어리석은 자의 복수(痴人の復讐)

고사카이 후보쿠 (小酒井 不木) (1925)

일본어 원문


 異常な怪奇と戦慄とを求めるために組織された「殺人倶楽部」の例会で、今夕は主として、「殺人方法」が話題となった。

 会員は男子十三人。名は「殺人倶楽部」でも、殺人を実行するのではなくて、殺人に関する自分の経験(若(も)しあれば)を話したり、センセーショナルな殺人事件に関する意見を交換したりするのが、この倶楽部の主なる目的である。

「絶対に処罰されない殺人の最も理想的な方法は何でしょうか?」と会員Aが言うと、

「それは殺そうと思う人間に自殺させることだと思います」と会員Bは即座に答えた。

「然(しか)し、自殺するような事情を作ることは非常に困難でしょう」とA。

「困難ですけれど、何事に依らず腕次第だと思います」とB。

「そうです、そうです」と、その時、中央のテーブルに置かれた古風な洋燈(ランプ)の灯(あかり)がかすかに揺れたほどの大声で、隅の方から叫んだものがあるので、会員は一斉にその方をながめた。それは年に似合わず頭のつるりと禿げたC眼科医で、彼は勢い自分の言葉を裏書するような話をしなければならなくなった。

 で、C眼科医は小咳を一つして、コーヒーのカップを傾け、ぽつり/\語りはじめた。


 私は今から十五年程前、T医学専門学校の眼科教室に助手を勤めたことがあります。自分で自分のことを言うのも変ですが、生来(うまれつき)、頭脳(あたま)はそんなに悪いとは思いませんけれど、至(いた)って挙動が鈍く手先が不器用ですから、小学校時代には「のろま」中学校時代には「愚図(ぐず)」という月並な綺名(あだな)を貰いました。然(しか)し私は、寧(むし)ろ病的といってよい程復讐心の強い性質でしたから、人が私を「のろま」とか「愚図」とか言いますと、必ずそのものに対して復讐することを忘れなかったのです。復讐と言っても侮辱を受けたその場で拳を振り上げたり、荒い言葉を使ったりするのではなく、その時は黙って、寧(むし)ろにや/\笑って置いて、それから一日か二日、時には一週間、或(あるい)は一ヶ月、いや、どうかすると一年もかゝって適当なチャンスを見つけ、最も小気味よい方法で復讐を遂げるのが常でした。これから御話(おはな)しするのもその一例であります。

 T医学専門学校を卒業すると、私はすぐ眼科教室にはいりました。学校を卒業しても、相も変らぬ「のろま」でしたから性急(せっかち)な主任のS教諭は、私の遣り方を見て、他の助手や看護婦の前をも憚からず Stumpf(スツンプ), Dumm(ドウンム), Faul(ファウル) などと私を罵りました。いずれも「鈍い」とか「馬鹿」とか「どじ」とかを意味する独逸(ドイツ)語の形容詞なんです。私は心に復讐を期し乍(なが)らも、例のごとく唯々黙々(いゝもく/\)として働きましたので、後にはS教諭は私を叱ることに一種の興味を覚えたらしく、日に日に猛烈にこれ等(ら)の言葉を浴せかけました。然(しか)し、教諭Sは責任感の極(きわ)めて強い人で、助手の失敗は自分が責任を持たねばならぬと常に語って居(い)たほどですから、私を罵り乍(なが)らも、一方に於て私を指導することをおろそかにしませんでした。従って私の腕も相当進歩はしましたが、私の動作は依然として緩慢でしたから、教諭の嘲罵(ちょうば)はます/\その度を増して行きました。

 S教諭の私に対するこの態度は、自然他の助手連中や看護婦にも伝染して、彼等も私を「痴人」扱いにしてしまいました。後には入院患者までが私を馬鹿にしました。私はやはり、黙々(もく/\)として、心の中で「今に見ろ」という覚悟で暮しましたが、復讐すべき人間があまりに多くなってしまいには誰を槍玉にあげてよいか迷うようになりました。それ故私は、なるべく早くチャンスを見つけて最も激烈な手段で、凡(すべ)ての敵に対する復讐心を一時に満足せしむるような計画を建てるべく心がけるに至りました。

 そうしたところへ、ある日一人の若い女患者が入院しました。彼女は某劇場の女優で、非常にヒステリックな面長の美人でした。半年程前から右の顔面が痛み、時々、悪心嘔吐(おしんおうど)に悩んだが、最近に至って右眼の視力が劣え、ことに二三日前から、右眼が激烈に痛み出して、同時に急に視力が減退したので外来診察所を訪ねたのでした。そこで「緑内障」の疑(うたがい)ありとして、入院治療を勧められ私がその受持となったのであります。

 諸君は御承知かも知れませんが、緑内障にかゝった眼は、外見上は健康な眼と区別することが出来ません。この病(やまい)は俗に「石そこひ」と申しまして、眼球の内圧の亢進によるのですから、眼球は硬くなりますが、眼底の検査をして、視神経が眼球を貫いて居る乳頭と称する部分が陥凹(かんおう)して居るのを見なければ、客観的に診断を下すことが出来ません。然し診断は比較的容易につきますけれど、内圧の亢進する原因はまだ明かにされて居らないのです。日本でも、西洋でも、むかしこの病は「不治」と見做(みな)され、天刑病の一種として医治の範囲外に置かれました。近頃では、初期の緑内障ならば、手術その他の方法で、ある程度まで治療することが出来ますが、重症ならば勿論失明の外はありません。ことに疼痛が甚だしいために、それを除くには眼球を剔出(てきしゅつ)すること、即ち俗な言葉でいえば眼球(めだま)をくり抜いて取ることが最上の方法とされて居ります。なお又、炎症性の緑内障ですと、片眼(へんがん)に起った緑内障は交換性眼炎と称して、間もなく健眼(けんがん)に移りますから、健眼を助けるための応急手段として、患眼(かんがん)の剔出を行うことになって居ります。従って、緑内障の手術には、眼球剔出法が、最も屡(しばし)ば応用されるものであります。

 さて、私は、外来診察所から廻されて来た件(くだん)の女患者に病室を与え、附添の看護婦を選定した後、視力検査を行い、次に眼底検査を行うために彼女を暗室に連れて行きました。暗室は文字通り、四方の壁を真黒に塗って蜘蛛の巣ほどの光線をも透さぬように作られた室(へや)ですから、馴れた私たちがはいっても息づまるように感じます。況(いわん)やヒステリックな女にとっては堪えられぬほどのいら/\した気持を起させただろうと思います。私は瓦斯(ガス)ランプに火を点じて検眼鏡を取り出し、患者と差向いで、その両眼を検査致(いた)しましたところが、例の通り私の検査が至って手遅(のろ)いので、彼女は三叉(さんさ)神経痛の発作も加わったと見え、猛烈に顔をしかめましたが、私はそれにも拘(かゝわ)らず泰然自若として検眼して居ましたから、遂に我慢がしきれなくなったと見えて、「まあ、随分のろいですこと」と、かん高い声で申しました。

 この一言は甚だしく私の胸にこたえました。そして、彼女の傲慢な態度を見て、これまで感じたことのないほど深い復讐の念に燃えました。前にも申しましたとおり、私の復讐は、いつも一定の時日を経て、チャンスを待って行われるのでしたが、その時ばかりは前例を破って、思わずも、傍(そば)に置かれてあった散瞳薬(さんどうやく)の瓶を取り上げ、患者の両眼に、二三滴ずつ、アトロピンを点じたのであります。通常眼底を検査するには、便宜をはかるために散瞳薬によって瞳孔を散大せしめることになって居りますが、アトロピンは眼球の内圧を高める性質があるので、これを緑内障にかゝった眼に点ずることは絶対に禁じられて居るのであります。然し、その時一つは、眼底が見にくゝていら/\したのと、今一つには患者の言葉がひどく胸にこたえたので、私は敢てその禁を犯しました。アトロピン点眼の後、更に私が彼女の眼に検眼鏡をかざしますと、彼女は又もや「そんなことで眼底がわかりますか」と、毒づきました。私は眼のくらむ程かっと逆上しましたが「今に見ろ」と心の中で呟いて、何も言わずに検眼を終りました、視力検査の結果は、まがいもなく、緑内障の可なり進んだ時期のものでしたが、別に眼球剔出法を施さないでも、他の小手術でなおるだろうと思いましたので、そのことをS教諭に告げて置きました。

 ところが、私の予想は全くはずれたのです。その夜はちょうど私の当直番でしたが、夜半に看護婦があわたゞしく起しに来ましたので、駈けつけて見ると、彼女はベッドの上に、のた打ちまわって、悲鳴をあげ乍(なが)ら苦しんで居(い)ました。私は直ちに病気が重(おも)ったことを察しました。或(あるい)はアトロピンを点眼したのがその原因となったかも知れません。はっと思うと同時に、心の底から痛快の念がむら/\と湧き出ました。取りあえず鎮痛剤としてモルヒネを注射して置きましたが、あくる日、S教諭が診察すると、右眼の視力は全々(ぜん/\)なくなってしまい、左の方もかすかな痛みがあって、視力に変りないけれど、至急に右眼を剔出しなければ両眼の明を失うと患者に宣告したのであります。そうしてその時S教諭は患者の目の前で、これ程の容体になるのを何故昨日告げなかったかと、例の如く、Stumpf(スツンプ), Dumm(ドウン) を繰返して私を責めました。

 S教諭が患眼剔出を宣告したとき、私は彼女が一眼をくり抜かれると思って痛快の念で息づまる程でしたが、S教諭のこの態度は、その痛快の念を打消してしまうほど大きなショックを私に与えました。その時こそは、S教諭に対してはかり知れぬ程の憎悪を感じました。私は顫(ふる)える身体を無理に押えつけて、じっと辛抱しながら、S教諭に対して復讐するのは、この時だと思いました。美貌を誇り、それを売り物として居る女優が一眼をくり抜かれることは彼女にとっては死よりもつらいにちがいない。若(も)し、私の点眼したアトロピンが直接の原因となったとしたならば、私は立派な復讐を遂げたことになる。と、こう考えて見ても私はどうもそれだけでは満足出来なかったのです。彼女に対してもっと/\深刻な復讐を遂げ、その上教諭に対しても思う存分復讐したいと思いました。それにはこの又とないチャンスを利用するに限ると私は考えたのであります。

 患者が眼球剔出ときいて如何(いか)にそれに反対したかは諸君の想像に任せます。然し、S教諭は捨てて置けば両眼を失うということ、巧みに義眼を嵌(は)めれば、普通の眼と殆ど見分けがつかぬことなどを懇々(こん/\)説諭(せつゆ)して、なおその言葉を証拠立てるために、義眼を入れた患者を数人、患者の前に連れて来て示したので、やっと患者は納得するに至りました。

 女子の眼球剔出の手術は、通常全身麻酔で行うことになって居ります。私は即ち、その麻酔を利用して、S教諭に対する復讐を遂げようと決心しました。御承知の通り、全身麻酔にはクロヽフォルムとエーテルの混合液が使用されますが、私はそれをクロヽフォルムだけにしたならば、ヒステリックな患者はことによると手術中に死ぬかも知れぬと思いました。助手の失敗は教諭の失敗でありますから、責任感の強いS教諭は、ことによると引責辞職をするか、或は自殺をも仕兼(しか)ねないだろうと考えたのです。諸君! 諸君は定めし「なるほど、痴人にふさわしい計画だな」と心の中で笑われることでしょう。然し何事もチャンスによってきまるのですから、これによって、意外に満足な結果を得ないとも限らぬと私は思いました。

 さて、患者が承諾をすると、私は時を移さず手術の準備を致しました。眼科の手術は外科の手術とちがって極めて簡単です。いつも教諭と助手と看護婦の三人で行われます。S教諭は腕の達者な人ですから、碌(ろく)に手も洗わないで手術をする癖です。私は先ず患者を手術台に仰向きに横(よこた)わらせ、側面に立って麻酔剤をかけました。無論、クロヽフォルムだけを用いました。マスクの上から大量に滴(た)らしますと、患者は間もなく深い麻酔に陥ったので、看護婦に命じて隣室の教諭を呼ばせ、その間に私は一方の眼をガーゼで蔽い手術を受ける方の眼をさらけ出して教諭を待ちました。

 やがてS教諭は患者の頭部の後ろに立って手術刀を握りました、いつも手術中には、私に向って必ず、例の独逸(ドイツ)語の罵言を浴せかけますが、その日は、私がクロヽフォルムの方に気を取られて居て、余計に愚図々々しましたので、一層はげしく罵りました。罵り乍らも教諭は鮮かに眼球を剔出して、手早く手術を終って去りました。くり抜かれて、ガーゼの上に置かれた眼は健眼と変りなく何となく私を睨んで居るようでしたから、一瞬間ぎょッと致しました。で、私はピンセットにはさみ、いち早く看護婦の差出した、固定液入りの瓶にポンと投じて持ち去らせ、それから繃帯にとりかゝりました。通常一眼を剔出しても、健眼に対する刺戟を避けるために、両眼を繃帯し、二日後にはじめて健眼をさらけ出すことになって居りますので、私は、患者の眼の前から後頭部にかけ房々とした黒髪を包んで、ぐる/\繃帯を致しました。それが済むと、まだ麻酔から覚めぬ患者を病室へ運び去らせて跡片附を致しましたが、私は予期した結果の起らなかったことに、非常な失望を感じました。諸君は私の計画がやっぱり痴人の計画に終ったと思われるでしょうが、その時私はまだ/\一縷の望を持って居たのです。というのは、彼女の残された健眼も、ことによると緑内障に冒されるかも知れぬと期待して居たからであります。

 果して、私の期待したことが起りました。患者は手術後、程なく無事に麻酔から覚めて、元気を恢復し、その日は別に変ったことはなかったですが、翌日から左眼に痛みを覚えると言い出したのであります。剔出した右の眼のあとが痛むのは当然ですが、左の眼の痛むのは緑内障が起りかけたのだろうと考えて、私は心の中で、うれしそうに、チャンスだ、チャンスだと叫びました。

 然し、S教諭に対する復讐は? 諸君、若し、左の眼も緑内障にかゝったならば、もう一度眼球剔出の手術があるべき筈です、私は其処に希望をつなぎました。何事もチャンスですよ、諸君!

