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  1. 2018.05.01 투쟁 - 일본어
  2. 2018.05.01 투쟁 - 한국어

투쟁 (闘争)

고사카이 후보쿠 (小酒井 不木) (1925)

일본어 원문


 K君。

 親切な御見舞の手紙うれしく拝見した。僕は全く途方に暮れてしまった。御葬式やら何やら彼(か)やらで、随分忙(せわ)しかったが、やっと二三日手がすいて、がっかりした気持になって居るところへ君の手紙を受取り、涙ぐましいような感激を覚えた。君の言うとおり、毛利先生を失ったわが法医学教室は闇だ。のみならず、毛利先生を失ったT大学は、げっそり寂しくなった。更に、また毛利先生を失った日本の学界は急に心細くなった。さきに狩尾(かりお)博士を失い、今また毛利先生の訃(ふ)にあうというのは、何たる日本の不幸事であろう。毛利先生と狩尾博士とは、日本精神病学界の双璧であったばかりでなく共に世界的に有名な学者であった。その二人が僅か一ヶ月あまりのうちに相次いで病死されたということは、悲しみてもなお余りあることである。

 K君。君は僕の現在の心持ちを充分察してくれるであろう。何だか僕も先生と同じく肺炎に罹(かゝ)って死にそうな気がしてならぬ。かつて中学時代に父を失ったとき、その当座は自分も死にそうに思ったが、その同じ心持ちを今しみ/″\感ずるのだ。教室へ出勤しても何も手がつかぬ。幸いに面倒な鑑定がないからいゝけれど、若(も)しむずかしい急ぎの鑑定でも命ぜられたら、どんな間違いをしないとも限らない。家に帰ってもたゞぼんやりとして居るだけだ。それで居て、何かやらずに居られないような気分に迫られても居るのだ。若し僕に創作の能力があったら、きっと短篇小説の二つや三つは書き上げたにちがいない。けれども残念ながら、それは僕には不可能事だ。たゞ幸いに手紙ぐらいは書けるから、今晩は君に向って、少し長い手紙を御返事かた/″\書こうと思う。

 君の手紙にも書かれてあるとおり、毛利先生は最近たしかに憂鬱だった。君ばかりでなく、他の友人たちも、それを気づいて、すぐに先生の生前に、僕にたずねた者がある。僕には先生の憂鬱の原因、ことに死の直前一ヶ月あまりの極端な憂鬱の原因はよくわかって居た。けれども、先生が生きて居(お)られる限りはその原因を僕は絶対に人に語らぬつもりだった。けれども、今はもうそれを語ってもよいばかりでなく、また語らずには置けぬ気がするのだ。で、それについてこれから出来るだけ委(くわ)しく書こうと思う。

 それから今一つ、話の序(ついで)に、君が嘸(さぞ)聞きたがっているだろうと思う、例の新聞広告、とだしぬけに言ったのではわかるまいが、今から一ヶ月半ほど前に、都下の主な新聞の三行広告欄へあらわれた不思議な広告

PMbtDK

の種明しをもしようと思う。こう言うと、君は定めし不審に思うだろうが、あの広告は、実は僕が出したものだ。君よ、驚いてはいかぬ。詮索好きの君は、あの当時、よく僕の教室へ来て誰が、何のために出して、どういう意味があるだろうかと、色々推定を行(や)ってきかせてくれたものだ。僕は君に感附かれないように、つとめて知らぬ顔を装って居たのだが、あれこそ、先生の憂鬱の原因と関係があって、その当時は絶対の秘密を要したことだから、僕は自分ながら感心するほど、よく自制したよ。が、今はそれを自由に物語ることが出来るのだ。君も、きっと喜ぶだろうが、僕もうれしい気がする。

 K君。

 君はよく記憶して居るだろう。郊外Mに文化住宅を構えて居た若き実業家北沢栄二の自殺の一件を。一旦自殺として埋葬されたのを、警察の活動によって、未亡人政子(まさこ)とその恋人たる文士緑川順が、他殺の嫌疑で拘引され、死骸の再鑑定をすることになったが、鑑定の結果、やはり自殺と決定されて二人は放免され、事件は比較的平凡に片づいてしまった。あの鑑定は主として僕がやったけれど、実はあの事件の底には、もっと/\奥深いものがかくされて居て、それがやがてあの謎の広告と密接な関係を持って居るのだ。というと、察し深い君は、あの事件がやはり他殺だったのかと思うであろう。そうだ。思い切って言えば、やはり一種の他殺だったのだ。が、それはたしかに普通の場合とは異って居るので、それがあの謎の広告となったのだが、とに角、こういう訳で、毛利先生の憂鬱の原因は、間接に北沢事件だとも言い得るのだ。

 尤もそれは先生の死の直前の極度の憂鬱のことをいうのであって、すでにその以前から、毛利先生は憂鬱だったのだ。僕はちょうど五年間先生に師事したが、最初の四年間先生は文字通り快活で、疲労というものを少しも知らぬ学者だった。五十を越した人と思われぬ黒い髪と、広い額と窪んだ眼と、かたく結んだ唇とは、見るからに聡明な性質を表わして居たが、ことに先生が、法医学的の、又は精神病学的の鑑定を行われる態度は、襟(えり)を正しくせずに居(お)られぬほど厳粛なものだった。それもその筈だ。先生の鑑定の結果は、単に一個人の生命に関係するばかりでなく、社会にも重大な影響を与えるから、いわば人智の限りを尽して携(たずさ)わられたのである。而(しか)も、そうした義務的観念から熱心であったばかりでなく、心からの興味をもって従事されたのである。

 ところが過去一ヶ年ほど、どうした訳か先生は、以前ほど仕事に興味を持たれなくなった。どんな小さな鑑定にも、必ず自分の息を吹きかけねば気の済まなかった先生が、近頃はほとんど我々助手に任せきりだった。任せきりだとはいうものゝ、鑑定書には必ず眼をとおされ、助手の手にあまるような問題には決して労力を惜まれなかったが、どう観察しなおしても、以前ほどの熱はなく、教室でぼんやり時を過されることが度々であった。後進を引き立てるために、わざと手をつけることを差控えるようにせられたのかとも思って見たけれど、決してそうばかりではなかった。というのは、先生の顔にだん/\憂鬱の影がさして来たからである。

 僕ははじめ先生の憂鬱の原因を、何か先生に、世間普通の心のなやみが生じたためではないかと考えたよ。甚(はなは)だ失礼ながら、独身の先生のことだから、恋愛問題にでも直面されたのではないかと思って見た。もちろん今はその邪推を後悔して居るが、とに角、一時はそうとでも考えるより他はなかったのだ。ところが、だん/\観察を深めて行くと、それが全部ではないけれど、一種の倦怠とも見るべき状態だとわかったのだ。どうもこの倦怠という言葉は甚だ坐りが悪いけれど、他によい言葉がないから、致し方なく使用するのだが、いわば、精神活動の一種の弛緩(しかん)状態を意味するのだ。

 生理学を専攻する君に、こんなことを言うのは僭越だが、心臓の血圧の曲線を観察すると、かのトラウベ・ヘーリング氏の弛張(しちょう)がある。心臓は生れてから死ぬまで搏動を続けて居なければならぬから、一対ずつ存在して居る器官、例えば腎臓のように、一方の活動して居る間、他方が休むという訳にいかぬ。それで活動に弛張(しちょう)を来(きた)し、それが所謂(いわゆる)トラウベ・ヘーリング氏の弛張と名づけられて居るが、僕は精神的活動にも同様なことがあり得ると思うのだ。平凡な働きしか出来ぬ脳髄には弛張は目立たぬけれど、精神的活動がはげしければはげしいほど、緊張状態の後に来る弛緩状態が目立って来ると考えるのだ。僕は嘗(かつ)てこの見地のもとに、史上の俊才の伝記を研究したことがある。果して多くの俊才には、精神的活動期の中間に著しいギャップのあることがわかった。古来の伝記学者たちはそのギャップを色々に説明して居るが、要するに、それは生理的に、いわば自然に生ずるものであって、俊才自身が意識してそのギャップを作ったのではないのだ。そうしてその時期にめぐり合せた俊才たちは、きまって憂鬱になるのだ。著しかった精神活動の時期を回顧して、だん/\深い憂鬱に陥(お)ちこんで行くのだ。

 時には肉体的の欠陥がこの弛緩状態を起すことがある。肺結核の初期には却って精神的活動を促すが、後にはやはり弛緩状態を起すらしい。慢性腎臓炎などは弛緩が著しい。そこで僕は先生が何か病気に罹(かゝ)られたのではないかとも思ったことがあるけれど、やはりそうではなく、俊才に生理的に起る憂鬱状態と見るのが至当だったのだ。

 今になって見れば、もっと他の、学者としては最も当然な、且(か)つ最も高尚な悩みもあったのだが、それはむしろ原因ではなくて、単にその時期に併在(へいざい)したと見るのが至当であろう。いずれにしても、毛利先生は、先生自身でもどうにもならぬ、況(いわ)んや僕等の何とも仕ようもない憂鬱に陥ってしまわれたのである。

 ところが、その憂鬱からはからずも脱し得られるような事情が起ったのだ。後から見ればそれが一時的のものであって、毛利先生はその後更にはげしい憂鬱に陥られたが、若し、先生の論敵で、先生と共に、日本精神病学界の双璧といわれて居る狩尾博士が脳溢血で頓死(とんし)されなかったら、あのまゝ従前の活動状態に復帰されたかも知れぬ。そうして、ことによったら、先生の死もこれほど早くには起らなかったかも知れぬ。が、今はもう悔んでも及ばない。又、僕の愚痴をならべて君を退屈させても相済まぬ。で、先生を一時的に憂鬱から救った事情を早く物語ろうと思う。言う迄もなく、それが即ち、北沢事件なのである。

 K君。

 北沢事件は、その当時、新聞に委(くわ)しく報ぜられたから、君も大体は知って居るであろう。三十七歳の実業家北沢栄二は郊外に、文化住宅を建て、夫人政子と二人きりで、全然西洋式に暮して居たのだが、今から二月前の十月下旬のある日、夫人の留守中に書斎でピストル自殺を遂げた。その日夫婦は午後一時に昼食をとり、それから間もなく夫人は買物に出たが、色々手間どって五時半頃に帰ると、良人は書斎の机の前に椅子と共に、床の上に血に染まって死んで居たので、驚いて電話で警察へ報じたのである。

 取調べの結果、机の上には遺書と見るべきものが置かれてあって、他殺らしい形跡が毫(すこし)も認められなかったので、翌日埋葬を許可された。普通ならば火葬にさすべきであるのに、特に埋葬にせしめたのは、遺書と見るべきものが、本人の自作の文章ではなくて、本人の自筆ではあるけれど、先年自殺した青年文学者A氏の「或(ある)旧友へ送る手記」の最初の一節をそのまま引き写したものだったからである。つまり警察では、そこに後日の研究の余地を存(そん)せしめて置いたのだ。

 すると果して約一ヶ月の後、警察へ投書があった。それは「北沢栄二の死因に怪しい点がある」とのみ書かれたハガキであるが、それがため警察がひそかに未亡人を監視(かんし)すると、未亡人は、緑川順という年若き小説家の愛人があるとわかり、愛人の家宅を突然捜索すると、ちょうど北沢が自殺に用いたと同じピストルが発見され、なお当然のことであるが、「遺書」の載って居るA氏の全集もあったから、警察は謀殺の疑いありとして、未亡人と緑川とを拘引し、死骸の再鑑定を僕等の教室へ依頼して来たのだ。

 鑑定の依頼に来たのは、警視庁の福間警部だった。僕等にはお馴染の人である。僕は警部から鑑定の要項と一切の事情とをきゝ取って、発掘して運ばれた死体を受取り、福間警部をかえして毛利先生の部屋をたずねたのだった。その日は今にも雨の降りそうな、変に陰鬱な天気だったせいもあるが、先生の顔には常にないほどの暗い表情が満ちて居た。僕が書類を手にしてはいって行くと、先生は読みかけた雑誌をそのまゝにして顔をあげ、

「また鑑定かね?」と、吐き出すように言われた。

「はあ」

「どんな」

 そこで僕は、福間警部からきいた一切を物語ったが、一年前ならば、眼を輝かして聞かれたであろうに、而(しか)も自殺か他殺かという鑑定の結果によっては二人の生命が左右されるほどの重大な事件であるのに先生はたゞフン、フンといってうなずかれるだけで、悪くいえば、まるで他事(よそごと)を考えて居られるのではないかと思われるような、味気ない態度であった。僕が語り終ると、

「それで、鑑定の事項は?」

「三ヶ条です。第一は胃腸の内容から、死の起った時間を決定すること。第二は現場及び遺書の血痕が自然のものか、又は人工的に按排(あんばい)された形跡があるか否や、第三はピストルが、どれほどの距離で発射されたかと言うのです」

「その遺書をそこに持って居るかね?」

 僕は紙袋に入れられた遺書を取り出して、先生に差出した。それは二つに折られた水色のレター・ペーパーで、外側には数個の血痕が附着し、中側にペンで「或旧友へ送る手記」の最初の一節が書かれてあった。くどいようであるけれども、後の説明のために、その全文を書いて置こう。

