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가정의 행복(家庭の幸福:かていのこうふく)

다자이 오사무(太宰 治) (1948)

일본어 원문


「官僚が悪い」という言葉は、所謂(いわゆる)「清く明るくほがらかに」などという言葉と同様に、いかにも間が抜けて陳腐で、馬鹿らしくさえ感ぜられて、私には「官僚」という種属の正体はどんなものなのか、また、それが、どんな具合いに悪いのか、どうも、色あざやかには実感せられなかったのである。問題外、関心無し、そんな気持に近かった。つまり、役人は威張る、それだけの事なのではなかろうかとさえ思っていた。しかし、民衆だって、ずるくて汚くて慾が深くて、裏切って、ろくでも無いのが多いのだから、謂(い)わばアイコとでも申すべきで、むしろ役人のほうは、その大半、幼にして学を好み、長ずるに及んで立志出郷、もっぱら六法全書の糞(くそ)暗記に努め、質素倹約、友人にケチと言われても馬耳東風、祖先を敬するの念厚く、亡父の命日にはお墓の掃除などして、大学の卒業証書は金色の額縁にいれて母の寝間の壁に飾り、まことにこれ父母に孝、兄弟には友ならず、朋友(ほうゆう)は相信ぜず、お役所に勤めても、ただもうわが身分の大過無きを期し、ひとを憎まず愛さず、にこりともせず、ひたすら公平、紳士の亀鑑、立派、立派、すこしは威張ったって、かまわない、と私は世の所謂お役人に同情さえしていたのである。

 しかるに先日、私は少しからだ具合いを悪くして、一日一ぱい寝床の中でうつらうつらしながら、ラジオというものを聞いてみた。私はこれまで十何年間、ラジオの機械を自分の家に取りつけた事が無い。ただ野暮ったくもったい振り、何の芸も機智も勇気も無く、図々しく厚かましく、へんにガアガア騒々しいものとばかり独断していたのである。空襲の時にも私は、窓をひらいて首をつき出し、隣家のラジオの、一機はどうして一機はどうしたとかいう報告を聞きとって、まず大丈夫、と家の者に言って、用をすましていたものである。

 いや、実は、あのラジオの機械というものは、少し高い。くれるというひとがあったら、それは、もらってもいいけれど、酒と煙草とおいしい副食物以外には、極端に倹約吝嗇(りんしょく)の私にとって、受信機購入など、とんでも無い大乱費だったのである。それなのに、昨年の秋、私がれいに依ってよそで二、三夜飲みつづけ、夕方、家は無事かと胸がドキドキして歩けないくらいの不安と恐怖とたたかいながら、やっと家の玄関前までたどりつき、大きい溜息(ためいき)を一つ吐いてから、ガラリと玄関の戸をあけて、

「ただいま!」

 それこそ、清く明るくほがらかに、帰宅の報知をするつもりが、むざんや、いつも声がしゃがれる。

「やあ、お父さんが帰って来た」

 と七歳の長女。

「まあ、お父さん、いったいどこへ行っていらしたんです」

 と赤ん坊を抱いてその母も出て来る。

 とっさに、うまい嘘(うそ)も思い浮ばず、

「あちこち、あちこち」

 と言い、

「皆、めしはすんだのか」

 などと、必死のごまかしの質問を発し、二重まわしを脱いで、部屋に一歩踏み込むと、箪笥(たんす)の上からラジオの声。

「買ったのかい? これを」

 私には外泊の弱味がある。怒る事が出来なかった。

「これは、マサ子のよ」

 と七歳の長女は得意顔で、

「お母さんと一緒に吉祥寺へ行って、買って来たのよ」

「それは、よかったねえ」

 と父は子供には、あいそを言い、それから母に向って小声で、

「高かったろう。いくらだった?」

 千いくらだったと母は答える。

「高い。いったいお前は、どこから、そんな大金を算段出来たの?」

 父は酒と煙草とおいしい副食物のために、いつもお金に窮して、それこそ、あちこち、あちこちの出版社から、ひどい借金をしてしまって、いきおい家庭は貧寒、母の財布には、せいぜい百円紙幣三、四枚、というのが、全くいつわりの無い実状なのである。

「お父さんの一晩のお酒代にも足りないのに、大金だなんて、……」

 母もさすがに呆れたのか、笑いながら陳弁するには、お父さんのお留守のあいだに雑誌社のかたが原稿料をとどけて下さったので、この折と吉祥寺へ行って、思い切って買ってしまいました、この受信機が一ばん安かったのです、マサ子も可哀想ですよ、来年は学校ですから、ラジオでもって、少し音楽の教育をしてやらなければなりません、また私だって、夜おそくまであなたの御帰宅を待ちながら、つくろいものなんかしている時、ラジオでも聞いていると、どんなに気がまぎれて助かるかわかりませんわ。

「めしにしよう」

 こんな経緯で、私の家にもラジオというものが、そなわったけれども、私は相かわらず、あちこち、あちこちなので、しみじみ聴取した事は、ほとんど無いのである。たまに私の作品が放送せられる時でも、私は、うっかり聞きのがす。

 つまり、一言にしていえば、私はラジオに期待していなかったのである。

 ところが先日、病気で寝ながら、ラジオの所謂「番組」の、はじめから終りまで、ほとんど全部を聞いてみた。聞いてみると、これもやはりアメリカの人たちの指導のおかげか、戦前、戦時中のあの野暮ったさは幾分消えて、なんと、なかなか賑(にぎ)やかなもので、突如として教会の鐘のごときものが鳴り出したり、琴の音が響いて来たり、また間断無く外国古典名曲のレコード、どうにもいろいろと工夫に富み、聴き手を飽かせまいという親切心から、幕間というものが一刻も無く、うっかり聞いているうちに昼になり、夜になり、一ページの読書も出来ないという仕掛けになっているのである。そうして、夜の八時だか九時だかに、私は妙なものを聴取した。

