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뚝따닥 뚝딱(トカトントン:とかとんとん)

다자이 오사무(太宰 治) (1947)

일본어 원문


 拝啓。

 一つだけ教えて下さい。困っているのです。

 私はことし二十六歳です。生れたところは、青森市の寺町です。たぶんご存じないでしょうが、寺町の清華寺の隣りに、トモヤという小さい花屋がありました。わたしはそのトモヤの次男として生れたのです。青森の中学校を出て、それから横浜の或る軍需工場の事務員になって、三年勤め、それから軍隊で四年間暮し、無条件降伏と同時に、生れた土地へ帰って来ましたが、既に家は焼かれ、父と兄と嫂(あによめ)と三人、その焼跡にあわれな小屋を建てて暮していました。母は、私の中学四年の時に死んだのです。

 さすがに私は、その焼跡の小さい住宅にもぐり込むのは、父にも兄夫婦にも気の毒で、父や兄とも相談の上、このAという青森市から二里ほど離れた海岸の部落の三等郵便局に勤める事になったのです。この郵便局は、死んだ母の実家で、局長さんは母の兄に当っているのです。ここに勤めてから、もうかれこれ一箇年以上になりますが、日ましに自分がくだらないものになって行くような気がして、実に困っているのです。

 私があなたの小説を読みはじめたのは、横浜の軍需工場で事務員をしていた時でした。「文体」という雑誌に載っていたあなたの短い小説を読んでから、それから、あなたの作品を捜して読む癖がついて、いろいろ読んでいるうちに、あなたが私の中学校の先輩であり、またあなたは中学時代に青森の寺町の豊田さんのお宅にいらしたのだと言う事を知り、胸のつぶれる思いをしました。呉服屋の豊田さんなら、私の家と同じ町内でしたから、私はよく知っているのです。先代の太左衛門さんは、ふとっていらっしゃいましたから、太左衛門というお名前もよく似合っていましたが、当代の太左衛門さんは、痩(や)せてそうしてイキでいらっしゃるから、羽左衛門さんとでもお呼びしたいようでした。でも、皆さんがいいお方のようですね。こんどの空襲で豊田さんも全焼し、それに土蔵まで焼け落ちたようで、お気の毒です。私はあなたが、あの豊田さんのお家にいらした事があるのだという事を知り、よっぽど当代の太左衛門さんにお願いして紹介状を書いていただき、あなたをおたずねしようかと思いましたが、小心者ですから、ただそれを空想してみるばかりで、実行の勇気はありませんでした。

 そのうちに私は兵隊になって、千葉県の海岸の防備にまわされ、終戦までただもう毎日々々、穴掘りばかりやらされていましたが、それでもたまに半日でも休暇があると町へ出て、あなたの作品を捜して読みました。そうして、あなたに手紙を差上げたくて、ペンを執ってみた事が何度あったか知れません。けれども、拝啓、と書いて、それから、何と書いていいのやら、別段用事は無いのだし、それに私はあなたにとってはまるで赤の他人なのだし、ペンを持ったままひとりで当惑するばかりなのです。やがて、日本は無条件降伏という事になり、私も故郷にかえり、Aの郵便局に勤めましたが、こないだ青森へ行ったついでに、青森の本屋をのぞき、あなたの作品を捜して、そうしてあなたも罹災(りさい)して生れた土地の金木町に来ているという事を、あなたの作品に依って知り、再び胸のつぶれる思いが致しました。それでも私は、あなたの御生家に突然たずねて行く勇気は無く、いろいろ考えた末、とにかく手紙を、書きしたためる事にしたのです。こんどは私も、拝啓、と書いただけで途方にくれるような事はないのです。なぜなら、これは用事の手紙ですから。しかも火急の用事です。

 教えていただきたい事があるのです。本当に、困っているのです。しかもこれは、私ひとりの問題でなく、他にもこれと似たような思いで悩んでいるひとがあるような気がしますから、私たちのために教えて下さい。横浜の工場にいた時も、また軍隊にいた時も、あなたに手紙を出したい出したいと思い続け、いまやっとあなたに手紙を差上げる、その最初の手紙が、このようなよろこびの少い内容のものになろうとは、まったく、思いも寄らない事でありました。

 昭和二十年八月十五日正午に、私たちは兵舎の前の広場に整列させられて、そうして陛下みずからの御放送だという、ほとんど雑音に消されて何一つ聞きとれなかったラジオを聞かされ、そうして、それから、若い中尉がつかつかと壇上に駈けあがって、

「聞いたか。わかったか。日本はポツダム宣言を受諾し、降参をしたのだ。しかし、それは政治上の事だ。われわれ軍人は、あく迄(まで)も抗戦をつづけ、最後には皆ひとり残らず自決して、以て大君におわびを申し上げる。自分はもとよりそのつもりでいるのだから、皆もその覚悟をして居れ。いいか。よし。解散」

 そう言って、その若い中尉は壇から降りて眼鏡をはずし、歩きながらぽたぽた涙を落しました。厳粛とは、あのような感じを言うのでしょうか。私はつっ立ったまま、あたりがもやもやと暗くなり、どこからともなく、つめたい風が吹いて来て、そうして私のからだが自然に地の底へ沈んで行くように感じました。

 死のうと思いました。死ぬのが本当だ、と思いました。前方の森がいやにひっそりして、漆黒に見えて、そのてっぺんから一むれの小鳥が一つまみの胡麻粒(ごまつぶ)を空中に投げたように、音もなく飛び立ちました。

 ああ、その時です。背後の兵舎のほうから、誰やら金槌(かなづち)で釘(くぎ)を打つ音が、幽(かす)かに、トカトントンと聞えました。それを聞いたとたんに、眼から鱗(うろこ)が落ちるとはあんな時の感じを言うのでしょうか、悲壮も厳粛も一瞬のうちに消え、私は憑(つ)きものから離れたように、きょろりとなり、なんともどうにも白々しい気持で、夏の真昼の砂原を眺め見渡し、私には如何(いか)なる感慨も、何も一つも有りませんでした。

 そうして私は、リュックサックにたくさんのものをつめ込んで、ぼんやり故郷に帰還しました。

 あの、遠くから聞えて来た幽かな、金槌の音が、不思議なくらい綺麗(きれい)に私からミリタリズムの幻影を剥(は)ぎとってくれて、もう再び、あの悲壮らしい厳粛らしい悪夢に酔わされるなんて事は絶対に無くなったようですが、しかしその小さい音は、私の脳髄の金的(きんてき)を射貫いてしまったものか、それ以後げんざいまで続いて、私は実に異様な、いまわしい癲癇(てんかん)持ちみたいな男になりました。

 と言っても決して、兇暴(きょうぼう)な発作などを起すというわけではありません。その反対です。何か物事に感激し、奮い立とうとすると、どこからとも無く、幽かに、トカトントンとあの金槌の音が聞えて来て、とたんに私はきょろりとなり、眼前の風景がまるでもう一変してしまって、映写がふっと中絶してあとにはただ純白のスクリンだけが残り、それをまじまじと眺めているような、何ともはかない、ばからしい気持になるのです。

 さいしょ、私は、この郵便局に来て、さあこれからは、何でも自由に好きな勉強ができるのだ、まず一つ小説でも書いて、そうしてあなたのところへ送って読んでいただこうと思い、郵便局の仕事のひまひまに、軍隊生活の追憶を書いてみたのですが、大いに努力して百枚ちかく書きすすめて、いよいよ今明日のうちに完成だという秋の夕暮、局の仕事もすんで、銭湯へ行き、お湯にあたたまりながら、今夜これから最後の章を書くにあたり、オネーギンの終章のような、あんなふうの華やかな悲しみの結び方にしようか、それともゴーゴリの「喧嘩噺(けんかばなし)」式の絶望の終局にしようか、などひどい興奮でわくわくしながら、銭湯の高い天井からぶらさがっている裸電球の光を見上げた時、トカトントン、と遠くからあの金槌の音が聞えたのです。とたんに、さっと浪がひいて、私はただ薄暗い湯槽(ゆぶね)の隅で、じゃぼじゃぼお湯を掻(か)きまわして動いている一個の裸形の男に過ぎなくなりました。

 まことにつまらない思いで、湯槽から這(は)い上って、足の裏の垢(あか)など、落して銭湯の他の客たちの配給の話などに耳を傾けていました。プウシキンもゴーゴリも、それはまるで外国製の歯ブラシの名前みたいな、味気ないものに思われました。銭湯を出て、橋を渡り、家へ帰って黙々とめしを食い、それから自分の部屋に引き上げて、机の上の百枚ちかくの原稿をぱらぱらとめくって見て、あまりのばかばかしさに呆(あき)れ、うんざりして、破る気力も無く、それ以後の毎日の鼻紙に致しました。それ以来、私はきょうまで、小説らしいものは一行も書きません。伯父のところに、わずかながら蔵書がありますので、時たま明治大正の傑作小説集など借りて読み、感心したり、感心しなかったり、甚だふまじめな態度で吹雪の夜は早寝という事になり、まったく「精神的」でない生活をして、そのうちに、世界美術全集などを見て、以前あんなに好きだったフランスの印象派の画には、さほど感心せず、このたびは日本の元禄時代の尾形光琳(こうりん)と尾形乾山(けんざん)と二人の仕事に一ばん眼をみはりました。光琳の躑躅(つつじ)などは、セザンヌ、モネー、ゴーギャン、誰の画よりも、すぐれていると思われました。こうしてまた、だんだん私の所謂(いわゆる)精神生活が、息を吹きかえして来たようで、けれどもさすがに自分が光琳、乾山のような名家になろうなどという大それた野心を起す事はなく、まあ片田舎のディレッタント、そうして自分に出来る精一ぱいの仕事は、朝から晩まで郵便局の窓口に坐って、他人の紙幣をかぞえている事、せいぜいそれくらいのところだが、私のような無能無学の人間には、そんな生活だって、あながち堕落の生活ではあるまい。謙譲の王冠というものも、有るかも知れぬ。平凡な日々の業務に精励するという事こそ最も高尚な精神生活かも知れない。などと少しずつ自分の日々の暮しにプライドを持ちはじめて、その頃ちょうど円貨の切り換えがあり、こんな片田舎の三等郵便局でも、いやいや、小さい郵便局ほど人手不足でかえって、てんてこ舞いのいそがしさだったようで、あの頃は私たちは毎日早朝から預金の申告受附けだの、旧円の証紙張りだの、へとへとになっても休む事が出来ず、殊にも私は、伯父の居候の身分ですから御恩返しはこの時とばかりに、両手がまるで鉄の手袋でもはめているように重くて、少しも自分の手の感じがしなくなったほどに働きました。

