'향응'에 해당되는 글 2건

  1. 2018.04.30 향응부인 - 일본어
  2. 2018.04.30 향응부인 - 한국어

향응부인(饗応婦人:きょうおうふじん)

다자이 오사무(太宰 治) (1942)

일본어 원문


 奥さまは、もとからお客に何かと世話を焼き、ごちそうするのが好きなほうでしたが、いいえ、でも、奥さまの場合、お客をすきというよりは、お客におびえている、とでも言いたいくらいで、玄関のベルが鳴り、まず私が取次ぎに出まして、それからお客のお名前を告げに奥さまのお部屋へまいりますと、奥さまはもう既に、鷲(わし)の羽音を聞いて飛び立つ一瞬前の小鳥のような感じの異様に緊張の顔つきをしていらして、おくれ毛を掻(か)き上げ襟(えり)もとを直し腰を浮かせて私の話を半分も聞かぬうちに立って廊下に出て小走りに走って、玄関に行き、たちまち、泣くような笑うような笛の音に似た不思議な声を挙げてお客を迎え、それからはもう錯乱したひとみたいに眼つきをかえて、客間とお勝手のあいだを走り狂い、お鍋(なべ)をひっくりかえしたりお皿をわったり、すみませんねえ、すみませんねえ、と女中の私におわびを言い、そうしてお客のお帰りになった後は、呆然(ぼうぜん)として客間にひとりでぐったり横坐りに坐ったまま、後片づけも何もなさらず、たまには、涙ぐんでいる事さえありました。

 ここのご主人は、本郷(ほんごう)の大学の先生をしていらして、生れたお家もお金持ちなんだそうで、その上、奥さまのお里(さと)も、福島県の豪農とやらで、お子さんの無いせいもございましょうが、ご夫婦ともまるで子供みたいな苦労知らずの、のんびりしたところがありました。私がこの家へお手伝いにあがったのは、まだ戦争さいちゅうの四年前で、それから半年ほど経って、ご主人は第二国民兵の弱そうなおからだでしたのに、突然、召集されて運が悪くすぐ南洋の島へ連れて行かれてしまった様子で、ほどなく戦争が終っても、消息不明で、その時の部隊長から奥さまへ、或(ある)いはあきらめていただかなければならぬかも知れぬ、という意味の簡単な葉書がまいりまして、それから奥さまのお客の接待も、いよいよ物狂おしく、お気の毒で見ておれないくらいになりました。

 あの、笹島(ささじま)先生がこの家へあらわれる迄(まで)はそれでも、奥さまの交際は、ご主人の御親戚とか奥さまの身内とかいうお方たちに限られ、ご主人が南洋の島においでになった後でも、生活のほうは、奥さまのお里から充分の仕送りもあって、わりに気楽で、物静かな、謂(い)わばお上品なくらしでございましたのに、あの、笹島先生などが見えるようになってから、滅茶苦茶になりました。

 この土地は、東京の郊外には違いありませんが、でも、都心から割に近くて、さいわい戦災からものがれる事が出来ましたので、都心で焼け出された人たちは、それこそ洪水のようにこの辺にはいり込み、商店街を歩いても、行き合う人の顔触れがすっかり全部、変ってしまった感じでした。

 昨年の暮、でしたかしら、奥さまが十年振りとかで、ご主人のお友達の笹島先生に、マーケットでお逢(あ)いしたとかで、うちへご案内していらしたのが、運のつきでした。

 笹島先生は、ここのご主人と同様の四十歳前後のお方で、やはりここのご主人の勤めていらした本郷の大学の先生をしていらっしゃるのだそうで、でも、ここのご主人は文学士なのに、笹島先生は医学士で、なんでも中学校時代に同級生だったとか、それから、ここのご主人がいまのこの家をおつくりになる前に奥さまと駒込(こまごめ)のアパートにちょっとの間住んでいらして、その折、笹島先生は独身で同じアパートに住んでいたので、それで、ほんのわずかの間ながら親交があって、ご主人がこちらへお移りになってからは、やはりご研究の畑がちがうせいもございますのか、お互いお家を訪問し合う事も無く、それっきりのお附き合いになってしまって、それ以来、十何年とか経って、偶然、このまちのマーケットで、ここの奥さまを見つけて、声をかけたのだそうです。呼びかけられて、ここの奥さまもまた、ただ挨拶(あいさつ)だけにして別れたらよいのに、本当に、よせばよいのに、れいの持ち前の歓待癖を出して、うちはすぐそこですから、まあ、どうぞ、いいじゃありませんか、など引きとめたくも無いのに、お客をおそれてかえって逆上して必死で引きとめた様子で、笹島先生は、二重廻しに買物籠(かいものかご)、というへんな恰好(かっこう)で、この家へやって来られて、

