってからは、毎日、毎日、お買い物の帰りには駅に立ち寄り、この冷いベンチに腰をかけて、待っている。誰か、ひとり、笑って私に声を掛ける。おお、こわい。ああ、困る。私の待っているのは、あなたでない。それではいったい、私は誰を待っているのだろう。旦那さま。ちがう。恋人。ちがいます。お友達。いやだ。お金。まさか。亡霊。おお、いやだ。

 もっとなごやかな、ぱっと明るい、素晴らしいもの。なんだか、わからない。たとえば、春のようなもの。いや、ちがう。青葉。五月。麦畑を流れる清水。やっぱり、ちがう。ああ、けれども私は待っているのです。胸を躍(おど)らせて待っているのだ。眼の前を、ぞろぞろ人が通って行く。あれでもない、これでもない。私は買い物籠をかかえて、こまかく震えながら一心に一心に待っているのだ。私を忘れないで下さいませ。毎日、毎日、駅へお迎えに行っては、むなしく家へ帰って来る二十(はたち)の娘を笑わずに、どうか覚えて置いて下さいませ。その小さい駅の名は、わざとお教え申しません。お教えせずとも、あなたは、いつか私を見掛ける。



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향응부인(饗応婦人:きょうおうふじん)

다자이 오사무(太宰 治) (1942)

일본어 원문


 奥さまは、もとからお客に何かと世話を焼き、ごちそうするのが好きなほうでしたが、いいえ、でも、奥さまの場合、お客をすきというよりは、お客におびえている、とでも言いたいくらいで、玄関のベルが鳴り、まず私が取次ぎに出まして、それからお客のお名前を告げに奥さまのお部屋へまいりますと、奥さまはもう既に、鷲(わし)の羽音を聞いて飛び立つ一瞬前の小鳥のような感じの異様に緊張の顔つきをしていらして、おくれ毛を掻(か)き上げ襟(えり)もとを直し腰を浮かせて私の話を半分も聞かぬうちに立って廊下に出て小走りに走って、玄関に行き、たちまち、泣くような笑うような笛の音に似た不思議な声を挙げてお客を迎え、それからはもう錯乱したひとみたいに眼つきをかえて、客間とお勝手のあいだを走り狂い、お鍋(なべ)をひっくりかえしたりお皿をわったり、すみませんねえ、すみませんねえ、と女中の私におわびを言い、そうしてお客のお帰りになった後は、呆然(ぼうぜん)として客間にひとりでぐったり横坐りに坐ったまま、後片づけも何もなさらず、たまには、涙ぐんでいる事さえありました。

 ここのご主人は、本郷(ほんごう)の大学の先生をしていらして、生れたお家もお金持ちなんだそうで、その上、奥さまのお里(さと)も、福島県の豪農とやらで、お子さんの無いせいもございましょうが、ご夫婦ともまるで子供みたいな苦労知らずの、のんびりしたところがありました。私がこの家へお手伝いにあがったのは、まだ戦争さいちゅうの四年前で、それから半年ほど経って、ご主人は第二国民兵の弱そうなおからだでしたのに、突然、召集されて運が悪くすぐ南洋の島へ連れて行かれてしまった様子で、ほどなく戦争が終っても、消息不明で、その時の部隊長から奥さまへ、或(ある)いはあきらめていただかなければならぬかも知れぬ、という意味の簡単な葉書がまいりまして、それから奥さまのお客の接待も、いよいよ物狂おしく、お気の毒で見ておれないくらいになりました。

 あの、笹島(ささじま)先生がこの家へあらわれる迄(まで)はそれでも、奥さまの交際は、ご主人の御親戚とか奥さまの身内とかいうお方たちに限られ、ご主人が南洋の島においでになった後でも、生活のほうは、奥さまのお里から充分の仕送りもあって、わりに気楽で、物静かな、謂(い)わばお上品なくらしでございましたのに、あの、笹島先生などが見えるようになってから、滅茶苦茶になりました。

 この土地は、東京の郊外には違いありませんが、でも、都心から割に近くて、さいわい戦災からものがれる事が出来ましたので、都心で焼け出された人たちは、それこそ洪水のようにこの辺にはいり込み、商店街を歩いても、行き合う人の顔触れがすっかり全部、変ってしまった感じでした。

 昨年の暮、でしたかしら、奥さまが十年振りとかで、ご主人のお友達の笹島先生に、マーケットでお逢(あ)いしたとかで、うちへご案内していらしたのが、運のつきでした。

 笹島先生は、ここのご主人と同様の四十歳前後のお方で、やはりここのご主人の勤めていらした本郷の大学の先生をしていらっしゃるのだそうで、でも、ここのご主人は文学士なのに、笹島先生は医学士で、なんでも中学校時代に同級生だったとか、それから、ここのご主人がいまのこの家をおつくりになる前に奥さまと駒込(こまごめ)のアパートにちょっとの間住んでいらして、その折、笹島先生は独身で同じアパートに住んでいたので、それで、ほんのわずかの間ながら親交があって、ご主人がこちらへお移りになってからは、やはりご研究の畑がちがうせいもございますのか、お互いお家を訪問し合う事も無く、それっきりのお附き合いになってしまって、それ以来、十何年とか経って、偶然、このまちのマーケットで、ここの奥さまを見つけて、声をかけたのだそうです。呼びかけられて、ここの奥さまもまた、ただ挨拶(あいさつ)だけにして別れたらよいのに、本当に、よせばよいのに、れいの持ち前の歓待癖を出して、うちはすぐそこですから、まあ、どうぞ、いいじゃありませんか、など引きとめたくも無いのに、お客をおそれてかえって逆上して必死で引きとめた様子で、笹島先生は、二重廻しに買物籠(かいものかご)、というへんな恰好(かっこう)で、この家へやって来られて、

「やあ、たいへん結構な住居(すまい)じゃないか。戦災をまぬかれたとは、悪運つよしだ。同居人がいないのかね。それはどうも、ぜいたくすぎるね。いや、もっとも、女ばかりの家庭で、しかもこんなにきちんとお掃除の行きとどいている家には、かえって同居をたのみにくいものだ。同居させてもらっても窮屈だろうからね。しかし、奥さんが、こんなに近くに住んでいるとは思わなかった。お家がM町とは聞いていたけど、しかし、人間て、まが抜けているものですね、僕はこっちへ流れて来て、もう一年ちかくなるのに、全然ここの標札に気がつかなかった。この家の前を、よく通るんですがね、マーケットに買い物に行く時は、かならず、ここの路(みち)をとおるんですよ。いや、僕もこんどの戦争では、ひどいめに遭(あ)いましてね、結婚してすぐ召集されて、やっと帰ってみると家は綺麗(きれい)に焼かれて、女房は留守中に生れた男の子と一緒に千葉県の女房の実家に避難していて、東京に呼び戻したくても住む家が無い、という現状ですからね、やむを得ず僕ひとり、そこの雑貨店の奥の三畳間を借りて自炊(じすい)生活ですよ、今夜は、ひとつ鳥鍋でも作って大ざけでも飲んでみようかと思って、こんな買物籠などぶらさげてマーケットをうろついていたというわけなんだが、やけくそですよ、もうこうなればね。自分でも生きているんだか死んでいるんだか、わかりやしない。」

 客間に大あぐらをかいて、ご自分の事ばかり言っていらっしゃいます。

「お気の毒に。」

 と奥さまは、おっしゃって、もう、はや、れいの逆上の饗応癖がはじまり、目つきをかえてお勝手へ小走りに走って来られて、

「ウメちゃん、すみません。」

 と私にあやまって、それから鳥鍋の仕度(したく)とお酒の準備を言いつけ、それからまた身をひるがえして客間へ飛んで行き、と思うとすぐにまたお勝手へ駈(か)け戻って来て火をおこすやら、お茶道具を出すやら、いかにまいどの事とは言いながら、その興奮と緊張とあわて加減は、いじらしいのを通りこして、にがにがしい感じさえするのでした。

 笹島先生もまた図々(ずうずう)しく、

「やあ、鳥鍋ですか、失礼ながら奥さん、僕は鳥鍋にはかならず、糸こんにゃくをいれる事にしているんだがね、おねがいします、ついでに焼豆腐(やきどうふ)があるとなお結構ですな。単に、ねぎだけでは心細い。」