 愈(いよい)よ三日目になって繃帯を取ることになりました。私はその日をどんなに待ったことか、繃帯を取り除いて若し残った眼が見えないようだったら、それこそ立派な緑内障の証拠で、患者に対する復讐心が一層満足させられるばかりでなく、教諭に対する復讐のチャンスも得られる訳ですもの。

 その朝、私はS教諭に向って、患者の健眼が痛み出した旨(むね)を告げました。すると、教諭は顔を曇らせて、

「またやられたのかな」と言いましたが、その日は何となく沈んだ顔をして居たので、私を罵りませんでした。

 やがて私は他の助手や看護婦たちと共に、教諭に従って患者の室に行きました。患者は以外に元気で、早く繃帯を取ってくれとせがみました。私は患者をベッドの上に起き直らせ、亢奮のために顫える手をもって、繃帯を外(はず)しにかゝりました。

「繃帯を取ってから、少しの間はまばゆいですよ」とS教諭は患者に注意しました。

 さて、繃帯を取り終ると、申す迄もなく剔出した方の眼にはヨードフォルムガーゼが詰められてありまして、美しい容貌も惨憺たるものでした。患者は、さらけ出された方の眼でジッと前方を見つめ、一つ二つ瞬きをして何思ったかにっこり笑って言いました。「S先生冗談なすっちゃいけません。早く暗室から出して下さい」

 この意外な言葉をきいて、並居る一同は、はっとして顔を見合せました。恐しい予感のために誰一人口をきゝません。私は心の中で、愈よ私のチャンスが来たなと思い、どうした訳かぞっとしました。患者は果して眼が見えなかったのです。

 すると患者は首を傾け、その白い両手を徐々に上げ、軽く水泳ぎをするときのような動作をして頬から眼の方へ持って行きましたが、その時、世にも恐しい悲鳴をあげました。

「あっ……わっ……先生!……先生は……、右と左を間違えて、見える方の眼をくり抜きましたねッ!……」


 C眼科医はこゝで暫く言葉を切った。室内には一種の鬼気が漲(みなぎ)った。


 諸君、実に、いや、実は、患者の患眼はそのまゝになって、健眼がくり抜かれて居たのであります……この恐しい誤謬がもとで、責任感の強いS教諭は、二日の後自殺しましたよ……諸君、S教諭の誤謬は、もはや御察しのことゝ思うが復讐心にもゆる私の極めて簡単なトリックの結果でした。即ち患者に麻酔をかけた後、看護婦が教諭を呼びに行った留守の間に、患眼にガーゼをかぶせて健眼をさらけ出して置いたのに過ぎません。これが私の所謂(いわゆる)チャンスです。どうです諸君、一石にして二鳥、痴人としては先ず上出来な復讐ではありませんか。



Posted by 문학관 관리인 위어조자(謂語助者)

어리석은 자의 독(愚人の毒)

고사카이 후보쿠 (小酒井 不木) (1925)

일본어 원문


       1


 ここは××署の訊問室(じんもんしつ)である。

 生ぬるい風が思い出したように、街路の塵埃(ほこり)を運び込むほかには、開け放たれた窓の効能の少しもあらわれぬ真夏の午後である。いまにも、柱時計が止まりはしないかと思われる暑さをものともせず、三人の洋服を着た紳士が一つの机の片側に並んで、ときどき扇を使いながら、やがて入ってくるはずの人を待っていた。

 向かっていちばん左に陣取った三人のうちいちばん若いのが津村(つむら)検事で、額が広く目が鋭く髭(ひげ)がない。中央の白髪交じりの頭が藤井(ふじい)署長、署長の右に禿(は)げた頭を金縁眼鏡と頬髯(ほおひげ)とで締め括(くく)ってゆったりと腰かけているのが、法医学者として名高いT大学医学部教授片田(かただ)博士である。職務とは言いながら、片肌脱ぎたいくらいな暑さを我慢して滲(にじ)み出る汗をハンカチに吸いとらせている姿を見たならばだれでも冗談でなしに、お役目ご苦労と言いたくなる。

 三人はいま、ある事件の捜査のために、有力な証人として召喚した人の来るのを待っているのである。厳密に言えば、その事件の捜査の首脳者である津村検事は、召喚した証人の訊問に立ち会ってもらうために、藤井署長と片田博士に列席してもらったのである。その証人は検事にとってはよほど重大な人であると見え、彼の顔面の筋肉がすこぶる緊張して見えた。ときどき頬のあたりがぴくりぴくりと波打つのも、おそらく気温上昇のためばかりではないであろう。訊問ということを一つの芸術と心得ている津村検事は、ちょうど芸術家が、その制作に着手するときのような昂奮(こうふん)を感じているらしいのである。これに反して、藤井署長は年齢のせいか、あるいはまた年齢と正比例をなす経験のせいか、いっこう昂奮した様子も見えず、ただその白い官服のみがいやにきらきらとしているだけである。まして、科学者である片田博士のでっぷりした顔には、いつもは愛嬌(あいきょう)が漲(みなぎ)っているに拘(かか)わらず、かような場所では底知れぬといってもよいような、沈着の不気味さが漂っているのであった。

 柱時計が二時を報ずると、背広の夏服を着た青年紳士が一人の刑事に案内されて入ってきた。右の手に黒革の折鞄(おりかばん)、俗にいわゆる往診鞄を携えているのは、言わずと知れたお医者さんである。人間の弱点を取り扱う商売であるだけに、探偵小説の中にまで“さん”の字をつけて呼ばれるのである。が、この人すこぶる現代的で、かような場所に馴(な)れているのか、往診鞄を投げるようにして机の下に置き、いたって軽々しい態度で三人に挨拶(あいさつ)をしたところを見ると、もう“さん”の字をつけることはやめにしたほうがよかろう。

「山本(やまもと)さん、さあ、そちらへおかけください」

 と、検事はいつの間にか昂奮を静めて[#「静めて」は底本では「靜めて」]、にこにこしながら医師に向かって言った。

「この暑いのにご出頭を願ったのは申すまでもなく、奥田(おくだ)さんの事件について、あなたが生前故人を診察なさった関係上、二、三お訊(たず)ねしたいことがあるからです。この事件は意外に複雑しているようですから、死体の解剖をしてくださった片田博士と、なお、捜査本部の藤井署長にも、こうしてお立ち会いを願いました」

 こう言って津村検事は、相手の顔をぎろりと眺めた。この“ぎろり”は津村検事に特有なもので、かつてこの“ぎろり”のために、ある博徒の親分がその犯罪を何もかも白状してしまったといわれているほどの曰(いわ)くつきのものである。彼はのちに、おらアあの目が怖かったんだよ、と乾分(こぶん)に向かって懺悔(ざんげ)したそうである。しかし、この“ぎろり”も、山本医師に対しては少しの効果もなかったと見え、

「何でもお答えします」

 という、いたって軽快な返答を得ただけであった。

 その時、給仕が冷たいお茶をコップに運んできたので、検事は対座している山本医師に勧め、自分も一口ぐっと飲んで、さらに言葉を続けた。

「まず順序として、簡単にこの事件の顛末(てんまつ)を申し上げます。

 S区R町十三番地居住の奥田とめという本年五十五歳の未亡人が、去る七月二十三日に突然不思議な病気に罹(かか)りました。午前一時ごろ、急に身震いするような悪寒が始まったかと思うと、高熱を発すると同時に、はげしい嘔吐(おうと)を催しました。まるで食中(しょくあた)りのようでしたので、たぶん暑気にでも当てられたのであろうと思って、その日は医師を招かないのでしたが、夕方になってさいわいに嘔吐もなくなり熱も去って、翌日は何の異常もなく過ぎました。

 ところが、さらにその翌日、すなわち七月二十五日にやはり先日と同じような症状が始まり、あまりに嘔吐がはげしくて一時人事不省のような状態に陥ったので、令嬢のきよ子さんは慌てて女中を走らせ、かかりつけの医師山本氏、すなわちあなたの診察を乞(こ)うたのでした。その結果、おそらく食物の中毒だろうという診断で、頓服薬(とんぷくやく)をお与えになりますとその効があらわれて、夕方になると嘔吐は治まり、熱も去って患者は非常に楽になり、その翌日は何のことなく過ぎたのであります。

 するとまたその翌日、七月二十七日に、やはり前回と同じ時刻に同じような症状が始まり、嘔吐ばかりでなく下痢をも伴い、患者は苦痛のあまり昏睡(こんすい)に陥りました。急報によって駆けつけたあなたは、患者の容体のただならぬのを見て、初めて尋常の中毒とは違ったものであろうとお気づきになりました。で、あなたは令嬢に向かって、周囲の事情をお訊(き)きになりました。

 その時、令嬢の話した事情というのが、あなたの疑惑をいっそう深めたのでした。しかし、その事情を述べる前に、わたしは奥田一家の人々について申し上げなければなりません。主人はもと逓信省の官吏を務めていたのですが、いまから十五年前に相当の財産を残して死去し、男勝りの未亡人は三人の子を育てて、他人に後ろ指一本指されないでいままで暮らしてきました。長男を健吉(けんきち)、二男を保一(やすいち)、その妹がきよ子さんですが、長男の健吉くん一人は未亡人にとって義理の仲なのであります。義理の仲といっても、主人の先妻の子というのではありません。奥田氏夫妻は主人が四十歳を過ぎ、夫人が三十歳を越し、結婚後十年を経ても子がなかったので、遠縁に当たる孤児の健吉くんをその三歳のときに養子として入籍せしめて育てたのであります。ところが皮肉なことに、健吉くんを養子とした翌年、夫人が妊娠して保一くんを産み、さらにその二年後きよ子嬢を産みました。こうしたことは世間にしばしばあることで、かかる際、義理の子はいわば夫婦に子福を与えた福の神として尊敬されるのが世間の習いですが、奥田家においても、健吉くんは実子ができてのちも、同じ腹から出た総領のように夫妻から愛されて成長しました。ことに健吉くんは性質が温良でしたので、主人奥田氏の気に入って氏が逝去の際も、三人の子がみな若かったから財産はいったん夫人に譲ることにしたものの、行く行くは家督を健吉くんに譲るように、くれぐれも遺言していったということです。

 爾来(じらい)十五年間、三人の兄妹は勝ち気な未亡人の手によって、ことし健吉くんが二十七歳、保一くんが二十四歳、きよ子嬢が二十二歳になるまで無事に育て上げられました。ところが、いかに勝ち気の未亡人でも人間の性質というものはいかんともすることができなかったと見え、二男の保一くんは兄とはすこぶる違って、いわば不良性を帯びてきたのであります。健吉くんは大学を卒業してから、デパートメント・ストアで名高いM呉服店の会計課に勤めることになりましたが、保一くんは大学を中途にて退学し、放蕩(ほうとう)に身を持ち崩しました。

 未亡人は保一くんがかわいかったため、金銭上のことはずいぶんやかましい人であったけれど、保一くんのためにかなりの金額を支出してやりました。しかし昨年の春、保一くんが某所の遊女を身請けしようとしたときには、長男の手前もあったであろうが徹底的に怒って、昔のいわゆる勘当をすると言い出しましたけれど、なんと言われても保一くんは初志を貫徹しようとしましたので、健吉くんが仲に入ってその遊女を身請けさせ、一方、未亡人の意志を尊重するためひとまずY区に別居させて売薬店を開かせ、当分出入りを禁じたのであります。ところが、未亡人は勝ち気な人であるだけ一面はなはだ頑固であって、保一くんが請け出した女と手を切らぬ間は決してふたたび会わないと言って、健吉くんやきよ子嬢が何度頼んでもどうしても聞き入れず、ついに今回の悲劇が起こるまで勘当の状態が続いたのでした。

 さて、話はここで健吉くんのことに移らねばなりません。健吉くんは保一くんと違って素行がきわめて正しかったのですが、最近Mデパートメント・ストアに勤めている、ある美しい女店員と恋に陥りました。間もなく二人の恋は白熱しました。とうとう健吉くんは去る七月十五日に、未亡人に向かって恋人を妻に迎えたいと告げたのであります。

 ところがです。未亡人はどうつむじを曲げたものか、非常に憤慨しました。あるいは未亡人に無断で恋人を作ったのが気に入らなかったのか、あるいはデパートの店員を嫁にするということが不服であったのか、あるいはまた、信用していた兄まで弟と同じようなことをするということに腹を立てたのか、もし、その女を家(うち)に引き入れるなら、わたしときよ子とは別居する。そうして、家督はきよ子に養子を迎えて、その男に譲ると宣告したのだそうであります。

 これを聞いて、健吉くんは奈落(ならく)の底へ突き落とされたように驚きかつ悲しみました。きよ子さんの話によると、兄さんはそれ以後、まるで別人のようになったのだそうです。たえず考え込んでいて、母親にも妹にもろくに口も利かなかったそうです。ときにはまるで精神病者のようにぶつぶつ独り言を言うこともあったそうです。

 すると二十三日に、未亡人に奇怪な病気が起こりました。M呉服店では七月が決算期で、会計係は七月二十一日から三十一日まで、一日交替で宿直をして事務を整理する習慣になっております。健吉くんは七月二十一日が宿直の晩で、二十二日に帰宅し、二十三日の朝出かけてその晩宿直し、二十四日に帰宅して、二十五日の朝出勤するという有様でしたが、不思議にも未亡人の病気は健吉くんの休みの日に起こらないで、宿直の日の、ことに健吉くんが出かけて二時間ほど過ぎたころに起こったのであります。

 きよ子嬢はいつも兄さんの留守に母親が苦しむので、少なからず狼狽(ろうばい)したのですが、兄さんは非常に多忙な身体(からだ)であるから宿直の日に呼び戻すわけにいかず、しかも兄さんが休みの日は意地悪くも病気が起こらないで、兄さんに母親の苦しんだ模様を告げても本当にせず、このころから母親とはあまり口を利かなかったので、しみじみ母親に見舞いの言葉さえかけぬくらいでした。

 山本さん、未亡人の三度めの発病の際あなたが令嬢からお聞きになった事情というのが、すなわち、このことだったのです。あなたはこれを聞くなり、意味ありげな笑いを浮かべて、じっと考え込みました」


       2


「さて」

 と、検事はさらに続けた。

「未亡人の三回め、すなわち七月二十七日の発病もあなたの適当な処置によって無事に治まり、その翌日はなんともありませんでした。あなたは二十九日の発病を防ぐために、一包みの散薬を与えて、午前十時ごろ飲むようにと、その朝わざわざ書生を奥田家に遣わしになりました。ところがその散薬の効が薄かったのか、未亡人はやはり十一時ごろになると悪寒を催し、次いで発熱して例のごとくはげしい嘔吐に苦しみました。そこで午後二時ごろ、令嬢はあなたを迎えにやりましたが、その日、あなたは早朝与えた散薬のために決して症状が起こるまいと確信しておられたのか、家人に行き先も告げないでどこかへ行っておられました。そこで令嬢は慌てて他の医師を迎えようとしましたが、その時未亡人の容体が急変して、午後三時半、ついに未亡人は絶命したのであります。未亡人はかなりに太った体質の人でしたから、心臓があまりに強くなかったのか、あるいは中毒の原因が強く働いたのか、前三回の病気には堪え得たのに、四回めにはとうとう堪えることができなかったのです。

 令嬢は二十七日に、あなたが意味ありげな笑いをなさったのを見て、もしや兄が……という疑いが閃(ひらめ)いたものでしたから、その晩詳しい事情を二番めの兄、すなわち保一くんのところへ書き送りました。で、保一くんは二十九日には母に内緒に訪ねてきて、健吉くんが出かけるところを見届けてから奥田家に忍び入って、きよ子嬢の取り計らいで、あの暑さに押入れの中に入って隠れていました。未亡人が発病するなり、飛んで出て看護しましたが、さすがの未亡人も怒るどころか、むしろ感謝している様子がありありと見えたそうです。そうして、保一くんは悲しくも未亡人の死に目に遭ったのでした。