 街頭録音というものである。所謂政府の役人と、所謂民衆とが街頭に於いて互いに意見を述べ合うという趣向である。

 所謂民衆たちは、ほとんど怒っているような口調で、れいの官僚に食ってかかる。すると、官僚は、妙な笑い声を交えながら、実に幼稚な観念語(たとえば、研究中、ごもっともながらそこを何とか、日本再建、官も民も力を合せ、それはよく心掛けているつもり、民主々義の世の中、まさかそんな極端な、ですから政府は皆さんの御助力を願って、云々(うんぬん))そんな事ばかり言っている。つまり、その官僚は、はじめから終りまで一言も何も言っていないのと同じであった。所謂民衆たちは、いよいよ怒り、舌鋒(ぜっぽう)するどく、その役人に迫る。役人は、ますますさかんに、れいのいやらしい笑いを発して、厚顔無恥の阿呆(あほ)らしい一般概論をクソていねいに繰りかえすばかり。民衆のひとりは、とうとう泣き声になって、役人につめ寄る。

 寝床の中でそれを聞き、とうとう私も逆上した。もし私が、あの場に居合せたなら、そうして司会者から意見を求められたなら、きっとこう叫ぶ。

「私は税金を、おさめないつもりでいます。私は借金で暮しているのです。私は酒も飲みます。煙草も吸います。いずれも高い税金がついて、そのために私の借金は多くなるばかりなのです。この上また、あちこち金を借りに歩いて、税金をおさめる力が私には、ありません。それに私は病弱だから、副食物や注射液や薬品のためにも借金をします。私はいま、非常に困難な仕事をしているのです。少くとも、あなたよりは、苦しい仕事をしているのです。自分でも、ほとんど発狂しているのではないかと思うほど、仕事のことばかり考えつめているんです。酒も煙草も、また、おいしい副食物も、いまの日本人にはぜいたくだ、やめろと言う事になったら、日本に一人もいい芸術家がいなくなります。それだけは私、断言できます。おどかしているのではありません。あなたは、さっきから、政府だの、国家だの、さも一大事らしくもったい振って言っていますが、私たちを自殺にみちびくような政府や国家は、さっさと消えたほうがいいんです。誰も惜しいと思やしません。困るのは、あなたたちだけでしょう。何せ、クビになるんだから。何十年かの勤続も水泡に帰するんだから。そうして、あなたの妻子が泣くんだから。ところが、こっちはもう、仕事のために、ずっと前から妻子を泣かせどおしなんだ。好きで泣かせているんじゃない。仕事のために、どうしても、そこまで手がまわらないのだ。それを、まあ、何だい。ニヤニヤしながら、そこを何とか御都合していただくんですなあ、だなんて、とんでもない。首をくくらせる気か。おい、見っともないぞ。そのニヤニヤ笑いは、やめろ! あっちへ行け! みっともない。私は社会党の右派でも左派でもなければ、共産党員でもない。芸術家というものだ。覚えて置き給え。不潔なごまかしが、何よりもきらいなんだ。どだい、あなたは、なめていやがる。そんな当りさわりの無い、いい加減な事を言って、所謂民衆をなだめ、納得させる事が出来ると思っているのか。たった一言でいい、君の立場の実情を言え! 君の立場の実情を。……」

 そのような、頗(すこぶ)る泥臭い面罵(めんば)の言葉が、とめどなく、いくらでも、つぎつぎと胸に浮び、われながらあまり上品では無いと思いながら、憤怒の念がつのるばかりで、いよいよひとりで興奮し、おしまいには、とうとう涙が出て来た。

 所詮(しょせん)は、陰弁慶である。私は経済学には、まるで暗い。税の問題など、何もわからぬと言ってよい。その街頭録音の場に居合せて、おそるおそる質問を発し、たちまち役人に教えさとされ、

「さよか、すんません」

 という情無い結果になるかも知れない。けれども、私には、その役人のヘラヘラ笑いが気にいらなかったのだ。ご自分の言う事に確信の無い証拠だ。ごまかしている証拠だ。いい加減を言っている証拠だ。もしあの、ヘラヘラ笑いの答弁が、官僚の実体だとしたなら、官僚というものは、たしかに悪いものだ。あまりに、なめている。世の中を、なめ過ぎている。私はラジオを聞きながら、その役人の家に放火してやりたいくらいの極度の憎悪を感じたのである。

「おい! ラジオを消してくれ」

 それ以上、その役人のヘラヘラ笑いを、聞くに忍びなかった。私は税金を、おさめない。あんな役人が、あんなヘラヘラ笑いをしているうちは、おさめない。牢(ろう)へはいったって、かまわない。あんなごまかしを言っているうちは、おさめない、と狂うくらいに逆上し、そうしてただもう口惜しくて、涙が出るのである。

 けれども、やはり私は政治運動には興味が無い。自分の性格がそれに向かないばかりか、それに依って自分が救われるとも思っていない。ただ、それは、自分には、うっとうしい許(ばか)りだ。私の視線は、いつも人間の「家」のほうに向いている。

 その夜、私は前の日に医者から貰って置いた鎮静剤を飲み、少し落ちついてから、いまの日本の政治や経済の事は考えず、もっぱら先刻のお役人の生活形態に就いてのみ思いをめぐらしていた。

 あのいまのひとの、ヘラヘラ笑いは、しかし、所謂民衆を軽蔑(けいべつ)している笑いでは無い。決してそんな性質のものでは無かった。わが身と立場とを守る笑いだ。防禦(ぼうぎょ)の笑いだ。敵の鋭鋒を避ける笑いだ。つまり、ごまかしの笑いである。