 そんなに働いて、死んだように眠って、そうして翌(あく)る朝は枕元の目ざまし時計の鳴ると同時にはね起き、すぐ局へ出て大掃除をはじめます。掃除などは、女の局員がする事になっていたのですが、その円貨切り換えの大騒ぎがはじまって以来、私の働き振りに異様なハズミがついて、何でもかでも滅茶苦茶に働きたくなって、きのうよりは今日、きょうよりは明日と物凄(ものすご)い加速度を以て、ほとんど半狂乱みたいな獅子奮迅(ししふんじん)をつづけ、いよいよ切り換えの騒ぎも、きょうでおしまいという日に、私はやはり薄暗いうちから起きて局の掃除を大車輪でやって、全部きちんとすましてから私の受持の窓口のところに腰かけて、ちょうど朝日が私の顔にまっすぐにさして来て、私は寝不足の眼を細くして、それでも何だかひどく得意な満足の気持で、労働は神聖なり、という言葉などを思い出し、ほっと溜息(ためいき)をついた時に、トカトントンとあの音が遠くから幽かに聞えたような気がして、もうそれっきり、何もかも一瞬のうちに馬鹿らしくなり、私は立って自分の部屋に行き、蒲団(ふとん)をかぶって寝てしまいました。ごはんの知らせが来ても、私は、からだ工合が悪いから、きょうは起きない、とぶっきらぼうに言い、その日は局でも一ばんいそがしかったようで、最も優秀な働き手の私に寝込まれて実にみんな困った様子でしたが、私は終日うつらうつら眠っていました。伯父への御恩返しも、こんな私の我儘(わがまま)のために、かえってマイナスになったようでしたが、もはや、私には精魂こめて働く気などは少しもなく、その翌る日には、ひどく朝寝坊をして、そうしてぼんやり私の受持の窓口に坐り、あくびばかりして、たいていの仕事は、隣りの女の局員にまかせきりにしていました。そうしてその翌日も、翌々日も、私は甚だ気力の無いのろのろしていて不機嫌な、つまり普通の、あの窓口局員になりました。

「まだお前は、どこか、からだ工合がわるいのか」

 と伯父の局長に聞かれても薄笑いして、

「どこも悪くない。神経衰弱かも知れん」

 と答えます。

「そうだ、そうだ」と伯父は得意そうに、「俺もそうにらんでいた。お前は頭が悪いくせに、むずかしい本を読むからそうなる。俺やお前のように、頭の悪い男は、むずかしい事を考えないようにするのがいいのだ」と言って笑い、私も苦笑しました。

 この伯父は専門学校を出た筈(はず)の男ですが、さっぱりどこにもインテリらしい面影が無いんです。

 そうしてそれから、(私の文章には、ずいぶん、そうしてそれからが多いでしょう? これもやはり頭の悪い男の文章の特色でしょうかしら。自分でも大いに気になるのですが、でも、つい自然に出てしまうので、泣寝入りです)そうしてそれから、私は、コイをはじめたのです。お笑いになってはいけません。いや、笑われたって、どう仕様も無いんです。金魚鉢のメダカが、鉢の底から二寸くらいの個所にうかんで、じっと静止して、そうしておのずから身ごもっているように、私も、ぼんやり暮しながら、いつとはなしに、どうやら、羞(は)ずかしい恋をはじめていたのでした。

 恋をはじめると、とても音楽が身にしみて来ますね。あれがコイのヤマイの一ばんたしかな兆候だと思います。

 片恋なんです。でも私は、その女のひとを好きで好きで仕方が無いんです。そのひとは、この海岸の部落にたった一軒しかない小さい旅館の、女中さんなのです。まだ、はたち前のようです。伯父の局長は酒飲みですから、何か部落の宴会が、その旅館の奥座敷でひらかれたりするたびごとに、きっと欠かさず出かけますので、伯父とその女中さんとはお互い心易い様子で、女中さんが貯金だの保険だのの用事で郵便局の窓口の向う側にあらわれると、伯父はかならず、可笑(おか)しくもない陳腐な冗談を言ってその女中さんをからかうのです。

「このごろはお前も景気がいいと見えて、なかなか貯金にも精が出るのう。感心かんしん。いい旦那でも、ついたかな?」

「つまらない」

 と言います。そうして、じっさい、つまらなそうな顔をして言います。ヴァン・ダイクの画の、女の顔でなく、貴公子の顔に似た顔をしています。時田花江という名前です。貯金帳にそう書いてあるんです。以前は、宮城県にいたようで、貯金帳の住所欄には、以前のその宮城県の住所も書かれていて、そうして赤線で消されて、その傍にここの新しい住所が書き込まれています。女の局員たちの噂(うわさ)では、なんでも、宮城県のほうで戦災に遭って、無条件降伏直前に、この部落へひょっこりやって来た女で、あの旅館のおかみさんの遠い血筋のものだとか、そうして身持ちがよろしくないようで、まだ子供のくせに、なかなかの凄腕(すごうで)だとかいう事でしたが、疎開して来たひとで、その土地の者たちの評判のいいひとなんて、ひとりもありません。私はそんな、凄腕などという事は少しも信じませんでしたが、しかし、花江さんの貯金も決して乏しいものではありませんでした。郵便局の局員が、こんな事を公表してはいけない事になっているのですけど、とにかく花江さんは、局長にからかわれながらも、一週間にいちどくらいは二百円か三百円の新円を貯金しに来て、総額がぐんぐん殖えているんです。まさか、いい旦那がついたから、とも思いませんが、私は花江さんの通帳に弐百円とか参百円とかのハンコを押すたんびに、なんだか胸がどきどきして顔があからむのです。

 そうして次第に私は苦しくなりました。花江さんは決して凄腕なんかじゃないんだけれども、しかし、この部落の人たちはみんな花江さんをねらって、お金なんかをやって、そうして、花江さんをダメにしてしまうのではなかろうか。きっとそうだ、と思うと、ぎょっとして夜中に床からむっくり起き上った事さえありました。

 けれども花江さんは、やっぱり一週間にいちどくらいの割で、平気でお金を持って来ます。いまはもう、胸がどきどきして顔が赤らむどころか、あんまり苦しくて顔が蒼(あお)くなり額に油汗のにじみ出るような気持で、花江さんの取り澄まして差出す証紙を貼(は)った汚い十円紙幣を一枚二枚と数えながら、矢庭に全部ひき裂いてしまいたい発作に襲われた事が何度あったか知れません。そうして私は、花江さんに一こと言ってやりたかった。あの、れいの鏡花の小説に出て来る有名な、せりふ、「死んでも、ひとのおもちゃになるな!」と、キザもキザ、それに私のような野暮な田舎者には、とても言い出し得ない台詞(せりふ)ですが、でも私は大まじめに、その一言を言ってやりたくて仕方が無かったんです。死んでも、ひとのおもちゃになるな、物質がなんだ、金銭がなんだ、と。

 思えば思われるという事は、やっぱり有るものでしょうか。あれは五月の、なかば過ぎの頃でした。花江さんは、れいの如く、澄まして局の窓口の向う側にあらわれ、どうぞと言ってお金と通帳を私に差出します。私は溜息をついてそれを受取り、悲しい気持で汚い紙幣を一枚二枚とかぞえます。そうして通帳に金額を記入して、黙って花江さんに返してやります。

「五時頃、おひまですか?」

 私は、自分の耳を疑いました。春の風にたぶらかされているのではないかと思いました。それほど低く素早い言葉でした。

「おひまでしたら、橋にいらして」

 そう言って、かすかに笑い、すぐにまた澄まして花江さんは立ち去りました。

 私は時計を見ました。二時すこし過ぎでした。それから五時まで、だらしない話ですが、私は何をしていたか、いまどうしても思い出す事が出来ないのです。きっと、何やら深刻な顔をして、うろうろして、突然となりの女の局員に、きょうはいいお天気だ、なんて曇っている日なのに、大声で言って、相手がおどろくと、ぎょろりと睨(にら)んでやって、立ち上って便所へ行ったり、まるで阿呆みたいになっていたのでしょう。五時、七、八分まえに私は、家を出ました。途中、自分の両手の指の爪がのびているのを発見して、それがなぜだか、実に泣きたいくらい気になったのを、いまでも覚えています。

 橋のたもとに、花江さんが立っていました。スカートが短かすぎるように思われました。長いはだかの脚をちらと見て、私は眼を伏せました。

「海のほうへ行きましょう」

 花江さんは、落ちついてそう言いました。

 花江さんがさきに、それから五、六歩はなれて私が、ゆっくり海のほうへ歩いて行きました。そうして、それくらい離れて歩いているのに、二人の歩調が、いつのまにか、ぴったり合ってしまって、困りました。曇天で、風が少しあって、海岸には砂ほこりが立っていました。

「ここが、いいわ」

 岸にあがっている大きい漁船と漁船のあいだに花江さんは、はいって行って、そうして砂地に腰をおろしました。

「いらっしゃい。坐ると風が当らなくて、あたたかいわ」

 私は花江さんが両脚を前に投げ出して坐っている個所から、二メートルくらい離れたところに腰をおろしました。

「呼び出したりして、ごめんなさいね。でも、あたし、あなたに一こと言わずには居られないのよ。あたしの貯金の事、ね、へんに思っていらっしゃるんでしょう?」

 私も、ここだと思い、しゃがれた声で答えました。

「へんに、思っています。」

「そう思うのが当然ね」と言って花江さんは、うつむき、はだかの脚に砂を掬(すく)って振りかけながら、「あれはね、あたしのお金じゃないのよ。あたしのお金だったら、貯金なんかしやしないわ。いちいち貯金なんて、めんどうくさい」

 成る程と思い、私は黙ってうなずきました。

「そうでしょう? あの通帳はね、おかみさんのものなのよ。でも、それは絶対に秘密よ。あなた、誰にも言っちゃだめよ。おかみさんが、なぜそんな事をするのか、あたしには、ぼんやりわかっているんだけど、でも、それはとても複雑している事なんですから、言いたくないわ。つらいのよ、あたしは。信じて下さる?」

 すこし笑って花江さんの眼が妙に光って来たと思ったら、それは涙でした。

 私は花江さんにキスしてやりたくて、仕様がありませんでした。花江さんとなら、どんな苦労をしてもいいと思いました。

「この辺のひとたちは、みんな駄目ねえ。あたし、あなたに、誤解されてやしないかと思って、あなたに一こと言いたくって、それできょうね、思い切って」

 その時、実際ちかくの小屋から、トカトントンという釘打つ音が聞えたのです。この時の音は、私の幻聴ではなかったのです。海岸の佐々木さんの納屋(なや)で、事実、音高く釘を打ちはじめたのです。トカトントン、トントントカトン、とさかんに打ちます。私は、身ぶるいして立ち上りました。

「わかりました。誰にも言いません。」花江さんのすぐうしろに、かなり多量の犬の糞(ふん)があるのをそのとき見つけて、よっぽどそれを花江さんに注意してやろうかと思いました。

 波は、だるそうにうねって、きたない帆をかけた船が、岸のすぐ近くをよろよろと、とおって行きます。

「それじゃ、失敬」

 空々漠々たるものでした。貯金がどうだって、俺の知った事か。もともと他人なんだ。ひとのおもちゃになったって、どうなったって、ちっともそれは俺に関係した事じゃない。ばかばかしい。腹がへった。

 それからも、花江さんは相変らず、一週間か十日目くらいに、お金を持って来て貯金して、もういまでは何千円かの額になっていますが、私には少しも興味がありません。花江さんの言ったように、それはおかみさんのお金なのか、または、やっぱり花江さんのお金なのか、どっちにしたって、それは全く私には関係の無い事ですもの。

 そうして、いったいこれは、どちらが失恋したという事になるのかと言えば、私には、どうしても、失恋したのは私のほうだというような気がしているのですけれども、しかし、失恋して別段かなしい気も致しませんから、これはよっぽど変った失恋の仕方だと思っています。そうして私は、またもや、ぼんやりした普通の局員になったのです。

