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  2. 2018.05.01 살아있는 창자 - 일본어
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  4. 2018.05.01 기우 - 일본어
  5. 2018.05.01 혈우병 - 일본어
  6. 2018.05.01 피미행자 - 일본어
  7. 2018.05.01 투쟁 - 일본어
  8. 2018.05.01 죽음의 키스 - 일본어
  9. 2018.05.01 잘못된 감정 - 일본어
  10. 2018.05.01 육종 - 일본어

수선화(水仙)

다자이 오사무(太宰 治) (1942)

일본어 원문

「忠直卿行状記」という小説を読んだのは、僕が十三か、四のときの事で、それっきり再読の機会を得なかったが、あの一篇の筋書だけは、二十年後 のいまもなお、忘れずに記憶している。奇妙にかなしい物語であった。
  剣術の上手(じょうず)な若い殿様が、家来たちと試合をして片っ端から打ち破って、大いに得意で庭園を散歩していたら、いやな囁(ささや)きが庭の暗闇の奥から聞えた。
 「殿様もこのごろは、なかなかの御上達だ。負けてあげるほうも楽になった。」
 「あははは。」
  家来たちの不用心な私語である。
  それを聞いてから、殿様の行状は一変した。真実を見たくて、狂った。家来たちに真剣勝負を挑(いど)んだ。けれども家来たちは、真剣勝負に於いてさえも、本気 に戦ってくれなかった。あっけなく殿様が勝って、家来たちは死んでゆく。殿様は、狂いまわった。すでに、おそるべき暴君である。ついには家も断絶せられ、その身も監禁せられる。
  たしか、そのような筋書であったと覚えているが、その殿様を僕は忘れる事が出来なかった。ときどき思い出しては、溜息(ためいき)をついたものだ。
  けれども、このごろ、気味の悪い疑念が、ふいと起って、誇張ではなく、夜も眠られぬくらいに不安になった。その殿様は、本当に剣術の素晴らしい名人だったのではあるまいか。家来たちも、わざと負けていたのではなくて、本当に殿様の腕前には、かなわなかったのではあるまいか。庭園の私語も、家来たちの 卑劣 な負け惜しみに過ぎなかったのではあるまいか。あり得る事だ。僕たちだって、佳(よ)い先輩にさんざん自分たちの仕事を罵倒(ばとう)せられ、その先輩の高い情熱と正しい感覚に、ほとほと参ってしまっても、その先輩とわかれた後で、
 「あの先輩もこのごろは、なかなかの元気じゃないか。もういたわってあげる必要もないようだ。」
 「あははは。」
  などという実に、賤(いや)しい私語を交した夜も、ないわけではあるまい。それは、あり得る事なのである。家来というものは、その人柄に於いて、かならず、殿様よりも劣 っているものである。あの庭園の私語も、家来たちのひねこびた自尊心を満足させるための、きたない負け惜しみに過ぎなかったのではあるまいか。とすると、慄然(りつぜん)とするのだ。殿様は、真実を 掴 みながら、真実を追い求めて狂ったのだ。殿様は、事実、剣術の名人だったのだ。家来たちは、決してわざと負けていたのではなかった。事実、かなわなかったのだ。それならば、殿様が勝ち、家来が負けるというのは当然の事で、後でごたごたの起るべき筈(はず)は無いのであるが、やっぱり、大きい惨事が起ってしまった。殿様が、 御自分 の腕前に確乎不動の自信を持っていたならば、なんの異変も起らず、すべてが平和であったのかも知れぬが、古来、天才は自分の真価を知ること甚(はなは)だうといものだそうである。自分の 力 が信じられぬ。そこに天才の煩悶(はんもん)と、深い祈りがあるのであろうが、僕は俗人の凡才だから、その辺のことは正確に説明できない。とにかく、殿様は、自分の腕前に絶対の信頼を置く事は出来なかった。事実、名人の卓抜(たくばつ)の腕前を持っていたのだが、信じる事が出来ずに狂った。そこには、殿様という 隔絶された御身分に依る不幸もあったに違いない。僕たち長屋住居の者であったら、
 「お前は、おれを偉いと思うか。」
 「思いません。」
 「そうか。」
  というだけですむ事も、殿様ともなればそうも行くまい。天才の不幸、殿様の不幸、という具合いに考えて来ると、いよいよ僕の不安が増大して来 るばかりである。似たような惨事が、僕の身辺に於いて起ったのだ。その事件の為に、僕は、あの「忠直卿行状記 」を自(おのずか)ら思い出し、そうして一夜、ふいと恐ろしい疑念にとりつかれたり等して、あれこれ思い合せ、誇張ではなく、夜も眠られぬほど不安になった。あの殿様は、本当に剣術が素晴らしく強かったのではあるまいか。けれども問題は、もはやその殿様の身の上ではない。
  僕の忠直卿は、三十三歳 の女性である。そうして僕の役割は、あの、庭園であさましい負け惜しみを言っていた家来であったかも知れないのだから、いよいよ、やり切れない話である。
  草田惣兵衛氏の夫人、草田静子。このひとが突然、あたしは天才だ、と言って家出したというのだから、驚いた。草田氏 の家と僕の生家とは、別に血のつながりは無いのだが、それでも先々代あたりからお互いに親しく交際している。交際している、などと言うと聞えもいいけれど、実情は、僕の生家の者たちは 草田氏の家に出入りを許されている、とでも言ったほうが当っている。俗にいう御身分 も、財産も、僕の生家などとは、まるで段違いなのである。謂(い)わば、僕の生家のほうで、交際をお願いしているというような具合 いなのである。まさしく、殿様と家来である。当主の惣兵衛氏 は、まだ若い。若いと言っても、もう四十は越している。東京帝国大学の経済科を卒業してから、フランスへ行き、五、六年あそんで、日本へ帰るとすぐに遠い親戚筋 の家(この家は、のち間もなく没落した)その家のひとり娘、静子さんと結婚した。夫婦の仲も、まず円満、と言ってよい状態であった。一女 をもうけ、玻璃子(はりこ)と名づけた。パリイを、もじったものらしい。惣兵衛氏 は、ハイカラな人である。背の高い、堂々たる美男である。いつも、にこにこ笑っている。いい洋画を、たくさん持っている。ドガの競馬の画が、その中でも一ばん自慢のものらしい。けれども、自分の趣味の高さを誇るような素振りは、ちっとも見せない。美術に関する話も、あまりしない。毎日、自分の銀行に通勤している。要するに、一流の紳士である。 六年前に先代がなくなって、すぐに惣兵衛氏が、草田の家を嗣(つ)いだのである。
  夫人は、――ああ、こんな身の上の説明をするよりも、僕は数年前の、或る日のささやかな事件を描写しよう。そのほうが早道である。三年前のお正月、僕は草田 の家に年始に行った。僕は、友人にも時たまそれを指摘されるのだが、よっぽど、ひがみ根性の強い男らしい。ことに、八年前 ある事情で生家から離れ、自分ひとりで、極貧に近いその日暮しをはじめるようになってからは、いっそう、ひがみも強くなった様子である。ひとに侮辱をされはせぬかと、散りかけている枯葉のように絶えずぷるぷる命を賭けて緊張している。やり切れない悪徳である。僕は、 草田の家には、めったに行かない。生家の母や兄は、今でもちょいちょい草田 の家に、お伺(うかが)いしているようであるが、僕だけは行かない。高等学校の頃までは、僕も無邪気に遊びに行っていたのであるが、大学へはいってからは、もういやになった。 草田の家の人たちは、みんないい人ばかりなのであるが、どうも行きたくなくなった。金持はいやだ、という単純な思想を持ちはじめていたのである。それが、どうして、三年前 のお正月に限って、お年始などに行く気になったかというと、それは、そもそも僕自身が、だらしなかったからである。その前年の師走(しわす)、草田夫人 から僕に、突然、招待の手紙が来たのである。
  ――しばらくお逢い致しません。来年のお正月には、ぜひとも遊びにおいで下さい。主人も、たのしみにして待っております。主人も私も、あなたの小説の読者です。
  最後の一句 に、僕は浮かれてしまったのだ。恥ずかしい事である。その頃、僕の小説も、少し売れはじめていたのである。白状するが、僕はその頃、いい気になっていた。危険な時期であったのである。ふやけた気持でいた時、 草田夫人からの招待状が来て、あなたの小説の読者ですなどと言われたのだから、たまらない。ほくそ笑んで、御招待まことにありがたく云々と色気 たっぷりの返事を書いて、そうして翌(あく)る年の正月一日に、のこのこ出かけて行って、見事、眉間(みけん)をざくりと割られる程の大恥辱を受けて帰宅した。
  その日、草田の家では、ずいぶん僕を歓待してくれた。他の年始のお客にも、いちいち僕を「流行作家」として紹介するのだ。僕は、それを揶揄(やゆ)、侮辱の言葉 と思わなかったばかりか、ひょっとしたら僕はもう、流行作家なのかも知れないと考え直してみたりなどしたのだから、話にならない。みじめなものである。僕は酔った。 惣兵衛氏を相手に大いに酔った。もっとも、酔っぱらったのは僕ひとりで、惣兵衛氏は、いくら飲んでも顔色も変らず、そうして気弱そうに、無理に微笑して、僕の文学談 を聞いている。
 「ひとつ、奥さん、」と僕は図に乗って、夫人へ盃をさした。「いかがです。」
 「いただきません。」夫人は冷く答えた。それが、なんとも言えず、骨のずいに徹するくらいの冷厳 な語調であった。底知れぬ軽蔑感が、そのたった一語に、こめられて在った。僕は、まいった。酔いもさめた。けれども苦笑して、
 「あ、失礼。つい酔いすぎて。」と軽く言ってその場をごまかしたが、腸が煮えくりかえった。さらに一つ。僕は、もうそれ以上お酒を飲む気もせず、ごはんを食べる事にした。 蜆汁(しじみじる)がおいしかった。せっせと貝の肉を箸(はし)でほじくり出して食べていたら、
 「あら、」夫人は小さい驚きの声を挙げた。「そんなもの食べて、なんともありません?」無心な質問である。
  思わず箸とおわんを取り落しそうだった。この貝は、食べるものではなかったのだ。蜆汁 は、ただその汁だけを飲むものらしい。貝は、ダシだ。貧しい者にとっては、この貝の肉だってなかなかおいしいものだが、上流の人たちは、この肉を、たいへん汚いものとして捨てるのだ。なるほど、蜆の肉は、お臍(へそ)みたいで醜悪だ。僕は、何も返事が出来なかった。無心な驚きの声であっただけに、手痛かった。ことさらに上品ぶって、そんな質問をするのなら、僕にも応答の仕様がある。けれども、その声は、全く本心からの純粋な驚きの声なのだから、僕は、まいった。なりあがり者の「 流行作家」は、箸とおわんを持ったまま、うなだれて、何も言えない。涙が沸(わ)いて出た。あんな手ひどい恥辱を受けた事がなかった。それっきり僕は、草田 の家へは行かない。草田の家だけでなく、その後は、他のお金持の家にも、なるべく行かない事にした。そうして僕は、意地になって、貧乏の薄汚い生活を続けた。
  昨年の九月、僕の陋屋(ろうおく)の玄関に意外の客人が立っていた。草田惣兵衛氏である。
 「静子が来ていませんか。」
 「いいえ。」
 「本当ですか。」
 「どうしたのです。」僕のほうで反問した。
  何かわけがあるらしかった。
 「家は、ちらかっていますから、外へ出ましょう。」きたない家の中を見せたくなかった。
 「そうですね。」と草田氏はおとなしく首肯(うなず)いて、僕のあとについて来た。
  少し歩くと、井の頭公園である。公園の林の中を歩きながら、草田氏は語った。
 「どうもいけません。こんどは、しくじりました。薬が、ききすぎました。」夫人が、家出をしたというのである。その原因が、実に馬鹿げている。数年前に、夫人の実家 が破産した。それから夫人は、妙に冷く取りすました女になった。実家 の破産を、非常な恥辱と考えてしまったらしい。なんでもないじゃないか、といくら慰めてやっても、いよいよ、ひがむばかりだという。それを聞いて僕も、お正月の、あの「いただきません」の異様な 冷厳が理解できた。静子さんが草田の家にお嫁に来たのは、僕の高等学校時代の事で、その頃は僕も、平気で草田 の家にちょいちょい遊びに行っていたし、新夫人の静子さんとも話を交して、一緒 に映画を見に行った事さえあったのだが、その頃の新夫人は、決してあんな、骨を刺すような口調でものを言う人ではなかった。無智なくらいに明るく笑うひとだった。あの元旦に、久し振りで顔を合せて、すぐに僕は、何も 言葉を交さぬ先から、「変ったなあ」と思っていたのだが、それでは矢張(やは)り、実家 の破産という憂愁が、あのひとをあんなにひどく変化させてしまっていたのに違いない。
 「ヒステリイですね。」僕は、ふんと笑って言った。
 「さあ、それが。」草田氏は、僕の軽蔑に気がつかなかったらしく、まじめに考え込んで、「とにかく、僕がわるいんです。おだて過ぎたのです。薬がききすぎました。」草田氏 は夫人を慰める一手段として、夫人に洋画を習わせた。一週間にいちどずつ、近所の中泉花仙とかいう、もう六十歳近い下手(へた)くそな老画伯 のアトリエに通わせた。さあ、それから褒(ほ)めた。草田氏をはじめ、その中泉という老耄(ろうもう)の画伯と、それから中泉のアトリエに通っている若い研究生たち、また 草田 の家に出入りしている有象無象(うぞうむぞう)、寄ってたかって夫人の画を褒めちぎって、あげくの果は夫人の逆上という事になり、「あたしは天才だ」と口走って家出したというのであるが、僕は話を聞きながら何度も噴き出しそうになって困った。なるほど薬がききすぎた。お 金持の家庭にありがちな、ばかばかしい喜劇だ。
 「いつ、飛び出したんです。」僕は、もう草田夫妻を、ばかにし切っていた。
 「きのうです。」
 「なあんだ。それじゃ何も騒ぐ事はないじゃないですか。僕の女房だって、僕があんまりお酒を飲みすぎると、里へ行って一晩泊って来る事がありますよ。」
 「それとこれとは違います。静子は芸術家として自由な生活をしたいんだそうです。お金をたくさん持って出ました。」
 「たくさん?」
 「ちょっと多いんです。」
  草田氏くらいのお金持が、ちょっと多い、というくらいだから、五千円、あるいは一万円くらいかも知れないと僕は思った。
 「それは、いけませんね。」はじめて少し興味を覚えた。貧乏人は、お金の話には無関心でおれない。
 「静子はあなたの小説を、いつも読んでいましたから、きっとあなたのお家へお邪魔にあがっているんじゃないかと、――」
 「冗談じゃない。僕は、――」敵です、と言おうと思ったのだが、いつもにこにこ笑っている草田氏 が、きょうばかりは蒼(あお)くなってしょげ返っているその様子を目前に見て、ちょっと言い出しかねた。
  吉祥寺の駅の前でわかれたが、わかれる時に僕は苦笑しながら尋ねた。
 「いったい、どんな画をかくんです?」
 「変っています。本当に天才みたいなところもあるんです。」意外の答であった。
 「へえ。」僕は二の句が継げなかった。つくづく、馬鹿な夫婦だと思って、呆(あき)れた。
  それから三日目だったか、わが天才女史は絵具箱をひっさげて、僕の陋屋に出現した。菜葉服(なっぱふく)のような粗末な洋服を着ている。気味わるいほど頬 がこけて、眼が異様に大きくなっていた。けれども、謂(い)わば、一流の貴婦人の品位は、犯しがたかった。
 「おあがりなさい。」僕はことさらに乱暴な口をきいた。「どこへ行っていたのですか。草田さんがとても心配していましたよ。」
 「あなたは、芸術家ですか。」玄関のたたきにつっ立ったまま、そっぽを向いてそう呟(つぶや)いた。れいの冷い、高慢な口調である。
 「何を言っているのです。きざな事を言ってはいけません。草田さんも閉口していましたよ。玻璃子ちゃんのいるのをお忘れですか?」
 「アパートを捜しているのですけど、」夫人は、僕の言葉を全然黙殺している。「このへんにありませんか。」
 「奥さん、どうかしていますね。もの笑いの種ですよ。およしになって下さい。」
 「ひとりで仕事をしたいのです。」夫人は、ちっとも悪びれない。「家を一軒借りても、いいんですけど。」
 「薬がききすぎたと、草田さんも後悔していましたよ。二十世紀には、芸術家も天才もないんです。」
 「あなたは俗物ね。」平気な顔をして言った。「草田のほうが、まだ理解があります。」
  僕に対して、こんな失敬なことを言うお客には帰ってもらうことにしている。僕には、信じている一事があるのだ。誰かれに、わかってもらわなくともいいのだ。いやなら来 るな。
 「あなたは、何しに来たのですか。お帰りになったらどうですか。」
 「帰ります。」少し笑って、「画を、お見せしましょうか。」
 「たくさんです。たいていわかっています。」
 「そう。」僕の顔を、それこそ穴のあくほど見つめた。「さようなら。」
  帰ってしまった。
  なんという事だ。あのひとは、たしか僕と同じとしの筈だ。十二、三歳の子供さえあるのだ。人におだてられて発狂した。おだてる人も、おだてる人だ。不愉快 な事件である。僕は、この事件に対して、恐怖をさえ感じた。
  それから約二箇月間、静子夫人の来訪はなかったが、草田惣兵衛氏からは、その間に五、六回、手紙をもらった。困り切っているらしい。静子夫人は、その後、赤坂 のアパートに起居して、はじめは神妙に、中泉画伯のアトリエに通っていたが、やがてその老画伯をも軽蔑して、絵の勉強 は、ほとんどせず、画伯のアトリエの若い研究生たちを自分のアパートに呼び集めて、その研究生たちのお世辞に酔って、毎晩、有頂天の馬鹿騒ぎをしていた。草田氏 は恥をしのんで、単身赤坂のアパートを訪れ、家へ帰るように懇願したが、だめであった。静子夫人には、鼻であしらわれ、取巻 きの研究生たちにさえ、天才の敵として攻撃せられ、その上、持っていたお金をみんな巻き上げられた。三度おとずれたが、三度とも同じ憂目(うきめ)に逢った。もういまでは、 草田氏も覚悟をきめている。それにしても、玻璃子が不憫(ふびん)である。どうしたらよいのか、男子としてこんな苦しい立場はない、と四十歳を越えた一流紳士の草田氏 が、僕に手紙で言って寄こすのである。けれども僕も、いつか草田の家で受けたあの大恥辱を忘れてはいない。僕には、時々自分でもぞっとするほど執念深 いところがある。いちど受けた侮辱を、どうしても忘れる事が出来ない。草田の家の、此(こ)の度(たび)の不幸に同情する気持など少しも起らぬのである。草田氏 は僕に、再三、「どうか、よろしく静子に説いてやって下さい」と手紙でたのんで来ているのだが、僕は、動きたくなかった。お金持 の使い走りは、いやだった。「僕は奥さんに、たいへん軽蔑されている人間ですから、とてもお役には立ちません。」などと言って、いつも断っていたのである。
  十一月のはじめ、庭の山茶花(さざんか)が咲きはじめた頃であった。その朝、僕は、静子夫人から手紙をもらった。
  ――耳が聞えなくなりました。悪いお酒をたくさん飲んで、中耳炎を起したのです。お医者に見せましたけれども、もう手遅れだそうです。薬缶(やかん)のお湯が、シュンシュン沸いている、あの音も聞えません。窓の外で、樹の枝が枯葉を散らしてゆれ動いておりますが、なんにも音が聞えません。もう、死ぬまで聞く事が出来ません。人の声も、地の底から言っているようにしか聞えません。これも、やがて、全く聞えなくなるのでしょう。耳がよく聞えないという事が、どんなに 淋(さび)しい、もどかしいものか、今度という今度は思い知りました。買物などに行って、私の耳の悪い事を知らない人達が、ふつうの人に話すようにものを言うので、私には、何を言っているのか、さっぱりわからなくて、悲しくなってしまいます。自分をなぐさめるために、耳の悪いあの人やこの人の事など思い出してみて、ようやくの事で一日を過します。このごろ、しょっちゅう、死にたい死にたいと思います。そうしては、玻璃子の事が思い浮んで 来て、なんとかしてねばって、生きていなければならぬと思いかえします。こないだうち、泣くと耳にわるいと思って、がまんにがまんしていた涙を、つい二、三日前 、こらえ切れなくなって、いちどに、滝のように流しましたら、気分がいくらか楽になりました。もういまでは、耳の聞えない事に、ほんの少し、あきらめも出て来 ましたが、悪くなりはじめの頃は、半狂乱でしたの。一日のうちに、何回も何回も、火箸(ひばし)でもって火鉢 のふちをたたいてみます。音がよく聞えるかどうか、ためしてみるのです。夜中でも、目が覚めさえすれば、すぐに寝床に腹這いになって、ぽんぽん火鉢 をたたいてみます。あさましい姿です。畳を爪(つめ)でひっかいてみます。なるべく聞きとりにくいような音をえらんでやってみるのです。人がたずねて来 ると、その人に大きな声を出させたり、ちいさい声を出させたり、一時間も二時間も、しつこく続けて注文して、いろいろさまざま聴力をためしてみるので、お客様 たちは閉口して、このごろは、あんまりたずねて来なくなりました。夜おそく、電車通 りにひとりで立っていて、すぐ目の前を走って行く電車の音に耳をすましていることもありました。
  もう今では、電車の音も、紙を引き裂くくらいの小さい音になりました。間も無く、なんにも聞えなくなるのでしょう。からだ全体が、わるいようです。毎夜、お寝巻 を三度も取りかえます。寝汗でぐしょぐしょになるのです。いままでかいた絵は、みんな破って棄てました。一つ残さず棄てました。私の絵は、とても下手だったのです。あなただけが、本当の事をおっしゃいました。他の人は、みんな私を、おだてました。私は、出来る事なら、あなたのように、まずしくとも気楽な、 芸術家の生活をしたかった。お笑い下さい。私の家は破産して、母も間もなく死んで、父は北海道へ逃げて行きました。私は、草田 の家にいるのが、つらくなりました。その頃から、あなたの小説を読みはじめて、こんな生きかたもあるか、と生きる目標が一つ見つかったような気がしていました。私も、あなたと同じ、まずしい子です。あなたにお逢いしたくなりました。 三年前のお正月に、本当に久し振りにお目にかかる事が出来て、うれしゅうございました。私は、あなたの気ままな酔 いかたを見て、ねたましいくらい、うらやましく思いました。これが本当の生きかただ。虚飾も世辞もなく、そうしてひとり誇りを高くして生きている。こんな生きかたが、いいなあと思いました。けれども私には、どうする事も出来ません。そのうちに主人が私に絵をかく事をすすめて、私は主人を信じていますので、(いまでも私は主人を愛しております)中泉さんのアトリエに通う事になりましたが、たちまち皆さんの熱狂的な賞讃の的(まと)になり、はじめは私もただ当惑いたしましたが、主人まで 真顔になって、お前は天才かも知れぬなどと申します。私は主人の美術鑑賞眼をとても尊敬していましたので、とうとう私も逆上し、かねてあこがれの芸術家 の生活をはじめるつもりで家を出ました。ばかな女ですね。中泉さんのアトリエにかよっている研究生たちと一緒に、二、三日箱根 で遊んで、その間に、ちょっと気にいった絵が出来ましたので、まず、あなたに見ていただきたくて、いさんであなたのお家へまいりましたのに、思いがけず、さんざんな目に逢いました。私は恥ずかしゅうございました。あなたに絵を見てもらって、ほめられて、そうして、あなたのお家の近くに 間借りでもして、お互いまずしい芸術家としてお友だちになりたいと思っていました。私は狂っていたのです。あなたに面罵(めんば)せられて、はじめて私は、正気になりました。自分の 馬鹿 を知りました。わかい研究生たちが、どんなに私の絵を褒めても、それは皆あさはかなお世辞で、かげでは舌を出しているのだという事に気がつきました。けれどもその時には、もう、私の生活が 取りかえしのつかぬところまで落ちていました。引き返すことが出来なくなっていました。落 ちるところまで落ちて見ましょう。私は毎晩お酒を飲みました。わかい研究生たちと徹夜で騒ぎました。焼酎(しょうちゅう)も、ジンも飲みました。きざな、ばかな女ですね。
  愚痴(ぐち)は、もう申しますまい。私は、いさぎよく罰を受けます。窓のそとの樹の枝のゆれぐあいで、風がひどいなと思っているうちに、雨が横なぐりに降って来 ました。雨の音も、風の音も、私にはなんにも聞えませぬ。サイレントの映画のようで、おそろしいくらい、淋しい夕暮です。この手紙に御返事 は要りませんのですよ。私のことは、どうか気になさらないで下さい。淋しさのあまり、ちょっと書いてみたのです。あなたは平気でいらして下さい。――
  手紙には、アパートのところ番地も認められていた。僕は出掛けた。
  小綺麗なアパートであったが、静子さんの部屋は、ひどかった。六畳間で、そうして部屋には何もなかった。火鉢と机、それだけだった。畳は赤ちゃけて、しめっぽく、部屋 は日当りも悪くて薄暗く、果物の腐ったようないやな匂いがしていた。静子さんは、窓縁に腰かけて笑っている。さすがに身なりは、きちんとしている。顔にも美しさが残っている。 二箇月前 に見た時よりも、ふとったような感じもするが、けれども、なんだか気味がわるい。眼に、ちからが無い。生きている人の眼ではなかった。瞳(ひとみ)が灰色に濁っている。
 「無茶ですね!」と僕は叫ぶようにして言ったのであるが、静子さんは、首を振って、笑うばかりだ。もう全く聞えないらしい。僕は机の上の用箋に、「草田 ノ家ヘ、カエリナサイ」と書いて静子さんに読ませた。それから二人の間に、筆談がはじまった。静子さんも机の傍に坐って熱心に書いた。
 草田ノ家ヘ、カエリナサイ。
  スミマセン。
 トニカク、カエリナサイ。
  カエレナイ。
 ナゼ?
  カエルシカク、ナイ。
 草田サンガ、マッテル。
  ウソ。
 ホント。
  カエレナイノデス。ワタシ、アヤマチシタ。
 バカダ。コレカラドウスル。
  スミマセン。ハタラクツモリ。
 オ金、イルカ。
  ゴザイマス。
 絵ヲ、ミセテクダサイ。
  ナイ。
 イチマイモ?
  アリマセン。
  僕は急に、静子さんの絵を見たくなったのである。妙な予感がして来た。いい絵だ、すばらしくいい絵だ。きっと、そうだ。
 絵ヲ、カイテユク気ナイカ。
  ハズカシイ。
 アナタハ、キットウマイ。
  ナグサメナイデホシイ。
 ホントニ、天才カモ知レナイ。
  ヨシテ下サイ。モウオカエリ下サイ。
  僕は苦笑して立ちあがった。帰るより他はない。静子夫人は僕を見送りもせず、坐ったままで、ぼんやり窓の外を眺めていた。
  その夜、僕は、中泉画伯のアトリエをおとずれた。
 「静子さんの絵を見たいのですが、あなたのところにありませんか。」
 「ない。」老画伯は、ひとの好さそうな笑顔で、「御自分で、全部破ってしまったそうじゃないですか。天才的だったのですがね。あんなに、わがままじゃいけません。」
 「書き損じのデッサンでもなんでも、とにかく見たいのです。ありませんか。」
 「待てよ。」老画伯は首をかたむけて、「デッサンが三枚ばかり、私のところに残っていたのですが、それを、あのひとが此の間やって来 て、私の目の前で破ってしまいました。誰か、あの人の絵をこっぴどくやっつけたらしく、それからはもう、あ、そうだ、ありました、ありました、まだ一枚のこっています。うちの 娘が、たしか水彩を一枚持っていた筈です。」
 「見せて下さい。」
 「ちょっとお待ち下さい。」
  老画伯は、奥へ行って、やがてにこにこ笑いながら一枚の水彩を持って出て来て、
 「よかった、よかった。娘が秘蔵していたので助かりました。いま残っているのは、おそらく此の水彩いちまいだけでしょう。私は、もう、一万円でも手放しませんよ。」
 「見せて下さい。」
  水仙の絵である。バケツに投げ入れられた二十本程の水仙の絵である。手にとってちらと見てビリビリと引き裂いた。
 「なにをなさる!」老画伯は驚愕(きょうがく)した。
 「つまらない絵じゃありませんか。あなた達は、お金持 の奥さんに、おべっかを言っていただけなんだ。そうして奥さんの一生を台無しにしたのです。あの人をこっぴどくやっつけた男というのは僕です。」
 「そんなに、つまらない絵でもないでしょう。」老画伯は、急に自信を失った様子で、「私には、いまの新しい人たちの画は、よくわかりませんけど。」
  僕はその絵を、さらにこまかに引き裂いて、ストーヴにくべた。僕には、絵がわかるつもりだ。草田氏 にさえ、教える事が出来るくらいに、わかるつもりだ。水仙の絵は、断じて、つまらない絵ではなかった。美事だった。なぜそれを僕が引き裂いたのか。それは読者の推量 にまかせる。静子夫人は、草田氏の手許に引きとられ、そのとしの暮に自殺した。僕の不安は増大する一方である。なんだか天才の絵のようだ。おのずから忠直卿 の物語など思い出され、或(あ)る夜ふと、忠直卿 も事実素晴らしい剣術の達人だったのではあるまいかと、奇妙な疑念にさえとらわれて、このごろは夜も眠られぬくらいに不安である。二十世紀 にも、芸術の天才が生きているのかも知れぬ。