 そうして、私の寝ながらの空想は、次のような展開をはじめたのである。

 彼はあの街頭の討論を終えて、ほっとして汗を拭き、それから急に不機嫌な顔になってあのひとの役所に引上げる。

「いかがでございました?」

 と下僚にたずねられ、彼は苦笑し、

「いや、もう、さんざんさ」

 と答える。

 討論の現場に居合せたもうひとりの下僚は、

「いえ、いえ、どうして、かいとう乱麻を断つ、というところでしたよ」

 とお世辞を言う。

「かいとうとは、怪しい刀(かたな)と書くんだろう?」

 と彼はやはり苦笑しながら言って、でも内心は、まんざらでない。

「冗談じゃない。どだい、あんな質問者とは、頭の構造がちがいますよ。何せ、こっちは千軍万馬の、……」

 すこしお世辞が過ぎたのに気づいて下僚は素早く話頭を転ずる。

「きょうの録音は、いつ放送になるんです?」

「知らん」

 知っているのだけれども、知らんと言ったほうが人物が大きく鷹揚(おうよう)に見える。彼は、きょうの出来事はすべて忘れたような顔をして、のろのろと執務をはじめる。

「とにかく、あの放送は、たのしみだなあ」

 下僚は、なおも小声でお世辞を言う。しかし、この下僚は、少しも楽しみだと思っていないし、実際その放送の夜には、カストリという奇妙な酒を、へんな屋台で飲み、ちょうど街頭討論放送の時刻に、さかんにげえげえゲロを吐いている。楽しみも何もあったものでない。

 たのしみにしているのは、れいのあの役人と、その家族である。

 いよいよ今夜は、放送である。役人は、その日は、いつもより一時間ほど早く帰宅する。そうして街頭録音の放送の三十分くらい前から家族全部、緊張して受信機の傍に集る。

「いまに、この箱から、お父さんのお声が聞えて来ますよ」

 夫人は末の小さいお嬢さんをだっこして、そう教えている。

 中学一年の男の子は、正坐して、そうしてきちんと両手を膝(ひざ)に置き、実に行儀よく放送の開始を待っている。この子は、容貌も端麗で、しかも学校がよく出来る。そうして、お父さんを心から尊敬している。

 放送開始。

 父は平然と煙草を吸いはじめる。しかし、火がすぐ消える。父は、それに気がつかず、さらにもう一度吸い、そのまま指の間にはさみ、自分の答弁に耳を傾ける。自分が予想していた以上に、自分の答弁が快調に録音せられている。まず、これでよし。大過無し。官庁に於ける評判もいいだろう。成功である。しかも、これは日本国中に、いま、放送せられているのだ。彼は自分の家族の顔を順々に見る。皆、誇りと満足に輝いている。

 家庭の幸福。家庭の平和。

 人生の最高の栄冠。

 皮肉でも何でも無く、まさしく、うるわしい風景ではあるが、ちょっと待て。

 私の空想の展開は、その時にわかに中断せられ、へんな考えが頭脳をかすめた。家庭の幸福。誰がそれを望まぬ人があろうか。私は、ふざけて言っているのでは無い。家庭の幸福は、或いは人生の最高の目標であり、栄冠であろう。最後の勝利かも知れない。

 しかし、それを得るために、彼は私を、口惜し泣きに泣かせた。

 私の寝ながらの空想は一転する。

 ふいと、次のような短篇小説のテーマが、思い浮んで来たのである。この小説には、もはや、あの役人は登場しない。もともとあの役人の身の上も、全く私の病中の空想の所産で、実際の見聞で無いのは勿論(もちろん)であるが、次の短篇小説の主人公もまた、私の幻想の中の人物に過ぎない。

 ……それは、全く幸福な、平和な家庭なんだ。主人公の名前を、かりに、津島修治、とでもして置こう。これは私の戸籍名なのであるが、下手に仮名(かめい)を用いて、うっかり偶然、実在の人の名に似ていたりして、そのひとに迷惑をかけるのも心苦しいから、そのような誤解の起らぬよう、私の戸籍名を提供するのである。

 津島の勤め先は、どこだっていい。所謂お役所でありさえすればいい。戸籍名なんて言葉が、いま出たから、それにちなんで町役場の戸籍係りという事にしてもよい。何だってかまわぬ。テーマは出来ているのだから、あとは津島の勤め先に応じて、筋書の肉附けを工夫して行けばよい。

 津島修治は、東京都下の或る町の役場に勤めていた。戸籍係りである。年齢は、三十歳。いつも、にこにこしている。美男子ではないが血色もよく、謂わば陽性の顔である。津島さんと話をしておれば苦労を忘れると、配給係りの老嬢が言った事があるそうだ。二十四歳で結婚し、長女は六歳、その次のは男の子で三歳。家族は、この二人の子供と妻と、それから、彼の老母と、彼と、五人である。そうして、とにかく、幸福な家庭なんだ。彼は、役所に於いては、これまで一つも間違いをし出かさず、模範的な戸籍係りであり、また、細君にとっては模範的な亭主であり、また、老母にとっては模範的な孝行息子であり、さらに、子供たちにとっても、模範的なパパであった。彼は、酒も煙草もやらない。我慢しているのでは無く、ほしくないのだ。細君がそれを全部、闇屋(やみや)に売って、老母や子供のよろこぶようなものを買う。ケチでは無いのだ。夫も妻も、家庭をたのしくするために、全力を尽しているのだ。もともと、この家族は、北多摩郡に本籍を有していたのであったが、亡父が中学校や女学校の校長として、あちこち転任になり、家族も共について歩いて、亡父が仙台の某中学校の校長になって三年目に病歿したので、津島は老母の里心を察し、亡父の遺産のほとんど全部を気前よく投じて、現在のこの武蔵野(むさしの)の一角に、八畳、六畳、四畳半、三畳の新築の文化住宅みたいなものを買い、自分は親戚(しんせき)の者の手引きで三鷹(みたか)町の役場に勤める事になったのである。さいわい、戦災にも遭わず、二人の子供は丸々と太り、老母と妻との折合いもよろしく、彼は日の出と共に起きて、井戸端で顔を洗い、その気分のすがすがしさ、思わずパンパンと太陽に向って柏手(かしわで)を打って礼拝するのである。老母妻子の笑顔を思えば、買い出しのお芋六貫も重くは無く、畑仕事、水汲(みずく)み、薪割(まきわ)り、絵本の朗読、子供の馬、積木の相手、アンヨは上手、つつましきながらも家庭は常に春の如く、かなり広い庭は、ことごとく打ちたがやされて畑になってはいるが、この主人、ただの興覚めの実利主義者とかいうものとは事ちがい、畑のぐるりに四季の草花や樹の花を品よく咲かせ、庭の隅の鶏舎の白色レグホンが、卵を産む度に家中に歓声が挙り、書きたてたらきりの無いほど、つまり、幸福な家庭なんだ。つい、こないだも、同僚から押しつけられて仕方無く引き受けた「たからくじ」二枚のうち、一枚が千円の当りくじだったが、もともと落ちついた人なので、あわてず騒がず、家族の者たちにもまた同僚にも告げ知らせず、それから数日経って出勤の途中、銀行に立ち寄って現金を受け取り、家庭の幸福のためには、ケチで無いどころか万金をも惜しまぬ気前のいいひとなのだから、彼の家のラジオ受信機が、ラジオ屋に見せても、「修繕の仕様が無い」と宣告されたほどに破損して、この二、三年間ただ茶箪笥の上の飾り物になっていて、老母も妻も、この廃物に対して時折、愚痴を言っていたのを思い出し、銀行から出たすぐその足でラジオ屋に行き、躊躇(ちゅうちょ)するところなく気軽に受信機の新品を買い求め、わが家のところ番地を教えて、それをとどけるように依頼し、何事も無かったような顔をして役場に行き執務をはじめる。