 六月にはいってから、私は用事があって青森へ行き、偶然、労働者のデモを見ました。それまでの私は社会運動または政治運動というようなものには、あまり興味が無い、というよりは、絶望に似たものを感じていたのです。誰がやったって、同じ様なものなんだ。また自分が、どのような運動に参加したって、所詮(しょせん)はその指導者たちの、名誉慾か権勢慾の乗りかかった船の、犠牲になるだけの事だ。何の疑うところも無く堂々と所信を述べ、わが言に従えば必ずや汝(なんじ)自身ならびに汝の家庭、汝の村、汝の国、否全世界が救われるであろうと、大見得を切って、救われないのは汝等がわが言に従わないからだとうそぶき、そうして一人のおいらんに、振られて振られて振られとおして、やけになって公娼(こうしょう)廃止を叫び、憤然として美男の同志を殴り、あばれて、うるさがられて、たまたま勲章をもらい、沖天(ちゅうてん)の意気を以てわが家に駈け込み、かあちゃんこれだ、と得意満面、その勲章の小箱をそっとあけて女房に見せると、女房は冷たく、あら、勲五等じゃないの、せめて勲二等くらいでなくちゃねえ、と言い、亭主がっかり、などという何が何やらまるで半気狂(きちが)いのような男が、その政治運動だの社会運動だのに没頭しているものとばかり思い込んでいたのです。それですから、ことしの四月の総選挙も、民主主義とか何とか言って騒ぎ立てても、私には一向にその人たちを信用する気が起らず、自由党、進歩党は相変らずの古くさい人たちばかりのようでまるで問題にならず、また社会党、共産党は、いやに調子づいてはしゃいでいるけれども、これはまた敗戦便乗とでもいうのでしょうか、無条件降伏の屍(しかばね)にわいた蛆虫(うじむし)のような不潔な印象を消す事が出来ず、四月十日の投票日にも私は、伯父の局長から自由党の加藤さんに入れるようにと言われていたのですが、はいはいと言って家を出て海岸を散歩して、それだけで帰宅しました。社会問題や政治問題に就いてどれだけ言い立てても、私たちの日々の暮しの憂鬱は解決されるものではないと思っていたのですが、しかし、私はあの日、青森で偶然、労働者のデモを見て、私の今までの考えは全部間違っていた事に気がつきました。

 生々溌剌(せいせいはつらつ)、とでも言ったらいいのでしょうか。なんとまあ、楽しそうな行進なのでしょう。憂鬱の影も卑屈の皺(しわ)も、私は一つも見出す事が出来ませんでした。伸びて行く活力だけです。若い女のひとたちも、手に旗を持って労働歌を歌い、私は胸が一ぱいになり、涙が出ました。ああ、日本が戦争に負けて、よかったのだと思いました。生れてはじめて、真の自由というものの姿を見た、と思いました。もしこれが、政治運動や社会運動から生れた子だとしたなら、人間はまず政治思想、社会思想をこそ第一に学ぶべきだと思いました。

 なおも行進を見ているうちに、自分の行くべき一条の光りの路がいよいよ間違い無しに触知せられたような大歓喜の気分になり、涙が気持よく頬を流れて、そうして水にもぐって眼をひらいてみた時のように、あたりの風景がぼんやり緑色に烟(けむ)って、そうしてその薄明の漾々(ようよう)と動いている中を、真紅の旗が燃えている有様を、ああその色を、私はめそめそ泣きながら、死んでも忘れまいと思ったら、トカトントンと遠く幽かに聞えて、もうそれっきりになりました。

 いったい、あの音はなんでしょう。虚無(ニヒル)などと簡単に片づけられそうもないんです。あのトカトントンの幻聴は、虚無(ニヒル)をさえ打ちこわしてしまうのです。

 夏になると、この地方の青年たちの間で、にわかにスポーツ熱がさかんになりました。私には多少、年寄りくさい実利主義的な傾向もあるのでしょうか、何の意味も無くまっぱだかになって角力(すもう)をとり、投げられて大怪我をしたり、顔つきをかえて走って誰よりも誰が早いとか、どうせ百メートル二十秒の組でどんぐりの背ならべなのに、ばかばかしい、というような気がして、青年たちのそんなスポーツに参加しようと思った事はいちども無かったのです。けれども、ことしの八月に、この海岸線の各部落を縫って走破する駅伝競走というものがあって、この郡の青年たちが大勢参加し、このAの郵便局も、その競争の中継所という事になり、青森を出発した選手が、ここで次の選手と交代になるのだそうで、午前十時少し過ぎ、そろそろ青森を出発した選手たちがここへ到着する頃だというので、局の者たちは皆、外へ見物に出て、私と局長だけ局に残って簡易保険の整理をしていましたが、やがて、来た、来た、というどよめきが聞え、私は立って窓から見ていましたら、それがすなわちラストヘビーというもののつもりなのでしょう、両手の指の股(また)を蛙(かえる)の手のようにひろげ、空気を掻き分けて進むというような奇妙な腕の振り工合で、そうしてまっぱだかにパンツ一つ、もちろん裸足(はだし)で、大きい胸を高く突き上げ、苦悶(くもん)の表情よろしく首をそらして左右にうごかし、よたよたよたと走って局の前まで来て、ううんと一声唸(うな)って倒れ、

「ようし! 頑張ったぞ!」と附添の者が叫んで、それを抱き上げ、私の見ている窓の下に連れて来て、用意の手桶(ておけ)の水を、ざぶりとその選手にぶっかけ、選手はほとんど半死半生の危険な状態のようにも見え、顔は真蒼(まっさお)でぐたりとなって寝ている、その姿を眺めて私は、実に異様な感激に襲われたのです。

 可憐(かれん)、などと二十六歳の私が言うのも思い上っているようですが、いじらしさ、と言えばいいか、とにかく、力の浪費もここまで来ると、見事なものだと思いました。このひとたちが、一等をとったって二等をとったって、世間はそれにほとんど興味を感じないのに、それでも生命(いのち)懸けで、ラストヘビーなんかやっているのです。別に、この駅伝競争に依って、所謂文化国家を建設しようという理想を持っているわけでもないでしょうし、また、理想も何も無いのに、それでも、おていさいから、そんな理想を口にして走って、以て世間の人たちにほめられようなどとも思っていないでしょう。また、将来大マラソン家になろうという野心も無く、どうせ田舎の駈けっくらで、タイムも何も問題にならん事は、よく知っているでしょうし、家へ帰っても、その家族の者たちに手柄話などする気もなく、かえってお父さんに叱られはせぬかと心配して、けれども、それでも走りたいのです。いのちがけで、やってみたいのです。誰にほめられなくてもいいんです。ただ、走ってみたいのです。無報酬の行為です。幼児の危い木登りには、まだ柿の実を取って食おうという慾がありましたが、このいのちがけのマラソンには、それさえありません。ほとんど虚無の情熱だと思いました。それが、その時の私の空虚な気分にぴったり合ってしまったのです。

 私は局員たちを相手にキャッチボールをはじめました。へとへとになるまで続けると、何か脱皮に似た爽(さわ)やかさが感ぜられ、これだと思ったとたんに、やはりあのトカトントンが聞えるのです。あのトカトントンの音は、虚無の情熱をさえ打ち倒します。

 もう、この頃では、あのトカトントンが、いよいよ頻繁に聞え、新聞をひろげて、新憲法を一条一条熟読しようとすると、トカトントン、局の人事に就いて伯父から相談を掛けられ、名案がふっと胸に浮んでも、トカトントン、あなたの小説を読もうとしても、トカトントン、こないだこの部落に火事があって起きて火事場に駈けつけようとして、トカトントン、伯父のお相手で、晩ごはんの時お酒を飲んで、も少し飲んでみようかと思って、トカトントン、もう気が狂ってしまっているのではなかろうかと思って、これもトカトントン、自殺を考え、トカトントン。

「人生というのは、一口に言ったら、なんですか」

 と私は昨夜、伯父の晩酌の相手をしながら、ふざけた口調で尋ねてみました。

「人生、それはわからん。しかし、世の中は、色と慾さ」

 案外の名答だと思いました。そうして、ふっと私は、闇屋(やみや)になろうかしらと思いました。しかし、闇屋になって一万円もうけた時のことを考えたら、すぐトカトントンが聞えて来ました、

 教えて下さい。この音は、なんでしょう。そうして、この音からのがれるには、どうしたらいいのでしょう。私はいま、実際、この音のために身動きが出来なくなっています。どうか、ご返事を下さい。

 なお最後にもう一言つけ加えさせていただくなら、私はこの手紙を半分も書かぬうちに、もう、トカトントンが、さかんに聞えて来ていたのです。こんな手紙を書く、つまらなさ。それでも、我慢してとにかく、これだけ書きました。そうして、あんまりつまらないから、やけになって、ウソばっかり書いたような気がします。花江さんなんて女もいないし、デモも見たのじゃないんです。その他の事も、たいがいウソのようです。

 しかし、トカトントンだけは、ウソでないようです。読みかえさず、このままお送り致します。敬具。


 この奇異なる手紙を受け取った某作家は、むざんにも無学無思想の男であったが、次の如き返答を与えた。


 拝復。気取った苦悩ですね。僕は、あまり同情してはいないんですよ。十指の指差すところ、十目の見るところの、いかなる弁明も成立しない醜態を、君はまだ避けているようですね。真の思想は、叡智(えいち)よりも勇気を必要とするものです。マタイ十章、二八、「身を殺して霊魂(たましい)をころし得ぬ者どもを懼(おそ)るな、身と霊魂(たましい)とをゲヘナにて滅し得る者をおそれよ」この場合の「懼る」は、「畏敬(いけい)」の意にちかいようです。このイエスの言に、霹靂(へきれき)を感ずる事が出来たら、君の幻聴は止む筈(はず)です。不尽(ふじん)。

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Posted by 문학관 관리인 위어조자(謂語助者)

아침(朝:あさ)

다자이 오사무(太宰 治) (1947)

일본어 원문


 私は遊ぶ事が何よりも好きなので、家で仕事をしていながらも、友あり遠方より来るのをいつもひそかに心待ちにしている状態で、玄関が、がらっとあくと眉(まゆ)をひそめ、口をゆがめて、けれども実は胸をおどらせ、書きかけの原稿用紙をさっそく取りかたづけて、その客を迎える。

「あ、これは、お仕事中ですね。」

「いや、なに。」

 そうしてその客と一緒に遊びに出る。

 けれども、それではいつまでも何も仕事が出来ないので、某所に秘密の仕事部屋を設ける事にしたのである。それはどこにあるのか、家の者にも知らせていない。毎朝、九時頃(ごろ)、私は家の者に弁当を作らせ、それを持ってその仕事部屋に出勤する。さすがにその秘密の仕事部屋には訪れて来るひとも無いので、私の仕事もたいてい予定どおりに進行する。しかし、午後の三時頃になると、疲れても来るし、ひとが恋しくもなるし、遊びたくなって、頃合いのところで仕事を切り上げ、家へ帰る。帰る途中で、おでんやなどに引かかって、深夜の帰宅になる事もある。

 仕事部屋。

 しかし、その部屋は、女のひとの部屋なのである。その若い女のひとが、朝早く日本橋の或(あ)る銀行に出勤する。そのあとに私が行って、そうして四、五時間そこで仕事をして、女のひとが銀行から帰って来る前に退出する。