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Posted by 문학관 관리인 위어조자(謂語助者)

살아있는 창자(生きている腸:いきているはらわた)

운노 쥬자(海野十三)

일본어 원문



 妙な医学生

 医学生吹矢隆二は、その日も朝から、腸(はらわた)のことばかり考えていた。

 午後三時の時計がうつと、彼は外出した。

 彼の住んでいる家というのは高架線のアーチの下を、家らしい恰好にしただけの、すこぶる風変りな住宅だった。

 そういう風変りな家に住んでいる彼吹矢隆二という人物が、またすこぶる風変りな医学生であって、助手でもないくせに、大学医科にもう七年も在学しているという日本に一人とあって二人とない長期医学生であった。

 そういうことになるのも、元来彼が課目制の学科試験を、気に入った分だけ受けることにし、決して欲ばらないということをモットーにしているのによる。されば入学以来七年もかかっているのに、まだ不合格の課目が五つほど残っていた。

 彼は、学校に出かけることは殆どなく、たいがい例の喧騒の真只中にある風変りな自宅でしめやかに暮していた。

 いまだかつて彼の家をのぞいた者は、まず三人となかろう。一人は大家であり、他の一人は、彼がこれから腸(はらわた)のことについて電話をかけようと思っている先の人物――つまり熊本博士ぐらいのものであった。

 彼は青い顔の上に、ライオンのように房づいた長髪をのせ、世にもかぼそい身体を、てかてかに擦れた金ボタンつきの黒い制服に包んで駅前にある公衆電話の函に歩みよった。

 彼が電話をかけるところは、男囚二千七百名を収容している○○刑務所の附属病院であった。ここでは、看護婦はいけないとあってすべて同性の看護夫でやっている。男囚に婦人を見せてはよくないことは、すでに公知の事実である。

「はあ、こちらは○○刑務病院でございます」

「ああ、○○刑務病院かね。――ふん、熊本博士をよんでくれたまえ。僕か、僕は猪俣とでもいっておいてくれ」

 と、彼はなぜか偽名をつかい、横柄な口をきいて、交換嬢を銅線の延長の上においておびえさせた。

「ああ熊本君か。僕は――いわんでも分っているだろう。今日は大丈夫かね。まちがいなしかね。本当に腸(はらわた)を用意しておいてくれたんだね。――南から三つ目の窓だったね。もしまちがっていると、僕は考えていることがあるんだぜ。そいつはおそらく君に職を失わせ、そしてつづいて食を与えないことになろう。――いやおどかすわけではない。君は常に、はいはいといって僕のいいつけをきいてりゃいいんだ。――行くぜ。きっとさ。夜の十一時だったな」

 そこで彼は、誰が聞いてもけしからん電話を切った。

 熊本博士といえば、世間からその美しい人格をたたえられている○○刑務病院の外科長であった。彼は家庭に、マネキン人形のように美しい妻君をもってい、またすくなからぬ貯金をつくったという幸福そのもののような医学者であった。

 しかしなぜか吹矢は、博士のことを頭ごなしにやっつけてしまう悪い習慣があった。もっとも彼にいわせると、熊本博士なんか風上におけないインチキ人物であって、天に代って大いにいじめてやる必要のあるインテリ策士であるという。

 そういって、けなしている一方、医学生吹矢は、学歴においては数十歩先輩の熊本博士を百パーセントに利用し、すくなからぬその恩恵に浴しているくせに、熊本博士をつねに奴隷のごとく使役した。

「腸(はらわた)を用意しておいてくれたろうね」

 さっき吹矢はそういう電話をかけていたが、これで見ると彼は、熊本博士に対しまた威嚇手段を弄しているものらしい。しかし「腸(はらわた)を用意」とはいったいなにごとであるか。彼はいま、なにを企て、そしてなにを考えているのであろうか。

 今夜の十一時にならないと、その答は出ないのであった。


三番目の窓


 すでに午後十時五十八分であった。

 ○○刑務病院の小さな鉄門に、一人の大学生の身体がどしんとぶつかった。

「やに早く締めるじゃないか」

 と、一言文句をいって鉄門を押した。

 鉄門は、わけなく開いた。錠をかけてあるわけではなく、鉄門の下にコンクリの固まりを錘りとして、ちょっとおさえてあるばかりなのであったから。

「やあ、――」

 守衛は、吹矢に挨拶されてペコンとお辞儀をした。どういうわけかしらんが、この病院の大権威熊本先生を呼び捨てにしているくらいの医学生であるから、風采はむくつけであるが熊本博士の旧藩主の血なんか引いているのであろうと善意に解し、したがってこの衛門では、常に第一公式の敬礼をしていた。

 ふふんと鼻を鳴らして、弊服獅子頭の医学生吹矢隆二は、守衛の前を通りぬけると、暗い病院の植込みに歩を運んだ。

 彼はすたすたと足をはやめ、暗い庭を、梟(ふくろう)のように達者に縫って歩いた。やがて目の前に第四病舎が現われた。

(南から三番目の窓だったな)

 彼はおそれげもなく、窓下に近づいた。そこには蜜柑函らしいものが転がっていた。これも熊本博士のサーヴィスであろう――とおもって、それを踏み台に使ってやった。そして重い窓をうんと上につき上げたのである。

 窓ガラスは、するすると上にあがった。うべなるかな、熊本博士は、窓を支える滑車のシャフトにも油をさしておいたから、こう楽に上るのだ。

 よって医学生吹矢は、すぐ目の前なるテーブルの上から、やけに太い、長さ一メートルばかりもあるガラス管を鷲づかみにすることができた。

「ほほう、入っているぞ」

 医学生吹矢は、そのずっしりと重いガラス管を塀の上に光る街路燈の方にすかしてみた。ガラス管の中に、清澄な液を口のところまで充たしており、その中に灰色とも薄紫色ともつかない妙な色の、どろっとしたものが漬かっていた。

「うん、欲しいとおもっていたものが、やっと手に入ったぞ、こいつはほんとうに素晴らしいや」

 吹矢は、にやりと快心の笑みをたたえて、窓ガラスをもとのようにおろした。そして盗みだした太いガラス管を右手にステッキのようにつかんで、地面に下りた。

「やあ、夜の庭園散歩はいいですなあ」

 衛門の前をとおりぬけるときに、およそ彼には似つかわしからぬ挨拶をした。が、彼はその夜の臓品が、よほど嬉しかったのにちがいない。

「うえっ、恐れいりました」

 守衛は、全身を硬直させ、本当に恐れいって挨拶をかえした。

 門を出ると、彼は太いガラス管を肩にかつぎ下駄ばきのまま、どんどん歩きだした。そして三時間もかかって、やっと自宅へかえってきた。街はもう騒ぎつかれて倒れてしまったようにひっそり閑としていた。

 彼は誰にも見られないで、家の中に入ることができた。彼は電燈をつけた。

「うん、実に素晴らしい。実に見事な腸(はらわた)だ」

 彼は、ガラス管をもちあげ電燈の光に透かしてみて三嘆した。

 すこし青味のついた液体の中に彼のいう「腸(はらわた)」なるものがどろんとよどんでいる。

「あ、生きているぞ」

 薄紫色の腸(はらわた)が、よく見ると、ぐにゃりぐにゃりと動いている。リンゲル氏液の中で、蠕動をやっているのであった。

 生きている腸(はらわた)!

 医学生吹矢[#「医学生吹矢」は底本では「医学当吹矢」]が、もう一年この方、熊本博士に対し熱心にねだっていたのは、実にこの生きている腸(はらわた)であった。他のことはききいれても、この生きている腸(はらわた)の願いだけは、なかなかききいれなかった熊本博士だった。

「なんだい、博士。お前のところは、男囚が二千九百名もいるんじゃないか。中には死刑になるやつもいるしさ、盲腸炎になったりまた変死するやつもいるだろうじゃないか。その中から、わずか百C・M(ツェーエム)ぐらいの腸(はらわた)をごまかせないはずはない。こら、お前、いうことをきかないなら、例のあれをあれするがいいか。いやなら、早く俺のいうことをきけ」

 などと恐喝、ここに一年ぶりに、やっと待望久しかりし生きている腸(はらわた)を手にいれたのであった。

 彼はなぜ、そのような気味のわるい生きている腸(はらわた)を手に入れたがったのであろうか。それは彼の蒐集癖を満足するためであったろうか。

 否!


リンゲル氏液内の生態


 生きている腸(はらわた)――なんてものは、文献の上では、さまで珍奇なものではなかった。

 生理学の教科書を見れば、リンゲル氏液の中で生きているモルモットの腸(ちょう)、兎の腸(ちょう)、犬の腸(ちょう)、それから人間の腸(ちょう)など、うるさいほどたくさんに書きつらなっている。

 標本としても生きている腸(ちょう)は、そう珍らしいものではない。

 医学生吹矢が、ここにひそかに誇りとするものは、この見事なる幅広の大腸(ちょう)が、ステッキよりももっと長い、百C・M(ツェーエム)もリンゲル氏液の入った太いガラス管の中で、活撥な蠕動をつづけているということであった。こんな立派なやつはおそらく天下にどこにもなかろう。まったくもってわが熊本博士はえらいところがあると、彼はガラス管にむかって恭々しく敬礼をささげたのだった。

 彼は生ける腸(はらわた)を、部屋の中央に飾りつけた。天井から紐をぶら下げ、それにガラス管の口をしばりつけたものであった。下には、ガラス管のお尻をうける台をつくった。

 黴くさい医学書が山のように積みあげられ、そしてわけのわからぬ錆ついた手術具や医療器械やが、所もせまくもちこまれている医学生吹矢の室は、もともと奇々怪々なる風景を呈していたが、いまこの珍客「生ける腸(はらわた)」を迎えて、いよいよ怪奇的装飾は整った。

 吹矢は脚の高い三脚椅子を天井からぶら下げるガラス管の前にもっていった。彼はその上にちょこんと腰をかけ、さも感にたえたというふうに腕組みして、清澄なる液体のなかに蠢くこの奇妙な人体の一部を凝視している。

 ぐにゃ、、ぐにゃ、ぐにゃ。

 ぶるっ、ぶるっ、ぶるっ。

 見ていると腸(はらわた)は、人間の顔などでは到底表わせないような複雑な表情でもって、全面を曲げ動かしている。

「おかしなものだ。しかし、こいつはこうして見ていると、人間よりも高等な生き物のような気がする」

 と医学生吹矢は、ふと論理学を超越した卓抜なる所見を洩らした。

 それからのちの医学生吹矢は、彼自身が生ける腸(はらわた)になってしまうのではないかとおもわれるふうに、ガラス管の前に石像のように固くなったままいつまでも生ける腸(はらわた)から目を放そうとはしなかった。

 食事も、尾籠な話であるが排泄も彼は極端に切りつめているようであった。ほんの一、二分でも、彼は生きている腸(はらわた)の前をはなれるのを好まなかった。

 そういう状態が、三日もつづいた。

 その揚句のことであった。

 彼は連日の緊張生活に疲れ切って、いつの間にか三脚椅子の上に眠りこんでいたらしく自分の高鼾にはっと目ざめた。室内はまっくらであった。

 彼は不吉な予感に襲われた。すぐと彼は椅子からとびおりて、電燈のスイッチをひねった。大切な、生ける腸(はらわた)が、もしや盗まれたのではないかと思ったからである。

「ふーん、まあよかった」

 腸(はらわた)の入ったガラス管は、あいかわらず天井からぶらさがっていた。

 だが彼は、間もなく悲鳴に似た叫び声をあげた。

「あっ、たいへんだ。腸(はらわた)が動いていない!」

 彼はどすんと床の上に大きな音をたてて、尻餅をついた。彼は気違いのように頭髪をかきむしった。真黒い嵐のような絶望!

「ま、待てよ――」

 彼はひとりで顔を赭らめて、立ちあがった。彼はピューレットを手にもった。そして三脚椅子の上にのぼった。

 ガラス管の中から、清澄なる液をピューレット一杯に吸いとった。そしてそれを排水口に流した。

 そのあとで、薬品棚から一万倍のコリン液と貼札してある壜を下ろし、空のピューレットをその中にさしこんだ。

 液は下から吸いあがってきた。

 彼は敏捷にまた三脚椅子の上にとびあがった。そしてコリン液を抱いているピューレットを、そっとガラス管の中にうつした。

 液はしずかに、リンゲル氏液の中にとけていった。

 ガラス管の中をじっと見つめている彼の眼はすごいものであった。が、しばらくして彼の口辺に、微笑がうかんだ。

「――動きだした」

 腸(はらわた)は、ふたたび、ぐるっ、ぐるっ、ぐるっと蠕動をはじめたのであった。

「コリンを忘れていたなんて、俺もちっとどうかしている」

 と彼は少女のように恥らいつつ、大きな溜息をついた。

「腸(はらわた)はまだ生きている。しかし早速、訓練にとりかからないと、途中で死んでしまうかもしれない」

 彼はシャツの腕をまくりあげ、壁にかけてあった汚れた手術衣に腕をとおした。


素晴らしき実験


 彼は、別人のように活撥になっていた。

「さあ、訓練だ」

 なにを訓練するのであろうか。彼は、部屋の中を歩きまわって、蛇管や清浄器や架台など、いろいろなものを抱えあつめてきた。

「さあ、、医学史はじまっての大実験に、俺はきっと凱歌をあげてみせるぞ」

 彼は、ぼつぼつ独り言をいいながら、さらにレトルトや金網やブンゼン燈などをあつめてきた。

 そのうちに彼は、あつめてきた道具の真ん中に立って、まるで芝居の大道具方のように実験用器の組立てにかかった。

 見る見るガラスと金具と液体との建築は、たいへん大がかりにまとまっていった。その建築はどうやら生ける腸(はらわた)の入ったガラス管を中心とするように見えた。

 電気のスイッチが入ってパイロット・ランプが青から赤にかわった。部屋の隅では、ごとごとと低い音をたてて喞筒モートルが廻りだした。

 医学生吹矢隆二の両眼は、いよいよ気味わるい光をおびてきた。

 一体彼は、何を始めようというのであるか。

 電気も通じてブンゼン燈にも薄青い焔が点ぜられた。

 生ける腸(はらわた)の入ったガラス管の中には、二本の細いガラス管がさしこまれた。

 その一本からは、ぶくぶくと小さい泡がたった。

 吹矢隆二は、大きな画板みたいなものを首から紐でかけ、そして鉛筆のさきをなめながら、電流計や比重計や温度計の前を、かわるがわる往ったり来たりして、首にかけた方眼紙の上に色鉛筆でもってマークをつけていった。

 赤と青と緑と紫と黒との曲線がすこしずつ方眼紙の上をのびてゆく。

 そうしているうちにも、彼はガラス管の前に小首をかたむけ、熱心な眼つきで、蠕動をつづける腸(はらわた)をながめるのであった。

 彼は文字通り寝食を忘れて、この忍耐のいる実験を継続した。まったく人間業とはおもわれない活動ぶりであった。

 今朝の六時と、夕方の六時と、この二つの時刻における腸(はらわた)の状況をくらべてみると、たしかにすこし様子がかわっている。

 さらにまた十二時間経つと、また何かしら変った状態が看取されるのであった。

 実験がすすむにつれ、リンゲル氏液の温度はすこしずつのぼり、それからまたリンゲル氏液の濃度はすこしずつ減少していった。

 実験第四日目においては、腸(はらわた)を収容しているガラス管の中は、ほとんど水ばかりの液になった。

 実験第六日目には、ガラス管の中に液体は見えずになり、その代りに淡紅色のガスがもやもやと雲のようにうごいていた。

 ガラス管の中には、液のなくなったことを知らぬげに、例の腸(はらわた)はぴくりぴくりと蠕動をつづけているのであった。

 医学生吹矢の顔は、馬鹿囃の面のように、かたい笑いが貼りついていた。

「うふん、うふん。いやもうここまででも、世界の医学史をりっぱに破ってしまったんだ。ガス体の中で生きている腸(はらわた)! ああなんという素晴らしい実験だ!」

 彼はつぎつぎに新らしい装置を準備しては古い装置をとりのけた。

 実験第八日目には、ガラス管の中のガスは、無色透明になってしまった。

 実験第九日目には、ブンゼン燈の焔が消えた。ぶくぶくと泡立っていたガスが停った。

 実験第十日目には、モートルの音までがぴたりと停ってしまった。実験室のなかは、廃墟のようにしーんとしてしまった。

 ちょうどそれは、午前三時のことであった。

 それからなお二十四時間というものを、彼は慎重な感度でそのままに放置した。

 二十四時間経ったその翌日の午前三時であった。彼はおずおずとガラス管のそばに顔をよせた。

 ガラス管の中の腸(はらわた)は、今や常温常湿度の大気中で、ぐにゃりぐにゃりと活撥な蠕動をつづけていた。

 医学生吹矢隆二は彼の考案した独特の訓練法により、世界中のいかなる医学生も手をつけたことのなかったところの、大気中における腸(はらわた)の生存実験について成功したのであった。


同棲生活


 医学生吹矢は、目の前のテーブルの上に寝そべる生ける腸(はらわた)と、遊ぶことを覚えた。

 生ける腸(はらわた)は、実におどろいたことに、感情に似たような反応をさえ示すようになった。

 彼がスポイトでもって、すこしばかりの砂糖水を、生ける腸(はらわた)の一方の口にさしいれてやると、腸(ちょう)はすぐ活撥な蠕動をはじめる。そして間もなく、腸(ちょう)の一部がテーブルの上から彼の方にのびあがって、

「もっと砂糖水をくれ」

 というような素振りを示すのであった。

「あはあ、もっと砂糖水がほしいのか。あげるよ。だが、もうほんのちょっぴりだよ」

 そういって吹矢は、また一滴の砂糖水を、生ける腸(はらわた)にあたえるのだった。

(なんという高等動物だろう)

 吹矢はひそかに舌をまいた。

 こうして、彼が訓練した生ける腸(はらわた)を目の前にして遊んでいながらも、彼は時折それがまるで夢のような気がするのであった。

 前から彼は、一つの飛躍的なセオリーをもっていた。

 もしも腸(はらわた)の一片がリンゲル氏液の中において生存していられるものなら、リンゲル氏液でなくとも、また別の栄養媒体の中においても生存できるはずであると。

 要は、リンゲル氏液が生きている腸(はらわた)に与えるところの生存条件と同等のものを、他の栄養媒体によって与えればいいのである。

 そこにもっていって彼は、人間の腸(はらわた)がもしも生きているものなら、神経もあるであろうしまた環境に適応するように体質の変化もおこり得るものと考えたので、彼は生ける腸(はらわた)に適当な栄養を与えることさえできれば、その腸(はらわた)をして大気中に生活させることも不可能ではあるまい――と、机上で推理を発展させたのである。

 そういう基本観念からして、彼は詳細にわたる研究を重ねた。その結果、約一年前になってはじめて自信らしいものを得たのである。

 彼の実験は、ついに大成功を収めた。しかもむしろ意外といいたい簡単な勤労によって――。

 思索に苦しむよりは、まず手をくだした方が勝ちであると、さる実験学者はいった。それはたしかに本当である。

 でも、彼が思索の中に考えついた一見荒唐無稽の「生ける腸(はらわた)」が、こうして目の前のテーブルの上で、ぐるっ、ぐるっと生きて動いているかとおもうと、まったく夢のような気がするのであった。

 しかしもう一つ特筆大書しなければならないことは、こうして彼の手によって大気中に飼育せしめられつつあるところの腸(はらわた)が、これまで彼が予期したことがなかったような、いろいろ興味ある反応をみせてくれることであった。

 たとえば、今も説明したとおり、この生ける腸(はらわた)が砂糖水をもっとほしがる素振りを示すなどということはまったく予期しなかったことだ。

 それだけではない。腸(はらわた)と遊んでいるうちに彼はなおも続々と、この生ける腸(はらわた)がさまざまな反応を示すことを発見したのだ。

 細い白金の棒の先を生ける腸(はらわた)にあて、それからその白金の棒に、六百メガサイクルの振動電流を伝わらせると、彼の生ける腸(はらわた)は急にぬらぬらと粘液をはきだす。

 それからまた、吹矢は生ける腸(はらわた)の腸壁の一部に、音叉でつくった正しい振動数の音響をある順序にしたがって当てた結果、やがてその腸壁の一部が、音響にたいして非常に敏感になったことを発見した。まずそこに、人間の鼓膜のような能力を生じたものらしい。彼はやがて、生ける腸(はらわた)に話しかけることもできるであろうと信じた。

 生ける腸(はらわた)は、大気中に生活しているためにその表面はだんだん乾いてきた。そして表皮のようなものが、何回となく脱落した。この揚句の果には、生ける腸(はらわた)の外見は大体のところ、少し色のあせた人間の唇とほぼ似た皮膚で蔽われるにいたった。

 生ける腸(はらわた)の誕生後五十日目ころ――誕生というのは、この腸(はらわた)が大気中に棲息するようになった日のことである――においては、その新生物は医学生吹矢隆二の室内を、テーブルの上であろうと本の上であろうと、自由に散歩するようになるまで生育した。

「おいチコ、ここに砂糖水をつくっておいたぜ」

 チコというのは、生ける腸(はらわた)に対する愛称であった。

 そういって吹矢が、砂糖水を湛えてある平皿のところで手を鳴らすと、チコはうれしそうに、背(?)を山のように高くした。そしてチコに食欲ができると、彼の生き物はひとりでのろのろと灰皿の[#「灰皿の」はママ]ところへ匍ってゆき、ぴちゃぴちゃと音をさせて砂糖水をのむのであった。その有様は、見るもコワイようなものであった。

 かくて医学生吹矢隆二は、生ける腸(はらわた)チコの生育実験をまず一段落とし、いよいよこれより大論文をしたため、世界の医学者を卒倒せしめようと考えた。

 ある日――それはチコの誕生後百二十日目に当っていた。彼はいよいよその次の日から大論文の執筆にかかることとし、その前にちょっと外出してこようと考えた。

 いつの間にか、秋はたけ、外には鈴懸樹の枯葉が風とともに舗道に走っていた。だんだん寒くなってくる。彼一人ならばともかくも今年の冬はチコとともに暮さねばならぬので電気ストーヴなども工合のいいものを街で見つけてきたいと思ったのだ。

 また買い溜をしておいた罐詰もすっかりなくなったので、それも補充しておきたい。チコのために、いろんなスープをさがしてきてやろう。

 彼はこの百数十日というものを、一歩たりとも敷居の外に出なかったのである。

「ちょっと出かける。砂糖水は、隅のテーブルのうえに、うんと作っておいたからね」

 彼は急に外が恋しくなって、チコに食事の注意をするのもそこそこに、入口に錠をおろし、往来にとびだしたのだった。


誤算


 医学生吹矢隆二は、つい七日間も外に遊びくらしてしまった。

 一歩敷居を外に踏みだすと、外には素晴らしい歓喜と慰安とが、彼を待っていたのだ。彼の本能はにわかに背筋を伝わって洪水のように流れだした。彼は本能のおもむくままに、夜を徹し日を継いで、歓楽の巷を泳ぎまわった。そして七日目になって、すこしわれにかえったのである。

 チコの食事のことがちょっと気になった。日をくってみると、あの砂糖水はもうそろそろ底になっているはずだった。

「まあ一日ぐらいは、いいだろう」

 そう思って彼はまた遊んだ。

 その日の夕方、彼はなにを思ったか、足を○○刑務病院にむけた。そして熊本博士を訪問したのであった。

 博士は、吹矢があまりに人間臭い人間にかわって応接室に坐っているのを見て愕いた。

「この前の一件は、どうしたですか」

 と、博士はそっとたずねた。

「ああ、生きている腸(はらわた)のことだろう。あれはいずれ発表するよ、いひひひ」

「一件は何日ぐらい動いていましたか」

「あはっ、いずれ発表する、だがね熊本君。腸(はらわた)というやつは感情をあらわすんだね。なにかこう、俺に愛情みたいなものを示すんだ。本当だぜ。まったく愕いた。――時にあれは、なんという囚人の腸(はらわた)なんだ。教えたまえ」

「……」

 博士は返答をしなかった。

 いつもの吹矢だったら、博士が返答をしなかったりすると、頭ごなしにきめつけるのであるが、その日に限り彼はたいへんいい機嫌らしく、頤をなでてにこにこしている。

「それからね、熊本君。ホルモンに関する文献をまとめて、俺にくれんか。――ホルモンといえば、この病院にいた例の美人の交換手はどうした。二十四にもなって、独身で頑張っていたあの娘のことだよ」

 と、吹矢は変にいやらしい笑みをうかべて熊本博士の顔をのぞきこんだ。

「あ、あの娘ですか――」

 博士は、さっと顔色をかえた。

「あの娘なら、もう死にましたよ、盲腸炎でね、だ、だいぶ前のことですよ」

「なあんだ、死んだか。死んだのなら、しようがない」

 吹矢は、とたんにその娘のことに興味を失ったような声をだした。そしてまた来るといって、すたすたと室を出ていった。

 その夜更けの午前一時。

 医学生吹矢隆二は、ようやく八日目に、自宅の前に帰ってきた。

 彼はおもはゆく、入口の錠前に鍵をさした。

(すこし遊びすぎたなあ。生きている腸(はらわた)――そうだチコという名をつけてやったっけ。チコはまだ生きているかしら。なあに死んでもいいや。とにかく世界の医学者に腰をぬかさせるくらいの論文資料は、もう十分に集まっているからなあ)

 彼は、入ロの鍵をはずした。

 そして扉をひらいて中に入った。

 ぷーんと黴くさい匂いが、鼻をうった。それにまじって、なんだか女の体臭のようなものがしたと思った。

(おかしいな)

 室内は真暗だった。

 彼は手さぐりで、壁のスイッチをひねった。

 ぱっと明りがついた。

 彼は眩しそうな眼で、室内を見まわした。

 チコの姿は、テーブルの上にもなかった。

(おや、チコは死んだのか。それとも隙間から往来へ逃げ出したのかしら)

 と思ったが、ふと気がついて、出かけるときにチコのために作っておいた砂糖水のガラス鉢に眼をやった。

 ガラス鉢の中には、砂糖水がまだ半分も残っていた。彼は愕きの声をあげた。

「あれっ、今ごろは砂糖水がもうすっかりからになっていると思ったのに――チコのやつどうしやがったかな」 

 そういった刹那の出来事だった。

 吹矢の目の前に、なにか白いステッキのようなものが奇妙な呻り声をあげてぴゅーっと飛んできた。

「呀(あ)っ!」

 とおもう間もなく、それは吹矢の頸部にまきついた。

「ううっ――」

 吹矢の頸は、猛烈な力をもって、ぎゅっと締めつけられた。彼は虚空をつかんでその場にどっと倒れた。

 医学生吹矢の死体が発見されたのは、それから半年も経ってのちのことであった。一年分ずつ納めることになっている家賃を、大家が催促に来て、それとはじめて知ったのだ。彼の死体はもうすでに白骨に化していた。

 吹矢の死因を知る者は、誰もなかった。

 そしてまた、彼が残した「生ける腸(はらわた)チコ」に関する偉大なる実験についても、また誰も知る者がなかった。

「生ける腸(はらわた)」の実験は、すべて空白になってしまった。

 ただ一人、熊本博士は吹矢に融通した「生ける腸(はらわた)」のことをときおり思いだした。実はあの腸(はらわた)はどの囚人のものでもなかったのである。

「生ける腸(はらわた)」はいったい誰の腹腔から取り出したものであろうか。

 それは○○刑務病院につとめていた二十四歳の処女である交換手のものであった。彼女は盲腸炎で亡くなったが、そのとき執刀したのは熊本博士であったといえば、あとは説明しないでもいいだろう。

 処女の腹腔から切り放された「生きている腸(はらわた)」が医学生吹矢の首にまきついて、彼を殺したことは、彼の死をひそかに喜んでいる熊本博士もしらない。

 いわんや「生ける腸(はらわた)」のチコが、吹矢と同棲百二十日におよび、彼に非常なる愛着をもっていたこと、そして八日目にかえってきた彼の声を開き、嬉しさのあまり吹矢の首にとびつき、不幸にも彼を締め殺してしまった顛末などは、想像もしていないだろう。