 けれども、さすがに内心は、浮き浮きしていたのである。老母や妻のおどろき、よろこびもさる事ながら、長女も、もの心地がついてから、はじめてわが家のラジオが歌いはじめるのを聞いてその興奮、お得意、また、坊やの眼をぱちくりさせながらの不審顔、一家の大笑い、手にとるようにわかるのだ。そこへ自分が帰って行って、「たからくじ」の秘密をはじめて打ち明ける。また、大笑い。ああ、早く帰宅の時間が来ればよい。平和な家庭の光を浴びたい。きょうの一日は、ばかに永い。

 しめた! 帰宅の時間だ。ばたばたと机上の書類を片づける。

 その時、いきせき切って、ひどく見すぼらしい身なりの女が出産とどけを持って彼の窓口に現われる。

「おねがいします」

「だめですよ。きょうはもう」

 津島はれいの、「苦労を忘れさせるような」にこにこ顔で答え、机の上を綺麗(きれい)に片づけ、空(から)のお弁当箱を持って立ち上る。

「お願いします」

「時計をごらん、時計を」

 津島は上機嫌で言って、その出産とどけを窓口の外に押し返す。

「おねがいします」

「あしたになさい、ね、あしたに」

 津島の語調は優しかった。

「きょうでなければ、あたし、困るんです」

 津島は、もう、そこにいなかった。

 ……見すぼらしい女の、出産にからむ悲劇。それには、さまざまの形態があるだろう。その女の、死なねばならなかったわけは、それは、私(太宰)にもはっきりわからないけれども、とにかく、その女は、その夜半に玉川上水に飛び込む。新聞の都下版の片隅に小さく出る。身元不明。津島には何の罪も無い。帰宅すべき時間に、帰宅したのだ。どだい、津島は、あの女の事など覚えていない。そうして相変らず、にこにこしながら家庭の幸福に全力を尽している。

 だいたいこんな筋書の短篇小説を、私は病中、眠られぬままに案出してみたのであるが、考えてみると、この主人公の津島修治は、何もことさらに役人で無くてもよさそうである。銀行員だって、医者だってよさそうである。けれども、私にこの小説を思いつかせたものは、かの役人のヘラヘラ笑いである。あのヘラヘラ笑いの拠って来る根元(こんげん)は何か。所謂「官僚の悪」の地軸は何か。所謂「官僚的」という気風の風洞は何か。私は、それをたどって行き、家庭のエゴイズム、とでもいうべき陰鬱な観念に突き当り、そうして、とうとう、次のような、おそろしい結論を得たのである。

 曰(いわ)く、家庭の幸福は諸悪の本(もと)。



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Posted by 문학관 관리인 위어조자(謂語助者)

가정의 행복(家庭の幸福)

다자이 오사무(太宰 治) (1948)

번역 : 홍성필


 '관료가 나쁘다'는 말은 이른바 '밝고 명랑하고 씩씩하게'라는 말처럼 그야말로 어딘가가 좀 부족한 듯하기도 하고 진부하여 바보같이 느껴져서, 내게는 '관료'라는 족속의 정체는 어떤 것인지, 또한 그것이 어떻게 나쁜 건지 도무지 실감나게 느껴지지 않는다. 논외, 관심 밖, 이런 심정에 가까웠다. 즉, 관료는 목에 힘을 준다, 그것만이 아닐까 하는 생각마저도 든다. 그러나 민중들도 치사하고 더럽고 욕심 많고, 배신도 하며 쓸모 없는 인간들도 많으므로 말하자면 피장파장이라고도 할 수 있으며, 오히려 관리들은 대부분 어렸을 때부터 학업에 전념하여 커감에 따라 입신출세, 오로지 육법전서를 달달 외우며 근검절약, 친구한테 구두쇠라는 말을 듣더라도 마이동풍, 조상을 한없이 존경하며 아버지 제삿날은 벌초를 게을리 하지 않고, 대학 졸업장은 금빛액자에 넣어두어 어머니 침실 벽에 걸어놓고, 그야말로 부모님께는 효, 형제에게는 친구처럼 대하지 않으며 친구끼리는 무턱대고 믿지 아니하고, 공직으로 근무해도 그저 자신이 실수하지 않기를 바라고, 사람을 미워하지도 사랑하지도 않고, 웃지도 않으며, 그저 공평, 신사의 귀감, 훌륭해, 훌륭하고 말고, 조금 목에 힘을 줘도 그 정도는 상관없어, 라고 나는 이 사회의 이른바 관리들을 동정하기까지 했다.


 그런데 며칠 전, 나는 건강상태가 좋지 않아 하루종일 침상에 누워 졸면서 라디오라는 것을 들어보았다. 나는 지금까지 십 몇 년간 라디오라는 기계를 자신의 집에 들여놓은 적이 없다. 그저 풍류도 없고 아깝기도 하며, 아무런 재주도 재치도 용기도 없고, 치사하고 뻔뻔하고, 쓸데없이 직직거리며 시끄럽기만 한 것으로 알고 있었다. 공습이 있었을 때에도 나는 창문을 열어 고개를 내밀고는 옆집 라디오에서 비행기 한 대는 어떻게 됐고, 한 대는 어떻게 됐다는 보고를 듣고서, 일단 괜찮다며 집에 있는 사람들에게 말하고는 치워버렸다.