 きよ子嬢と保一くんが死体に取りすがって泣いているとき、あなたはひょっこり奥田家を訪れました。そうして未亡人の死を聞いて非常に驚き、亜砒酸(あひさん)の中毒ですよと大声でお言いになりました。それから死体をちょっと診て、すぐさま家に帰り、死亡診断書をお書きになりました。病名のところに明らかに亜砒酸中毒としてありますので、それが当然警察の活動を促し、ついに未亡人の死体は解剖されることになり、前後の事情から、健吉くんは真っ先に拘引されて取調べを受けることになりました。どうです。わたしがいままで述べてきたことは間違いがございましょうか」

 こう言って津村検事はハンカチで額を一撫(ひとな)でして、ちょっと署長のほうを振り返り、次に山本医師の顔を眺めた。両者とも異議がなかったと見え、ただ肯定的にうなずくだけであった。訊問室はしばらくの間しーんとして、蝉(せみ)の声がキニーネを飲んだときの耳鳴りを思わせるように響いてきた。

「ところで」

 と、検事は二、三回ばたばたと扇を使い、ぱちりとすぼめて言葉を続けた。

「健吉くんを取り調べましたところが、母に亜砒酸を与えた覚えは断じてないと申しました。もとよりそれは当然のことで、健吉くんがすぐ白状してしまったら、事件はすこぶる簡単で、こうしてあなたにまでこの暑さの中を来ていただく必要もないはずです。そこでわたしたちは、まず順序として、健吉くんがはたして未亡人に毒を与えたかどうかを検(しら)ベねばならぬことになりました。

 さて、殺人についてわたしたちの第一に考えることは殺人の動機であります。そうして、健吉くんの場合について考えてみますに、健吉くんには母親を亡きものにしたいという心の発生を充分に認め得る事情がありました。健吉くんが未亡人と生(な)さぬ仲であること、熱烈に恋する女との結婚をきっぱり拒絶されたということは、立派に殺人の動機とすることができます。令嬢の話によると、母に拒絶されたのちはまるで別人のようになり、発狂でもしはすまいかと思われたというほど心に強い打撃を受けたのですから、これまでいたって親孝行であった健吉くんでも精神に多少の異常を来せば、恐ろしい計画を抱いたとしてもあながち奇怪ではありません。

 しかし、健吉くんは猛烈に殺人を否定しております。そこでわたしは、健吉くんの殺人の動機となった間接の原因、すなわち健吉くんの恋人なるM呉服店員に事情を訊ねました。その店員は大島栄子(おおしまえいこ)といっていたって内気な色の白い丸顔の人でした。なんでも以前、S病院の看護婦をしていたそうですが、美貌(びぼう)のために医員たちがうるさく騒ぎ寄るので、職業を変更してデパートに勤務することにしたのだそうです。S病院といえば山本さん、あなたもご開業になる前にそこで医員をなさっておられたそうですね。……余談はさておき、その大島栄子さんから聞いてみますと、健吉くんは母の拒絶したことを告げて非常に悲しみ、大恩ある母の意志に背くことは自分にはできない。生さぬ仲のことであるからなおさら忍ばねばならない、いっそ一緒に死んでくれないかとまで言ったのだそうです。しかし、栄子さんは、いまわたしやあなたが死んではかえってお母さまに不幸になる、わたしはあなたと結婚ができなければ一生涯独身で暮らして、お友達として交際しますから、どうか短気なことは思い止(とど)まって、お母さまに孝行をしてあげてくださいと言ってなだめたそうです。すると健吉くんは、それならば自分も永久に独身で暮らそうと言って、情死のことはふっつりと断念したそうですが、そののちもやはり毎日浮かぬ顔をして、ときどき溜息(ためいき)を洩(も)らしていたということです。

 ところが、犯罪学的に考えてみますならば、自殺を思い止まった者が他殺を企てるということはきわめて自然な心の推移であります。栄子さんの忠告によっていったんは自殺の心を翻しても、心の打撃は容易に去るものではありません。さればこそ、ときどき溜息を洩らしたのであって、その溜息が凝って、ついに殺人という霧を心に降らしたのだと考えてもあえて差し支えはなかろうと思います。

 かくて、健吉くんの殺人の動機を充分に認めることには何人(なんぴと)も異議があるまいと思います。そこで次に起こる問題は、健吉くんがいかなる方法を用いて殺人を遂行しようとしたかということです。するとここに、健吉くんの殺人方法を推定せしめるに足るような事情が突発しました。それはすなわち、未亡人の不思議な発病であります。それは悪寒と発熱と嘔吐と下痢を主要な症候としておりまして、健吉くんが宿直の日に家を出かけると、必ずその二時間ほどあとから始まりました。このことが、三回めの発病の際あなたの注意を惹(ひ)いて、あなたは、もしや亜砒酸の中毒ではないかとお考えになりました。まったくわたしどものような医学に門外漢たる者が考えても、その疑いを抱くのは当然のことであります。嘔吐と下痢とは亜砒酸中毒の際の主要な症候であるそうですから、健吉くんがなんらかの方法によって未亡人の飲食物に亜砒酸を投じたであろうということは、これまた何人も異議のあるまいと思われる推論なのであります。

 さて、未亡人は前三回の発病からはさいわいに回復し、四回めの発病の際ついに絶命したのですから、この事実よりして、前三回に与えられた亜砒酸の量は致死量以下であったことを想像するに難くなく、殺人者の側からいえば、第一回に致死量を与えて突然絶命させては疑いを受ける虞があるから、まず三回だけ苦しませ、しかるのち致死量を与えて殺すというきわめて巧妙な方法を選んだと言わねばなりません。

 ところが、殺人者は非常な誤りをしたのであります。それは何であるかと言いますに、毒として亜砒酸を選んだことです。ここにおいでになる片田博士のお話によると、西洋では亜砒酸のことを“愚人の毒(フールスポイズン)”と呼ぶそうですが、それは、亜砒酸を毒殺に使用すれば、その症状によってきわめて気づかれやすいし、また死体解剖によって容易にその存在を発見されるから、愚人しか用いないという意味だそうであります。今回の事件においても、殺人者は愚かなことをしました。すなわち、亜砒酸を用いたためにあなたの疑いを起こしたのです。してみると、亜砒酸はこの場合においても愚人の毒たる名称を恥ずかしめなかったわけです。

 かくのごとく健吉くんに対する嫌疑は、動機の点から見てもその他の周囲の状況から見ても、だんだん深くなるばかりですが、しかし、単にこれだけの事情によって、健吉くんが母親殺しの犯人であると断定することは大昔ならいざ知らず、現代にあっては残念ながら不可能なのであります。すなわち、健吉くんが未亡人に亜砒酸を与えたという物的証拠が一つもないのであります。それがためわたしたちは、はたと行き詰まってしまいました。第一に健吉くんが亜砒酸を持っていたという証拠がありません。次に健吉くんが亜砒酸を何の中へ混ぜて母親に与えたかということが、いかに詳しく当時の事情を検べても少しもわかりません。たとえばお茶の中へ投じたとか、または夏のことですから飲料水の中に投じたとか、何か怪しむべさ事情があってもよいであろうに、令嬢に訊ねましても女中に訊ねましても、さっぱりわからないのであります。この事情が明らかにされて、しかもそれを裏書きするような物的証拠を得ない間は、健吉くんを犯人とすることはできません。それと同時に、わたしたちはたとい健吉くんに対する状況証拠がいろいろ集まっていても、物的証拠のない限りその物的証拠を捜すよりも、新しく事件を考え直したほうが得策だろうと思うに至りました。一般に現今の警察官にしろ司法官にしろ、物的証拠のない場合、先入見に支配されて物的証拠をどこまでも探し出そうとするために、色々の弊害を生じ、その間に犯人を逸してしまうようなことになりやすいのです。そこでわたしは健吉くんをひとまず事件から切り離してみたならば、どんなことを推定し得るかと思考を巡らしたのであります。

 健吉くんを事件から除いて考えるとき、まず未亡人が自殺するために亜砒酸を服用したのではないかと思われますが、その考えは言うまでもなく成立する余地がありません。未亡人には自殺すべき何らの事情もないし、また自殺するならば、わざわざ一日置きに四回も苦しむということは考えられません。精神異常者ならばともかく、さもない人がそうした死に方をするとは思われないのであります。

 そこで、未亡人の自殺が問題にならぬとすると、次に考うべきことは、未亡人の病気がはたして亜砒酸中毒であったかどうかという問題です。未亡人は前後四回同じ病気に襲われていますけれど、四回ともはたして同じ病因であったかどうかは容易に断ずることができないのであります。わたしのごとき素人にはわかりませんが、症状が酷似しても原因がまったく別な病気は沢山あるらしく思われます。そこでわたしたちは、ここにおいでになる片田博士にお願いして、亜砒酸中毒以外に何か未亡人の身体から別の病原を発見することができはしないかと思い、その方面の綿密な検査をしてもらったのであります。

 すると意外にも、片田博士は死体の血液検査の結果、血球の中にマラリアの原虫を発見なさったのであります」


       3


 検事は最後の言葉を一語一語はっきり言い放って、その言葉が相手にいかに反応するかをじっと見つめた。

 はたして強い反応があった。すなわち山本医師は、

「えっ? マラリア?」

 と、驚きの叫びを発して片田博士のほうを向き、本当ですかと言わんばかりの顔をした。

 博士はこの時、静かに口を開いた。

「そうです、明らかに三日熱の原虫を血球の中に発見しました。したがって、未亡人の死んだときにはマラリアの発作も合併しているわけですし、またそのことによって未亡人が一日置きに、しかも同じ時間に悪寒・発熱・嘔吐を起こしたことをよく了解することができます」

「けれど、嘔吐がマラリアのときに起こることは稀(まれ)ではありませんか」

 と、山本医師は反対した。

「いかにも稀ではあります。しかし、決してないことではありません」

 と、片田博士はにっこり笑って言った。

「ヒステリーの婦人がマラリアに罹ると、はげしい嘔吐を起こしたり人事不省に陥ったりしますから、いろいろの中毒と間違えられるのです」

「そこで」

 と、検事は二人の会話を横取りして言った。

「未亡人がマラリアに罹っていたとすれば、少なくとも四回の発病の際、四回ともマラリアが合併していたと考えてもよかろうと思います。いや、もう一歩進んで考えるならば、初め三回は単なるマラリアの発作で、四回めに亜砒酸中毒が合併したのではないかと思われるのであります。何となれば初め三回は首尾よく回復し、最後に絶命したからであります。で、実は、あなたは第二回からご診察なさったのですが、その際、病気は単なるマラリアの発作であったか、それとも亜砒酸の中毒症状も合併していたかをお訊ねしたいのであります」

 山本医師は非常に顔を紅(あか)くし、頸筋(くびすじ)の汗を唇を歪(ゆが)めて拭(ふ)きながら答えた。

「いや、お恥ずかしい話ですが、わたしが初めて診察したときはなんとも病名がわからず、その次、すなわち未亡人の三回めの発病のときもマラリアとは少しも気づかず、令嬢から事情を聞いて、もしや亜砒酸中毒ではないかと疑ったのです。いままで嘔吐や下痢を伴うマラリアの例には一度も接したことがないのでつい誤診しました。もしマラリアだとわかれば、ただちにキニーネを用いますから、未亡人の第三回の発作は起こらずに済んだはずです。したがって各々の発病の際、マラリアの発作だけであったか、または亜砒酸中毒が合併していたか、はっきりしたことは申し上げかねます」

「しかし、四回めが亜砒酸中毒だったことははっきりおわかりになりましたのですね?」

「それは、わたしが四回とも亜砒酸中毒だと思ったからでして、未亡人が死んだと聞いたとき、死因は亜砒酸中毒に違いないと判断したのです」

「けれど、あなたは四回めのときは診察なさいませんでしたでしょう?」

「急用ができて他行していたために、間に合いませんでした」

「だが、あなたは亜砒酸中毒の起こらぬようにといって、二十九日の朝、書生さんに一包みの薬を持たせてやられたのではありませんか」

「持たせてやりました。しかしそれは、単純な消化剤でして、亜砒酸中毒を防ぐ薬というものではありません。中毒のほうのことは令嬢にわたしの疑念を打ち明けて、それとなく注意しておきましたから、わたしは比較的安心して他行することができました。けれども、やはり気になったものですから、用事の済み次第奥田家を訪ねると、すでに死去されたあとでした」

 検事は山本医師の返答を聞いてしばらく考えていたが、やがて言った。

「よくわかりました。してみるとあなたも、亜砒酸中毒だということは、単なる想像によって判断されたのに過ぎないのですね? べつに患者の吐物を化学的に検査されたのではないのですね? そうですか。それではわたしもひとつ、わたしの想像をお話ししてみましょうか。すなわちわたしはこう想像したのです。初め三回は単なるマラリアの発作で、四回めのみが亜砒酸中毒を合併したのであると。わかりましたか。そうすると、だれかが初め三回の発作を利用し、四回めに亜砒酸を患者に与え毒殺し、罪を健吉くんに帰するように計画をしたのではないかという考えが浮かんできます。したがって、その人は健吉くんに恨みを抱いているか、または健吉くんを亡きものにして利益を得ようとする者でなくてはなりません。そこで当然考えられることは、二男の保一くんのその日の行動であります」

 さっきから検事の言葉を異様の緊張をもって聞いていたらしい山本医師は、この時、ほっと安心したような様子をした。

「すでに申し上げたとおり」

 と、検事は山本医師を流し目に見て言葉を続けた。

「二男の保一くんは久しく奥田家の出入りを禁じられていたのですが、令嬢からの手紙によって、兄の行動と母の病気とがなんとなく関係のあるらしいことを知り、二十九日の朝、兄が出かけたすぐあとへ忍び込んだのでした。その時、保一くんはどういう心をもって訪ねてきたのでしょうか。親子の愛情によって、母を保護するために来たのでしょうか。それとも他に目的があったのでしょうか。この点は非常にデリケートな問題です。母は保一くんが女と手を切らぬ間は決して家へ入れないとがんばっていました。保一くんは売薬店を開いていて、辛うじて生活していけるかいけぬの程度でありまして、ときどき兄の健吉くんに無心を言ったらしいですが、最近はかなりに困っていた様子です。そこへ妹さんから、母の病気と兄の行動について詳しい通知があったのです。俗に、“背に腹は代えられぬ”という言葉がありますが、保一くんが令嬢の手紙を読んだとき、そうした心にならなかったとだれが保証し得ましょう。すなわち母を亡きものにし、兄に毒殺の嫌疑をかけられれば保一くんは当然奥田家の財産を貰(もら)って、大手を振って歩くことができます。保一くんは幼時より不良性を帯びていました。そうして、最近は母を恨むべき境遇に置かれていました。兄とは義理の仲である。いや、たとい肉親の兄であっても、背に腹は代えられぬ。これはひとつこのまたとない機会を利用して、危険ではあるが一芝居打ってみようと考えつかなかったとはだれが保証し得ましょう。不良性を帯びた人は、悪を行う知恵は鋭敏に働くものです。ことに都合のよいことには、自分が売薬店を開いていることです。すなわち、亜砒酸は手もとにある。ただそれを利用すればよいのだ。こう考えて亜砒酸を携え、奥田家へやって来たのだと推定しても、あえて不合理ではないと思います」

 山本医師は検事の言葉に、つくづく感じ入った。想像とはいいながら、いかにも事実を言い当てているように思えたので、思わず賛嘆の微笑を洩らした。しかし検事は、山本医師の微笑をも知らぬ顔して、論述を進めた。