 誰もまだ自殺者自身の心理をありのままに書いたものはない。それは自殺者の自尊心や或(あるい)は彼自身に対する心理的興味の不足によるものであろう。僕は君に送る最後の手紙の中に、はっきりこの心理を伝えたいと思っている。尤も僕の自殺する動機は特に君に伝えずとも善(よ)い。レニエは彼の短篇の中に或自殺者を描いている。この短篇の主人公は何のために自殺するかを彼自身も知っていない。君は新聞の三面記事などに生活難とか、病苦とか、或は又精神的苦痛とか、いろいろの自殺の動機を発見するであろう。しかし僕の経験によれば、それは動機の全部ではない。のみならず大抵は動機に至る道程を示しているだけである。自殺者は大抵レニエの描いたように何の為に自殺するかを知らないであろう。それは我々の行為するように複雑な動機を含んでいる。が、少くとも僕の場合は唯(たゞ)ぼんやりした不安である。君は或は僕の言葉を信用することは出来ないであろう。しかし十年間の僕の経験は僕に近い人々の僕に近い境遇にいない限り、僕の言葉は風の中の歌のように消えることを教えている。従って僕は君を咎(とが)めない。……

 先生はそれでも、この文句の全部に眼をとおされたのだった。そうして読み終ってから、

「この筆蹟は本人に間ちがいないのかね?」

と、たずねられた。

「それは間違いないそうです」

 言う迄もなく先生は筆蹟鑑定のオーソリチーだ。以前の先生ならば、こうした変った遺書はきっと興味をひくにちがいないのだが、

「そうか」と答えられたゞけであった。そうして、僕に紙片を返しながら、

「それでは、涌井(わくい)君、君にこの事件の鑑定をしてもらうことにしよう」と、言い放って、再び雑誌の方を向いてしまわれた。

 あとでわかったことだが、毛利先生がその雑誌の方へ心を引かれて居られたのも無理はないのだった。其処(そこ)には、先般学会で先生が大討論をなさった狩尾博士の論文が掲載されて居たからである。ここで序(ついで)に、僕は毛利先生と狩尾博士との関係を述べて置こう。この二人が日本精神病学界の双璧だったことはすでに述べたが、毛利先生を堂上(どうじょう)の人にたとえるならば、狩尾博士は野人であった。すでにその学歴からが、毛利教授は大学出であるのに、狩尾博士は済生学舎(さいせいがくしゃ)を出てすぐ英国に渡って苦学した人だった。そうして狩尾博士はS区に広大な脳病院を経営し、しかも、どし/\新研究を発表した。その風采も毛利先生は謹厳であったのに、狩尾博士は禿頭(とくとう)で、どことなく茶目気があった。

 更にその学説に至っては全然相反の立場にあった。毛利先生はドイツ派を受ついで居られたのに、狩尾博士はイギリス、フランス派を受ついで居た。もとより晩年には二人とも、外国にも匹儔(ひっちゅう)を見ないほどのユニックな学者となって居て、毛利先生は、先生の所謂(いわゆる)「脳質学派」を代表し、狩尾博士は博士の所謂「体液学派」を代表して居た。脳質学派とは人間の精神状態を脳質によって説明するのに反し、体液学派は、体液ことに内分泌液によって説明するのである。

 狩尾博士の体液学派は、内分泌派又は体質派ともよばれるのであって、狩尾博士の主張するところによれば、すべての精神異常は体質によって定(き)まるものであって、而(しか)も体質なるものは目下のところ人力で之(これ)を如何(いかん)ともすることが出来ない。例えば殺人者たる体質を有するものは、必ずある時期の間に殺人を行う。故にその時期に入ったことを観察することが出来たならば、僅かの暗示的刺戟によっても殺人を行わせることが出来るというのである。即ち、一見精神健全と思われる人にも、体質の如何によって恐ろしい犯罪を敢(あえ)てせしめ得るのだというのであって、その刺戟を狩尾博士は、これまでの suggestion と混同されないように incendiarism と名づけたのである。

 この説に対して毛利先生は、精神異常は脳質に変化が起ってはじめてあらわれるのであって、脳質に変化の起らない限り、即ち、精神病的徴候のあらわれない限り、暗示によって殺人を行わせるごときは絶対に出来ぬと主張されたのである。先般の学会でもこの点について激論があった。実をいうとその時毛利先生の旗色が幾分か悪かった。すると、狩尾博士は、

「毛利君如何(いかゞ)です?」と、いかにも皮肉な口調で、幾度も先生に迫ったものだ。けれども、人間に直接実験して見せて貰わないうちは、先生も兜(かぶと)をぬぐことが出来ない。で、結局はやはり、そのまゝになって討論はやんだが、その時の狩尾博士の演説が、雑誌に載って居たので、毛利先生は、鑑定の方よりも、それに余計に気をとられて居(お)られたわけである。

 K君。

 このようにして、北沢事件の再鑑定は僕が引受けることゝなった。僕等の教室では、たとい鑑定の事項が局所的のものでも、必ず全身を精密に解剖することになって居るので、その日直ちに注意深く解剖を行った。その結果、北沢栄二という人は胸腺淋巴(きょうせんりんぱ)体質であることを知った。即ち自殺者に殆んど常に見られる体質だ。それから頭部の銃創と骨折の関係をしらべ、胃腸の内容をしらべたが、その結果、ピストルは右の顳(こめかみ)から約五センチメートルほど離れたところから発射され、死の時間は昼食後一時間乃至二時間後であることをたしかめた。それから僕は北沢家に出張して現場(げんじょう)の模様をしらべ、なお、遺書の上の血痕を検(しら)べたが、人工的に按排(あんばい)された形跡は一つも発見することが出来なかった。

 このうち胃腸の内容検査は、色々の面白い事実を教えてくれた。無論それは事件とは関係のないもので、消化生理の上から見て興味あることだが、とてもその委(くわ)しいことは今書いて居れぬから、他日教室へ来て鑑定書を見てくれたまえ。いずれにしても、僕の鑑定の結果では、他殺と見るべき根拠は何一つ発見されなかったのである。

 あくる日、僕は、毛利先生の部屋をたずねて、解剖の結果その他を逐一報告した。さすがにその時は、熱心に聞いて下さったが、僕の報告を終るなり、先生は、

「それじゃ、自殺と考えても差支(さしつかえ)ないね。若しそれが他殺だったら、たしかに奇蹟だ」と、言われた。

 ところがK君。その奇蹟であることが、皮肉にも、それから一時間の後に起ったのだった。といっては少し言い方が変だが、実は、福間警部がたずねて来て、容疑者の緑川順が、北沢を殺したことを自白したから、毛利先生に警視庁へ来て、緑川を訊問して、その精神鑑定をしてほしいと頼みに来たからである。

 これをきいた毛利先生の態度は急に一変した。先生はその瞬間に以前の毛利先生となられたのである。「他殺だったら、たしかに奇蹟だ」と断定されたほど、他殺説の割りこむ余地のない事情のところへ、他殺を自白したのだから、毛利先生は急に興味をもってみずから、取調べて見ようという気になられたにちがいない。

「福間君。緑川の自白したことを、まだ北沢未亡人には告げないだろうね」

「告げません」

「よし、それではこれからすぐ出かけよう」

 僕等三人はやがて警視庁へ自動車をとばせた。自動車の中で毛利先生は、福間警部に向って、緑川の自白の趣(おもむき)をたずねられた。警部の話したところによると、かねて彼は北沢夫人と恋愛関係をもって居たが、北沢夫人から、北沢がピストルを買ったこと、冗談半分に文学者A氏の遺書の一節をうつして持って居ることをきゝ、自分も同じピストルを買って、夫人に内証に北沢を亡きものにしようと決心し、その日、夫人が買物に出かけた後、ひそかにしのびこんで書斎へ行くと、北沢は椅子に腰かけて食後の微睡(びすい)をして居たので、これ幸いと、うしろにしのび寄り、自分のピストルで射殺し、たおれるのを見すまして、手にそのピストルを握らせ、それから机の抽斗から、北沢のピストルと遺書を取り出し、ピストルはポケットに入れ、遺書は机の上に置いて、再びしのび出たというのであった。

「緑川はどこに住(すま)って居るのかね?」と、毛利先生は警部の説明をきゝ終ってたずねられた。

「北沢家から、四五町へだたったところに小さな文化住宅をかまえ、一人で住んで居るのです」

 警視庁へ着くなり、毛利先生と僕とは一室にはいって、緑川の連れられてくるのを待った。

 やがて福間警部につれられてはいって来たのは二十四五の、顔の長い、髪の毛の房々とした青年だった。毛利先生は何思ったか福間警部を別室に退(しりぞ)かせて、緑川に犯行の模様を語らせた。それは、福間警部が自動車の中で告げたことゝ少しも変らなかった。

「それでは、この机の前で、その時の北沢さんの模様をやって見せて下さい」

 と、毛利先生は立ち上って、自分の腰かけて居た椅子を緑川に与え、室の隅にあった薄縁(うすべり)をもって来て床に敷かれた。

 緑川はおそる/\椅子に腰かけた。

「さあ、眼をつぶって微睡して居る様子をして下さい。僕がその時のあなたの役をつとめます。よろしいか。そら、ドンとピストルを打った。そこで北沢さんはどうしましたか」

「何しろ興奮して居たから、こまかい動作はよく覚えて居りません。たしか、こういう風に立ち上ったと思います。それから、たしか身体を、こう捩(ね)じて、下へたおれ、こう言う風に横(よこた)わりました」

 こう言って一々その動作を示した。

「宜(よろ)しい。恐入りますが、もう一度やって見て下さいませんか」

 更に再び実験が行われた。

「横わった時の姿はそれに変りはありませんか」

「それはたしかに記憶して居ります」

「よろしゅう御座います。元の部屋へお帰り下さい」

 こう言って先生は福間警部をよんで緑川を連れ去らせた。

「涌井君。君は昨日北沢家へ調べに行った時、福間警部に北沢がどんな風に死んだかを演(や)って見せたね」

「はあ」

「そうだろうと思った」

 やがて福間警部が戻って来ると、

「福間君。白状というものは、こちらから教えてさすべきものでないよ。むこうの言うことを黙ってきけばいゝのだ」

「緑川が何か言いましたか」

「いま緑川に実演させたら、君が教えたとおりにやったゞけで本当のことをやらなかったよ。あんな飛び上り方なんて、まったく嘘だ。たゞ、横わってからは本式だった。本人も、飛び上ってから、身体を捩じてたおれるまでは、どうも興奮してよく覚えて居りませんと言いながら、横わった姿だけはっきり覚えて居るんだ。緑川の自白は虚偽だよ」

「それでは何故そんな虚偽の自白をしたのでしょう」

「それは、あとでわかるよ。未亡人をつれて来てくれたまえ」

 間もなく黒い洋装の喪服を着た北沢未亡人が連れられて来た。眼の縁が際立って黒かったので、一層チャーミングに見えたが、さすがに、三十過ぎであることは皮膚のきめにうかゞわれた。

 例によって福間警部が退くと、先生は、

「あなたは、御主人が自殺された日、何時に用たしから御帰りになりましたか」

「五時半頃だったと思います」

「そうではないでしょう。四時か四時半頃だったでしょう」

「いゝえ、たしかに五時……」

「本当のことを言って下さい。こちらには何もかもわかって居るのですから」

「……………………」

「あなたは、四時頃に帰って死骸を発見し、びっくりして緑川さんのところへかけつけ、それから緑川さんをよんで来て、二人でとくと相談して、はじめて警察へ御知らせになったでしょう」

「いえ……」

「だから、緑川さんは、あなたが御主人を殺しなさったにちがいないと思いこみ、あなたをかばうために、今日、自分が殺したのだといって白状されましたよ」

 この言葉に彼女はぶるッと身をふるわせて、

「それは本当で御座いますか。それでは何もかも申し上げます。まったく仰せのとおりで御座います。緑川さんが殺したのでもなく、また私が殺したのでもありません。私が四時に帰ったとき、すでに良人は死んで居りました。そうして私は一時に家を出て、それまで緑川さんのところに居たので御座います」

「よろしい。あなたの今言われたことを真実と認めます」

 こう言って、毛利先生は警部をよんで夫人を連れ去らせた。

「涌井君」と、先生はさすがに喜ばしそうに言われた。「真実(まこと)を知ることは、案外に楽なときもあるね。僕は緑川の実演で、彼が死骸を見せられたにちがいないと推定したのだが、果してそうだった。それにしても、恋は恐ろしいものだ。夫人の罪を救おうとして虚偽の自白をなし、敢て自分を犠牲にしたのだ」

 K君。僕は今更ながら先生の烱眼(けいがん)に驚かざるを得なかった。先生の前には、「虚偽」はつねに頭を下げざるを得ない。

「さあ」と先生は腕を組んで言われた。「これで、二人には罪がないとわかり、北沢は自殺ときまったが、さて、何だかまだ事件は片づいて居ないではないかね」

「はあ」と、返事をしたものの、僕にはさっぱり見当がつかなかった。

 福間警部がはいってくると、先生は訊問の結果を告げ、二人を放免すべきことを主張せられて、そうして最後に、

「昨日(きのう)、僕は立入ってはきかなかったが、一たい北沢事件の今度の再調査は、警察へ来た無名の投書がもとになったというではないかね」

「そうです」

「君は、その投書について調べて見たかね」

「いゝえ、投書はありがちのことですから、別に委しいことは検べませんでした」

「その投書はまだ保存してあるだろうね」

「あります、持って来ましょうか」

 警部は去って、間もなく葉書をもって来た。そこには、「北沢栄二の死因に怪しい点がある」と、ペンで書かれてあったが、僕はそれを見た瞬間、はッと思って、先生の顔を見ると、先生の眼はすでにぎら/\輝いて居た。