 あの「生きている腸(はらわた)」が、まさかそういう女性の腸(はらわた)とは気がつかなかった医学生吹矢隆二こそ、実に気の毒なことをしたものである。

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Posted by 문학관 관리인 위어조자(謂語助者)

아그니의 신(神)

아쿠타가와 류노스케(芥川龍之介)(1921)

일본어 원문


      一


 支那(シナ)の上海(シャンハイ)の或(ある)町です。昼でも薄暗い或家の二階に、人相の悪い印度(インド)人の婆さんが一人、商人らしい一人の亜米利加(アメリカ)人と何か頻(しきり)に話し合っていました。

「実は今度もお婆さんに、占いを頼みに来たのだがね、――」

 亜米利加人はそう言いながら、新しい巻煙草(まきたばこ)へ火をつけました。

「占いですか? 占いは当分見ないことにしましたよ」

 婆さんは嘲(あざけ)るように、じろりと相手の顔を見ました。

「この頃は折角見て上げても、御礼さえ碌(ろく)にしない人が、多くなって来ましたからね」

「そりゃ勿論(もちろん)御礼をするよ」

 亜米利加人は惜しげもなく、三百弗(ドル)の小切手を一枚、婆さんの前へ投げてやりました。

「差当りこれだけ取って置くさ。もしお婆さんの占いが当れば、その時は別に御礼をするから、――」

 婆さんは三百弗の小切手を見ると、急に愛想(あいそ)がよくなりました。

「こんなに沢山頂いては、反(かえ)って御気の毒ですね。――そうして一体又あなたは、何を占ってくれろとおっしゃるんです?」

「私(わたし)が見て貰(もら)いたいのは、――」

 亜米利加人は煙草を啣(くわ)えたなり、狡猾(こうかつ)そうな微笑を浮べました。

「一体日米戦争はいつあるかということなんだ。それさえちゃんとわかっていれば、我々商人は忽(たちま)ちの内に、大金儲(おおがねもう)けが出来るからね」

「じゃ明日(あした)いらっしゃい。それまでに占って置いて上げますから」

「そうか。じゃ間違いのないように、――」

 印度人の婆さんは、得意そうに胸を反(そ)らせました。

「私の占いは五十年来、一度も外(はず)れたことはないのですよ。何しろ私のはアグニの神が、御自身御告げをなさるのですからね」

 亜米利加人が帰ってしまうと、婆さんは次の間(ま)の戸口へ行って、

「恵蓮(えれん)。恵蓮」と呼び立てました。

 その声に応じて出て来たのは、美しい支那人の女の子です。が、何か苦労でもあるのか、この女の子の下(しも)ぶくれの頬(ほお)は、まるで蝋(ろう)のような色をしていました。

「何を愚図々々(ぐずぐず)しているんだえ? ほんとうにお前位、ずうずうしい女はありゃしないよ。きっと又台所で居睡(いねむ)りか何かしていたんだろう?」

 恵蓮はいくら叱(しか)られても、じっと俯向(うつむ)いたまま黙っていました。

「よくお聞きよ。今夜は久しぶりにアグニの神へ、御伺いを立てるんだからね、そのつもりでいるんだよ」

 女の子はまっ黒な婆さんの顔へ、悲しそうな眼を挙(あ)げました。

「今夜ですか?」

「今夜の十二時。好(い)いかえ? 忘れちゃいけないよ」

 印度人の婆さんは、脅(おど)すように指を挙げました。

「又お前がこの間のように、私に世話ばかり焼かせると、今度こそお前の命はないよ。お前なんぞは殺そうと思えば、雛(ひよ)っ仔(こ)の頸(くび)を絞めるより――」

 こう言いかけた婆さんは、急に顔をしかめました。ふと相手に気がついて見ると、恵蓮はいつか窓際(まどぎわ)に行って、丁度明いていた硝子(ガラス)窓から、寂しい往来を眺(なが)めているのです。

「何を見ているんだえ?」

 恵蓮は愈(いよいよ)色を失って、もう一度婆さんの顔を見上げました。

「よし、よし、そう私を莫迦(ばか)にするんなら、まだお前は痛い目に会い足りないんだろう」

 婆さんは眼を怒(いか)らせながら、そこにあった箒(ほうき)をふり上げました。

 丁度その途端です。誰か外へ来たと見えて、戸を叩(たた)く音が、突然荒々しく聞え始めました。


     二


 その日のかれこれ同じ時刻に、この家の外を通りかかった、年の若い一人の日本人があります。それがどう思ったのか、二階の窓から顔を出した支那人の女の子を一目見ると、しばらくは呆気(あっけ)にとられたように、ぼんやり立ちすくんでしまいました。

 そこへ又通りかかったのは、年をとった支那人の人力車夫です。

「おい。おい。あの二階に誰が住んでいるか、お前は知っていないかね?」

 日本人はその人力車夫へ、いきなりこう問いかけました。支那人は楫棒(かじぼう)を握ったまま、高い二階を見上げましたが、「あすこですか? あすこには、何とかいう印度人の婆さんが住んでいます」と、気味悪そうに返事をすると、匆々(そうそう)行きそうにするのです。

「まあ、待ってくれ。そうしてその婆さんは、何を商売にしているんだ?」

「占い者(しゃ)です。が、この近所の噂(うわさ)じゃ、何でも魔法さえ使うそうです。まあ、命が大事だったら、あの婆さんの所なぞへは行かない方が好(よ)いようですよ」

 支那人の車夫が行ってしまってから、日本人は腕を組んで、何か考えているようでしたが、やがて決心でもついたのか、さっさとその家の中へはいって行きました。すると突然聞えて来たのは、婆さんの罵(ののし)る声に交った、支那人の女の子の泣き声です。日本人はその声を聞くが早いか、一股(ひとまた)に二三段ずつ、薄暗い梯子(はしご)を駈(か)け上りました。そうして婆さんの部屋の戸を力一ぱい叩き出しました。

 戸は直ぐに開きました。が、日本人が中へはいって見ると、そこには印度人の婆さんがたった一人立っているばかり、もう支那人の女の子は、次の間へでも隠れたのか、影も形も見当りません。

「何か御用ですか?」

 婆さんはさも疑わしそうに、じろじろ相手の顔を見ました。

「お前さんは占い者だろう?」

 日本人は腕を組んだまま、婆さんの顔を睨(にら)み返しました。

「そうです」

「じゃ私の用なぞは、聞かなくてもわかっているじゃないか? 私も一つお前さんの占いを見て貰いにやって来たんだ」

「何を見て上げるんですえ?」

 婆さんは益(ますます)疑わしそうに、日本人の容子(ようす)を窺(うかが)っていました。

「私の主人の御嬢さんが、去年の春行方(ゆくえ)知れずになった。それを一つ見て貰いたいんだが、――」

 日本人は一句一句、力を入れて言うのです。

「私の主人は香港(ホンコン)の日本領事だ。御嬢さんの名は妙子(たえこ)さんとおっしゃる。私は遠藤という書生だが――どうだね? その御嬢さんはどこにいらっしゃる」

 遠藤はこう言いながら、上衣(うわぎ)の隠しに手を入れると、一挺(ちょう)のピストルを引き出しました。

「この近所にいらっしゃりはしないか? 香港の警察署の調べた所じゃ、御嬢さんを攫(さら)ったのは、印度人らしいということだったが、――隠し立てをすると為(ため)にならんぞ」

 しかし印度人の婆さんは、少しも怖(こわ)がる気色(けしき)が見えません。見えないどころか唇(くちびる)には、反って人を莫迦にしたような微笑さえ浮べているのです。

「お前さんは何を言うんだえ? 私はそんな御嬢さんなんぞは、顔を見たこともありゃしないよ」

「嘘(うそ)をつけ。今その窓から外を見ていたのは、確(たしか)に御嬢さんの妙子さんだ」

 遠藤は片手にピストルを握ったまま、片手に次の間の戸口を指さしました。

「それでもまだ剛情を張るんなら、あすこにいる支那人をつれて来い」

「あれは私の貰い子だよ」

 婆さんはやはり嘲るように、にやにや独(ひと)り笑っているのです。

「貰い子か貰い子でないか、一目見りゃわかることだ。貴様がつれて来なければ、おれがあすこへ行って見る」

 遠藤が次の間へ踏みこもうとすると、咄嗟(とっさ)に印度人の婆さんは、その戸口に立ち塞(ふさ)がりました。

「ここは私の家(うち)だよ。見ず知らずのお前さんなんぞに、奥へはいられてたまるものか」

「退(ど)け。退かないと射殺(うちころ)すぞ」

 遠藤はピストルを挙げました。いや、挙げようとしたのです。が、その拍子に婆さんが、鴉(からす)の啼(な)くような声を立てたかと思うと、まるで電気に打たれたように、ピストルは手から落ちてしまいました。これには勇み立った遠藤も、さすがに胆(きも)をひしがれたのでしょう、ちょいとの間は不思議そうに、あたりを見廻していましたが、忽ち又勇気をとり直すと、

「魔法使め」と罵(ののし)りながら、虎(とら)のように婆さんへ飛びかかりました。

 が、婆さんもさるものです。ひらりと身を躱(かわ)すが早いか、そこにあった箒(ほうき)をとって、又掴(つか)みかかろうとする遠藤の顔へ、床(ゆか)の上の五味(ごみ)を掃きかけました。すると、その五味が皆火花になって、眼といわず、口といわず、ばらばらと遠藤の顔へ焼きつくのです。

 遠藤はとうとうたまり兼ねて、火花の旋風(つむじかぜ)に追われながら、転(ころ)げるように外へ逃げ出しました。


     三


 その夜(よ)の十二時に近い時分、遠藤は独り婆さんの家の前にたたずみながら、二階の硝子窓に映る火影(ほかげ)を口惜(くや)しそうに見つめていました。

「折角御嬢さんの在(あ)りかをつきとめながら、とり戻すことが出来ないのは残念だな。一そ警察へ訴えようか? いや、いや、支那の警察が手ぬるいことは、香港でもう懲り懲りしている。万一今度も逃げられたら、又探すのが一苦労だ。といってあの魔法使には、ピストルさえ役に立たないし、――」

 遠藤がそんなことを考えていると、突然高い二階の窓から、ひらひら落ちて来た紙切れがあります。

「おや、紙切れが落ちて来たが、――もしや御嬢さんの手紙じゃないか?」

 こう呟(つぶや)いた遠藤は、その紙切れを、拾い上げながらそっと隠した懐中電燈を出して、まん円(まる)な光に照らして見ました。すると果して紙切れの上には、妙子が書いたのに違いない、消えそうな鉛筆の跡があります。


「遠藤サン。コノ家(うち)ノオ婆サンハ、恐シイ魔法使デス。時々真夜中ニ私(わたくし)ノ体ヘ、『アグニ』トイウ印度ノ神ヲ乗リ移ラセマス。私ハソノ神ガ乗リ移ッテイル間中、死ンダヨウニナッテイルノデス。デスカラドンナ事ガ起ルカ知リマセンガ、何デモオ婆サンノ話デハ、『アグニ』ノ神ガ私ノ口ヲ借リテ、イロイロ予言ヲスルノダソウデス。今夜モ十二時ニハオ婆サンガ又『アグニ』ノ神ヲ乗リ移ラセマス。イツモダト私ハ知ラズ知ラズ、気ガ遠クナッテシマウノデスガ、今夜ハソウナラナイ内ニ、ワザト魔法ニカカッタ真似(まね)ヲシマス。ソウシテ私ヲオ父様ノ所ヘ返サナイト『アグニ』ノ神ガオ婆サンノ命ヲトルト言ッテヤリマス。オ婆サンハ何ヨリモ『アグニ』ノ神ガ怖(こわ)イノデスカラ、ソレヲ聞ケバキット私ヲ返スダロウト思イマス。ドウカ明日(あした)ノ朝モウ一度、オ婆サンノ所ヘ来テ下サイ。コノ計略ノ外(ほか)ニハオ婆サンノ手カラ、逃ゲ出スミチハアリマセン。サヨウナラ」


 遠藤は手紙を読み終ると、懐中時計を出して見ました。時計は十二時五分前です。

「もうそろそろ時刻になるな、相手はあんな魔法使だし、御嬢さんはまだ子供だから、余程運が好くないと、――」

 遠藤の言葉が終らない内に、もう魔法が始まるのでしょう。今まで明るかった二階の窓は、急にまっ暗になってしまいました。と同時に不思議な香(こう)の匂(におい)が、町の敷石にも滲(し)みる程、どこからか静(しずか)に漂って来ました。


     四


 その時あの印度人の婆さんは、ランプを消した二階の部屋の机に、魔法の書物を拡(ひろ)げながら、頻(しきり)に呪文(じゅもん)を唱えていました。書物は香炉の火の光に、暗い中でも文字だけは、ぼんやり浮き上らせているのです。

 婆さんの前には心配そうな恵蓮が、――いや、支那服を着せられた妙子が、じっと椅子に坐っていました。さっき窓から落した手紙は、無事に遠藤さんの手へはいったであろうか? あの時往来にいた人影は、確に遠藤さんだと思ったが、もしや人違いではなかったであろうか?――そう思うと妙子は、いても立ってもいられないような気がして来ます。しかし今うっかりそんな気(け)ぶりが、婆さんの眼にでも止まったが最後、この恐しい魔法使いの家から、逃げ出そうという計略は、すぐに見破られてしまうでしょう。ですから妙子は一生懸命に、震える両手を組み合せながら、かねてたくんで置いた通り、アグニの神が乗り移ったように、見せかける時の近づくのを今か今かと待っていました。

 婆さんは呪文を唱えてしまうと、今度は妙子をめぐりながら、いろいろな手ぶりをし始めました。或時は前へ立ったまま、両手を左右に挙げて見せたり、又或時は後へ来て、まるで眼かくしでもするように、そっと妙子の額の上へ手をかざしたりするのです。もしこの時部屋の外から、誰か婆さんの容子を見ていたとすれば、それはきっと大きな蝙蝠(こうもり)か何かが、蒼白(あおじろ)い香炉の火の光の中に、飛びまわってでもいるように見えたでしょう。

 その内に妙子はいつものように、だんだん睡気(ねむけ)がきざして来ました。が、ここで睡ってしまっては、折角の計略にかけることも、出来なくなってしまう道理です。そうしてこれが出来なければ、勿論二度とお父さんの所へも、帰れなくなるのに違いありません。

「日本の神々様、どうか私(わたし)が睡らないように、御守りなすって下さいまし。その代り私はもう一度、たとい一目でもお父さんの御顔を見ることが出来たなら、すぐに死んでもよろしゅうございます。日本の神々様、どうかお婆さんを欺(だま)せるように、御力を御貸し下さいまし」

 妙子は何度も心の中に、熱心に祈りを続けました。しかし睡気はおいおいと、強くなって来るばかりです。と同時に妙子の耳には、丁度銅鑼(どら)でも鳴らすような、得体の知れない音楽の声が、かすかに伝わり始めました。これはいつでもアグニの神が、空から降りて来る時に、きっと聞える声なのです。

 もうこうなってはいくら我慢しても、睡らずにいることは出来ません。現に目の前の香炉の火や、印度人の婆さんの姿でさえ、気味の悪い夢が薄れるように、見る見る消え失(う)せてしまうのです。

「アグニの神、アグニの神、どうか私(わたし)の申すことを御聞き入れ下さいまし」

 やがてあの魔法使いが、床の上にひれ伏したまま、嗄(しわが)れた声を挙げた時には、妙子は椅子に坐りながら、殆(ほとん)ど生死も知らないように、いつかもうぐっすり寝入っていました。


     五


 妙子は勿論婆さんも、この魔法を使う所は、誰の眼にも触れないと、思っていたのに違いありません。しかし実際は部屋の外に、もう一人戸の鍵穴(かぎあな)から、覗(のぞ)いている男があったのです。それは一体誰でしょうか?――言うまでもなく、書生の遠藤です。

 遠藤は妙子の手紙を見てから、一時は往来に立ったなり、夜明けを待とうかとも思いました。が、お嬢さんの身の上を思うと、どうしてもじっとしてはいられません。そこでとうとう盗人(ぬすびと)のように、そっと家の中へ忍びこむと、早速この二階の戸口へ来て、さっきから透き見をしていたのです。

 しかし透き見をすると言っても、何しろ鍵穴を覗くのですから、蒼白い香炉の火の光を浴びた、死人のような妙子の顔が、やっと正面に見えるだけです。その外(ほか)は机も、魔法の書物も、床にひれ伏した婆さんの姿も、まるで遠藤の眼にははいりません。しかし嗄(しわが)れた婆さんの声は、手にとるようにはっきり聞えました。

「アグニの神、アグニの神、どうか私の申すことを御聞き入れ下さいまし」

 婆さんがこう言ったと思うと、息もしないように坐っていた妙子は、やはり眼をつぶったまま、突然口を利(き)き始めました。しかもその声がどうしても、妙子のような少女とは思われない、荒々しい男の声なのです。

「いや、おれはお前の願いなぞは聞かない。お前はおれの言いつけに背(そむ)いて、いつも悪事ばかり働いて来た。おれはもう今夜限り、お前を見捨てようと思っている。いや、その上に悪事の罰を下してやろうと思っている」

 婆さんは呆気(あっけ)にとられたのでしょう。暫くは何とも答えずに、喘(あえ)ぐような声ばかり立てていました。が、妙子は婆さんに頓着(とんじゃく)せず、おごそかに話し続けるのです。

「お前は憐(あわ)れな父親の手から、この女の子を盗んで来た。もし命が惜しかったら、明日(あす)とも言わず今夜の内に、早速この女の子を返すが好(よ)い」

 遠藤は鍵穴に眼を当てたまま、婆さんの答を待っていました。すると婆さんは驚きでもするかと思いの外(ほか)、憎々しい笑い声を洩(も)らしながら、急に妙子の前へ突っ立ちました。

「人を莫迦(ばか)にするのも、好(い)い加減におし。お前は私を何だと思っているのだえ。私はまだお前に欺される程、耄碌(もうろく)はしていない心算(つもり)だよ。早速お前を父親へ返せ――警察の御役人じゃあるまいし、アグニの神がそんなことを御言いつけになってたまるものか」

 婆さんはどこからとり出したか、眼をつぶった妙子の顔の先へ、一挺のナイフを突きつけました。

「さあ、正直に白状おし。お前は勿体(もったい)なくもアグニの神の、声色(こわいろ)を使っているのだろう」

 さっきから容子を窺っていても、妙子が実際睡っていることは、勿論遠藤にはわかりません。ですから遠藤はこれを見ると、さては計略が露顕したかと思わず胸を躍(おど)らせました。が、妙子は相変らず目蓋(まぶた)一つ動かさず、嘲笑(あざわら)うように答えるのです。

「お前も死に時が近づいたな。おれの声がお前には人間の声に聞えるのか。おれの声は低くとも、天上に燃える炎の声だ。それがお前にはわからないのか。わからなければ、勝手にするが好(い)い。おれは唯(ただ)お前に尋ねるのだ。すぐにこの女の子を送り返すか、それともおれの言いつけに背くか――」

 婆さんはちょいとためらったようです。が、忽ち勇気をとり直すと、片手にナイフを握りながら、片手に妙子の襟髪(えりがみ)を掴(つか)んで、ずるずる手もとへ引き寄せました。

「この阿魔(あま)め。まだ剛情を張る気だな。よし、よし、それなら約束通り、一思いに命をとってやるぞ」

 婆さんはナイフを振り上げました。もう一分間遅れても、妙子の命はなくなります。遠藤は咄嗟(とっさ)に身を起すと、錠のかかった入口の戸を無理無体に明けようとしました。が、戸は容易に破れません。いくら押しても、叩いても、手の皮が摺(す)り剥(む)けるばかりです。


     六


 その内に部屋の中からは、誰かのわっと叫ぶ声が、突然暗やみに響きました。それから人が床の上へ、倒れる音も聞えたようです。遠藤は殆ど気違いのように、妙子の名前を呼びかけながら、全身の力を肩に集めて、何度も入口の戸へぶつかりました。

 板の裂ける音、錠のはね飛ぶ音、――戸はとうとう破れました。しかし肝腎(かんじん)の部屋の中は、まだ香炉に蒼白い火がめらめら燃えているばかり、人気(ひとけ)のないようにしんとしています。

 遠藤はその光を便りに、怯(お)ず怯ずあたりを見廻しました。

 するとすぐに眼にはいったのは、やはりじっと椅子にかけた、死人のような妙子です。それが何故(なぜ)か遠藤には、頭(かしら)に毫光(ごこう)でもかかっているように、厳(おごそ)かな感じを起させました。

「御嬢さん、御嬢さん」

 遠藤は椅子へ行くと、妙子の耳もとへ口をつけて、一生懸命に叫び立てました。が、妙子は眼をつぶったなり、何とも口を開きません。

「御嬢さん。しっかりおしなさい。遠藤です」

 妙子はやっと夢がさめたように、かすかな眼を開きました。

「遠藤さん?」

「そうです。遠藤です。もう大丈夫ですから、御安心なさい。さあ、早く逃げましょう」

 妙子はまだ夢現(ゆめうつつ)のように、弱々しい声を出しました。

「計略は駄目だったわ。つい私が眠ってしまったものだから、――堪忍(かんにん)して頂戴よ」

「計略が露顕したのは、あなたのせいじゃありませんよ。あなたは私と約束した通り、アグニの神の憑(かか)った真似(まね)をやり了(おお)せたじゃありませんか?――そんなことはどうでも好(い)いことです。さあ、早く御逃げなさい」

 遠藤はもどかしそうに、椅子から妙子を抱き起しました。

「あら、嘘(うそ)。私は眠ってしまったのですもの。どんなことを言ったか、知りはしないわ」

 妙子は遠藤の胸に凭(もた)れながら、呟(つぶや)くようにこう言いました。

「計略は駄目だったわ。とても私は逃げられなくってよ」

「そんなことがあるものですか。私と一しょにいらっしゃい。今度しくじったら大変です」

「だってお婆さんがいるでしょう?」

「お婆さん?」

 遠藤はもう一度、部屋の中を見廻しました。机の上にはさっきの通り、魔法の書物が開いてある、――その下へ仰向(あおむ)きに倒れているのは、あの印度人の婆さんです。婆さんは意外にも自分の胸へ、自分のナイフを突き立てたまま、血だまりの中に死んでいました。

「お婆さんはどうして?」

「死んでいます」

 妙子は遠藤を見上げながら、美しい眉をひそめました。

「私、ちっとも知らなかったわ。お婆さんは遠藤さんが――あなたが殺してしまったの?」

 遠藤は婆さんの屍骸(しがい)から、妙子の顔へ眼をやりました。今夜の計略が失敗したことが、――しかしその為に婆さんも死ねば、妙子も無事に取り返せたことが、――運命の力の不思議なことが、やっと遠藤にもわかったのは、この瞬間だったのです。

「私が殺したのじゃありません。あの婆さんを殺したのは今夜ここへ来たアグニの神です」

 遠藤は妙子を抱(かか)えたまま、おごそかにこう囁(ささや)きました。

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기우(奇遇)

아쿠타가와 류노스케 (芥川龍之介)(1921)

일본어 원문


支那(シナ)へ旅行するそうですね。南ですか? 北ですか?

小説家 南から北へ周(めぐ)るつもりです。

編輯者 準備はもう出来たのですか?

小説家 大抵(たいてい)出来ました。ただ読む筈だった紀行や地誌なぞが、未だに読み切れないのに弱っています。

編輯者 (気がなさそうに)そんな本が何冊もあるのですか?

小説家 存外ありますよ。日本人が書いたのでは、七十八日遊記、支那文明記、支那漫遊記、支那仏教遺物、支那風俗、支那人気質、燕山楚水(えんざんそすい)、蘇浙小観(そせつしょうかん)、北清(ほくしん)見聞録、長江(ちょうこう)十年、観光紀游、征塵録(せいじんろく)、満洲、巴蜀(はしょく)、湖南(こなん)、漢口(かんこう)、支那風韻記(しなふういんき)、支那――

編輯者 それをみんな読んだのですか?

小説家 何、まだ一冊も読まないのです。それから支那人が書いた本では、大清一統志(たいしんいっとうし)、燕都遊覧志(えんとゆうらんし)、長安客話(ちょうあんかくわ)、帝京(ていきょう)――

編輯者 いや、もう本の名は沢山です。

小説家 まだ西洋人が書いた本は、一冊も云わなかったと思いますが、――

編輯者 西洋人の書いた支那の本なぞには、どうせ碌(ろく)な物はないでしょう。それより小説は出発前(まえ)に、きっと書いて貰えるでしょうね。

小説家 (急に悄気(しょげ)る)さあ、とにかくその前には、書き上げるつもりでいるのですが、――

編輯者 一体何時(いつ)出発する予定ですか?

小説家 実は今日(きょう)出発する予定なのです。

編輯者 (驚いたように)今日ですか?

小説家 ええ、五時の急行に乗る筈なのです。

編輯者 するともう出発前には、半時間しかないじゃありませんか?

小説家 まあそう云う勘定(かんじょう)です。

編輯者 (腹を立てたように)では小説はどうなるのですか?

小説家 (いよいよ悄気(しょげ)る)僕もどうなるかと思っているのです。

編輯者 どうもそう無責任では困りますなあ。しかし何しろ半時間ばかりでは、急に書いても貰えないでしょうし、………

小説家 そうですね。ウェデキンドの芝居だと、この半時間ばかりの間(あいだ)にも、不遇の音楽家が飛びこんで来たり、どこかの奥さんが自殺したり、いろいろな事件が起るのですが、――御待ちなさいよ。事によると机の抽斗(ひきだし)に、まだ何か発表しない原稿があるかも知れません。

編輯者 そうすると非常に好都合ですが――

小説家 (机の抽斗を探しながら)論文ではいけないでしょうね。

編輯者 何と云う論文ですか?

小説家 「文芸に及ぼすジャアナリズムの害毒」と云うのです。

編輯者 そんな論文はいけません。

小説家 これはどうですか? まあ、体裁の上では小品(しょうひん)ですが、――

編輯者 「奇遇(きぐう)」と云う題ですね。どんな事を書いたのですか?