「しからば、保一くんはいかにしてその亜砒酸を母親に飲ませたでしょうか。そこが健吉くんの場合と等しく問題なのです。もちろん、保一くんも母の病気がマラリアであるとは知らず、兄の健吉くんが母親に毒を与えているものと信じていたのですが、いかなる方法で兄が母親に毒を飲ませているかは知らなかったのです。で、自分勝手な方法で機会をうかがって毒を投じようとしたのですが、ここに図らずも保一くんにとって非常に好都合な事情があったのです。それは何かと言うに、その朝あなたから、未亡人に十時ごろ飲ませるようにと言って、一包みの散薬が届いていることを令嬢から聞き出したのです。で、保一くんは令嬢に向かって、ちょっとその薬を見せなさいと言って取り寄せ、ひそかに携えてきた亜砒酸をその中へ混ぜたらしいのです。亜砒酸は白色で無味ですから、決して服用する人にはわかりません。

 さて、わたしは以上の話を単なる想像のように申しましたが、実は、かように想像すべき事情、いやむしろ証拠というべきものがあったのです。それは何かと言うに、あなたがその朝、書生さんに持たせてやられた薬剤の包み紙を片田博士に分析してもらった結果、明らかに亜砒酸の存在が認められたのであります」


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 この言葉を聞くなり、山本医師の身体はゴム毯(まり)のように椅子(いす)から跳ね上がった。そうして、何か言おうとしてもただ唇だけが波打つだけで、言葉は喉(のど)の奥につかえで出てこなかった。

「まあまあ」

 と、検事は手をもって制して言った。

「なにもそれほど驚きになることはありません。あなたがお入れになったとはわたしは申しませんでした。あなたが書生さんに持たせてやられた薬の中に亜砒酸があったとて、ただちにあなたがお入れになったということはできません。だからわたしはまず保一くんに嫌疑をかけてみたのです。そうしていま申し上げたようなことが行われたのだと推定したのです。しかし、嫌疑といえば、保一くんばかりでなく、健吉くんにも令嬢にも女中にも、一応かけてみなければなりません。さきにわたしは健吉くんのことをいったん切り離して考えるよう申しましたが、ここに至って、健吉くんをふたたび引き出してくるのは少しも差し支えないと思います。かりに未亡人の前三回の発病がマラリアであると想像して、健吉くんに無関係であるとしても、健吉くんもまたその事情を利用して毒を投じたと考えてもよい理由があるのであります。というと、前三回の発病でさえ健吉くんが疑われているのだから、四回めに毒を投じたならば当然健吉くんが犯人と睨(にら)まれるに決まっているから、まさかそんなことはすまいと思いになるでしょう。しかし健吉くん自身からいえば、前三回の発病には自分は無関係だから、四回めに毒を投じて他人に嫌疑をかけさせるように計画したと考えても差し支えありません。差し支えのないばかりか、そこに立派な理由があるのです。

 それは何であるかと言いますに、実は健吉くんの恋人なる大島栄子さんから聞いたことですが、健吉くんのほかにも栄子さんを恋している人があるのだそうです。だから、栄子さんとの結婚を母親から拒絶されて健吉くんが情死を迫ったのも、栄子さんを、そのいわば恋敵のために取られたくなかったためらしいのです、で栄子さんは、健吉くんと結婚ができなければ一生涯独身で暮らすと固く誓ったのだそうです。けれど、気の小さい健吉くんがなおも不安を感じたことを想像するに難くありません。したがって、健吉くんがその恋敵を除こうと企てたこともまた想像し得るところです。というと、健吉くんが母親に毒を与えてどうして恋敵を除き得るかという疑問が浮かぶはずですが、山本さん、あなたにはよくわかっているでしょう。あらためてお訊ねするのも変ですが、健吉くんの恋敵というのはあなただそうですねえ?

 いや、こんなことを訊ねてお顔を紅くさせては申し訳ありませんが、これも訊問の順序として致し方ありません。で、健吉くんがその朝、あなたのところから母親に薬の届いたのをさいわいに、その中へ亜砒酸を投じ、あたかもあなたが毒殺なさったように見せかけたと考えても、これまた決して不合理ではないと思います。

 さてこうなると、健吉くんが投じたのか保一くんが投じたのかさっぱりわからなくなってきました。薬包紙に残る指紋はもとより不完全なもので、だれのものともわからず、また、ある一定の人の指紋が現れたとしても、必ずしもその人が亜砒酸を投じたとは断定できません。同様に令嬢か女中か、あるいはまた、疑ってみればあなた自身がお入れになったのかもしれません。で、わたしはすっかり迷ってしまったので、この問題を解決してくださるのはあなたよりほかあるまいと思って来ていただいたわけなのです」

 検事は一息ついて、ぎろりと目を輝かして相手を見つめた。藤井署長も片田博士も、なんとなく緊張した様子であった。山本医師も少なからず緊張して見えたが、気温の高いのに似合わず顔の色が青かった。

「わたしに解決せよとおっしゃっても、解決のできる道理がありません」

 と、医師は細い声で言った。

「そうですか。わたしはまた、この事件の鍵(かぎ)を握っている人は、あなたよりほかにないと思うのです」

「なぜですか」

「なぜと言いますと、さっきも述べましたとおり、あなたが二十九日の朝書生に持たせてよこされた薬の中に亜砒酸があったとすると、その亜砒酸を投じた者は保一くんか健吉くんか、令嬢か女中か、あるいはあなたご自身か、さもなくばあなたの家の書生かでありますが、書生と女中と令嬢は問題外として、残るところは保一くんか健吉くんかあなたの三人であるからです。健吉くんと保一くんの事情は先刻申し上げたとおりですが、あなたについても健吉くんと同様なことが言い得るだろうと思います。すなわち、あなたにとって健吉くんは恋敵です。大島栄子さんの話によると、あなたがS病院においでになるとき、栄子さんに執拗(しつよう)に言い寄られたそうで、栄子さんはそれがうるさいために病院を辞してM呉服店に入ったのだそうです。してみれば、あなたは失恋の人であります。したがって、同じく恋敵同士でも、あなたが健吉くんを憎む程度は健吉くんがあなたを憎む程度よりも比較にならぬほど大きいのであります。で、あなたが令嬢から事情を聞いて、その好機会を利用なさったと考えることはまことに当然ではありませんか。あなたが未亡人の病気のマラリアであることにお気づきになったかどうかは、いまここで問わぬことにして、嘔吐と下痢のあることをさいわいに亜砒酸を利用しようと企てられたことは、もっとも自然な推定ではありませぬか。健吉くんも保一くんも医者ではありません。ですから、健吉くんと保一くんとあなたとの三人並べて、だれが這般(しゃはん)の事情を利用するにもっとも適しているかと問うならば、だれしもあなたであると答えるに違いありません。保一くんは売薬業を営んでいるから多少医学的知識があるとしても、あなたほど容易には考えつかぬと思います。古来毒殺は女子の一手販売であると考えられ、男子で毒殺を行う者は医師か薬剤師であると言われておりますから、この際にも医師たるあなたを考えるのは別に奇怪ではないと思います。保一くんは売薬業をしておりますから、亜砒酸を手に入れやすいとしても、保一くんにしろ健吉くんにしろ、亜砒酸を投ずる際にすこぶる大きな冒険をしなければなりません。ところがあなたはやすやすとして亜砒酸を投ずることができ、しかも命令的に飲ませることさえできる位置にいます。こう考えてくると、三人のうちあなたをもっとも有力な嫌疑者と認めることは大なる誤りではないと思います」

 山本医師の顔は土のように青褪(あおざ)め、額から汗がばらばら流れた。

「だってわたしが亜砒酸を混ぜたという証拠がないじゃありませんか。健吉くんや保一くんと同じ位置にいるだけじゃありませんか」

「ところがそうでないのです。あなたは二十九日に大変な間違いをやっています。問題の薬を書生に持たせてやって、あなた自身が患者に与えられなかったこともあるいは一つの手抜かりかもしれませんが、それよりも、もっと大きな手抜かりはあなたが奥田家を訪ねて、未亡人の死をお聞きになったとき、今朝持たせてよこした薬を患者は飲みましたかとお訊ねにならなかったことなのです。ところが、保一くんはあの朝、健吉くんの出たあとへ忍んできて、令嬢から十時ごろに飲むべき薬が届いていると聞き、もしや兄がその中へ薬を混ぜはしなかったかと疑って、その薬を母親に飲ませなかったのです。で、その薬はそのまま保存され、片田博士に分析してもらったところ〇・二グラムの亜砒酸、すなわち致死量の二倍の毒が存在しているとわかりました」

 これを聞くなり、山本医師は喉の奥から一種の唸(うな)り声を発した。

「だって、だって」

 と、山本医師は叫んだ。

「未亡人は亜砒酸中毒で死んだではありませんか」

「いかにも、あなたの死亡診断書には亜砒酸中毒が死因であると書かれてありました。ところが片田博士が死体を解剖なさった結果、亜砒酸の痕跡(こんせき)をも発見し得なかったので、博士は死因に疑いを抱いて、血液検査の結果マラリアの存在を発見し、四回もはげしい発作を起こしたため五回めに心臓が衰弱していたということがわかったのです。ですから、健吉くんも保一くんも、その他何人(なんぴと)も未亡人の死とは関係ありません」

 この時、山本医師は急に目を白黒させて、机の上にふらふらと俯(うつむ)きに上体を投げかけた。だから、検事の言った次の言葉がはたして聞こえたかどうかは疑問である。

「山本さん、わたしはあなたを奥田未亡人謀殺未遂として起訴します」

Posted by 문학관 관리인 위어조자(謂語助者)

어리석은 자의 복수(痴人の復讐)

고사카이 후보쿠 (小酒井 不木) (1925)

번역 : 홍성필


기이한 괴기와 전율을 찾아 조직된 ‘살인구락부’ 정기모임에서, 오늘 저녁은 주로 ‘살인방법’이 화제가 되었다.

회원은 남자 13명. 명칭은 ‘살인구락부’라도 살인을 실행하는 것이 아닌, 살인에 관한 자신의 경험(만약 있다면)을 이야기하거나 충격적인 살인사건에 관한 의견을 교환하는 것이 이 구락부의 주된 목적이다.

“절대로 처벌받지 않는 살인의 가장 이상적인 방법은 무엇일까요? 라고 회원 A가 말하자,

“그것은 죽이려고 하는 인간이 자살하도록 만드는 것이라고 생각합니다.” 라며 즉석에서 회원 A는 대답했다.

“하지만 자살할만한 사정을 만드는 일은 매우 어렵지 않을까요?” 라고 A.

“어렵지만 무엇보다 실력에 달렸겠지요.” 라며 B.

“그렇죠. 그렇고말고요.”라고 그 때 중앙 탁자에 놓인 고풍스러운 등불이 희미하게 흔들릴 만큼 큰 소리로 구석에서 소리친 이가 있었으니, 회원들은 모두 일제히 그쪽을 바라보았다. 그는 나이에 어울리지 않게 머리가 말끔히 벗어진 C안과의사로서, 그는 이제 자신의 주장을 뒷받침할 말을 하여야만 했다.

C안과의사는 작은 기침 하나를 하고 커피 잔을 기울이며 한 마디 한 마디 말을 꺼내기 시작했다.


저는 지금부터 15년 정도 전, T의학전문학교 안과교실에서 조수로 근무한 적이 있습니다. 제가 저 자신을 말하는 것도 이상하지만, 저는 선천적으로 머리는 그리 나쁘다고 생각하지는 않으나, 유독 거동이 느리고 손재주가 없기에, 초등학생시절에는 ‘느림보’, 중학교 때는 ‘얼간이’라는 흔한 별명을 갖곤 했습니다. 그러나 저는 오히려 병적이라고 해도 될 만큼 복수심이 강한 기질이었으므로, 누군가가 저를 ‘느림보’ 또는 ‘얼간이’라고 불렀을 때, 반드시 그에 대하여 복수하는 것을 잊지 않았습니다. 복수라고 해도 모욕을 받은 그 시점에 폭력을 하거나 거친 말을 내뱉는 것이 아니라, 그 때는 얌전히, 오히려 다소 웃어두고는, 그로부터 하루나 이틀, 때로는 일주일, 어떤 때는 한 달, 아니, 어떤 경우에는 1년이나 걸려 적당한 기회를 찾아, 가장 통쾌한 방법으로 복수를 하곤 했습니다. 지금부터 말씀드리는 이야기도 그런 내용입니다.

T의학전문학교를 졸업하자 저는 곧바로 안과교실에 들어갔습니다. 학교를 졸업해도 여전히 ‘느림보’였으므로 급한 성미를 가진 주임 S선생은 제 동작을 보고서 다른 조수나 간호사 앞에서도 Stumpf, Dumm, Faul이라며 제게 모욕을 주었습니다. 모두 ‘둔하다’, ‘바보’ 또는 ‘멍청이’ 라는 뜻을 가진 독일어 형용사입니다. 저는 마음속으로 복수를 다짐하면서도 여느 때처럼 묵묵히 일하고 있었으므로, 나중에 S선생은 저를 혼내는 일에 일종의 재미를 붙인 듯, 날이 갈수록 맹렬하게 그와 같은 말을 내뱉었습니다. 그러나 S선생은 책임감이 매우 강한 사람으로서, 조수가 한 실패는 자신이 책임을 져야 한다는 말을 항상 할 정도였으므로, 제게 소리 지르면서도 한편으로는 제게 지도하는 것을 소홀히 하지는 않았습니다. 따라서 제 실력도 상당히 발전했으나, 제 동작은 여전히 느렸으므로 선생의 조롱은 점점 그 도를 넘어서기 시작했습니다.

S선생이 저를 대하는 태도는 자연히 다른 조수들이나 간호사들한테도 번져나가, 그들도 저를 ‘바보’로 취급했습니다. 나중에는 입원환자까지 저를 놀렸습니다. 저는 역시 묵묵히 지내며 마음속으로 “두고 봐라.” 하고 벼르면서 지냈으나, 복수해야 할 인간들이 너무나 많았기에, 누구를 희생양으로 삼을 것인지 망설이게 되었습니다. 그러므로 저는 가급적 빨리 기회를 찾아내어 가장 격렬한 수단으로 모든 적에 대한 복수심을 단번에 만족시킬 만한 계획을 세우고자 마음먹기에 이르렀습니다.

그러고 있던 차에 어느 날, 한 젊은 여성 환자가 입원해왔습니다. 그녀는 모 극장 배우로서 매우 신경질적으로 생긴 미인이었습니다. 반년 전부터 오른쪽 안면에 통증이 있어, 가끔 악성 구토 때문에 고민했었으나, 요즘에 와서는 오른쪽 눈 시력이 떨어져, 특히 이삼일 전부터 오른쪽 눈에 극심한 통증이 발생하고 이와 동시에 갑작스럽게 시력이 떨어졌기에 병원을 찾아온 것입니다. 그 곳에서 ‘녹내장’ 우려가 있다는 진찰을 받고서 입원수속을 밟고 제가 담당하게 되었습니다.