「やあ、たいへん結構な住居(すまい)じゃないか。戦災をまぬかれたとは、悪運つよしだ。同居人がいないのかね。それはどうも、ぜいたくすぎるね。いや、もっとも、女ばかりの家庭で、しかもこんなにきちんとお掃除の行きとどいている家には、かえって同居をたのみにくいものだ。同居させてもらっても窮屈だろうからね。しかし、奥さんが、こんなに近くに住んでいるとは思わなかった。お家がM町とは聞いていたけど、しかし、人間て、まが抜けているものですね、僕はこっちへ流れて来て、もう一年ちかくなるのに、全然ここの標札に気がつかなかった。この家の前を、よく通るんですがね、マーケットに買い物に行く時は、かならず、ここの路(みち)をとおるんですよ。いや、僕もこんどの戦争では、ひどいめに遭(あ)いましてね、結婚してすぐ召集されて、やっと帰ってみると家は綺麗(きれい)に焼かれて、女房は留守中に生れた男の子と一緒に千葉県の女房の実家に避難していて、東京に呼び戻したくても住む家が無い、という現状ですからね、やむを得ず僕ひとり、そこの雑貨店の奥の三畳間を借りて自炊(じすい)生活ですよ、今夜は、ひとつ鳥鍋でも作って大ざけでも飲んでみようかと思って、こんな買物籠などぶらさげてマーケットをうろついていたというわけなんだが、やけくそですよ、もうこうなればね。自分でも生きているんだか死んでいるんだか、わかりやしない。」

 客間に大あぐらをかいて、ご自分の事ばかり言っていらっしゃいます。

「お気の毒に。」

 と奥さまは、おっしゃって、もう、はや、れいの逆上の饗応癖がはじまり、目つきをかえてお勝手へ小走りに走って来られて、

「ウメちゃん、すみません。」

 と私にあやまって、それから鳥鍋の仕度(したく)とお酒の準備を言いつけ、それからまた身をひるがえして客間へ飛んで行き、と思うとすぐにまたお勝手へ駈(か)け戻って来て火をおこすやら、お茶道具を出すやら、いかにまいどの事とは言いながら、その興奮と緊張とあわて加減は、いじらしいのを通りこして、にがにがしい感じさえするのでした。

 笹島先生もまた図々(ずうずう)しく、

「やあ、鳥鍋ですか、失礼ながら奥さん、僕は鳥鍋にはかならず、糸こんにゃくをいれる事にしているんだがね、おねがいします、ついでに焼豆腐(やきどうふ)があるとなお結構ですな。単に、ねぎだけでは心細い。」

 などと大声で言い、奥さまはそれを皆まで聞かず、お勝手へころげ込むように走って来て、

「ウメちゃん、すみません。」

 と、てれているような、泣いているような赤ん坊みたいな表情で私にたのむのでした。

 笹島先生は、酒をお猪口(ちょこ)で飲むのはめんどうくさい、と言い、コップでぐいぐい飲んで酔い、

「そうかね、ご主人もついに生死不明か、いや、もうそれは、十中の八九は戦死だね、仕様が無い、奥さん、不仕合せなのはあなただけでは無いんだからね。」

 とすごく簡単に片づけ、

「僕なんかは奥さん、」

 とまた、ご自分の事を言い出し、

「住むに家無く、最愛の妻子と別居し、家財道具を焼き、衣類を焼き、蒲団を焼き、蚊帳(かや)を焼き、何も一つもありやしないんだ。僕はね、奥さん、あの雑貨店の奥の三畳間を借りる前にはね、大学の病院の廊下に寝泊りしていたものですよ。医者のほうが患者よりも、数等(すうとう)みじめな生活をしている。いっそ患者になりてえくらいだった。ああ、実に面白くない。みじめだ。奥さん、あなたなんか、いいほうですよ。」

「ええ、そうね。」

 と奥さまは、いそいで相槌(あいづち)を打ち、

「そう思いますわ。本当に、私なんか、皆さんにくらべて仕合せすぎると思っていますの。」

「そうですとも、そうですとも。こんど僕の友人を連れて来ますからね、みんなまあ、これは不幸な仲間なんですからね、よろしく頼まざるを得ないというような、わけなんですね。」

 奥さまは、ほほほといっそ楽しそうにお笑いになり、

「そりゃ、もう。」

 とおっしゃって、それからしんみり、

「光栄でございますわ。」

 その日から、私たちのお家は、滅茶々々になりました。

 酔った上のご冗談でも何でも無く、ほんとうに、それから四、五日経(た)って、まあ、あつかましくも、こんどはお友だちを三人も連れて来て、きょうは病院の忘年会があって、今夜はこれからお宅で二次会をひらきます、奥さん、大いに今から徹夜で飲みましょう、この頃はどうもね、二次会をひらくのに適当な家が無くて困りますよ、おい諸君、なに遠慮の要らない家なんだ、あがり給(たま)え、あがり給え、客間はこっちだ、外套(がいとう)は着たままでいいよ、寒くてかなわない、などと、まるでもうご自分のお家同様に振舞い、わめき、そのまたお友だちの中のひとりは女のひとで、どうやら看護婦さんらしく、人前もはばからずその女とふざけ合って、そうしてただもうおどおどして無理に笑っていなさる奥さまをまるで召使いか何かのようにこき使い、