 などと大声で言い、奥さまはそれを皆まで聞かず、お勝手へころげ込むように走って来て、

「ウメちゃん、すみません。」

 と、てれているような、泣いているような赤ん坊みたいな表情で私にたのむのでした。

 笹島先生は、酒をお猪口(ちょこ)で飲むのはめんどうくさい、と言い、コップでぐいぐい飲んで酔い、

「そうかね、ご主人もついに生死不明か、いや、もうそれは、十中の八九は戦死だね、仕様が無い、奥さん、不仕合せなのはあなただけでは無いんだからね。」

 とすごく簡単に片づけ、

「僕なんかは奥さん、」

 とまた、ご自分の事を言い出し、

「住むに家無く、最愛の妻子と別居し、家財道具を焼き、衣類を焼き、蒲団を焼き、蚊帳(かや)を焼き、何も一つもありやしないんだ。僕はね、奥さん、あの雑貨店の奥の三畳間を借りる前にはね、大学の病院の廊下に寝泊りしていたものですよ。医者のほうが患者よりも、数等(すうとう)みじめな生活をしている。いっそ患者になりてえくらいだった。ああ、実に面白くない。みじめだ。奥さん、あなたなんか、いいほうですよ。」

「ええ、そうね。」

 と奥さまは、いそいで相槌(あいづち)を打ち、

「そう思いますわ。本当に、私なんか、皆さんにくらべて仕合せすぎると思っていますの。」

「そうですとも、そうですとも。こんど僕の友人を連れて来ますからね、みんなまあ、これは不幸な仲間なんですからね、よろしく頼まざるを得ないというような、わけなんですね。」

 奥さまは、ほほほといっそ楽しそうにお笑いになり、

「そりゃ、もう。」

 とおっしゃって、それからしんみり、

「光栄でございますわ。」

 その日から、私たちのお家は、滅茶々々になりました。

 酔った上のご冗談でも何でも無く、ほんとうに、それから四、五日経(た)って、まあ、あつかましくも、こんどはお友だちを三人も連れて来て、きょうは病院の忘年会があって、今夜はこれからお宅で二次会をひらきます、奥さん、大いに今から徹夜で飲みましょう、この頃はどうもね、二次会をひらくのに適当な家が無くて困りますよ、おい諸君、なに遠慮の要らない家なんだ、あがり給(たま)え、あがり給え、客間はこっちだ、外套(がいとう)は着たままでいいよ、寒くてかなわない、などと、まるでもうご自分のお家同様に振舞い、わめき、そのまたお友だちの中のひとりは女のひとで、どうやら看護婦さんらしく、人前もはばからずその女とふざけ合って、そうしてただもうおどおどして無理に笑っていなさる奥さまをまるで召使いか何かのようにこき使い、

「奥さん、すみませんが、このこたつに一つ火をいれて下さいな。それから、また、こないだみたいにお酒の算段をたのみます。日本酒が無かったら、焼酎(しょうちゅう)でもウイスキイでもかまいませんからね、それから、食べるものは、あ、そうそう、奥さん今夜はね、すてきなお土産(みやげ)を持参しました、召上れ、鰻(うなぎ)の蒲焼(かばやき)。寒い時は之(これ)に限りますからね、一串(くし)は奥さんに、一串は我々にという事にしていただきましょうか、それから、おい誰か、林檎(りんご)を持っていた奴があったな、惜しまずに奥さんに差し上げろ、インドといってあれは飛び切り香り高い林檎だ。」

 私がお茶を持って客間へ行ったら、誰やらのポケットから、小さい林檎が一つころころところげ出て、私の足もとへ来て止り、私はその林檎を蹴飛(けと)ばしてやりたく思いました。たった一つ。それをお土産だなんて図々しくほらを吹いて、また鰻だって後で私が見たら、薄っぺらで半分乾いているような、まるで鰻の乾物(ひもの)みたいな情無いしろものでした。

 その夜は、夜明け近くまで騒いで、奥さまも無理にお酒を飲まされ、しらじらと夜の明けた頃に、こんどは、こたつを真中にして、みんなで雑魚寝(ざこね)という事になり、奥さまも無理にその雑魚寝の中に参加させられ、奥さまはきっと一睡も出来なかったでしょうが、他の連中は、お昼すぎまでぐうぐう眠って、眼がさめてから、お茶づけを食べ、もう酔いもさめているのでしょうから、さすがに少し、しょげて、殊(こと)に私は、露骨にぷりぷり怒っている様子を見せたものですから、私に対しては、みな一様に顔をそむけ、やがて、元気の無い腐った魚のような感じの恰好(かっこう)で、ぞろぞろ帰って行きました。

「奥さま、なぜあんな者たちと、雑魚寝なんかをなさるんです。私、あんな、だらしない事は、きらいです。」

「ごめんなさいね。私、いや、と言えないの。」

 寝不足の疲れ切った真蒼(まっさお)なお顔で、眼には涙さえ浮べてそうおっしゃるのを聞いては、私もそれ以上なんとも言えなくなるのでした。

 そのうちに、狼(おおかみ)たちの来襲がいよいよひどくなるばかりで、この家が、笹島先生の仲間の寮みたいになってしまって、笹島先生の来ない時は、笹島先生のお友達が来て泊って行くし、そのたんびに奥さまは雑魚寝の相手を仰(おお)せつかって、奥さまだけは一睡も出来ず、もとからお丈夫なお方ではありませんでしたから、とうとうお客の見えない時は、いつも寝ているようにさえなりました。

「奥さま、ずいぶんおやつれになりましたわね。あんな、お客のつき合いなんか、およしなさいよ。」

「ごめんなさいね。私には、出来ないの。みんな不仕合せなお方ばかりなのでしょう? 私の家へ遊びに来るのが、たった一つの楽しみなのでしょう。」

 ばかばかしい。奥さまの財産も、いまではとても心細くなって、このぶんでは、もう半年も経てば、家を売らなければならない状態らしいのに、そんな心細さはみじんもお客に見せず、またおからだも、たしかに悪くしていらっしゃるらしいのに、お客が来ると、すぐお床からはね起き、素早く身なりをととのえて、小走りに走って玄関に出て、たちまち、泣くような笑うような不思議な歓声を挙げてお客を迎えるのでした。

 早春の夜の事でありました。やはり一組の酔っぱらい客があり、どうせまた徹夜になるのでしょうから、いまのうちに私たちだけ大いそぎで、ちょっと腹ごしらえをして置きましょう、と私から奥さまにおすすめして、私たち二人台所で立ったまま、代用食の蒸(む)しパンを食べていました。奥さまは、お客さまには、いくらでもおいしいごちそうを差し上げるのに、ご自分おひとりだけのお食事は、いつも代用食で間に合せていたのです。

 その時、客間から、酔っぱらい客の下品な笑い声が、どっと起り、つづいて、

「いや、いや、そうじゃあるまい。たしかに君とあやしいと俺(おれ)はにらんでいる。あのおばさんだって君、……」と、とても聞くに堪(た)えない失礼な、きたない事を、医学の言葉で言いました。

 すると、若い今井先生らしい声がそれに答えて、

「何を言ってやがる。俺は愛情でここへ遊びに来ているんじゃないよ。ここはね、単なる宿屋さ。」

 私は、むっとして顔を挙げました。

 暗い電燈の下で、黙ってうつむいて蒸パンを食べていらっしゃる奥さまの眼に、その時は、さすがに涙が光りました。私はお気の毒のあまり、言葉につまっていましたら、奥さまはうつむきながら静かに、

「ウメちゃん、すまないけどね、あすの朝は、お風呂をわかして下さいね。今井先生は、朝風呂がお好きですから。」

 けれども、奥さまが私に口惜(くや)しそうな顔をお見せになったのは、その時くらいのもので、あとはまた何事も無かったように、お客に派手なあいそ笑いをしては、客間とお勝手のあいだを走り狂うのでした。

 おからだがいよいよお弱りになっていらっしゃるのが私にはちゃんとわかっていましたが、何せ奥さまは、お客と対する時は、みじんもお疲れの様子をお見せにならないものですから、お客はみな立派そうなお医者ばかりでしたのに、一人として奥さまのお具合いの悪いのを見抜けなかったようでした。

 静かな春の或(あ)る朝、その朝は、さいわい一人も泊り客はございませんでしたので、私はのんびり井戸端でお洗濯をしていますと、奥さまは、ふらふらとお庭へはだしで降りて行かれて、そうして山吹(やまぶき)の花の咲いている垣(かき)のところにしゃがみ、かなりの血をお吐きになりました。私は大声を挙げて井戸端から走って行き、うしろから抱いて、かつぐようにしてお部屋へ運び、しずかに寝かせて、それから私は泣きながら奥さまに言いました。