「涌井君。遺書を出したまえ」先生は遺書と投書の筆蹟を見くらべられたが、「この遺書と投書とは、同じ日に、同じペンとインキで、同じ人によって書かれたものだ※[#感嘆符三つ、184-1]」

 K君。

 その瞬間、僕は、たしかに一種の鬼気というべきものに襲われたよ。福間警部も、あまりの驚きで暫らくは言葉が出ないらしかった。

「福間君。御苦労だが、もう一度北沢夫人を連れて来て下さらぬか」

 警部が去るなり、僕は言った。

「先生、それでは、北沢氏自身が、二人を罪に陥れるために、そのような奸計(かんけい)をめぐらしたのでしょうか」

「それならばもっと他殺らしい証拠を作って然るべきだ」

「他殺らしい証拠を作っては却って観破される虞(おそれ)があるから、投書の方だけを誰か腹心の人に預けて置いて、あとで投函してもらったのではないでしょうか。現に、遺書を自作にしなかったのも、やはり、深くたくんだ上のことではないでしょうか」

「そうかも知れない。けれど、北沢という人が、果してそういうことの出来得る人かしら。とに角、夫人にきいて見なければわからない」

 夫人が連れられて来ると、先生は、遺書を示して、それが果して御主人の筆蹟であるかどうかをたずねられた。

 夫人は肯定した。すると、福間警部も、北沢の他の筆蹟と較べたことを告げ、なお証拠として持って来てあった二三の筆蹟を取り出して来て示した。

 先生は熱心に研究されたが、もはや、疑うべき余地はなかった。遺書も投書も、北沢その人が同時に書いたものである。

「この遺書を御主人が書かれたのは、いつ頃のことですか」

「たしか、死ぬ二十日程前だったと思います」

「どこで書かれましたか」

「それは存じませんが、ある晩私にそれを見せて、もうこれで、遺書(かきおき)が出来たから、いつ死んでもよいと、冗談を申して居りました」

「すると、自殺をなさるような様子はなかったのですか」

「少しもありませんでした。平素比較的快活な方でしたから、まさかと思って居りました」

「ピストルはいつ御買いになりました」

「その同じ頃だと思います。強盗が出没して物騒だからといって買いました」

「御主人は平素(ふだん)巫山戯(ふざけ)たことを好んでなさいましたか」

「何しろわがまゝに育った人で、たまには巫山戯たことも致しましたが、時にはむやみにはしゃぐかと思えば、時にはむっつりとして二三日口を利かぬこともありました」

「御主人には、親しい友人はありませんでしたか」

「なかったと思います。元来お友達を作ることが嫌いで御座いまして、自分の関係して居る会社へもめったに顔出し致しませんでした。たゞM――クラブへだけはよく出かけました」

「M――クラブというと?」

「英国のロンドンに居たことのある人たちが集って組織して居る英国式のクラブで、丸の内に御座います」

 これで毛利先生は訊問を打ちきって、未亡人を去らせ、

「いくらたずねて行っても、わかるものでない」と、呟くように言われた。

「それでは、投書の主をたずね出して見ましょうか」と、福間警部が言った。

「いま、たずね出したところが、自殺説が変るわけのものではないし、又、むこうから名乗って出ない限りはたずね出せるものでもなかろう。とに角、これで事件は片づいたよ」

 K君。

 かくて北沢事件はとに角片づいた。それは新聞で君も御承知のとおりだ。けれども片づかぬのは先生の心だった。再び従前の活動状態に戻られた先生としては、事件の底の底までつきとめねばやまれる筈がない。「むこうから名乗って出ない限りはたずね出せるものでもなかろう」と言われたものゝそれは警察に向っての言葉であって、先生にはすでにその時、たずね出せる自信があったに違いない。それのみならず先生は、その事件の真相を警察に知らせては面白くないとさえ直感されたらしい。

 警視庁を去るとき、

「この遺書と投書を暫らく貸してもらいたい。少し研究して見たいから」

 と言って、先生はその二品を持って教室へ帰られたが、やがて僕を教授室に呼んで、

「涌井君、君はどう考える」と、だしぬけに質問された。

 僕が何と答えてよいか返事に迷って居ると、毛利先生は説明するように、

「単に警察に投書があったというだけなら、無論詮索する必要はないのだ。又、たとい、死んだ本人の自筆の投書であっても、これまたさほど珍らしがらなくてもよいことだ。世の中には随分悪戯気(ふざけ)の多い人もあるから、大に警察を騒がせて、草葉の蔭から笑ってやろうと計画する場合もあるだろう。また、遺書が自作の文章でなくて、他人の引き写しであってもこれも、別に深入りして詮索するに及ばぬことだ。こうした例はこれまでにもなか/\沢山あった。ところがこの二箇の、詮索を要せぬ事情が合併すると、そこに、はじめて詮索に価する事情が起って来るのだ。この場合自殺者が、遺書と投書とを同じ時に書いたということは、少くともある目的、而(しか)も、たった一つの目的のために書かれたことになる。従って、その目的を詮索する必要が起って来るのだ」

「その目的はやはり、夫人と愛人とを罪に陥れるためではなかったでしょうか」

「それならば、もっと他殺らしい証拠を造って然るべきだ」

「それでは、単なる人騒がせのための悪戯でしょうか」

「悪戯としては考え過ぎてある。現にこの投書は、今少しのことで捨てられてしまうところだった。この投書を見なかったならば、僕もこのように興味を持たない筈だ」

 K君。まったく僕にはわからなくなってしまった。そうして、毛利先生にも、その時はまだ少しもわかっては居なかったのだ。

「この謎はとても短時間には解けぬよ。君はもう帰ってもよい。僕はこれからこの二品を十分研究して見ようと思う」

 K君。

 かくて僕は、可なりに疲労して家に帰ったが、先生から与えられた謎が頭にこびりついて、その夜はなか/\眠れなかった。僕は色々に考えて見た。はては文学者A氏の全集を繙(ひもと)き、その遺書の第一節の文章なり意味なりから、何か解決の手がかりは得られないかと詮索して見たが、結局何も得るところはなかった。

 あくる日、睡眠不足の眼をこすりながら、教室へ行くと、先生はすでに教授室に居られた。その顔を見たとき、先生が徹夜して研究されたことを直感した。

「涌井君、遂に問題は解けたよ」

 僕の顔を見るなり、先生はいきなり声をかけられたが、いつもの問題の解けた時のような、うれしさがあらわれて居なかったから、何か先生にとっては不愉快な解決だなと思った。

「解けましたか」

 そう言ったきり、僕は次の言葉に窮した。「それは愉快です」とは、どうしても言えなかったのだ。すると先生は、机の上にあった小さな紙片をとり上げて、

「之がその解決だよ」と言って渡された。見ると其処(そこ)には、

PMbtDK

と書かれてあった。

「君、甚(はなは)だ御苦労をかけるが、それを都下のおもだった新聞に、あまり目立たないように広告してくれたまえ」

 僕は面喰った。

「これは暗号で御座いますか」

「理由(わけ)は君が帰ってから話す」

 僕はそのまゝ黙って引きさがり、それから各新聞社をまわって広告を依頼し、教室へ帰ったのは午後一時ごろだった。道々僕は、先生の渡された暗号――無論僕ははじめそれを暗号だと思った――を、色々に考えて解こうとしたが、まるで雲をつかむようだった。又、何のために、先生が新聞などへ広告を出されるのか、そうして、これが一たい北沢事件と、どう関係があるのか、ちっともわからなかった。だから、教室へ帰ったときは、早く先生から説明がきゝたくて、僕はいわば好奇心そのものであった。

 教授室に入ると、先生は立ち上って、入口の方へ歩いて行き、扉(ドア)の鍵孔に鍵を差しこんでまわされた。

「あまり大きな声で話してはならぬのだよ」こう言って再び机の前えに腰をおろし、「さて涌井君、君はニーチェを読んだことがあるか」と、だしぬけに質問された。

「はあ。以前に読んだことがありましたけれど……」と、僕がしどもどしながら答えると、先生は遮(さえぎ)って、

「無理もない。今どきニーチェなどを語るのは物笑いの種かも知れぬが、若(も)しそれが天才の仕事であるならば、たとい非人道的であっても、君は許す気にはならぬかね」

「さあ、そうですね……」

「いきなり、こう言っては君も返答に迷うであろうが、近頃はよく民衆の力ということが叫ばれて居るけれど、少くとも科学の領域に於ては、幾万の平凡人も、一人の天才に及ばぬことを君は認めるであろう」

「認めます」

「そうして、科学なるものが、人間の福利を増進するものである以上、科学的天才の仕事が非人道的であっても、君はそれを許す気にならないか」

 誠に大問題である。

「もっとよく考えて見なくてはわかりませんが……」

「その肯定が出来なくては、君に先刻(さっき)の約束どおり、説明を行うことが出来ぬ」

 それでは大変だ。是非、北沢事件の解決をきかねばならぬ。

「許してもよいような気がします」

「よし、そんなら説明に取りかゝろう」と、案外先生は楽に話しかけて下さった。「ゆうべ僕は、この二枚の紙片をにらんで、とうとう徹夜してしまった。だん/\推理を重ねていった後、比較的早く事件の底にかくされた秘密を知ったけれど、その確証をにぎるのに随分苦心した。

「僕は昨日君がかえってから、この二つの品即ち遺書と投書を、机の上にならべて、如何なる順序で研究すべきかを考えた。その結果、最初は先ず、心を白紙状態に還元して、果してこの二つの筆者が北沢その人であるかどうかを研究した。けれども、もはやそれには疑いの余地がなかった。いろ/\北沢の他の筆蹟とくらべて見たが、絶対に他の人であり得ないことがわかった。

「然らば、北沢は何故にかゝる計画を行ったか、何の目的でやったことかを次に研究した。これこそ謎の中心点で、すでに君と話し合っても見たが、遂に昨日は解決が出来なくて別れてしまった大問題だ。昨日も言ったとおり、遺書と投書と別々にしては、色々の目的が考えられるけれど、二つを合せるとたった一つの目的しか考えられなくなるのだ。従ってそのたった一つの目的をさがし出せば凡(すべ)ての事情が氷解するのだが、何がさて、たったこの二つきりの品によって解決しようとするのだから、なか/\困難だった。

「北沢が何人(だれ)に投書を依頼したかはわからぬが、とに角、投書は北沢の計画したとおりに投ぜられたにちがいない。ロマンチックな君は、きっと、北沢の投書の依頼を受けた人が誰であるかを知りたく思うであろう。その人を捜し出して、その人から北沢の真意をきゝ度(た)く思うであろう。無論あの投書が、偶然に無関係な人の手に入ったとは考えられないから、たしかに北沢に依頼された人がある筈だ。そうしてその人は、現にどこかで、警察や僕等の騒ぎを頬笑みながら覗(うかが)って居るにちがいない。それを思うと、君は腹立たしい気になるかも知れぬが、僕は然し、北沢が投書を依頼したという人には毫(すこし)も興味を感じなかったのだ。それよりも北沢の唯一(ゆいつ)の目的が知りたくてならなかった。

「而(しか)もその目的は、決して単なる人騒がせのためではない。何となれば、若し単なる人騒がせが目的だったら、もっと簡単な、そうしてもっと効果的な方法がある筈だ。だから北沢にはもっと厳粛な一つの目的があらねばならなかったのだ。

「ところが、そのような大切な目的を果すためには北沢の計画はすこぶるあやふやなものだった。それは昨日も言ったごとく、若し僕が注意しなければ、投書はあやうく捨てられてしまうところだった。自殺を敢てしてまで果そうとする大切な目的を遂行するにしては、随分乱暴な計画であって、それは到底手ぬかりなどゝ言ってはすまされないことである。

「して見ると、この投書の危険も予(あらかじ)め計画のうちに入れられてあったと考えねばならない。すると北沢は、その投書が当然僕の目に触れることを予定して居たと考えねばならない。いゝかね、涌井君、いまこうして話してしまえば何でもないようであるが、僕がこの推理に達するまでには、可なりの時間を費したのだ。

「遺書に自作の文章を書かなかったのは、警察に埋葬の許可しか与えさせぬ計画だった。これは疑うべき余地はないが、投書を警察へ送れば再鑑定が行われ、当然、僕が、その投書と遺書が同(おなじ)一人(ひとり)によって同一の時に書かれたことを発見するということも、今は疑うべくもない、予定の計画だったのだ。

「即ち北沢は、僕が投書と遺書の同一筆蹟なるところから興味をもって研究に携(たずさ)わり、その結果、その目的が何であるかを発見するに大に苦しむということもやはり、予定して居たのだ。涌井君、君は定めしこの言葉を奇怪に思うであろうが、投書が僕の手に入ることを確信した北沢のことであるからそれくらいのことを予定するのは何でもないのだ。つまり、一切の事情は、北沢の計画どおりに運んだ訳なのだ。換言すれば、北沢はすでにその目的を果したことになるのだ。

「いゝかね。僕が一生懸命になって詮索した北沢の目的は、僕に北沢の目的を詮索させることにあったのだ。

「然らば次に起る問題は、何故に北沢が、それだけの簡単な目的のために自己の生命までも奪ったかと言うことだ。北沢という人は、今回の事件ではじめて僕に交渉をもったゞけで、少くとも生前にはあかの他人であった。その人が、そのようなことをするとは、あり得ないことだ。

「その、あり得ないことがあるについては、そこに、それを正当に説明し得る理由がなくてはならない。そうしてそれを説明し得る唯一の理由は、北沢自身が、少しもそれを知らないということでなくてはならない。つまり北沢自身投書と遺書とを書いた目的を少しも知らなかったというより他にないのだ。