 愛人とか何とか、そんなものでは無い。私がそのひとのお母さんを知っていて、そうしてそのお母さんは、或る事情で、その娘さんとわかれわかれになって、いまは東北のほうで暮しているのである。そうして時たま私に手紙を寄こして、その娘の縁談に就いて、私の意見を求めたりなどして、私もその候補者の青年と逢(あ)い、あれならいいお婿(むこ)さんでしょう、賛成です、なんてひとかどの苦労人の言いそうな事を書いて送ってやった事もあった。

 しかし、いまではそのお母さんよりも、娘さんのほうが、よけいに私を信頼しているように、どうも、そうらしく私には思われて来た。

「キクちゃん。こないだ、あなたの未来の旦那(だんな)さんに逢ったよ。」

「そう? どうでした? すこうし、キザね。そうでしょう?」

「まあ、でも、あんなところさ。そりゃもう、僕(ぼく)にくらべたら、どんな男でも、あほらしく見えるんだからね。我慢しな。」

「そりゃ、そうね。」

 娘さんは、その青年とあっさり結婚する気でいるようであった。

 先夜、私は大酒を飲んだ。いや、大酒を飲むのは、毎夜の事であって、なにも珍らしい事ではないけれども、その日、仕事場からの帰りに、駅のところで久し振りの友人と逢い、さっそく私のなじみのおでんやに案内して大いに飲み、そろそろ酒が苦痛になりかけて来た時に、雑誌社の編輯者(へんしゅうしゃ)が、たぶんここだろうと思った、と言ってウイスキー持参であらわれ、その編輯者の相手をしてまたそのウイスキーを一本飲みつくして、こりゃもう吐くのではなかろうか、どうなるのだろう、と自分ながら、そらおそろしくなって来て、さすがにもう、このへんでよそうと思っても、こんどは友人が、席をあらためて僕にこれからおごらせてくれ、と言い出し、電車に乗って、その友人のなじみの小料理屋にひっぱって行かれ、そこでまた日本酒を飲み、やっとその友人、編輯者の両人とわかれた時には、私はもう、歩けないくらいに酔っていた。

「とめてくれ。うちまで歩いて行けそうもないんだ。このままで、寝ちまうからね。たのむよ。」

 私は、こたつに足をつっこみ、二重廻(にじゅうまわ)しを着たままで寝た。

 夜中に、ふと眼がさめた。まっくらである。数秒間、私は自分のうちで寝ているような気がしていた。足を少しうごかして、自分が足袋をはいているままで寝ているのに気附(きづ)いてはっとした。しまった! いけねえ!

 ああ、このような経験を、私はこれまで、何百回、何千回、くりかえした事か。

 私は、唸(うな)った。

「お寒くありません?」

 と、キクちゃんが、くらやみの中で言った。

 私と直角に、こたつに足を突込んで寝ているようである。

「いや、寒くない。」

 私は上半身を起して、

「窓から小便してもいいかね。」

 と言った。

「かまいませんわ。そのほうが簡単でいいわ。」

「キクちゃんも、時々やるんじゃねえか。」

 私は立上って、電燈(でんとう)のスイッチをひねった。つかない。

「停電ですの。」

 とキクちゃんが小声で言った。

 私は手さぐりで、そろそろ窓のほうに行き、キクちゃんのからだに躓(つまず)いた。キクちゃんは、じっとしていた。

「こりゃ、いけねえ。」

 と私はひとりごとのように呟(つぶや)き、やっと窓のカアテンに触って、それを排して窓を少しあけ、流水の音をたてた。

「キクちゃんの机の上に、クレーヴの奥方という本があったね。」

 私はまた以前のとおりに、からだを横たえながら言う。

「あの頃の貴婦人はね、宮殿のお庭や、また廊下の階段の下の暗いところなどで、平気で小便をしたものなんだ。窓から小便をするという事も、だから、本来は貴族的な事なんだ。」

「お酒お飲みになるんだったら、ありますわ。貴族は、寝ながら飲むんでしょう?」

 飲みたかった。しかし、飲んだら、あぶないと思った。

「いや、貴族は暗黒をいとうものだ、元来が臆病(おくびょう)なんだからね。暗いと、こわくて駄目(だめ)なんだ。蝋燭(ろうそく)が無いかね。蝋燭をつけてくれたら、飲んでもいい。」

 キクちゃんは黙って起きた。

 そうして、蝋燭に火が点ぜられた。私は、ほっとした。もうこれで今夜は、何事も仕出かさずにすむと思った。

「どこへ置きましょう。」

「燭台(しょくだい)は高きに置け、とバイブルに在るから、高いところがいい。その本箱の上へどうだろう。」

「お酒は? コップで?」

「深夜の酒は、コップに注(つ)げ、とバイブルに在る。」

 私は嘘(うそ)を言った。

 キクちゃんは、にやにや笑いながら、大きいコップにお酒をなみなみと注いで持って来た。

「まだ、もう一ぱいぶんくらい、ございますわ。」

「いや、これだけでいい。」

 私はコップを受け取って、ぐいぐい飲んで、飲みほし、仰向に寝た。

「さあ、もう一眠りだ。キクちゃんも、おやすみ。」

 キクちゃんも仰向けに、私と直角に寝て、そうしてまつげの長い大きい眼を、しきりにパチパチさせて眠りそうもない。

 私は黙って本箱の上の、蝋燭の焔(ほのお)を見た。焔は生き物のように、伸びたりちぢんだりして、うごいている。見ているうちに、私は、ふと或る事に思い到(いた)り、恐怖した。

「この蝋燭は短いね。もうすぐ、なくなるよ。もっと長い蝋燭が無いのかね。」

「それだけですの。」

 私は黙した。天に祈りたい気持であった。あの蝋燭が尽きないうちに私が眠るか、またはコップ一ぱいの酔いが覚めてしまうか、どちらかでないと、キクちゃんが、あぶない。

 焔はちろちろ燃えて、少しずつ少しずつ短かくなって行くけれども、私はちっとも眠くならず、またコップ酒の酔いもさめるどころか、五体を熱くして、ずんずん私を大胆にするばかりなのである。

 思わず、私は溜息(ためいき)をもらした。

「足袋をおぬぎになったら?」

「なぜ?」

「そのほうが、あたたかいわよ。」

 私は言われるままに足袋を脱いだ。

 これはもういけない。蝋燭が消えたら、それまでだ。

 私は覚悟しかけた。

 焔は暗くなり、それから身悶(みもだ)えするように左右にうごいて、一瞬大きく、あかるくなり、それから、じじと音を立てて、みるみる小さくいじけて行って、消えた。

 しらじらと夜が明けていたのである。

 部屋は薄明るく、もはや、くらやみではなかったのである。

 私は起きて、帰る身支度をした。

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뚝따닥 뚝딱(トカトントン)

다자이 오사무(太宰 治) (1947)

번역 : 홍성필


 삼가 아룁니다.


 한 가지만 알려주세요. 매우 난처한 상황에 처해있습니다.


 저는 올해 스물여섯입니다. 태어난 곳은 아오모리(靑森) 시 테라마치(寺町)입니다. 아마도 모르시겠지만, 테라마치에 있는 청화사(淸華寺) 옆에 토모야라는 작은 꽃집이 있었습니다. 저는 그 토모야의 둘째 아들로 태어났습니다. 아오모리에 있는 중학교를 나와, 그로부터 요코하마(橫浜)에 있는 군수공장에서 사무원이 되고 3년 근무하여, 그리고는 군대에서 4년간 지냈으며 무조건항복과 함께 태어난 곳으로 돌아왔으나, 이미 집은 불에 타서 없고, 아버지와 형님과 형수님 셋이서 그 불탄 자리에 대충 작은 집을 지어 지내고 있습니다. 어머니께서는 제가 중학교 4학년 때 돌아가셨습니다.


 아무래도 제가 그 불에 타버린 자리에 세워진 작은 주택에 들어가기에는 아버지께도 형님들 부부에게도 죄송하여 아버지와 형님과 의논한 끝에 이곳 A라고 하는, 아오모리 시에서 20리 정도 떨어진 해안 부락에 있는 삼등우체국에 근무하게 되었습니다. 이 우체국은 돌아가신 어머님의 친정으로서 국장님께서는 어머니의 오라버님이십니다. 이곳에 근무한지 이제 1년 이상 됩니다만 나날이 자신이 별볼일 없어지는 듯하여 매우 고민입니다.


 제가 당신의 소설을 읽기 시작했던 것은 요코하마의 군수공장에서 사무원을 하고 있었던 때입니다. ‘문체(文體)’라는 잡지에 실려있던 당신의 짧은 소설을 읽고, 그리고는 당신의 작품을 찾아 읽는 버릇이 들어, 이것저것 읽고 있는 동안에 당신이 저희 중학교 선배이며, 또한 당신은 중학교 시절 아오모리 시 테라마치에 사는 토요타(豊田) 씨 댁에 계셨다는 사실을 알고 가슴이 터지는 듯했습니다. 포목상의 토요타 씨라면 저희 집과 같은 동네였으므로 저는 잘 알고 있었습니다. 선대의 타자에몬(太左衛門) 씨는 몸집이 크셨으므로 타자에몬이라는 이름이 매우 잘 어울리셨습니다. 당대의 타자에몬 씨는 살이 마르고 멋쟁이시므로 하네자에몬(羽左衛門)이라고도 불러드리고 싶을 정도였습니다. 그러나 여러분 모두가 좋은 분 같더군요. 이번 공습으로 토요타 씨 댁도 전소되고, 더구나 창고까지 불타 딱하게 되었습니다. 저는 당신이 그 토요타 씨 댁에 계셨다는 사실을 알고, 마음 같아서는 당대의 타자에몬 씨에게 부탁하여 소개장을 받아 당신을 찾아 뵐까도 했으나, 저는 너무도 소심하기에 그저 그런 일을 상상할 뿐 실행에 옮길 용기는 없습니다.


 그러는 동안 저는 군인이 되어 치바(千葉) 현 해안 쪽 방위로 파견되어 종전까지 그저 매일매일 구멍만 파고 있었으나, 그래도 간혹 반나절 정도라도 휴가가 있으면 동네로 나가 당신의 작품을 찾아 읽었습니다. 그리하여 당신께 편지를 보내드리고 싶어 펜을 들어본 것이 몇 번인지 모릅니다. 하지만 ‘삼가 아룁니다’ 라고 쓴 다음 무엇을 써야 할지, 특별한 용건은 없고 더구나 저는 당신에게 있어서는 전혀 모르는 남이므로 펜을 든 채로 혼자 당혹스러워할 따름이었습니다. 이윽고 일본은 무조건항복을 하게 되어 저도 고향으로 돌아가 A우체국에 근무하였으나, 얼마 전 아오모리에 간 김에 그곳에 있는 책방에 들러 당신 작품을 찾아, 그리고 당신도 피난을 하여 태어난 고향인 카나기마치(金木町)에 계시다는 사실을 당신의 작품에 의해 알게 되어 또다시 가슴이 터질 것만 같았습니다. 그래도 저는 당신의 생가로 갑자기 찾아 뵐 용기는 없고, 여러 가지 생각한 끝에 일단 편지를 적기로 한 것입니다. 이번에는 ‘삼가 아룁니다’ 라고 쓴 다음 할말을 잃는다는 일은 없습니다. 왜냐하면 이는 용건이 있는 편지이기 때문이기에. 더구나 화급한 용건입니다.