「だから、それだから私は、お客が大きらいだったのです。こうなったらもう、あのお客たちがお医者なんだから、もとのとおりのからだにして返してもらわなければ、私は承知できません。」

「だめよ、そんな事をお客さまたちに言ったら。お客さまたちは責任を感じて、しょげてしまいますから。」

「だって、こんなにからだが悪くなって、奥さまは、これからどうなさるおつもり? やはり、起きてお客の御接待をなさるのですか? 雑魚寝のさいちゅうに血なんか吐いたら、いい見世物ですわよ。」

 奥さまは眼をつぶったまま、しばらく考え、

「里(さと)へ、いちど帰ります。ウメちゃんが留守番をしていて、お客さまにお宿をさせてやって下さい。あの方たちには、ゆっくりやすむお家が無いのですから。そうしてね、私の病気の事は知らせないで。」

 そうおっしゃって、優(やさ)しく微笑(ほほえ)みました。

 お客たちの来ないうちにと、私はその日にもう荷作りをはじめて、それから私もとにかく奥さまの里(さと)の福島までお伴(とも)して行ったほうがよいと考えましたので、切符を二枚買い入れ、それから三日目、奥さまも、よほど元気になったし、お客の見えないのをさいわい、逃げるように奥さまをせきたて、雨戸をしめ、戸じまりをして、玄関に出たら、

 南無三宝(なむさんぽう)!

 笹島先生、白昼から酔っぱらって看護婦らしい若い女を二人ひき連れ、

「や、これは、どこかへお出かけ?」

「いいんですの、かまいません。ウメちゃん、すみません客間の雨戸をあけて。どうぞ、先生、おあがりになって。かまわないんですの。」

 泣くような笑うような不思議な声を挙げて、若い女のひとたちにも挨拶して、またもくるくるコマ鼠(ねずみ)の如く接待の狂奔がはじまりまして、私がお使いに出されて、奥さまからあわてて財布(さいふ)がわりに渡された奥さまの旅行用のハンドバッグを、マーケットでひらいてお金を出そうとした時、奥さまの切符が、二つに引き裂かれているのを見て驚き、これはもうあの玄関で笹島先生と逢ったとたんに、奥さまが、そっと引き裂いたのに違いないと思ったら、奥さまの底知れぬ優しさに呆然(ぼうぜん)となると共に、人間というものは、他の動物と何かまるでちがった貴(とうと)いものを持っているという事を生れてはじめて知らされたような気がして、私も帯の間から私の切符を取り出し、そっと二つに引き裂いて、そのマーケットから、もっと何かごちそうを買って帰ろうと、さらにマーケットの中を物色しつづけたのでした。

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불꽃놀이(花火:はなび)

다자이 오사무(太宰 治) (1942)


 昭和のはじめ、東京の一家庭 に起った異常な事件である。四谷(よつや)区某町某番地に、鶴見仙之助 というやや高名の洋画家がいた。その頃すでに五十歳を越えていた。東京の医者の子であったが、若い頃フランスに渡り、ルノアルという巨匠に師事して洋画を学び、 帰朝して日本の画壇に於いて、かなりの地位を得る事が出来た。夫人は陸奥(むつ)の産である。教育者の家に生れて、父が転任を命じられる度毎に、一家も共に移転して諸方を歩いた。その父が東京のドイツ 語学校の主事として栄転して来たのは、夫人の十七歳の春であった。間もなく、世話する人があって、新帰朝の仙之助氏と結婚した。一男一女 をもうけた。勝治と、節子である。その事件のおこった時は、勝治二十三歳、節子十九歳の盛夏である。

 事件は既に、その三年前から萌芽(ほうが)していた。仙之助氏と勝治の衝突である。仙之助氏は、小柄 で、上品な紳士である。若い頃には、かなりの毒舌家だったらしいが、いまは、まるで無口である。家族の者とも、日常ほとんど話をしない。用事のある時だけ、低い声で、静かに言う。むだ口は、言うのも聞くのも、きらいなようである。煙草は 吸うが、酒は飲まない。アトリエと旅行。仙之助氏の生活の場所は、その二つだけのように見えた。けれども画壇の一部に於いては、鶴見 はいつも金庫の傍で暮している、という奇妙な囁(ささや)きも交(か)わされているらしく、とすると仙之助氏 の生活の場所も合計三つになるわけであるが、そのような囁きは、貧困で自堕落 な画家の間にだけもっぱら流行している様子で、れいのヒステリイの復讐的な嘲笑に過ぎないらしいところもあるので、そのまま信用する事も出来ない。とにかく世間一般は、 仙之助氏を相当に尊敬していた。

 勝治は父に似ず、からだも大きく、容貌も鈍重な感じで、そうしてやたらに怒りっぽく、芸術家 の天分とでもいうようなものは、それこそ爪の垢(あか)ほども無く、幼い頃から、ひどく犬が好きで、中学校の頃には、闘犬を二匹 も養っていた事があった。強い犬が好きだった。犬に飽(あ)きて来たら、こんどは自分で拳闘に凝(こ)り出した。中学で二度も落第 して、やっと卒業した春に、父と乱暴な衝突をした。父はそれまで、勝治 の事に就(つ)いては、ほとんど放任しているように見えた。母だけが、勝治 の将来に就いて気をもんでいるように見えた。けれども、こんど、勝治の卒業を機として、父が勝治 にどんな生活方針を望んでいたのか、その全部が露呈 せられた。まあ、普通の暮しである。けれども、少し頑固すぎたようでもある。医者になれ、というのである。そうして、その他のものは絶対にいけない。医者に限る。最も容易に入学できる医者の学校を選んで、その学校へ、二度でも三度でも、入学できるまで受験を続けよ、それが 勝治の最善の路(みち)だ、理由は言わぬが、あとになって必ず思い当る事がある、と母を通じて勝治に宣告した。これに対して勝治 の希望は、あまりにも、かけ離れていた。

 勝治 は、チベットへ行きたかったのだ。なぜ、そのような冒険を思いついたか、或いは少年航空雑誌で何か読んで強烈な感激を味ったのか、はっきりしないが、とにかく、チベットへ行くのだという希望だけは 牢固(ろうこ)として抜くべからざるものがあった。両者の意嚮(いこう)の間には、あまりにもひどい懸隔(けんかく)があるので、母は 狼狽(ろうばい)した。チベットは、いかになんでも唐突すぎる。母はまず勝治に、その無思慮な希望を放棄してくれるように歎願した。頑 として聞かない。チベットへ行くのは僕の年来の理想であって、中学時代に学業よりも主として身体の鍛錬(たんれん)に努めて来 たのも実はこのチベット行のためにそなえていたのだ、人間は自分の最高と信じた路 に雄飛しなければ、生きていても屍(しかばね)同然である、お母さん、人間はいつか必ず死ぬものです、自分の好きな路 に進んで、努力してそうして中途でたおれたとて、僕は本望です、と大きい男がからだを震わせ、熱い涙 を流して言い張る有様には、さすがに少年の純粋な一すじの情熱も感じられて、可憐でさえあった。母は当惑するばかりである。いまはもう、いっそ、母のほうで、そのチベットとやらの 十万億土へ行ってしまいたい気持である。どのように言ってみても、勝治 は初志をひるがえさず、ひるがえすどころか、いよいよ自己の悲壮の決意を固めるばかりである。母は窮した。まっくらな気持で、父に報告した。けれども流石(さすが)に、チベットとは言い出し兼ねた。満洲へ行きたいそうでございますが、と父に告げた。父は表情を変えずに、少し考えた。答は、実に 案外であった。

「行ったらいいだろう。」

 そう言ってパレットを持ち直し、

「満洲にも医学校はある。」

 これでは問題が、更にややこしくなったばかりで、なんにもならない。母は今更、チベットとは言い直しかねた。そのまま引きさがって、 勝治に向い、チベットは諦めて、せめて満洲の医学校 、くらいのところで堪忍(かんにん)してくれぬか、といまは必死の説服に努めてみたが、勝治 は風馬牛(ふうばぎゅう)である。ふんと笑って、満洲なら、クラスの相馬君 も、それから辰ちゃんだって行くと言ってた、満洲なんて、あんなヘナチョコどもが行くのにちょうどよい所だ、神秘性が無いじゃないか、僕はなんでもチベットへ行くのだ、日本で最初の開拓者になるのだ、羊を 一万頭も飼って、それから、などと幼い空想をとりとめもなく言い続ける。母は泣いた。