「奥さん、すみませんが、このこたつに一つ火をいれて下さいな。それから、また、こないだみたいにお酒の算段をたのみます。日本酒が無かったら、焼酎(しょうちゅう)でもウイスキイでもかまいませんからね、それから、食べるものは、あ、そうそう、奥さん今夜はね、すてきなお土産(みやげ)を持参しました、召上れ、鰻(うなぎ)の蒲焼(かばやき)。寒い時は之(これ)に限りますからね、一串(くし)は奥さんに、一串は我々にという事にしていただきましょうか、それから、おい誰か、林檎(りんご)を持っていた奴があったな、惜しまずに奥さんに差し上げろ、インドといってあれは飛び切り香り高い林檎だ。」

 私がお茶を持って客間へ行ったら、誰やらのポケットから、小さい林檎が一つころころところげ出て、私の足もとへ来て止り、私はその林檎を蹴飛(けと)ばしてやりたく思いました。たった一つ。それをお土産だなんて図々しくほらを吹いて、また鰻だって後で私が見たら、薄っぺらで半分乾いているような、まるで鰻の乾物(ひもの)みたいな情無いしろものでした。

 その夜は、夜明け近くまで騒いで、奥さまも無理にお酒を飲まされ、しらじらと夜の明けた頃に、こんどは、こたつを真中にして、みんなで雑魚寝(ざこね)という事になり、奥さまも無理にその雑魚寝の中に参加させられ、奥さまはきっと一睡も出来なかったでしょうが、他の連中は、お昼すぎまでぐうぐう眠って、眼がさめてから、お茶づけを食べ、もう酔いもさめているのでしょうから、さすがに少し、しょげて、殊(こと)に私は、露骨にぷりぷり怒っている様子を見せたものですから、私に対しては、みな一様に顔をそむけ、やがて、元気の無い腐った魚のような感じの恰好(かっこう)で、ぞろぞろ帰って行きました。

「奥さま、なぜあんな者たちと、雑魚寝なんかをなさるんです。私、あんな、だらしない事は、きらいです。」

「ごめんなさいね。私、いや、と言えないの。」

 寝不足の疲れ切った真蒼(まっさお)なお顔で、眼には涙さえ浮べてそうおっしゃるのを聞いては、私もそれ以上なんとも言えなくなるのでした。

 そのうちに、狼(おおかみ)たちの来襲がいよいよひどくなるばかりで、この家が、笹島先生の仲間の寮みたいになってしまって、笹島先生の来ない時は、笹島先生のお友達が来て泊って行くし、そのたんびに奥さまは雑魚寝の相手を仰(おお)せつかって、奥さまだけは一睡も出来ず、もとからお丈夫なお方ではありませんでしたから、とうとうお客の見えない時は、いつも寝ているようにさえなりました。

「奥さま、ずいぶんおやつれになりましたわね。あんな、お客のつき合いなんか、およしなさいよ。」

「ごめんなさいね。私には、出来ないの。みんな不仕合せなお方ばかりなのでしょう? 私の家へ遊びに来るのが、たった一つの楽しみなのでしょう。」

 ばかばかしい。奥さまの財産も、いまではとても心細くなって、このぶんでは、もう半年も経てば、家を売らなければならない状態らしいのに、そんな心細さはみじんもお客に見せず、またおからだも、たしかに悪くしていらっしゃるらしいのに、お客が来ると、すぐお床からはね起き、素早く身なりをととのえて、小走りに走って玄関に出て、たちまち、泣くような笑うような不思議な歓声を挙げてお客を迎えるのでした。

 早春の夜の事でありました。やはり一組の酔っぱらい客があり、どうせまた徹夜になるのでしょうから、いまのうちに私たちだけ大いそぎで、ちょっと腹ごしらえをして置きましょう、と私から奥さまにおすすめして、私たち二人台所で立ったまま、代用食の蒸(む)しパンを食べていました。奥さまは、お客さまには、いくらでもおいしいごちそうを差し上げるのに、ご自分おひとりだけのお食事は、いつも代用食で間に合せていたのです。

 その時、客間から、酔っぱらい客の下品な笑い声が、どっと起り、つづいて、

「いや、いや、そうじゃあるまい。たしかに君とあやしいと俺(おれ)はにらんでいる。あのおばさんだって君、……」と、とても聞くに堪(た)えない失礼な、きたない事を、医学の言葉で言いました。

 すると、若い今井先生らしい声がそれに答えて、

「何を言ってやがる。俺は愛情でここへ遊びに来ているんじゃないよ。ここはね、単なる宿屋さ。」

 私は、むっとして顔を挙げました。

 暗い電燈の下で、黙ってうつむいて蒸パンを食べていらっしゃる奥さまの眼に、その時は、さすがに涙が光りました。私はお気の毒のあまり、言葉につまっていましたら、奥さまはうつむきながら静かに、

「ウメちゃん、すまないけどね、あすの朝は、お風呂をわかして下さいね。今井先生は、朝風呂がお好きですから。」

 けれども、奥さまが私に口惜(くや)しそうな顔をお見せになったのは、その時くらいのもので、あとはまた何事も無かったように、お客に派手なあいそ笑いをしては、客間とお勝手のあいだを走り狂うのでした。