小説家 ちょいと読んで見ましょうか? 二十分ばかりかかれば読めますから、――


×          ×          ×


 至順(しじゅん)年間の事である。長江(ちょうこう)に臨んだ古金陵(こきんりょう)の地に、王生(おうせい)と云う青年があった。生れつき才力が豊な上に、容貌(ようぼう)もまた美しい。何でも奇俊(きしゅん)王家郎(おうかろう)と称されたと云うから、その風采(ふうさい)想うべしである。しかも年は二十(はたち)になったが、妻はまだ娶(めと)っていない。家は門地(もんち)も正しいし、親譲りの資産も相当にある。詩酒の風流を恣(ほしいまま)にするには、こんな都合(つごう)の好(い)い身分はない。

 実際また王生は、仲の好(い)い友人の趙生(ちょうせい)と一しょに、自由な生活を送っていた。戯(ぎ)を聴(き)きに行く事もある。博(はく)を打って暮らす事もある。あるいはまた一晩中、秦淮(しんわい)あたりの酒家(しゅか)の卓子(たくし)に、酒を飲み明かすことなぞもある。そう云う時には落着いた王生が、花磁盞(かじさん)を前にうっとりと、どこかの歌の声に聞き入っていると、陽気な趙生は酢蟹(すがに)を肴に、金華酒(きんかしゅ)の満(まん)を引きながら、盛んに妓品(ぎひん)なぞを論じ立てるのである。

 その王生がどう云う訳か、去年の秋以来忘れたように、ばったり痛飲を試みなくなった。いや、痛飲ばかりではない。吃喝嫖賭(きっかつひょうと)の道楽にも、全然遠のいてしまったのである。趙生を始め大勢の友人たちは、勿論この変化を不思議に思った。王生ももう道楽には、飽きたのかも知れないと云うものがある。いや、どこかに可愛い女が、出来たのだろうと云うものもある。が、肝腎(かんじん)の王生自身は、何度その訳を尋ねられても、ただ微笑を洩らすばかりで、何がどうしたとも返事をしない。

 そんな事が一年ほど続いた後(のち)、ある日趙生が久しぶりに、王生の家を訪れると、彼は昨夜(ゆうべ)作ったと云って、元(げんしんたい)の会真詩(かいしんし)三十韻(さんじゅういん)を出して見せた。詩は花やかな対句(ついく)の中に、絶えず嗟嘆(さたん)の意が洩らしてある。恋をしている青年でもなければ、こう云う詩はたとい一行(いちぎょう)でも、書く事が出来ないに違いない。趙生は詩稿を王生に返すと、狡猾(こうかつ)そうにちらりと相手を見ながら、

「君の鶯鶯(おうおう)はどこにいるのだ。」と云った。

「僕の鶯鶯(おうおう)? そんなものがあるものか。」

「嘘をつき給え。論より証拠はその指環じゃないか。」

 なるほど趙生(ちょうせい)が指さした几(つくえ)の上には、紫金碧甸(しこんへきでん)の指環が一つ、読みさした本の上に転がっている。指環の主は勿論男ではない。が、王生(おうせい)はそれを取り上げると、ちょいと顔を暗くしたが、しかし存外平然と、徐(おもむ)ろにこんな話をし出した。

「僕の鶯鶯なぞと云うものはない。が、僕の恋をしている女はある。僕が去年の秋以来、君たちと太白(たいはく)を挙げなくなったのは、確かにその女が出来たからだ。しかしその女と僕との関係は、君たちが想像しているような、ありふれた才子の情事ではない。こう云ったばかりでは何の事だか、勿論君にはのみこめないだろう。いや、のみこめないばかりなら好(い)いが、あるいは万事が嘘のような疑いを抱きたくなるかも知れない。それでは僕も不本意だから、この際君に一切の事情をすっかり打ち明けてしまおうと思う。退屈でもどうか一通り、その女の話を聞いてくれ給え。

「僕は君が知っている通り、松江(しょうこう)に田を持っている。そうして毎年秋になると、一年の年貢(ねんぐ)を取り立てるために、僕自身あそこへ下(くだ)って行く。所がちょうど去年の秋、やはり松江へ下った帰りに、舟が渭塘(いとう)のほとりまで来ると、柳や槐(えんじゅ)に囲まれながら、酒旗(しゅき)を出した家が一軒見える。朱塗りの欄干(らんかん)が画(えが)いたように、折れ曲っている容子(ようす)なぞでは、中々大きな構えらしい。そのまた欄干の続いた外には、紅い芙蓉(ふよう)が何十株(なんじっかぶ)も、川の水に影を落している。僕は喉(のど)が渇(かわ)いていたから、早速その酒旗の出ている家へ、舟をつけろと云いつけたものだ。

「さてそこへ上(あが)って見ると、案(あん)の定(じょう)家も手広ければ、主(あるじ)の翁(おきな)も卑しくない。その上酒は竹葉青(ちくようせい)、肴(さかな)は鱸(すずき)に蟹(かに)と云うのだから、僕の満足は察してくれ給え。実際僕は久しぶりに、旅愁(りょしゅう)も何も忘れながら、陶然(とうぜん)と盃(さかずき)を口にしていた。その内にふと気がつくと、誰(たれ)か一人幕の陰から、時々こちらを覗(のぞ)くものがある。が、僕はそちらを見るが早いか、すぐに幕の後(うしろ)へ隠れてしまう。そうして僕が眼を外(そ)らせば、じっとまたこちらを見つめている。何だか翡翠(ひすい)の簪(かんざし)や金の耳環(みみわ)が幕の間(あいだ)に、ちらめくような気がするが、確かにそうかどうか判然しない。現に一度なぞは玉のような顔が、ちらりとそこに見えたように思う。が、急にふり返ると、やはりただ幕ばかりが、懶(ものう)そうにだらりと下(さが)っている。そんな事を繰(く)り返している内に、僕はだんだん酒を飲むのが、妙につまらなくなって来たから、何枚かの銭(ぜに)を抛(ほう)り出すと、また舟へ帰って来た。

「ところがその晩舟の中に、独りうとうとと眠っていると、僕は夢にもう一度、あの酒旗の出ている家(うち)へ行った。昼来た時には知らなかったが、家(うち)には門が何重(なんじゅう)もある、その門を皆通り抜けた、一番奥まった家(いえ)の後(うしろ)に、小さな綉閣(しゅうかく)が一軒見える。その前には見事な葡萄棚(ぶどうだな)があり、葡萄棚の下には石を畳(たた)んだ、一丈ばかりの泉水がある。僕はその池のほとりへ来た時、水の中の金魚が月の光に、はっきり数えられたのも覚えている。池の左右に植わっているのは、二株(ふたかぶ)とも垂糸檜(すいしかい)に違いない。それからまた墻(しょう)に寄せては、翠柏(すいはく)の屏(へい)が結んである。その下にあるのは天工のように、石を積んだ築山(つきやま)である。築山の草はことごとく金糸線綉(きんしせんしゅうとん)の属(ぞく)ばかりだから、この頃のうそ寒(さむ)にも凋(しお)れていない。窓の間には彫花(ちょうか)の籠(かご)に、緑色の鸚鵡(おうむ)が飼ってある。その鸚鵡が僕を見ると、「今晩は」と云ったのも忘れられない。軒の下には宙に吊(つ)った、小さな木鶴(もっかく)の一双(ひとつが)いが、煙の立つ線香を啣(くわ)えている。窓の中を覗いて見ると、几(つくえ)の上の古銅瓶(こどうへい)に、孔雀(くじゃく)の尾が何本も挿(さ)してある。その側にある筆硯類(ひっけんるい)は、いずれも清楚(せいそ)と云うほかはない。と思うとまた人を待つように、碧玉の簫(しょう)などもかかっている。壁には四幅(しふく)の金花箋(きんかせん)を貼って、その上に詩が題してある。詩体はどうも蘇東坡(そとうば)の四時(しじ)の詞(し)に傚(なら)ったものらしい。書は確かに趙松雪(ちょうしょうせつ)を学んだと思う筆法である。その詩も一々覚えているが、今は披露(ひろう)する必要もあるまい。それより君に聞いて貰いたいのは、そう云う月明りの部屋の中に、たった一人坐っていた、玉人(ぎょくじん)のような女の事だ。僕はその女を見た時ほど、女の美しさを感じた事はない。」

「有美(ゆうび)閨房秀(けいぼうのしゅう) 天人(てんじん)謫降来(たくこうしきたる)かね。」

 趙生(ちょうせい)は微笑しながら、さっき王生(おうせい)が見せた会真詩(かいしんし)の冒頭の二句を口ずさんだ。

「まあ、そんなものだ。」

 話したいと云った癖に、王生はそう答えたぎり、いつまでも口を噤(つぐ)んでいる。趙生はとうとう待兼ねたように、そっと王生の膝を突いた。

「それからどうしたのだ?」

「それから一しょに話をした。」

「話をしてから?」

「女が玉簫(ぎょくしょう)を吹いて聞かせた。曲(きょく)は落梅風(らくばいふう)だったと思うが、――」

「それぎりかい?」

「それがすむとまた話をした。」

「それから?」

「それから急に眼がさめた。眼がさめて見るとさっきの通り、僕は舟の中に眠っている。艙(そう)の外は見渡す限り、茫々とした月夜(つきよ)の水ばかりだ。その時の寂しさは話した所が、天下にわかるものは一人もあるまい。

「それ以来僕の心の中(うち)では、始終あの女の事を思っている。するとまた金陵(きんりょう)へ帰ってからも、不思議に毎晩眠りさえすれば、必ずあの家(うち)が夢に見える。しかも一昨日(おととい)の晩なぞは、僕が女に水晶(すいしょう)の双魚(そうぎょ)の扇墜(せんつい)を贈ったら、女は僕に紫金碧甸(しこんへきでん)の指環を抜いて渡してくれた。と思って眼がさめると、扇墜が見えなくなった代りに、いつか僕の枕もとには、この指環が一つ抜き捨ててある。してみれば女に遇(あ)っているのは、全然夢とばかりも思われない。が、夢でなければ何だと云うと、――僕も答を失してしまう。

「もし仮に夢だとすれば、僕は夢に見るよりほかに、あの家(うち)の娘を見たことはない。いや、娘がいるかどうか、それさえはっきりとは知らずにいる。が、たといその娘が、実際はこの世にいないのにしても、僕が彼女を思う心は、変る時があるとは考えられない。僕は僕の生きている限り、あの池だの葡萄棚(ぶどうだな)だの緑色の鸚鵡(おうむ)だのと一しょに、やはり夢に見る娘の姿を懐しがらずにはいられまいと思う。僕の話と云うのは、これだけなのだ。」

「なるほど、ありふれた才子の情事ではない。」

 趙生(ちょうせい)は半ば憐(あわれ)むように、王生(おうせい)の顔へ眼をやった。

「それでは君はそれ以来、一度もその家(うち)へは行かないのかい。」

「うん。一度も行った事はない。が、もう十日ばかりすると、また松江(しょうこう)へ下(くだ)る事になっている。その時渭塘(いとう)を通ったら、是非あの酒旗(しゅき)の出ている家へ、もう一度舟を寄せて見るつもりだ。」

 それから実際十日ばかりすると、王生は例の通り舟を艤(ぎ)して、川下(かわしも)の松江へ下って行った。そうして彼が帰って来た時には、――趙生を始め大勢の友人たちは、彼と一しょに舟を上(あが)った少女の美しいのに驚かされた。少女は実際部屋の窓に、緑色の鸚鵡(おうむ)を飼いながら、これも去年の秋幕(まく)の陰(かげ)から、そっと隙見(すきみ)をした王生の姿を、絶えず夢に見ていたそうである。

「不思議な事もあればあるものだ。何しろ先方でもいつのまにか、水晶の双魚の扇墜が、枕もとにあったと云うのだから、――」

 趙生はこう遇う人毎(ひとごと)に、王生の話を吹聴(ふいちょう)した。最後にその話が伝わったのは、銭塘(せんとう)の文人瞿祐(くゆう)である。瞿祐はすぐにこの話から、美しい渭塘奇遇記(いとうきぐうき)を書いた。……


×          ×          ×


小説家 どうです、こんな調子では?

編輯者 ロマンティクな所は好(い)いようです。とにかくその小品(しょうひん)を貰う事にしましょう。

小説家 待って下さい。まだ後(あと)が少し残っているのです。ええと、美しい渭塘奇遇記(いとうきぐうき)を書いた。――ここまでですね。


×          ×          ×


 しかし銭塘(せんとう)の瞿祐(くゆう)は勿論、趙生(ちょうせい)なぞの友人たちも、王生(おうせい)夫婦を載(の)せた舟が、渭塘(いとう)の酒家(しゅか)を離れた時、彼が少女と交換した、下(しも)のような会話を知らなかった。

「やっと芝居が無事にすんだね。おれはお前の阿父(おとう)さんに、毎晩お前の夢を見ると云う、小説じみた嘘をつきながら、何度冷々(ひやひや)したかわからないぜ。」

「私(わたし)もそれは心配でしたわ。あなたは金陵(きんりょう)の御友だちにも、やっぱり嘘をおつきなすったの。」

「ああ、やっぱり嘘をついたよ。始めは何とも云わなかったのだが、ふと友達にこの指環(ゆびわ)を見つけられたものだから、やむを得ず阿父さんに話す筈の、夢の話をしてしまったのさ。」

「ではほんとうの事を知っているのは、一人もほかにはない訳ですわね。去年の秋あなたが私の部屋へ、忍んでいらしった事を知っているのは、――」

「私。私。」

 二人は声のした方へ、同時に驚いた眼をやった。そうしてすぐに笑い出した。帆檣(ほばしら)に吊った彫花(ちょうか)の籠には、緑色の鸚鵡(おうむ)が賢そうに、王生と少女とを見下している。…………


×          ×          ×


編輯者 それは蛇足(だそく)です。折角の読者の感興をぶち壊すようなものじゃありませんか? この小品が雑誌に載るのだったら、是非とも末段だけは削(けず)って貰います。

小説家 まだ最後ではないのです。もう少し後(あと)があるのですから、まあ、我慢して聞いて下さい。


×          ×          ×


 しかし銭塘の瞿祐は勿論、幸福に満ちた王生夫婦も、舟が渭塘を離れた時、少女の父母が交換した、下(しも)のような会話を知らなかった。父母は二人とも目(ま)かげをしながら、水際(みずぎわ)の柳や槐(えんじゅ)の陰に、その舟を見送っていたのである。

「お婆さん。」

「お爺さん。」

「まずまず無事に芝居もすむし、こんな目出たい事はないね。」

「ほんとうにこんな目出たい事には、もう二度とは遇(あ)えませんね。ただ私は娘や壻(むこ)の、苦しそうな嘘を聞いているのが、それはそれは苦労でしたよ。お爺さんは何も知らないように、黙っていろと御云いなすったから、一生懸命にすましていましたが、今更(いまさら)あんな嘘をつかなくっても、すぐに一しょにはなれるでしょうに、――」

「まあ、そうやかましく云わずにやれ。娘も壻も極(きま)り悪さに、智慧袋(ちえぶくろ)を絞ってついた嘘だ。その上壻の身になれば、ああでも云わぬと、一人娘は、容易にくれまいと思ったかも知れぬ。お婆さん、お前はどうしたと云うのだ。こんな目出たい婚礼に、泣いてばかりいてはすまないじゃないか?」

「お爺さん。お前さんこそ泣いている癖に……」


×          ×          ×


小説家 もう五六枚でおしまいです。次手(ついで)に残りも読んで見ましょう。

編輯者 いや、もうその先は沢山です。ちょいとその原稿を貸して下さい。あなたに黙って置くと、だんだん作品が悪くなりそうです。今までも中途で切った方が、遥(はるか)に好かったと思いますが、――とにかくこの小品(しょうひん)は貰いますから、そのつもりでいて下さい。

小説家 そこで切られては困るのですが、――

編輯者 おや、もうよほど急がないと、五時の急行には間(ま)に合いませんよ。原稿の事なぞはかまっていずに、早く自動車でも御呼びなさい。

小説家 そうですか。それは大変だ。ではさようなら。何分(なにぶん)よろしく。

編輯者 さようなら、御機嫌好う。



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혈우병(血友病)

고사카이 후보쿠 (小酒井 不木) (1927)

일본어 원문


「たとい間違った信念でもかまいません、その信念を守って、精神を緊張させたならば、その緊張の続くかぎり、生命を保つことが出来ると思います」

 医師の村尾氏は、春の夜の漫談会の席上で、不老長寿法が話題に上(のぼ)ったとき、極めて真面目な顔をして、こう語りはじめました。

「今から十年ほど前、私が現在のところで開業して間もない頃でした。ある夏の日の朝、私は、同じ町内の下山(しもやま)という家から、急病人が出来たから、すぐ来てくれといって招かれました。この家は老婦人と、それにつかえる老婆との二人ぐらしでしたが、主人たる隠居さんを私は一度も見たことがなく、又その家から往診に招かれたこともありませんでした。何でもその隠居さんは非常な高齢で、しかも敬虔(けいけん)なクリスチャンだということでしたから、町内の人たちは、色々な噂をたてましたが、隠居さんは、あまり世間と交際しなかったので、誰もその家の内情を知るものはありませんでした。ところが、今その隠居さんが、急病にかかったからと、召使の老婆が往診を頼みに来ましたので、私は半ば好奇心をもってすぐさま出かけたのであります。

 先方へ行くと、驚いたことに、隠居の老婦人は、奥座敷の坐蒲団(ざぶとん)の上に端然として坐って居ました。けれども、私が一層驚いたのは、隠居さんの風(ふうぼう)です。通常老人の年齢を推量することは困難なものですけれど、私は隠居さんが、九十歳以上にはなって居るだろうと直覚しました。といえば、大てい皆さんにも想像がつくだろうと思いますが、頭髪には一本の黒い毛もなく、顔には深い皺が縦横に刻まれて居て、どことなく一種のすご味がただよい、いわば、神々(こうごう)しいようなところがありました。然(しか)し、私にとっては、はじめて見た顔ですけれど、明かに、はげしい憂いの表情が読まれました。

 ――どうなさいました? どこがお悪いのですか。と、挨拶の後(のち)私はたずねました。

 老婦人は無言のままじっと私の顔をながめました。その眼は異様に輝いて、もし、それが妙齢の女であったならば、恋に燃ゆるとしか思われない光りを帯びて居ましたから、私はぎょッとしたのです。

 ――先生、私はもう、死なねばなりません。とても、先生のお手でも、私の死を防ぐことは出来ぬと思いましたけれど、この年になっても、やはりこの世に未練がありますから、とに角御よびしたので御座います。

 老婦人は、高齢に似ず、はっきりとした口調で語りました。もし、それが秋の夜ででもありましたら、恐らく私は座に堪えぬほど恐怖を感じただろうと思います。

 ――一たい、どうしたというのですか。

 ――御わかりにならぬのも無理はありません。では、どうか一通り、わけを御ききになって下さいませ。実は、私の家には恐ろしい病気の血統(ちすじ)があるので御座います。一口に申しますと、身体のどこかに傷を受けて血が出ますと、普通の人ならば、間もなく血はとまりますのに、私の一家のものは、その血がいつまでもとまらずに、身体の中にあるだけ出てしまって死んで行くという奇病をもって居るので御座います。私の知っております限りでは、祖父も父も叔父も皆同じ病で死にました。又、私の二人の兄も、二十歳前後に、同じ病で死にました。祖父の代から、私の家には男ばかりが生れまして、私には、父方の叔母もなければ、又、姉も妹もありませんでした。二人の兄が死んで、(もうその頃には父もすでに亡き人でしたが)私が一人娘として残ったとき、母は何とかして、私を、その恐ろしい病からのがれしめたいとひそかに切支丹(きりしたん)に帰依(きえ)して、神様にお祈りをしたので御座います。

 私が一人ぼっちになったのは、私の十三の時でした。母は、神様に向って、どうぞ、私が、世の常の女でないようにと祈りました。申すまでもなく、普通の女でありましたならば、二三年のうちに、月のものが初まれば、そのまま血がとまらずに死んで行かねばならぬからであります。傷さえしなければ、死をふせぐことが出来ますけれど、この自然に起こる傷は如何(いかん)ともいたし方がありませんから、ただ、神さまに御すがりするより外はなかったのであります。

 私も、母から、その訳をきかされて心から神さまにおいのりをしました。兄が顔に小さな傷をして、医術の施しようがなく、そこから出る血を灰にすわせて、だんだん蒼ざめて死んで行った姿は、今もまだ私の眼の前にちらつきます。ああ、恐ろしいことです。恐ろしいことです。

 すると、神様は私たちの願いをお叶(かな)え下さって、私は十七歳になっても二十歳になっても月のものを見ませんでした。二十五歳になっても、やはり変りはありませんでしたから、もう母も大丈夫だと安心したことでしょう。その年の夏に私一人をこの世に残して死んで行きました。臨終に至るまで、母は私に向って、決してお前は嫁いではならぬ、嫁げば子を生むときに死んでしまう、下山家は、お前が死ぬと共に断絶する訳だから、せめて百五十歳までお前は生きのびてくれと申しました。

 なにゆえに母が百五十歳までと申したかを私は存じません。とにかく私は母の遺訓をかたく守って、毎日神様に御祈りをして今日に至りました。少しの傷もせぬように、一時の油断もなく暮して来ました。そうして、幸に一度も病気をせず、又、月のものを見ないですんだのであります。私は宝暦×年の今月今日に生れましたから、今日で丁度、満百五十歳になるので御座います。

 こういって老婦人は、さびしそうな薄笑いをにッとうかべながら、じっと私の顔を見つめました。私は再びぎょッとしました。満百五十歳という言葉にももちろん驚きましたが、それよりも気味の悪いのは、老婦人の眼の光りでありました。

 ――ところが、と、隠居さんは続けました。その眼が一層輝いたので、私は何となく身体がぞくぞくして来ました。――今朝、突然、私の月のものを見たので御座います。先生、私の驚きをお察し下さい。私はもう死なねばなりません。けれども先生、どうした訳か、月のものが初まってから、昨日までよりも一層、この世に未練が出来て来ました。私は死にたくないので御座います。先生、どうか、出来ることなら、私を、死ぬことから救って下さいませ。御願いで御座います。

 百五十歳の老婦人はこういって、私のそばに、にじり寄って来ました。いままでのその緊張して居た態度が急に崩れて来ました。私はそのとき、何ともいえぬ不快な感じを起こしましたが、漸(ようや)く冷静な心になっていいました。

 ――決して、御心配なさるにはおよびません。あなたの家に伝わる病気は血友病と名(なづ)けるものでありますが、この病気はその家系のうち、男子のみが罹(かか)って、女子には決して起こらないのです。たといあなたの十五六歳のときに月のものがはじまっても、あなたは決して、それで死ぬことはなかったのです。あなたの信仰なさる神様は、女には月のものがあるからという御つもりで、女を血友病には罹らせぬように工夫して下さったのです。ですから、たとい、今日、月のものがはじまりましても、やがて血は必ずとまります。あなたは、それで、死のうと思ったとて実は死ねないのです。

 私の話しつつある間、老婦人の顔に、一種の獣性を帯(お)んだ表情がうかびましたが、だんだんそれが露骨になって行くのを私は見のがさなかったのです。そうして、私が語り終るなり、あッという間もなく、百五十歳の隠居さんはその皺くちゃの両腕をのばして、私の頸(くび)にいだきつきました。

 あまりのことに私はわれを忘れて老婦人をはげしくつきのけました。

 数秒の後、気がついて見ると、私の前に、老婦人いや、老婦人の死体が、干瓢(かんぴょう)のように見苦しく横たわって居(お)りました。


 こう語って村尾氏は一息つき、ハンカチを取り出して頸筋を拭いてから、更に続けました。

「まったく、思いもよらぬ経験をしましたよ。何のために、老婦人が私にとびかかって来たのか、もとよりわかりませんが、あの恐ろしさは一生涯忘れることが出来ません。老婦人は月経がはじまったといいますけれど、或はほかの病気だったかも知れません。何しろ、百五十歳というのですから。けれども、世の中には、とても想像のつかぬ事実があることを、私たちは否定してならぬと思います。然し、いずれにしても、精神の緊張がゆるむと人間は一たまりもなく崩れるものだということが、これによってはっきりとわかりました。そうして、もし私の言葉が、老婦人の精神の緊張をゆるめたとすれば私が間接にあのお婆さんを殺したことになるかも知れません……」



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피미행자 (被尾行者)

고사카이 후보쿠 (小酒井 不木) (1929)

일본어 원문


 市内電車の隅の方に、熱心に夕刊を読んでいる鳥打帽の男の横顔に目をそそいだ瞬間、梅本清三の心臓は妙な搏(う)ち方をした。

「たしかに俺をつけているんだ」清三は蒼ざめながら考えた。「あれはきょう店へ来た男だ。主人に雇われた探偵にちがいない。主人はあの男に俺の尾行を依頼したんだ」

 清三は貴金属宝石を商う金星堂の店員だった。そうして、今何気ない風を装ってうす暗い灯の下で夕刊を読んでいる男が、今日店を訪ねて、主人と奥の間で密談していたことを清三はよく知っていた。

 密談! それはたしかに密談だった。あの時主人に用事があってドアの外に立った時、中でたしかに自分の名が語られているように聞えた。もとより小声でよくはわからなかったけれど、ドアをあけた時、主客が意味ありげに動かした眼と眼を見て、その推定は強められた。そうして今、この同じ電車の中で彼の姿を見るに及んで、清三はいよいよ主人の雇った探偵に尾行されていることを意識したのである。

「やっぱり、主人は気附いたんだ」

 清三はうつむきながら考えこんだ。彼の頭はその時、自分の犯した罪の追憶で一ぱいになって来た。

 恋人の妙子を喜ばせたさに無理な算段をした結果、友人に借金を作り、それを厳しく催促されて、やむを得ず彼は店の指輪を無断で拝借して質に置いたのである。店の品物の整理係をつとめているので、こんど整理の日が来るまでにお金を作って質屋から請出し、そのままもとにかえして置けばよい、こう単純に考えて暮して来たのだが、それが思いがけなくも、主人に勘附かれたと見える……

「なぜ、あんなことをしたのだろう」

 こうも彼は思って見た。大丈夫発覚はすまいと思った自信が彼を迷わしたのだ。自分はなぜ男らしく、主人に事情を打ちあけてお金を借りなかったのか。

 けれども、恋人のために金がいると話すのは何としても堪え難いところであった。それかといって、主人に知れてしまった今となっては、所詮一度は気まずい思いをせねばならない。その結果、店にいることすら出来なくなるかも知れない。

「だが、主人とても、まだはっきり自分が盗んだとは思うまい。ほかにまだ数人の店員がいるのだから、いっそいつまでも黙って突張ろうか」

 遂にはこんな自暴自棄な考えまで起こった。

 いつの間にか乗客が殖えて、清三と鳥打帽の男との間は遮(さえぎ)られた。清三が恐る恐る首をのばして男の方をながめると、男は相変らず夕刊に耽っていた。

 清三は、今のうちに立ち上った方がよいと思って、次の停留場が来るなり、こそこそと電車を降りた。すると、幸いにも、そこで降りたのは、彼ともう一人、子を負んだ女の人だけだったので、むこうへ走って行く電車を見送りながら、清三はほッと太息(ためいき)をついた。

 今頃探偵はきッと自分のいないことを発見したにちがいない。そうして次の停留場で降りるにちがいない。こう思って彼は急ぎ足で鋪石を踏みならしながら、第一の横町をまがった。するとそれが、いやに人通りの多い町で、馬鹿にあかるく、道行く人がじろじろ彼の顔をながめるように思えたので彼は逃げるように、更にある暗い横町にまがった。いつもならば彼はまっすぐに下宿に帰るのだが、今夜はその勇気がなかった。それに少しも空腹を覚えなかったので、彼はどこかカフェーへでも行って西洋酒を飲もうと決心した。

 ぐるぐると暗い街をいい加減に歩いて、やがて賑かな大通りが先方に見え出したとき、ふと傍に、紫色の硝子にカフェー・オーキッドと白く抜いた軒燈を見た。外観は小さいが、中はテーブルが五六十もあるカフェーで、いつか友だちと来たことがあるので、彼は吸い寄せられるようにドアを押した。

 客はかなりにこんでいたが、都合よく一ばん奥のテーブルがあいていたので、常になくくたびれた気持で清三は投げるように椅子に腰かけた。そうして受持の女給にウイスキーを命じ、ポケットからバットを取り出して見たものの、マッチを摺るのが、いやに恥かしいような気がして躊躇した。

「あら、梅本さんお久しぶりねえ」

 突然、通りかかった一人の女給が声をかけた。見るとそれは、かつて恋人の妙子と共にM会社のタイピストをしていた女である。二三度妙子の下宿であったのだが、まさかカフェーの女給をしていようとは思わなかった。

「やあ」清三はどぎまぎしながら答えた。そうして無理ににこにこしようとしたが、それは、へんに歪んだ顔になっただけであった。

「どうかなすったの? 妙子さんは相変らずお達者?」と、彼女は意味ありげな顔をしていった。

「妙子さんにも随分永らく御無沙汰いたしましたわ。わたし、色々の事情があって、とうとうこんなことを初めるようになりましたの。ここではよし子といっておりますのよ。これから時々来て下さいねえ。またあとでゆっくり話しに来ますわ」

 こういい置いて、彼女は忙しそうに去った。

 重くるしい感じが一しきり清三を占領した。が、女給の持って来たウイスキーをぐっと一息にのむと幾分か心が落ちついて来た。そうして、陽気なジャズの蓄音機をきいているうちに、だんだん愉快になって行った。

 が、その愉快な気持も長く続かなかった。続かないばかりか、折角の酔心地が一時にさめるかと思った。というのは、ふと顔を上げて入口の方を見ると、そこに、電車の中で見た鳥打帽の探偵が友人らしい男と頻(しきり)に話しながら陣取っていたからである。

「いよいよ俺をつけているんだな。それにしてもどうして俺がここへはいったことを知っていたのだろう。たしかに電車からは一しょに下りなかった筈だのに」

 彼は探偵というものが、超人的の力を持っているのではないかと思った。こんなに巧に追跡されては、所詮自分の罪もさらけ出されてしまうだろう。と考えると冷たいものが背筋を走った。

 友人とさもさも呑気そうに話していながらたえず自分の行動を注視しているかと思うと薄気味が悪かった。清三はもう一刻もカフェーにいたたまらなくなったけれど、入口をふさがれているので、いわば身動きも出来ぬ苦境に陥れられたようなものである。

 その時さっきの女給がとおりかかった。

「よし子さん」と、彼は小声で呼びとめた。「実はあそこに僕の厭な人間が来ているんです。ここの家は裏へ抜けられないかしら?」

「抜けられますわ」

「それじゃ奥へ話して僕を出してくれませんか」

「よろしゅう御座います」

 やがて彼は勘定を払って、よし子の案内で勝手場から裏通りへ出た。

 星は罪のない光を発して、秋の夜空を一ぱい埋めていた。清三は用心深くあたりを見まわしたが、探偵らしい影はなかった。彼は泣きたいような気持になって、ひたすらに下宿へ急いだ。明日の日曜日の午後には妙子を訪問する約束になっているのだが、こんなに探偵に監視されては、外出するのが恐ろしかった。

 清三は罪を犯したものの心理をいま、はっきり味わうことが出来た。僅な罪でさえこれであるのに、人殺しでもしたら、どんなに苦しいのか、きっと自分ならば発狂してしまうにちがいないと思った。

 とりとめのない感想に耽りながら、彼は、歩くともなく歩いて、いつの間にか下宿の前に来ていた。彼は立ちどまってあたりを見まわし、そっと入口の格子戸をあけ、あわただしく主婦に挨拶して、走るように二階にあがった。多分もう八時を過ぎているだろうと思ったが時計を見る勇気さえなかった。