아니, 사실 그 라디오라는 기계는 조금 비싸다. 준다는 사람이 있다면 그야 받아도 무방하겠으나, 술과 담배, 그리고 맛있는 간식 이외에는 극단적으로 인색한 내게 있어서 수신기 구입 같은 건 말도 안 되는 낭비였던 것이다. 그런데도 작년 가을, 내가 여느 때처럼 밖에서 이틀 사흘 밤 동안 연달아 마시고 저녁 무렵 집이 무사할까 하고 가슴을 두근거리며, 걷지도 못할 정도의 불안감과 공포심과 싸우면서 간신히 집 현관 앞까지 와서는 크게 한 숨을 쉰 후 드르륵 하고 현관문을 열고서,


 "다녀왔습니다!"


 그야말로 밝고 명랑하고 씩씩하게 귀가인사를 할 생각이었으나 비참하게도 항상 목소리가 쉬어있다.


 "어, 아빠 오셨네요."


 라고 7살 짜리 장녀.


 "어머, 아빠, 대체 어디 갔었던 거예요?"


 라며 아기를 안고 그 엄마도 따라나온다.


 갑자기 그럴듯한 거짓말도 떠오르지 않아,


 "여기저기, 여기저기."


 라고 말하고는,


 "다들 밥은 먹었냐?"


 라면서 필사적으로 얼버무리기 위한 질문을 하고는 윗도리를 벗고 방으로 한 발자국 들어서자 옷장 위에서 들려오는 라디오 소리.


 "이걸, 샀어?"


 나는 외박했다는 약점이 있기에 화를 낼 수가 없었다.


 "이건 마사코 거예요."


 라며 일곱 살 짜리 장녀는 자랑스럽다는 표정으로,


 "엄마랑 같이 키치죠지(吉祥寺)에 가서 사왔어요."


 "그것 참 잘 했구나."


 라고 아버지는 대충 말해놓고서 그 다음에 아이 엄마한테 가서는 작은 목소리로,


 "비쌌지? 얼마 줬는데?"


 천엔 정도였다고 아이 엄마는 대답한다.


 "비싸. 대체 너는 어디서 그렇게 큰돈을 마련했어?"


 아버지는 술과 담배와 맛있는 간식 때문에 항상 돈이 모자라서, 그야말로 여기저기 여기저기에 있는 출판사로부터 큰 빚을 졌기에, 결국 가정은 궁핍하고 아이 엄마 지갑에는 기껏해야 100엔 짜리 지폐 서너 장이라는 것이 전혀 거짓 없는 실상인 것이다.


 "아빠의 하룻밤 술값도 안 되는데 큰돈이라뇨……."


 아이 엄마도 과연 어이가 없는지 웃으면서 변명하기를, 아빠가 집을 비운 사이에 잡지사 분이 원고료를 주셔서, 때는 이때다 싶어 키치죠지에 가서 큰맘먹고 샀어요, 이 수신기가 제일 쌌어요, 마사코도 불쌍하죠, 내년에는 학교에 들어가니까 라디오로 조금 음악교육도 시켜야 해요, 또한 저도 밤늦도록 당신의 귀가를 기다리면서 바느질을 하고 있을 때에 라디오라도 들으면 얼마나 위안이 되는지 몰라요.


 "밥 먹자."


 이런 경위로 우리 집에도 라디오라는 것이 생겼으나, 나는 여전히 '여기저기, 여기저기'였기에 제대로 들은 일은 거의 없었다. 간혹 내 작품이 방송될 때에도 나는 깜빡 놓치고 만다.


 즉, 한 마디로 말해서 나는 라디오에 대해 기대를 하지 않았던 것이다.


 그런데 며칠 전, 몸이 아파 누우면서 라디오의 이른바 '방송'을 처음부터 끝까지 거의 전부를 들어보았다. 들어보자 이것도 역시 미국사람들의 가르침 덕분인지, 전쟁 전이나 전쟁중의 시시함은 어느 정도 사라지고, 예상외로 꽤나 재미있어, 갑자기 교회 종소리 같은 것이 울리기도 하고, 가야금 소리가 들리거나, 또한 곧바로 외국 고전 명곡 레코드 등, 상당히 여러 모로 신경을 써서 듣는 이로 하여금 싫증이 안 나도록 쉬는 시간이 전혀 없어, 듣다보면 낮이 되고 밤이 되어, 한 페이지도 독서를 못하도록 되어있는 것이다. 그리하여 밤 8시던가 9시던가에 묘한 것을 들었다.


 가두녹음(街頭錄音)이라는 것이다. 이른바 정부 관리와 이른바 민중이 서로 길거리에서 서로의 의견을 나눈다는 내용이다.


 이른바 민중들은 거의 화가 난 듯한 말투로 그 관리한테 대든다. 그러자 관리는 묘한 웃음소리를 섞어가며, 실로 유치한 관념어 (예컨대 연구중, 옳으신 말씀입니다만 널리 양해를 바라며, 일본재건, 관-민이 힘을 합하여, 그 점은 저희도 잘 알고 있습니다만, 민주주의의 나라에서, 설마 그런 극단적인, 그러므로 정부는 여러분의 협조를 바라며 등등) 같은 말만 하고 있다. 즉, 그 관료는 처음부터 끝까지 한 마디도 안 하는 것과 같다. 이른바 민중들은 드디어 화가 나서 거친 말투로 관리에게 대든다. 관리는 전보다도 자주 그 징그러운 웃음소리를 내어가며 후안무치(厚顔無恥)의 멍청한 일반론을 쓸데없이 친절하게 되풀이할 뿐이다. 민중 중 하나는 결국 울먹이며 관리에게 항의한다.


 침상에서 그것을 듣고 결국 나도 흥분했다. 만약 저 자리에 있었다면, 그리고 사회자가 의견을 물어보면 분명 이렇게 소리친다.