여러분은 알고 계실지 모르겠으나, 녹내장에 걸린 눈은 외견상으로는 건강한 눈과 구별할 수 없습니다. 이 질병은 이른바 ‘돌멩이 눈’이라고 하여 안구 내압이 올라가기 때문에 안구는 딱딱해지지만 눈 속을 검사하여 시신경이 안구를 관통하는 부분이 상한 것을 확인하여야만 객관적으로 진단을 내릴 수 있습니다. 그런데 진단은 비교적 쉽지만 내압이 상승하는 원인은 아직 밝혀지지 않았습니다. 일본에서는 물론 서양에서도 예전에 이 병은 ‘불치병’으로 알려져 있어, ‘천형병(天刑病)’의 일종으로서 치유범위 외에 놓여 있었습니다. 최근에 들어서는 초기 녹내장이라면 수술 등의 방법으로 어느 정도까지 치료할 수 있으나, 중증이라면 물론 실명할 수밖에 없습니다. 특히 통증이 심하므로, 이를 없애기 위해서는 안구를 적출하는 방법밖에 없는데, 말하자면 눈깔을 뽑아내는 것이 가장 좋은 방법이라는 것입니다. 또한 염증성 녹내장이라면 한쪽 눈에서 발생한 녹내장은 교환성 안구염증이라고 하여 머지않아 건강한 다른 쪽 안구로도 옮아가게 되므로, 건강한 눈을 살리기 위한 응급수단으로서 질병에 걸린 눈을 적출하도록 되어 있습니다. 따라서 녹내장 수술에는 안구적출법이 가장 자주 사용되는 것입니다.

한편 저는 외래진찰소로부터 온 그 여환자에게 병실을 배당해주고 담당 간호사를 선정한 후 시력검사를 한 후, 눈 속 검사를 하기 위해 그녀를 암실로 데려갔습니다. 암실은 말 그대로 사면을 시커멓게 발라놓아 거미줄만큼의 빛도 들어오지 않도록 만들어진 방이므로, 이미 익숙한 저희들이 들어가도 숨 막히게 느껴집니다. 하물며 신경질적인 여자에게 있어서는 견딜 수 없을 정도로 답답했겠지요. 저는 가스등에 불을 켜고 검안경을 꺼내어 환자와 마주보고 그 두 눈을 검사하였습니다. 그런데 역시 눈 검사를 할 때 저의 손놀림이 느리기에, 그리고 그녀는 몇 번씩 신경통 발작까지 일으키면서 심하게 얼굴을 찡그렸으나, 저는 개의치 않고 태연하게 검안을 했으므로 결국 참지 못할 지경에 이르렀는지, “정말 느려 터졌군요.”라고 소리 질렀습니다.

이 한 마디는 제 가슴에 큰 상처를 주었습니다. 그리고 그녀의 거만한 태도를 보고 지금까지 느껴보지 못한 깊은 복수심이 타올랐습니다. 전에도 말씀드린 바와 같이 제 복수는 항상 일정 시기를 지나 기회를 기다린 후에 이루어지지만, 그 때만큼은 전례를 깨고, 저도 모르게 곁에 놓여있던 산동약(散瞳藥) 병을 집어 들어 환자의 두 눈에 두세 방울씩 아트로핀을 투여한 것입니다. 일반적으로 눈 속을 검사하기 위해서는 편의상 산동약으로 동공을 확대시키도록 되어 있으나, 아트로핀은 안구의 내압을 높이는 성질이 있으므로, 이를 녹내장에 걸린 눈에 투여하는 일은 절대로 금지되어 있는 것입니다. 다만 그때는 눈 속이 잘 보이지 않아 답답했다는 것과, 또 하나는 환자의 말이 제 마음을 매우 상하게 했으므로 저는 그 자리에서 금기를 깼습니다. 아트로핀을 투여한 후 계속해서 그녀의 눈에 검안경을 갖다 대었더니, 그녀는 또다시, “그런 걸로 눈 속을 볼 수 있겠어요?” 라며 비아냥거렸습니다. 저는 눈을 부릅뜰 정도로 화가 났으나, ‘두고 봐라’라는 심정으로 아무 말도 없이 검사를 끝냈습니다. 검사결과는 두말할 것 없이 녹내장이며 상당히 진행된 상태였으나, 굳이 안구적출법을 사용하지 않더라도 다른 작은 수술로 치료될 수 있다고 생각하였기에 이 사실을 S선생에게 보고해 두었습니다.

그런데 제 예상은 완전히 빗나갔습니다. 그날 밤은 마침 제가 당직이었는데, 밤중에 간호사가 황급히 저를 깨우러 왔기에 달려가 보았더니, 그녀는 침대 위에서 난리를 치고 비명을 지르며 괴로워하고 있었습니다. 저는 갑작스럽게 질병이 악화되었다고 생각했습니다. 어쩌면 아트로핀을 투여한 것이 그 원인이 되었는지도 모릅니다. 문득 제 가슴에 통쾌함이 끓어올랐습니다. 우선 진통제로 모르핀을 주사해두었습니다만, 다음날 S선생이 진찰하자 오른쪽 시력은 완전히 사라졌으며 왼쪽도 다소 통증이 있어, 시력에는 변함이 없으나 오른쪽 안구를 당장 적출하지 않으면 두 눈 모두 잃는다고 환자에게 선고한 것입니다. 그리하여 그 때 S선생은 환자 눈앞에서, 이 지경이 될 것을 왜 보고하지 않았느냐며, 여느 때와 같이 Stumpf, Dumm 을 되풀이하여 저를 책망했습니다.

S선생이 안구 적출을 선고했을 때 저는 그녀가 한쪽 눈을 뽑힌다는 생각을 하자 통쾌함 때문에 숨이 막힐 지경이었으나, S교수의 이 태도는 그 통쾌함을 물거품으로 만들어버릴 정도로 큰 충격을 주었습니다. 바로 그 때 저는 S교수에 대한 참을 수 없는 증오심을 느꼈습니다. 저는 떨리는 몸을 억지로 가라앉히고 묵묵히 참으며 S교수에게 복수하는 것은 바로 이 때라고 생각했습니다. 미모를 자랑하고 그것을 팔고 있는 여배우가 눈이 뽑힌다는 일은 그녀에게 있어서 분명 죽음보다도 더할 충격입니다. 만약 제가 투여한 아트로핀이 직접적인 원인이었다면 저는 훌륭한 복수를 한 것이 된다고 생각하려 했으나, 이것만으로는 만족할 수 없었습니다. 그녀에 대해 더욱 심각한 복수를 이루고, 나아가 교수에 대해서도 마음껏 복수하고자 했습니다. 이를 위해서는 더할 나위 없는 찬스를 이용할 수밖에 없다고 판단했습니다.

환자가 안구적출이라는 말을 듣고 얼마나 반대했는지는 여러분의 상상에 맡기겠습니다. 그러나 S교수는 그대로 두면 두 눈을 잃는다는 점, 의안(義眼)을 교묘하게 끼워 넣으면 보통 눈과 거의 구분이 안 간다는 점 등을 조목조목 설득하고, 그 말을 입증하기 위해 의안을 넣은 환자 몇 명을 그녀 앞으로 데리고 와서야 겨우 환자는 승복하기에 이르렀습니다.

여자의 안구척출수술은 일반적으로 전신마취를 하게 되어있습니다. 저는 곧바로 그 마취를 이용하여 S교수에 대한 복수를 하려고 결심했습니다. 여러분도 주지하시는 바와 같이 전신마취에는 클로로포름과 에테르 혼합액이 사용되지만, 저는 클로로포름만을 사용하면 신경질적인 환자는 어쩌면 수술 중에 사망할지도 모른다고 생각했습니다. 조수의 실수는 교수의 실수이므로 책임감이 강한 S교수는 어쩌면 사표를 내거나 자살할 수도 있다고 예상했습니다. 여러분! 여러분은 분명 “그래, 어리석기 짝이 없는 계획이다.” 라고 마음속으로 웃고 계시겠지요. 그러나 모든 일은 찬스에 따라 결정되기에 이렇게 해서 뜻밖의 결과도 일어날 수 있다고 생각했습니다.

한편 환자가 승낙하자 저는 때를 놓칠세라 수술준비를 하였습니다. 안과수술은 외과수술과 달리 지극히 쉽습니다. 언제나 교수와 조수, 그리고 간호사 셋이서 이루어집니다. S교수는 의술이 뛰어나므로 제대로 손도 씻지 않고 수술하곤 합니다. 저는 우선 환자를 수술대 위에 누이고 옆에 서서 마취제를 투여했습니다. 물론 클로로포름만을 썼지요. 마스크 위로 충분히 적셨더니 환자는 바로 깊은 잠에 빠져들었기에, 간호사에게 명하여 옆방에 있는 교수를 부르게 하고, 그러는 동안 저는 한쪽 눈을 거즈로 덮고는 수술을 받는 쪽 눈을 보이게 한 후 교수를 기다렸습니다.

이윽고 S교수는 환자의 머리 뒤쪽에 서서 메스를 집었습니다. 항상 수술 중에는 저를 보고 독일어로 욕을 하곤 했으나, 그날은 제가 클로로포름에 신경을 쓰느라, 평소보다 더 꾸물거렸기에 한층 더 욕을 퍼부었습니다. 소리 지르면서도 교수는 날렵하게 안구를 적출하고 신속히 수술을 끝낸 후 나가버렸습니다. 뽑히고 거즈 위에 놓인 눈은 건강한 눈과 다름없이 저를 노려보고 있는 것 같아 깜짝 놀랐습니다. 그리고 저는 핀셋으로 짚어 재빨리 간호사가 내민 고정액이 든 병에 툭 던져 넣고 나가게 한 다음 붕대를 감기 시작했습니다. 일반적으로 한쪽 눈을 적출해도 건강한 눈에 대한 자극을 피하기 위해 두 눈에 붕대를 감고서 이틀 후에 비로소 두 눈을 뜨게 되어 있으므로, 저는 환자 눈에서 뒤통수에 걸쳐 검은 머리카락을 감싸며 빙글빙글 붕대를 감았습니다. 그것을 마치고는 아직 마취에서 깨어나지 않는 환자를 병실로 옮기게 한 후 뒷정리를 했습니다만, 제가 예상한 결과가 일어나지 않았다는 사실에 매우 실망했습니다. 여러분은 제 계획이 역시 어리석은 계획으로 끝났다고 생각했겠으나, 제게는 아직도 한 가닥 희망을 가지고 있었습니다. 그것은 그녀에게 남겨진 건강한 눈도 어쩌면 녹내장에 걸릴지도 모르는 일이었기 때문입니다.

과연 제가 예상했던 일이 발생했습니다. 환자는 수술한 후 얼마 지나지 않아 무사히 마취에서 깨어나 기운을 회복하여, 그날은 특별한 일이 없었으나, 다음 날부터 왼쪽 눈이 아파온다는 것이었습니다. 적출한 오른쪽 눈이 아프다고 하면 당연한 일이겠으나, 왼쪽 눈이 아프다면 녹내장이 일어나기 시작했다고 보고 저는 마음속으로 기쁜 나머지 찬스다! 절호의 찬스다! 라고 소리쳤습니다.

하지만 S교수에 대한 복수는? 여러분, 만약 왼쪽 눈에도 녹내장이 걸렸다면 다시 한 번 안구 적출수술이 있어야 합니다. 저는 여기에 희망을 걸었습니다. 여러분! 무엇이든 찬스입니다.

드디어 사흘째가 되어 붕대를 풀게 되었습니다. 저는 그날을 얼마나 기다렸는지, 붕대를 풀고 난 후 만약 눈이 보이지 않았다면 그야말로 녹내장이 걸렸다는 완벽한 증거이므로, 환자에 대한 복수심이 한층 만족될 뿐만 아니라 교수에게 복수할 찬스도 얻어지는 것입니다.

그날 아침 저는 S교수에게 환자의 건강한 눈이 아파온다는 사실을 보고했습니다. 그러자 교수는 근심어린 표정으로 “다시 감염 됐나.” 하고 말했으나, 그날은 어딘지 모르게 우울한 표정을 하고 있었으므로 제게 소리 지르지는 않았습니다.

이윽고 저는 다른 조수나 간호사들과 함께 교수를 따라 환자가 있는 병실로 들어섰습니다. 환자는 의외로 건강하여 어서 붕대를 풀어달라고 졸랐습니다. 저는 환자를 침대 위에 일으켜 앉히며, 흥분 때문에 떨리는 손으로 풍대를 풀기 시작하였습니다.

“붕대를 풀면 잠시 동안은 눈이 부십니다.” 라고 S교수는 환자에게 주의를 주었습니다.

붕대를 풀자 당연히 척출한 쪽 눈에는 요오드포름 거즈로 막혀있었으므로 아름다운 얼굴도 참담하기 짝이 없었습니다. 환자는 다른 쪽 눈으로 가만히 앞을 보더니 한두 번 눈을 깜빡이고는 무슨 생각을 했는지 방긋 웃으며 말했습니다. “S선생님, 농담하지 마세요. 어서 암실 밖으로 나가게 해주세요.”

이런 뜻밖의 말을 듣고 지켜보던 사람들은 말을 잃고 서로를 마주보았습니다. 끔찍한 예감 때문에 누구 하나 입을 열지 않았습니다. 저는 마음속으로 드디어 내 기회가 왔다고 생각하고 어쩐 일인지 소름이 끼쳤습니다. 환자는 눈이 보이지 않았던 것입니다.

그러자 환자는 고개를 기울이고 그 흰 손을 천천히 들고서 가볍게 수영하듯 손을 젓더니, 얼굴에서 눈 쪽으로 가져갔습니다만, 그 때 그야말로 끔찍한 비명을 질렀습니다.

“아……악……선생님! 선생님은……, 좌우를 잘못보고, 보이는 눈을 뽑았어요!”

C안과의사는 여기서 잠시 말을 끊었습니다. 실내에는 기이한 기운으로 넘쳐났습니다.


여러분 실로, 아니, 사실은 환자의 나쁜 눈은 그대로 두고, 건강한 눈이 뽑혔던 것입니다……. 이 끔찍한 오진 때문에 책임감이 강한 S교수는 이틀 후에 자살했습니다. 여러분, S교수의 오진은 이미 여러분도 아시는 바와 같이 복수심에 불타오른 제가 지극히 쉬운 트릭을 쓴 결과입니다. 즉, 환자에게 마취를 걸고 간호사가 교수를 부르러 간 틈을 타서 적출해야 할 눈을 거즈로 가리고 건강한 눈을 보이게끔 해 놓은 것에 불과합니다. 이것이 제가 말하는 이른바 찬스입니다. 여러분, 어떻습니까. 일석이조, 어리석은 자 치고는 훌륭한 복수가 아닐까요?



Posted by 문학관 관리인 위어조자(謂語助者)

어리석은 자의 독(愚人の毒)

고사카이 후보쿠 (小酒井 不木) (1925)

번역 : 홍성필

 

여기는 XX 경찰서 신문실(訊問室)이다.

미지근한 바람이 가끔 거리의 먼지를 날리고 있을 뿐, 열린 창문이 제 구실을 하지 못하는 한여름 오후이다. 지금이라도 벽시계가 멈춰버릴 것만 같은 더위도 아랑곳 하지 않은 채 세 명의 정장차림을 한 신사가 책상 한 쪽에 나란히 앉아 가끔 부채를 부치며 잠시 후 들어올 사람을 기다리고 있었다.