 가르쳐 주셨으면 하는 것이 있습니다. 정말 저는 어떻게 해야 할지 모르겠습니다. 더구나 이것은 저 혼자의 문제가 아닌, 저 외에도 이와 비슷한 생각으로 고민하고 있는 사람들이 있을 것 같으므로, 저희들을 위해 가르쳐주십시오. 요코하마에 있는 공장에 있었을 때에도, 또한 군대에 있었을 때에도 당신께 편지를 보내야지, 보내야지 했으나, 지금에 와서야 겨우 당신께 편지를 보내는, 그 첫 편지가 이와 같이 기쁨이 적은 내용이 되리라고는 전혀 생각지도 못했습니다.


 소화(昭和) 20년 8월 15일 정오에 저희들은 병영 앞 광장에 정렬하여, 그리고는 폐하 스스로 하시는 방송이라며, 거의 잡음에 섞여 무엇 하나 들리지도 않는 라디오 방송을 들은 후, 그리고 그리하여 그로부터 젊은 중위가 터벅터벅 단상 위로 뛰어 올라,


 “들었느냐. 알겠느냐. 일본은 포츠담 선언을 수락하고 항복한 것이다. 그러나 이는 정치적인 일이다. 우리 군인들은 끝까지 항전을 계속하고, 마지막에는 모두 하나도 남김없이 자결하여, 이로써 천황께 사죄를 드린다. 나는 본래부터 그럴 생각이었으니 모두들 그 각오를 해 두도록. 알겠나. 좋아. 해산.”


 그렇게 말하고서 그 젊은 중위는 단에서 내려와 안경을 빼고는 걸으면서 뚝뚝 눈물을 흘렸습니다. 엄숙함이란 그런 장면을 말하는 것일까요. 저는 똑바로 선채로 주변이 점점 어두워져, 어디선가 차가운 바람이 불어와, 그리하여 제 몸이 자연스럽게 땅 밑으로 가라앉는 듯한 느낌을 받았습니다.


 죽으려고 했습니다. 정말 죽어야 한다고 생각했습니다. 전방에 보이는 숲이 묘하게도 조용하여 칠흑처럼 보이고, 그 꼭대기에서 한 무리의 작은 새들이 한 줌의 깨를 공중으로 뿌린 것처럼 소리 없이 날아올랐습니다.


 아아, 그 때입니다. 등뒤 병영 쪽으로부터 누군가가 망치로 못을 박는 소리가 희미하게 뚝따닥 뚝딱 하고 들려왔습니다. 그것을 들은 순간, 눈에서 콩깍지가 떨어진다는 건 마치 그런 느낌을 말하는 것일까요. 비장함도 엄숙함도 순식간에 사라져버려, 저는 무엇인가에 씐 것이 떠난 것처럼 정신이 들어, 왠지 어딘지 모르게 멍한 느낌이었으며, 여름철 대낮의 모래벌판을 바라보아도 저는 어떠한 감개도 무엇 하나 없었습니다.


 그리하여 저는 배낭에 많은 것을 쑤셔 넣고 멍하니 고향으로 돌아왔습니다.


 그 멀리서부터 들려왔던 희미한 망치소리가 이상할 정도로 깨끗하게 저로부터 밀리터리즘(militarism)의 환영(幻影)을 깎아내 주어, 이제 또다시 그 비장함이나 엄숙함 같은 악몽에 취하는 일은 절대 없어졌으나, 그러나 그 작은 소리는 제 머리 속 정곡을 정확하게 찔렀는지, 그 후로 현재까지 이어져서, 저는 실로 이상하고 흉측한 간질병 환자 같은 인간이 되었습니다.


 그렇다고 해서 절대 난폭하게 발작 같은 것을 일으키는 것은 아닙니다. 그 반대입니다. 무슨 일에 감격하여 불끈 하려 해도 어디선가에서 희미하게 뚝따닥 뚝딱, 하고 그 쇠망치 소리가 들려와, 그 순간 저는 꿈에서 깨어난 듯 눈앞의 풍경이 완전히 바뀌어버려, 마치 영사기가 끊기고는 그저 하얀 스크린만이 남은 것처럼, 그것을 가만히 쳐다보고 있는 듯한, 말로 표현할 수 없을 정도로 허탈하고 바보 같은 기분이 드는 것입니다.


 처음에 저는 이 우체국으로 와서, 자, 이제부터는 무엇이든 하고 싶은 공부를 할 수 있다, 우선 소설이라도 써서, 그리하여 당신께 보내드리고 싶어 우체국의 업무 틈틈이 군대생활의 추억을 써보았는데, 열심히 노력하여 200매 가까이 쓰고서, 이제 드디어 오늘 내일 중에 완성한다고 생각했던 가을 저녁, 우체국 일도 끝나 목욕탕에 가서, 물에 들어가 있으면서 오늘 밤 이제부터 마지막 장을 쓸 때, 오네긴의 마지막 장과도 같은, 그런 식으로 화려한 슬픔으로 맺을까, 혹은 고골리의 “싸움이야기” 식 절망적인 결말로 할까, 하면서 매우 흥분하고 가슴 설레며 목욕탕 안 높은 천장에 매달려 있는 백열등 불빛을 올려보자, 뚝따닥 뚝딱, 이라며 멀리서 그 쇠망치 소리가 들려온 것입니다. 그 순간 마치 썰물이 일어나듯 저는 그저 어두침침한 욕조 구석에서 출렁출렁 물을 휘졌고 있는 한 헐벗은 인간에 불과해졌습니다.


 매우 진부한 느낌이 들어, 욕조에서 기어 나와서는 발바닥 떼나 밀고 함께 있는 손님들의 배급에 대한 이야기에 귀를 기울이고 있었습니다. 푸쉬킨도 고골리도 그것은 마치 외제 칫솔 이름처럼 느껴져 재미없고 따분하게 들렸습니다. 목욕탕을 나와 다리를 건너 집으로 돌아와 묵묵히 밥을 먹고, 그리고 제 방으로 들어가 책상 앞에 200장 가까운 원고지를 뒤져보고는 너무나도 유치하여 어이가 없고 짜증이 나서 찢어버릴 힘도 없어, 그 이후 매일 휴지 대용으로 썼습니다. 그날 이후 저는 오늘까지 소설 같은 것은 한 줄도 쓰지 않습니다. 백부님 댁에 약간의 장서가 있기에 가끔 명치(明治)시대, 대정(大正)시대 때의 걸작소설집 같은 것을 빌려 감탄하기도 감탄하지 않기도 하며, 매우 불성실한 태도로 눈보라 치는 밤은 일찍 잠자리에 들고, 전혀 정신적이지 못한 생활을 하여, 그러는 동안 세계미술전집 등을 보고, 이전에 그리도 좋아했던 프랑스 인상파 그림에는 그리 감탄하지 않고, 요즘은 일본 겐로쿠(元祿) 시대의 오가타 코린(尾形 光琳)과 오가타 겐잔(乾山) 두 사람의 그림들이 눈을 끌었습니다. 코린의 진달래 등은 세잔느, 모네, 고갱, 누구의 그림보다도 훌륭하게 여겨졌습니다. 이리하여 다시 점점 저의 이른바 정신생활이 부활한 듯하여, 그러나 아무래도 제가 코린이나 겐잔처럼 대가가 되려는 거만한 야심을 일으키는 일 없이, 그저 시골의 딜레탕트(dilettante), 그리고 자신이 할 수 있는 최상의 일은 아침부터 밤까지 우체국 창구에 앉아 다른 사람들의 돈을 세고 있는 일, 기껏해야 그 정도지만, 저 같은 무능무학의 인간에게는 그런 생활이라 해도 그리 타락한 생활은 아니겠지. 겸손의 왕관이라는 것도 있을 지도 모른다. 평범한 나날의 업무를 열심히 하는 일이야 말로 가장 고상한 정신생활일지도 모른다. 하고 조금씩 자신의 하루하루 생활에 자부심을 느끼게 되어, 그 무렵 마침 화폐개혁령이 떨어져 이런 시골 촌에 있는 삼등우체국에서도, 아니아니, 작은 우체국일수록 일손부족이라서 정신 없이 바쁜 듯하여, 그 무렵 저희들은 아침 일찍부터 예금신고접수나, 구 화폐에 인지를 붙이느라 녹초가 되어도 쉴 수가 없어, 특히 저는 백부님 댁에 얹혀사는 몸이었으니 은혜를 갚아드릴 절호의 기회라며 두 손이 마치 쇠장갑이라도 끼고 있는 것처럼 무거워, 조금도 제 손이라는 느낌이 없어질 정도로 일했습니다.


 그렇게 일하고 죽은 듯이 잠이 들고, 그리하여 다음 날 아침은 머리맡에 놓인 자명종이 울리는 것과 동시에 벌떡 일어나 곧바로 우체국에 출근하여 대청소를 시작합니다. 청소 같은 일은 여직원이 하게 되어 있었으나, 그 화폐교환작업이라는 대소란이 일어난 이후, 제 일처리에도 묘한 탄력이 붙어 닥치는 대로 마구 일하고 싶어져, 어제보다는 오늘, 오늘보다는 내일이라는 식으로 무척이나 가속이 붙어, 거의 반 미친 것처럼 사자분신(獅子奮迅)을 계속하여, 바야흐로 화폐교환에 따른 난리도 오늘로 끝이라는 날에, 저는 역시 아직 동이 트기 전부터 일어나 우체국 청소를 서둘러 하고, 모두 마친 후 제 자리에 앉아, 마침 햇살이 제 얼굴에 비추어 와서, 저는 수면부족인 눈을 가슴츠레 뜨고, 그래도 왠지 매우 만족스런 기분이 들어, 노동은 신성하다는 말이 떠올라 살짝 숨을 내쉬었을 때, 뚝따닥 뚝딱 하고 그 소리가 멀리서 들려온 듯하여, 갑자기 모든 것이 쓸모 없어지는 것 같아, 저는 일어서서 제 방으로 들어가 이불을 뒤집어쓰고 누워버렸습니다. 식사를 하라고 해도 저는 몸이 안 좋아 오늘은 일어나지 않겠다며 무뚝뚝하게 말하고, 그 날은 우체국에서도 제일 바빴다고 했는데, 가장 능력 있게 일했던 제가 자리에 눕자, 실로 모두 곤란한 모습이었으나, 저는 종일 비몽사몽 잠을 자고 말았습니다. 백부님께 은혜를 갚는 것도, 저의 이런 태도 때문에 오히려 마이너스가 된 듯했으나, 이미 제게는 정성 들여 일할 기분은 조금도 없어, 그 다음 날은 매우 늦게 일어나, 그리고 멍하니 제 자리에 앉아 하품만 하다가, 대부분의 일은 옆자리에 앉아 있는 여직원에게 맡겨놓고 있었습니다. 그리하여 그 다음날도, 다다음날도 저는 심히 기력이 없어 게으르고 불쾌한, 즉 우체국 창구에 앉은 평범한 직원이 되었습니다.


 “아직 넌 어디 몸이 안 좋은가?”


 라고 백부님인 국장이 물어봐도 슬쩍 웃음을 지으며,


 “어디도 나쁘지 않아요. 신경쇠약인지도 모릅니다.”