 とうとう、父の耳にはいった。父は薄笑いして、勝治の目前で静かに言い渡した。

「低能だ。」

「なんだっていい、僕は行くんだ。」

「行ったほうがよい。歩いて行くのか。」

「ばかにするな!」勝治は父に飛びかかって行った。これが親不孝のはじめ。

 チベット行は、うやむやになったが、勝治 は以来、恐るべき家庭破壊者として、そろそろ、その兇悪(きょうあく)な風格を表しはじめた。医者の学校へ受験したのか、しないのか、( 勝治は受験したと言っている)また、次の受験にそなえて勉強しているのか、どうか、(勝治は、勉強 しているさ、と言っている)まるで当てにならない。勝治 の言葉を信じかねて、食事の時、母がうっかり、「本当?」と口を滑らせたばかりに、ざぶりと味噌汁(みそしる)を頭から浴びせられた。

「ひどいわ。」朗らかに笑って言って素早く母の髪をエプロンで拭いてやり、なんでもないようにその場を取 りつくろってくれたのは、妹の節子である。未だ女学生である。この頃から、節子の稀有(けう)の性格が登場する。

 勝治の小使銭は一月三十円、節子は十五円、それは毎月きまって母から支給せられる額である。勝治 には、足りるわけがない。一日で無くなる事もある。何に使うのか、それは後でだんだんわかって来るのであるが、勝治 は、はじめは、「わかってるじゃねえか、必要な本があるんだよ」と言っていた。小使銭を支給されたその日に、勝治 はぬっと節子に右手を差し出す。節子は、うなずいて、兄の大きい掌に自分の十円紙幣を載せてやる。それだけで手を引込 める事もあるが、なおも黙って手を差し出したままでいる事もある。節子は一瞬泣きべそに似た表情をするが、無理に笑って、残りの五円紙幣 をも勝治の掌に載せてやる。

「サアンキュ!」勝治 はそう言う。節子のお小使は一銭も残らぬ。節子は、その日から、やりくりをしなければならぬ。どうしても、やりくりのつかなくなった時には、仕方が無い、顔を 真赤にして母にたのむ。母は言う。

「勝治ばかりか、お前まで、そんなに金使いが荒くては。」

 節子は弁解をしない。

「大丈夫。来月は、だいじょうぶ。」と無邪気な口調で言う。

 その頃は、まだよかったのだ。節子の着物 が無くなりはじめた。いつのまにやら箪笥(たんす)から、すっと姿を消している。はじめ、まだ一度も袖(そで)をとおさぬ訪問着 が、すっと無くなっているのに気附いた時には、さすがに節子も顔色を変えた。母に尋ねた。母は落ちついて、着物 がひとりで出歩くものか、捜してごらん、と言った。節子は、でも、と言いかけて口を噤(つぐ)んだ。廊下 に立っている勝治を見たのだ。兄は、ちらと節子に目くばせをした。いやな感じだった。節子は再び箪笥を捜して、

「あら、あったわ。」と言った。

 二人きりになった時、節子は兄に小声で尋ねた。

「売っちゃったの?」

「わしゃ知らん。」タララ、タ、タタタ、廊下 でタップ・ダンスの稽古(けいこ)をして、「返さない男じゃねえよ。我慢しろよ。ちょっとの間じゃねえか。」

「きっとね?」

「あさましい顔をするなよ。告げ口したら、ぶん殴(なぐ)る。」

 悪びれた様子もなかった。節子は、兄を信じた。その訪問着は、とうとうかえって来なかった。その訪問着だけでなく、その後も着物 が二枚三枚、箪笥から消えて行くのだ。節子は、女の子である。着物を、皮膚と同様に愛惜している。その着物 が、すっと姿を消しているのを発見する度毎に、肋骨(ろっこつ)を一本失ったみたいな堪えがたい心細さを覚える。生きて甲斐(かい)ない気持がする。けれどもいまは、兄を信じて待っているより他は無い。あくまでも、兄を信じようと思った。

「売っちゃ、いやよ。」それでも時々、心細さのあまり、そっと勝治に囁(ささや)くことがある。

「馬鹿野郎。おれを信用しねえのか。」

「信用するわ。」

 信用するより他はない。節子には、着物を失った淋しさの他に、もし此(こ)の事が母に勘附(かんづ)かれたらどうしようという恐ろしい不安もあった。二、三度、母に対して苦しい言いのがれをした事もあった。

「矢絣(やがすり)の銘仙(めいせん)があったじゃないか。あれを着たら、どうだい?」

「いいわよ、いいわよ。これでいいの。」心の内は生死の境だ。危機一髪である。

 姿を消した自分の着物が、どんなところへ持ち込まれているのか、少しずつ節子にもわかって来た。質屋 というものの存在、機構を知ったのだ。どうしてもその着物 を母のお目に掛けなければならぬ窮地におちいった時には、苦心してお金を都合して兄に手渡す。勝治 は、オーライなどと言って、のっそり家を出る。着物を抱(かか)えてすぐに帰って来る事もあれば、深夜、酔 って帰って来て、「すまねえ」なんて言って、けろりとしていることもある。後になって、節子は、兄に教わって、ひとりで質屋 へ着物を受け出しに行くようにさえなった。お金がどうしても都合できず、他の着物を風呂敷に包んで持って行って、質屋 の倉庫にある必要な着物と交換してもらう術なども覚えた。

 勝治は父の画を盗んだ。それは、あきらかに勝治 の所業であった。その画は小さいスケッチ版ではあったが、父の最近の佳作の一つであった。父の北海道旅行の収穫である。およそ二十枚 くらい画いて来たのだが、仙之助氏には、その中でもこの小さい雪景色の画だけが、ちょっと気にいっていたので、他の二十枚程 の画は、すぐに画商に手渡しても、その一枚だけは手許に残して、アトリエの壁に掛けて置いた。勝治 は平気でそれを持ち出した。捨て値でも、百円以上には、売れた筈(はず)である。

「勝治、画はどうした。」二、三日経って、夕食の時、父がポツンと言った。わかっていたらしい。

「なんですか。」平然と反問する。みじんも狼狽(ろうばい)の影が無い。

「どこへ売った。こんどだけは許す。」

「ごちそうさん。」勝治は箸(はし)をぱちっと置いてお辞儀をした。立 ち上って隣室へ行き、うたはトチチリチン、と歌った。父は顔色を変えて立ち上りかけた。

「お父さん!」節子はおさえた。「誤解だわ、誤解だわ。」

「誤解?」父は節子の顔を見た。「お前、知ってるのか。」

「え、いいえ。」節子には、具体的な事は、わからなかった。けれども、およその見当はついた。「私が、お友達にあげちゃったの。そのお 友達は、永いこと病気なの。だから、ね、――」やっぱり、しどろもどろになってしまった。

「そうか。」父には勿論、その嘘(うそ)がわかっていた。けれども節子の懸命な声に負けた。「わるい奴だ。」と誰にともなく言って、また食事をつづけた。節子は泣いた。母も、うなだれていた。

 節子には、兄の生活内容が、ほぼ、わかって来た。兄には、わるい仲間がいた。たくさんの仲間のうち、特 に親しくしているのが三人あった。

 風間七郎。この人は、大物であった。勝治は、その受験勉強の期間中、仮にT大学の予科に籍を置いていたが、風間七郎 は、そのT大学の予科の謂(い)わば主(ぬし)であった。年齢もかれこれ三十歳に近い。背広 を着ていることの方が多かった。額(ひたい)の狭い、眼のくぼんだ、口の大きい、いかにも精力的な顔をしていた。風間という勅選議員 の甥(おい)だそうだが、あてにならない。ほとんど職業的な悪漢である。言う事が、うまい。

「チルチル(鶴見勝治の愛称である)もうそろそろ足を洗ったらどうだ。鶴見画伯のお坊ちゃんが、こんな工合 いじゃ、いたましくて仕様が無い。おれたちに遠慮は要らないぜ。」思案深げに、しんみり言う。

 チルチルなるもの、感奮一番せざるを得ない。水臭いな、親爺(おやじ)は親爺、おれはおれさ、ザマちゃん(風間七郎 の愛称である)お前ひとりを死なせないぜ、なぞという馬鹿な事を言って、更に更に風間とその一党に対して忠誠を誓うのである。