「しかも、投書と遺書とは北沢自身の筆蹟である。して見れば、この二つを北沢は無意識の状態で書いたにちがいない。然るに遺書は生前すでに夫人に示したくらいであるから、北沢自身は書いたことを意識して居た筈である。すると北沢は無意識に書いて置きながら、意識して書いたように思って居たと考えねばならぬのだ。

「涌井君。無意識で書いて、それを意識して書いたように思うのは、催眠状態に於て書かされ、あとでそれを意識して書いたつもりになるよう暗示された時に限るのだ。して見ると、北沢は、ある人のために無意識に書かされ、そうして暗示を与えられたと考えねばならなくなった。

「こうして、僕の推理の中にはじめて第三者がはいって来たよ。つまり、北沢事件に、今迄ちっとも顔を出さなかった人が顔を出すに至ったのだ。そうして、その第三者こそ僕に北沢の投書と遺書とを詮索させようとしたのであって、その人が、今まで北沢が行(や)ったとして話して来た計画をこと/″\く立てたわけである。そうして、北沢自身はそれについて少しも知らなかったのだ。

「涌井君。その第三者とはそも/\誰だろう。先ず他人の遺書の文句をうつした遺書を書かせて、死骸を埋葬させ、然る後、同一筆蹟の投書を警察へ送って再鑑定を行わせ、自殺であることを確証せしめて、たゞ僕のみがその投書を見て事件の謎をつきとめるために努力することを予想して居た人は誰であろうか。何のためにその人は僕に徹夜せしめるような苦心をさせたか。

「涌井君。君はもう、それが誰であるかをおぼろげながら察し得たであろう。けれども、その人であると断定すべき証拠が一たい何処にあるのか、その時僕は考えたのだ。これほどまでの計画を立てる人のことであるから、必ずその証拠となるべきものが、どこかにこしらえてあるにちがいないと想像したのだ。而(しか)も、恐らくは、この投書と遺書の二つの中にその証拠がかくされてあろうと思ったのだ。

「そこで僕はあらためて二つの品を検査しはじめたのだ。たとえば投書の文句が解式(キイ)となって、遺書の方から何かの文句が出て来るのではあるまいかというようなことも考えて見たのだが、そのような形跡はなかった。そこでこんどは遺書の文句即ちA氏の手記の第一節の文句の中に何かの意味が含ませてあるのではないかと、色々研究して見たが、そうでもなかった。ところがやっと暁方(あけがた)に至って、とうとう、遺書の中から、確実な証拠を握るに至ったよ。

「涌井君。君はよく記憶して居るだろう。先般の学会に、僕と狩尾君とが激論したことを。その時、たしかに僕は受太刀だった。すると狩尾君は『毛利君如何です』と皮肉な口調で僕に肉迫して来た。その時、僕は『人間について直接実験を行わない限り、君の説に服することは出来ぬ』と言って討論を終った。そうして僕は、その後人間に関する研究は、畢竟(ひっきょう)人間実験を行うのでなくては徹底的でないと考え、それが不可能事であることを思って、前からの憂鬱が一層はげしくなったのだ。

「ところが、狩尾君は遂にその人間実験を敢てしたのだ。北沢は君の解剖によると胸腺淋巴体質であったから、狩尾君は彼が、そのうちの自殺型に属して居ることを知り、而も狩尾君の所謂(いわゆる)、『特別の時期』にはいって居たのであろう。それを知った狩尾君はその所謂 incendiarism を行って、北沢を自殺せしめ、もって、僕にその説のたゞしいことを示したのだ。

「北沢が自殺する以前には、少しも自殺しやしないかという虞(おそれ)のある徴候はなかった筈だ。若しあるならば、ピストルを買ったり、遺書を書いたりしたので、夫人は警戒せねばならない。して見ると毫(すこし)も精神異常の徴候はあらわれて居らなかったのであって、そのような時機にはたとい暗示を与えても自殺をせぬというのが僕の説なのだ。ところがそれを狩尾君は人間実験で破ったのだ。そうして、それを僕にさとらしめるために、遺書と投書の計画をたてたのだ。

「未亡人の話によると、北沢はM――クラブへよく行ったということであるが、ロンドンを第二の故郷とする狩尾君がそのメムバーであることは推定するに難くない。恐らく狩尾君はそこで自分にとってもあかの他人である北沢を観察し、催眠状態のもとにA氏の手記をディクテートし、なお投書の文句を書かせて、それだけは自分で保存して置いたのであろう。ピストルを買わせたのも狩尾君かも知れぬ。そうして、みごとに自説を証明し、併せてそれを僕に示そうとする目的を達したのだ。勿論、その遺書や投書やピストルが、incendiarism の役をつとめたことはいう迄もなく、北沢事件そのものは、実に天才的科学者の行った人間実験に外ならぬのだ」

 こゝまで語って先生は、ほッと一息つかれた。僕は先生の推理のあざやかさに、いわば陶然として耳を傾けて居たが、最後のところに至って、ひやりとしたものが背筋を走った。

「それでは先生、たとい直接手を下されずとも、北沢は狩尾博士が……」

 先生は、手真似で「静かに!」と警告された。「だから、はじめに君にことわってあるではないか。狩尾君は天才だよ。到底僕の及びもつかぬ段ちがいの天才だよ。こうして思い切った実験は、アカデミックな考え方にとらわれて居る僕等の金輪際為し得ざるところだ。それは世間普通の考え方から言えば、悪い意味にもとれるが、とに角、科学によって自然を征服して行こうとするには、これくらいのことを平気でやってのけねばなるまい。

「いや、このことについては、これ以上深入りしては論ずまい。それを論ずべく、僕はあまりにつかれて居る。だから、最後に、僕が遺書の中から発見したという証拠について語って置こう。

「見たまえ。この遺書の文字はすこぶる綺麗に書かれてあるが、よく見ると、ところ/″\に、棒なり点なりの二重な、即ち一度書いた上をまた一度とめた文字があることに気づくだろう。僕はそこに目をつけて、その文字を拾って見たのだ。即ち、

……書いたものはない。……の……も

……よるものであろう。……の……う

……はっきりこの……………の……り

……特に君に伝えず…………の……君

……描いている。……………の……い

……自殺するかを……………の……か

……が、少くとも……………の……が

……不安である。……………の……で

……信用することは…………の……す

の九字で、これを合わせて読むと、「もうり君いかゞです」となる。この言葉を発するのは、狩尾君より他にないではないか。

「そこで僕は、その狩尾君の呼びかけの言葉に対して、返事を書いたのだ。それが、君を煩わした、新聞広告の文字なのだ。PMbtDKとは、別に暗号でも何でもなく、

Prof. Mohri bows to Dr. Kario.

の最初の一字ずつをとったのだ。無論狩尾君の眼にふれゝば、すぐその意味を知ってくれるだろう。僕としては、これが、今の僕の心の全部だ」

 K君。これで北沢事件は真の解決を得たのだ。

 このことがあってから、毛利先生は、ずっとその快活な状態を続けて居られたが、それから二週間たゝぬうちに、突然狩尾博士の脳溢血による頓死が伝わると、先生は以前にまさる憂鬱に陥ってしまわれた。

 学者がその論敵即ち闘争の対象を失うほど寂しいことはない。多分先生の憂鬱もそのためであったと思うが、それは実に極端な憂鬱であった。そうして遂に肺炎にかゝって、狩尾博士のあとを追ってしまわれた。

 かくて、日本は、得がたき俊才を一度に二人失ったのだ。こうした花々しい闘争がいつになったら再び行われるか、いつになったら精神病学が、再びこのように進められて行くかと思うと心細くてならぬ。今この事件を書き終ってふりかえって見ると、それが幾世紀も昔の出来事のような気さえする。K君、健在なれ!


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Posted by 문학관 관리인 위어조자(謂語助者)

투쟁 (闘争)

고사카이 후보쿠 (小酒井 不木) (1925)

번역 : 홍성필


K군.

친절한 문안 편지 반갑게 받았네. 나는 완전히 넋을 잃고 말았다. 장례식이다 뭐다 하며 매우 분주했으나 간신이 2~3일 정도 한가해졌기에 낙심하고 있을 무렵 자네 편지를 받고는 눈물겨운 가격을 느꼈다. 자네 말대로 모오리 선생님을 잃은 우리 법의학교실은 암흑이다. 뿐만 아니라 모리 선생님을 잃은 T대학은 눈에 띄게 적적해졌다. 그리고 또한 모오리 선생님을 잃은 일본 학계는 갑자기 힘이 빠졌다. 전에 가리오 박사님을 잃고 지금 다시 모오리 선생님께서 떠나시다니, 이 무슨 일본의 불상사인가 말이네. 모오리 선생님과 가리오 박사님께서는 일본정신병학계의 쌍벽이었을 뿐만 아니라, 두 분 모두 세계적으로 유명한 학자이셨다. 그 두 분이 불과 한 달 사이에 연이어 병으로 돌아가시다니 아무리 슬퍼해도 그 마음을 억누를 수가 없다.

K군. 자네는 현재의 내 마음을 충분히 이해해주리라 믿는다. 왠지 나도 선생님처럼 폐렴에 걸려 죽을 것만 같은 심정이다. 과거 중학교 시절에 아버지를 잃었을 때, 그 당시는 자신도 죽을 것만 같았지만, 그 때와 같은 마음을 지금도 통감하고 있다. 연구실로 출근해도 전혀 손에 잡히질 않는다. 다행이 번거로운 감정(鑑定)의뢰가 없기에 망정이지, 만약 까다로운 급한 감정의뢰라도 들어온다면 어떤 실수를 저지를지도 모르네. 집으로 돌아가서 그저 멍하니 있을 뿐이라네. 그러면서도 무엇인가를 하지 않으면 안절부절 하지 못하는 상황이기도 하네. 만약 내게 창작능력이 있었다면 분명 단편소설 두 편이나 세 편은 썼을 것일세. 하지만 안타깝게도 그런 일은 내게 불가능한 일이네. 그러나 다행이 편지 정도는 쓸 수 있으니 오늘 밤은 자네에게 조금 긴 편지를 답장 겸 해서 쓰고자 하네.

자네도 편지에 적은 것처럼 모오리 선생님은 최근 들어 분명 우울하셨네. 자네뿐만 아니라 다른 동기들도 이를 발견하고 곧바로 선생님 생전에 내게 물어본 사람이 있지. 내게는 선생님이 우울해하시는 원인, 특히 죽음 직전인 한 달 정도에 있었던 극단적인 우울증에 대한 원인은 잘 알고 있었네. 하지만 지금은 이제 그 점을 말해도 좋을 뿐만 아니라, 말을 하지 않을 수 없을 것만 같네. 그러기에 그 점에 대해 지금부터 가급적 자세히 쓰려고 하네.

그리고 또 한 가지. 말이 나온 김에 자네가 매우 듣고 싶어 했을 그 신문광고……라고 하면 갑자기 떠오르지 않겠지만 지금부터 한 달 정도 전에 시내 주요일간지 세 줄 광고에 나타난 불가사의한 광고,

 P M b t D K 

이 글에 대해서도 알려주고자 하네. 이렇게 말하면 자네는 아마도 이상하게 생각하겠지만 그 광고는 사실 내가 낸 거라네. 이보게. 놀라지 말게나. 궁금증이 많은 자네는 그 당시 자주 내 연구실에 와서는 누가 무엇 때문에 내고, 어떤 뜻이 있을까 하고 여러 가지 상상을 하며 내게 들려주곤 했었지. 나는 자네가 알지 못하도록 애써 모르는 척 하고 있었으나, 그야말로 선생님의 우울증 원인과 관련이 있어 그 당시는 절대 비밀에 붙일 필요가 있었기에 나는 스스로도 감탄할 정도로 잘 참았다고 생각하네. 하지만 지금을 이를 자유롭게 말할 수 있게 되었네. 자네도 분명 기뻐하겠지만 나도 기쁘네.

K군.

교외 신축 건물을 가지고 있던 젊은 사업가 기타자와 에이지가 자살한 사건을 자네는 기억하고 있겠지? 일단 자살이라고 결론짓고 매장한 것을 경찰에 의해 미망인 마사코 씨와 그 연인이었던 문인 미도리카와 준(綠川 順)이 타살 혐의로 구인되고, 시신을 재감정 하게 되었는데, 감정 결과 역시 자살이라고 판정 나고 둘은 석방되어 사건은 비교적 평범하게 해결되고 말았지. 그 감정은 주로 내가 했지만, 사실 그 사건의 이면에는 더욱 깊은 내막이 숨겨져 있어, 그것이 이윽고 그 수수께끼 광고와 밀접한 관계를 가지고 있는 것이라네. 이렇게 말하면 눈치 빠른 자네는 ‘그 사건은 역시 타살이었구나’ 하고 생각하겠지. 그래. 말하자면 역시 일종의 타살이었네. 그러나 이것은 분명 일반적인 경우와는 다르기에 그것이 그 수수께끼 광고가 되었지만, 아무튼 이런 이유 때문에 모오리 선생님의 우울증 원인은 간접적으로 기타자와 사건이라고도 할 수 있다네.