 "나는 세금을 내지 않을 생각이오. 나는 빚을 내어 살아가오. 저는 술도 마십니다. 담배도 태우지요. 모두 높은 세금이 붙어있어, 그 때문에 제 빚은 더욱 늘어갈 따름이오. 그것도 모자라서 여기저기 돈을 꾸러 다니는 처지라서 세금을 낼 힘이 내게는 없소. 더구나 나는 몸이 약해서 간식이나 주사약이나 약품 때문에 빚도 지고 있소. 나는 지금 매우 어려운 일을 하고 있소. 적어도 당신보다는 어려운 일을 하고 있소. 나 스스로도 거의 미칠 지경으로 일에 대해서만 생각하고 있소. 술도 담배도, 또한 맛있는 간식도 지금의 일본인에게는 사치다, 집어치워라, 라고 하신다면 일본에 좋은 예술가는 한 사람도 남김없이 사라질 게요. 그것만은 내가 단언할 수 있소. 협박하고 있는 것이 아니오. 당신은 아까부터 정부가 어떻다는 둥 국가가 어떻다는 둥 그야말로 거창하게 말하고 있으나, 우리들을 자살로 몰아가는 정부나 국가는 얼렁얼렁 사라지는 편이 낫소. 누구도 아깝다고 생각하지 않소. 곤란한 건 당신들뿐이오. 그도 그럴 것이 짤리기 때문이지. 수십 년 근속도 수포로 돌아가는 거니까 말이오. 그리고 당신의 처자식이 슬퍼하니까 말이오. 그런데 이쪽은 일 때문에 훨씬 전부터 계속 처자식을 울리고 있소. 좋아서 울리는 게 아니오. 일 때문에 아무리 노력해도 거기까지 신경을 쓸 수가 없기 때문이오. 그런데 당신들은 도대체 뭐요? 징그럽게 웃어가며 '그 점을 양해해주시기 바랍니다'라니 무슨 말이 그렇소. 목매다는 꼴을 보고 싶어서 그런가? 보기 싫소. 그 징그러운 웃음은, 집어 치워! 저리 가! 창피한 줄 알아라. 나는 사회당의 우파도 좌파도 아니며 공산당원도 아니오. 예술가라는 사람이오. 기억해 두게나. 불결한 속임수를 무엇보다도 싫어하오. 이봐, 당신은 깔보고 있어. 그런 아무 내용도 없는 말들을 대충 늘어놓고 이른바 민중들을 달래고 납득시킬 수 있다고 생각하나. 단 한 마디라도 좋소, 자네 입장의 실상을 말해! 자네 입장의 실상을……."


 지극히 지저분하고 심한 그런 말들이 한없이 연이어 가슴속에서 끓어오르고, 스스로 생각하기에도 그리 고상하지 못하다고 느껴지면서도 분노가 쌓여가며, 점점 혼자서 흥분하고 막판에는 결국 눈물이 흘러나왔다.


 어차피 안보이니까 하는 말이다. 나는 경제학에 대해서는 깜깜하다. 세금문제 같은 건 아무 것도 모른다 해도 과언이 아니다. 그 가두녹음의 현장에 있어 조심조심 질문을 했다가 관리의 설명을 듣고는,


 "그런가요? 죄송합니다."


 라는 식의 비참한 결과가 될지도 모른다. 하지만 내게는 그 관리의 징그러운 웃음이 마음에 들지 않았다. 자신이 하는 말에 대해 확신이 없다는 증거다. 속이고 있다는 증거다. 대충 하는 말이라는 증거다. 만약 그 징그러운 웃음의 답변이 관료의 실체라면, 관료라는 건 분명 나쁜 것이다. 너무나도 사람을 우습게 안다. 세상을 너무나도 우습게 안다. 나는 라디오를 들으며 그 관리의 집에 불이라도 질러버리고 싶은 극도의 증오를 느꼈다.


 "이봐! 라디오 좀 꺼주게."


 더 이상 그 관리의 징그러운 웃음을 들어줄 수 없었다. 나는 세금을 내지 않으리라. 저런 관리가 저런 징그러운 웃음을 짓고 있는 동안에는, 내지 않으리라. 감옥에 갇혀도 좋다. 저런 식으로 사람을 속이는 동안에는 내지 않으리라, 라고 미칠 정도로 흥분하여 그저 억울해서 눈물이 흐르는 것이다.


 하지만 나 또한 정치운동에는 흥미가 없다. 자신의 성격이 거기에 적합하지 않을 뿐더러, 그것에 의해 자신이 위로 받을 수 있다는 생각도 없다. 단지 그것은, 자신에게는 답답할 따름이다. 내 시선은 항상 인간의 '집' 쪽으로 향해있다.


 그날 밤, 나는 전날에 의사로부터 받은 진정제를 먹고, 조금 차분해졌을 때 지금 일본의 정치나 경제에 대해서는 생각하지 않고 오로지 그 관리의 생활형태에 대해서만 상상의 나래를 펼쳐 나아갔다.


 그 사람이 했던 징그러운 웃음은, 그러나 이른바 민중을 경멸하는 웃음은 아니다. 절대로 그런 성질의 것이 아니었다. 자기 자신과 입장을 지키는 웃음이다. 방어적 웃음이다. 적의 공격을 피하는 웃음이다. 즉, 얼버무리는 웃음인 것이다.


 그리하여 누운 채로 하는 내 공상은 다음과 같이 전개되기 시작했다.


 그는 그 가두토론을 마치고 숨을 돌리며 땀을 닦아내고는, 갑자기 기분이 언짢다는 표정을 지으며 사무실로 돌아간다.


 "어떠셨습니까?"


 부하관료의 질문에 대해 그는 씁쓸하게 웃고는,


 "애 좀 먹었지."


 라고 대답한다.


 토론 현장에 있었던 또 하나의 부하관료는,


 "아뇨, 천만에요. 가두로 일도양단, 속 시원하게 처치하다, 그 수준이던데요."


 라며 아부를 떤다.


 "'가두'란 '괴상한 칼'라고 쓰지?" (일어로 '街頭'와 ''怪刀'는 발음이 비슷하다 - 역자 주)


 라고 그는 역시 씁쓸하게 웃으며 말하지만, 속으로 그리 기분이 나쁘지만은 않다.