 風間は真面目な顔をして勝治の家庭にまで乗り込んで来る。頗(すこぶ)る礼儀正しい。目当(めあて)は節子だ。節子は未だ女学生 であったが、なりも大きく、顔は兄に似ず端麗(たんれい)であった。節子は兄の部屋 へ紅茶を持って行く。風間は真白い歯を出して笑って、コンチワ、と言う。すがすがしい感じだった。

「こんないい家庭にいて、君、」と隣室へさがって行く節子に聞える程度の高い声で、「勉強 しないって法は無いね。こんど僕は、ノオトを都合してやるから勉強し給え。」と言う。

 勝治は、にやにや笑っている。

「本当だぜ!」風間は、ぴしりと言う。

 勝治は、あわてふためき、

「うん、まあ、うん、やるよ。」と言う。

 鈍感な勝治にも、少しは察しがついて来た。節子を風間に取 りもってやるような危険な態度を表しはじめた。みつぎものとして、差し上げようという考えらしい。風間がやって来 ると用事も無いのに節子を部屋に呼んで、自分はそっと座はずす。馬鹿 げた事だ。夜おそく、風間を停留場まで送らせたり、新宿の風間のアパートへ、用も無い教科書などをとどけさせたりする。節子は、いつも兄の命令に従った。兄の言に依(よ)れば、風間は、お 金持のお坊ちゃんで秀才で、人格の高潔な人だという。兄の言葉を信じるより他はない。事実、節子は、風間をたよりにしていたのである。

 アパートへ教科書をとどけに行った時、

「や、ありがとう。休んでいらっしゃい。コーヒーをいれましょう。」気軽な応対だった。

 節子は、ドアの外に立ったまま、

「風間さん、私たちをお助け下さい。」あさましいまでに、祈りの表情になっていた。

 風間は興覚めた。よそうと思った。

 さらに一人。杉浦透馬。これは勝治 にとって、最も苦手(にがて)の友人だった。けれども、どうしても離れる事が出来なかった。そのような交友関係は人生にままある。けれども杉浦と 勝治の交友ほど滑稽で、無意味なものも珍しいのである。杉浦透馬 は、苦学生である。T大学の夜間部にかよっていた。マルキシストである。実際かどうか、それは、わからぬが、とにかく、当人は、だいぶ凄(すご)い事を言っていた。その 杉浦透馬に、勝治は見込まれてしまったというわけである。

 生来、理論の不得意な勝治は、ただ、閉口するばかりである。けれども勝治は、杉浦透馬 を拒否する事は、どうしても出来なかった。謂わば蛇(へび)に見込 まれた蛙(かえる)の形で、這(は)いつくばったきりで身動きも何も出来ないのである。あまりいい図ではなかった。この事に就 いては、三つの原因が考えられる。生活に於いて何不足なく、ゆたかに育った青年は、極貧の家に生れて何もかも自力で処理して立 っている青年を、ほとんど本能的に畏怖しているものである。次に考えられるのは、杉浦透馬 が酒も煙草もいっさい口にしないという点である。勝治 は、酒、煙草は勿論の事、すでに童貞をさえ失っていた。放縦(ほうじゅう)な生活をしている者は、かならずストイックな生活にあこがれている。そうして、ストイックな生活をしている人を、けむったく思いながらも、拒否できず、おっかなびっくり、やたらに自分を卑下してだらだら交際を続けているものである。三つには、 杉浦透馬に見込まれたという自負である。見込まれて狼狽閉口していながらも、杉浦君のような高潔な闘士に、「鶴見君 は有望だ」と言われると、内心まんざらでないところもあったのである。何がどう有望なのか、勝治 には、わけがわからなかったのであるが、とにかく、今の勝治を、まじめにほめてくれる友人は、この杉浦透馬 ひとりしか無いのである。この杉浦にさえ見はなされたら、ずいぶん淋(さび)しい事になるだろうと思えば、いよいよ杉浦から離れられなくなるのである。杉浦は実に能弁の人であった。トランクなどをさげて、夜おそく 勝治の家の玄関に現れ、「どうも、また、僕の身辺が危険になって来 たようだ。誰かに尾行(びこう)されているような気もするから、君、ちょっと、家のまわりを探ってみて来 てくれないか。」と声をひそめて言う。勝治は緊張して、そっと庭のほうから外へ出て家のぐるりを見廻 り、「異状ないようです。」と小声で報告する。「そうか、ありがとう。もう僕も、今夜かぎりで君と逢(あ)えないかも知れませんが、けれども一身の危険よりも僕にはプロパガンダのほうが重大事です。逮捕される 一瞬前 まで、僕はプロパガンダを怠る事が出来ない。」やはり低い声で、けれども一語の遅滞(ちたい)もなく、滔滔(とうとう)と述べはじめる。 勝治 は、酒を飲みたくてたまらない。けれども、杉浦の真剣な態度が、なんだかこわい。あくびを噛(か)み殺して、「然(しか)り、然り」などと言っている。杉浦は泊って行く事もある。外へ出ると危険だというのだから、仕様が無い。帰る時には、党の費用だといって、十円、二十円を請求する。泣きの 涙で手渡してやると、「ダンケ」と言って帰って行く。

 さらに一人、実に奇妙な友人がいた。有原修作。三十歳を少し越えていた。新進作家だという事である。あまり聞かない名前であるが、とにかく、新進作家だそうである。 勝治は、この有原を「先生」と呼んでいた。風間七郎から紹介されて相知ったのである。風間たちが有原を「先生」と呼んでいたので、勝治 も真似をして「先生」と呼んでいただけの話である。勝治には、小説界の事は、何もわからぬ。風間たちが、有原を天才だと言って、一目置 いている様子であったから、勝治 もまた有原を人種のちがった特別の人として大事に取扱っていたのである。有原は不思議なくらい美しい顔をしていた。からだつきも、すらりとして気品があった。 薄化粧 している事もある。酒はいくらでも飲むが、女には無関心なふうを装(よそお)っていた。どんな生活をしているのか、住所は絶えず変って、一定していないようであった。この男が、どういうわけか、 勝治を傍にひきつけて離さない。王様が黒人の力士を養って、退屈な時のなぐさみものにしているような図と甚(はなは)だ似ていた。

「チルチルは、ピタゴラスの定理って奴を知ってるかい。」

「知りません。」勝治は、少ししょげる。

「君は、知っているんだ。言葉で言えないだけなんだ。」

「そうですね。」勝治は、ほっとする。

「そうだろう? 定理ってのは皆そんなものなんだ。」

「そうでしょうか。」お追従(ついしょう)笑いなどをして、有原の美しい顔を、ほれぼれと見上げる。

 勝治に圧倒的な命令を下して、仙之助氏の画を盗み出させたのも、こいつだ。本牧(ほんもく)に連 れていって勝治に置いてきぼりを食らわせたのも、こいつだ。勝治 がぐっすり眠っている間に、有原はさっさとひとりで帰ってしまったのである。勝治 は翌る日、勘定(かんじょう)の支払いに非常な苦心をした。おまけにその一夜のために、始末のわるい病気にまでかかった。忘れようとしても、忘れる事が出来ない。けれども 勝治 は、有原から離れる事が出来ない。有原には、へんなプライドみたいなものがあって、決してよその家庭には遊びに行かない。たいてい電話で 勝治を呼び出す。

「新宿駅で待ってるよ。」

「はい。すぐ行きます。」やっぱり出掛ける。

 勝治の出費は、かさむばかりである。ついには、女中の松やの貯金まで強奪するようにさえなった。台所 の隅で、松やはその事をお嬢さんの節子に訴えた。節子は自分の耳を疑った。

「何を言うのよ。」かえって松やを、ぶってやりたかった。「兄さんは、そんな人じゃないわ。」

「はい。」松やは奇妙な笑いを浮べた。はたちを過ぎている。

「お金はどうでも、よござんすけど、約束、――」

「約束?」なぜだか、からだが震えて来た。

「はい。」小声で言って眼を伏せた。

 ぞっとした。

「松や、私は、こわい。」節子は立ったままで泣き出した。

 松やは、気の毒そうに節子を見て、

「大丈夫でございます。松やは、旦那様にも奥様にも申し上げませぬ。お嬢様おひとり、胸に畳(たた)んで置いて下さいまし。」

 松やも犠牲者のひとりであった。強奪せられたのは、貯金だけではなかったのだ。

 勝治だって、苦しいに違いない。けれども、この小暴君 は、詫びるという法を知らなかった。詫びるというのは、むしろ大いに卑怯な事だと思っていたようである。自分で失敗をやらかす度毎に、かえって、やたらに怒るのである。そうして、怒られる役は、いつでも節子だ。