정면에서 왼쪽에 자리 잡은 세 명 중에서 가장 젊은 사람인 쓰무라(津村) 검사는 이마가 넓고 눈이 날카로우며 수염이 없다. 가운데 백발 섞인 머리를 한 사람이 후지이(藤井) 경찰서장, 서장 오른 쪽에는 벗어진 머리를 금테안경과 턱수염으로 장식하고 편안하게 앉아 있는 사람이 법의학자로서 유명한 T대학 의학부 교수 가타다(片田) 박사였다. 업무라고는 하나 윗도리리라도 벗고 싶은 더위를 참고 흘러나오는 땀을 손수건으로 닦아내는 모습을 보면 누구나 진심으로 수고가 많다는 말을 해주고 싶어진다.

셋은 지금 어떤 사건 때문에 유력한 증인으로서 소환한 사람이 오기를 기다리고 있다. 엄밀하게 말하여 그 사건 수사에 있어서 지휘관인 쓰무라 검사는 소환한 증인 신문에서 후지이 서장과 가타다 박사에게 입회를 요청한 것이다. 그 증인은 검사한테 있어서 매우 중요한 사람인지 그의 얼굴 근육은 무척이나 긴장한 모습이었다. 가끔 얼굴 살이 경련을 일으키는 것도 아마 실내 온도가 높기 때문만은 아닌 것 같다. 신문이라는 것을 하나의 예술이라 여기고 있는 쓰무라 검사는 마치 예술가가 그 제작에 착수할 때와 같은 흥분을 느끼고 있는 듯하다. 이에 반해 후지이 서장은 나이 때문인지 아니면 나이와 정비례를 이루는 경험 때문인지 전혀 흥분한 모습을 보이지 않고 그저 흰 제복만이 유난히 반짝일 뿐이었다. 하물며 과학자인 가타다 박사의 넉넉한 얼굴에는 평소 애교가 넘쳐 있었음에도 불구하고 그와 같은 장소에서는 깊이를 짐작할 수 없는 침착한 분위기를 풍기고 있었다.

벽시계가 2시를 알리자 하복 양복을 차려 입은 청년신사가 한 형사의 안내를 받으며 들어왔다. 오른손에 검은 가죽 가방, 말하자면 진찰용 가방을 들고 있는 모습을 보면 의사선생님이라는 사실을 알아볼 수 있다. 사람의 약점을 취급하는 직업이니만큼 추리소설 속에서까지 ‘선생님’이라는 호칭이 사용된다. 그러나 이 사람이 매우 현대적이라서 그와 같은 장소에는 익숙한지 진찰용 가방을 내던지듯 책상 밑에 놓고는 매우 경쾌한 태도로 세 명에게 인사하는 모습을 보니 이제 ‘선생님’을 안 붙이는 편이 낫겠다.

“야마모토(山本) 씨, 자, 이쪽으로 앉아 주세요.”

라고 검사는 어느새 흥분을 가라앉히고 밝게 웃으며 의사에게 말했다.

“이렇게 무더운 날씨에도 불구하고 출두를 부탁드린 것은 두말 할 필요 없이 오쿠다(奧田) 씨에 대한 사건에 관해서 당신이 생전에 고인을 진찰하셨기에 두세 가지 여쭈어볼 일이 있어서입니다. 이 사건은 의외로 복잡한 것 같았기에 시체 해부를 해주신 가타다 박사님과 그리고 수사본부에 계신 후지이 서장님께도 이렇게 입회를 요청했습니다.”

이렇게 말하고 쓰무라 검사는 상대방 얼굴을 예리하게 바라보았다. 이런 눈짓은 쓰무라 검사 특유의 버릇이며 과거 이 날카로운 눈짓 때문에 어떤 도박꾼 두목이 범죄를 모두 자백하고 말았다는 일화는 유명하다. 그러나 이 눈짓도 야마모토 의사에 대해서는 전혀 효과가 없었는지,

“무엇이든 말씀 드리겠습니다.”

라는 매우 경쾌한 대답을 얻었을 뿐이었다.

그 때 직원이 차가운 녹차를 가지고 왔기에 검사는 마주보고 있는 의사 야마모토에게 권하고 자신도 한 모금 마시고 나서 말을 이었다.

“우선 순서대로 간략하게 이 사건에 대한 설명을 말씀드리겠습니다.

S구 R동 13번지에 거주하는 오쿠다 도메 씨라고 하는, 올해 55세 미망인이 지난 7월 23일 갑자기 이상한 병에 걸렸습니다. 오전 1시 경 돌연히 극심하게 오한이 시작했나 싶더니 고열이 발생함과 동시에 심한 구토를 일으켰습니다. 마치 배탈이 난 것 같아 아마도 더위를 탔으려니 하고서 그날은 의사를 부르지 않았지만 저녁이 되어 다행히 구토도 없어지고 열도 내렸기에 다음 날은 아무런 이상도 없이 지냈습니다.

그런데 바로 그 다음 날인 7월 25일 역시 그 때와 동일한 증상이 일어나고 너무나 구토가 심했기 때문에 예전에는 인사불성이 되기도 했으므로 따님이신 기요코 양이 서둘러 가정부를 시켜 주치의인 야마모토 선생님, 즉 당신에게 진찰을 부탁했습니다. 그 결과 아마도 식중독이라고 진찰한 후 돈복약(한 번에 먹는 약. 설사약 같은 것 - 역자 주)을 처방했더니 그 약효 덕분에 저녁 무렵이 되자 구토도 가라앉고 열도 내려 환자는 완치되고 그 다음 날은 편안하게 지났습니다.

그러자 또 그 다음날인 7월 27일에 역시 전과 같은 시간에 전과 같은 증상이 시작하고는 구토만이 아니라 설사까지도 동반하고, 환자는 고통이 심한 나머지 혼수상태에 빠졌습니다. 급보를 듣고 달려온 당신은 환자 상태가 심상치 않다고 보고 평범한 식중독이 아니라는 사실을 알았기에 비로소 당신은 따님에게 주변 사정을 물었습니다.

그 때 따님이 말했다고 하는 것이 당신에 대한 의혹을 한층 깊게 만들었습니다. 그러나 그 사정을 말하기 전에 저는 오쿠다 집에 사는 가족들에 대해 말씀드려야 합니다. 남편은 본래 체신부 관리를 하고 계셨는데 지금으로부터 15년 전에 상당한 재산을 남기고 타계하고, 활동적인 사모님은 세 아이를 키우며 남에게 싫은 소리 하나 듣지 않고 지금까지 지내왔습니다. 장남이 겐키치(健吉), 차남이 야스이치(保一), 그 누이가 기요코 양이었는데, 장남인 겐키치는 사모님한테는 친아들이 아닙니다. 친아들이 아니라고 해서 남편의 전처 소생이라는 뜻은 아닙니다. 오쿠다 부부는 남편은 마흔, 부인은 서른이 넘어 결혼하였는데 이후 10년이 지나도록 아이가 없었으므로 먼 친척 중에서 고아였던 겐키치를 세 살 때 양자로 입적하여 키웠습니다. 그런데 공교롭게도 겐키치를 입양한 이듬해에 부인이 임신하여 야스이치를 낳고, 다시 2년 후에 기요코 양을 낳았습니다. 이와 같은 일은 세상에서 종종 있는 일이며, 이럴 때 양자는 이른바 부부에게 자식 복을 가져다준 아이라서 복덩어리라며 더욱 사랑을 받기도 합니다. 오쿠다 가정에 있어서도 겐키치는 친자식이 태어난 후에도 같은 배에서 나온 장손처럼 부부의 사랑을 받으며 성장했습니다. 특히 겐키치는 성격이 온순했기 때문에 남편인 오쿠다 씨가 마음에 들어 하여, 세상을 떠나기 전에도 세 아이가 모두 어렸으므로 재산은 모두 부인에게 넘기기로 했으나 훗날에는 대를 이을 겐키치한테 물려주도록 단단히 유언을 남겼다고 합니다.

이후 지금까지 15년 동안 세 남매는 남자 못지않은 사모님 손에 의해 무사히 키워졌습니다. 올해 겐키치가 스물 일곱, 야스이치 군이 스물 넷, 기요코 양이 스물 둘입니다. 그런데 아무리 남자 못지않게 엄하게 키웠던 사모님이라고 해도 자식 성격이란 어쩔 수가 없는지 차남인 야스이치는 형과 매우 달라서 이른바 불량기를 띠기 시작했습니다. 겐키치는 대학을 졸업하고 백화점으로 유명한 M의류업체 회계과에 근무하게 되었으나 야스이치는 대학을 중퇴하고 방탕하게 살며 신세를 망쳤습니다.

사모님은 본래 금전적으로는 매우 까다로운 편이었으나 친아들인 야스이치한테는 특별히 아끼는 마음이 있어서인지 아낌없이 금액을 지출해 왔습니다. 그러나 작년 봄에 모처에 있는 접대부를 사들여 결혼하겠다고 했을 때에는 장남 체면 때문도 있었겠지만 매우 분개하여 모자간의 인연을 끊겠다고 까지 하였습니다. 이 문제를 겐키치가 중재해서 접대부를 사들이는 한편 사모님의 뜻을 존중하기 위해 일단 Y구에서 약국을 하면서 따로 살게 하여 당분간 출입을 금했습니다. 그러나 사모님은 지는 것을 싫어하는 성격에, 매우 고집이 완고하였으므로 야스이치 군이 접대부와 헤어지지 않는 이상 절대로 다시 만나지 않겠다고 하였습니다. 겐키치와 기요코 양이 몇 번이고 부탁을 했지만 들어주지 않았습니다. 결국 이번 비극이 일어나기까지 별거상태가 계속된 것이지요.

자, 이야기는 여기서 겐키치 쪽으로 옮겨가야 합니다. 겐키치는 야스이치와 달리 행동이 매우 단정했는데 최근 M백화점에 근무하는 어느 아름다운 여직원과 사랑에 빠졌습니다. 얼마 지나지 않아 두 사람의 사랑은 타오르기 시작했으며 결국 겐키치는 지난 7월 15일 사모님한테 애인을 부인으로 맞이하고 싶다는 말을 했습니다.

그런데 말입니다. 사모님은 어디가 마음에 안 들었는지 매우 화를 냈습니다. 어쩌면 사모님 허락 없이 애인을 만든 일이 언짢았는지, 아니면 백화점 점원을 며느리로 맞아들인다는 것이 불만이었는지, 그것도 아니라면 그 동안 믿고 있던 형까지 동생과 똑같은 짓을 한다는 것에 대해 화가 났는지 모르지만, 만약 그 여자를 집으로 들인다면 나는 기요코 양하고만 살면서, 재산 상속은 데릴사위를 들여서 물려주겠다고 선언했다는군요.

이 말을 듣고 겐키치는 너무나도 큰 충격을 받아 슬퍼했습니다. 기요코 양 말에 의하면 오라버니는 그날 이후 마치 다른 사람이 된 것 같다고 합니다. 매일 고민하고 어머니나 자기한테도 제대로 말도 하지 않았다고 합니다. 때로는 마치 정신병자처럼 혼자 중얼거릴 때도 있었다는군요.

그러자 23일에 사모님한테 이상한 병이 일어났습니다. M의류점에서는 7월이 결산기이며 회계과는 7월 21일부터 31일까지 1일교대로 숙직을 하며 사무를 정리하는 것이 관습이었습니다. 겐키치는 7월 21일이 숙직날이었기에 22일에 귀가하고 23일 아침 출근하여 그날 밤에 숙직, 24일에 귀가하여 25일 아침 출근하곤 했었는데 이상하게도 사모님의 병은 겐키치가 휴무일 때 일어나지 않고 숙직하는 날, 그것도 겐키치가 집을 나가고 2시간 정도 지났을 때 일어났습니다.

기요코 양은 항상 오라버니가 없을 때 어머니가 괴로워하기에 적지 않게 당황했으나 오라버니는 매우 분주한 처지였기에 숙직 당일 날 불러들일 수도 없었고, 더구나 오라버니가 쉬는 날은 공교롭게도 증상이 나타나지 않았기에 오라버니에게 어머니가 괴로워했던 사실을 말해줘도 듣지도 않았으며 이 무렵부터 어머니와는 말을 많이 하지 않았기에 어머니에게 제대로 위로의 말도 해줄 수 없는 상태였습니다.

야마모토 씨. 사모님이 세 번째 발병했을 때 당신께서 기요코 양한테서 사정을 들었다는 것은 이런 내용입니다. 당신은 이 사실을 듣자 의미심장한 미소를 띠며 깊은 생각에 잠겼습니다.”

 

2.

“그런데.”

검사는 말을 이었다.

“사모님이 세 번째 즉 7월 27일에 발병했을 때에도 당신이 취한 조치에 의해 무사히 가라앉고 그 다음 날은 아무렇지도 않았습니다. 당신께서 29일 발병을 막기 위해 분말약 한 봉지를 처방하고 오전 10시 경 복용하도록 하기 위해 손수 직원한테 오쿠다 댁까지 배달하도록 했습니다. 그런데 그 분말약 약효가 부족했는지 사모님은 역시 11시 경이 되자 오한을 일으키고 이어서 열이 나기 시작하더니 여느 때와 같이 극심한 구토에 시달렸습니다. 그리고 오후 2시 경 기요코 양은 당신을 부르러 갔습니다만 그날 당신은 아침 일찍 처방한 약 때문에 절대로 증상이 일어나지 않을 것이라고 확신하고 계셨는지 가족에게 행선지도 알리지 않은 채 어딘가로 가버리셨습니다. 그러고는 기요코 양이 서둘러 다른 의사를 부르려 했으나 그 때 사모님의 상태가 급변하여 오후 3시 반에는 결국 사모님이 절명한 것입니다. 사모님은 상당히 비대한 체형이었기에 심장이 그리 튼튼하지 않았던 것인지 아니면 중독 원인이 너무나도 강했는지, 지난 3회에 걸친 증상에는 견뎠으나 네 번째에는 결국 견딜 수가 없었습니다.

기요코 양은 27일에 당신이 의미심장한 웃음을 지은 것을 보고 설마 오라버니가……하는 의심이 떠올랐기에 그날 밤 자세한 사정을 작은 오라버니 즉 야스이치한테 서한을 보냈습니다. 그리고 야스이치는 29일 어머니를 남몰래 찾아와서는 겐키치가 집을 나서는 것을 지켜본 후 집안으로 들어와 기요코 양의 도움을 받아 이 무더운 날에 옷장 속으로 숨어들었습니다. 사모님의 증상이 시작되자 서둘러 간호를 시작했으나, 사모님도 화를 내기는커녕 오히려 고마워하고 있는 모습이 역력했다고 합니다. 그리고 야스이치는 안타깝게도 사모님의 죽음을 지켜보게 되었습니다.