「梅本さん、お夕飯は?」階段の下で主婦の声がした。

「いりません」

「お済みになって?」

「まだ」

「まあ、では拵えましょう」

「いえ、いいんです。食べたくないんです」

 いつもならば、机に向って円本の一冊を開くのだが、今夜はとてもそんな気になれなかった。急いで床をとって寝ようとすると、主婦は膳をもってあがって来た。

「もうはや、おやすみになりますの、折角拵えたから、少しでもあがって下さい」こういって彼の前に膳を据えた。そうして自分も坐りながら、暫く躊躇してからいった。

「実は今日のおひるからお留守にあなたのことをききに来た人がありますのよ」

 清三はぎょッとした。「え? それではもしや鳥打帽をかぶった、色の黒い……」

「ええ、よく御存じで御座いますねえ、実は黙っていてくれとの御話でしたけれど、何だかいいお話のように思えましたので」

「何という名だといいました?」

「名刺を貰いましたよ」こういって主婦は袂(たもと)から名刺を取り出した。清三が顫える手で受取って見ると「白木又三郎」という名で、隅には「国際生命保険会社」とその番地電話番号が印刷されてあった。

「どこまで探偵というものは狡猾なものだろう。彼は店を出るなりすぐその足で生命保険会社員となってここへさぐりに来たのだ」

 こう考えてから、彼は思わず叫んだ。

「馬鹿にしてる。生命保険がきいてあきれる」

「え? 名前がちがいますか」主婦は驚いてたずねた。

「いや……それで何をきいて行きましたか」

「あなたの故郷だとか、生立ちだとかでした。もとより私は委しいことは知りませんから、何も申しませんでしたが、ただ本籍だけはいつか書いたものを頂きましたので、それを見せてやりました」

「それだけですか、それから何か僕の品行だとか……」

「いいえ別に。何だか話振(はなしぶり)から察すると、あなたに福運が向いているように思われましたよ」

 福運どころか、どえらい不運だ! と、清三は思った。やがて主婦が、食べて貰えなかった膳をもって去るなり、彼は直に床の中にはいったが、案の如く容易に寝つかれなかった。だんだん背中があたたまって来ると、過去の記憶が絵草紙を繰るようにひろげられた。両親に早く死に別れ、たった一人の叔父に育てられたのだが、その叔父と意見があわず、遂にとび出して数百里も隔った土地で暮すようになるまでの、数々の苦しい経験が次々に思い出されて来た。その後叔父とはぱったり消息を絶って、今はその生死をさえ知らぬのだか、今夜はその叔父さえ何となくなつかしくなって、探偵に尾行される位ならば、いっそ叔父のところへ走って行って暫くかくまって貰おうかとさえ思った。

 二時間!三時間! やっとカルモチンの力で眠りにつき、眼のさめた時は、秋の日光が戸のすき間から洩れていた。いつもならばこの光りをどんなに愛したか知れない。それだのに今日は、その光りが一種の恐ろしさを与えた。そうして頭は、昨日からのことで一ぱいになった。

 彼はしみじみ自分の罪を後悔した。けれども今はもう後悔も及ばなかった。それかといって、どうしてよいか判断がつかなかった。

 愚図々々しているうちに正午近くなった。彼はやっと起き上って昼めしをすまし、さて妙子との約束の時間が迫っても、何となく気が進まなかった。

 けれども、妙子には心配させたくなかった。で、とうとう重たい足を引摺るようにして、家を出たのだが、幸いにして、恐れていた探偵の姿はそのあたりに見とめられなかった。

 半時間ほど電車に乗って目的地で降りたときは、さすがに恋人にあう嬉しさが勝って、重たい気分の中に一道の明るさが過(よぎ)った。

 が、恋人の止宿している家の二三軒手前まで行くと、彼は思わずぎょッとして立ちすくんだ。丁度その当の家から、あの、まごう方なき探偵が、五六歳の子供をつれて出て来たからである。

 清三は本能的に電柱の蔭に身をかくした。探偵は幸いに反対の方向に歩き去ったので彼はほッとした。けれども、それと同時に不安が雲のように湧き起こった。

「どこまで狡猾な男だろう。何気ない風をして、きっと妙子にあって自分のことをきいたのだろう。それにしても子供を連れて来るとは何という巧妙な遣り口だろう。まるで散歩しているように見せかけて、その実熱心に探偵してあるくのだ」

 清三は恐ろしい気がしたので、いっそそのまま引き返そうと思ったが、その時二階の障子があいて妙子のにっこりした顔が招いたので、思わずも引きつけられて、中へはいった。

 清三は、嬉しそうに迎えてくれた妙子の顔を暫く見つめていたが別に何の変った様子も見られなかった。

「妙子さん」彼は遂に堪えられなくなっていった。「今このうちから子供を連れた男の人が出て行ったが、もしや妙子さんにあいに来たのでない?」

「いいえ」と妙子は驚いた様子をした。「何だか下へ御客様があったようだけれど、どんな人だか知らぬわ」

「きっとあわなかった?」

「ええ、なぜそんなことをきくの?」

「それでは、下の小母(おば)さんにきいて来て下さい、今の人は何しに来たといって」

 妙子は怪訝(けげん)そうな顔をしたが、清三の様子が一生懸命だったのですなおに下へ行った。そうして暫くの後戻って来た。

「あの方はある生命保険会社につとめている人で、こちらの親戚ですって。今日は日曜日だから、御子さんを連れて散歩に出かけ、こちらへお寄りになったそうです」

「ちがう、ちがう」と、清三は叫んだ。「まだほかに重大な用事があったんです」

「あら、なぜ……?」

 清三の顔はにわかに血走って来た。

「妙子さん!」

「え?」

「僕は……僕は……」

 彼はもう辛抱し切れなくなって妙子に一切を告白した。

 あくる日彼はいつもより一時間も早く下宿を出た。そうして店で主人の出勤を待ち構えた。彼は妙子から主人に一切を悔悟白状するようすすめられた。「二人が一生懸命になってそのお金を作りましょう」こういわれて彼はすっかり心の荷を下し、ゆうべは安眠して、今朝は上機嫌で出かけたのである。

 やがて主人は、いつものとおりな顔をしてやって来た。

 彼は奥の間へ行って、早速主人に自分の犯した罪を打ちあけた。主人は黙ってきいていたが、その顔には見る見る驚きの色があらわれた。そうして、一通りきき終って、何かいい出そうとすると、丁度その時来客があって、はいって来たのは、外ならぬ探偵であった。

「ああ」と、気軽になった清三は威丈高になっていった。「あなたはきっと僕に御用がおありでしょう」あっけにとられた探偵のうなずくのを尻目にかけて清三は続けた。「けれどもう遅いですよ。あなたはもうこちらの主人の依頼で僕を尾行する必要はなくなりましたよ。僕は今、すっかり主人に白状してしまったのです」

 すると探偵はいった。

「何のことかよくわかりませんが、別にこちらの御主人に依頼されたことも、またあなたを尾行した覚えも御座いません。私は国際生命保険会社の探査部の白木というものです。先日あなたの叔父さんが逝去されて、五千円の保険金を残され、あなたがその受取人になっているのです。そこであなたの捜索にとりかかり遂に一昨日探し出した次第で、こちらへ御伺いしてからなお念のために御留守宅へも行きました。さっきお宿へまいりましたら、はや御出かけになったとのことで、今こちらへ御邪魔したので御座います。どうかこの領収書に署名を願います」

 ポカンとして突立った清三の前に、「探偵」は五千円の小切手と証書とをつきつけた。

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투쟁 (闘争)

고사카이 후보쿠 (小酒井 不木) (1925)

일본어 원문


 K君。

 親切な御見舞の手紙うれしく拝見した。僕は全く途方に暮れてしまった。御葬式やら何やら彼(か)やらで、随分忙(せわ)しかったが、やっと二三日手がすいて、がっかりした気持になって居るところへ君の手紙を受取り、涙ぐましいような感激を覚えた。君の言うとおり、毛利先生を失ったわが法医学教室は闇だ。のみならず、毛利先生を失ったT大学は、げっそり寂しくなった。更に、また毛利先生を失った日本の学界は急に心細くなった。さきに狩尾(かりお)博士を失い、今また毛利先生の訃(ふ)にあうというのは、何たる日本の不幸事であろう。毛利先生と狩尾博士とは、日本精神病学界の双璧であったばかりでなく共に世界的に有名な学者であった。その二人が僅か一ヶ月あまりのうちに相次いで病死されたということは、悲しみてもなお余りあることである。

 K君。君は僕の現在の心持ちを充分察してくれるであろう。何だか僕も先生と同じく肺炎に罹(かゝ)って死にそうな気がしてならぬ。かつて中学時代に父を失ったとき、その当座は自分も死にそうに思ったが、その同じ心持ちを今しみ/″\感ずるのだ。教室へ出勤しても何も手がつかぬ。幸いに面倒な鑑定がないからいゝけれど、若(も)しむずかしい急ぎの鑑定でも命ぜられたら、どんな間違いをしないとも限らない。家に帰ってもたゞぼんやりとして居るだけだ。それで居て、何かやらずに居られないような気分に迫られても居るのだ。若し僕に創作の能力があったら、きっと短篇小説の二つや三つは書き上げたにちがいない。けれども残念ながら、それは僕には不可能事だ。たゞ幸いに手紙ぐらいは書けるから、今晩は君に向って、少し長い手紙を御返事かた/″\書こうと思う。

 君の手紙にも書かれてあるとおり、毛利先生は最近たしかに憂鬱だった。君ばかりでなく、他の友人たちも、それを気づいて、すぐに先生の生前に、僕にたずねた者がある。僕には先生の憂鬱の原因、ことに死の直前一ヶ月あまりの極端な憂鬱の原因はよくわかって居た。けれども、先生が生きて居(お)られる限りはその原因を僕は絶対に人に語らぬつもりだった。けれども、今はもうそれを語ってもよいばかりでなく、また語らずには置けぬ気がするのだ。で、それについてこれから出来るだけ委(くわ)しく書こうと思う。

 それから今一つ、話の序(ついで)に、君が嘸(さぞ)聞きたがっているだろうと思う、例の新聞広告、とだしぬけに言ったのではわかるまいが、今から一ヶ月半ほど前に、都下の主な新聞の三行広告欄へあらわれた不思議な広告

PMbtDK

の種明しをもしようと思う。こう言うと、君は定めし不審に思うだろうが、あの広告は、実は僕が出したものだ。君よ、驚いてはいかぬ。詮索好きの君は、あの当時、よく僕の教室へ来て誰が、何のために出して、どういう意味があるだろうかと、色々推定を行(や)ってきかせてくれたものだ。僕は君に感附かれないように、つとめて知らぬ顔を装って居たのだが、あれこそ、先生の憂鬱の原因と関係があって、その当時は絶対の秘密を要したことだから、僕は自分ながら感心するほど、よく自制したよ。が、今はそれを自由に物語ることが出来るのだ。君も、きっと喜ぶだろうが、僕もうれしい気がする。

 K君。

 君はよく記憶して居るだろう。郊外Mに文化住宅を構えて居た若き実業家北沢栄二の自殺の一件を。一旦自殺として埋葬されたのを、警察の活動によって、未亡人政子(まさこ)とその恋人たる文士緑川順が、他殺の嫌疑で拘引され、死骸の再鑑定をすることになったが、鑑定の結果、やはり自殺と決定されて二人は放免され、事件は比較的平凡に片づいてしまった。あの鑑定は主として僕がやったけれど、実はあの事件の底には、もっと/\奥深いものがかくされて居て、それがやがてあの謎の広告と密接な関係を持って居るのだ。というと、察し深い君は、あの事件がやはり他殺だったのかと思うであろう。そうだ。思い切って言えば、やはり一種の他殺だったのだ。が、それはたしかに普通の場合とは異って居るので、それがあの謎の広告となったのだが、とに角、こういう訳で、毛利先生の憂鬱の原因は、間接に北沢事件だとも言い得るのだ。

 尤もそれは先生の死の直前の極度の憂鬱のことをいうのであって、すでにその以前から、毛利先生は憂鬱だったのだ。僕はちょうど五年間先生に師事したが、最初の四年間先生は文字通り快活で、疲労というものを少しも知らぬ学者だった。五十を越した人と思われぬ黒い髪と、広い額と窪んだ眼と、かたく結んだ唇とは、見るからに聡明な性質を表わして居たが、ことに先生が、法医学的の、又は精神病学的の鑑定を行われる態度は、襟(えり)を正しくせずに居(お)られぬほど厳粛なものだった。それもその筈だ。先生の鑑定の結果は、単に一個人の生命に関係するばかりでなく、社会にも重大な影響を与えるから、いわば人智の限りを尽して携(たずさ)わられたのである。而(しか)も、そうした義務的観念から熱心であったばかりでなく、心からの興味をもって従事されたのである。

 ところが過去一ヶ年ほど、どうした訳か先生は、以前ほど仕事に興味を持たれなくなった。どんな小さな鑑定にも、必ず自分の息を吹きかけねば気の済まなかった先生が、近頃はほとんど我々助手に任せきりだった。任せきりだとはいうものゝ、鑑定書には必ず眼をとおされ、助手の手にあまるような問題には決して労力を惜まれなかったが、どう観察しなおしても、以前ほどの熱はなく、教室でぼんやり時を過されることが度々であった。後進を引き立てるために、わざと手をつけることを差控えるようにせられたのかとも思って見たけれど、決してそうばかりではなかった。というのは、先生の顔にだん/\憂鬱の影がさして来たからである。

 僕ははじめ先生の憂鬱の原因を、何か先生に、世間普通の心のなやみが生じたためではないかと考えたよ。甚(はなは)だ失礼ながら、独身の先生のことだから、恋愛問題にでも直面されたのではないかと思って見た。もちろん今はその邪推を後悔して居るが、とに角、一時はそうとでも考えるより他はなかったのだ。ところが、だん/\観察を深めて行くと、それが全部ではないけれど、一種の倦怠とも見るべき状態だとわかったのだ。どうもこの倦怠という言葉は甚だ坐りが悪いけれど、他によい言葉がないから、致し方なく使用するのだが、いわば、精神活動の一種の弛緩(しかん)状態を意味するのだ。

 生理学を専攻する君に、こんなことを言うのは僭越だが、心臓の血圧の曲線を観察すると、かのトラウベ・ヘーリング氏の弛張(しちょう)がある。心臓は生れてから死ぬまで搏動を続けて居なければならぬから、一対ずつ存在して居る器官、例えば腎臓のように、一方の活動して居る間、他方が休むという訳にいかぬ。それで活動に弛張(しちょう)を来(きた)し、それが所謂(いわゆる)トラウベ・ヘーリング氏の弛張と名づけられて居るが、僕は精神的活動にも同様なことがあり得ると思うのだ。平凡な働きしか出来ぬ脳髄には弛張は目立たぬけれど、精神的活動がはげしければはげしいほど、緊張状態の後に来る弛緩状態が目立って来ると考えるのだ。僕は嘗(かつ)てこの見地のもとに、史上の俊才の伝記を研究したことがある。果して多くの俊才には、精神的活動期の中間に著しいギャップのあることがわかった。古来の伝記学者たちはそのギャップを色々に説明して居るが、要するに、それは生理的に、いわば自然に生ずるものであって、俊才自身が意識してそのギャップを作ったのではないのだ。そうしてその時期にめぐり合せた俊才たちは、きまって憂鬱になるのだ。著しかった精神活動の時期を回顧して、だん/\深い憂鬱に陥(お)ちこんで行くのだ。

 時には肉体的の欠陥がこの弛緩状態を起すことがある。肺結核の初期には却って精神的活動を促すが、後にはやはり弛緩状態を起すらしい。慢性腎臓炎などは弛緩が著しい。そこで僕は先生が何か病気に罹(かゝ)られたのではないかとも思ったことがあるけれど、やはりそうではなく、俊才に生理的に起る憂鬱状態と見るのが至当だったのだ。

 今になって見れば、もっと他の、学者としては最も当然な、且(か)つ最も高尚な悩みもあったのだが、それはむしろ原因ではなくて、単にその時期に併在(へいざい)したと見るのが至当であろう。いずれにしても、毛利先生は、先生自身でもどうにもならぬ、況(いわ)んや僕等の何とも仕ようもない憂鬱に陥ってしまわれたのである。

 ところが、その憂鬱からはからずも脱し得られるような事情が起ったのだ。後から見ればそれが一時的のものであって、毛利先生はその後更にはげしい憂鬱に陥られたが、若し、先生の論敵で、先生と共に、日本精神病学界の双璧といわれて居る狩尾博士が脳溢血で頓死(とんし)されなかったら、あのまゝ従前の活動状態に復帰されたかも知れぬ。そうして、ことによったら、先生の死もこれほど早くには起らなかったかも知れぬ。が、今はもう悔んでも及ばない。又、僕の愚痴をならべて君を退屈させても相済まぬ。で、先生を一時的に憂鬱から救った事情を早く物語ろうと思う。言う迄もなく、それが即ち、北沢事件なのである。

 K君。

 北沢事件は、その当時、新聞に委(くわ)しく報ぜられたから、君も大体は知って居るであろう。三十七歳の実業家北沢栄二は郊外に、文化住宅を建て、夫人政子と二人きりで、全然西洋式に暮して居たのだが、今から二月前の十月下旬のある日、夫人の留守中に書斎でピストル自殺を遂げた。その日夫婦は午後一時に昼食をとり、それから間もなく夫人は買物に出たが、色々手間どって五時半頃に帰ると、良人は書斎の机の前に椅子と共に、床の上に血に染まって死んで居たので、驚いて電話で警察へ報じたのである。

 取調べの結果、机の上には遺書と見るべきものが置かれてあって、他殺らしい形跡が毫(すこし)も認められなかったので、翌日埋葬を許可された。普通ならば火葬にさすべきであるのに、特に埋葬にせしめたのは、遺書と見るべきものが、本人の自作の文章ではなくて、本人の自筆ではあるけれど、先年自殺した青年文学者A氏の「或(ある)旧友へ送る手記」の最初の一節をそのまま引き写したものだったからである。つまり警察では、そこに後日の研究の余地を存(そん)せしめて置いたのだ。

 すると果して約一ヶ月の後、警察へ投書があった。それは「北沢栄二の死因に怪しい点がある」とのみ書かれたハガキであるが、それがため警察がひそかに未亡人を監視(かんし)すると、未亡人は、緑川順という年若き小説家の愛人があるとわかり、愛人の家宅を突然捜索すると、ちょうど北沢が自殺に用いたと同じピストルが発見され、なお当然のことであるが、「遺書」の載って居るA氏の全集もあったから、警察は謀殺の疑いありとして、未亡人と緑川とを拘引し、死骸の再鑑定を僕等の教室へ依頼して来たのだ。

 鑑定の依頼に来たのは、警視庁の福間警部だった。僕等にはお馴染の人である。僕は警部から鑑定の要項と一切の事情とをきゝ取って、発掘して運ばれた死体を受取り、福間警部をかえして毛利先生の部屋をたずねたのだった。その日は今にも雨の降りそうな、変に陰鬱な天気だったせいもあるが、先生の顔には常にないほどの暗い表情が満ちて居た。僕が書類を手にしてはいって行くと、先生は読みかけた雑誌をそのまゝにして顔をあげ、

「また鑑定かね?」と、吐き出すように言われた。

「はあ」

「どんな」

 そこで僕は、福間警部からきいた一切を物語ったが、一年前ならば、眼を輝かして聞かれたであろうに、而(しか)も自殺か他殺かという鑑定の結果によっては二人の生命が左右されるほどの重大な事件であるのに先生はたゞフン、フンといってうなずかれるだけで、悪くいえば、まるで他事(よそごと)を考えて居られるのではないかと思われるような、味気ない態度であった。僕が語り終ると、

「それで、鑑定の事項は?」

「三ヶ条です。第一は胃腸の内容から、死の起った時間を決定すること。第二は現場及び遺書の血痕が自然のものか、又は人工的に按排(あんばい)された形跡があるか否や、第三はピストルが、どれほどの距離で発射されたかと言うのです」

「その遺書をそこに持って居るかね?」

 僕は紙袋に入れられた遺書を取り出して、先生に差出した。それは二つに折られた水色のレター・ペーパーで、外側には数個の血痕が附着し、中側にペンで「或旧友へ送る手記」の最初の一節が書かれてあった。くどいようであるけれども、後の説明のために、その全文を書いて置こう。

 誰もまだ自殺者自身の心理をありのままに書いたものはない。それは自殺者の自尊心や或(あるい)は彼自身に対する心理的興味の不足によるものであろう。僕は君に送る最後の手紙の中に、はっきりこの心理を伝えたいと思っている。尤も僕の自殺する動機は特に君に伝えずとも善(よ)い。レニエは彼の短篇の中に或自殺者を描いている。この短篇の主人公は何のために自殺するかを彼自身も知っていない。君は新聞の三面記事などに生活難とか、病苦とか、或は又精神的苦痛とか、いろいろの自殺の動機を発見するであろう。しかし僕の経験によれば、それは動機の全部ではない。のみならず大抵は動機に至る道程を示しているだけである。自殺者は大抵レニエの描いたように何の為に自殺するかを知らないであろう。それは我々の行為するように複雑な動機を含んでいる。が、少くとも僕の場合は唯(たゞ)ぼんやりした不安である。君は或は僕の言葉を信用することは出来ないであろう。しかし十年間の僕の経験は僕に近い人々の僕に近い境遇にいない限り、僕の言葉は風の中の歌のように消えることを教えている。従って僕は君を咎(とが)めない。……

 先生はそれでも、この文句の全部に眼をとおされたのだった。そうして読み終ってから、

「この筆蹟は本人に間ちがいないのかね?」

と、たずねられた。

「それは間違いないそうです」

 言う迄もなく先生は筆蹟鑑定のオーソリチーだ。以前の先生ならば、こうした変った遺書はきっと興味をひくにちがいないのだが、

「そうか」と答えられたゞけであった。そうして、僕に紙片を返しながら、

「それでは、涌井(わくい)君、君にこの事件の鑑定をしてもらうことにしよう」と、言い放って、再び雑誌の方を向いてしまわれた。

 あとでわかったことだが、毛利先生がその雑誌の方へ心を引かれて居られたのも無理はないのだった。其処(そこ)には、先般学会で先生が大討論をなさった狩尾博士の論文が掲載されて居たからである。ここで序(ついで)に、僕は毛利先生と狩尾博士との関係を述べて置こう。この二人が日本精神病学界の双璧だったことはすでに述べたが、毛利先生を堂上(どうじょう)の人にたとえるならば、狩尾博士は野人であった。すでにその学歴からが、毛利教授は大学出であるのに、狩尾博士は済生学舎(さいせいがくしゃ)を出てすぐ英国に渡って苦学した人だった。そうして狩尾博士はS区に広大な脳病院を経営し、しかも、どし/\新研究を発表した。その風采も毛利先生は謹厳であったのに、狩尾博士は禿頭(とくとう)で、どことなく茶目気があった。

 更にその学説に至っては全然相反の立場にあった。毛利先生はドイツ派を受ついで居られたのに、狩尾博士はイギリス、フランス派を受ついで居た。もとより晩年には二人とも、外国にも匹儔(ひっちゅう)を見ないほどのユニックな学者となって居て、毛利先生は、先生の所謂(いわゆる)「脳質学派」を代表し、狩尾博士は博士の所謂「体液学派」を代表して居た。脳質学派とは人間の精神状態を脳質によって説明するのに反し、体液学派は、体液ことに内分泌液によって説明するのである。

 狩尾博士の体液学派は、内分泌派又は体質派ともよばれるのであって、狩尾博士の主張するところによれば、すべての精神異常は体質によって定(き)まるものであって、而(しか)も体質なるものは目下のところ人力で之(これ)を如何(いかん)ともすることが出来ない。例えば殺人者たる体質を有するものは、必ずある時期の間に殺人を行う。故にその時期に入ったことを観察することが出来たならば、僅かの暗示的刺戟によっても殺人を行わせることが出来るというのである。即ち、一見精神健全と思われる人にも、体質の如何によって恐ろしい犯罪を敢(あえ)てせしめ得るのだというのであって、その刺戟を狩尾博士は、これまでの suggestion と混同されないように incendiarism と名づけたのである。

 この説に対して毛利先生は、精神異常は脳質に変化が起ってはじめてあらわれるのであって、脳質に変化の起らない限り、即ち、精神病的徴候のあらわれない限り、暗示によって殺人を行わせるごときは絶対に出来ぬと主張されたのである。先般の学会でもこの点について激論があった。実をいうとその時毛利先生の旗色が幾分か悪かった。すると、狩尾博士は、

「毛利君如何(いかゞ)です?」と、いかにも皮肉な口調で、幾度も先生に迫ったものだ。けれども、人間に直接実験して見せて貰わないうちは、先生も兜(かぶと)をぬぐことが出来ない。で、結局はやはり、そのまゝになって討論はやんだが、その時の狩尾博士の演説が、雑誌に載って居たので、毛利先生は、鑑定の方よりも、それに余計に気をとられて居(お)られたわけである。

 K君。

 このようにして、北沢事件の再鑑定は僕が引受けることゝなった。僕等の教室では、たとい鑑定の事項が局所的のものでも、必ず全身を精密に解剖することになって居るので、その日直ちに注意深く解剖を行った。その結果、北沢栄二という人は胸腺淋巴(きょうせんりんぱ)体質であることを知った。即ち自殺者に殆んど常に見られる体質だ。それから頭部の銃創と骨折の関係をしらべ、胃腸の内容をしらべたが、その結果、ピストルは右の顳(こめかみ)から約五センチメートルほど離れたところから発射され、死の時間は昼食後一時間乃至二時間後であることをたしかめた。それから僕は北沢家に出張して現場(げんじょう)の模様をしらべ、なお、遺書の上の血痕を検(しら)べたが、人工的に按排(あんばい)された形跡は一つも発見することが出来なかった。

 このうち胃腸の内容検査は、色々の面白い事実を教えてくれた。無論それは事件とは関係のないもので、消化生理の上から見て興味あることだが、とてもその委(くわ)しいことは今書いて居れぬから、他日教室へ来て鑑定書を見てくれたまえ。いずれにしても、僕の鑑定の結果では、他殺と見るべき根拠は何一つ発見されなかったのである。

 あくる日、僕は、毛利先生の部屋をたずねて、解剖の結果その他を逐一報告した。さすがにその時は、熱心に聞いて下さったが、僕の報告を終るなり、先生は、

「それじゃ、自殺と考えても差支(さしつかえ)ないね。若しそれが他殺だったら、たしかに奇蹟だ」と、言われた。

 ところがK君。その奇蹟であることが、皮肉にも、それから一時間の後に起ったのだった。といっては少し言い方が変だが、実は、福間警部がたずねて来て、容疑者の緑川順が、北沢を殺したことを自白したから、毛利先生に警視庁へ来て、緑川を訊問して、その精神鑑定をしてほしいと頼みに来たからである。

 これをきいた毛利先生の態度は急に一変した。先生はその瞬間に以前の毛利先生となられたのである。「他殺だったら、たしかに奇蹟だ」と断定されたほど、他殺説の割りこむ余地のない事情のところへ、他殺を自白したのだから、毛利先生は急に興味をもってみずから、取調べて見ようという気になられたにちがいない。

「福間君。緑川の自白したことを、まだ北沢未亡人には告げないだろうね」

「告げません」

「よし、それではこれからすぐ出かけよう」

 僕等三人はやがて警視庁へ自動車をとばせた。自動車の中で毛利先生は、福間警部に向って、緑川の自白の趣(おもむき)をたずねられた。警部の話したところによると、かねて彼は北沢夫人と恋愛関係をもって居たが、北沢夫人から、北沢がピストルを買ったこと、冗談半分に文学者A氏の遺書の一節をうつして持って居ることをきゝ、自分も同じピストルを買って、夫人に内証に北沢を亡きものにしようと決心し、その日、夫人が買物に出かけた後、ひそかにしのびこんで書斎へ行くと、北沢は椅子に腰かけて食後の微睡(びすい)をして居たので、これ幸いと、うしろにしのび寄り、自分のピストルで射殺し、たおれるのを見すまして、手にそのピストルを握らせ、それから机の抽斗から、北沢のピストルと遺書を取り出し、ピストルはポケットに入れ、遺書は机の上に置いて、再びしのび出たというのであった。

「緑川はどこに住(すま)って居るのかね?」と、毛利先生は警部の説明をきゝ終ってたずねられた。

「北沢家から、四五町へだたったところに小さな文化住宅をかまえ、一人で住んで居るのです」

 警視庁へ着くなり、毛利先生と僕とは一室にはいって、緑川の連れられてくるのを待った。

 やがて福間警部につれられてはいって来たのは二十四五の、顔の長い、髪の毛の房々とした青年だった。毛利先生は何思ったか福間警部を別室に退(しりぞ)かせて、緑川に犯行の模様を語らせた。それは、福間警部が自動車の中で告げたことゝ少しも変らなかった。