 或る日、勝治は、父のアトリエに呼ばれた。

「たのむ!」仙之助氏は荒い呼吸をしながら、「画を持ち出さないでくれ!」

 アトリエの隅に、うず高く積まれてある書き損じの画の中から、割合い完成せられてある画を選び出して、二枚、三枚と勝治 は持ち出していたのである。

「僕がどんな人だか、君は知っているのですか?」父はこのごろ、わが子の勝治に対して、へんに他人行儀 のものの言いかたをするようになっていた。「僕は自分を、一流の芸術家 のつもりでいるのだ。あんな書き損じの画が一枚でも市場に出たら、どんな結果になるか、君は知っていますか? 僕は芸術家 です。名前が惜しいのです。たのむ。もう、いい加減にやめてくれ!」声をふるわせて言っている仙之助氏の顔は、冷 い青い鬼のように見えた。さすがの勝治もからだが竦(すく)んだ。

「もう致しません。」うつむいて、涙を落した。

「言いたくない事も言わなければいけませんが、」父は静かな口調にかえって、そっと立ち上り、アトリエの大きい窓をあけた。すでに初夏 である。「松やを、どうするのですか?」

 勝治は仰天した。小さい眼をむき出して父を見つめるばかりで、言葉が出なかった。

「お金をかえして、」父は庭の新緑を眺めながら、「ひまを出します。結婚の約束をしたそうですが、」幽(かす)かに笑って、「まさか君も、 本気で約束したわけじゃあないでしょう?」

「誰が言ったんです! 誰が!」矢庭(やにわ)に勝治 は、われがねの如き大声を発した。「ちくしょう!」どんと床を蹴(け)って、「節子だな? 裏切りやがって、ちくしょうめ!」

 恥ずかしさが極点に達すると勝治 はいつも狂ったみたいに怒るのである。怒られる相手は、きまって節子だ。風の如くアトリエを飛び出し、ちくしょうめ! ちくしょうめ! を 連発しながら節子を捜し廻り、茶の間で見つけて滅茶苦茶にぶん殴(なぐ)った。

「ごめんなさい、兄さん、ごめん。」節子が告げ口したのではない。父がひとりで、いつのまにやら調べあげていたのだ。

「馬鹿にしていやあがる。ちくしょうめ!」引きずり廻して蹴たおして、自分もめそめそ泣き出して、「馬鹿にするな! 馬鹿 にするな! 兄さんは、な、こう見えたって、人から奢(おご)られた事なんかただの一度だってねえんだ。」意外な自慢を口走った。ひとに遊興費を支払わせたことが一度も無いというのが、この男の生涯に於ける唯一の必死のプライドだったとは、あわれな話であった。

 松やは解雇せられた。勝治の立場は、いよいよ、まずいものになった。勝治 は、ほとんど家にいつかなかった。二晩も三晩も、家に帰らない事は、珍らしくなかった。麻雀賭博(マージャンとばく)で、二度も警察に 留置せられた。喧嘩(けんか)して、衣服を血だらけにして帰宅する事も時々あった。節子の箪笥(たんす)に目ぼしい着物 がなくなったと見るや、こんどは母のこまごました装身具を片端から売払った。父の印鑑を持ち出して、いつの間にやら家の電話を抵当(ていとう)にして金を借りていた。月末になると、 近所の蕎麦(そば)屋、寿司(すし)屋、小料理屋 などから、かなり高額の勘定書がとどけられた。一家の空気は険悪になるばかりであった。このままでこの家庭が、平静に帰するわけはなかった。何か事件が、起らざるを得なくなっていた。

 真夏に、東京郊外の、井(い)の頭(かしら)公園で、それが起った。その日のことは、少しくわしく書きしるさなければならぬ。朝早く、節子に電話がかかって 来た。節子は、ちらと不吉なものを感じた。

「節子さんでございますか。」女の声である。

「はい。」少し、ほっとした。

「ちょっとお待ち下さい。」

「はあ。」また、不安になった。

 しばらくして、

「節子かい。」と男の太い声。

 やっぱり勝治である。勝治は三日ほど前に家を出て、それっきりだったのである。

「兄さんが牢へはいってもいいかい?」突然そんな事を言った。「懲役(ちょうえき)五年 だぜ。こんどは困ったよ。たのむ。二百円あれば、たすかるんだ。わけは後で話す。兄さんも、改心したんだ。本当だ。改心したんだ、改心したんだ。最後の願いだ。一生の願いだ。二百円あれば、たすかるんだ。なんとかして、きょうのうちに持って 来てくれ。井の頭公園の、な、御殿山 の、宝亭というところにいるんだ。すぐわかるよ。二百円できなければ、百円でも、七十円でも、な、きょうのうちに、たのむ。待ってるぜ。兄さんは、死ぬかも知れない。」 酔っているようであったが、語調には切々たるものが在った。節子は、震えた。

 二百円。出来るわけはなかった。けれども、なんとかして作ってやりたかった。もう一度、兄を信頼したかった。これが最後だ、と兄さんも言っている。兄さんは、死ぬかも知れないのだ。兄さんは、 可哀(かわい)そうなひとだ。根からの悪人ではない。悪い仲間にひきずられているのだ。私はもう一度、兄さんを信じたい。

 箪笥を調べ、押入れに頭をつっこんで捜してみても、お金になりそうな品物 は、もはや一つも無かった。思い余って、母に打ち明け、懇願した。

 母は驚愕(きょうがく)した。ひきとめる節子をつきとばし、思慮を失った者の如く、あああと叫 びながら父のアトリエに駈け込み、ぺたりと板の間(ま)に坐った。父の画伯は、画筆を捨てて立ち上った。

「なんだ。」

 母はどもりながらも電話の内容の一切を告げた。聞き終った父は、しゃがんで画筆を拾い上げ、再び画布の前に腰をおろして、

「お前たちも、馬鹿だ。あの男の事は、あの男ひとりに始末させたらいい。懲役なんて、嘘(うそ)です。」

 母は、顔を伏せて退出した。

 夕方まで、家の中には、重苦しい沈黙が続いた。電話も、あれっきりかかって来 ない。節子には、それがかえって不安であった。堪えかねて、母に言った。

「お母さん!」小さい声だったけれど、その呼び掛けは母の胸を突き刺した。

 母は、うろうろしはじめた。

「改心すると言ったのだね? きっと、改心すると、そう言ったのだね?」

 母は小さく折り畳んだ百円紙幣を節子に手渡した。

「行っておくれ。」

 節子はうなずいて身支度をはじめた。節子はそのとしの春に、女学校を卒業していた。粗末 なワンピースを着て、少しお化粧して、こっそり家を出た。

 井の頭。もう日が暮れかけていた。公園にはいると、カナカナ蝉(ぜみ)の声が、降るようだった。御殿山。宝亭は、すぐにわかった。料亭 と旅館を兼ねた家であって、老杉に囲まれ、古びて堂々たる構えであった。出て来た女中に、鶴見がいますか、妹が来 たと申し伝えて下さい、と怯(お)じずに言った。やがて廊下に、どたばた足音がして、

「や、図星なり、図星なり。」勝治の大きな声が聞えた。ひどく酔っているらしい。「白状すれば、妹には非ず。恋人 なり。」まずい冗談である。

 節子は、あさましく思った。このまま帰ろうかと思った。

 ランニングシャツにパンツという姿で、女中の肩にしなだれかかりながら勝治は玄関にあらわれた。

「よう、わが恋人。逢(あ)いたかった。いざ、まず。いざ、まず。」

 なんという不器用な、しつっこいお芝居なんだろう。節子は顔を赤くして、そうして仕方なしに笑った。靴を脱ぎながら、堪えられぬ迄(まで)に悲しかった。こんどもまた、兄に、だまされてしまったのではなかろうかと、ふと思った。

 けれども二人ならんで廊下を歩きながら、

「持って来たか。」と小声で言われて、すぐに、れいの紙幣を手渡した。

「一枚か。」兇暴な表情に変った。

「ええ。」声を出して泣きたくなった。

「仕様がねえ。」太い溜息をついて、「ま、なんとかしよう。節子、きょうはゆっくりして行けよ。泊って行ってもいいぜ。淋しいんだ。」

 勝治の部屋は、それこそ杯盤狼藉(はいばんろうぜき)だった。隅に男がひとりいた。節子は立ちすくんだ。

「メッチェンの来訪です。わが愛人。」と勝治はその男に言った。

「妹さんだろう?」相手の男は勘がよかった。有原である。「僕は、失敬しよう。」

「いいじゃないですか。もっとビイルを飲んで下さい。いいじゃないですか。軍資金は、たっぷりです。あ、ちょっと失礼。」勝治 は、れいの紙幣を右手に握ったままで姿を消した。