 おからだがいよいよお弱りになっていらっしゃるのが私にはちゃんとわかっていましたが、何せ奥さまは、お客と対する時は、みじんもお疲れの様子をお見せにならないものですから、お客はみな立派そうなお医者ばかりでしたのに、一人として奥さまのお具合いの悪いのを見抜けなかったようでした。

 静かな春の或(あ)る朝、その朝は、さいわい一人も泊り客はございませんでしたので、私はのんびり井戸端でお洗濯をしていますと、奥さまは、ふらふらとお庭へはだしで降りて行かれて、そうして山吹(やまぶき)の花の咲いている垣(かき)のところにしゃがみ、かなりの血をお吐きになりました。私は大声を挙げて井戸端から走って行き、うしろから抱いて、かつぐようにしてお部屋へ運び、しずかに寝かせて、それから私は泣きながら奥さまに言いました。

「だから、それだから私は、お客が大きらいだったのです。こうなったらもう、あのお客たちがお医者なんだから、もとのとおりのからだにして返してもらわなければ、私は承知できません。」

「だめよ、そんな事をお客さまたちに言ったら。お客さまたちは責任を感じて、しょげてしまいますから。」

「だって、こんなにからだが悪くなって、奥さまは、これからどうなさるおつもり? やはり、起きてお客の御接待をなさるのですか? 雑魚寝のさいちゅうに血なんか吐いたら、いい見世物ですわよ。」

 奥さまは眼をつぶったまま、しばらく考え、

「里(さと)へ、いちど帰ります。ウメちゃんが留守番をしていて、お客さまにお宿をさせてやって下さい。あの方たちには、ゆっくりやすむお家が無いのですから。そうしてね、私の病気の事は知らせないで。」

 そうおっしゃって、優(やさ)しく微笑(ほほえ)みました。

 お客たちの来ないうちにと、私はその日にもう荷作りをはじめて、それから私もとにかく奥さまの里(さと)の福島までお伴(とも)して行ったほうがよいと考えましたので、切符を二枚買い入れ、それから三日目、奥さまも、よほど元気になったし、お客の見えないのをさいわい、逃げるように奥さまをせきたて、雨戸をしめ、戸じまりをして、玄関に出たら、

 南無三宝(なむさんぽう)!

 笹島先生、白昼から酔っぱらって看護婦らしい若い女を二人ひき連れ、

「や、これは、どこかへお出かけ?」

「いいんですの、かまいません。ウメちゃん、すみません客間の雨戸をあけて。どうぞ、先生、おあがりになって。かまわないんですの。」

 泣くような笑うような不思議な声を挙げて、若い女のひとたちにも挨拶して、またもくるくるコマ鼠(ねずみ)の如く接待の狂奔がはじまりまして、私がお使いに出されて、奥さまからあわてて財布(さいふ)がわりに渡された奥さまの旅行用のハンドバッグを、マーケットでひらいてお金を出そうとした時、奥さまの切符が、二つに引き裂かれているのを見て驚き、これはもうあの玄関で笹島先生と逢ったとたんに、奥さまが、そっと引き裂いたのに違いないと思ったら、奥さまの底知れぬ優しさに呆然(ぼうぜん)となると共に、人間というものは、他の動物と何かまるでちがった貴(とうと)いものを持っているという事を生れてはじめて知らされたような気がして、私も帯の間から私の切符を取り出し、そっと二つに引き裂いて、そのマーケットから、もっと何かごちそうを買って帰ろうと、さらにマーケットの中を物色しつづけたのでした。

'다자이 오사무 > 향응부인' 카테고리의 다른 글

향응부인 - 일본어  (0) 2018.04.30
향응부인 - 한국어  (0) 2018.04.30
Posted by 문학관 관리인 위어조자(謂語助者)

향응부인(饗応婦人)

다자이 오사무(太宰 治) (1942)

번역 : 홍성필


 사모님은 본래부터 손님들에게 어느 때나 신경 써가며 대접하는 것을 좋아하셨으나, 아뇨, 그러나 사모님의 경우 손님을 좋아한다기 보다는 손님을 두려워한다고 해도 될 정도셨으며, 현관에 초인종이 울리고 우선 제가 나간 후, 손님의 성함을 전해드리려 사모님 방에 들어가면, 사모님은 벌써 이미 독수리 날개 소리를 듣고 순식간에 날아가는 한 마리의 작은 새와도 같은, 이상하고도 긴장된 표정을 하고 계시며, 머리를 빗고 옷고름을 단정히 한 후 벌떡 일어나서, 제 말이 절반도 끝나기 전에 복도로 달려 나가시고는 현관으로 가서 재빨리 우는 듯하기도 웃는 듯하기도 한, 피리소리와도 같은 신기한 소리를 내며 손님을 맞고, 이미 그 때부터 정신착란을 일으킨 사람 같은 눈초리를 하시고, 객실과 부엌 사이를 미친 듯이 뛰어다니고, 냄비를 뒤엎거나 접시를 깨거나, 미안해요, 정말 미안해요, 라며 식모인 저한테 사과까지 하시며, 그리고 손님이 돌아간 후에는 멍하니 객실에 혼자 축 늘어져 앉은 채로, 뒷정리도 안 하시고는, 어떤 때는 눈물을 글썽거릴 때까지도 있었습니다.