 라고 대답합니다.


 “그래, 맞아. 라고 백부님은 만족스럽다는 듯이, “나도 그런 줄 알았다. 넌 머리가 나쁜 주제에 어려운 책을 읽으니까 그렇게 된 거야. 나나 너처럼 머리 나쁜 사람들은 어려운 일을 생각하지 않는 게 하는 게 좋아.” 라고 말하여 웃고, 저도 씁쓸하게 웃었습니다.


 이 백부님은 분명 전문학교를 나왔다고 하는데, 정말 어디에도 인텔리 같은 모습이 없습니다.


 그리고 그리하여, (제 글에는 무척 ‘그리고 그리하여’가 많지요? 이것도 역시 머리 나쁜 사람이 쓰는 문장의 특색일까요. 저도 매우 신경 쓰이지만, 그래도 본의 아니게 나오니 어쩔 수가 없습니다.) 그리고 그리하여 저는 사랑을 시작했습니다. 웃으시면 안됩니다. 아니, 웃으셔도 할 수 없습니다. 어항에 든 송사리가 바닥에서 5센티 정도 높이에 뜬 채로 가만히 멈춘 채로, 그리고 스스로 아이라도 가진 것처럼 저도 멍하니 지내며 언제랄 것도 없이 아무래도 부끄러운 사랑을 시작한 것이었습니다.


 사랑을 시작하면 매우 음악이 마음에 와 닿더군요. 그것이 사랑의 질병에 대한 분명한 징조라고 생각합니다.


 짝사랑입니다. 하지만 저는 그 여성이 너무도 좋아 어쩔 줄을 모릅니다. 그 분은 이 곳 해안에 있는 부락에 한 채밖에 없는 작은 여관에서 일하는 분입니다. 아직 스무 살도 안된 듯해 보입니다. 백부님인 국장이 술을 좋아하시므로 무슨 부락에 연회가 그 여관 연회석에서 열리거나 할 때마다 꼭 나가시기에, 백부님과 그 분은 서로 잘 아는 사이인 듯, 그 분이 예금이나 보험 같은 볼일로 우체국 창구에 나타나면 백부님은 웃기지도 않은 진부한 농담을 하여 그 분을 놀립니다.


 “요즘은 너도 경기가 좋아서 저금도 꽤 열심히 하나 보구만. 아주 좋은 일이야. 괜찮은 남자라도 생겼나?”


 “재미없어요.”


 라고 말합니다. 그리고 실제로 재미 없는 듯한 표정을 지으며 말합니다. 반 다이크 그림의 여자 얼굴이 아닌, 귀공자를 닮은 얼굴을 하고 있습니다. 토키타 하나에(時田花江)라는 이름입니다. 예금통장에 그렇게 적혀 있었습니다. 예전에는 미야기(宮城) 현에 살고 있었던 듯, 통장의 주소란에는 예전의 그 미야기현 주소도 적혀 있어, 그리고 빨잔 줄로 지워지고, 그 옆에 이곳 새로운 주소가 적혀 있습니다. 여직원들의 소문에 의하면 미야기 현 쪽에서 전쟁 피해를 입어, 무조건항복 직전에 이 부락으로 불쑥 나타난 여자로서, 그 여관 주인 아주머니와 먼 친척이라고 하며, 품행이 그리 좋지 않아, 아직 어리면서도 수완이 좋다는 말이었으나, 피난 온 사람들 중 그 동네 사람들한테 좋은 소리를 듣는 사람이란 하나도 없습니다. 저는 그런 수완이 좋다는 말은 조금도 믿지 않았습니다만, 그러나 하나에 씨의 저금도 절대 볼품없는 것이 아니었습니다. 우체국 직원이 이런 일을 공표하면 안되도록 되어있으나 아무튼 하나에 씨는 우체국 국장에게 놀림을 받으면서도 일주일에 한 번 정도는 200엔에서 300엔의 새 화폐를 예금하러 와서, 총액이 점점 늘어가고 있는 것입니다. 설마 좋은 남자가 생겼으니까, 라고 생각되진 않습니다만, 저는 하나에 씨의 통장에 200엔이나 300엔이라고 적힌 도장을 찍을 때마다 왠지 가슴이 설레며 얼굴이 붉어지는 것이었습니다.


 그리하여 점차 저는 괴로워졌습니다. 하나에 씨가 절대 수완이 좋다거나 하는 것은 아니지만, 그러나 이 부락 사람들은 모두 하나에 씨를 노리고, 돈을 주거나 하여 하나에 씨를 못쓰게 만들어버리지는 않을까, 분명 그렇다는 생각이 들어 깜짝 놀라 밤중에 자다가 벌떡 일어난 적도 있습니다.


 그러나 하나에 씨는 역시 일주일에 한 번 정도 꼴로 아무렇지도 않게 돈을 가지고 옵니다. 지금은 이제 가슴이 두근거려 얼굴이 빨개지다 못해, 너무나 가슴이 막혀 얼굴이 파랗게 질리고 이마에는 식은 땀이 흐르는 듯한 마음으로, 하나에 씨가 태연하게 내놓는, 인지가 붙은 지저분한 10엔 지폐를 한 장 두 장 세면서, 문득 전부 찢어버리고 싶어지는 발작이 일어났을 때가 한 두 번이 아닙니다. 그리하여 저는 하나에 씨에게 한 마디 해주고 싶었습니다. 그 카가비바나(鏡花) 소설에 나오는 유명한 대사, “죽어도 사람들의 놀이개가 되진 말아라!”라는 멋 떨어진, 그러나 저 같은 볼품없는 시골 촌놈한테는 도저히 꺼낼 수 없는 대사이지만, 그래도 저는 진지하게 그 한 마디를 간절히 해주고 싶었습니다. 죽어도 사람들의 놀이개가 되진 말아라, 물질이라는 게 다 뭐냐, 돈이 다 뭐냐, 라면서 말이죠.


 누구를 생각하면 그 사람도 저를 생각한다는 말이 정말 맞는 것일까요. 그것은 5월 중순이 조금 지났을 때였습니다. 하나에 씨는 여전히 태연하게 창구 너머로 나타나, 부탁합니다, 라고 하며 돈과 통장을 제게 내밀었습니다. 저는 한 숨을 쉬고 그것을 받아 들어, 슬픈 마음으로 지저분한 지폐를 한 장 두 장 셉니다. 그리하여 통장에 금액을 적고서는 묵묵히 하나에 씨에게 되돌려주었습니다.


 “5시쯤 시간 있으세요?”


 저는 저 자신의 귀를 의심했습니다. 봄바람에 속고 있는 것이 아닐까 했습니다. 그만큼 낮고 빠른 말이었습니다.


 “시간이 되시면 다리 쪽으로 오세요.”


 그렇게 말하고 살며시 웃고는, 곧 태연하게 하나에 씨는 사라졌습니다.


 저는 시계를 보았습니다. 두 시를 조금 넘어 있었습니다. 그로부터 5시까지, 창피한 말이지만 제가 무엇을 하고 있었는지 아무리 생각해도 모르겠습니다. 분명 괜히 심각한 표정을 짓고서는 우왕좌왕 하며 갑자기 옆에 앉은 여직원에게 오늘은 날씨가 참 좋다, 라며 흐린 날인데도 큰 소리로 말하고는 상대방이 놀라자 눈을 부라린 후 일어서서 화장실에 간다거나, 정말 바보 같았겠지요. 5시, 7, 8분 전에 저는 집을 나섰습니다. 도중 제 두 손의 손톱이 자란 것을 보고, 그것이 왠지 정말 울고 싶을 정도로 신경이 쓰였던 것을 지금도 기억합니다.


 다리 옆에 하나에 씨가 서 있었습니다. 치마가 너무 짧은 것처럼 보였습니다. 길게 뻗은 다리의 맨살을 살짝 보고 저는 눈을 돌렸습니다.


 “바다 쪽으로 가요.”


 하나에 씨는 차분히 그렇게 말했습니다.


 하나에 씨가 먼저, 그리고 대여섯 발자국 떨어져 제가 천천히 바다 쪽으로 걸어갔습니다. 그리고 그 정도 떨어져 걷고 있는데도 두 사람의 발걸음이 어느새 딱 맞아서 난처했습니다. 흐린 날에 바람이 조금 불어, 바닷가에는 모래가 날리고 있었습니다.


 “여기가 좋겠어요.”


 바닷가에 정박해 놓은 큰 어선과 어선 사이에 하나에 씨는 들어가, 그리고 모랫바닥 위에 앉았습니다.


 “이리 와요. 앉으면 바람도 안 불고 따뜻해요.”


 저는 하나에 씨가 두 다리를 앞으로 뻗고 앉아 있는 곳에서 2미터 정도 떨어진 곳에 앉았습니다.


 “불러내서 미안해요. 하지만 당신께 한 마디 하지 않고서는 견딜 수가 없었어요. 저를 저금, 있잖아요, 이상하게 생각하고 있죠?”


 저도 때는 이 때다 싶어, 진지한 목소리로 대답했습니다.


 “이상하게 생각합니다.”


 “그렇게 생각하는 게 당연하겠죠.” 라고 말하고 하나에 씨는 고개를 숙이고는 맨살인 다리 위에 모래를 짚고 뿌리면서 “그건요, 제 돈이 아니에요. 제 돈이라면 저금 같은 건 안 해요. 일일이 저금 같은 건 귀찮아요.”


 그렇구나 하는 생각이 들어 저는 말없이 고개를 끄덕였습니다.


 “그렇잖아요? 그 통장은요, 주인 아주머니 거예요. 하지만 이건 절대로 비밀이에요. 당신, 아무한테도 말하면 안 돼요. 주인 아주머니가 왜 그런 일을 하는지 제게는 어느 정도 알고 있지만, 하지만 그건 정말 복잡한 일이니까 말하기 싫어요. 가슴이 아프거든요, 저는. 믿어 주시겠어요?”


 조금 웃고서 하나에 씨의 눈이 이상하게 반짝이기 시작했다고 생각하자, 그것은 눈물이었습니다.


 저는 하나에 씨에게 키스를 하고 싶어 견딜 수가 없었습니다. 하나에 씨와 함께라면 어떤 고생도 감수할 수 있다고 생각했습니다.


 “이쪽 주변 사람들은 모두 정말 싫어요. 전 당신한테 오해 받고 있지나 않을까 하여, 당신한테 한 마디 드리고 싶어서, 그래서 오늘 큰맘 먹고.”


 그 때 실제로 근처에 있는 오두막집에서 뚝따닥 뚝딱 하고 못 박는 소리가 들려온 것입니다. 이 때의 소리는 제 환청이 아니었습니다. 해안에 있는 사사키 씨의 창고로서, 사실 큰 소리로 못을 박기 시작한 것입니다. 뚝딱뚝딱, 뚝따닥 뚝딱, 연신 망치질을 합니다. 저는 몸을 떨며 일어섰습니다.


 “알겠습니다. 다른 사람에게는 말하지 않겠습니다.” 하나에 씨의 바로 뒤편에 상당히 많은 양의 개 똥이 있는 것을 그 때 보고는, 웬만하면 그것을 하나에 씨에게 말해주려고 했습니다.


 바다는 나른하게 파도 치며, 지저분한 돛을 단 배가 강가 바로 옆을 비틀비틀 지나갑니다.