물론 그것은 선생님의 죽음과 직전에 일어났던 극도의 우울증을 말하는 것이며, 이미 그 이전부터 모오리 선생님께서는 우울증을 앓고 계셨어. 나는 정확히 5년간 선생님 밑에서 배웠으나 첫 4년간, 선생님은 말 그대로 쾌활하시고 조금도 지칠 줄 모르는 학자셨지. 쉰을 넘은 사람 같지 않은 검은 머리, 넓은 이마에 뚜렷한 눈매, 굳게 다문 입술은 보는 이로 하여금 총명한 성격을 나타내고 있었지만, 특히 선생님께서 법의학적 또는 정신병학적인 감정에 임하시는 태도는 주변 사람들까지도 겸허하게 만드는 엄숙한 것이었지. 그도 그럴 것이 선생님 감정 결과는 단순히 한 개인의 생명뿐만 아니라 사회적으로도 중대한 영향력을 가지기에, 말하자면 선생님의 모든 지식을 총동원해서 행해졌다네. 더구나 그와 갈은 의무적인 열성만이 아니라 진심으로 흥미를 가지고 일에 임하셨지.

그런데 지난 1년 정도는 무슨 연유인지는 모르겠으나 선생님은 이전만큼 일에 흥미를 갖지 않게 되었어. 아무리 작은 감정에도 반드시 본인 스스로 하셔야만 직성이 풀리는 선생님이 근래에 들어서는 거의 우리 조교에게 맡기곤 하셨다네. 물론 그렇다고는 해도 감정서는 꼭 보셨으며 조교한테 너무 벅차다고 여겨지는 문제는 절대 소홀히 하지 않으셨지만, 아무리 다시 생각해봐도 이전만큼의 열성은 보이지 않았으며, 연구실에서는 멍하니 시간을 보낼 때가 종종 있곤 했다네. 후진을 양성하기 위해 일부러 뒷전에 계신 것일까 하고도 생각해봤으나 절대 그렇지는 않았네. 그 이유는 점차 우울증 증상이 보여 왔기 때문이지.

나는 처음 선생님 우울증 원인이 선생님께 무슨 세상적인 고민이 생긴 건 아닐까 했다네. 매우 무례하게도 독신인 선생님이셨기에 연애문제라도 생기셨나 했거든. 물론 지금은 그런 부족한 상상을 후회하고는 있지만, 아무튼 한때는 그렇게 생각하는 수밖에 없었다네. 그런데 점차 지켜보았더니 아 그것이 모두는 아니지만 일종의 권태라고 볼 수 있는 상태라는 것을 발견했다네. 아무래도 이 권태라는 말은 다소 적합하지 않지만, 달리 말이 없기에 하는 수 없이 쓰기는 하는데, 말하자면 정신활동에서 보여지는 일종의 이완상태를 뜻하는 것이라네.

생리학을 전공하는 자네한테 이런 말을 하는 건 우습지만, 심장혈압곡선을 관찰하면 트라우베 헬링씨가 발견한 이장(弛張)현상이 있네. 심장은 태어나서 죽을 때까지 계속 박동하고 있어야 하기에 한 쌍씩 존재하는 기관, 예컨대 신장처럼 한쪽이 활동하고 있을 때 다른 한쪽이 쉴 수는 없지. 그래서 활동에 이장현상이 나타나게 되네. 이것을 이른바 트라우베 헬링의 이장현상이라고 불리는데 나는 정신적 활동에도 이와 비슷한 현상이 일어날 수 있으리라 믿네. 평범한 동작밖에 하지 않는 뇌수에서는 이장현상이 눈에 띄지 않지만, 정신적 활동이 극심하면 극심할수록 긴장상태 후에 오는 이완상태가 현격하게 일어난다고 생각하네. 나는 과거 이와 같은 관점에 입각해서 희대의 수재 전기를 연구한 적이 있다네. 과연 많은 수재들한테는 정신적 활동기 중간시점에 현저한 갭이 있다는 것을 알게 되었지. 예부터 역사학자들은 그 갭을 다양하게 설명하고 있는데, 말하자면 이는 생리적으로 이른바 자연스럽게 발생하는 것으로서 수재 자신이 의식적으로 그 갭을 만든 것이 아니야. 그리고 그 시기를 만난 수재들은 하나같이 우울증을 앓게 된다네. 현저했던 정신활동 시기를 회고하고 점점 더 깊은 우울증으로 빠져가는 것이라네.

때로는 육체적 결함이 이 이완상태를 일으키기도 하네. 폐결핵 초기에는 도리어 정신적 활동을 촉진시키지만, 후에는 역시 이완상태가 발생하는 것 같네. 만성신장염 등은 이완상태가 현저하지. 그리하여 나는 선생님이 무슨 질병에 걸렸을지도 모른다고 생각했지만, 역시 그렇지 않고 수재들한테 생리적으로 발생하는 우울상태라고 보는 것이 타당했네.

지금 돌이켜보면 이외에도 학자로서는 매우 당연하고도 고상한 고민도 있었겠으나, 이는 오히려 원인이 아니라 단순히 그 시기에 공존하고 있었다고 보는 것이 타당할 것 같네. 여하튼 모오리 선생님은 우리는 물론이고 본인 스스로도 어찌할 바를 모르는 우울증 속으로 빠져 들어가고 계셨지.

그런데 공교롭게도 그 우울증에서 빠져나올 수 있는 일이 발생했다네. 나중에 생각하면 그것은 일시적인 일이었으며, 모오리 선생님은 그 후 더욱 심한 우울증을 앓게 되셨지만, 만약 선생님의 경쟁상대로서 선생님과 함께 일본정신의학계의 쌍벽이라고 불리던 가리오 박사님이 뇌일혈(腦溢血)로 돌아가시지 않았다면 그대로 종전 활동 상태로 복귀하셨을 수 있었을지도 모른다네. 그리고 경우에 따라서는 선생님 죽음도 이토록 일찍 일어나지 않았을지도 모르지. 그러나 지금에 와서는 이미 후회해도 소용이 없다. 또한 내 어리석음을 늘어놓고 자네를 지루하게 만들 생각도 없네. 그러기에 선생님을 일시적이나마 우울증에서부터 벗어나게끔 한 이야기를 어서 말하고자 한네. 두말할 것 없이 그것은 곧 기타자와 사건이라네.

K군.

기타자와 사건은 당시 신문에서 자세히 보도되었으니 자네도 대략 알고 있겠지. 37세 사업가 기타자와 에이지는 교외에 현대식 주택을 세우고 마사코 부인과 함께 단둘이서 완전히 서구식으로 생활하고 있었는데, 지금부터 2개월 전인 10월 하순 어느 날, 부인이 집을 비운 사이에 서재에서 권총자살을 했지. 그날 부부는 오후 1시에 점심식사를 마치고는 곧바로 부인은 장을 보러 나갔는데, 다소 시간이 걸려 오후 5시 반 경에 돌아오자 남편은 서재 책상 앞에 의자와 함께 바닥 위에서 피에 물든 채로 죽어있었기에 놀라 전화로 경찰에 신고를 한 사건일세.

조사결과 책상 위에는 유서로 보이는 편지가 놓여 있었으며, 타살다운 흔적은 조금도 찾아볼 수 없었기에 다음 날 매장이 허가되었네. 일반적으로는 화장을 했을 텐데도 매장하기로 한 것은 유서로 보이는 편지가 본인의 창작에 의한 것이 아니라, 본인이 직접 쓴 것이긴 하나 작년에 자살한 청년문학자 A씨가 ‘어느 옛 친구에게 보내는 수기’에서 첫구절을 그대로 베낀 것이었기 때문이지. 즉, 경찰은 여기에 훗날 연구 여지를 남겨둔 것일세.

그러자 과연 약 한 달 후 경찰에 투서가 있었다네. 그것은 “기타자와 에이지의 사망원인 중 수상한 점이 있다”고만 적힌 엽서였는데, 이 때문에 경찰에서는 비밀리에 미망인을 감시하자 미망인은 미도리카와 준이라고 하는 젊은 소설가 애인이 있다는 사실이 밝혀져, 애인 자택을 갑자기 수색하자 마침 기타자와가 자살에 사용한 것과 같은 권총이 발견되고, 나아가 당연하지만 ‘유서’에 실려 있는 A씨 전집도 있었기에 경찰은 살인혐의가 있다고 해서 미망인과 미도리카와를 구인하고 시신 재감정을 우리 연구실로 의뢰해왔다는 걸세.

감정을 의뢰해온 곳은 경시청 후쿠마 형사였네. 우리한테는 익숙한 사람이지. 나는 형사로부터 감정요령과 일체 정황을 들은 후 발굴된 시신을 인수하고 후쿠마 형사를 돌려보낸 후 모오리 선생님 방을 찾아갔다네. 그 날은 비가 막 쏟아지려는 듯한, 어딘지 모르게 음울한 날씨였기 때문이기도 했지만, 선생님 표정을 여느 때보다도 어두워보였다네. 내가 서류를 들고 방으로 들어가 보니 선생님은 읽고 계시던 잡지를 그대로 둔 채 고개를 드시고는,

“또 감정의뢰인가?”라고 내뱉듯이 말씀하셨지.

“네에…….”

“어떤?”

그래서 나는 후쿠마 형사한테 들은 모든 내용을 전해드렸으나, 1년 전이라면 눈을 반짝이며 들으셨을텐데 더구나 자살인지 타살인지 하는 감정결과에 따라서는 두 사람의 목숨이 좌우될 정도로 중대한 사건임에도 불구하고 선생님은 그저 ‘흠, 흠’하면서 듣고 있을 뿐, 나쁘게 말하자면 전혀 남의 일처럼 생각하고 계신 게 아닐까 할 정도로 무관심한 모습이었네. 내 보고가 끝나자,

“그래서, 감정사항은?”

“3개 사항입니다. 첫째는 위장 내용물로 사망추정시간을 결정하는 것, 둘째는 현장 및 유서 혈흔이 자연스러운 것인지 아니면 인위적으로 부착된 흔적이 있는지의 여부, 세 번째는 권총이 어느 정도 거리에서 발사되었는지 하는 점입니다.”

“그 유서는 가지고 왔나?

나는 종이봉투에 들어 있던 유서를 꺼내고는 선생님께 보여드렸네. 그것은 두 번 접힌 하늘색 편지지로서, 외부에는 몇몇 혈흔이 부착되고, 안쪽에는 펜으로 “어느 오래된 친구에게 보내는 수기”의 첫 구절이 적혀 있었지. 거추장스러울지는 모르지만 자세한 설명을 위해 그 전문을 적어놓겠네.

“누구도 아직 자살자 자신의 심리를 있는 그대로 적은 것은 없네. 이는 자살자 자신의 자존심 또는 그 자신에 대한 심리적 흥미부족 탓일 것이오. 나는 자네에게 보내는 마지막 편지에 자세하게 이 심리를 전하고자 하네. 물론 내가 자살하는 이유를 특히 자네에게 말하지 않아도 되네. 레니에는 그의 단편 속에서 어떤 자살자를 그렸더군. 이 단편 주인공은 어떤 것을 위해 자살하는지를 그 스스로도 모른다네. 그는 신문의 3면 기사 등에 실리는 생활고나 질병 또는 정신적 고통이나 이런저런 자살 동기를 발견할 것이오. 그러나 내 경험에 의하면 자살자는 대개 레니에가 그린 것처럼 어떠한 이유로 자살하는지를 알지 못하겠지. 그것은 우리 인간들의 행위처럼 복잡한 동기를 내포하고 있다네. 그러나 적어도 내 경우에는 그저 불명확한 불신감에 있을 뿐이지. 자네는 어쩌면 내 말을 믿을 수 없을 것이네. 그러나 10년간의 내 경험은 나와 가깝게 지내지 않는 한 내 말은 바람 속 노래처럼 사라져버린다는 것을 알려주었지. 따라서 나는 자네를 비난할 생각은 없소. ……”

선생님은 그래도 이 문구 전체를 읽으셨지. 그리고 모두 읽으신 후,

“이 필체는 본인 것이 분명한가?”

라고 물으셨네.

“그건 틀림없다고 합니다.”

두말할 것 없이 선생님은 필적감정의 권위자이시게에 예전 같았으면 이처럼 특이한 유서라면 분명 흥미를 느끼셨을 테지만,

“그렇군.”

하고 대답하셨을 뿐이었니. 그리고 내게 종이 하나를 내미시면서,

“그렇다면 와쿠이 군. 자네한테 이 사건 감정을 맡기도록 하겠네.”라고 말씀하시고는 또다시 잡지책을 펼치셨네.

나중에 알게 된 사실이지만, 모리 선생님이 그 잡지를 열심히 보신 것도 당연하셨지. 거기에는 얼마 전 학회에서 선생님과 크게 토론을 하신 가리오 박사님 녹문이 게재되어 있었기 때문이었다. 여기서 참고삼아 모오리 선생님과 가리오 박사님과의 관계를 잠시 설명하도록 하겠다. 이 두 분이 일본정신병학회의 쌍벽이었다는 점은 이미 언급했으나, 모오리 선생님을 주류로 본다면 가리오 박사님은 야인이셨네. 이미 그 학력부터 해서 모로이 교수님은 대학출신이신데 반해 가리오 박사님은 제생학사(濟生學舍)를 나오시고는 곧바로 영국으로 건너가 고학을 하신 분이셨다. 그리하여 가리오 박사님은 S구에 있는 거대한 뇌병원을 경영하시고, 더구나 계속해서 새로운 연구를 발표하셨네. 평소 모습도 모오리 선생님은 근엄하신 데 반해 가리오 선생님은 넓은 이마에다가 어딘지 모르게 유머감각도 있으셨다.