 "그것 참, 기본적으로 저런 질문자들과는 머리의 구조가 다릅니다. 아무렴 이쪽은 천군만마(千軍萬馬)의……."


 조금 아부가 지나쳤다는 것을 알아차리고서 부하관료는 재빨리 화제를 돌린다.


 "오늘 녹음은 언제 방송되죠?"


 "몰라."


 알고는 있으나 모른다고 하는 편이 훨씬 더 폼이 난다. 그는 오늘 일을 모두 잊었다는 듯이 천천히 집무를 시작한다.


 "아무튼 기대되는군요."


 부하관료는 여전히 작은 소리로 아부를 한다. 그러나 이 부하관료는 전혀 기대된다는 생각을 하고 있지 않으며, 실제로 그 방송이 있는 날 밤에는, '카스토리'라는 이상한 술을 이상한 술집에서 마시고는, 마침 가두토론방송 시간에 한창 토해내고 있다. 기대 같은 건 눈곱만큼도 없다.


 기대하고 있는 건 그 관료와 가족들이다.


 드디어 오늘밤은 방송이 있는 날이다. 관리는 그날 평소보다 1시간 정도 일찍 퇴근한다. 그리고 가두녹음방송이 시작하기 30분전부터 가족 전부가 긴장하며 수신기 곁으로 모인다.


 "조금 있으면 이 상자에서 아빠 목소리가 들릴 거란다."


 부인은 막내딸을 안고서 가르쳐준다.


 중학교 1학년 사내아이는 정좌를 하고, 두 손을 무릎 위에 올려놓고는, 실로 예의바르게 방송이 시작하는 것을 기다린다. 이 아이는 용모도 준수하고 공부도 잘 한다. 그리고 아버지를 진심으로 존경하고 있다.


 방송 시작.


 아버지는 태연히 담배를 태우기 시작한다. 그러나 불이 금새 꺼진다. 아버지는 그것도 모르고 또 한 번 빨아들이고는 그대로 손가락 사이에 끼어두고, 자신의 답변에 귀를 기울인다. 자신의 예상보다 녹음상태가 좋다. 일단 됐다. 실수 없음. 관청에서의 평가도 괜찮을 테지. 성공이다. 더구나 이는 국내 전역에 지금 방송되고 있는 것이다. 그는 자신의 가족 표정을 차례로 훑어본다. 모두 자부심과 만족으로 빛나고 있다.


 가정의 행복. 가정의 평화.


 인생 최고의 영광이다.


 비꼬는 것이 아니라 그야말로 아름다운 모습이긴 하나, 잠깐.


 내 공상의 전개는 그때 문득 중단되어 이상한 생각이 머리를 스쳐지나갔다. 가정의 행복. 누가 그것을 원치 않는 사람이 있을까. 나는 장난 삼아 하는 말이 아니다. 가정의 행복은 어쩌면 인생 최고의 목표요, 영광이리라. 최후의 승리일지도 모른다.


 하지만, 그것을 얻기 위해 그는 나로 하여금 억울한 울음을 터뜨리게 만들었다.


 누워서 하는 내 공상은 돌변한다.


 문득 다음과 같은 단편소설의 주제가 떠오른 것이다. 이 소설에 더 이상 그 관리는 등장하지 않는다. 본래 그 관리의 신상도 모두 몸이 안 좋아 누워있는 나로부터 나온 것이므로, 실제로 보고 들은 것이 아니라는 건 물론이지만, 다음 단편소설의 주인공 또한 내 상상 속의 인물에 지나지 않는다.


 ……그건 매우 행복하고 평화로운 가정이다. 주인공의 이름을 가령 츠시마 슈지(津島修治)라고 해둔다. 이는 내 호적상의 이름인데, 어설프게 가명을 썼다가 우연히 실제인물과 이름이 비슷하여 폐를 끼치게 되면 괴로우므로, 이런 오해가 일어나지 않도록 내 호적상의 이름을 제공하는 것이다.


 츠시마가 근무하는 곳은 어디라도 좋다. 이른바 관청이라면 된다. 호적상의 이름이라는 말이 지금 나왔으니, 동사무소 호적담당 직원이라고 해도 좋다. 무엇이라도 좋다. 주제는 이미 되어있으니까, 그 다음은 츠시마의 근무처에 따라 줄거리에 살을 붙여 가면 된다.