「それでは、この机の前で、その時の北沢さんの模様をやって見せて下さい」

 と、毛利先生は立ち上って、自分の腰かけて居た椅子を緑川に与え、室の隅にあった薄縁(うすべり)をもって来て床に敷かれた。

 緑川はおそる/\椅子に腰かけた。

「さあ、眼をつぶって微睡して居る様子をして下さい。僕がその時のあなたの役をつとめます。よろしいか。そら、ドンとピストルを打った。そこで北沢さんはどうしましたか」

「何しろ興奮して居たから、こまかい動作はよく覚えて居りません。たしか、こういう風に立ち上ったと思います。それから、たしか身体を、こう捩(ね)じて、下へたおれ、こう言う風に横(よこた)わりました」

 こう言って一々その動作を示した。

「宜(よろ)しい。恐入りますが、もう一度やって見て下さいませんか」

 更に再び実験が行われた。

「横わった時の姿はそれに変りはありませんか」

「それはたしかに記憶して居ります」

「よろしゅう御座います。元の部屋へお帰り下さい」

 こう言って先生は福間警部をよんで緑川を連れ去らせた。

「涌井君。君は昨日北沢家へ調べに行った時、福間警部に北沢がどんな風に死んだかを演(や)って見せたね」

「はあ」

「そうだろうと思った」

 やがて福間警部が戻って来ると、

「福間君。白状というものは、こちらから教えてさすべきものでないよ。むこうの言うことを黙ってきけばいゝのだ」

「緑川が何か言いましたか」

「いま緑川に実演させたら、君が教えたとおりにやったゞけで本当のことをやらなかったよ。あんな飛び上り方なんて、まったく嘘だ。たゞ、横わってからは本式だった。本人も、飛び上ってから、身体を捩じてたおれるまでは、どうも興奮してよく覚えて居りませんと言いながら、横わった姿だけはっきり覚えて居るんだ。緑川の自白は虚偽だよ」

「それでは何故そんな虚偽の自白をしたのでしょう」

「それは、あとでわかるよ。未亡人をつれて来てくれたまえ」

 間もなく黒い洋装の喪服を着た北沢未亡人が連れられて来た。眼の縁が際立って黒かったので、一層チャーミングに見えたが、さすがに、三十過ぎであることは皮膚のきめにうかゞわれた。

 例によって福間警部が退くと、先生は、

「あなたは、御主人が自殺された日、何時に用たしから御帰りになりましたか」

「五時半頃だったと思います」

「そうではないでしょう。四時か四時半頃だったでしょう」

「いゝえ、たしかに五時……」

「本当のことを言って下さい。こちらには何もかもわかって居るのですから」

「……………………」

「あなたは、四時頃に帰って死骸を発見し、びっくりして緑川さんのところへかけつけ、それから緑川さんをよんで来て、二人でとくと相談して、はじめて警察へ御知らせになったでしょう」

「いえ……」

「だから、緑川さんは、あなたが御主人を殺しなさったにちがいないと思いこみ、あなたをかばうために、今日、自分が殺したのだといって白状されましたよ」

 この言葉に彼女はぶるッと身をふるわせて、

「それは本当で御座いますか。それでは何もかも申し上げます。まったく仰せのとおりで御座います。緑川さんが殺したのでもなく、また私が殺したのでもありません。私が四時に帰ったとき、すでに良人は死んで居りました。そうして私は一時に家を出て、それまで緑川さんのところに居たので御座います」

「よろしい。あなたの今言われたことを真実と認めます」

 こう言って、毛利先生は警部をよんで夫人を連れ去らせた。

「涌井君」と、先生はさすがに喜ばしそうに言われた。「真実(まこと)を知ることは、案外に楽なときもあるね。僕は緑川の実演で、彼が死骸を見せられたにちがいないと推定したのだが、果してそうだった。それにしても、恋は恐ろしいものだ。夫人の罪を救おうとして虚偽の自白をなし、敢て自分を犠牲にしたのだ」

 K君。僕は今更ながら先生の烱眼(けいがん)に驚かざるを得なかった。先生の前には、「虚偽」はつねに頭を下げざるを得ない。

「さあ」と先生は腕を組んで言われた。「これで、二人には罪がないとわかり、北沢は自殺ときまったが、さて、何だかまだ事件は片づいて居ないではないかね」

「はあ」と、返事をしたものの、僕にはさっぱり見当がつかなかった。

 福間警部がはいってくると、先生は訊問の結果を告げ、二人を放免すべきことを主張せられて、そうして最後に、

「昨日(きのう)、僕は立入ってはきかなかったが、一たい北沢事件の今度の再調査は、警察へ来た無名の投書がもとになったというではないかね」

「そうです」

「君は、その投書について調べて見たかね」

「いゝえ、投書はありがちのことですから、別に委しいことは検べませんでした」

「その投書はまだ保存してあるだろうね」

「あります、持って来ましょうか」

 警部は去って、間もなく葉書をもって来た。そこには、「北沢栄二の死因に怪しい点がある」と、ペンで書かれてあったが、僕はそれを見た瞬間、はッと思って、先生の顔を見ると、先生の眼はすでにぎら/\輝いて居た。

「涌井君。遺書を出したまえ」先生は遺書と投書の筆蹟を見くらべられたが、「この遺書と投書とは、同じ日に、同じペンとインキで、同じ人によって書かれたものだ※[#感嘆符三つ、184-1]」

 K君。

 その瞬間、僕は、たしかに一種の鬼気というべきものに襲われたよ。福間警部も、あまりの驚きで暫らくは言葉が出ないらしかった。

「福間君。御苦労だが、もう一度北沢夫人を連れて来て下さらぬか」

 警部が去るなり、僕は言った。

「先生、それでは、北沢氏自身が、二人を罪に陥れるために、そのような奸計(かんけい)をめぐらしたのでしょうか」

「それならばもっと他殺らしい証拠を作って然るべきだ」

「他殺らしい証拠を作っては却って観破される虞(おそれ)があるから、投書の方だけを誰か腹心の人に預けて置いて、あとで投函してもらったのではないでしょうか。現に、遺書を自作にしなかったのも、やはり、深くたくんだ上のことではないでしょうか」

「そうかも知れない。けれど、北沢という人が、果してそういうことの出来得る人かしら。とに角、夫人にきいて見なければわからない」

 夫人が連れられて来ると、先生は、遺書を示して、それが果して御主人の筆蹟であるかどうかをたずねられた。

 夫人は肯定した。すると、福間警部も、北沢の他の筆蹟と較べたことを告げ、なお証拠として持って来てあった二三の筆蹟を取り出して来て示した。

 先生は熱心に研究されたが、もはや、疑うべき余地はなかった。遺書も投書も、北沢その人が同時に書いたものである。

「この遺書を御主人が書かれたのは、いつ頃のことですか」

「たしか、死ぬ二十日程前だったと思います」

「どこで書かれましたか」

「それは存じませんが、ある晩私にそれを見せて、もうこれで、遺書(かきおき)が出来たから、いつ死んでもよいと、冗談を申して居りました」

「すると、自殺をなさるような様子はなかったのですか」

「少しもありませんでした。平素比較的快活な方でしたから、まさかと思って居りました」

「ピストルはいつ御買いになりました」

「その同じ頃だと思います。強盗が出没して物騒だからといって買いました」

「御主人は平素(ふだん)巫山戯(ふざけ)たことを好んでなさいましたか」

「何しろわがまゝに育った人で、たまには巫山戯たことも致しましたが、時にはむやみにはしゃぐかと思えば、時にはむっつりとして二三日口を利かぬこともありました」

「御主人には、親しい友人はありませんでしたか」

「なかったと思います。元来お友達を作ることが嫌いで御座いまして、自分の関係して居る会社へもめったに顔出し致しませんでした。たゞM――クラブへだけはよく出かけました」

「M――クラブというと?」

「英国のロンドンに居たことのある人たちが集って組織して居る英国式のクラブで、丸の内に御座います」

 これで毛利先生は訊問を打ちきって、未亡人を去らせ、

「いくらたずねて行っても、わかるものでない」と、呟くように言われた。

「それでは、投書の主をたずね出して見ましょうか」と、福間警部が言った。

「いま、たずね出したところが、自殺説が変るわけのものではないし、又、むこうから名乗って出ない限りはたずね出せるものでもなかろう。とに角、これで事件は片づいたよ」

 K君。

 かくて北沢事件はとに角片づいた。それは新聞で君も御承知のとおりだ。けれども片づかぬのは先生の心だった。再び従前の活動状態に戻られた先生としては、事件の底の底までつきとめねばやまれる筈がない。「むこうから名乗って出ない限りはたずね出せるものでもなかろう」と言われたものゝそれは警察に向っての言葉であって、先生にはすでにその時、たずね出せる自信があったに違いない。それのみならず先生は、その事件の真相を警察に知らせては面白くないとさえ直感されたらしい。

 警視庁を去るとき、

「この遺書と投書を暫らく貸してもらいたい。少し研究して見たいから」

 と言って、先生はその二品を持って教室へ帰られたが、やがて僕を教授室に呼んで、

「涌井君、君はどう考える」と、だしぬけに質問された。

 僕が何と答えてよいか返事に迷って居ると、毛利先生は説明するように、

「単に警察に投書があったというだけなら、無論詮索する必要はないのだ。又、たとい、死んだ本人の自筆の投書であっても、これまたさほど珍らしがらなくてもよいことだ。世の中には随分悪戯気(ふざけ)の多い人もあるから、大に警察を騒がせて、草葉の蔭から笑ってやろうと計画する場合もあるだろう。また、遺書が自作の文章でなくて、他人の引き写しであってもこれも、別に深入りして詮索するに及ばぬことだ。こうした例はこれまでにもなか/\沢山あった。ところがこの二箇の、詮索を要せぬ事情が合併すると、そこに、はじめて詮索に価する事情が起って来るのだ。この場合自殺者が、遺書と投書とを同じ時に書いたということは、少くともある目的、而(しか)も、たった一つの目的のために書かれたことになる。従って、その目的を詮索する必要が起って来るのだ」

「その目的はやはり、夫人と愛人とを罪に陥れるためではなかったでしょうか」

「それならば、もっと他殺らしい証拠を造って然るべきだ」

「それでは、単なる人騒がせのための悪戯でしょうか」

「悪戯としては考え過ぎてある。現にこの投書は、今少しのことで捨てられてしまうところだった。この投書を見なかったならば、僕もこのように興味を持たない筈だ」

 K君。まったく僕にはわからなくなってしまった。そうして、毛利先生にも、その時はまだ少しもわかっては居なかったのだ。

「この謎はとても短時間には解けぬよ。君はもう帰ってもよい。僕はこれからこの二品を十分研究して見ようと思う」

 K君。

 かくて僕は、可なりに疲労して家に帰ったが、先生から与えられた謎が頭にこびりついて、その夜はなか/\眠れなかった。僕は色々に考えて見た。はては文学者A氏の全集を繙(ひもと)き、その遺書の第一節の文章なり意味なりから、何か解決の手がかりは得られないかと詮索して見たが、結局何も得るところはなかった。

 あくる日、睡眠不足の眼をこすりながら、教室へ行くと、先生はすでに教授室に居られた。その顔を見たとき、先生が徹夜して研究されたことを直感した。

「涌井君、遂に問題は解けたよ」

 僕の顔を見るなり、先生はいきなり声をかけられたが、いつもの問題の解けた時のような、うれしさがあらわれて居なかったから、何か先生にとっては不愉快な解決だなと思った。

「解けましたか」

 そう言ったきり、僕は次の言葉に窮した。「それは愉快です」とは、どうしても言えなかったのだ。すると先生は、机の上にあった小さな紙片をとり上げて、

「之がその解決だよ」と言って渡された。見ると其処(そこ)には、

PMbtDK

と書かれてあった。

「君、甚(はなは)だ御苦労をかけるが、それを都下のおもだった新聞に、あまり目立たないように広告してくれたまえ」

 僕は面喰った。

「これは暗号で御座いますか」

「理由(わけ)は君が帰ってから話す」

 僕はそのまゝ黙って引きさがり、それから各新聞社をまわって広告を依頼し、教室へ帰ったのは午後一時ごろだった。道々僕は、先生の渡された暗号――無論僕ははじめそれを暗号だと思った――を、色々に考えて解こうとしたが、まるで雲をつかむようだった。又、何のために、先生が新聞などへ広告を出されるのか、そうして、これが一たい北沢事件と、どう関係があるのか、ちっともわからなかった。だから、教室へ帰ったときは、早く先生から説明がきゝたくて、僕はいわば好奇心そのものであった。

 教授室に入ると、先生は立ち上って、入口の方へ歩いて行き、扉(ドア)の鍵孔に鍵を差しこんでまわされた。

「あまり大きな声で話してはならぬのだよ」こう言って再び机の前えに腰をおろし、「さて涌井君、君はニーチェを読んだことがあるか」と、だしぬけに質問された。

「はあ。以前に読んだことがありましたけれど……」と、僕がしどもどしながら答えると、先生は遮(さえぎ)って、

「無理もない。今どきニーチェなどを語るのは物笑いの種かも知れぬが、若(も)しそれが天才の仕事であるならば、たとい非人道的であっても、君は許す気にはならぬかね」

「さあ、そうですね……」

「いきなり、こう言っては君も返答に迷うであろうが、近頃はよく民衆の力ということが叫ばれて居るけれど、少くとも科学の領域に於ては、幾万の平凡人も、一人の天才に及ばぬことを君は認めるであろう」

「認めます」

「そうして、科学なるものが、人間の福利を増進するものである以上、科学的天才の仕事が非人道的であっても、君はそれを許す気にならないか」

 誠に大問題である。

「もっとよく考えて見なくてはわかりませんが……」

「その肯定が出来なくては、君に先刻(さっき)の約束どおり、説明を行うことが出来ぬ」

 それでは大変だ。是非、北沢事件の解決をきかねばならぬ。

「許してもよいような気がします」

「よし、そんなら説明に取りかゝろう」と、案外先生は楽に話しかけて下さった。「ゆうべ僕は、この二枚の紙片をにらんで、とうとう徹夜してしまった。だん/\推理を重ねていった後、比較的早く事件の底にかくされた秘密を知ったけれど、その確証をにぎるのに随分苦心した。

「僕は昨日君がかえってから、この二つの品即ち遺書と投書を、机の上にならべて、如何なる順序で研究すべきかを考えた。その結果、最初は先ず、心を白紙状態に還元して、果してこの二つの筆者が北沢その人であるかどうかを研究した。けれども、もはやそれには疑いの余地がなかった。いろ/\北沢の他の筆蹟とくらべて見たが、絶対に他の人であり得ないことがわかった。

「然らば、北沢は何故にかゝる計画を行ったか、何の目的でやったことかを次に研究した。これこそ謎の中心点で、すでに君と話し合っても見たが、遂に昨日は解決が出来なくて別れてしまった大問題だ。昨日も言ったとおり、遺書と投書と別々にしては、色々の目的が考えられるけれど、二つを合せるとたった一つの目的しか考えられなくなるのだ。従ってそのたった一つの目的をさがし出せば凡(すべ)ての事情が氷解するのだが、何がさて、たったこの二つきりの品によって解決しようとするのだから、なか/\困難だった。

「北沢が何人(だれ)に投書を依頼したかはわからぬが、とに角、投書は北沢の計画したとおりに投ぜられたにちがいない。ロマンチックな君は、きっと、北沢の投書の依頼を受けた人が誰であるかを知りたく思うであろう。その人を捜し出して、その人から北沢の真意をきゝ度(た)く思うであろう。無論あの投書が、偶然に無関係な人の手に入ったとは考えられないから、たしかに北沢に依頼された人がある筈だ。そうしてその人は、現にどこかで、警察や僕等の騒ぎを頬笑みながら覗(うかが)って居るにちがいない。それを思うと、君は腹立たしい気になるかも知れぬが、僕は然し、北沢が投書を依頼したという人には毫(すこし)も興味を感じなかったのだ。それよりも北沢の唯一(ゆいつ)の目的が知りたくてならなかった。

「而(しか)もその目的は、決して単なる人騒がせのためではない。何となれば、若し単なる人騒がせが目的だったら、もっと簡単な、そうしてもっと効果的な方法がある筈だ。だから北沢にはもっと厳粛な一つの目的があらねばならなかったのだ。

「ところが、そのような大切な目的を果すためには北沢の計画はすこぶるあやふやなものだった。それは昨日も言ったごとく、若し僕が注意しなければ、投書はあやうく捨てられてしまうところだった。自殺を敢てしてまで果そうとする大切な目的を遂行するにしては、随分乱暴な計画であって、それは到底手ぬかりなどゝ言ってはすまされないことである。

「して見ると、この投書の危険も予(あらかじ)め計画のうちに入れられてあったと考えねばならない。すると北沢は、その投書が当然僕の目に触れることを予定して居たと考えねばならない。いゝかね、涌井君、いまこうして話してしまえば何でもないようであるが、僕がこの推理に達するまでには、可なりの時間を費したのだ。

「遺書に自作の文章を書かなかったのは、警察に埋葬の許可しか与えさせぬ計画だった。これは疑うべき余地はないが、投書を警察へ送れば再鑑定が行われ、当然、僕が、その投書と遺書が同(おなじ)一人(ひとり)によって同一の時に書かれたことを発見するということも、今は疑うべくもない、予定の計画だったのだ。

「即ち北沢は、僕が投書と遺書の同一筆蹟なるところから興味をもって研究に携(たずさ)わり、その結果、その目的が何であるかを発見するに大に苦しむということもやはり、予定して居たのだ。涌井君、君は定めしこの言葉を奇怪に思うであろうが、投書が僕の手に入ることを確信した北沢のことであるからそれくらいのことを予定するのは何でもないのだ。つまり、一切の事情は、北沢の計画どおりに運んだ訳なのだ。換言すれば、北沢はすでにその目的を果したことになるのだ。

「いゝかね。僕が一生懸命になって詮索した北沢の目的は、僕に北沢の目的を詮索させることにあったのだ。

「然らば次に起る問題は、何故に北沢が、それだけの簡単な目的のために自己の生命までも奪ったかと言うことだ。北沢という人は、今回の事件ではじめて僕に交渉をもったゞけで、少くとも生前にはあかの他人であった。その人が、そのようなことをするとは、あり得ないことだ。

「その、あり得ないことがあるについては、そこに、それを正当に説明し得る理由がなくてはならない。そうしてそれを説明し得る唯一の理由は、北沢自身が、少しもそれを知らないということでなくてはならない。つまり北沢自身投書と遺書とを書いた目的を少しも知らなかったというより他にないのだ。

「しかも、投書と遺書とは北沢自身の筆蹟である。して見れば、この二つを北沢は無意識の状態で書いたにちがいない。然るに遺書は生前すでに夫人に示したくらいであるから、北沢自身は書いたことを意識して居た筈である。すると北沢は無意識に書いて置きながら、意識して書いたように思って居たと考えねばならぬのだ。

「涌井君。無意識で書いて、それを意識して書いたように思うのは、催眠状態に於て書かされ、あとでそれを意識して書いたつもりになるよう暗示された時に限るのだ。して見ると、北沢は、ある人のために無意識に書かされ、そうして暗示を与えられたと考えねばならなくなった。

「こうして、僕の推理の中にはじめて第三者がはいって来たよ。つまり、北沢事件に、今迄ちっとも顔を出さなかった人が顔を出すに至ったのだ。そうして、その第三者こそ僕に北沢の投書と遺書とを詮索させようとしたのであって、その人が、今まで北沢が行(や)ったとして話して来た計画をこと/″\く立てたわけである。そうして、北沢自身はそれについて少しも知らなかったのだ。

「涌井君。その第三者とはそも/\誰だろう。先ず他人の遺書の文句をうつした遺書を書かせて、死骸を埋葬させ、然る後、同一筆蹟の投書を警察へ送って再鑑定を行わせ、自殺であることを確証せしめて、たゞ僕のみがその投書を見て事件の謎をつきとめるために努力することを予想して居た人は誰であろうか。何のためにその人は僕に徹夜せしめるような苦心をさせたか。

「涌井君。君はもう、それが誰であるかをおぼろげながら察し得たであろう。けれども、その人であると断定すべき証拠が一たい何処にあるのか、その時僕は考えたのだ。これほどまでの計画を立てる人のことであるから、必ずその証拠となるべきものが、どこかにこしらえてあるにちがいないと想像したのだ。而(しか)も、恐らくは、この投書と遺書の二つの中にその証拠がかくされてあろうと思ったのだ。

「そこで僕はあらためて二つの品を検査しはじめたのだ。たとえば投書の文句が解式(キイ)となって、遺書の方から何かの文句が出て来るのではあるまいかというようなことも考えて見たのだが、そのような形跡はなかった。そこでこんどは遺書の文句即ちA氏の手記の第一節の文句の中に何かの意味が含ませてあるのではないかと、色々研究して見たが、そうでもなかった。ところがやっと暁方(あけがた)に至って、とうとう、遺書の中から、確実な証拠を握るに至ったよ。

「涌井君。君はよく記憶して居るだろう。先般の学会に、僕と狩尾君とが激論したことを。その時、たしかに僕は受太刀だった。すると狩尾君は『毛利君如何です』と皮肉な口調で僕に肉迫して来た。その時、僕は『人間について直接実験を行わない限り、君の説に服することは出来ぬ』と言って討論を終った。そうして僕は、その後人間に関する研究は、畢竟(ひっきょう)人間実験を行うのでなくては徹底的でないと考え、それが不可能事であることを思って、前からの憂鬱が一層はげしくなったのだ。

「ところが、狩尾君は遂にその人間実験を敢てしたのだ。北沢は君の解剖によると胸腺淋巴体質であったから、狩尾君は彼が、そのうちの自殺型に属して居ることを知り、而も狩尾君の所謂(いわゆる)、『特別の時期』にはいって居たのであろう。それを知った狩尾君はその所謂 incendiarism を行って、北沢を自殺せしめ、もって、僕にその説のたゞしいことを示したのだ。

「北沢が自殺する以前には、少しも自殺しやしないかという虞(おそれ)のある徴候はなかった筈だ。若しあるならば、ピストルを買ったり、遺書を書いたりしたので、夫人は警戒せねばならない。して見ると毫(すこし)も精神異常の徴候はあらわれて居らなかったのであって、そのような時機にはたとい暗示を与えても自殺をせぬというのが僕の説なのだ。ところがそれを狩尾君は人間実験で破ったのだ。そうして、それを僕にさとらしめるために、遺書と投書の計画をたてたのだ。

「未亡人の話によると、北沢はM――クラブへよく行ったということであるが、ロンドンを第二の故郷とする狩尾君がそのメムバーであることは推定するに難くない。恐らく狩尾君はそこで自分にとってもあかの他人である北沢を観察し、催眠状態のもとにA氏の手記をディクテートし、なお投書の文句を書かせて、それだけは自分で保存して置いたのであろう。ピストルを買わせたのも狩尾君かも知れぬ。そうして、みごとに自説を証明し、併せてそれを僕に示そうとする目的を達したのだ。勿論、その遺書や投書やピストルが、incendiarism の役をつとめたことはいう迄もなく、北沢事件そのものは、実に天才的科学者の行った人間実験に外ならぬのだ」

 こゝまで語って先生は、ほッと一息つかれた。僕は先生の推理のあざやかさに、いわば陶然として耳を傾けて居たが、最後のところに至って、ひやりとしたものが背筋を走った。

「それでは先生、たとい直接手を下されずとも、北沢は狩尾博士が……」

 先生は、手真似で「静かに!」と警告された。「だから、はじめに君にことわってあるではないか。狩尾君は天才だよ。到底僕の及びもつかぬ段ちがいの天才だよ。こうして思い切った実験は、アカデミックな考え方にとらわれて居る僕等の金輪際為し得ざるところだ。それは世間普通の考え方から言えば、悪い意味にもとれるが、とに角、科学によって自然を征服して行こうとするには、これくらいのことを平気でやってのけねばなるまい。

「いや、このことについては、これ以上深入りしては論ずまい。それを論ずべく、僕はあまりにつかれて居る。だから、最後に、僕が遺書の中から発見したという証拠について語って置こう。

「見たまえ。この遺書の文字はすこぶる綺麗に書かれてあるが、よく見ると、ところ/″\に、棒なり点なりの二重な、即ち一度書いた上をまた一度とめた文字があることに気づくだろう。僕はそこに目をつけて、その文字を拾って見たのだ。即ち、

……書いたものはない。……の……も

……よるものであろう。……の……う

……はっきりこの……………の……り

……特に君に伝えず…………の……君

……描いている。……………の……い

……自殺するかを……………の……か

……が、少くとも……………の……が

……不安である。……………の……で

……信用することは…………の……す

の九字で、これを合わせて読むと、「もうり君いかゞです」となる。この言葉を発するのは、狩尾君より他にないではないか。

「そこで僕は、その狩尾君の呼びかけの言葉に対して、返事を書いたのだ。それが、君を煩わした、新聞広告の文字なのだ。PMbtDKとは、別に暗号でも何でもなく、

Prof. Mohri bows to Dr. Kario.

の最初の一字ずつをとったのだ。無論狩尾君の眼にふれゝば、すぐその意味を知ってくれるだろう。僕としては、これが、今の僕の心の全部だ」

 K君。これで北沢事件は真の解決を得たのだ。

 このことがあってから、毛利先生は、ずっとその快活な状態を続けて居られたが、それから二週間たゝぬうちに、突然狩尾博士の脳溢血による頓死が伝わると、先生は以前にまさる憂鬱に陥ってしまわれた。

 学者がその論敵即ち闘争の対象を失うほど寂しいことはない。多分先生の憂鬱もそのためであったと思うが、それは実に極端な憂鬱であった。そうして遂に肺炎にかゝって、狩尾博士のあとを追ってしまわれた。

 かくて、日本は、得がたき俊才を一度に二人失ったのだ。こうした花々しい闘争がいつになったら再び行われるか、いつになったら精神病学が、再びこのように進められて行くかと思うと心細くてならぬ。今この事件を書き終ってふりかえって見ると、それが幾世紀も昔の出来事のような気さえする。K君、健在なれ!