나아가 그 학설에 이르러서는 전혀 상반된 입장에 있었지. 모오리 선생님은 독일학풍을 계승하고 계셨지만, 가리오 박사님은 영국과 프랑스 학풍을 따르고 계셨지. 물론 만년에는 두 분 모두 외국에서는 찾아볼 수 없을 정도로 흥미로운 학자가 되어 계셨으며, 모오리 선생님은 이른바 ‘뇌질학파(腦質學派)’를 대표하고, 가리오 박사님은 이른바 ‘체액학파(體液學派)’를 대표하고 계셨다네. 뇌질학파란 인간의 정신 상태를 뇌질(腦質)에 의해 설명하는 데 반해, 체액학파는 체액 특히 내분비액에 의해 설명하는 것을 말하지.

가리오 박사가 이끄시던 체액학파는 내분비파 또는 체질파로도 불리고 있었으며, 가리오 박사님 주장에 따르면 모든 정신이상은 체질에 의해 규정되며, 더구나 체질이라는 것은 현재 사람의 힘으로는 이를 어떻게 할 수도 없다. 예컨대 살인자 체질을 갖는 자는 반드시 어떤 시기 사이에 살인을 저지른다. 따라서 그 시기에 들어갔다는 사실을 관찰한다면 약간의 암시적 자극에 의해서도 살인을 저지를 수 있도록 할 수 있다는 것이다. 즉, 표면적으로는 정신적으로 건전한 것처럼 보이는 사람한테도 체질에 따라서는 끔찍한 범죄를 일으키도록 할 수 있다는 것으로서, 그 자극을 가리오 박사님은 지금까지 suggestion(암시(暗示) - 역자 주)과 혼동하지 않도록 incendiarism(교사(敎唆) - 역자 주)이라고 명명하신 것이었다.

이 설에 대해서도 모오리 선생님은, 정신이상은 뇌질의 변화가 발생하여야만 비로소 나타나는 것으로서 뇌질에 변하가 일어나지 않는 한, 즉 정신병적 징후가 나타나지 않는 한 암시에 의해 살인을 한다는 일은 절대 불가능하다고 주장하신 것이다. 얼마 전 열렸던 학회에서도 이 점에 대해서 격론이 펼쳐졌다. 솔직히 말하자면 그 때 모오리 선생님이 수세에 밀렸었다. 그러자 가리오 선생님은 “모오리 군, 어떠신가?”라며 매우 비아냥거리는 말투로 몇 번이고 선생님을 다그쳤다. 그러나 인간에게 직접 실험해보이지 않고는 선생님도 인정하실 수가 없다. 그래서 결국 그대로 토론은 끝났으나, 그 때 가리오 박사님 연설이 잡지에 실려있었기에 모오리 선생님은 감정보다도 그 쪽에 오히려 신경이 쓰이셨던 것이다.

K군.

이리하여 기타자와 사건에 관한 재감정은 내가 맡게 되었다. 우리 교실에서는 아무리 감정사항이 국소적인 것이라도 반드시 온몸을 정밀하게 부검하도록 되어 있기에 그날 즉시 주의 깊게 부검을 했다. 그 결과 기타자와 에이지라는 사람은 흉선임파(胸線淋巴) 체질이라는 것을 발견했다. 즉, 자살자한테서 대부분 항상 볼 수 있는 체질이다. 그리고 머리에 있던 총창(銃創)도 골절 관계와 위장 내용을 조사했으나, 그 결과 권총은 오른쪽 관자놀이로부터 약 5센티 정도 떨어진 곳에서 발사되고, 사망시간은 중식 후 1시간 내지 2시간 후라는 점을 확인했다. 그리고 나는 기타자와 댁을 방문하여 현장을 살핀 후 유서 위에 묻은 혈흔도 조사했으나 인위적으로 묻힌 흔적은 하나도 발견할 수 없었다.

이 중 위장 내용물 검사는 여러 가지 재미있는 사실을 가르쳐주었다. 물론 그것은 사건과 관련없는 것으로서 소화생리상 흥미로운 점이었으나, 이에 대해 상세하게는 적을 수 없기에 다음에 한 번 연구실로 와서 감정서를 보기 바란다. 여하튼 내 감정결과는 타살로 볼 수 있는 근거를 무엇 하나 발견할 수 없었던 것이다.

다음 날 나는 모오리 선생님 연구실을 찾아뵈어, 부검 결과와 기타 내용을 모두 보고했다. 과연 그 때는 열심히 들어주셨으나 내 보고가 끝나자 선생님은,

“그렇다면 자살이라 생각해도 지장 없겠군. 만약 그것이 타살이었다면 분명 기적이야.”라고 말씀하셨다.

그런데 K군. 바로 그 기적이 그로부터 1시간 후에 일어났다. 그렇다고는 하나 조금 이상하게 들릴이지 모르지만 사실 후쿠마 형사가 찾아와서는 용의자인 미노리카와 준이 기타자와를 살해했다는 것을 자백했기 때문에 모오리 선생님한테 경찰에 와서 미도리카와를 신문하고 정신감정을 부탁한다는 요청이 왔기 때문이었다.

이를 들은 모오리 선생 태도는 순식간에 급변했다. 선생님은 그 순간에 예전의 선생님 모습으로 돌아갔었던 것이다. “타살이라면 분명 기적이네.” 라고 단정하셨을 정도로 타살설이 끼어들 여지가 없다고 하던 찰라에 타살을 자백했으니 모오리 선생님께서는 갑자기 흥미를 가지고 스스로 조사해보려는 것이 분명하다.

“후쿠마 형사. 미도리카와가 자백한 점을 아직 기타자와 미망인한테 말하지는 않았겠지?”

“네. 아직입니다.”

“좋아. 그렇다면 지금 출발합시다.”

우리 셋은 이윽고 경찰서 쪽으로 서둘러 자동차로 출발했다. 자동차 안에서 모오리 선생님은 후쿠마 형사에게 미도리카와의 자백 취지를 물으셨다. 형사 말에 의하면 예전부터 그는 기타자와 부인과 연애관계에 있었으며, 기타자와 부인으로부터 기타자와가 권총을 샀다는 점, 농담 반 진담 반으로 문학자 A씨의 유서 일부를 적어놓았다는 점을 듣고 자신도 똑같은 권총을 구입하여 부인 몰래 기타자와를 없애려고 결심한 후 그날 부인이 장을 보러 간 사이에 몰래 침입하여 서제에 들어가자, 기타자와는 의사에 앉아 식후에 잠시 눈을 붙이고 있었다고 한다. 이를 보고 다행이라며 뒤로 몰래 돌아서는 자신이 가지고 있던 권총으로 사살하고 나서 쓰러지는 것을 확인하고 그 권총을 쥐게 한 후 책상 서랍 안에서 기타자와가 가지고 이던 권총과 유서를 꺼내어 권총은 주머니에 넣고 유서는 책상 위에 올려놓고는 다시 몰래 빠져나왔다는 것이다.

“미도리카와는 어디에 살고 있나?”라고 모오리 선생님은 형사 설명이 끝나자 물으셨다.

“기타자와의 집에서부터 500~600미터 떨어진 곳에 작은 집을 짓고 혼자 살고 있습니다.”

경찰서에 도착하자마자 모오리 선생님과 나는 한 방에 들어가서 미도리카와가 오는 것을 기다렸다.

이윽고 후쿠마 형사 손에 끌려 들어온 것은 24~25세 정도 되는, 얼굴이 길고 머리숱이 많은 청년이었다. 모오리 선생님은 무슨 생각을 하셨는지 후쿠마 형사를 물러가게 하시고는 미도리카와한테 범행상황을 말하게 했다. 이는 후쿠마 형사가 자동차 안에서 말해준 내용과 조금도 다르지 않았다.

“그렇다면 이 책상 앞에서 그 때 기타자와 씨 모습을 재연해보세요.”

라고 말하고는 모오리 선생님은 일어서서 자신이 앉아 있던 의자를 미도리카와한테 내어주고, 구석에 있던 파란 것을 가지고 와서는 바닥에 까셨다.

미도리카와는 어리둥절하며 겁에 질린 듯 의자에 앉았다.

“자, 눈을 감고 졸고 있는 척해보세요. 내가 그 때 당신 역을 맡겠습니다. 아시겠어요? 보세요, ‘탕’하고 총을 쐈습니다. 그 때 기타자와씨는 어떻게 했나요?”

“아무래도 경황이 없어서 자세한 몸짓은 기억나지 않습니다. 아마 이렇게 일어서지 않았나 해요. 그리고 분명 몸을 이렇게 비틀고 나서 아래로 쓰러지고는 이런 식으로 쓰러졌습니다.”

이렇게 말하고 하나하나 그 동작을 보여주었다.

“좋습니다. 죄송합니다만 다시 한 번 해주시겠습니까?”

계속해서 다시 실험을 하셨다.

“누웠을 때의 모습은 그게 틀림없습니까?”

“그 점은 분명히 기억하고 있습니다.”

“알겠습니다. 이제 돌아가 주셔도 좋습니다.”

이렇게 말하고 선생님은 후쿠마 형사를 불러 미도리카와를 데려가게 했다.

“와쿠이 군. 자네는 어제 기타자와가 살던 집으로 조사하기 위해 갔을 때, 후쿠마 형사한테 기타자와가 어떻게 죽어있었는지를 해보였었지?”

“네.”

“그럴 줄 알았네.”

이윽고 후쿠마 형사가 들어오자,

“후쿠마 형사. 자백이라고 하는 것은 이쪽에서 가르쳐주어서 하는 게 아닙니다. 상대방이 말하는 것을 가만히 듣고 있으면 되는 거라네.”

“미도리카와가 뭐라던가요?”

“지금 미토리카와한테 그 때 모습을 보여 달라고 하자 자네가 가르쳐준 대로 했을 뿐, 사실 대로 하지 않았네. 그렇게 뛰어 오르다니, 거짓이야. 누웠을 때부터는 정말이었네. 본인도 뛰어오르고는 몸을 비틀어 쓰러질 때까지는 아무래도 경황이 없어서 잘 기억나지 않는다고 하면서도 누웠을 때 모습만은 정확하게 기억하고 있네. 미도리카와 자백은 거짓이야.”

“그렇다면 왜 그런 거짓 자백을 한 걸까요?”

“그건 나중에 알게 되겠지. 부인을 모셔와 주게.”

얼마 있자 검은 상복을 입은 기타자와 부인이 들어왔다. 눈가가 유난히 검었기 때문에 한층 귀엽게 보였으나 역시 서른 넘은 피부를 하고 있었다.

여느 때와 같이 후쿠마 형사가 물러나자 선생님은,

“부인은 남편께서 자살하신 날, 몇 시에 댁으로 귀가하셨죠?”

“5시 반 경이었다고 생각됩니다.”

“그렇지 않죠. 4시나 4시 반 경이었죠?”

“아뇨. 분명히 5시…….”

“사실 대로 말해주세요. 저희는 모든 것을 알고 있으니까요.”

“…….”

“당신은 4시 경에 돌아와 시신을 발견하고는 깜짝 놀라 미도리카와 씨를 찾아가서는, 그리고 미도리카와 씨를 불러와서 단둘이 의논하고는 비로소 경찰에 신고한 거죠?”

“아뇨…….”

“그래서 미도리카와 씨는 당신이 남편을 분명 살해했다고 생각하고는, 당신을 감싸기 위해 오늘 스스로 죽였다며 자백했습니다.”

이 말을 듣자 그녀는 몸을 떨었다.

“그게 사실인가요? 그렇다면 모두 말씀드리겠습니다. 모두 말씀하신 대로입니다. 미도리카와 씨가 죽인 것도 아니고, 또한 제가 죽인 것도 아닙니다. 제가 4시에 돌아왔을 때 이미 남편은 쓰러져 있었어요. 그리고 저는 1시에 집을 나와 그 때까지 미도리카와 씨 댁에 있었던 거예요.”

“좋습니다. 부인께서 지금 말씀하신 것을 사실이라고 인정합니다.”

이렇게 말하고 모오리 선생님은 형사를 불러 부인을 데려가게 했다.

“와쿠이 군.”하고 선생님은 매우 기쁜 표정으로 말씀하셨다. “진실을 밝히는 일이 생각보다 쉬울 때도 있군 그래. 나는 미도리카와가 보여준 연기르 보고 그가 시신을 분명히 봤다고 생각했는데, 역시 그랬었어. 하지만 사랑은 무섭구먼. 부인을 살리기 위해 허위 자백으로 자신을 희생시키려 했다니 말일세.”

K군. 나는 늦은 감이 있으나 선생님의 눈썰미에 놀라지 않을 수 없었다. 선생님 앞에서 ‘허위’는 항상 고개를 숙일 수밖에 없다.

“자아.” 하고 선생님은 팔짱을 끼며 말씀하셨다. “이제 두 사람한테 죄가 없다는 것을 알았으니 기타자와는 자살로 결정됐지만, 아직 사건이 해결된 건 아니지?”

“네…….”라고 대답은 했지만 나는 도무지 무슨 뜻인지를 알 수 없었다.

후쿠마 형사가 들어오자 선생님은 신문결과를 말하고, 두 사람을 방면할 것을 주장하시고는 끝으로,

“어제 나는 깊이 묻지 않았으나, 대체 기타자와 사건의 이번 조사는 경찰에 왔던 무명 투서 때문이라면서요?”

“맞습니다.”

“자네는 그 투서에 대해 알아보셨나?”

“아뇨. 그 투서는 흔한 것이라서 따로 자세한 것은 조사하지 않았습니다.”

“그 투서는 아직 보존하고 있겠지요?”

“있습니다. 가져올까요?”

형사가 나가고는 바로 엽서를 들고 왔다. 거기에는 “기타자와 에이지 사망원인에 수상한 점이 있다.”고 펜으로 적혀 있었으나, 내가 그것을 본 순간 깜짝 놀라 선생님 얼굴을 돌아보자, 선생님 눈은 이미 번쩍번쩍 빛나고 있었다.