 “그럼 실례.”


 삭막할 따름이었습니다. 저금이 어찌 되었든 내가 알 게 뭐야. 본래 남남이다. 사람들 놀이개가 되든 말든 그게 나와 무슨 상관인가. 바보 같으니라구. 배가 고프다.


 그로부터 하나에 씨는 여전히 일주일 또는 열흘 간격으로 돈을 가져와 저금하고, 벌써 이제 몇 천원까지 갔으나, 제게는 조금도 흥미가 없습니다. 하나에 씨 말처럼 그것이 주인 아주머니의 돈인지, 아니면 역시 하나에 씨의 돈인지, 어찌되었든 그건 전혀 나와 상관 없는 일이거든요.


 그리하여 대체 이것은 어느 쪽이 실연당한 것인지 따져보면, 제게는 아무래도 실연당한 쪽은 제가 아닐까 합니다만, 그래도 실연당했다고 해서 그리 슬픈 마음도 들지 않으므로, 이건 정말 이상한 실연방법이라고 생각합니다. 그리하여 저는 또다시 멍한, 아무런 생각 없는 평범한 우체국 직원으로 돌아온 것입니다.


 6월에 들어 저는 볼일이 있어서 아오모리에 가서 우연히 노동자들의 데모를 보았습니다. 그때까지 저는 사회운동 또는 정치운동 같은 것에는 그리 흥미가 없고, 라기 보다는 절망 같은 것을 느끼고 있었습니다. 누가 해도 비슷하다, 또한 자신이 어떤 운동에 참여해도 어차피 그 지도자들의 명예욕이나 권력욕을 위해 희생될 뿐이다, 아무런 의심할 것 없이 당당하게 소신을 피력하고 내 말을 따르면 분명 너와 네 집, 네 마을, 네 나라, 아니 전세계가 구원 받으리라 하며 거창하게 외치고는, 구원 받지 못하는 것은 너희들이 내 말을 따르지 않기 때문이라면서, 그리하여 한 기생에게 채이고 채이고 또 채이고는 자포자기가 되어 공창 폐지를 외치고 분연히 미남 동지를 때리고 횡포를 부리며, 너무나 시끄럽게 군 덕분에 어쩌다가 훈장도 받아, 흥분하며 서둘러 집으로 돌아가 마누라에게 이것 봐, 라며 의기양양, 그 훈장이 든 작은 상자를 조심스럽게 열어 마누라에게 보이면, 마누라는 냉정하게 어머, 5등훈장이잖아요, 이왕 받을 거라면 2등훈장 정도는 돼야지, 라고 말하고 남편은 낙담하는 식의, 시종일관 반 미치광이 같은 인간들이 그 정치운동이다 사회운동이다 하는 것에 몰두하고 있는 것으로 알고 있었습니다. 그랬기에 올해 4월 총선거도 민주주의다 뭐다 떠들어대도 제게는 도무지 그들에게 믿음이 안가고, 자유당, 진보당은 여전히 낡아빠진 사람들만 있는 것 같아 말할 것도 없고, 사회당, 공산당은 묘하게 들떠있긴 하지만, 이것도 역시 패전편승이라고나 할까요, 무조건항복이라는 시체 위에 생긴 구더기들처럼 불결한 인상을 지울 수가 없어, 투표일이었던 4월 10일에 저도 백부님이신 우체국장으로부터 자유당 카토(加藤) 씨를 찍으라는 말을 들었으나, 네, 네 하고는 집을 나와 바닷가를 산책하고, 그리고는 그냥 집으로 돌아갔습니다. 사회문제나 정치문제에 대해 아무리 말을 해대도 저희들의 하루하루 생활 속에 있는 우울함은 해결될 수 없다고 생각했었으나, 하지만 저는 그날 아오모리에서 우연히 노동자들의 데모를 보고, 지금까지 가지고 있던 제 생각은 모두 틀렸다는 것을 깨달았습니다.


 생기발랄, 이라고 해야 될까요. 어찌도 그렇게 즐거워하는 행진이었는지 모릅니다. 우울함의 그림자도 비굴의 주름도, 저는 무엇 하나 찾아볼 수 없었습니다. 오직 넘쳐나는 활력뿐이었습니다. 젊은 여성들도 손에 깃발을 들고 노동가요를 불렀으며, 저는 가슴이 벅차 올라, 눈물이 흘렀습니다. 아아, 일본이 전쟁에 지길 잘했다고 생각했습니다. 태어나서 처음으로 진정한 자유라는 모습을 본 것 같았습니다. 만약 이것이 정치운동이나 사회운동으로부터 태어난 결과라고 한다면, 인간은 우선 정치사상, 사회사상이야말로 제일 먼저 배워야 한다고 생각했습니다.


 계속 행진을 보고 있는 동안, 제가 가야 할 한줄기 빛이 드디어 분명히 나타난 것처럼 기쁨에 가득 차, 눈물이 상쾌하게 얼굴을 흘러내려, 그리고 물속에 들어가 눈을 떴을 때처럼 주변 풍경이 뿌연 초록빛으로 번져, 그리고 그 희미한 불빛 속을 붉은 깃발이 타오르는 듯한 모습을, 아아, 그 빛깔을 보며 저는 울면서, 죽어도 잊지 않으리라 생각하자, 뚝따닥 뚝딱 하고 저 멀리서부터 들려와, 이제 그것뿐이 되고 말았습니다.


 도대체 저 소리는 무엇일까요. 허무라는 이름으로 쉽게 치워버릴 수도 없을 것 같습니다. 그 뚝따닥 뚝딱 하는 환청은 허무마저도 허물어뜨립니다.


 여름이 되면 이 지방 청년들 사이에서 급격하게 스포츠 열기가 달아오릅니다. 제게는 다소 늙은이 같은 실리주의적인 경향이라도 있는 것일까요. 아무런 의미 없이 발가벗고 씨름을 하고, 내던져져 큰 상처를 입는다든가, 얼굴을 붉히며 힘껏 달려 누구보다 누가 더 빠르다든가, 어차피 100미터를 20초 대에 달리는 사람들끼리 도토리 키 재기인데, 쓸데없는 짓들인 것처럼 보여, 청년들이 하는 그런 스포츠에 참가하려고 했던 적은 한 번도 없었습니다. 하지만 올해 8월에 여기 해안가에 있는 각 부락을 누비며 주파하는 릴레이경주라는 것이 있어, 이곳 동네의 청년들이 다수 참가하여, 여기 A우체국도 그 경주의 중계소가 되어, 아오모리를 출반한 선수들이 여기서 다음 선수와 교체를 한다고 하여, 오전 10시 조금 넘어, 서서히 아오모리를 출발한 선수들이 이 곳에 도착할 무렵이라고 하길래, 우체국 직원들은 모두 밖으로 구경을 나가, 저와 국장만이 우체국에 남아서 간이보험서류를 정리하고 있었습니다만, 이윽고 왔다, 왔다 하는 함성이 들려와, 저는 서서 창문으로 보고 있었으나, 이것이 이른바 라스트 스퍼트라고 여기는 것이겠죠. 두 손의 손가락을 개구리처럼 벌리고 바람을 저으면서 달리는 이상한 팔 동작을 하며, 그리하여 웃통도 벗고 팬티 하나를 입은 차림으로, 물론 맨발이었으며, 넓은 가슴을 높이 치켜들고 고뇌에 찬 표정으로 고개를 제치고는 좌우로 움직이며 비틀비틀 우체국 앞까지 달려와 우욱, 하며 신음소리 한 번 내고 쓰러지자,


 “그래! 잘 뛰었다!” 라고 곁에 있는 사람이 소리쳐, 그를 껴안고, 제가 보고 있는 창문 밑으로 데려와, 준비된 세수대아에 든 물을 확 하고 그 선수에게 끼얹자, 선수는 거의 의식을 잃어 위험한 상태인 것 같기도 하고, 새파란 얼굴을 하고 누워있는, 그 모습을 보고 저는 실로 신기한 감격을 느낀 것입니다.


 가련, 이라는 말을 스물 여섯인 제가 말하는 것도 이상하지만, 가엾다고나 할까요. 아무튼 힘의 낭비도 여기까지 오면 훌륭하다고 생각했습니다. 이 사람들이 1등을 해도 2등을 해도 세상 사람들은 대부분 흥미를 갖지 않는대도, 그래도 목숨을 걸고 라스트 스퍼트 같은 것을 하고 있는 것입니다. 그렇다고 이 역전경주에 의해 이른바 문화국가를 건설하려는 이상을 가지고 있는 것도 아닐 테고, 또한 이상도 뭐도 없는데, 그래도 체면상 그런 이상을 말하여 세상사람들로부터 칭찬을 받으려는 마음도 없겠지요. 하물며 장래 유명한 마라톤 선수가 되려는 야심도 없고, 어차피 시골동네 달리기 경주로 기록이라는 것도 따지지 않는다는 점도 잘 알고 있을 것이며, 집으로 돌아가도 가족들에게 자랑할 마음도 없고, 오히려 아버지에게 혼나지나 않을까 걱정하며, 하지만 그래도 달리고 싶은 것입니다. 목숨을 걸고 해보고 싶은 것입니다. 누구한테 칭찬을 받지 않아도 괜찮은 겁니다. 그저 달리고 싶은 것입니다. 무보수의 행위입니다. 어린아이들이 위험을 무릅쓰고 나무에 오를 때에는 감을 따먹으려는 욕심이 있으나, 이 목숨을 건 마라톤에는 그것마저도 없습니다. 거의 허무의 정열처럼 보였습니다. 그것이 당시 저의 공허했던 마음과 딱 맞아떨어졌던 것입니다.


 저는 직장동료들을 상대로 캐치볼을 시작했습니다. 지칠 때까지 하면 왠지 탈피와도 같은 상쾌함이 느껴져, 이거다, 라고 느낀 순간, 역시 그 뚝따닥 뚝딱 하는 소리가 들려오는 것입니다. 그 뚝따닥 뚝딱 하는 소리는 허무의 정열조차도 무너뜨립니다.


 이제 요즘에 와서는 그 뚝따닥 뚝딱 소리가 점점 빈번하게 들려, 신문을 펼치고 새롭게 공포되는 헌법을 한 조항, 한 조항 정독하려 하자 뚝따닥 뚝딱, 직장 인사이동에 대해 백부님으로부터 상담을 받으면, 좋은 생각이 문득 가슴 속에 떠 올라도 뚝따닥 뚝딱, 당신의 소설을 읽으려 해도 뚝따닥 뚝딱, 얼마 전 이 부락에 화제가 일어나 현장으로 달려가려 했을 때도 뚝따닥 뚝딱, 이제 정신이 이상해진 게 아닐까 하면 이것도 뚝따닥 뚝딱, 자살을 생각하다 뚝따닥 뚝딱.


 “인생이란 한 마디로 말하면 무엇입니까.”


 라고 저는 어젯밤 백부님과 술잔을 나누며 농담조로 여쭤봤습니다.


 “인생, 그건 모르겠어. 그러나 이 세상은 색(色)과 욕(慾)이야.”


 의외로 명답이라는 생각이 들었습니다. 그리고 문득 저는 밀매상인이 될까 했습니다. 그러나 밀매상인이 되어 1만엔 벌었을 때를 생각하자 바로 뚝따닥 뚝딱이 들려왔습니다.