 이곳 주인어른은 혼고(本鄕)에 있는 대학 (혼고에는 동경대학이 있다 - 역자 주) 선생님이시며, 태어난 집도 부자라고 하여 더구나 사모님의 고향도 후쿠시마(福島) 현에서 지주집안이시고, 더구나 자녀분이 없기 때문이기도 하겠으나, 부부가 모두 어린아이처럼 고생 하나 모르시고, 느긋하게 사는 분이십니다. 제가 이 집에 식모로 왔을 때는 아직 전쟁중인 4년 전이었으며, 그로부터 반년 정도 지나, 주인어른은 제2국민역인 나약한 몸집이셨는데도 갑자기 소집되어, 운 나쁘게도 남쪽 섬으로 끌려간 듯하여, 얼마 지나지 않아 전쟁이 끝났는데도 행방을 찾을 수 없어, 그 당시의 부대장으로부터 사모님께, 어쩌면 포기하셔야만 할지도 모른다는 내용의 간략한 엽서가 오고, 그 때부터 사모님의 손님에 대한 접대도 점점 광적이 되어, 너무나 가엾어서 볼 수 없을 정도가 되었습니다.


 그 사사지마(笹島) 선생님이 이 집에 나타나기 전까지는 그래도 사모님의 교재는 주인어른의 친척이나 사모님의 가족분들로 한정되어있었지만, 주인어른이 남쪽 섬으로 가신 후에도 생활은 사모님의 고향으로부터 충분한 지원도 있어, 비교적 편하고 조용한, 이른바 고상한 생활이었으나, 그 사사지마 선생님이 오시고부터는 엉망이 되었습니다.


 이 곳은 동경 분명 교외지만, 그러나 도심에서부터 비교적 가까워, 다행이 전쟁 피해로부터도 벗어날 수 있었기에, 도심에서 피해를 입은 사람들은 그야말로 홍수처럼 이 근방으로 들어와, 시장을 걸어도 행인들의 모습들이 퍽 달라진 듯 했습니다.


 작년 말쯤이었을까요. 사모님이 10년만이라고 하시며 주인어른의 친구분인 사사지마 선생님을 마켓에서 만났다고 하시며 집으로 데리고 오신 것부터 불행의 시작이었습니다.


 사사지마 선생님은 이곳 주인어른과 같이 40세 전후된 분이셨으며, 역시 이 주인어른께서 근무하시던 혼고에 있는 대학에서 선생님을 하고 계시다면서, 하지만 이곳 주인어른은 문학자이신데 반해 사사지마 선생님은 의학자시고, 들은 바에 의하면 중학교 시절 같은 반이었다고 하시며, 그리고 이 곳 주인어른께서 지금 이 집을 세우시기 전에 사모님과 코마고메에 있는 아파트에 잠시 살고 계셨는데, 그 때 사사지마 선생님은 독신으로 같은 아파트에 살고 계셔서, 불과 잠시 동안 교류가 있어, 주인어른이 이 쪽으로 이사하고 나신 후부터는, 역시 연구분야가 달랐기 때문인지 서로 집을 방문하는 일도 없고, 그것을 끝으로 발길도 끊기고, 그 이후 십 몇 년이 지나, 우연히 이곳 마켓에서 사모님을 알아보시고 말을 걸었다고 합니다. 목소리를 듣고 이곳 사모님도 그저 인사만 하고 헤어지면 좋았을 것을, 정말 그랬으면 다행이련만 평소의 환대하는 버릇이 나와, 저희 집이 바로 저기니까, 어머, 어떠세요, 이러시면서 잡기도 싫은데도 손님을 두려워하여 반대로 흥분하여 필사적으로 초대를 하신 듯, 사사지마 선생님은 정장차림에 시장바구니를 든 이상한 모습으로 이 집에 오셔서는,


 “이야, 매우 훌륭한 집이군요. 전쟁 피해를 입지 않은 것은 악운이 센 것입니다. 같이 사는 분이 안 계신가요. 그건 정말 사치스럽군요. 아니, 물론 여자만 있는 가정에서, 더구나 이렇게 깨끗이 청소된 집은 오히려 동거를 부탁하기 힘들지요. 동거를 하게 되더라도 답답하니까요. 그러나 사모님이 이렇게 가까운 곳에 살고 있을 줄은 몰랐습니다. 집이 M 동네에 살고 계신다는 말은 들었으나, 그러나 사람이란 게 바보 같더군요. 제가 이 쪽으로 흘러 들어온 후 벌써 1년 가까이 되는데 전혀 이 문패를 못 봤습니다. 이 집 앞을 자주 지나는데요, 마켓에 장을 보러 갈 때는 반드시 여기 길로 해서 갑니다. 아니, 저도 이번 전쟁 때문에 곤욕을 치렀습니다. 결혼하고 바로 소집되어, 간신히 집으로 돌아와보자 집은 깨끗이 타고 없고, 마누라는 제가 없는 동안 태어난 아이와 함께 치바 현에 있는 친정으로 피난을 갔기에, 불러들이고 싶어도 살 집이 없는 실정이니까요, 하는 수 없이 저 혼자 바로 저기 잡화상 안쪽 단칸방을 빌려 자취생활을 하고 있지요, 오늘 밤은 닭곰탕이라도 해서 거창하게 마셔볼까 하여, 이런 장바구니를 들고 마켓을 왔다 갔다 하고 있었는데, 이제 이판사판입니다, 이렇게 되면요. 저 스스로도 살았는지 죽었는지 알 수도 없어요.”