 節子は、壁際に、からだを固くして坐った。節子は知りたかった。兄がいったい、どのような危い瀬戸際 に立っているのか、それを聞かぬうちは帰られないと思っていた。有原は、節子を無視して、黙ってビイルを飲んでいる。

「何か、」節子は、意を決して尋ねた。「起ったのでしょうか。」

「え?」振り向いて、「知りません。」平然たるものだった。

 しばらくして、

「あ、そうですか。」うなずいて、「そう言えば、きょうのチルチルは少し様子が違いますね。僕は、本当に、何もわからんのです。この家は、僕たちがちょいちょい遊びにやって 来るところなのですが、さっき僕がふらとここへ立ち寄ったら、かれはひとりでもうひどく酔っぱらっていたのです。二、三日前 からここに泊り込んでいたらしいですね。僕は、きょうは、偶然だったのです。本当に、何も知らないのです。でも、何かあるようですね。」にこりともせず、 落ちつき払ってそういう言葉には、嘘があるようにも思えなかった。

「やあ、失敬、失敬。」勝治は帰って来た。れいの紙幣が、もう右手に無いのを見て、節子には何か、わかったような気がした。

「兄さん!」いい顔は、出来なかった。「帰るわ。」

「散歩でもしてみますか。」有原は澄ました顔で立ち上った。

 月夜だった。半虧(はんかけ)の月が、東の空に浮んでいた。薄い霧が、杉林の中に充満していた。三人は、その下を縫って歩いた。勝治 は、相変らずランニングシャツにパンツという姿で、月夜ってのは、つまらねえものだ、夜明けだか、夕方だか、真夜中 だか、わかりやしねえ、などと呟(つぶや)き、昔コイシイ銀座ノ柳イ、と呶鳴(どな)るようにして歌った。有原と節子は、黙ってついて歩いて行く。有原も、その夜は、 勝治をれいのように揶揄(やゆ)する事もせず、妙に考え込んで歩いていた。

 老杉の陰から白い浴衣を着た小さい人が、ひょいとあらわれた。

「あ、お父さん!」節子は、戦慄(せんりつ)した。

「へええ。」勝治も唸(うな)った。

「散歩だ。」父は少し笑いながら言った。それから、ちょっと有原のほうへ会釈(えしゃく)をして、「むかしは僕たちも、よくこの辺に遊びに 来たものです。久しぶりで散歩に来てみたが、昔とそんなに変ってもいないようだね。」

 けれども、気まずいものだった。それっきり言葉もなく、四人は、あてもなくそろそろと歩きはじめた。沼のほとりに来た。数日前 の雨のために、沼の水量は増していた。水面はコールタールみたいに黒く光って、波一つ立 たずひっそりと静まりかえっている。岸にボートが一つ乗り捨てられてあった。

「乗ろう!」勝治は、わめいた。てれかくしに似ていた。「先生、乗ろう!」

「ごめんだ。」有原は、沈んだ声で断った。

「ようし、それでは拙者(せっしゃ)がひとりで。」と言いながら危い足どりでその舟に乗り込み、「ちゃんとオールもございます。沼を一まわりして 来るぜ。」騎虎(きこ)の勢(いきお)いである。

「僕も乗ろう。」動きはじめたボートに、ひらりと父が飛び乗った。

「光栄です。」と勝治 が言って、ピチャとオールで水面をたたいた。すっとボートが岸をはなれた。また、ピチャとオールの音。舟はするする滑って、そのまま小島の陰の 暗闇に吸い込まれて行った。トトサン、御無事デ、エエ、マタア、カカサンモ。勝治の酔いどれた歌声が聞えた。

 節子と有原は、ならんで水面を見つめていた。

「また兄さんに、だまされたような気が致します。七度(ななたび)の七十倍、というと、――」

「四百九十回です。」だしぬけに有原が、言い継いだ。「まず、五百回です。おわびをしなければ、いけません。僕たちも悪かったのです。 鶴見君を、いいおもちゃにしていました。お互い尊敬し合っていない交友は、罪悪だ。僕はお約束できると思うんだ。鶴見君 を、いい兄さんにして、あなたへお返し致します。」

 信じていい、生真面目(きまじめ)な口調であった。

 パチャとオールの音がして、舟は小島の陰からあらわれた。舟には父がひとり、するする水面を滑って、コトンと岸に突き当った。

「兄さんは?」

「橋のところで上陸しちゃった。ひどく酔っているらしいね。」父は静かに言って、岸に上った。「帰ろう。」

 節子はうなずいた。

 翌朝、勝治の死体は、橋の杙(くい)の間から発見せられた。

 勝治の父、母、妹、みんな一応取り調べを受けた。有原も証人として召喚せられた。勝治 の泥酔の果(はて)の墜落か、または自殺か、いずれにしても、事件は簡単に片づくように見えた。けれども、決着の土壇場に、保険会社から 横槍が出た。事件の再調査を申請して来たのである。その二年前に、勝治は生命保険に加入していた。受取人は仙之助氏 になっていて、額は二万円を越えていた。この事実は、仙之助氏 の立場を甚(はなは)だ不利にした。検事局は再調査を開始した。世人はひとしく仙之助氏 の無辜(むこ)を信じていたし、当局でも、まさか、鶴見仙之助氏 ほどの名士が、愚かな無法の罪を犯したとは思っていなかったようであるが、ひとり保険会社の態度が頗(すこぶ)る強硬だったので、とにかく、再び、綿密な調査を開始したのである。

 父、母、妹、有原、共に再び呼び出されて、こんどは警察に留置せられた。取調べの進行と共に、松やも召喚せられた。風間七郎 は、その大勢の子分と一緒に検挙せられた。杉浦透馬も、T大学の正門前で逮捕せられた。仙之助氏 の陳述も乱れはじめた。事件は、意外にも複雑におそろしくなって来たのである。けれども、この不愉快 な事件の顛末(てんまつ)を語るのが、作者の本意ではなかったのである。作者はただ、次のような一少女 の不思議な言葉を、読者にお伝えしたかったのである。

 節子は、誰よりも先きに、まず釈放せられた。検事は、おわかれに際して、しんみりした口調で言った。

「それではお大事に。悪い兄さんでも、あんな死にかたをしたとなると、やっぱり肉親の情だ、君も悲しいだろうが、元気を出して。」

 少女は眼を挙げて答えた。その言葉 は、エホバをさえ沈思させたにちがいない。もちろん世界の文学にも、未だかつて出現したことがなかった程の新しい言葉であった。

「いいえ、」少女は眼を挙げて答えた。「兄さんが死んだので、私たちは幸福になりました。」




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식도락가(食通

다자이 오사무(太宰 治) (1942)

번역 : 홍성필


식도락가란 대식가를 말하는 것이라고 들었다. 나는, 지금은 그다지 심하지는 않으나 왕년에는 상당한 대식가였다. 그 무렵 나는 스스로가 대단한 식도락가인줄 알고 있었다. 친구인 단 카즈오(檀一雄)에게 식도락가란 대식가를 말한다고 진지한 표정으로 알려주고는 오뎅집 같은 곳에서 두부, 튀김, 무, 다시 두부라는 순서로 끝도 없이 먹어보이자, 단(檀) 군은 눈을 크게 뜨고서, 자네는 정말 식도락가군, 하고 감탄하기도 했다. 이마 우헤이(伊馬鵜平)군에게도 나는 그 식도락가의 정의를 가르쳐주었으나 이마 군은 곧바로 얼굴에 희색이 돌더니, 어쩌면 자기도 식도락가인지 모른다고 했다. 이마 군은 그로부터 5, 6번 함께 식사를 했으나 역시 틀림없는 대식도락가였다.

싸고 맛있는 것을 많이 먹을 수 있다면 그것으로 그만 아닌가. 당연한 말이다. 즉 식도락의 진수이다.