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죽음의 키스 (死の接吻)

고사카이 후보쿠 (小酒井 不木) (1926)

일본어 원문



 その年の暑さは格別であった。ある者は六十年来の暑さだといい、ある者は六百年来の暑さだと言った。でも、誰も六万年来の暑さだとは言わなかった。中央気象台の報告によると、ある日の最高温度は華氏(かし)百二十度であった。摂氏(せっし)でなくて幸福である。「中央気象台の天気予報は決して信用出来ぬが、寒暖計の度数ぐらいは信用してもよいだろう」と、信天翁(あほうどり)の生殖器を研究して居る貧乏な某大学教授が皮肉を言ったという事である。

 東京市民は、耳かくしの女もくるめて、だいぶ閉口したらしかった。熱射病に罹(かか)って死ぬものが日に三十人を越した。一日に四十人ぐらい人口が減じたとて大日本帝国はびくともせぬが、人々は頗(すこぶ)る気味を悪がった。何しろ、雨が少しも降らなかったので、水道が一番先に小咳(こぜき)をしかけた。日本人は一時的の設備しかしない流儀であって、こういう例外な暑い時節を考慮のうちに入れないで水道が設計されたのであるから、それは当然のことであった。そこで水が非常に貴重なものとなった。それは然(しか)し、某大新聞が生水宣伝をしたためばかりではなかった。氷の値が鰻上りに上った。N製氷会社の社長は、喜びのあまり脳溢血を起して即死した。然し製氷会社社長が死んだぐらいで、暑さは減じなかった。

 人間は例外の現象に遭遇すると、何かそれが不吉なことの起る前兆ででもあるかのように考えるのが常である。だから、今年のこの暑さに就(つい)て、論語しか知らない某実業家は、生殖腺ホルモンの注射を受けながら、「日本人の長夜(ちょうや)の夢を覚醒させるために、天が警告を発したのだ」という、少しも意味をなさぬことを新聞記者に物語り、自分は自動車で毎晩妾(めかけ)の家を訪ねて、短夜の夢を貪った。由井正雪が生きて居たならば、品川沖へ海軍飛行機で乗り出し、八木節でもうたって雨乞をするかも知れぬが、今時の人間は、なるべく楽をして金を儲けたいという輩(やから)ばかりで、他人のためになるようなことはつとめて避けようとする殊勝な心を持って居るから、誰も雨乞いなどに手出しをするものがなかった。従って雨は依然として降らず、人間の血液は甚(はなは)だ濃厚粘稠(ねんちゅう)になり、喧嘩や殺人の数が激増した。犯罪を無くするには人間の血液をうすめればよいという一大原則が、某法医学者によって発見された。兎(と)に角(かく)、人々は無闇に苛々するのであった。

 その時、突如として、上海(シャンハイ)に猛烈な毒性を有するコレラが発生したという報知が伝わった。コレラの報知は郭松齢(かくしょうれい)の死の報知とはちがい、内務省の役人を刺戟して、船舶検疫を厳重にすべき命令が各地へ発せられたが、医学が進めば、黴菌だって進化する筈であるから、コレラ菌も、近頃はよほどすばしこくなって検疫官の眼を眩まし、易々として長崎に上陸し、忽(たちま)ち由緒ある市中に拡がった。長崎に上陸しさえすれば、日本全国に拡がるのは、コレラ菌にとって訳のないことである。で、支那人の死ぬのに何の痛痒を感じなかった日本人も、はげしく恐怖し始めた。然し黴菌の方では人間を少しも恐怖しなかった。各府県の防疫官たちは、自分の県内へさえ侵入しなければ、ほかの県へはいくら侵入してもかまわぬという奇抜な心懸けで防疫に従事し、ことに横浜と神戸は、直接上海(シャンハイ)から黴菌が運ばれて来るので、ある防疫官は、夫人が産気づいて居る時に出張命令を受けて、生れる子を見届けないで走り出した。

 が、防疫官たちのあらゆる努力も効を奏しないで、コレラは遂(つい)に大東京に入(い)りこんだのである。いつもならば京橋あたりへ、薪炭(しんたん)を積んで来る船頭の女房が最初に罹るのであるのに、今度の流行の魁(さきがけ)となったのは、浅草六区のK館に居るTという活動弁士であった。ハロルド・ロイドの「防疫官」と題する喜劇を説明して居るとき嘔吐(おうと)を催おしたのであるが、真正のコレラであると決定した頃には、ぎっしりつまって居た観客は東京市中に散らばって、防疫の責任を持つ当局の人々は蒼くなったけれども、もはや後の祭であった。

 疫病は破竹の勢で東京の各所に拡がった。毒性が極めて強かったためであろう、一回や二回の予防注射は何の効も奏せず、人々は極度に恐怖した。五十人以上の職工を有する工場は例外なく患者を出して一時閉鎖するのやむなきに至った。暑さは依然として減退しなかったので、飲んではならぬという氷を[#「氷を」はママ]敢て飲むものが多く、さような連中はみごとにころりころりと死んで行った。皮肉なことには医師がだいぶ罹った。平素それ等の医師から高い薬価を請求されて居る肺病患者は、自分自身の病苦を忘れて痛快がった。やがて死ぬべき運命にあるものは、知った人の死をきくと頗(すこぶ)る痛快がるものである。

 どこの病院も伝染病院を兼ねさせられ忽ち満員になってしまった。焼場が閉口し、墓場が窮屈を感じた。葬式はどの街にも見られた。日本橋の袂(たもと)に立って、橋を渡る棺桶の数を数える数奇者(すきしゃ)はなかったが、仕事に離れて、財布の中の銭を勘定する労働者は無数であった。

 恐怖は大東京の隅々まで襲った。あるものは恐怖のために、生きようとする努力を痲痺せしめて自殺した。あるものは同じく恐怖のために発狂して妻子を殺した。又、精神の比較的健全な者も、種々の幻覚に悩んだ。たといそれが白昼であっても、白く塵(ちり)にまみれた街路樹の蔭に、首を吊って死んで居る人間の姿を幻視した。況(いわ)んや、上野や浅草の梵鐘(ぼんしょう)が力なく響き渡って、梟(ふくろ)の鳴き声と共に夜の帷(とばり)が降りると、人々は天空に横わる銀河にさえ一種の恐怖を感じ、さっと輝いてまた忽ち消える流星に胸を冷すのであった。なまぬるく静かに動く風の肌ざわりは、死に神の呼吸かと思われた。

 けれども、さすがに近代人である。疫病が「猖獗(しょうけつ)」という文字で形容された時代ならば、当然「家々の戸はかたくさしこめられ、街頭には人影もなく」と書かるべきであるのに、その実、それとは正反対に、人々は身辺にせまる危険を冒して外出し、街は頗る雑沓した。夜になると外気の温度が幾分か下降し、蒸されるような家の中に居たたまらぬという理由もその一つであったが、主なる理由は近代人の絶望的な、宿命論的な心の発現であった。恐怖をにくみながら、恐怖に近づかずに居(お)られないという心は近代人の特徴である。彼等は釣り出されるようにして外出した。然し、外出はするものの彼等の心は彼等を包む夜よりも遥かに暗かった。平素彼等の武器として使用されて居る自然科学も、彼等の心を少しも晴れやかにしなかった。従って彼等は明日にも知れぬ命を思って、せめて、アルコホルによって一時の苦悶を消そうとした。だから、バアやレストオランが常になく繁昌した。彼等は歌った。然し彼等の唄は道行く人の心を寒からしめた。その昔ロンドンでペストが大流行をしたとき、棺桶屋に集った葬式の人夫や薬剤師たちが商売繁昌を祝ってうたう唄にも似て物凄い響を伝えた。

 人々を襲った共通な不安は、却って彼等の個々の苦悩を拡大した。疫病の恐怖は借金の重荷を軽減してはくれなかった。また各人の持つ公憤や私憤を除いてはくれなかった。しかのみならず公憤や私憤は疫病恐怖のために一層強められるのであった。従って暑さのために激増した犯罪はコレラ流行以後、急加速度をもって増加するのであった。



 本篇の主人公雉本静也(きじもとしずや)が、失恋のために自殺を決心し、又忽ちそれを翻(ひるが)えして、却って殺人を行うに至ったのも、こういう雰囲気の然らしめたところである。

 静也は、東京市内のM大学の政治科を卒業し、高等下宿の一室に巣喰いながら、国元から仕送りを受けて、一日中を、なすこともなくごろごろして暮して居るという、近代に特有な頽廃人(たいはいじん)であった。アメリカには美爪術(メニキュア)を行(や)って日を送る頽廃人が多いが、彼も、髪をときつけることと、洋服を着ることに一日の大半を費した。彼は何か纏(まと)まった職業に従事すると、三日目から顱頂骨(ろちょうこつ)の辺がずきりずきりと痛み出すので一週間と続かなかった。彼はいつも、頭というものが、彼自身よりも賢いことを知って、感心するのであった。又、彼は何をやってもすぐ倦(あ)いてしまった。時には強烈な酒や煙草を飲み耽(ふけ)ったり、或は活動写真に、或は麻雀(マージャン)に、或はクロス・ワード・パズルに乃至は又、センセーショナルな探偵小説に力を入れても見たが、いずれも長続きがしなかった。彼はこの厭(あ)き性(しょう)を自分ながら不審に思った。そうして、恐らく自分の持って生れた臆病な性質が、その原因になって居るだろうと考えるのであった。

 近代の頽廃人には二種類ある。第一の種類に属するものは、極めて大胆で、死体に湧く青蠅(あおばえ)のように物事にしつっこい。第二の種類に属するものは、極めて臆病で、糊(のり)の足らぬ切手のように執着に乏しい。静也はいう迄もなく、この第二の種類に属する頽廃人であった。かれはバアやカフェーの女と話すときにすら、一種の羞恥を感じた。だから彼は今まで一度も恋というものを経験しなかった。彼にとっては、恋することは一種の冒険であった。心の中では冒険してみたくてならなかったけれども、彼の臆病心が邪魔をした。それに彼の痩せた身体が、冒険には適して居(お)らなかった。

 ところが、運命は彼に恋する機会を与えたのである。即ち、彼は生れて初めての恋を経験するに至ったのである。然し皮肉なことは、彼の恋した女は、彼の友人の妻君であった。それは皮肉であると同時に、彼にとって不幸なことであった。彼にとって不幸であるばかりでなく、その友人にとっても不幸なことであった。実に、彼の友人は、それがため、何の罪もなくて彼のために殺さるべき運命に導かれたといってもよいからである。古来、妻が美しかったために、不慮の死を招いた良人(おっと)は少くなかったが、静也の友人佐々木京助(ささききょうすけ)のように、何にも知らずに死んで行ったのは珍らしい例であるといわねばならない。

 佐々木京助の妻敏子(としこ)は所謂(いわゆる)新らしい女即ち新時代の女性であった。新時代の女性の通性として、彼女は男性的の性格を多分に具え、理性が比較的発達して居た。彼女の容貌は美しく、態度がきびきびして居た。そうした彼女の性格が女性的分子の多い静也を引きつけるのは当然であった。静也は京助を訪ねる毎に、敏子の方へぐんぐん引きつけられて行った。

 京助は彼と同級生で、今年の春敏子と結婚し、郊外の文化住宅に住(すま)って居た。彼は別にこれという特徴のない平凡人であった。平凡人の常として、彼はふとって、鼻の下に鰌髭(どじょうひげ)を貯えて居た。然しその平凡人であるところが新時代の女性には気に入るらしい。実際また、京助のような平凡人でなくては、新時代の女性に奉仕することは困難である。その証拠に、ある天才音楽家は新らしい女を妻として、帝国劇場のオーケストラで指揮をして居る最中に俄然(がぜん)卒倒した。招かれた医師は、患者のポケットに、一回一錠と書かれた薬剤の瓶を発見して、その卒倒の原因を確めることが出来た。又、ある代議士は、議会で八百万円事件というのに関聯(かんれん)して査問に附せられた。彼は衆議院の壇上で、「嘘八百万円とはこのことだ」と、苦しい洒落を言って、その夜インフルエンザに罹った。いずれにしても新らしい女を妻とするには、身命を投出す覚悟がなくてはならない。

 京助が、果してそういう覚悟を持って居たかどうかはわからぬが、彼の体力と金力とは敏子を満足させることが出来たと見え、二人の仲は至ってよかった。然し敏子は、持ちまえの、コケッチッシュな性質をもって、良人(おっと)の友人を待遇したから、静也はいつの間にか、妙な心を起すに至ったのである。といって静也はその妙な心を、どう処置してよいかわからなかった。静也が若し臆病でなかったならば、或はあっさり敏子に打あけることが出来たかも知れない。然し、臆病な人間の常として、結果を予想して、色々と思い迷うものであるから、静也は打ちあけたあげくの怖ろしい結果を思うと、どうしても口の先へ出すことが出来なかった。だから、一人で胸を焦(こが)して居るより外はなかったのである。

 とはいえ、段々恋が膨脹して来ると、遂には破裂しなければならぬことになる。静也は、どういう風に破裂させたものであろうかと頻(しき)りに考えたけれども、もとより名案は浮ばなかった。いっそ、思い切った手紙でも書いたならばと考えたけれど、字はまずいし、文章は下手であるし、その上手紙というものは、時として後世にまでも残るものであるから、それによって、永遠に嘲笑(ちょうしょう)の的になるのは厭であった。阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)が、たった一つ和歌を作っただけであるのに、その一つを、疝気(せんき)持ちの定家(さだいえ)に引奪(ひったく)られ、後世「かるた」というものとなって、顔の黄ろい女学生の口にかかって永久に恥をさらして居る。又、手紙故に、「珍品」という綽名(あだな)を貰って腎臓炎を起した一国の宰相もある。そう考えると、静也は手紙を書くのが恐ろしくてならなかった。

 静也が恋の重荷に苦しんで居るとき、突如として、コレラが帝都を襲ったのである。すると不思議なことに、臆病な静也は急に大胆になった。そうして、敏子の前に恋を告白しようと決心したのである。恋とコレラとの関係については、まだ科学的な研究は行われて居ないようであるが、若し研究したい人があるならば、静也は、誠に適当な研究材料であるといってよい。

 大東京に恐怖の色が漂って居たある日、静也は京助が会社へ行って居る留守に敏子をたずねた。そうして静也は、演説に馴れない人が、拍手に迎えられて登壇するときのように、ボーッとした気持になって、生れて初めて恋の苦しみを味わったこと、言わなければとても堪えられぬので思い切って告白するということなどを、敏子に向って語ったのである。その日はやはり非常に暑くて、暑いための汗と、恥かしさの汗とで、静也は多量の水分を失い、告白の最後には声が嗄(しわが)れてしまって、まるで、死にともない老婆が、阿弥陀如来の前で、念仏を唱えて居るような心細い声になった。

 敏子は臣下(しんか)の哀願をきいて居るクイーンのような態度で、静也の告白をきいて居たが、静也が語り終って手巾(ハンカチ)で頸筋を拭うと、手にもって居た団扇(うちわ)で静也をふわりと一度あおって、甲高い声を出した。

「ホホホホホ、何をいってるの、馬鹿らしい。ホホホホホ」



 落下傘を持たずに、三千尺(じゃく)の高空から突き落された飛行士のような思いをした雉本静也は、その夜、下宿に帰ってから、自殺しようと決心した。犯罪学者は、自殺の原因に暑気を数えるけれども、静也は暑いから自殺するのではなく、失恋したから自殺することにしたのである。尤(もっと)も、彼に自殺を決心せしめた動機には、やはりコレラを数えないわけにはいかない。人がどしどし死ぬときに、何か悲惨な目に出逢うと、気の弱い人間は自殺をしたがるものである。

 さて、静也は自殺を決心したものの、どういう手段によって自殺したらばよいかということに甚だ迷ったのである。そうして自殺した後、何だか自殺したといわれるのが恥かしいような気持にもなった。出来るならば、自殺しても自殺したとは思われぬような方法を用いたいとも思った。そう考えて居るうち、以前、ある薬局の二階に下宿して居たときに手に入れた亜砒酸(あひさん)を思い出した。亜砒酸をのめば皮膚が美しくなるということを何処(どこ)かで聞いて来て、薬局の人に話して貰い受けたものである。その後いつの間にか、亜砒酸をのむことをやめたが、その残りがまだ罎(びん)の中に入れられて、机の抽斗(ひきだし)の奥に貯えられてあったのである。すべて人間は、一旦毒薬を手に入れると、それが危険なものであればある程手離すことを惜しがるものであって、従って色々の悲劇発生のもとになる。静也も別に深い意味があって亜砒酸を貯えて居たわけではないが。それが、今、どうやら役に立ちそうになって来た。

 静也は机の抽斗をあけて、亜砒酸の小さな罎を取り出した。そうして白い粉末をながめたとき彼の全身の筋肉はほんの一時的ではあるが硬直したように思われた。彼はその時、こんなことで果して自分は自殺し得(う)るだろうかと思った。彼はまた亜砒酸をのむと、どんな死に方をするかを知らなかった。あんまり苦しくては困ると思った。又なるべくなら、死後、自殺したように思われぬものであってほしいとも思った。そこで、彼は図書館へ行って、一応亜砒酸の作用を調べて見ようと決心した。

 上野の図書館は、コレラ流行時に拘(かか)わらず、意外に賑って居た。死神が横行するとき、読書慾の起るのは古来の定則である。彼は毒物のことを書いた書物を請求したが、驚いたことに日本語で書かれた医書は悉(ことごと)く貸し出されて居た。「やっぱり、みんな生命が惜しいからであろう」と、考えると、彼は、生命を捨てるために医書を読みに来た自分を顧みて苦笑せざるを得なかった。仕方がないので彼は英語の薬理学の書を借りて、貧弱な語学の力で、亜砒酸の条を辛うじて読んだ。

 すると意外にも、亜砒酸の症状は、コレラの症状に極めてよく似て居ると書かれてあった。彼はこれを読んだとき、すばらしい発見でもしたかのように喜んだ。何となれば、亜砒酸をのんで自殺したならば、こういうコレラ流行の時節には、必ずコレラと間違えられるにちがいなく、従って自殺しても自殺だとは思われないからである。医師というものは誤診するために、神様がこの世に遣されたものであるらしいから、亜砒酸で死ねば必ずコレラで死んだと間違えられる。こう思うと、静也は試みに、亜砒酸をのんで自殺し、医学そのものを愚弄してやりたいような気にもなった。

 ところが段々読んで行くうちに、亜砒酸は激烈なる疝痛(せんつう)を起すものであると知って、少しく心が暗くなって来た。コレラと亜砒酸中毒との区別は主としてこの疝痛の有無によってなされると書かれてあったので、いっそコレラに罹ろうかとも思って見たが、コレラで死んではあまりに平凡な気がしてならなかった。といって激烈な疝痛に悩むのも厭になった。疝痛に悩むのが厭になったばかりでなく、自殺することさえ厭になりかけて来た。

 で、彼は図書館を出て、公園を歩いた。白い土埃が二寸(すん)も三寸(ずん)もたまって居て、暑さは呼吸困難を起させるくらいはげしかった。彼は木蔭のベンチに腰を下して、さて、これからどうしたものであろうかと考えて居るとき、ふと、面白い考えが浮んだ。

「自分が死ぬよりも、誰かに代って死んで貰った方が、はるかに楽である」

 と、彼は考えたのである。いかにもそれは愉快な考えであった。そう考えると彼はもう自殺するのがすっかり厭になった。自殺しようとした自分の心がおかしくなって来た。そうして急に人を殺して見たくなった。ことに愉快なことは、今、亜砒酸を用いて毒殺を行(や)ったならば、医師は前述の理由で、コレラと診断し、毫(ごう)も他殺の疑を抱かないに違いない。自分で死んで医学を愚弄するよりも、自分が生きて居て医学を愚弄した方がどれだけ愉快であるかも知れない……。こう考えると静也は、うれしさにその辺を駈けまわって見たいような気がした。

 彼は下宿に帰ってから、然らば一たい誰を殺そうかと考えた。すると、彼の目の前に下宿の主婦(おかみ)のあぶらぎった顔が浮んだ。彼は自分が痩せて居たために、ふとった人間を見ると癪(しゃく)にさわった。そこで彼は下宿屋の主婦(おかみ)を槍玉にあげようかと思ったが、あんな人間を殺しても、なんだか物足りないような気がした。

 段々考えて居るうちに、彼は突然、友人の佐々木京助を殺してはどうかと思った。彼は、京助のふとって居ることがいつも気に喰わなかったが、ことに、京助の顔は、この世に居ない方がいいというようなタイプであったから、京助を犠牲にすることが一ばん当を得て居るように思われた。尤(もっと)も、敏子に対する腹癒(はらい)せの感情も手伝った。綺麗さっぱりとはねつけられた返礼としては正に屈竟(くっきょう)の手段であらねばならぬ。

 こう決心すると、彼は非常に自分の命が惜しくなって来た。殺人者は普通の人間よりも一層生に執着するものだという誰かの言葉がはじめて理解し得られたように思った。殺人を計画するだけでさえ生に対する執着がむらむらと起るのであるから、殺人を行(や)ったあげくにはどんなに猛烈に命が惜しくなるだろうかと彼は考えるのであった。良心の苛責(かしゃく)などというものも、要するところは、生の執着に過ぎぬかも知れない。こうも、彼は考えるのであった。

 然し、殺人を行うのは、自殺を行うとちがって、それほど容易ではない。どうして京助を毒殺すべきであろうか。これには流石(さすが)に頭をなやまさざるを得なかった。然し、彼は京助の性格を考えるに至って、その問題を容易に解決した。京助は平凡人である。だから、平凡人を殺すにふさわしい平凡な方法を用うればそれでよい。と、彼は考えたのである。

 先ず、会社へ行って京助を連れ出し、二人で西洋料理屋にはいり、ビーフステーキを食べる。京助は肉に焼塩をかけて食う癖があるから、その焼塩の中に亜砒酸をまぜて置けばそれでよい訳である。予(あらかじ)め、料理店で使用するような焼塩の罎を買って、焼塩と亜砒酸とをまぜて入れて置き、それを持参して、いざ食卓に就くというときに、料理店の罎とすり替える。……何と簡単に人間一匹が片附くことだろう。

 普通の時ならば、亜砒酸中毒はすぐに発見される。然し時節が時節であるから、決して発見される虞(おそれ)はあるまい。彼は医師の腕に信頼した。平素人殺しをする医師諸君は、こういう時でなければ人助けをする機会がない。して見れば自分は医師にとっての恩人となることが出来る。何という愉快なことであろう。などと考えて、彼は殺人者が殺人を決行する前に陥る陶醉状態にはいるのであった。



 殺人を決意してから十日の後、亜砒酸をまぜた焼塩の罎をポケットに入れた静也は、京助の会社をたずねて、京助を何の苦もなく連れ出すことが出来た。静也は、若しや敏子が例の一件を京助に話しては居ないかと心配したけれども京助に逢って見ると、そんな様子は少しもなかった。又静也が、一しょに西洋料理を食べようと言い出した時にも、何の疑惑も抱かなかった。平凡人の特徴は物事に不審を起さぬことである。実際また彼は、物事に不審を抱くほど痩せた身体の持主ではなかった。だから殺されるとは知らずに、平気で静也について来たのである。

 静也はもとより行きつけのレストオランへは行かなかった。知った家で人殺しをするということは、あまり気持がよくないだろうと思ったからである。京助はもとよりこれに就(つい)ても不審を抱かなかった。そうして雪白(せっぱく)の布(きれ)のかかって居るテーブルに着いて、ビーフステーキを食べた。京助が手を洗いに行った間に静也がすり替えて置いた焼塩の罎を、京助は極めて自然にとりあげて牛肉の上に、而(しか)も大量にふりかけた。そうしていかにも美味しそうに食べた。二片三片食べたとき、京助は腹の痛そうな顔をして眉をしかめたので、静也ははっと思ったが、然しその後は何ともなく、食事は無事に済んだ。食事が済むと二人は早速勘定を払って立ち上った。その時、静也は京助に気附かれずに、再び、もとの罎とすり替えた。ところが、戸外へ出ると程なく、京助は前こごみになって立ちどまり苦痛の表情をしたので、静也は、京助にすすめて、其処(そこ)に立たせ、街角へ走ってタクシーをよび、京助を家に帰らせたのである。

 京助と別れて下宿に戻った静也は、可なり興奮し、そうして、意外に疲労して居ることを感じた。レストオランで京助の一挙一動を緊張してながめて居たときは、全身の筋肉がぶるぶる顫えた。そうして心臓が不規則に搏(う)ち出したような気がした。今、下宿へかえってからでも、なお胸の動悸は去らなかった。で、彼は畳の上へぐったりとして寝ころんだが、それと同時に一種の不安が彼を襲った。

 果して医師がコレラと診断するであろうか。

 ここまでは自分の手で首尾よく事を運んで来たが、これ以上は他人の手を待たねばならない。万が一にも、医師が誤って、正しい診断を下したならば、それこそ、あまり呑気にしては居(お)られない。と考えると、何だかじっとしては居(お)られぬ気持になり、つと立ち上って畳の上をあちらこちら歩いたが、今更、何の施すべき手段はなかった。

 いくら暑い夜(よ)でも、今までは一晩も眠れぬことはなかったのに、その晩は妙に暑さが気になって、暁方に至るまで眠られなかった。然し、彼が眼をあいた時には、夏の日がかんかん照って居た。彼は朝飯をすますなり、飛び出すようにして郊外の京助の家の附近にやって来た。果して京助の家は、貼紙をして閉されてあった。近所で聞いて見ると京助は昨夜コレラを発して死に、奥さんと女中は隔離されたということであった。然し敏子と女中とが何処(どこ)に居るかを誰も知るものがなかった。

 静也はほっとした。自分の医師に対する信頼が裏切られなかったことを知って、甚だ、くすぐったい気がした。そうして、世の中が案外住みよいものであることを悟って、生に対する執着が一層深められて行った。深められて行くと同時に敏子に対する恋が頭を擡(もた)げ始めた。彼は敏子に急に逢いたくなった。逢ってもう一度、彼女の反省を乞おうと思った。彼は死んだ京助に対しては少しの同情をも感じなかった。そうして京助が死んだ以上、敏子も、この前のような、呆気ない態度には出るまいと思い、一日も早く敏子に逢いたいと思った。

 けれど敏子の行方(ゆくさき)は誰も知らなかった。あんまり深入りしてたずねるのも気がひけたので、彼は敏子が帰るまで毎日訪ねて来て様子を見ることにした。

 五日過ぎ、七日過ぎても敏子の家は閉されたままになって居た。逢えぬと思うと益々逢いたくなった。漸(ようや)く二週間目に、彼は敏子が帰って来て居ることを知ったが、日中、何となく恐ろしいような気がしたので、夜になるのを待ちかねて、久し振りに、馴染の深い玄関のベルのボタンを心臓の動悸を高めながら押すのであった。



「まあ、雉本さん、よく来てくれました。きっと来て下さるだろうと思って待って居たのよ」

 と、敏子は自分で玄関まで出迎えて、嬉しそうな顔をして言った。彼女は幾分頬がこけて居たが、そのため却って美しさを増した。

 静也は、眼を泣きはらした顔を想像して居たのであるから、彼女のこの言葉に頗(すこぶ)る面喰って、何といってよいかに迷った。

「今晩、女中は居(お)りませんの、ゆっくり遊んでいらしてもよいでしょう、御上りなさい」

 こう言って彼女は、あかるく電灯に照された応接室へ、静也を引摺るようにして案内した。静也は籐椅子に腰を下し、手巾(ハンカチ)で汗をふいてから、

「時に……」

 と、いいかけると、彼女はそれを遮って言った。

「御くやみを述べて下さるのでしょう。有難いですわ。でも、人間の運命というものはわからぬものですね、佐々木はあの夜、あなたと一しょにレストオランへ行って、同じものを食べながら、あなただけは、このように無事なのですもの……」

 敏子が静也の顔を見つめたので、静也はあわてて、まぶしそうに眼たたきをした。敏子は更に言葉を続けた。

「佐々木はあの夜(よ)家に帰るなり、はげしい吐瀉(としゃ)を始めて三時間たたぬうちに死にましたわ。まるで夢のようねえ」

「本当にそうです」と静也ははじめて口をきくことが出来た。「あのあくる日、気になったものですから、こちらを御訪ねすると、佐々木君が死んだときいてびっくりしました。御見舞しようと思ってもあなたの行先がわからず、あれから毎日こちらへ来て見たのです。二週間とは随分長い隔離ですねえ」

「そうよ、わたし病院で予防注射を受けて居ましたの。あなたは注射をなすって?」

「いいえ、一回や二回の注射では駄目だということで、面倒ですからやめました」

 敏子はそれをきくと、何思ったか、急にその眼を輝かせた。

「一回や二回ではきかなくても、十回もやれば、黴菌をのみ込んだって大丈夫だそうだわ。わたし、毎日一回宛(ずつ)十回ほど注射して貰ったのよ。あなただって、佐々木のように死にたくはないでしょう?」

「佐々木君が死んだときいてから、急に死にたくなくなりました」

 こう言って静也は意味あり気な眼付をして敏子をながめた。

「それじゃ、その以前は死にたかったの?」

 静也はどうした訳か、急に顔がほてり出したので、伏目になって黙って居た。

「ね、仰(おっ)しゃいよ」

 静也は太息(ためいき)をついた。

「実は、この前御目にかかってから、自殺しようと思いました」

「どうして?」

「失望して」

「何を?」

「何をってわかってるじゃありませんか」

 こう言って彼は、小学生徒が先生の顔を見上げる時のようにおずおず敏子をながめた。二人の視線がぶつかった。敏子はうつむいて、黙って手巾(ハンカチ)で口を掩(おお)った。

「どうしたのですか。佐々木君が死んで悲しいのですか?」

 敏子が顔をあげてじろりと静也をながめた。その眼は一種の熱情に輝いて居た。

「わたし、恥かしくなったわ」こういって又も俯向いて、声を低くして言った。「この前、あなたにあんな心にもないことを言ったので……」

 静也ははっとした。

「そ、それでは敏子さんは……」

「佐々木に済まないけれど……」

 静也は熱病に罹ったような思いをして、ふらふらと立ち上って敏子の椅子に近よった。

「敏子さん、本当ですか?」と言って彼は彼女の肩に手をかけた。ふくよかな触感が、彼の全身の神経をぴりりと揺ぶった。

「あなた、電灯を消して下さい」と敏子は恥かしそうに言った。

 静也は応接室の入口に備え附けてあるスイッチのところへよろよろ歩いて行って、パチンと捻った。

 闇が二人を包んだ。

 それから……接吻の音。



 恋を語るには暗い方がよい。これは誰でも知って居ることである。

 あけ放たれた窓から、なまぬるい空気が動いて来る。二人は暑かった。

 接吻の後……男は辛抱がなかった。

 女は四時間待って下さいといった。

 四時間! 何故?