 객실에 턱 하니 책상다리를 하고 앉아 자기 얘기만 말씀하십니다.


 “저런, 안 되셨군요.”


 라고 사모님은 말씀하시고, 이미 평소의 흥분된 대접하는 습관이 시작되어, 눈빛을 번쩍이며 부엌으로 달려오셔서는,


 “우메 짱, 미안해요.”


 라고 저한테 사과하시며, 그리고 닭곰탕과 술상 준비를 부탁하고서, 그리고 몸을 돌려 객실로 달려가, 그러나 바로 다시 부엌으로 되돌아오시고는 불을 키고 차를 탈 준비를 하시며, 아무리 매번 있는 일이라고는 하나 그 흥분과 긴장, 그리고 서두르는 정도는 불쌍한 것을 지나 무척 불쾌하게까지 느껴졌습니다.


 사사지마 선생님도 또한 뻔뻔스럽게,


 “이야, 닭곰탕이군요. 죄송합니다만 사모님, 저는 닭곰탕에는 반드시 가늘게 썬 곤약을 넣거든요, 부탁 드립니다, 그리고 이왕이면 두부부침도 있었으면 좋겠군요. 그냥 파만 들어있다면 좀 아쉽지요.”


 라며 큰 소리로 말하시고, 사모님은 그 말도 끝나기가 무섭게 굴러들어오듯 부엌으로 달려 오셔서,


 “우메 짱, 미안해요.”


 라고 부끄러운 것 같기도 우는 것 같기도 한, 갓난 애기와도 같은 표정으로 제게 부탁하시는 것이었습니다.


 사사지마 선생님께서는, 술을 작은 술잔으로 마시는 건 귀찮다시며 컵으로 마구 마시고는 취하여,


 “그렇구만, 주인어른도 생사를 모른다고, 아이구, 그럼 그건 십중팔구 전사하신 거요, 할 수 없지, 사모님. 불행한 건 당신만이 아니니까 말이오.”


 라고 아무렇지도 않게 말하시고는,


 “저는 말이죠, 사모님.”


 이라며 또 자기 얘기를 꺼내서,


 “사는 집도 없고, 사랑하는 처자와도 별거하며, 가재도구도 타 버리고, 옷가지도 타버리고, 이불도 타버리고, 모기장도 타버리고, 무엇 하나 없거든요. 저는요, 사모님, 이 잡화상 안쪽 단칸방을 빌리기 전에는요, 대학 병원 복도에서 자고 있었습니다. 의사가 오히려 환자보다도 몇 배나 비참한 생활을 하고 있어요, 이럴 바에야 차라리 환자가 되고 싶을 정도였지요. 아아, 실로 재미가 없어요. 비참합니다. 사모님, 당신은 그래도 괜찮은 편입니다.”


 “네에. 그렇죠.”


 라고 사모님은 서둘러 맞장구를 치고는,


 “그렇게 생각해요. 정말 저는 다른 분들에 비해 너무 행복한 거죠.”


 “그럼요. 그렇구 말구요. 이번에 제 친구들을 데리고 올 테니까요, 모두 뭐, 정말 불쌍한 친구들이거든요, 좀 잘 부탁 드린다고 밖에는 할 수 없는, 뭐 그렇습니다.”


 사모님은 호호호, 라며 한층 즐거운 듯 웃으시고,


 “그야 물론이죠.”


 라고 말씀하시고는 절절하게,


 “영광입니다.”


 그날부터 저희 집은 엉망진창이 되었습니다.


 취중에 하신 농담도 아무 것도 아니며, 정말로 그로부터 4, 5일 지나, 진짜 염치도 없이 뻔뻔하게도 이번에는 친구들를 셋이나 데리고 와서는, 오늘은 병원에서 망년회가 있어서 오늘 밤은 이제부터 댁에서 2차를 하려 합니다, 사모님, 지금부터 거하게 밤새도록 마십시다, 요즘은요, 2차를 가기에 적당한 집이 없어서 골치입니다, 이봐 여러분, 뭐, 부담 가질 필요 없는 집이야, 올라오게, 어서 들어와, 객실은 저 쪽이야, 외투는 입은 채로 있으라구, 무척 추워서 말이지, 라며, 이건 완전히 자기 집처럼 행세하고 소리치며, 그 친구들 중 하나는 여자분인데, 간호사이신 듯, 사람들이 보는데도 상관없이 그 여자와 장난치고 놀며, 그리고 그저 겁에 질린 듯 억지로 웃고 계시는 사모님을 마치 하인 부리듯 부려먹고,