기요코 양과 야스이치는 시신을 붙들고 울고 있을 때 당신은 느닷없이 오쿠다 댁을 찾았습니다. 그리고 사모님의 사망 소식을 듣고 매우 놀라 아비산 중독이라고 큰 소리로 말씀하셨습니다. 그리고 시신을 잠시 관찰하고는 곧바로 집으로 돌아가서 사망진단서를 쓰셨습니다. 병명 난에는 정확하게 아비산중독이라고 되어 있으므로 경찰도 당연히 그것을 보고 결국 사모님 시신은 부검으로 옮겨지고는 그 전후사정으로 미루어 겐키치가 곧바로 구속되어 조사를 받게 되었습니다. 제가 지금까지 드린 말씀 중에서 잘못된 점이라도 있나요?”

이렇게 말을 맺고 쓰무라 검사는 손수건으로 이마를 한 번 닦은 뒤 잠시 서장 쪽을 돌아보고는 다음으로 야마모토 선생을 바라보았다. 모두 이의가 없으며 긍정한다는 듯이 고개를 끄덕일 뿐이었다. 신문실은 잠시 정적이 흘렀으며 매미 울음소리가 키니네(quinine:말라리아 치료약 중 하나 - 역자 주)를 복용했을 때 발생하는 귀울음처럼 느껴졌다. 

“그런데 말입니다.”

검사는 두세 번 부채질을 하고 소리 내며 접은 뒤 말을 이어갔다.

“겐키치를 조사한 결과 어머니에게 아비산을 준적은 절대 없다고 말합니다. 이는 물론 당연하며, 겐키치가 곧바로 자백을 했다면 사건은 매우 쉬웠기에 이렇게 무더운 날씨에 선생님을 모실 필요까지는 없었을 것입니다. 여기서 저희들은 우선 수순에 따라 겐키치가 과연 사모님에게 독을 주었는지 여부에 대해 조사해야만 했습니다.

일단 살인에 있어서 저희들이 가장 처음에 생각하는 것은 살인 동기입니다. 그리고 겐키치의 경우에 대해 살펴본다면 겐키치한테는 어머니를 살해하려는 동기가 충분히 있을만한 사정이 있습니다. 겐키치가 사모님의 친자식이 아니라는 점, 열렬하게 사랑하는 여성과의 결혼을 일언지하에 거절당했다는 점 등은 충분히 살인 동기가 될 수 있습니다. 기요코 양의 말에 의하면 어머니에게 거절당한 후부터는 마치 다른 사람처럼 변해버리고는 발광이라도 하지 않을까 할 정도로 마음에 큰 타격을 받았다고 하니, 지금까지 매우 효성이 지극했던 겐키치라 하더라도 정신적으로 다소 이상이 발생하면 끔찍한 계획을 꾸몄다고 해도 전혀 이상하지 않습니다.

그러나 겐키치는 완강하게 살인을 부인하고 있습니다. 그래서 저는 겐키치의 살인에 대한 동기가 된 간접 원인, 즉 겐키치의 연인인 M의류상 점원에게 사정을 물었습니다. 그 점원은 오시마 에이코(大島 榮子)라고 하여 매우 내성적이고 흰 피부에 동그란 얼굴을 하고 있는 분이었습니다. 들은 바에 의하면 이전에 S병원 간호사를 하고 있었다고 하는데 그 미모 때문에 의사들이 귀찮게 굴기에 직업을 바꾸어 백화점에 근무하기 시작했다고 합니다. S병원이라고 하면 선생님께서도 개업하시기 전에 거기에 계시지 않았던가요? ……여담은 그렇다고 치고, 그 오오시마 에이코 씨 말에 의하면 겐키치는 어머니가 거절했다는 사실을 말하고 매우 슬퍼했으며 자신은 큰 은혜를 입은 어머니 뜻을 져버릴 수는 없다, 친 어머니가 아니므로 더욱 참아야 한다, 아예 같이 죽어주지 않겠느냐 라는 말까지 했다고 합니다. 그러나 에이코 씨는 지금 자기나 당신이 죽는다면 오히려 어머님께 불효가 되고, 자기가 당신과 결혼할 수 없다면 평생 독신으로 살며 친구로서 교제하겠으니 제발 성급한 생각을 하지 마시고 어머님께 효도를 해달라고 하며 위로했다고 합니다. 그러자 겐키치는 그렇다면 자기도 영원히 독신으로 살겠다면서 동반자살에 대한 뜻은 완전히 접었다고 합니다만, 그 뒤에도 역시 매일 그늘진 표정으로 가끔 한숨을 내쉬었다고 합니다.

그런데 범죄학적으로 생각해 본다면 자살을 단념한 자가 타살을 도모한다는 것은 매우 자연스러운 흐름입니다. 에이코 씨의 충고로 일단 자살할 마음을 접었다고는 하나 심리적 타격은 그리 쉽게 사라지는 것은 아닙니다. 그랬기에 가끔 한숨을 쉬고 있었던 것이며 고민이 쌓인 결과 살인이라는 차가운 서릿발이 마음속에 내리게 되었다고 생각해도 전혀 지장은 없을 것입니다.

때문에 겐키치의 살인 동기를 인정하는 데에는 어느 누구도 이의가 없다고 생각합니다. 다음으로 일어나는 문제는 겐키치가 어떠한 방법으로 살인을 저질렀는가 하는 점입니다. 그러자 여기에 겐키치의 살인방법을 추정하기에 충분한 사정이 돌발했습니다. 그것은 즉 사모님의 기이한 발병입니다. 그것은 오한과 고열과 구토, 그리고 설사를 주요 증상으로 하고 있으며 겐키치가 숙직하는 날 집을 나서면 항상 2시간 후부터 시작했습니다. 이 점이 세 번째 발병일 때 선생님의 주의를 끌었으며 선생님은 혹시 아비산 중독이 아닌가 하고 생각하셨습니다. 의학에 있어서 문외한인 저희들이 생각해도 그와 같은 의심을 품는 것은 전적으로 당연하다고 보입니다. 구토와 설사는 아비산 중독일 때 일어나는 주요 증상이라고 하니 겐키치가 어떤 방법을 써서 사모님의 음식물에 아비산을 섞었으리라는 점은 이 또한 누구도 부정할 수 없는 추론입니다.

한편 사모님은 앞서 세 번에 걸친 발병으로부터는 다행스럽게 회복하고 네 번째 증상이 나타났을 때 결국 절명하셨으므로 이 사실로 미루어볼 때 앞서 세 번에 걸쳐 주어진 아비산은 양이 치사량 이하였다고 쉽게 상상할 수 있으며 살인자로부터 보자면 첫 번째 치사량을 주어 갑자기 사망하도록 한다면 혐의를 받을 수도 있으니 우선 세 번 정도 고통을 주고서는 그 다음에 치사량을 복용시켜 사망에 이르게 하는 매우 교묘한 방법을 선택했다고 하지 않을 수 없습니다.

그런데 살인자는 큰 실수를 저질렀습니다. 이는 바로 독으로서 아비산을 선택한 점입니다. 이 자리에 계신 가타오카 박사님 말씀에 의하면 서양에서는 아비산을 가리켜 ‘어리석은 자의 독(fools poison)’이라고 하는데, 그 이유는 아비산으로 독살할 경우 그 증상 때문에 바로 눈치 챌 수 있으며, 또한 시신부검에 의해서도 쉽게 그 존재를 발견할 수 있기에 어리석은 자 외에는 사용하지 않는다는 뜻이라고 합니다. 이번 사건에 있어서도 살인자는 어리석은 짓을 저질렀습니다. 즉 아비산을 사용했기 때문에 선생님께서 의심을 품었던 것입니다. 따지고 보면 아비산은 이 경우에 있어서도 결국 문자 그대로 ’어리석은 자의 독‘ 역할을 톡톡히 해낸 것입니다.

이렇게 해서 겐키치에 대한 혐의는 동기 면에 있어서나 기타 정황으로 보아도 점점 깊어질 따름이었습니다. 그러나 단순히 이와 같은 사정에 의해 겐키치가 어머니를 살해한 범인이라고 단정한다는 것은 옛날 고릿적이라면 모를까 안타깝게도 현대에 있어서는 불가능합니다. 즉 겐키치가 사모님에게 아비산을 먹였다는 물적 증거가 하나도 없습니다. 때문에 저희들은 막다른 길에 다다르고 말았습니다. 첫째로 겐키치가 아비산을 가지고 있었다는 증거가 없습니다. 다음으로 겐키치가 아비산을 무엇인가에 섞여서 먹였다는 것을 아무리 자세히 조사해보아도 입증할 수가 없습니다. 예컨대 물 컵에 넣었거나 아니면 여름이었으니 음료수 속에 넣었거나 하는, 아주 작은 것이라도 수상한 점이 있을 만도 한데 따님에게 물어도 가정부한테 물어도 전혀 알 수가 없었습니다. 이 점이 밝혀지고 뒷받침할 만한 물적 증거 없이 겐키치를 범인으로 단정할 수는 없습니다. 

그와 동시에 저희들은 아무리 겐키치에 대한 정황증거가 많이 있다 할지라도, 물적증거가 없는 한 그 물적증거를 찾기보다 새롭게 사건을 다시 생각해보는 것이 좋다고 판단하기에 이르렀습니다. 일반적으로 요즘 경찰관이든 사법관이든 물적증거가 없는 경우 선입견에 사로잡혀 끝까지 물적증거를 찾으려 하다가 여러 가지 폐해가 발생하고 그 동안 범인은 놓치기 십상입니다. 그래서 저는 겐키치를 일단 사건에서 떼어놓는다면 어떤 추정을 할 수 있는지 곰곰이 짚어보았습니다.

겐키치를 사건에서 제외시킨다면 우선 사모님이 자살하기 위해 아비산을 복용한 것이 아닐까도 해봤으나 이런 예상은 두말할 나위 없이 성립할 여지가 없습니다. 사모님이 자살할 만한 아무런 이유가 없으며 또한 자살한다면 번거롭게 하루건너 네 번이나 괴로워한다는 것은 생각할 수 없습니다. 정신이상자라면 모를까 그렇지 않은 사람이 그처럼 죽는다고는 예상할 수 없습니다.

여기서 사모님 자살을 논외로 한다면 다음으로 떠오르는 것은 사모님의 질병이 과연 아비산 중독이었는가 하는 문제입니다. 사모님은 앞뒤 네 번 동일한 증상이 나타났으나 네 번 모두 같은 원인이었는지는 단정할 수는 없습니다. 저 같은 초보자는 모르겠지만 증상이 흡사해도 원인이 전혀 다른 질병은 많을 것입니다. 그래서 저희들은 이 자리에 계시는 가타오카 박사님께 의뢰하여 아비산 중독 이외에 사모님 몸에서 어떤 다른 병균을 발견할 수 없을까 하여 면밀한 검사를 받도록 했습니다.

그러자 뜻밖에도 가타오카 박사님은 시신 혈액검사 결과 혈구 속에서 말라리아 원충(原蟲)을 발견하셨습니다.

 

3.

검사는 마지막 말을 한 마디씩 또박또박 말하고는 그 말에 대해 상대방이 어떤 반응을 일으키는지를 가만히 관찰했다.

과연 강한 반응이 있었다. 야마모토 선생은,

“뭐라고요? 말라리아?”

라고 놀란 듯이 소리 지르고는 가타오카 박사 쪽을 보고 캐묻는 듯한 표정을 지었다.

가타오카 박사는 이 때 조용히 입을 열었다.

“그렇습니다. 분명히 삼일열(三日熱) 말라리아 원충을 혈구 속에서 발견했습니다. 따라서 사모님이 사망했을 때에는 말라리아 발작도 합병증을 일으켰을 것이며, 또한 그로 말미암아 사모님이 하루걸러 그것도 같은 시간에 오한·고열·구토를 일으켰다는 것도 이해가 됩니다.”

“하지만 구토가 말라리아 때 일어나는 것은 극히 드문 일 아닙니까?”

야마모토 선생은 반박했다.

“신경질적 여성이 말라리아에 걸리면 극심한 구토를 일으키거나 인사불성이 되기도 하니 다른 중독과 혼돈되기 쉽습니다.”

“그래서.”

검사는 두 사람의 대화에 끼어들었다.

“사모님이 말라리아를 앓고 있었다면 적어도 네 번째 발병할 때, 네 번 모두 말라리아와 합병증을 일으켰다고 생각해도 좋을 것 같습니다. 아니, 한 발 더 나아가, 처음 세 번은 단순한 말라리아 발작이었으며 네 번째에는 아비산 중독과 합병증을 일으킨 것이 아닐까 합니다. 그 이유는 처음 세 번은 다행히 회복하였으나 마지막에 운명하셨기 때문입니다. 그렇기에 사실은 선생님께서 두 번째부터 진찰하셨는데 그 때 질병은 단순한 말라리아 발작이었는지 아니면 아비산 중독증상도 같이 일어났는지를 여쭤보고 싶습니다.”

야마모토 선생은 얼굴이 상기되고 목덜미에 흐르는 땀을 힘겹게 닦아내며 대답했다.

“정말 부끄러운 말씀입니다만, 제가 처음에 진찰했을 때에는 도저히 병명을 알 수가 없어서 그 다음, 그러니까 사모님이 세 번째 발병했을 때에도 말라리아라고는 조금도 모른 채 따님으로부터 사정을 듣고 혹시 아비산 중독이 아닐까 하고 의심을 했습니다. 지금까지 구토나 설사를 동반하는 말라리아는 한 번도 접한 적이 없기에 오진을 하고 말았습니다. 만약 말라리아라고 알았다면 곧바로 키니네를 처방했을 것이므로 사모님의 세 번째 발작은 일어나지 않았을 것입니다. 따라서 매번 발병할 때 말라리아 발작뿐이었는지 아니면 아비산 중독이 동반한 합병증이었는지 명확하게 말씀드릴 수 없습니다.”

“하지만 네 번째가 아비산 중독이었다는 것은 확실하게 알 수 있었죠?”

“그것은 제가 네 번 모두 아비산 중독이라고 생각했기 때문이며, 사모님이 돌아가셨다고 들었을 때 원인은 아비산 중독이 틀림없다고 판단했기 때문입니다.”

“그러나 선생님은 네 번째 때에는 진찰하지 않으셨죠?”

“급한 일이 생겨서 외출하고 있었기에 늦고 말았습니다.”

“그래도 선생님은 아비산 중독이 일어나지 않도록 29일 아침 직원을 시켜 약을 한 봉지 배달시키지 않았습니까?”

“맞습니다. 하지만 그것은 단순한 소화제였으며 아비산 중독을 막는 약은 아닙니다. 중독에 대해서는 따님에게 제가 이상하게 생각한다는 점을 털어놓고 적당하게 주의를 해두었기에 저는 비교적 안심하고 다른 용무를 볼 수 있었습니다. 그래도 역시 걱정이 되었기에 일이 끝나는 대로 오쿠다 댁을 찾아갔더니 이미 돌아가신 뒤였습니다.”

검사는 야마모토 선생의 답을 들으며 잠시 생각에 잠겨 있었으나 이윽고 입을 열었다.