 その四時間は静也にとって、「永久」に思われた。

 然し、その長い四時間も過ぎた。夏の夜は更けた。

 すると男は暗黒の中で奇妙な声を出した。それは全くその場にふさわしからぬものであった。

「アッ!」

 嘔吐(おうと)の声。

「うーん」

 嘔吐の声。

「ホ、ホ、ホ、ホ、ホ」女の甲高い声が暗の中に響き渡った。「よくも、よくも、あなたは佐々木を毒殺しましたね? 卑怯(ひきょう)もの! わからぬと思ったのは大間ちがい、佐々木は予防注射を何回も受けたのよ……」

「あーっ」と腹の底をしぼるような声。

 嘔吐の声。

「だから、わたしはすぐ覚ったわ。けれど、佐々木は毒殺されたとは知らないで死んだのよ。死ぬ人の心を乱してはいけないと思って、わたしも御医者さんが誤診したのを幸いに黙って居たわ。だから、佐々木は予防注射をしてもきかなかったのだと思って死んで行ったわ……」

 嘔吐の声。

「それに、わたしは、あなたを警察の手に渡したくなかったのよ。警察の手に渡れば、死刑になるやらならぬやらわからぬでしょう。わたしは、一日も早く自分で復讐しようと思ったのよ、だから、昨日まで予防注射をしてもらって生きた黴菌を嘗(な)めても病気にかからぬ迄になったのよ。先刻、あなたが電灯を消しに行った間に、病院から黙って持って来た試験管の、生きた黴菌を口に入れたのよ。それから接吻でしょう。わかって?」

 嘔吐の声。唸(うめ)く声。

「なかなか苦しそうですねえ。苦しみなさい。今年のは毒性が強いから、四時間で発病すると医者が言ったのよ。『四時間』の意味がわかったでしょう? ね、これからあなたは、苦しみ抜いて死ぬのよ。電灯をつけましょうか。どうしてどうして、おお、見るも厭だ。あなたが死んでしまってから警察へ届けるのよ。たとい死体を解剖されたって、他殺だとは決してわからぬわよ、ホ、ホ、ホ、ホ、ホ」

 嘔吐の声。唸く声。

 死を語るにも暗い方がよい。これも……誰でも知って居ることかも知れない。


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Posted by 문학관 관리인 위어조자(謂語助者)

잘못된 감정(誤った鑑定)

고사카이 후보쿠 (小酒井 不木) (1925)

일본어 원문


 晩秋のある夜、例の如く私が法医学者ブライアン氏を、ブロンクスの氏の邸宅に訪ねると、氏は新刊のある探偵小説雑誌を読んでいた。

「探偵小説家というものは随分ひどい出鱈目(でたらめ)を書くものですね」と、氏は私の顔を見るなり、いきなりこういって話しかけた。

「え? 何のことですか?」と私は頗(すこぶ)る面喰(めんくら)って訊ね返した。

「今、ジョージ・イングランドの『血液第二種』という探偵小説を読んだ所です。その中に出て来る医者が、血液による父子の鑑別法を物語っていますが、実に突飛(とっぴ)極まることを言っていますよ、まあよく御聞きなさい。こうです。父と子の血液を一滴ずつ取って、それを振動器の中へ入れて、まぜ合せると、もし真実の父子ならば、血液を満している微小な帯電物の振動が一致するというのです。電子ではあるまいし、何と奇抜な説ではありませぬか?」

 私もそれを聞いて思わず吹き出してしまった。

「それじゃまるで支那の大昔の鑑別法そっくりですね」と私は言った。

「それはどんな鑑別法ですか?」と氏は急に真面目な顔をして訊ねた。

「支那の古い法医学書に『洗冤録(せんえんろく)』というのがあります。その中に、血液による親子の鑑別法が書かれていますが、それによりますと、親と子の真偽を鑑別するには、互に血を出し合って、それを、ある器の中にたらすと、もし親子であったならば、その血がかたまって一つになり、もし親子でなかったならば、よく混らないというのです」

「そうですか、いや却ってその方がむしろ科学的鑑別法に近いじゃありませんか、現今では、血球の凝集現象の有無から判断するのですもの」こう言って氏は更に雑誌を取り上げて上機嫌で語り続けた。

「それから、その医者はまた言います。人間の血液は四種類に分けられていて、親と子は同一種類に属するものだと。四種類に分けられているとまでは正しいですけれど、親と子が同一種類だということは、少し考えたら、言えないことではありませんか。父と母とが同一種類の人ならばともかく、父と母とがもし違った種類の人だったならば、生れた子が親と同一種類だとはいえなくなるのが当然ですからね」

「何しろ、探偵小説家は自分で血液などを実際に取り扱ったことがなく、ただ書物などに書かれてあることを、自分勝手に判断して書くのですから、そうした間違いを生ずるのでしょう」と私は言った。

「それはそうですね。小説家の書くことを一々穿鑿(せんさく)するのは、穿鑿する方が野暮かもしれません。たしか一八七〇年頃だったと思います。フランスで、ある若い女が、豚などに生えているあの針のように硬い針毛(ブリスル)というのを細かく刻んで、それを自分の憎む敵の食事の中へ混ぜて殺した事件があって、一時欧洲で大評判となりました。すると小説家のジェームス・ペインが、この話を材料にして『ハルヴス』という有名な小説を書き、その中の主要人物の一人を、その姪が、馬の毛を細かく刻んで食事の中へまぜて殺すことに仕組みました。その実、馬の毛では所要の目的は達せられないのです。即ち針毛の細片ならば消化管に潰瘍を作って死因となることが出来ますが、馬の毛は却って消化液の作用を受け、潰瘍を作ることが出来ません。つまりペインは豚の毛で人が殺せるならば、馬の毛でも殺せるだろうと自分勝手に想像したものですから、そういう誤謬をしたのです」

「そうですか。いや、よく考えて見ますと、小説家ばかりではなく、専門家である医師ですら、そういう誤りを仕勝(しがち)だろうと思います。只今御話しのジョージ・イングランドの探偵小説でも、医師が勝手なヨタを飛ばすところを、わざと書いたものとすると、かえって作者の皮肉だと受取れぬこともありませぬですね」と私は言った。

「如何にも御尤もです、昔から医者は小説家に皮肉をいわれづめですから。遠くはアリストファネスから、モリエール、ショウなど、随分ひどく、医者の悪口を言っています」とブライアン氏も益々興に乗って来た。

「実際に於ても、医師は随分間違った考を持っています。先年、日本でも、ある開業医が、自絞と他絞の区別だといって、いい加減なことを発表し、それを基礎に、ある事件の鑑定を行い、大学の法医学教授の鑑定を覆えしたようなことがありました」

「ほう、それはどういうことですか?」とブライアン氏はすかさず訊ねた。

「おや、今日はあべこべに私が話しをさせられますね。それは、ある窒息死体鑑定事件でして、周囲の事情からして、死体は絞殺されたものと推定されました。そこで、ある大学の法医学教授が自絞か他絞かの鑑定を命ぜられました所、教授はその区別は明かでないという鑑定を下しました。ところが、事件が長引いて、ある市井(しせい)の開業医が再鑑定を命ぜられましたら、その開業医は、自絞に間違いないと断定したのです。その鑑定の根拠として、その人は次のような事項をあげました。第一に、自絞即ち自分で自分の頸(くび)をしめる場合には、絞める力が弱く、且つ吸息後に決行するから、死体の胸部を強く圧迫すると呼気を出すが、他絞即ち他人に頸をしめられる場合には、絞める力が強く、且つ呼息時に行われるから死体の胸部を圧迫しても呼気を出さない。第二に、自絞の場合には、吸息時に行われるから、肺臓の鬱血が劇烈ではないが、他絞の場合には呼息時に行われるから、肺臓の鬱血が劇烈で、丁度肺水腫のような外観を呈しているというのです。実に、念の入った暴論ではありませぬか?」

「いや全く探偵小説家のヨタ以上ですね」と察しのよいブライアン氏は言った。「一寸考えて見ると、いかにももっともらしいですが、生理学書の一頁でも見た人には、そういう結論は下されませぬね」

「本当にそうです。肺臓内の血液量は吸息時に最多量で、呼息時には少くなるのですから、呼息時に行われると称する他絞の際に、肺臓の鬱血が劇烈である筈はありません。これだけでも既に自家撞着に陥っています」

「吸息時には肺が拡がるから、血液が追い出されるとでも考えたのでしょう」

「そうかもしれません。それはとにかく、自絞が吸息状態で行われ、他絞が呼息状態で行われるという説も、随分独断的ではありませぬか?」と私は言った。

「困ったものですね。世の中には自分の経験が絶対に正しいと信じている人がありますが、その人などもそういう頑固な人の部類に属しているでしょう。つまり、自絞が呼息状態でも起り、他絞が吸息状態でも起り得るということを考える余裕さえないのでしょう。よく何年、何十年の経験とか言って、世間の人から尊(とうと)がられますが、経験だとて間違いがないとは限りませんよ」

「それにしても、そういう人の鑑定で裁判された日には、たださえ誤謬の多い裁判が、誤謬をなからしめようとする目的の科学的鑑定のために、却って毒されることになりますね。恐らくあなたは、そういう例に度々御逢いになったことと思いますが、如何ですか?」と、私は、ブライアン氏に何か話してもらおうと思って、ひそかに氏の顔色をうかがった。

「ないこともありません」と氏はニコリ笑って言った。「中には随分滅茶々々な鑑定をする医師があります。今晩はだいぶあなたに話してもらいましたから、これから私の関係した事件の御話を致しましょう」

          ×       ×       ×

「これは数年前、紐育(ニューヨーク)から程遠からぬ田舎で起った事件です」とブライアン氏は言った。

 その地方の豪農に、ミルトン・ソムマースという老人があった。よほど以前に、夫人に死に別れてから、一人息子のハリーと共に暮していたが、事件の当時ハリーは二十二歳で、丁度、農学校を卒業したばかりであった。母のない家庭であったため、父子は非常に親密であって、家政一切は、ミセス・ホーキンスという老婆が司(つかさど)り、近所には、ソムマース所有の田地に働く小作たちの家族が群がり住っていた。

 ソムマースの家から一哩(マイル)ばかり隔たったところのスコットという農家に、エドナという娘があった。彼女は、鄙(ひな)に似合わぬ美人で、色白のふっくりとした愛らしい顔と、大きな碧(あお)い眼と、やさしい口元とは、見るものを魅せずには置かなかった。ところが、彼女は非常な山だしの御転婆で、夏はいつも跣足(はだし)で歩きまわり、年が年中、髪を結ったことがなく、房々とした金髪は、波を打って肩の上に垂れかかり、頸や腕は、かなりに日に焼けていた。ハリーはいつしか、この娘と恋に落ちたのである。

 彼はしかし、そのことを父に告げる勇気がなかった。父は由緒ある家系を誇る昔し気質(かたぎ)の人間であるばかりでなく、娘の家を常々卑しんでいて、ことにエドナの性質を見抜いて、「鬼女」という綽名(あだな)をつけた程であるから、到底二人の結婚を承諾してくれまいと思ったからである。ところが、二人の恋は段々募(つの)り、結婚してしまったら、父も文句は言うまいと考え、ハリーはひそかにエドナを紐育へ連れて行って結婚した。これを聞いた父は大に怒って、どうしても二人を我が家へ寄せつけなかったので、二人は致し方なく、程遠からぬ所に他人の用地を借り受けて自活することにした。

 一しょに暮して見ると、ハリーは嫁の性質が父のつけた綽名にふさわしいことを知った。彼女は手におえぬじゃじゃ馬で、ほとほと持てあますことがしばしばあった。しかし、彼此(かれこれ)するうちに二人の間に女の子が出来、それからというものは、彼女は非常におとなしくなった。

 するとその頃父のミルトン・ソムマースは、老齢のためか、又は寂しさのためか、にわかに健康が衰え出して来て、遂には二六時中床の上に横わらねばならぬくらいになった。そこで彼もとうとう我を折って、ハリーとその家族を呼びにやって同居させ、ハリーに田地の監督をさせ、エドナに家政を司らせることにした。

 老人の病気は段々悪くなるばかりであって、とうとう家族のものでは看護がしきれぬというので、ニューヨークから看護婦を雇うことにした。看護婦はコーラ・ワードといって頗(すこぶ)る美人であったが、いつの間にかハリーに心を寄せ、ハリーも満更(まんざら)厭でない様子であった。しかしこの様子を見たエドナは、急に本来の険悪な性質を発揮して、はげしい喧嘩こそしなかったが、非常に看護婦をうらんで、早く解雇してくれとハリーに迫った。

 家政婦のホーキンスはエドナが来てから、食事に関する仕事はエドナに奪われ、掃除だとか、洗濯だとか、卑しい仕事ばかりさせられるようになったので、自然エドナを快く思わなくなった。

 ソムマース家に、こうした不快な空気が漂っていたある日の午後、エドナは夕食の支度のために牛乳を搾(しぼ)りに牛小舎へ行き、家に帰ってその牛乳を、竈(かまど)の上にかけてあったフライ鍋の中へ入れた。彼女はそれで、肉へかける汁を作るつもりであったが、何思ったかそれを中止して再びその牛乳を鑵の中へあけ戻し、冷すために皿場へ置いた。

 その夕方、病人は発熱して、頻(しき)りに渇(かつ)を訴えたので、看護婦が牛乳を取りに台所へ行くと、都合よく皿場の上に牛乳の入った鑵があったので、そのまま病室へ持って行って、病人にのませた。ところが、牛乳を鑵からあけてしまうと、彼女は、ふと鑵の底に、緑色をした残渣(ざんさ)のあるに気附いた。彼女はびっくりして、もしや、それがパリス・グリーン Paris Green(植物の害虫を除くための砒素含有の粉末)ではないかと思い、ハリーとエドナの居た室に来て、それを見せ、パリス・グリーンではないかと訊ねた。ハリーは、そうらしいと言ったがエドナは黙っていた。

 看護婦の頼みによって早速、かかりつけの医師が呼ばれたが、医師もその緑色のものを見て、パリス・グリーンであろうと言った。果して、それから間もなく、病人の容体は急に悪くなり、遂に夜明け方に死んだが、医師は砒素中毒による死亡であると診断した。

「こういう事情ですから、警察から、検屍官が派遣されることになりました」と、ブライアン氏は言った。「そして、間もなく、その地方の開業医で、警察医を兼ねていたスチューワートという人が死体解剖を命ぜられました。解剖の結果、死体の胃の内容物に、多量の砒素化合物があるとわかったので、事件は裁判所に廻され、予審判事が出張して、ソムマース家を委(くわ)しく取調べることになりました」

 予審判事の一行は、家人を一々訊問し、家の隅々を捜索した結果、牛小舎の装具置場の高い棚に、パリス・グリーンの入ったボール箱を見つけた。その箱は破りあけられて、内容が少しばかり取り出され、粉末の一部分は地面へこぼれていた。しかもその箱のあけられたのは、つい近頃であるとわかった。その時分はもう収穫時もとくの昔に過ぎ、春以来、パリス・グリーンを使用する必要はなくなっていた。それ故、使用された粉末は、当然牛乳罐の中へ入れられたものに違いないと結論された。

 附近に住む小作共は、もとよりパリス・グリーンが、牛小舎にあることを知っている訳もなく、また牛小舎へ自由に出入りすることを許されてもいなかったから、嫌疑は当然家内のものにかかった。しかし家内のもののうち、何人(なんぴと)が殺人を敢て行う程の強い動機を持っているであろうか? 幸に毒の入れてあったボール箱の上には塵埃が溜っていて、指紋がはっきり附いていたから、直ちに写真に撮影され、それと家内の人々の指紋をとって比較して見ることになった。ところが意外にも、若夫婦の指紋と、看護婦の指紋との都合三種がボール箱についていたのである。しかし、三人が共謀して行ったこととは考えられぬから、三人のうちの誰かに違いないと推定して、三人にはボール箱の指紋のことを告げないで、別々に色々訊問して見たが、少しも要領を得なかった。

 故人は徳の高い人であったから、人々は切に哀悼の意を表し、その忌わしい事情は、附近一帯の噂の種となり、人々は勝手に色々の説を建てた。若夫婦の結婚の際に於ける若夫婦と父親との衝突、看護婦とハリーとエドナの三角関係などからして、色々な解釈が試みられた。あるものはハリーが結婚以来父親を恨んでいたから、その為に父を毒殺したのであろうと想像し、あるものは故人が金持ちであったから、看護婦が後継者の嫁になるために、老人を殺してエドナに嫌疑をかけるよう仕組んだ行為であると想像し、またあるものは、エドナがかねて舅(しゅうと)を恨んでいたがためだと想像した。が、予審裁判の結果、ミルトン・ソムマースは砒素剤によって毒殺され、犯人はエドナであると決定されたのである。

 世評はエドナに取って極めて不利益であった。人々は彼女が虚栄心を満すために、早く老人を亡きものにして財産を良人のものとしようとして行った仕業であると解釈した。且(かつ)、彼女はそのとき妊娠中であったが、獄中で子を生んでは、生れた子に焼印を捺(お)すようなものであるから、それやこれやで彼女は少なからず煩悶した。

「このソムマース若夫人の弁護士から、私に事件鑑定の依頼があったのです」と、ブライアン氏は語り続けた。「弁護士は、夫人の無罪を信じ、老人の死体の医学的検査に、根本的の誤謬があるにちがいないと見たのです。私も一伍一什(いちぶしじゅう)をきいて、出発点はやはり胃の内容物の化学的検査にあると思いました。もしパリス・グリーンが牛乳に混ぜられてから熱せられたならば、表面に緑色の泡が立たねばなりません。ですから、誰の眼にもつき易いので、そんな危険なことをする者はない筈です。そこに何か捜索上の手落ちがあるだろうと思って、鑑定を引き受け、胃の内容物の再鑑定を願い出て、許可されたら、なお念のために、専門の化学者二人のところへ、別々に分析を依頼するよう、手筈をきめました」

 弁護士の要求はきき入れられ、胃の内容物はブライアン氏の手許に届けられた。氏は早速、砒素鏡検出法を始め、その他の方法によって分析に取りかかったが、大量は愚か、砒素の痕跡さえも発見されなかった。

「いや、実に、その時は驚きましたよ」と氏は言葉を強めて言った。「何しろ警察医は多量の砒素が含まれていたと証言したのですからね。又主治医も主治医です。砒素を嚥(の)んでもいないのに、砒素中毒で死んだと診断したのですから。二人の化学者の分析の結果も同様でして、法廷でその証言が述べられると、傍聴人の感情は急転して、夫人に対する同情に変ってしまいました。陪審官はたった二十分間で決議して、ソムマース夫人の無罪を宣告しましたよ」

 こうして、医師の誤まった鑑定のため、無辜(むこ)の人が危うく殺人罪に問われようとしたのである。

          ×       ×       ×

「それにしてもどうしてその緑色の物質が牛乳罐の中に入っていたのでしょう?」と、私は、ブライアン氏が語り終ってから、暫らくして訊ねた。

「それが即ち第二の問題ですよ。私はただ砒素中毒かどうかを鑑定すればよかったのですからそれ以上、捜索も致しませぬでしたが、これが、あなたの好きなオルチー夫人の探偵小説に出て来る『隅の老人』であったなら、すべからく、解説なかるべからずですね。ははははは」[#「」」は底本では「』」]と氏は愉快げに笑った。

「無論そのパリス・グリーンは牛乳をあけたあとで罐の中へ入れたのでしょうから、そこに最も肝要な問題がある訳ですね?」と私は、氏の解釈をきこうと思って訊ねた。

「そうですそうです。嫌疑は当然その看護婦にかからねばなりません。『隅の老人』ならば、主治医と看護婦とを共犯にするかもしれませんよ。何しろ看護婦の指紋が、パリス・グリーンの箱に発見されたというのですから」

「どうもこの事件には不可解な点が多いようです」と私は言った。「看護婦ばかりでなく、ソムマース夫妻の指紋も、ボール箱についていたというのですからね。この事件の蔭には恐らく複雑した事情が潜んでおりましょう」

「無論そうでしょう。ですが、それは探偵小説家に考えて貰うことにしましょう。ソムマース夫婦は今では楽しい家庭を作って、平和に暮しているそうです。問題の看護婦は、何でもその後ニューヨークの生活が厭になって、田舎へ引き籠ったとかききました。しかし一ばん貧乏籖(くじ)をひいたのは、警察医のスチューワート氏でした。誤まった鑑定をしたために、その後すっかり評判が悪くなって、門前雀羅(じゃくら)を張るようになったそうです。いやだいぶ表て通りも静かになって来ました。これから、あついコーヒーでも一杯のみましょうか……」



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육종 (肉腫)

고사카이 후보쿠 (小酒井 不木) (1926)

일본어 원문


「残念ながら、今となっては手遅れだ。もう、どうにも手のつけようが無い」

 私は、肌脱ぎにさせた男の右の肩に出来た、小児の頭ほどの悪性腫瘍(しゅよう)をながめて言った。

「それはもう覚悟の上です」と、床几(しょうぎ)に腰かけた男は、細い、然(しか)し、底力のある声で答えた。「半年前に先生の仰(おう)せに従って思い切って右手を取り外して貰えば、生命は助かったでしょうが、私のような労働者が右手を失うということは、生命を取られるも同然ですから、何とかして治る工夫はないものかと、大師(だいし)様に願をかけたり、祖師(そし)様の御利益にすがったり、方々の温泉を経(へ)めぐったりしましたが、できものはずんずん大きくなるばかりでした。もういけません。もう助かろうとは思いません……」

 傍に立って居た妻君の眼から、涙がぽたぽたと診察室のリノリウムの上に落ちた。真夏の午後のなまぬるい空気が、鳴きしきる蝉の声と共に明け放った窓から流れこんで来た。私は男の背後に立って、褐色の皮膚に蔽(おお)われた肋骨の動きと共に、ともすれば人間の顔のように見える肉腫の、ところどころ噴火口のように赤くただれた塊(かたまり)の動くのを見て、何といって慰めてよいか、その言葉に窮してしまった。

 患者は私の方を振り向こうともせず、俯向きになって言葉を続けた。

「それについて先生、どうか私の一生の御願いをきいて下さいませんか」

「どんな願いかね? 僕で出来ることなら何でもしてあげよう」と、答えて、私は患者の前の椅子に腰を下した。

 患者の呼吸は急にせわしくなった。

「きいて下さいますか。有難いです」と、御辞儀をして「お願いというのは他ではありません、このできものを取って頂きたいのです」こういって彼は初めて顔をあげた。

 私はこの意外な言葉をきいて、思わず彼の顔を凝視した。

 まだ三十を越したばかりの年齢(とし)であるのに、その頬には六十あまりの老翁(ろうおう)に見るような皺が寄り、その落ち窪んだ眼には、私の返答を待つ不安の色が漂って居た。

「だって……」

「いえ、御不審は尤(もっと)もです。私は治りたいと思って、このできものを取って頂くのではありません。私の右の肩に陣取って、半年の間、夜昼私をひどい責め苦にあわせた、にくい畜生に、何とかして復讐がしてやりたいのです。先生の手で、この畜生を、私の身体から切離して頂くだけでも満足です。けれど、出来るなら、自分の手で、思う存分、切りさいなんでやりたいのです。その願いさえ叶えて下さったら、私は安心して死んで行きます。ね、先生、どうぞ御願いします、私の一生の御願いです」

 患者は手を合せて私を拝んだ。辛うじて動かすことの出来た右の手は、左の手の半分ほどに痩せ細って居た。私は患者の衰弱しきった身体を見て、手術どころか、麻酔にも堪え得ないだろうと思った。で、私は思い切って言った。

「かねて話したとおりに、これは肩胛骨(けんこうこつ)から出た肉腫で、肩の骨は勿論、右の手全体切り離さねばならぬ大手術だからねえ。こんなに衰弱して居て、手術最中に若(も)しものことがあるといけない」

 患者は暫らく眼をつぶって考えて居たが、やがて細君の方を見て言った。

「お豊、お前も覚悟しとるだろう。たとい手術中に死んでも、この畜生が切り離されたところをお前が見てくれりゃ、俺は本望だ。なあ、お前からも先生によく御願いしてくれ」

 細君は啜(すす)り泣きを始めた。彼女は手拭で涙を拭き拭き、ただ私に向って御辞儀するだけであった。私は暫らくの間、どう返答してよいかに迷った。治癒の見込のない患者を手術するのは医師としての良心に背くけれど、人間として考えて見れば、この際、潔く患者の願いをきいてやるのが当然ではあるまいか。たといそのままにして置いたところが、一月とは持つまいと思われる容体である。若し、患者が手術に堪えて、怖しい腫物の切り離された姿を見ることが出来たならば、たしかに患者の心は救われるにちがいない。

「よろしい。望みどおり手術をしてあげよう」

 と、私ははっきりした声で言い放った。


       二


「気がついたかね? よかった、よかった。手術は無事に済んだよ。安心したまえ」

 翌日の午前に行われた手術の後、患者が麻酔から醒めたときいて、直(ただ)ちに病室を見舞った私は、白布の中からあらわれた渋紙色の顔に向って慰めるように言った。寝台(ベッド)を取り囲んで細君も看護婦も不安げに彼の顔をのぞきこんだ。

「有難う御座いました」

 と、患者は、まだかすかにクロロホルムのにおいをさせ乍(なが)ら答えた。

「静にして居たまえ」

 看護婦に必要な注意を与えた後、こういって私が立ち去ろうとすると、

「先生!」

 と患者が呼んだ。この声には力がこもって居て、今、麻酔から覚めたばかりの人の声とは思えなかった。私はその場にたたずんだ。

「御願いですから、できものを見せて下さい」

 私はびっくりした。患者の元気に驚くよりも、患者の執念に驚いたのである。

「あとで、ゆっくり見せてあげるよ。今はじっとして居なくてはいけない」

「どうか、今すぐ見せて下さい」こういって彼はその頭をむくりと上げた。私は両手を伸して制しながら、

「動いてはいかん。急に動くと気絶する」

「ですから、気絶せぬ先に見せて下さい」といって彼は再び頭を枕につけた。

 私は一種の圧迫を感じた。腫物(しゅもつ)の切り離された姿を見たいという慾望を満足させるために、施してならぬ手術を敢(あえ)てした私が、どうして彼の今のこの要求を拒むことが出来よう。私は看護婦に向って、先刻切り取った、彼の右の手を持って来るように命じた。

 やがて、看護婦は、ガーゼで覆われた、長径二尺(しゃく)ばかりの、楕円形の琺瑯(ほうろう)鉄器製の盆を捧げてはいって来た。それを見た患者は、

「おいお豊、起してくれ」

 と言った。

「いけない。いけない」

 私は大声で制したけれども、彼は駄々をこねる小児のように、どうしても起してくれと言ってきかなかった。起きることはたしかに危険である。危険であると知りながらも、私は彼の言葉に従わざるを得なかった。で、私は、右肩(うけん)から左の腋下(わきした)にかけて、胸部一面に繃帯をした軽い身体の背部に手を差し入れ、脳貧血を起させぬよう、極めて注意深く、寝台(ベッド)の上に起してやった。患者は気が張りつめて居たせいか案外平気であったが、でもその額の上には汗がにじみ出た。

 私は看護婦に彼の身を支えて居るよう命じ、それから、患者の両脚を蔽った白布の上に、琺瑯鉄器製の盆をそっと載せ、ガーゼの覆いを取り除けた。五本の指、掌(たなごころ)、前膊(ぜんはく)、上膊(じょうはく)、肩胛骨、その肩胛骨から発した肉腫が頭となって、全体が恰(あだか)も一種の生物の死体ででもあるかのように、血に塗(まみ)れて横たわって居た。患者の顔には、無力にされた仇敵(きゅうてき)を見るときのような満足な表情が浮び、二三度その咽喉仏(のどぼとけ)が上下した。彼の眼は、二の腕以下の存在には気づかぬものの如く、ひたすらに肉腫の表面にのみ注がれた。

 凡(およ)そ三分ばかり彼は黙って見つめて居たが、急にその呼吸がはげしくなり出した。ヨードホルムのにおいが室内に漂った。

「先生!」と彼は声を顫(ふる)わせて叫んだ。「手術に御使いになった小刀を貸して下さい」

「え?」と私はびっくりした。

「どうするの?」と細君も、心配そうに彼の顔をのぞき込んでたずねた。

「どうしてもいいんだ。先生、早く!」

 私は機械的に彼の命令に従った。二分の後私は、手術室から取って来た銀色のメスを盆の上に置いた。

 すると彼は、つと、その左手をのばして、肉腫を鷲づかみにした。彼の眼は鷲のように輝いた。

「うむ、冷たい。死んでるな!」

 こういい放って彼は細君の方を向いた。

「お豊? この繃帯を取って、俺の右の手を出してくれ!」

 この思いもよらぬ言葉に私はぎょっとした。はげしい戦慄が全身の神経を揺ぶった。

「まあ、お前さん……」と、細君。

 それから怖ろしい沈黙の十秒間! その十秒間に患者は、自分の右手が切り離されて眼の前にあることをはっきり意識したらしかった。

「ウフ、ウフ……」

 うめきとも笑いとも咳嗽(せき)ともわからぬ声を発したかと思うと、彼は突然その唇を紫色に変え、がくりとして看護婦の腕にもたれかかった。その時、彼の左手は身体と共に後方に引かれたが、左手の指が肉腫の組織に深くくい込んで居たため、切り離された右手は、盆をはなれて白布の上に引っ張り出された。

 そうして、五秒の後、断末魔の痙攣が起った時には、その右手も共に白布の上で躍って、あたり一面に血の斑点を振りまいた。

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