 “사모님, 죄송합니다만 이 코타츠에 불을 좀 넣어주세요. 그리고 또 예전처럼 술상 준비를 부탁합니다. 정종이 없다면 소주라도 위스키라도 상관없으니까요. 그리고 먹을 건, 아, 맞다, 사모님, 오늘 밤은요, 아주 좋은 선물을 가지고 왔습니다, 드셔보세요, 장어구이입니다. 추울 때는 이게 최고죠, 꼬치 하나는 사모님께, 나머지 하나는 저희들이 먹어도 될런지요, 그리고, 이봐 누군가 사과를 가지고 왔었지, 어서 사모님께 드리라구, 인도라고 하여 그야말로 무척 향기로운 사과입니다.”


 제가 차를 들고 객실로 갔더니 누군가의 주머니에서 작은 사과 하나가 굴러 떨어져, 제 발 밑에 와서 섰을 때에는, 저는 그 사과를 걷어 차버리고 싶었습니다. 딱 한 개. 그것이 선물이라니 뻔뻔하게 허풍만 떨고, 또한 장어도 나중에 제가 보니 얄팍하고 거의 말라 비틀어진, 마치 장어말림 같이 생겨 볼품없는 것이었습니다.


 그날 밤은 새벽까지 떠들어, 사모님도 억지로 술을 드셨으며, 희미하게 동이 틀 무렵, 이번에는 코타츠를 사이에 두고 모두 남녀 할 것 없이 한 자리에서 뒤섞여 자게 되어, 사모님도 억지로 거기서 친구분들과 함께 잤으나, 분명 한 숨도 못 주무셨겠지요. 다른 사람들은 오후까지 푹 잠을 자고, 잠에서 깨고는 오차즈케 (녹차에 밥을 말아 먹는 음식 - 역자 주) 를 먹고, 이제 술도 깼을 터이니 과연 미안한 눈치로, 특히나 저는 노골적으로 화를 내 보이고 했으므로, 저를 보고는 모두 하나같이 얼굴을 돌리고, 이윽고 힘없이 썩은 생선 같은 몰골로 웅성웅성 돌아갔습니다.


 “사모님, 왜 저런 사람들과 뒤섞여 잠을 자고 그러세요. 저는 그런 단정치 못한 일, 싫습니다.”


 “미안해요. 난 싫다는 말을 할 수 없거든.”


 수면부족으로 지쳐 파래진 얼굴로 눈에는 눈물까지 띄우며 그러시는 말을 듣고는, 저는 더 이상 아무 말도 못 했습니다.


 그러는 동안 늑대들의 습격은 점점 빈번해질 뿐이었으며, 그 집이 사사지마 선생님 일당의 기숙사처럼 변하여, 사사지마 선생님이 오지 않을 때에는 선생님 친구들이 와서 묵고 가고, 그 때마다 사모님도 거실 바닥에서 함께 뒤섞여 자겠다고 하시고는, 사모님만 한 숨도 주무시지 못하셔서, 본래부터 튼튼하신 분은 아니셨으니 결국 손님이 보지 않을 때는 항상 주무시고 계시게 되었습니다.


 “사모님, 무척 얼굴이 안 되셨어요. 그런 손님들을 불러들이고 그러지 마세요.”


 “미안해요. 난 그럴 수 없어. 모두 불행한 사람들뿐이잖니. 우리 집에 놀러 오는 것이 유일한 낙이잖아.”


 말도 안돼. 사모님의 재산도 지금에 와서는 얼마 남지 않아서, 이대로 가다가는 이제 반년도 못 가서 집을 팔아야만 하는 상태인데, 그런 약한 모습은 조금도 손님들한테 보이지 않고, 또한 몸도 분명 나빠지고 있는데, 손님이 오면 금새 자리에서 일어나, 재빨리 단장을 하고 현관으로 달려 가시고는 금방 우는 듯 하기도 웃는 듯하기도 한 이상한 환호성을 지르며 손님을 맞이하는 것이었습니다.


 이른 봄날 밤의 일이었습니다. 역시 한 무리의 취객들이 있어, 어차피 밤을 새게 될 테니까 지금 우리들끼리 서둘러 조금이라도 배를 채워두자며 제가 사모님께 권해드려, 저희들 둘이 부엌에서 선 채로 대용식인 찐빵을 먹었습니다. 사모님은 손님들께 마음껏 맛있는 식사를 해드리면서, 혼자만 드시는 식사는 항상 대용식으로 때우고 계셨던 것입니다.


 그 때 객실에서 술에 취한 손님들의 저질스러운 웃음소리가 크게 들리고는, 이어서,


 “아냐, 아냐, 그렇진 않겠지. 분명 자네와 수상하다고 난 보고 있다구. 저 아줌마도 자네…….”


 라며, 도저히 들어줄 수 없을 만큼이나 실례되는 지저분한 말들을 의학 용어로 말하고 있었습니다.


 그러자 젊은 이마이 (今井) 선생님 같은 목소리가 그 말에 답하여,


 “무슨 소릴. 나는 애정 때문에 여길 오는 게 아니야. 여긴 그저 여관일 뿐이지.”