“잘 알겠습니다. 그렇다면 선생님도 아비산 중독이라는 것은 단순히 상상에 의해 진단한 것에 지나지 않는군요? 특별히 환자의 구토물을 화학적으로 검사하진 않으신 거죠? 그렇군요. 그렇다면 저도 한 가지 제 상상을 말씀드려볼까요? 그러니까 저는 이렇게 상상했습니다. 처음 세 번은 단순한 말라리아 발작이고 네 번째만이 아비산 중독과의 합병증을 일으켰다고 말입니다. 아시겠어요? 그러면 누군가가 처음 세 번째 발작을 이용해서 네 번째에 아비산을 환자에게 투여하고 독살시켜서 죄를 겐키치가 뒤집어쓰도록 계획을 짜지 않았나 하는 생각이 떠올랐습니다. 따라서 그 사람은 겐키치에게 원한을 갖고 있거나 겐키치를 제거해서 이익을 얻을 수 있는 인물이어야 합니다. 여기서 당연히 생각할 수 있는 것은 차남인 야스이치의 그 날 행동입니다.”

조금 전부터 검사 말을 지나치게 긴장하여 듣고 있던 야마모토 선생은 이 때 안도의 한 숨을 내쉰 것 같았다.

“이미 말씀드린 바와 같이.”

검사는 야마모토 선생을 곁눈으로 바라보며 말을 이었다.

“차남인 야스이치는 오랫동안 오쿠다 댁 출입이 금지되고 있었는데 따님으로부터의 편지에 의해 겐키치의 행동과 어머님의 병이 어딘지 모르게 연관이 있을 것 같다는 사실을 알고 29일 아침 겐키치가 집을 나서자 곧바로 몰래 들어왔습니다. 그 때 야스이치는 어떤 심정으로 찾아왔을까요. 모자간의 애정에 의해 어머니를 보호하기 위해 왔을까요? 아니면 다른 목적이 있었던 것일까요? 이 점은 매우 예민한 문제입니다. 어머니는 야스이치가 여자와 인연을 끊지 않는 동안은 절대 집으로 들여놓지 않으려고 완강하게 버텼습니다. 야스이치는 약국을 운영하며 근근이 생활을 이어나갈 정도였으며 가끔 형님인 겐키치에 대한 넋두리를 했다고는 하나 최근에는 상당히 어려운 상황이었다고 합니다. 그 때 누이동생으로부터 어머님의 병과 형님의 행동에 대해 자세한 통지가 있었습니다. 야스이치가 따님의 편지를 읽었을 때 대의를 위해서는 사사로운 감정에 얽매일 수 없겠다는 마음이 들지 않았다고 누가 장담할 수 있을까요. 말하자면 어머님을 제거하고 형한테 독살 혐의를 뒤집어씌운다면 야스이치는 당연히 오쿠다 집안의 재산을 상속 받고 두 다리 뻗고 잠을 잘 수 있습니다. 야스이치는 어릴 때 불량기가 있었습니다. 그리고 최근에는 어머니를 원망하는 입장에 놓여 있었습니다. 형님과는 친형제가 아닙니다. 아니, 아무리 친형이라 하더라도 상황은 비슷했겠지요. 이것은 천재일우의 기회를 이용하여 위험하긴 하나 연극 한 판을 벌여보자는 발상을 안 했다고 단정할 사람은 없겠지요. 불량기가 있었던 사람은 나쁜 짓을 할 때 머리가 비상하게 돌아가기 마련입니다. 특히 운 좋게도 자신은 약방을 하고 있습니다. 즉 아비산은 가지고 있으며 그저 아비산을 이용하면 됩니다. 이렇게 생각하고 아비산을 들고 오쿠다 댁에 왔다고 추정해도 그리 불합리하지는 않는다고 여겨집니다.”

야마모토 선생은 검사가 하는 말을 유심히 듣고 있었다. 상상이라고는 하나 매우 진실에 가까운 것처럼 보였기에 문득 경탄의 미소를 지었다. 그러나 검사는 야마모토 선생의 미소도 못 본 척 하고 말을 이었다.

“그렇다면 야스이치는 어떻게 해서 아비산을 어머님께 먹였을까요. 그 점은 겐키치와 마찬가지로 문제입니다. 물론 야스이치도 어머님의 병이 말라리아라고는 모르고 형님인 겐키치가 어머님께 독을 먹였다고 믿고 있었으나 어떤 방법으로 형님이 어머님께 독을 먹이고 있는지는 몰랐습니다. 그랬기에 독자적인 방법으로 기회를 노리며 독을 먹이려 하고 있었습니다만, 이 때 야스이치한테 있어서 좋은 정보를 들었습니다. 그것은 그날 아침 선생님으로부터 사모님이 10시 경에 드리라고 했던 가루약 한 첩이 있다는 사실을 따님으로부터 들었던 것입니다. 그래서 야스이치는 따님에게 잠깐 그 약을 보여 달라고 해서 몰래 가지고 왔던 아비산을 그 속에 넣었습니다. 아비산은 흰색이고 맛도 알 수 없으므로 절대 복용하는 사람은 모릅니다.

자, 저는 이상과 같은 이야기를 단순한 상상처럼 말씀드렸으나, 실은 상상할 만한 정황, 아니 오히려 증거라고 할 만한 것이 나왔습니다. 그것이 무엇인고 하니, 선생님이 그날 아침 직원을 시켜 보낸 약을 쌌던 종이를 가타오카 박사님께 분석을 의뢰한 결과 아비산 존재가 명백하게 인정되었습니다.”

 

4.

이 말을 듣자 야마모토 선생은 축구공처럼 의자에서 튕겨 일어섰다. 그리고 무슨 말을 하려는 듯 입술만이 움직일 뿐 말문이 막혀 나오지 않았다.

“진정하세요.”

검사는 손으로 제지하며 말했다.

“그렇다고 그렇게 놀라실 건 없습니다. 선생님께서 넣었다고 저는 말하지 않았습니다. 선생님께서 직원을 시켜 보낸 약 속에 아비산이 있었다고 해서 그것이 곧 선생님이 넣은 것이라고 하지는 못합니다. 그래서 저는 우선 야스이치 군에게 혐의를 걸어봤습니다. 그리고 지금 말씀드린 것이 이루어졌다고 추정했습니다. 그러나 혐의라고 하면 야스이치 군만이 아니라 겐키치나 따님, 그리고 가정부한테도 일단 걸어봐야 합니다. 앞서 저는 겐키치에 대해서는 일단 분리해서 생각하도록 말씀드렸으나, 여기에 와서는 겐키치를 또다시 등장시켜도 무방할 것 같습니다. 가령 사모님이 처음 세 번에 걸친 발병이 말라리아라고 상상하고 겐키치와는 무관하다고 해도 겐키치도 또한 그 사실을 이용해서 독을 투여했다고 생각해도 될 이유가 있습니다. 이렇게 말하면 처음 세 번에 걸친 발병까지 겐키치가 의심을 받고 있으므로 네 번째에 독을 투여했다면 당연히 겐키치가 당연히 범인이라고 지목받고 있는데 설마 그런 일을 하지는 않을 것이라고 생각하겠지요. 그러나 겐키치 자신한테서 본다면 앞서 센 번에 걸친 발병에는 자신이 무관하니 네 번째에 독을 넣어서 다른 사람한테 혐의가 가게 하도록 계획을 짰다고 해도 지장이 없습니다. 지장이 없을 뿐만 아니라 분명한 이유가 있습니다.

그것은 바로 겐키치의 애인인 오시마 에이코 씨로부터 들은 말인데, 겐키치 외에도 에이코 씨를 사랑하는 사람이 있다고 합니다. 그래서 에이코 씨와의 결혼을 어머님으로부터 거절당하고 겐키치가 동반자살을 주장한 이유도 에이고 씨를 말하자면 연적한테 빼앗기고 싶지 않았기 때문이라고 합니다. 그래서 에이코 씨는 겐키치와 결혼할 수 없다면 평생 독신으로 살겠다며 굳게 맹세했다고 합니다. 그렇지만 소심한 겐키치가 여전히 불안감을 가졌다는 것은 쉽게 짐작할 수 있습니다. 따라서 겐키치가 그 연적을 제거하려 했다는 점도 또한 짐작하기 어렵지 않습니다. 그렇다면 겐키치가 어머님께 독을 주어서 어떻게 연적을 제거할 수 있는지가 의문이 됩니다만, 야마모토 선생님, 선생님께서는 알고 계시겠죠? 새삼 여쭙는다는 것도 이상하지만 겐키치의 연적이란 선생님이시라면서요?

아니, 이런 것을 질문 드린다고 흥분시켜 송구스럽습니다만 이것도 신문 순서라서 어쩔 수 없습니다. 그리하여 겐키치가 그날 아침 어머님께 드릴 약이 선생님으로부터 보내온 것을 기회로 삼아 그 속에 아비산을 넣어 마치 선생님이 독살한 것처럼 보였다고 생각해도 절대 말이 안 된다고 생각하지는 않습니다.

이렇게 되면 겐키치가 독을 넣었는지 아니면 야스이치 군이 했는지 도저히 알 수 없게 되고 말았습니다. 약봉지에 남는 지문은 본래 불완전한 것이라서 누구 것이라고 확신할 수 없으며, 또한 어떤 특정한 사람의 지문이 나왔다고 해도 그 사람이 아비산을 넣었다고 단정하지는 못합니다. 마찬가지로 따님이나 가정부, 더 나아가 선생님 자신이 넣었을지도 모릅니다. 그래서 저는 도무지 모르겠기에 이 문제를 해결해 주실 분은 선생님 외에 안 계시다는 생각에 이렇게 모셨던 것입니다.”

검사는 잠시 말을 멈추고는 날카로운 눈빛으로 상대방을 바라보았다. 후지이 서장과 가타오카 박사도 어딘지 모르게 긴장한 모습이었다. 야마모토 선생은 적지 않게 긴장해 보였으나, 높은 기온에 어울리지 않는 창백한 얼굴을 하고 있었다.

“저한테 해결하라고 해도 해결할 수 없습니다.”

야마모토 선생은 가냘픈 목소리로 말했다.

“그러신가요? 저는 이 사건의 열쇠를 쥐고 있는 사람은 선생님 외에 안 계시다고 생각합니다.”

“왜죠?”

“왜냐하면 아까도 말씀드린 바와 같이 선생님께서 29일 아침 직원에게 들려 보낸 약 속에 아비산이 있었다고 하면 그 아비산을 넣은 사람은 야스이치나 겐키치, 따님이나 가정부, 그것도 아니라면 선생님 자신이거나 약을 들고 온 직원이겠지만 직원과 가정부 그리고 따님은 논외로 하고 남아 있는 남은 사람은 야스이치와 겐키치, 그리고 선생님 세 분이기 때문입니다. 겐키치와 야스이치에 관한 사정은 방금 전 말씀드린 바와 같습니다만, 선생님에 대해서도 겐키치의 경우와 마찬가지라고 할 수 있습니다. 즉, 선생님께 있어서도 겐키치는 연적입니다. 오시마 에이코 씨에 의하면 선생님께서 S병원에 계실 때 에이코 씨한테 집요하게 접근하기에 그것이 너무나 피곤하여 병원을 그만 두고 M의류점으로 들어갔다고 합니다. 말하자면 선생님은 실연당한 사람입니다. 따라서 역시 연적끼리라고 해도 선생님께서 겐키치를 증오하는 정도는 겐키치가 선생님에 대해 품은 감정과는 비교도 안될 만큼 컸습니다. 그래서 선생님이 따님한테서부터 말을 듣고 이번 기회를 이용했다고 생각하는 것은 당연하지 않겠습니까? 선생님이 사모님의 질병이 말라리아라는 사실을 아셨는지 여부는 묻지 않기로 하고 구토나 설사가 있다는 것을 기회로 삼아 아비산을 이용하려 한 점은 매우 자연스러운 추리 아닌가요? 겐키치나 야스이치도 의사는 아닙니다. 그렇기에 겐키치와 야스이치, 그리고 선생님을 같은 선상에 놓고 누가 이 기회를 이용하기에 적합한지를 묻는다면 누구라도 선생님이라고 대답할 것이 분명합니다. 야스이치가 약방을 하고 있으니 어느 정도 의학적 지식이 있다고 해도 선생님만큼 쉽게 묘안이 떠오르지는 않을 것 같습니다. 옛부터 독살은 여성들의 전매특허라고 여겨져 왔으며 남성이 독살을 할 때는 의사나 약사라는 말이 있는데, 이 경우에도 의사인 선생님을 지목하는 것은 그리 이상하지 않다고 생각합니다. 야스이치는 약방을 하고 있으므로 아비산을 얻기 쉽다고 해도 야스이치나 겐키치 모두에게 있어서 아비산을 넣을 때 매우 큰 모험을 해야만 합니다. 그런데 선생님은 손쉽게 아비산을 투여할 수 있으며 명령하여 먹일 수 있는 위치에 있습니다. 이렇게 생각하니 세 명 중 선생님을 가장 유력한 용의자라고 인정한다는 것이 큰 잘못이라고는 보이지 않습니다.”

야마모토 선생 얼굴은 흙색처럼 창백해지고 이마에서는 땀이 흘러나왔다.

“그렇지만 제가 아비산을 섞어 넣었다는 증거가 없지 않습니까. 겐키치나 야스이치와 같은 위치에 있는 것 아닌가요?”

“하지만 그게 그렇지가 않습니다. 선생님이 29일 큰 실수를 저질렀습니다. 문제의 약을 직원한테 들려 보내고 선생님 자신이 환자에게 직접 먹이지 않았다는 것이 착오였는지는 모르겠습니다만, 그것보다 더 큰 실수는 선생님이 오쿠다 댁을 찾아와 사모님의 사망소식을 들었을 때 오늘 아침 들려 보낸 약을 환자가 먹었는지 여부를 묻지 않았다는 사실입니다. 그런데 야스이치 군은 그날 아침 겐키치가 집을 나선 뒤 몰래 숨어들어와 따님으로부터 10시 경에 먹어야 할 약이 와 있다는 말을 들었을 때 혹시나 형님이 그 속에 독을 섞지나 않았을까 의심하여 그 약을 어머님께 드리지 않았던 것입니다. 이리하여 그 약은 그대로 보존되고 가타오카 박사님께 분석을 의뢰하자 0.2그램의 아비산, 즉 치사량의 두 배나 되는 독이 들어있다는 사실이 밝혀졌습니다.”

이 말을 듣자 야마모토 선생은 목에서 일종의 신음소리를 냈다.

“아니, 그래도.”

야마모토 선생은 소리쳤다.

“사모님은 아비산 중독으로 죽은 게 아닌가요?”

“물론 선생님의 사망진단서에는 아비산 중독이 사망원인이라고 적혀 있었습니다. 그런데 가타오카 박사님이 시신을 부검한 결과 말라리아의 존재를 발견하였으며, 그 결과 네 번씩이나 극심한 발작을 일으켰기 때문에 네 번째에 심장이 쇠약해져서 쓰러졌다는 사실이 밝혀졌습니다. 그러므로 겐키치나 야스이치, 또한 다른 사람들도 모두 사모님의 사망과는 무관합니다.”

이 때 야마모토 선생은 갑자기 눈을 꿈뻑거리더니 책상 위에 비틀거리며 고개를 숙인 채로 엎드러졌다. 그랬기에 검사가 한 다음 말을 들었는지는 의문이다.

“야마모토 선생님, 저는 당신을 오쿠다 부인 살인미수 혐의로 기소하겠습니다.”

Posted by 문학관 관리인 위어조자(謂語助者)


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