 츠시마 슈지는 도쿄 근방에 있는 어느 동네의 동사무소에서 근무하고 있었다. 호적 담당이다. 나이는 서른. 항상 웃음을 잃지 않는다. 미남은 아니지만 혈색이 좋고, 말하자면 밝은 얼굴이다. 츠시마 씨와 대화를 나누면 힘든 일도 잊게 된다며 배급담당 나이 든 여직원이 말했다고도 한다. 스물 넷에 결혼하여 장녀는 여섯 살, 그 다음에는 사내아이로서 세 살. 가족은 이 두 아이와 처, 그리고 그의 노모(老母)와 그였으며, 모두 다섯 명이다. 이렇게 아무튼 행복한 가정이다. 그는 동사무소에 있어서 지금까지 단 한번도 실수를 하지 않은 모범적인 호적담당 직원이고, 부인에게 있어서도 모범적인 남편이며, 또한 나이 든 모친에게 있어서는 효심 지극한 모범적인 아들이었고, 나아가 아이들에게 있어서도 모범적인 아빠였다. 그는 술도 담배도 안 한다. 억지로 참는 것이 아니라 하고 싶지 않은 것이다. 부인도 그것을 모두 '야시장'에 팔아 나이 든 모친과 아이들이 좋아할 만한 것들을 산다. 구두쇠라서가 아니다. 남편도 부인도 가정을 즐겁게 만들기 위해 최선을 다하고 있는 것이다. 본래 이 가족은 키타타마군(北多摩郡)에 본적을 두고 있었으나, 타계한 부친이 중학교나 여학교의 교장으로서 여기저기 전근하여, 가족들도 함께 따라다니다가, 아버지가 센다이(仙臺)에 있는 모 중학교 교장이 되고 3년째에 병으로 돌아가셨기에 츠시마는 나이 든 어머니의 고향에 대한 마음을 고려하여 돌아가신 아버지의 유산 대부분을 흔쾌히 처분하고는 현재 무사시노(武藏野)의 일각에 8평, 6평, 4.5평, 3평 짜리 방이 있는 신축 문화주택 같은 것을 사서, 자신은 친척 소개로 미타카쵸 (三鷹町) 동사무소에서 근무하게 된 것이다. 다행이 전쟁 피해도 당하지 않아 두 아이는 포동포동 살이 쪘고, 노모와 부인의 사이도 좋았으며, 그는 일출과 함께 일어나 우물가에서 얼굴을 씻고는 너무나도 기분이 상쾌하여 자신도 모르게 손뼉을 치고 태양을 향해 기도를 드리는 것이다. 어머니와 부인, 처자식의 웃는 얼굴을 생각하노라면 고구마 여섯 관을 사올 때에도 무겁지 않고, 밭일, 물 길러 오는 일, 장작 깨기, 그림책 읽어주기, 아이를 등에 앉혀 놓고 말 태워주기, 벽돌 놀이 상대, 걸음마 놀이, 풍요롭지는 않더라도 가정은 항상 봄과도 같았고, 꽤 넓은 마당은 모두 파헤쳐져 밭이 되고 말았으나, 이 남편은 그저 매력 없는 실리주의자와는 달리 밭 주변에 계절에 따른 화초나 나무를 꽃피우게끔 가꾸어놓고 마당 구석 닭장에는 흰색 레그혼(닭의 품종 - 역자 주)이 알을 낳을 때마다 집안에는 환호성이 울리며, 모두 다 적을 수 없을 정도로, 즉 행복한 가정이라는 말이다. 불과 얼마 전에도 동료가 강제로 준 복권 두 장 중 한 장에서 천 엔이 당첨되었으나 본래 차분한 사람이었기에 서두르지도 난리를 피우지도 않은 채, 가족이나 동료들에게도 말하지 않고, 그로부터 며칠이 지난 후 출근하는 길에 은행에 들러 현금을 받고는, 가정의 행복을 위해서는 구두쇠이기는커녕 천금도 아끼지 않는 심성이었기에, 집에 있는 라디오 수신기가 전파상한테 가져다주어도 '수리할 수가 없다'는 말을 들을 정도로 망가져서 2~3년 동안 옷장 위에서 장식품처럼 되어, 노모도 부인도 망가진 폐물(廢物)에 대해 가끔 잔소리를 했던 것이 생각나, 은행에서 나오자마자 그 길로 라디오 가게에 가서 주저하지 않고 새 수신기를 사서, 집 번지수를 알려주고 그것을 배달해주도록 부탁한 후, 아무 일도 없었다는 듯이 출근하여 근무하기 시작한다.


 하지만 역시 마음속으로는 매우 즐거웠던 것이다. 노모나 부인이 놀라며 기뻐하는 것은 물론이거니와, 큰딸도 어느 정도 큰 이후로 처음으로 집안에서 라디오가 노래하는 모습을 보고 흥분하면서도 자랑스러워하고, 또한 아들도 눈을 말똥말똥 뜨고는 이상한 듯 쳐다보는 표정을 보고 크게 웃는 온 가족의 모습이 눈에 선한 것이다. 그러고 있을 무렵 자신이 귀가하여 '복권'에 대한 비밀을 털어놓기 시작한다. 다시 큰 웃음이 터져 나온다. 아아, 빨리 퇴근시간이 되었으면 좋겠다. 평화로운 가정의 빛을 쬐고 싶다. 오늘 하루는 무척이나 길다.


 됐다! 퇴근시간이다. 서둘러 책상 위의 서류를 정리한다.


 그때 허겁지겁 볼품없는 복장을 한 여성이 출산신고서를 들고 그가 있는 창구에 온다.


 "부탁드립니다."


 "오늘은 더 이상 안됩니다."


 츠시마는 그 '힘든 일을 잊게 하는' 밝은 얼굴로 대답하고서 책상 위를 깨끗하게 치우고는 빈 도시락을 들고 일어선다.


 "부탁드립니다."


 "시계를 보세요, 시계를."


 츠시마는 경쾌하게 말하고서 출산신고서를 되돌려준다.


 "부탁드립니다."


 "내일 하세요. 아셨죠?"


 츠시마의 말투는 부드러웠다.


 "오늘이 아니면 전 곤란해요."


 츠시마는 이미 그 자리에 없었다.


 ……볼품없는 여성의 출산에 얽힌 비극. 거기에는 여러 형태가 있으리라. 그 여자의 죽어야만 했던 이유는, 나 (다자이) 에게도 자세히는 모르지만, 아무튼 그 여자는 그날 밤 타마가와 죠스이(玉川上水)에 뛰어든다. 신문의 도쿄 교외판 구석에 작게 실린다. 신원 불명. 츠시마에게는 아무런 죄도 없다. 퇴근해야 하는 시간에 퇴근한 것이다. 츠시마는 전혀 그 여자에 대해 기억하고 있지 않다. 그리고 여전히 방긋방긋 웃으며 가정의 행복을 위해 최선을 다한다.


 대체적으로 이런 줄거리의 단편소설을 나는 병을 앓으며 잠을 청하지 못한 채 상상해보았으나, 생각해보면 이 주인공인 츠시마 슈지는 굳이 공무원이 아니라도 될 것 같다. 은행원이라도, 의사라도 괜찮을 듯싶다. 하지만 나로 하여금 이 소설을 떠오르게 만든 건 그 관리의 징그러운 웃음이다. 그 징그러운 웃음의 근원지는 어디일까. 이른바 '관료의 악'의 핵심은 무엇일까. 이른바 '관료적'이라는 기풍의 원인은 어디인가. 나는 그것을 짚어가며 가정의 에고이즘이라고도 할 수 있는 음울한 관념에 부딪혀, 그리하여 결국 다음과 같은 무서운 결론을 얻은 것이다.


 결론인 즉, 가정의 행복은 모든 악의 근원이다. 




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Posted by 문학관 관리인 위어조자(謂語助者)