 저는 화가 치밀어 올라 고개를 들었습니다.


 어두운 전등 밑에서 가만히 고개를 숙인 채 찐빵을 드시고 계신 사모님 눈에도, 그 때만큼은 눈물이 반짝였습니다. 저는 너무나도 불쌍하여 말문이 막혀 아무 말도 못 하자, 사모님은 고개를 숙인 채 조용히,


 “우메 짱, 미안하지만, 내일 아침은 목욕물을 받아줘요. 이마이 선생님은 아침에 목욕하는 걸 좋아하시거든.”


 그러나 사모님께서 저에게 안타까운 표정을 보이신 건 그 때뿐이고, 나중에는 다시 아무 일도 없었던 것처럼 손님들에게 화려하고 애교 넘치는 웃음을 지으며 객실과 부엌 사이를 미친 듯이 뛰어다니시는 것이었습니다.


 몸이 무척이나 많이 나빠지신 것을 저는 뻔히 알고 있었으나, 무엇보다 사모님께서 손님을 대할 때는 눈곱만큼도 피로한 기색을 보이지 않으시기에, 손님은 모두 훌륭한 의사들이었지만 한 사람도 사모님의 건강이 안 좋다는 것을 눈치 채지 못한 것 같습니다.


 조용한 봄날 어느 아침, 그날 아침은 다행이 한 사람도 묵고 가는 손님은 없었으므로 저는 천천히 빨래터에서 세탁을 하고 있자, 사모님께서 힘없이 맨발로 마당에 나가시더니, 거기서 황매화나무가 심어진 꽃밭에서 주저앉아 많은 양의 피를 토하셨습니다. 저는 소리치며 빨래터에서 달려가, 뒤에서 끌어안고 어깨에 매듯 방으로 모셔가서 조용히 눕혀드리고는, 울면서 사모님께 말씀 드렸습니다.


 “그래서, 그래서 저는 손님이 정말 싫었습니다. 이렇게 되면 이제 저 손님들도 의사들이니까 본래대로 돌려놓지 않으면 용서할 수 없습니다.”


 “안돼요, 그런 말을 손님들한테 하면. 손님들이 자기들 때문이라며 속상해하니까요.”


 “하지만 이렇게 몸을 상하셔서, 사모님께서는 이제부터 어쩔 셈이세요? 역시 일어나 손님들의 접대를 하실 건가요? 손님들 틈에 끼어 자면서 피라도 토한다면 볼만 하겠어요.”


 사모님께서는 눈을 감고 잠시 생각하시더니,


 “고향으로 갈 거예요. 우메 짱은 집을 지키며 손님들을 묵게 해드려요. 그 분들한테는 마음 편히 쉴만한 집이 없으니까. 그리고 내 병에 대해서는 알리지 말아요.”


 그렇게 말씀하시고는 부드러운 미소를 지었습니다.


 손님들이 안 오는 틈을 타서 저는 그 날부터 짐을 싸기 시작하여, 그리고 저도 아무튼 사모님의 고향인 후쿠미사까지 함께 가드리는 편이 낫다고 생각해서 차표를 두 장 끊고는, 그리고 사흘 째 되던 날, 사모님도 어느 정도 기운을 회복하셨으며 손님도 없었기에 도망치듯 사모님을 재촉하여 모든 문들 잠그고 현관을 나서자,


 도로마이타불!


 사사지마 선생님, 대낮부터 술에 취해 간호사처럼 보이는 젊은 여자 둘을 데리고는,


 “어이구, 어디로 행차하십니까.”


 “아니에요, 괜찮아요. 우메 짱, 미안하지만 객실 쪽 문을 열어줘요. 선생님, 어서 들어가시죠. 괜찮습니다.”


 우는지 웃는지 분간할 수 없는 묘한 소리를 내며 젊은 여자들한테도 인사까지 하시고, 또다시 쳇바퀴 속의 다람쥐처럼 접대의 광란이 시작하여, 저도 심부름에 나가, 사모님으로부터 서둘러 지갑 대신 건네 받은 여행용 핸드백을 마켓에서 열어 돈을 꺼내려 했을 때, 사모님의 차표가 두 개로 찢어진 것을 보고 놀라, 이는 벌써 그 현관에서 사사지마 선생님을 만난 순간, 사모님이 몰래 찢었음이 분명하다는 생각이 들자, 사모님의 깊은 선한 마음에 망연자실해짐과 함께, 인간이라는 것은 다른 동물과 전혀 다른 고귀한 것을 가지고 있다는 사실을 태어나서 처음으로 알게 된 듯 하여, 저도 옷 틈에서 제 차표를 꺼내어 조심스럽게 찢고는 그 마켓에서 무언가 더 맛있는 것을 사 가려고 계속 마켓 속을 뒤지고 있는 것이었습니다.

'다자이 오사무 > 향응부인' 카테고리의 다른 글

향응부인 - 일본어  (0) 2018.04.30
향응부인 - 한국어  (0) 2018.04.30
Posted by 문학관 관리인 위어조자(謂語助者)