언젠가 신바시(新橋)에 있는 오뎅집에서 젊은 남자가 새우튀김을 젓가락으로 재주 좋게 껍질을 까고는 여주인으로부터 칭찬을 듣더니 쑥스러워하기는커녕 점점 더 신이 나서 하나 더 까보였으나 정말로 보기 흉했다. 매우 어리석어 보였다. 손으로 까도 상관없지 않나. 러시아에서는 카레라이스도 손으로 먹는단다.

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무제(無題)

다자이 오사무(太宰 治) (1942)

번역 : 홍성필


- 오오이 히로스케(大井廣介)라는 작자는 실로 사람을 난처하게 만드는 인물이다. 이 글을 쓰면서도 화가 치밀어 올라 못 참겠다. 열 아홉 글자씩 스물네 줄. 즉 정확히 사백 쉰 여섯 글자로 된 문장을 하나 써보라는 것이다. 말도 안 되는 발상이다. 나는 오오이 히로스케와 어울려 본 적도 별로 없으며, 지금까지 둘 사이에는 아무런 원한관계도 없었을 텐데, 어떻게 된 영문인지 이와 같은 난제를 퍼붓는다. 그야말로 난처하기 짝이 없다. 오오이 군이여. 나는 그렇게 감각이 뛰어난 사람이 아니라네. 과대평가하고 있는 것 같다. 정확히 사백 쉰 여섯 글자로 된 문장이라니, 그렇게 정확한 글을 쓸 수 있는 인물이 아니야. "도저히 안 되겠다"며 거절하였더니, "그건 곤란합니다. 체면을 구겨놓는 일입니다" 라고 한다. "구겨진다"가 아닌, "구겨놓는다"고 하는 것도 묘하다. 이렇게 되면 내가 오오이 히로스케의 체면을 구겨놓은 일이 된다. 생각하는 방식이 이미 평범한 사람과 다르다. 실로 이해할 수 없는 인물이다. 나는 도대체 무슨 죄가 많기에 사백 쉰 여섯 글자로 된 문장을 써야 하는가. 원고지 서른 장을 찢었다. 원고료 육십 엔을 청구한다. 바보. 지금 줄 수 없다면 외상으로 해 두겠다. -

(원문-역문 모두 456글자 – 역자 주)

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기다림(待つ)

다자이 오사무(太宰 治) (1942)

번역 : 홍성필


 작은 전철역으로 저는 매일 마중을 나갑니다. 누구랄 것 없는 마중을.

 시장에서 장을 보고 돌아오는 길에는 반드시 역에 들러 전철역 앞 차가운 의자에 앉아 장바구니를 무릎 위에 올려놓고 멍하니 개찰구를 보고 있습니다. 상행선, 하행선 전철이 역에 도착할 때마다 많은 사람들이 전철에서 뱉어지고 와글와글 개찰구로 와서는 하나같이 화난 표정으로 패스를 꺼내거나 표를 건네주거나, 그리고 재빨리 한눈도 팔지 않고 걸어가며, 제가 앉아 있는 의자 앞에 있는 역전 광장으로 나와서는, 그리고는 제 갈 길로 가기 위해 흩어집니다. 저는 멍하니 앉아 있습니다. 누군가가 하나 웃으며 제게 말을 겁니다. 아아, 무서워요. 아아, 큰일납니다. 가슴이 두근두근 뜁니다. 생각만 해도 등줄기에 찬물이라도 끼얹듯 소름이 끼치고 숨이 막힙니다. 그래도 저는 역시 누군가를 기다리고 있습니다. 대체 저는 매일 이곳에 앉아 누구를 기다리고 있는 걸까요. 어떤 사람을? 아뇨. 제가 기다리고 있는 것은 사람이 아닐지도 모릅니다. 저는 사람을 싫어합니다. 아뇨, 무서운 것입니다. 사람과 얼굴을 마주보며 안녕하세요, 추워졌군요, 라며 말하기도 싫은 인사를 대충 하고 있노라면, 왠지 저만한 거짓말쟁이는 이 세상에서 없는 것처럼 느껴져 죽고 싶어집니다. 그리고 다시 상대방도 괜히 저를 경계하여 말도 안 되는 아부나 억지스러운 거짓 느낌 같은 것을 말하고, 저는 그것을 듣고 있으면 상대방의 비열한 조심성이 너무나도 슬퍼져 정말 이 세상이 너무나도 싫어집니다. 세상 사람이란 서로 무뚝뚝한 인사를 하고 조심하며, 그러면서 서로에게 지치면서 일생을 보내는 걸까요. 저는 사람을 만나는 것이 싫습니다. 그래서 저는 웬만한 일이 아니면 제가 먼저 친구 집으로 놀러 가거나 하는 일은 없었습니다. 집에 있으면서 어머니와 단둘이 뜨개질을 하고 있으면 마음이 가장 편안했습니다. 하지만 드디어 대전쟁이 시작되어 주변이 매우 긴장해오고부터는 저 혼자 집에서 매일 멍하게 있는 것이 매우 나쁜 일처럼 느껴져, 왠지 불안하고 전혀 침착해질 수 없게 되고 말았습니다. 몸을 아끼지 않고 일하여 직접 도움이 되고 싶은 심정입니다. 저는 지금까지의 생활에 자신감을 잃고 말았습니다.

 집에서 가만히 앉아 있지 못하고, 하지만 바깥에 나간다고 하여 제게는 갈 곳이 어디에도 없습니다. 장을 보고 돌아오는 길에 역을 들러 멍하니 전철역 앞 차가운 의자에 앉아 있는 것입니다. 누군가가 갑자기 나타난다면! 이라는 기대와, 아아, 나타나면 어쩌나, 하는 공포와, 그래도 나타났을 때는 하는 수 없이 그 사람에게 제 목숨을 드리자, 제 운이 그 때 결정되었다는, 단념과도 같은 각오와, 그 밖의 여러 가지 말도 안 되는 공상 등이 기이하게 서로 얽혀, 가슴이 답답해서 질식할 정도로 괴로워집니다. 살아 있는 건지, 죽은 건지 모르는 듯한, 백일몽이라도 꾸고 있는 것과도 같은, 왠지 쓸쓸한 생각이 들어, 전철역 앞을 왕래하는 사람들의 모습도 망원경을 거꾸로 보고 있는 것처럼 작고 멀리 느껴져, 세상이 정적에 휩싸이고 마는 것입니다. 아아, 저는 대체 무엇을 기다리고 있는 걸까요. 어쩌면 저는 매우 문란한 여자일지도 모릅니다. 큰 전쟁이 시작되어 몸을 아끼지 않고 일을 하여 도움이 되고 싶다는 건 거짓이고, 사실은 그런 훌륭한 말을 구실삼아 저 자신의 경솔한 공상을 실현시키려고 어딘지 모르게 좋은 기회를 노리고 있는 지도 모릅니다. 여기에 이렇게 앉아 멍한 표정을 짓고는 있지만 가슴 속으로는 못된 계획이 슬며시 고개를 들고 있는 듯한 느낌도 듭니다.

 도대체 저는 누구를 기다리고 있는 걸까. 뚜렷한 형태는 아무 것도 없다. 그저 희미하게 가물거릴 뿐. 그러나 나는 기다리고 있다. 큰 전쟁이 시작하고부터는 매일매일 시장에서 돌아가는 길에는 역에 들러 이 차가운 의자에 앉아서는 기다리고 있다. 누군가 하나 웃으며 내게 말을 건다. 아아, 무섭다. 아아, 큰일났다. 내가 기다리는 건 당신이 아니야. 그렇다면 대체 나는 누구를 기다리고 있는 걸까. 남편, 아니야. 애인. 아니. 친구들. 싫어. 돈. 설마. 망령. 아아, 싫어요.

 훨씬 더 온화하고, 활짝 밝고 멋진 것. 무엇인지는 모르겠어. 예를 들면 봄 같은 것. 아니. 아냐. 푸른 나뭇잎. 5월. 보리밭을 흐르는 깨끗한 냇물. 역시 아냐. 아아, 그래도 저는 기다리고 있는 것입니다. 가슴을 설레며 기다리고 있는 것입니다. 눈앞을 와글와글 사람들이 지나간다. 이것도 아니고 저것도 아니다. 나는 장바구니를 끌어 간고 살며시 떨며 한마음으로 기다리고 있다. 저를 잊지 말아 주세요. 매일매일 역으로 마중을 나가서는 허무하게 돌아오는 스무 살 여인을 비웃지 마시고 부디 기억해주세요. 이 작은 전철역 이름은 일부러 알려드리지 않겠습니다. 알려드리지 않더라도 당신은 언젠가 저를 발견하겠죠.

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