 가르쳐 주십시오. 이 소리는 무엇일까요. 그리고 이 소리로부터 벗어나기 위해서는 어떻게 하면 좋을까요. 저는 지금 실제로 이 소리 때문에 꼼짝달싹 못할 지경입니다. 제발 답장을 주십시오.


 한편, 마지막으로 한 마디 덧붙이자면 저는 이 편지를 아직 절반도 못 썼을 때 벌써 뚝따닥 뚝딱이 계속 들려왔습니다. 이런 편지를 쓰는 부질없음. 그래도 참으면서 아무튼 여기까지 썼습니다. 그리고 너무나 부질없으므로 자포자기가 되어 거짓말만 잔뜩 써놓은 것 같습니다. 하나에 씨라는 여자도 없고 데모도 안 봤습니다. 그 밖의 일도 대부분 거짓인 듯 합니다.


 그러나, 뚝따닥 뚝딱 만은 거짓이 아닌 것 같습니다. 다시 읽어보지 않고 그냥 보내드립니다. 이만 줄입니다.”


 


 이 기이한 편지를 받아 든 모 작가는 딱하게도 무학에 무사상인 사나이였으나 다음과 같은 답장을 보냈다.


 


 삼가 답장을 올립니다. 매우 사치스런 고민이시군요. 제게는 별로 동정심이 안 생깁니다. 열 손가락이 가리키는 곳, 열 눈이 보는 곳, 어떠한 변명도 성립되지 않은 추태를 당신은 아직도 회피하고 있는 것 같군요. 진실된 사상은 지혜보다도 용기를 필요로 하는 법입니다. 마태복음 10장 28절, ‘몸은 죽어도 영혼은 능히 죽이지 못하는 자들을 두려워하지 말고 오직 몸과 영혼을 능히 지옥에 멸하시는 자를 두려워하라’ 여기서의 ‘두려움’은 ‘경외’의 뜻에 가까운 듯합니다. 이 예수의 말에 벽력을 느낄 수 있다면, 당신의 환청은 그칠 것입니다. 그럼 이만.




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아침(朝)

다자이 오사무(太宰 治) (1947)

번역 : 위어조자


 나는 노는 것을 무엇보다 좋아하기 때문에 집에서 일을 하면서도 친구가 멀리서 오는 것을 남몰래 기다리고 있는 상태였기에 현관이 드르륵 열리면 미간을 좁히고 입을 실룩거리며, 그러나 내심 가슴을 설레며 쓰다만 원고지를 재빨리 치우고는 그 손님을 맞이한다.


 “어, 이런, 일하시는 중이셨군요.”


 “아니, 뭐.”


 그리하여 그 손님과 함께 놀러 나간다.


 하지만 그렇게 되면 언제까지나 아무런 일도 할 수 없으므로 모처에 비밀 작업실을 마련하기로 한 것이다. 그것이 어디에 있는지, 집사람한테도 알리지 않았다. 매일 아침 9시경, 나는 집사람에게 도시락을 만들도록 하고 그것을 가지고 작업실로 출근한다. 과연 그 비밀작업실에 찾아오는 사람도 없기에 내 일도 대략 예정대로 진행된다. 그러나 오후 3시경이 되면 피곤도 하고 사람이 그리워졌으며 놀고도 싶어져 적당히 마무리를 짓고 집으로 돌아간다. 귀가 길에 오뎅집에 걸리게 되면 밤중이 되어서야 집에 도착하는 일도 있다.


 작업실.


 그러나 그 작업실은 어느 여성의 집이다. 그 젊은 여성이 아침 일찍 니혼바시(日本橋)에 있는 어떤 은행으로 출근한다. 그 후에 내가 가서, 그리하여 4, 5시간 거기서 일을 하고, 그 여성이 은행에서 돌아오기 전에 나선다.


 애인이라거나 그런 건 아니다. 내가 그 분의 어머님을 알고 있어, 그리하여 그 어머님은 어떤 사정이 있어서 그 따님과 떨어져 동북지방에서 살고 있다. 그리하여 가끔 내게 편지를 보내주어 그 따님의 혼담에 대해 내 의견을 구하기도 하고, 나도 그 후보자인 청년을 만나, 그 사람이라면 괜찮은 신랑감이겠지요, 찬성입니다, 라고 여느 평범한 사람들처럼 써 보낸 적도 있었다.


 그러나 지금까지 그 어머님보다도 따님이 훨씬 더 나를 신뢰하고 있는, 아무래도 그런 것처럼 느껴졌다.


 “키쿠 짱, 얼마 전 너의 미래 신랑감을 만났어.”


 “그래요? 어땠어요? 좀 겉멋 들지 않았나. 그렇죠?”


 “뭐, 그저 그랬지. 그야 뭐 나에 비하면 어떤 남자라도 바보처럼 보일 테니까. 네가 참아라.”


 “그것도 그러네요.”


 따님은 그 청년과 깨끗이 결혼할 마음인 것처럼 보였다.


 얼마 전날 밤, 나는 술을 많이 마셨다. 아니, 술을 많이 마시는 건 매일 밤의 일이었으므로 별로 특별한 일도 아니었으나, 그날 밤 작업실에서 돌아가는 길에 역에서 오랜만에 만난 친구를 곧바로 단골 오뎅집으로 안내하고 거하게 마시고는 서서히 술이 괴롭게 느껴지기 시작했을 무렵, 잡지사의 편집자가, 아마 여기 있을 거라고 짐작했다며 위스키를 들고 나타나, 그 편집자를 상대로 또 그 위스키 한 병을 다 비우고는, 이제 토하는 게 아닐까, 어떻게 될까 하고 중얼거리며, 왠지 끔찍한 생각이 들기에 이쯤에서 끝내려고 했으나, 이번에는 친구가 자리를 옮겨 이제부터는 자기가 사겠다고 말하더니 전철을 타고 그 친구의 단골 요리집으로 끌려가서는 거기서 다시 정종을 마시고, 간신히 그 친구, 편집자와 헤어졌을 때 나는 이미 걷지 못할 정도로 취해있었다.


 “재워주게. 집에까지 갈 수 없을 것 같아. 이대로 잘 테니까 부탁이야.”


 나는 코타츠에 발을 집어넣고 윗도리를 입은 채로 잤다.


 밤중에 문득 잠에서 깨어났다. 캄캄했다. 몇 초 동안 나는 내 집에서 자고 있는 줄만 알았다. 다리를 조금 움직여보자 내가 양말을 신은 채로 자고 있다는 사실을 깨달았다. 이럴 수가! 큰일이다!


 아아, 이런 경험을 나는 지금까지 몇 백 번, 몇 천 번을 되풀이했을까.


 나는 심음 소리를 냈다.


 “춥지는 않으세요?”


 라고 키쿠 짱이 어둠 속에서 말했다.


 나와는 직각으로 코타츠에 다리를 집어넣고 잠을 자고 있는 듯했다.


 “아니, 춥진 않아.”


 나는 상반신을 일으키고,


 “창문에서 소변을 봐도 될까.”


 라고 말했다.


 “상관 없어요. 그게 더 간편하고 좋겠네요.”


 “키쿠 짱도 가끔 하는 게 아냐?”


 나는 일어서서 전등 스위치를 돌렸다. 안 켜졌다.


 “정전이에요.”


 라고 키쿠 짱은 작은 목소리로 말했다.


 손을 더듬으며 조심스럽게 창문 쪽으로 가서는 키쿠 짱의 몸에 발이 걸렸다. 키쿠 짱은 가만히 있었다.


 “아이구, 이런.”


 라고 나는 혼잣말처럼 중얼거리고는 간신히 창문 커튼을 만지고, 그것을 제친 후 창문을 조금 열어 물소리를 냈다.


 “키쿠 짱의 책상 위에 클레브 공 부인이라는 책이 있었지?”


 나는 다시 예전처럼 몸을 누이면서 말한다.


 “그 무렵의 귀부인들은 궁전 마당이나, 아니면 복도 계단 밑에 어두운 곳 같은 데에서 아무렇지도 않게 소변을 보고 그랬거든. 창문에서 소변을 보는 것도 그래도 본래는 귀족적인 일이야.”


 “술 드시겠다면 있어요. 귀족은 자면서 마시는 거죠?”


 마시고 싶었다. 그러나 마시면 위험하다는 생각이 들었다.


 “아니, 귀족은 암흑을 꺼려하는 법이지. 원래부터 겁이 많으니까 말이야. 어두우면 무서워서 안돼. 초는 없나. 촛불을 켜주면 마셔도 괜찮아.”


 키쿠 짱은 말없이 일어났다.


 그리고 촛불이 켜졌다. 나는 안도의 숨을 쉬었다. 이제 이걸로 오늘 밤은 아무 일도 저지르지 않고 견딜 수 있겠다고 생각했다.


 “어디에 놓을까요?”


 “등불은 등경 위에 두라고 성격에 나와 있으니 높은 곳이 좋겠지. 그 책장 위는 어떨까.”


 “술은요? 컵으로 드시겠어요?”


 “심야에 마시는 술은 컵에 따르라고 성경에 나와 있어.”


 나는 거짓말을 했다.


 키쿠 짱은 싱글싱글 웃으며 큰 컵에 술을 가득 따라서 가지고 왔다.


 “아직 한 잔 더 따를 건 있어요.”


 “아니, 이것 만으로 됐어.”


 나는 컵을 받아 들고 벌컥벌컥 마신 후 다시 누웠다.


 키쿠 짱도 나와 직각으로 누워, 그리고 속눈썹이 긴 큰 눈을 연신 깜빡이고 있어, 잠이 들 것 같진 않았다.


 나는 가만히 책장 위에 있는 촛불을 바라보았다. 촛불은 살아있는 것처럼 길어졌다가 짧아졌다가 하며 움직인다. 보고 있는 동안 나는 문득 어떤 일이 뇌리를 스쳐 두려움을 느꼈다.


 “이 촛불은 짧군. 조금 있으면 떨어질 것 같은데. 더 긴 촛불은 없나?”


 “그것뿐이에요.”


 나는 입을 다물었다. 하늘에 기도를 하고픈 심정이었다. 저 촛불이 다 떨어지기 전에 내가 잠이 들던지, 아니면 한 컵의 술기운이 깨든지, 그 둘 중 하나가 아니면 키쿠 짱이 위험하다.


 촛불은 깜빡 거리며 조금씩 짧아지고 있으나 나는 전혀 잠이 오질 않았으며, 또한 한 컵의 술기운도 깰 기미가 보이지 않아, 온몸을 뜨겁게 하고 점점 나를 대담하게 만들어갈 뿐이었다.


 나도 모르게 나는 한숨이 나왔다.


 “양말을 벗지 그러세요?”


 “왜?”


 “그게 더 따뜻해요.”


 나는 그녀의 말대로 양말을 벗었다.


 이제 큰일이다. 촛불이 꺼지면 그것으로 끝장이다.


 나는 서서히 각오를 하려 하고 있었다.


 촛불은 어두워지고, 그로부터 몸부림치듯 좌우로 움직이더니 순간 크고 밝아진 후, 직직 소리를 내며 순식간에 오므라들고는 꺼졌다.


 조금씩 동이 터오기 시작했다.


 방은 희미하게 밝아오고, 이미 어둠은 아니었던 것이다.


 나는 일어나 집으로 갈 차비를 했다.



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