“와쿠이 군. 유서를 꺼내보게.” 선생님은 유서를 투서 필적과 비교하시면서, “이 유서와 투서는 같은 날, 같은 펜과 잉크로써 같은 사람에 의해 적힌 걸세!!!”

K군.

그 순간 나는 분명 일종의 신들린 듯한 느낌이었다. 후쿠마 형사도 너무나도 놀라 잠시 동안은 말이 나오지 않았다.

“후쿠마 군. 수고스럽지만 다시 한 번 기타자와 부인을 불러주겠나.”

형사가 나가자 나는 말했다.

“선생님. 그렇다면 기타자와 씨 자신이 두 사람을 함정에 빠뜨리기 위해 간계를 쓴 것일까요?”

“그렇다면 더욱 타살다운 증거를 만들어 마땅하겠지.”

“타살 다운 증거를 만들면 오히려 들킬 우려가 있기 때문에 투서 쪽만을 어떤 믿을 만한 사람한테 맡겨 두고 나중에 보내달라고 한 것은 아닐까요? 실제로 유서를 자작하지 않은 것도 역시 그런 깊은 뜻에서 비롯된 것일 아닐까 하는데요.”

“그럴 지도 모르지. 하지만 기타자와라는 사람이 과연 그런 일을 할 수 있는 인물이었을까. 아무튼 부인한테 물어봐야 하네.”

부인이 들어오자 선생님은 유서를 가리키며 그것이 과연 남편 필적인지 여부를 물으셨다.

부인은 그렇다고 했다. 그러자 후쿠마 형사도 기타자와의 다른 필적과 비교했다는 점을 말하고는, 증거로 가져온 두 세 필적을 꺼내면서 말했다.

선생님은 열심히 살펴보셨으나 이미 의심의 여지는 없었다. 유서와 투서 모두 기타자와 본인이 동시에 적은 것이다.

“이 유서를 남편께서 쓰신 것은 언제쯤 일인가요?”

“아마 사건이 일어나기 20일 정도 전이었을 거예요.”

“어디서 적으셨죠?”

“그건 모르겠습니다만, 어느 날 밤 제게 이것을 내보이며, 이제 죽어도 유서를 적어뒀으니 언제 죽어도 된다며 농담을 했습니다.”

“그렇다면 자살하실 것 같지는 않았나요?”

“조금도 없었습니다. 평소 비교적 쾌활한 분이셨기에 설마 하고 생각했었죠.”

“권총은 언제쯤 구입하셨습니까?”

“그와 비슷한 무렵이었을 거예요. 강도가 출몰하고 험악한 세상이라면서 샀습니다.”

“남편께서는 평소 장난을 즐기셨나요?”

“아무래도 귀하게 자란 분이라서 가끔 장난을 치기도 하셨지만, 가끔은 매우 밝아지기도 했다가, 어떤 때는 과묵해져서 2~3일 말을 하지 않으실 때도 있었습니다.”

“남편 분과 친한 친구는 계셨나요?”

“없었을 거예요. 본래 친구를 만들기 싫어하셔서, 본인이 연관되어 있는 회사에도 좀처럼 들르지 않았습니다. 다만 M- 클럽에는 자주 가셨습니다.”

“M- 클럽이라는 건?”

“영국 런던에 살았던 적이 있는 사람들이 모여서 만든 영국식 클럽인데, 마루노우치에 있습니다.”

여기서 모오리 선생님은 신문을 끝마치고 부인을 돌려보낸 뒤,

“아무리 물어도 알 수 없겠지.”라고 중얼거리듯 말씀하셨다.

“그럼 투서 주인을 찾아볼까요?”라고 후쿠마 형사가 말했다.

“지금 찾아낸다 한들 자살설이 바뀌는 것도 아니고, 또한 저쪽에서 말하지 않는 이상 찾아낼 수도 없을 걸세. 아무튼 이 사건은 해결됐네.”

K군.

그리하여 기타자와 사건은 ‘아무튼’ 해결됐다. 이는 신문에서 자네도 주지하는 바와 같다. 하지만 해결되지 않은 것은 선생님 마음이었다. 또다시 종전과 같은 활동적인 상태로 돌아가신 선생님으로서는, 사건의 진상 깊은 곳까지 규명하지 않고서는 그만 두실 리 만무하다. “저쪽에서 말하지 않는 이상 찾아낼 수도 없을 걸세.”라고 말씀하시긴 했으나, 이는 경찰한테 하신 말씀으로서, 선생님은 이미 그 때 분명 찾아낼 자신이 있으셨을 것이다. 뿐만 아니라 선생님은 그 사건의 진상을 경찰한테 알리고 싶지 않았다고 직감했을지도 모른다.

경찰서를 떠날 때,

“이 유서와 투서를 잠시 빌려주었으면 하네. 조금 연구해보기 때문에 말이지.”

라고 말씀하시고 선생님은 그 두 증거품을 가지고 연구실로 돌아오셨으나, 이윽고 나를 교수실로 불러서는,

“와쿠이 군. 자네는 어떻게 생각하나?”

내가 어떻게 대답해야 할지 망설이고 있자, 모오리 선생님은 설명하시듯,

“단순히 경찰에 투서가 있었다는 것뿐이라면, 물론 깊이 조사할 필요는 없네. 또한, 아무리 죽은 본인의 자필 투서였다고 해도 이 또한 그리 신기해할 일은 아니야. 세상에는 생각보다 장난기가 많은 사람들이 많을테니 남편도 경찰을 당황시켜 조롱하려는 계획을 가졌을 경우도 있겠지. 또한 유서가 자작 문장이 아니라 다른 사람 것을 베꼈다고 해도 별로 깊이 생각할 필요 없네. 이러한 사례는 지금까지도 상당히 많거든. 그런데 이 두 개의, 깊이 생각할 필요 없는 상황이 겹치면 여기에 비로소 연구할 만한 이유가 생긴다네. 이 경우 자살자가 유서와 투서를 동시에 적었다는 것은 적어도 어떤 목적, 더구나 단 한 가지 목적을 위해 적힌 것이 되네. 따라서 그 목적을 찾아낼 필요가 발생하지.”

“그 목적은 역시 부인과 남자를 함정에 빠뜨리기 위해서 아닐까요?”

“그렇다면 더 타살다운 증거를 만들어야 했을 게야”

“그러면 단순히 소란을 피우게 하기 위한 장난이었을까요?”

“장난은 너무 지나친 발상일세. 실제로 이 투서는 방금 전에 버려질 수도 있었을 테니 말이야. 이 투서를 보지 않았다면 나도 그다지 흥미를 갖지 않았을 테니.”

K군. 참으로 나는 알 수 없게 되었다. 그리고 모오리 선생님도 당시는 아직 조금도 알지 못하고 계셨던 것이다.

“이 수수께끼는 도저히 단시간 내에 풀 수 없을 걸세. 자네는 이제 돌아가도 좋아. 나는 이제부터 이 두 물건을 충분히 연구해보도록 하겠네.”

k군.

그렇게 해서 나는 상당히 지친 채로 집으로 돌아갔지만, 선생님으로부터 들은 수수께끼가 머리에서 떠나지 않아 그날 밤은 좀처럼 잠을 이루지 못했다. 나는 여러 가지 생각해 보았다. 생각하다 못해 문학자 A씨의 전집을 꺼내들고, 그 유서의 첫 구절 문장이나 뜻에서부터 무슨 단서라도 얻을 수 없을까 해서 연구해보았으나, 결국 아무 것도 없을 수 없었다.

다음 날 잠이 부족한 눈을 부비며 연구실에 들어서자 선생님은 이미 출근해 계셨다. 그 얼굴을 뵈었을 때 선생님은 밤새도록 연구하셨다는 것을 직감했다.

“와쿠이 군. 결국 문제가 풀렸네.”

내 얼굴을 보시자마자 선생님은 갑자기 말씀을 하셨으나, 평소 문제를 해결했을 때와 같은 기쁨을 찾아볼 수 없었기에, 선생님한테 있어서 무슨 불쾌한 해결이라고 생각했다.

“정말이세요?”

그렇게 말하고는 다음에 이을 말이 떠오르지 않았다. “정말 다행입니다.”라고는 도저히 말할 수 없었기 때문이다. 그러자 선생님은 책상 위에 있던 작은 종이를 들고서는,

“이게 그 해답이네.”라고 하시면서 내게 주셨다. 받아보았더니 거기에는,

 P M b t D K 

이렇게 적혀 있었다.

“자네. 매우 수고스럽겠지만, 이것을 시내 주요 일간지에 그리 눈에 띄지 않도록 실어주게.”

나는 당황했다.

“이건 암호인가요?”

“이유는 자네가 돌아오면 말해주겠네.”

나는 아무 말도 못한 채 물러나와 각 신문사를 돌며 광고를 부탁하고 연구실로 돌아온 것은 오후 1시 경이었다. 도중에 나는 선생님께서 주신 암호 - 물론 나는 처음에 그것을 암호라고 생각했다. - 를 어떻게든 풀어보려고 했으나 전혀 짐작할 수 없었다. 또한 무엇 때문에 선생님이 신문 같은 곳에 광고를 실으시는지, 그리고 대체 이것이 기타자와 사건과 어떤 관련이 있는지 전혀 알 수 없었다. 그랬기에 연구실로 돌아온 후에는 어서 선생님한테서 설명을 듣고 싶어, 말하자면 나는 호기심 그 자체였다.

교수실에 들어서자 선생님은 일어서서 입구 쪽으로 걸어가서는 출입문을 열쇠로 걸어 잠그셨다.

“그리 큰 소리로 말을 해서는 안 되거든.” 이렇게 말하고서 또다시 책상 앞에 앉으시고, “그래, 와쿠이 군. 자네는 니체를 읽은 적이 있나?”라고 뜬금없이 질문하셨다.

“네에. 예전에 읽은 적이 있긴 합니다만…….” 하고 내가 머뭇거리며 대답하자 선생님은 말을 가로막고서,

“그럴 만도 하지. 요즘 세상에 니체 같은 말을 꺼내면 남들이 웃고 말테지만, 만약 그것이 천재가 하는 일이라면 아무리 비인도적이라 해도 자네는 용납할 수 없겠나?”

“음, 글쎄요.…….”

“갑자기 이런 말을 꺼내면 자네도 대답을 할 수 없겠지만, 요즘은 자주 민중의 힘이라는 말이 대두되는데, 적어도 과학 영역에 있어서는 수많은 평범한 자들도 한 사람의 천재에 미치지 못한다는 것은 자네도 인정하겠지?”

“인정합니다.”

“그리고 과학이라고 하는 게 인간의 복리를 증진시키는 것인 이상, 과학적 천재가 하는 일이 비인도적이라 하더라도 자네는 그것을 용납할 수 없겠나?”

매우 심각한 문제이다.

“더 잘 생각해봐야겠습니다만…….”

“이를 수긍하지 못한다면 자네한테 약속한 설명을 해줄 수 없네.”

“용납해도 될 것 같습니다.”

“좋아. 그렇다면 설명을 시작하도록 하지.”라며 뜻밖에도 쉽게 말씀하셨다. “어제 저녁 나는 이 두 장의 종이를 살피면서 결국 밤을 새고 말았다. 점점 추리를 거듭한 후에는 비교적 빨리 사건 저변에 숨겨진 비밀을 알았으나, 그 확증을 잡을 때까지 매우 고생했다네.

나는 어제 자네가 돌아간 후 두 가지 물건, 즉 유서와 투서를 책상 위에 올려놓고는 과연 어떤 순서로 연구할 것인가를 생각했네. 그 결과 우선 마음을 백지상태로 비운 다음 과연 이 두 가지 필자가 기타자와 그 사람인지를 연구했네. 하지만 이미 그 점에 대해서는 의심의 여지가 없었지. 여러 가지 기타자와가 쓴 다른 필적과도 비교해 봤지만 절대 다른 사람일 수 없다는 사실을 알았네.

그렇다면 기타자와는 어찌하여 이와 같은 계획을 했는가. 무슨 목적으로 했는지를 다음으로 연구했네. 이것이야 말로 수수깨끼의 핵심이며 이미 자네와 의논해보기도 했지만, 결국 어제는 풀지 못한 채로 헤어지게 된 큰 문제이지. 어제도 말한 바와 같이 유서와 투서를 별개로 떼어놓는다면 여러 가지 목적을 상정할 수 있겠으나, 두 가지를 합치면 단 한 가지 목적 밖에는 생각할 수 없게 된단 말일세. 따라서 그것을 위한 단 한 가지 목적을 찾아낸다면 모든 사실이 밝혀지겠는데, 아무래도 고작 이 두 가지 물건에 의해 해결하려고 하니 상당히 어려웠네.

기타자와가 누구한테 투서를 부탁했는지는 모르지만, 아무튼 투서는 기타자와가 계획한 대로 보내졌을 것이 분명하네. 낭만적인 자네는 아마도 기타자와한테 부탁 받은 사람이 누구인지 알고 싶겠지. 그리고 그 사람을 찾아내어 그 사람으로부터 기타자와의 진의를 듣고 싶어 할 테지. 물론 그 투서가 우연히 무관한 사람한테 들어갔다고 생각하지는 않을 테니, 분명 기타자와한테 부탁 받은 사람이 있을 것일세. 그리고 그 사람은 실제로 틀림없이 어딘가에서 경찰이나 우리들이 소란을 피우는 모습을 재미있어하며 지켜보고 있겠지. 이런 점을 생각하면 자네는 매우 분개할지 모르지만 나는 그러나 기타자와가 투서를 부탁한 사람한테는 조금도 흥미를 느끼지 않았네. 그보다도 기타자와의 단 한 가지 목적을 반드시 알고 싶었었네.

뿐만 아니라 그 목적은 절대 단순히 소란을 피우게끔 한 것이 아닐세. 만에 하나 단순한 소란 피우기가 목적이었다면 훨씬 쉽고 훨씬 효과적인 방법이 틀림없이 있을 것일세. 그래서 기타자와는 더 엄숙한 한 목적이 있었어야만 하다는 말이지.

그런데 그와 같은 중요한 목적을 달성하기 위한 기타자와의 계획은 모호하기 짝이 없었네. 그 점은 어제 말한 바와 같이 만약 내가 간과했다면 투서는 하마터면 버려질 뻔하지 않았잖나. 자살까지 해가면서 이루려는 중대한 목적을 수행하는 것치고는 너무나도 조잡한 계획이었으며, 이는 단순한 실수라고 보기에는 지극히 무리가 있다고 해야 할 걸세. 그렇다면 기타자와는 그 투서를 반드시 내가 보리라고 예상해야만 하네. 와쿠이 군, 무슨 말인지 알겠나? 지금 이렇게 말하면 아무렇지도 않지만, 내가 이 결론에 도달하기까지 상당한 시간이 걸렸다네.

유서에 자작 문장을 쓰지 않은 것은 경찰이 매장 허가밖에 내지 않도록 할 계획이었네. 이는 의심의 여지가 없으나, 투서를 경찰에 보내면 재감정이 이루어지고 당연히 내가 그 투서와 유서가 동일인물에 의해 같은 시간에 적혔다는 사실을 발견하는 일도 지금은 의심의 여지가 없이 예정된 계획이었던 것이야.

즉, 기타자와는 내가 투서와 유서의 동일필적이라는 점을 발견하고는 흥미를 가지고 연구에 관여하여 그 결과 그 목적이 무엇인가를 발견하기까지 시간이 걸린다는 점도 역시 예정된 절차였다네. 와쿠이 군, 자네는 아마도 이 말을 이상하게 생각할지 모르겠지만, 투서가 내 손에 들어오는 것을 확신한 기타자와이기에 그 정도의 일을 예정하는 일은 아무 것도 아니었네. 즉, 모든 사정은 기타자와가 계획한 대로 진행되었다는 뜻이네. 바꾸어 말하자면 기타자와는 이미 그 목적을 달성했다는 말이 되지.

알아듣겠나? 내가 혼신의 노력을 다해 연구한 기타자와의 목적은, 나한테 기타자와의 목적을 연구하게끔 하기 위한 것이었다네.

그렇다면 다음에 일어나는 문제는, 기타자와가 무엇 때문에 그와 같은 단순한 목적을 위해 자신의 목숨까지도 빼앗았는가 하는 점이지. 기타자와라는 사람은 이번 사건에서 비로소 나와 연관이 생긴 인물일 뿐, 적어도 생전에는 서로 전혀 모르는 생면부지였지. 그 사람이 그와 같은 짓을 한다는 건 있을 수 없는 일일세.

그 있을 수 없는 점에 대해서는 여기에 이를 정당하게 설명할 수 있는 이유가 있어야만 하네. 그리고 이를 설명할 수 있는 유일한 이유는 기타자와 자신이 조금도 그 사실을 알지 모했다고 해야 하네. 이는 곧, 기타자와 자신은 투서와 유서를 쓴 목적을 전혀 알지 못했다는 것이야.

더구나 투서와 유서는 기타자와 자신의 필적이지. 그렇다면 이 두 가지를 기타자와는 무의식 상태에서 쓴 것이 분명해. 즉, 유서는 생전에 이미 부인한테 내보였을 정도이니 기타자와는 틀림없이 스스로 인식하고 있었겠지. 그러면 기타자와는 무의식적으로 썼으면서 생각했다고 봐야 한다는 말일세.

“와쿠이 군. 무의식적으로 쓰고는 이를 의식적으로 쓴 것처럼 생각하는 것은 최면상태에 있어서 쓰고는 이를 나중에 의식적으로 쓴 것처럼 느끼도록 암시가 걸려있을 때에만 발생하는 일이네. 그렇다면 기타자와는 어떤 사람에 의해 무의식적으로 썼으며, 그리고 암시에 걸렸다고 해야만 할 걸세.

이처럼 내 추리 속에 비로소 제3자가 들어왔지. 즉, 기타자와 사건에 지금까지 전혀 얼굴도 내밀지 않던 인물이 모습을 드러내기에 이르렀네. 그리고 그 제3자야말로 나한테 기타자와가 쓴 투서와 유서를 연구하게끔 만든 것이며, 그 인물이 지금까지 기타자와가 한 것으로 되어 있는 계획을 처음부터 끝까지 세웠던 게야. 그렇기 때문에 기타자와 자신은 그 점에 대해 조금도 알지 못했던 것일세.

와쿠이 군. 그 제3자란 과연 누구인가. 우선 다른 사람의 유서를 베낀 유서를 쓰게끔 하고 시신을 매장시키고는 그 다음 동일필적인 투서를 경찰에 보내서 재감정까지 시켰으며, 자살이라는 결론을 내리게 하고, 오직 나만이 그 투서를 발견하여 사건의 수수께끼를 풀기위해 노력하리라는 점을 예상한 인물이란 과연 누구인가. 무엇을 위해 그 인물을 나를 밤새도록 고생시켰느냐 말일세.

와쿠이 군. 자네는 이미 그게 누구인지를 희미하게나마 알아차렸겠지. 하지만 그 인물이라고 단정할 만한 증거가 대체 어디 있는지, 그 때 나는 생각했네. 이 정도까지 계획을 세울 수 있는 인물이니 분명 그 증거가 될 만한 단서가 어딘가에 틀림없이 있을 것이라고 예상했네. 더구나 아마도 이 투서와 유서 중 한 곳에 그 단서가 분명히 숨겨져 있다고 봤던 것일세.

그래서 나는 다시금 두 증거물을 검사하기 시작했다네. 예를 들어 투서 문구가 열쇠처럼 되어 있어 유서 속에서 몇몇 문구를 만들어낼 수 있는 것이 아닐까 하는 것도 생각해봤지만 그런 흔적은 찾아볼 수 없었네. 그 다음으로 유서 글, 즉 A씨의 수기 중 첫 구절의 문구 속에 어떤 의미가 담겨져 있는 것이 아닐까 하고 여러 가지 연구해봤으나 그것도 없었어. 그런데 마침내 새벽녘에 결국 유서 속에서 확실한 증거를 잡게 되었다네.

“와쿠이 군. 자네는 잘 기억하고 있지? 얼마 전 학회에서 나와 가리오 군이 격론을 벌인 것을 말이네. 그 때 분명 나는 밀리고 있었지. 그러자 가리오 군은 ‘모오리 군, 어떠신가?’라고 하며 비꼬는 말투로 나를 압박해왔네. 그 때 나는 인간한테 직접 실험을 해보지 않는 이상 자네 의견에 승복할 수 없다‘고 말하고는 토론이 끝났지. 그리고 나는 그날 이후 인간에 관한 연구는 분명 인간에 의한 실험 외에는 충분히 입증할 수 없다고 생각했는데, 이는 도저히 불가능할 것 같아 예전부터 있었던 우울증이 더욱 심해졌던 것일세.

그런데 가리오 군은 드디어 그 인간실험을 했다는 말일세. 기타자와는 자네 부검결과에 의하면 흉선임파(胸線淋巴) 체질이었기에, 가리오 군은 그가 조만간 자살시기에 속해 있다는 것을 알고는, 더구나 가리오 군이 말하는 ‘특별한 시기’에 들어가 있었던 것이겠지. 이를 알아차린 가리오 군은 그 이른바 incendiarism을 하여 기타자와 군으로 하여금 자살하도록 만들고는 이로써 내게 자신의 학설이 옳다는 것을 나타낸 것일세.

기타자오가 자살하기 이전에는 조금도 자살 우려에 대한 징후는 전혀 없었을 게야. 만약 있었다면 권총을 사거나 유서를 쓰거나 했을 당시 부인은 경계해야 했겠지. 이렇게 보면 조금도 정신이상 징후는 나타나지 않았으며, 그와 같은 시기에는 아무리 암시를 걸어도 자살하지 않는다는 것이 내 지론이네. 그러나 이를 가리오 군은 인간실험으로써 허물어뜨린 게야. 그리고 이를 나한테 알게끔 하기 위해 유서와 투서 계획을 세운 것이라네.

부인 말에 의하면 기타자와는 M-클럽에 자주 갔다고 하는데, 런던을 제2의 고향으로 여기는 가리오 군이 그 곳 회원이라는 사실을 짐작하는 것은 어렵지 않네. 아마도 가리오 군은 거기서 자신과는 생면부지인 기타자와를 관찰하고 최면상태 하에서 A씨의 수기를 받아쓰도록(dictate) 하고 투서까지 쓰게 다음, 그 투서만 본인이 보관했겠지. 권총을 사게 한 것도 가리오 군일 지도 모르네. 그리고 완벽하게 자신의 학설을 증명하고, 뿐만 아니라 이를 나로 하여금 알게 하고자 하는 목적도 달성했네. 물론, 그 유서나 투서 그리고 권총이 incendiarism 역할을 한 것은 두말할 나위도 없고, 기타자와 사건 그 자체는 실로 천재적인 과학자가 이루어낸 인간실험 다름 아니란 말일세.”

여기까지 말씀하신 선생님은 작은 한 숨을 내쉬셨다. 나는 선생님이 하신 완벽한 추리 때문에 넋을 잃고 귀를 기울이고 있었으나, 마지막에 이르러서 등줄기에 소름이 돋았다.

“그렇다면 선생님, 아무리 직접 손을 쓰지 않았다고는 하나, 기타자와는 가리오 선생님이…….”

선생님은 손짓으로 ‘조용히!’라고 경고했다. “그래서 처음에 자네한테 양해를 구하지 않았던가. 가리오 군은 철재야. 도저히 나와 비교할 수 없을 만큼 차원이 다른 천재란 말일세. 이런 과감한 실험은 학술적인 생각에 빠져 있는 우리들이 절대 꿈도 꿀 수 없는 일이네. 이는 세상적으로 평범한 가치관에 비추어보면 나쁜 의미로 들릴 수도 있겠으나, 아무튼 과학에 의해 자연을 정복하려 한다면, 이 정도의 일은 아무렇지도 않게 해낼 수 있어야 하네.

아니, 이 점에 대해서는 더 이상 깊이 안 들어가겠네. 이를 논하기에는 자네는 너무나 지쳐있어. 그러니 마지막으로 내가 유서 속에서 발견했다고 하는 증거에 대해 말해두도록 하지.

보게나. 이 유서 글자는 매우 깨끗하게 적혀 있지만, 자세히 보면 군데군데 선이나 점이 2중으로, 즉 한 번 적은 글씨 위에 다시 한 번 줄을 쓴 흔적이 있지? 나는 이를 발견하고 그 글씨만 골라 일어봤네. 즉,



……거추장스러울지는 모르지만…… ……에서 모

……흥미부족 탓일 것이오…… ……에서 오

……심리를 전하고자 하네…… ……에서 리

……어떤 자살자를 그렸더군…… ……에서 군

……단편 주인공은 어떤 것을 위해…… ……에서 어

……어떠한 이유로 자살하는지를…… ……에서 떠

……불신감에 있을 뿐이지…… ……에서 신

……나와 가깝게 지내지 않는 한…… ……에서 가


이 여덟 글자였으며, 이를 이어서 읽으면 ‘모오리군 어떠신가’가 되네. 이런 말을 하는 이는 가리오 군 외에 없지 않나.

그래서 나는 이 가리오 군의 물음에 답하기 위해 답장을 썼지. 그게 자네를 번거롭게 한 신문광고 글자라네. PMbtDK란 대단한 암호가 아니라,

Prof. Mohri bows to Dr. Kario

에서 첫 글자를 딴 걸세. 물론 가리오 군이 본다면 바로 알아보겠지. 이게 내 모든 진심이네.”

K군. 이로써 기타자와 사건은 완벽한 해결을 본 것이다.

이 일이 있고 난 후 모오리 선생님께서는 계속 그 쾌활한 상태를 유지하고 계셨으나, 그로부터 2주일도 채 지나지 않아서 갑자기 가리오 박사님은 뇌일혈로 돌아가셨다는 소식이 전해지자 선생님께서는 예전보다 더욱 심한 우울증에 빠지셨다.

학자가 그 논적, 즉 투쟁 대상을 잃는 것만큼 허전한 일은 없다. 아마도 선생님이 앓으시던 우울증도 그 때문이겠으나, 실로 나무나 극단적인 우울증이었다. 그리고 결국 폐렴에 걸려 가리오 선생님 뒤를 잇게 되셨다.

그리하여 일본은 얻기 힘든 인재를 한 번에 둘이나 잃고 말았다. 이처럼 화려한 투쟁이 언제쯤 또다시 일어날지, 언제쯤 되어야 정신병학이 또다시 이처럼 펼쳐질지 생각하면 불안하기 짝이 없다. 지금 이 사건을 쓰고 나서 되돌아보면 몇 백년이나 지난 옛 이야기처럼 들린다. K군. 건강하시게!



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Posted by 문학관 관리인 위어조자(謂語助者)